所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
昨日、道場の稽古があって、その後、懇親会があった。
懇親会の席で、行徳の先生が師匠の背中見ていれば分かるだろうという話をしていた。
これだけで、分かる人には、分かるし、分からない人は、分からないかもしれない話だけど、聞いていて素晴らしいなと思った。
背中って言ったって、大きな背中、小ちゃな背中、頼もしい背中、可愛らしい背中、哀愁のある背中の事では、勿論ない!(笑)
簡単に言うと、察しろ!という事である。
私達が、師匠や、先生を選ぶ場合、最初のきっかけは、困っている時に、助けられたとか、あの師匠は、凄いんですとか、あの先生は、凄い事が出来るという所を見てというのがあると思う。
行徳の先生は、師匠を持つ事の意味を、師匠という人がいることで、師匠がいない時より、凄く頑張れるし、道を外れないと言っている。
この話を聞いて、師匠の背中を見るとは、師匠の生きる姿勢を見る事だなと思った。
師匠という心の拠り所があるから、安心して、自由に、伸び伸び出来る。
師匠の見守ってくれる姿勢があるから、頑張れる。
最初は、師匠のその能力に惚れて、かもしれないが、その後は、やっぱり人間性と思っている。
いろんな師匠を見てきたが、凄く能力が高くても、心が出来ていないと、能力に振り回される。(ちょとは、自慢したいという気持ちの人はいると思うけど、それが過ぎると天狗になる。)
そんな師匠を盲目的に信じていると、周りが見えなくなるなと思っている。
世の中には、いろんな師匠がいるので、いろんな考えがあると思う。
冠光寺流の師匠は、見ていると、いろいろな方法を提示して、後は、その人がやる、やらないは自由意思に任している感じがする。私などは、昔は、仕事で、その人が苦労しないように、私が上手くいった経験を語ったりしていた。(つい、口だしたりしていたと思う。その時は、それが、その人の為と思っていたので。)その人の個性が花開くのは、その人自身が、何かあったり、問題にぶっかったりして、気づいたりしてだと思う。ただ、その個性の花開くスピードが違う。これを、じっと待って見守るのが、師匠かなと思う。
親子でさえ、つい、口出ししている人が多いとおもうが、他人に対して大きな愛を持って、見守るということが出来るか?価値観で見守ると、忍耐、我慢が出ると思う。愛という意識になったとき、人によって、スピードが違うことは、当たり前になると思う。これが、お弟子さんとして、分かって欲しいことでは、ないのかなと思っている。師匠としては、そういう気持ちを繋いでくれると嬉しいなと思っているのじゃないかなと思っている。
今回は、特に、行徳の先生の言う言葉が、心に響いたので、つい、出来心で思ったことを、書いてしましました。
いつも、ありがとうございます。(*´∀`*)
松岡良一
みなっしーから、水戸のお土産で、私の好きな納豆を頂いた。
何と、いつか食べたかった藁(わら)タイプ。
ありがとうございます!
2017年3月1日で、開業してから、10年経ち、11年目に入る。
行徳の地でやってみて分かったのは、いろんな業種が全て激戦となっている。
昔、ある先生が下町で開業するのと、セレブな町で開業するのでは、結果が違うと思った。
その先生に合う地域があるのではと思っていた。
かといって、ピタっと合う場所を見つけるのは、難しい。
私の場合は、東西線の沿線に長く住んでいて、たまたま空いていた店舗が同じ不動産会社で、そこの不動産会社のパートのおばちゃんに、行徳という所は、隣の駅の妙典や南行徳からも、自転車で、来るんですよと言われ、いいなと思い、そして、近くに公園があって、ここで、昼を過ごすと癒されるなと思い、この2点で、行徳に決めた。
行徳でやってみて分かったのは、行徳には、地域性は無く、多種多様な人達がいる所だなと思った。
だから、患者さんや、お客さんは、いろんなお店がたくさんあるので、その中で、自分に合うお店を選べばよい。
逆にお店の方は、いろんな人に満足してもらえるものを、提供出来るか、お店のカラーにあったお客さんに来てもらえるかだと思う。
そんな行徳という地で、朝から、深夜まで、私は頑張っていると思う。
開業する時に、近所の整形外科の院長先生に挨拶に行った。
整骨で今まで挨拶をしに来た人がいなかったらしく、気にいって頂いて、地元の新聞に院長先生が松岡整骨院の開業の事を書いてくれた。
それ以来、気にかけて頂いている。有難い事なといつも、思っている。
今でも、お世話になっている行徳の先生は、元々は、全く面識がなかったけれど、何故か、患者さんを紹介され、そのご縁が今日まで続いている。
上手く先生に、道をつけて頂いている気がする。私の目標の人でもある。いつも、ありがとうございます。
受付のみなっしーには、いつも、整骨院がより良くなるようにして頂いている。
本当にいつも助かっています。ありがとうございます。
私自身は、土木作業員をやったり、ガソリンスタンドで働いたり、道路工事の旗振りをした後に、整骨業界に入った。業界に入ると、優しい所や、のんびりした所もあったが、鬼や悪魔のいる所もあった。そういう所では、お腹が凄まじく痛くなったり、足がストレスで、曲がったりした。こういう所で、世の中の理不尽さを身をもって勉強させてもらい、そのおかげで、メンタルが凄く鍛えられた。
そんな感じで、整骨業界に入って思ったのは、世の中には、いろんな価値観があるなという事だった。私自身元々は、警察官になりたいと思っていたので、法律、ルールが正義というものを持っていた。だから、それ以外は、認められなかった。が、いろんな人達と関わる中で、その人の生き方で、出来上がった正義があるなというのが分かった。そうして、治療技術を上げる為に、いろいろな治療法に参加した。そこで、分かったのが、身体に対してのいろんな見方があるなという事だった。開業してから、武術の治療、腱引きというのに、出会った。これは、武術の殺法、活法の活法にあたる。今まで、ギックリ腰の患者さんが来ると、いろいろやったが、なかなか改善しなく、いつも悪いなと思っていた。それが、腱引きの技術で施術すると、症状が大幅に改善する。この腱引きという治療法が、私にとっては、凄い自信となった。今では、治療のベースになっている。そして、人生の師と呼べる人と出会い、物事に対する、考え方が狭い事に、気づかされた。(いつか、また、お会いしたいと思っている。)そんな感じでいろんな治療法と出会って気づいたのは、いろんな治療法は、その先生の価値観で出来ている。だから、そこに、相性が生まれる。勿論、それを、創り上げるのは、凄い努力をされた結果だと思う。そこで、未熟な私は、こう思った。愛ベースの治療なら、オールマイティになるのじゃないか!もし、愛の場が創れると、そこで、症状は消えるかもしれなしい、患者さんにとって、症状より、大事な事に気づくかもしれないなと思った。
という事を考えながら、11年目も、目の前の人と、真剣に関わることしか出来ないなと思う。
今年は、いろんな予想外のことが起きるといいなと思う。(*´∀`*)
親友の山ちゃんから、プレゼントが届いた。
猪木さんの手ぬぐいと、扇子。
ありがとうございます!
元気があれば、何でもできる!
元気がないときは、松岡整骨院にお寄りください。
精一杯頑張ります!
小林健先生の「長生きしたけりゃ素性力をつけなさい」という本を読んだ。
本の中で、
私の治療の根底には、「人間に病気はない」という基本的な考え方があります。
私達が「病気」と呼んでいるものは、体が発している「警告」だからです。つまり、本格的な病気や悪化を防ぐための反応です。
おすすめしたい六つのライフスタイルとして、
①少塩多酢
②少肉多菜
③少食多噛
④少糖多果
⑤少怒多笑
⑥少煩多眠
そして、小林先生の七つのテクニックの中に、私達人間の道というのがあります。
小林テクニックのなかでも最も大切なのが、それぞれの人にご自分の「道」について考えていただくことです。私がたどりついた「私たち人間の 道 」という考え方は、祖父に習ったカバラ医学、形而上学(けいじじょうがく)、そして58年間にわたる患者さんとの心と体のふれ合いなどから得たものです。太陽や星、木や草、雨、動物たち、空気や水にさえも真に感謝して、日々豊かにジョイフルな人生を送っていくことは、心身ともにすこやかに過ごす基盤です。そのためには、自分の好きなことを大切にしたり、充実した納得出来る生き方を模索したり、人とのつながりの中で自分も人も生かしていったりということの積み重ねが大事です。決してむずかしく考える必要はなく、「楽しく自然にライフスタイルを考えていく精神学」です。それによって、自然に免疫力も高まっていきます。そのことを患者さんと同じたちばで伝えていくのが、私の「道」だと思っています。
本を読んだ感想としましては、
よく、人は、一人では生きていけないと言いますが、(一人で生きていける人はそのままで大丈夫です。)人と関わって、生きていく以上は、バランスをとりながら、生きるのが、結局は、私の為になります。その時、本音で話すのが大事です。気の荒い人は、相手の人が本音で話せるように、優しく接してあげてください。そうしないと、相手の人が怖がって、本音を話せません。これでは、相手の方に不満が残ってしまいます。また、気の弱い方や、お優しい方は、これを、言ったら、相手の方に悪いかなと思うかもしれません。でもこれを、言わないと、自分自身が不満を溜めてしまいます。自分が正しくて、相手が間違っていると思う人は、そんな相手の話は、非常に話が聞きづらいでしょうが、とりあえず、自分の考えを棚上げして、相手の話を聞いてみてください。聞いても意味が分からない時は、もう少しなぜそういう考えを持つようになったか、聞いてみてください。それを、どんどんやっていくと、ああ、そういうご事情でそうなったのが、分かると思います。そうすると、今までは、受け入れることが出来なかった考えが、ああ、そんな考えもあるんだと思えるようになってきます。そういうことをやっていくと、私の世界が広がっていきます。だから、人と向い合うことは、結局は、私の為になります。そうやって、みんな本音で、話合うことが出来れば、みんな納得の結果が生まれると思います。
素性は非常にデリケートなもので、「その性質は『愛』だけ、『生きる』だけである」そうです。(*´∀`*)
斎藤一人さんの微差力という本を読んだ。
この微差の事をこう書いている。
この微差、笑顔だったり、言うことが肯定的だったり、着ているものが華やかだったり、するだけで、この微差が掛け算になってくるのです。ものスゴイ、結果が違ってきちゃうんですよ。ホントに、仕事でも、日常生活でも、いろんなことが違ってくるのです。
そして、何でも、ものには道理があります。その道理どおりやれば人生はうまく行くようになっています。
まず、自分の為、次に人の為、最後に社会の為にやるとうまく行く。
こうも書かれています。ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、しあわせ、ありがとう、許します。この天国言葉を口にし、天国思いをすることによって、出る波動が違い、人相が違うと、呼び寄せる現象が違う。いい事が起きるのです。
そして、お弟子さんに対しては、人の個性を否定しないという気持ちを持っていました。
だから、私は、お弟子さんたちの個性をいじりませんでした。全員、個性が違うんです。そのなかで、一人ひとり、しあわせになる。これが私の基本路線で、私の教えです。だから、ウチの人たちって、みんな明るいんです。
と書かれています。
これを読んで思いましたことは、微差とは、書いてありますが、この微差こそが大事なこと。
しあわせは、本人が思えばしあわせになれるし、その時、私を大事にし、人を大事にし、社会を大事にすれば、より大きなしあわせになると思いました。
そしてポイントとしては、私の心持ち次第で、楽しくなったり、苦しくなったりすると思いました。
いろんな人を見ていますと、ちょっとのことでも、感動する人もいますし、結構凄いことでも、心が動かない人もいます。
人に対して、向き合うと、いろいろ気づくことがあります。それは、人の事に気づくというより、本当は人を通して、私のことに気づくということになります。
道理が分かっている人は、微差が大事というのを知っています。
素直な人は、微差をやってみます。
じゃない人は、微差をしません。 (笑)
みなっしーから、京都のお土産で、京都で有名なパン屋さんのアンパンを頂きました。
ありがとうございます! (*´∀`*)
最近、昼は、毎日、玉ねぎ、人参、卵2個、納豆2パックに、お肉か、お魚を食べている。
そんな生活を、毎日していると、何か、納豆美味しいなと思うようになった。
そうして、いつか、藁の納豆買ってみようと思ったり、納豆専門店に行ってみようと思ったりしている。
そして、考えた、究極の納豆があるのではないか?
インターネットで、究極の納豆と、検索してみた。
それで、出来てきたのが、食の極みー魯山人納豆鉢である。
箱に、魯山人の教えが書いてある。
1、納豆を器に取り出し、何も加えずよく練る。
2、糸がたくさん出てかき回すのが硬くなるまでよく練る。
3、硬く練り上げたら、醤油を加えてさらに練る。
4、最後に辛子薬味を加えてさらに練る。
魯山人納豆鉢には、2つのモードがある。
魯山人モードと、我流モードである。
魯山人モードには、こう書かれている。
壱、
まずは、ひたすら、ハンドルを回すべし!
倍速で攪拌!!
手を抜くな!
気合だ!
確かに、手を抜くと、人生、後悔するかもしれない。
こんな所にも、人生を生きるヒントがある。
弐、
何と、目盛りが、「醤油」を指すと、醤油扉が自動開放!
305回で、開くみたいである。
醤油を入れ、扉を閉じよ。
そして、再びハンドルを回すべし!!
参、
更にハンドルを回すべし!
極めよ!
再び扉が開いたら
魯山人納豆完成!! (424回)
お好みで辛子や薬味を加えて軽く混ぜお召上がりください。
我流モードは、無限にかき混ぜられるモード。
あなただけの究極の納豆を探究出来る!
と書かれている。
納豆が嫌いな人には、何の興味のない話かもしれない。
でも、幸せは、こんなちょっとしたところにあるみたいです。
探してみてください!
(*´∀`*)
黒澤さんの「ラブ、安堵、ピース」という本を読んだ。
内容は、老子の道(タオ)という教えが、黒澤さんの解釈で、分かりやすく書いてある。
感想は、事象をみんなは、いろんなものさしで見ていて、そこにあるのは、事象だけなのですが、いろんなものさしで見ていることで葛藤をつくっている。
ものさしを解釈という言い方をしています。
ものさしは、その人の基準なのですが、そのものさしをどんどん無くしていくと、目の前の世界がより、ありのままに見えます。
そのものさしがなければ、ないほど、自由度が大きく、いろんな人の話が入ります。
ものさしの無い人と接すると、気づきが生まれたりします。
以外と、みんなが知らずにやってしまっているのは、我というと、ワガママは分かりやすいのですが、法律とか、ルールとか、道徳とか、これを、守らなきゃおかしいでしょうと思ってしまうことです。こうしなきゃとダメでしょと思った時、それは、価値観になります。そして、これは正論ということで、相手のいろいろな状況を考えず、その正論で、人を傷つけてしまいますことがあります。この時、相手を見ていません。果たして、そこに愛はあるのでしょうか?
本の中で、君から「自分」という境界消えたときに明らかになる、あるがままの存在の本質、そして、それを永遠に動かし続けているエネルギー、それが「タオ」なんだ。と書かれています。
とすれば、普段の生活の中で、私(個人)がいろいろ重ねて物事を理解していく(腑に落とす)というやり方でなく、ひとつ、ひとつ、私(個人)の中にあるものさしを外していくということで、私(個人)と世界でなく、あるのは、世界だけになるのかなと思います。
ものさし、こだわりがあるから、ありのままが見えない。こだわりが少なくなればなるほど、いろんなことが見えてくる。
人生には、こだわりを追究していくというのが、あると思います。これを、常に、持てる力全て出していくと、後悔がないので、納得の人生が送れると思います。
もうひとつは、逆に、このこだわりをひとつ、ひとつ外していきます。そうすると、どんどん見える範囲が広がっていきます。いろんな仕組みが見えてきます。なんだそういうことか、みたいな。これも、楽しいと思います。
どちらでも、お好きな方を! (*´∀`*)
堀江さんの「本音で生きる(一秒も後悔しない強い生き方)」という本を読んだ。
言い訳をやめると本当にすっきりする。
すぐに体が動くようになる。と書いてある。
その通りだと思う。
すべての時間を「最適化」せよ (PDCAの考えかた。)
「最適化」を繰り返すことで、できることが増えていく
本の中で、
最近僕が行った改善としては、夜のイベント出演を抑えたことが挙げられる。以前は、トークライブハウスでイベントを開催していたが、集客の関係で、開始時刻はどうしても午後7時以降にせざるをえない。そうなると終了時刻は午後9時半になってしまい、まともな食事のできる店に行けなくなってしまう。うまい食事は、僕にとって極めて重要だからこれは痛い。しかも、トークイベントに出演したところでたいしたギャラをもらえるわけでもない。それなら一般の集客にはこだわらず、「堀江貴文サロン」の会員向けとして早い時間帯にトークイベントをやったほうがいいと考えた。
うっかりしていると、毎日がルーチンになりがちだ。「これは無駄だな」と思ったら、すぐ改善をしていくのだ。
と書かれている。
私は、これを、読んで、昔は、効率という言葉は、義理、人情が無い感じがして、そういう言葉を言う人間は、人を大事にしていない人が多かったので、そんなに好きになれなかった。
でも、堀江さんの自分の人生を最適化を繰り返すことで、できることが増えていくというのを、読んだ時、
この考えは、自分の時間を常に見直すことで、自分を大事にするに繋がるんだなと思い、素晴らしいなと思った。
そして、私自身、目先の効率とか、効率を考えるばかりに、私の人生が振り回されるのが嫌という気持ちを持っているのに気づいた。
そして、本の中で、
意図的に「ノイズ」を取り入れることも心がけている。これは、Twitterで自分と意見の異なる人をフォローしたり、意見の合わない人の雑誌コラムを読むといったことを指す。当然、こうした人々の意見を読んでいると腹は立つが、自分の中にある偏見を修正できる。
この文章を読んで、私の中にあった、堀江さんは、相手を言い負かしたい人だなという気持ちが修正された。
私が正しいと思う世界と、あなたが正しいと思う世界が全く反対の場合。
そのままで人生が終わったら、反対の世界を知らないで終わることになる。
反対側の世界が、私を、あなたを自由にするのに、と思う。
この方法が、愛だと思う。(*´∀`*)
患者さんから、差し入れ頂きました。ありがとうございます。
LIFEー人間の知らない生き方という本を読んだ。
動物の生き方を学ぶ事で、もっと楽に生きれるのではないかという事が書かれている。
ゴリラの教え。
汝の敵を愛せよ。
こう書かれている。
誰の人生にも、困難は待ち受けているものだ。
裏切られることもあるかもしれない、
理不尽な嫌がらせにあうこともあるかもしれない。
「密林の王者」と呼ばれるゴリラ。
実は、繊細な心の持ち主である。
恐怖を感じやすく、ストレスでよく下痢をする。
天敵はヒョウで、彼らの存在に怯えて過ごしている。
本来、ゴリラは強い。
最高で600kgの握力を持ち、
体当たりで動物園の強化ガラスにヒビを入れるほどの力を持っている。
ところが、力を持っていても仲間同士で争うときはまずはドラミング(胸を叩く)で威嚇し、ムダな争いを避ける。
自分から戦いを仕向けるようなことはほとんどない。
ゴリラはやさしいのである。
海外の動物園では、ゴリラの檻に落ちて意識を失った子どもをゴリラが助け出した事例がいくつか報告されている。
人に傷つけられ、人生のどん底にあると思ったとき、報復を考えるのではなく、
ゴリラのやさしさを思い出してほしい。
真の強さとは、勝つことではない。
いつでも慈愛の心を忘れないこと。
そんな心の強さを持てた者こそが王者なのである。
カピバラの教え。
和をもって貴しとなす。
人気者になりたいと思ったことはないだろうか。
ところが、行きすぎた承認欲求や自己顕示欲は、時として争いの火種を生む。
いったいどうすればこの欲求を満たせるのだろうか。
その方法を教えてくれるのは、カピバラ。
世界最大のげっ歯類で、そのルックスから近年絶大な人気を博している。
カピバラは人間だけでなく、他の動物たちからも愛されており、その性格一言であらわすと「温厚」につきる。
鳥に乗られても、サルに囲まれても平気。
ワニとだって仲よくできるのだ。
他の動物が競い合うようにカピバラの背中の上を奪い合うことさえある。
イヤなことをされたときにすることは一つ。
ただ走って逃げるのみである。
最大時速50km。
そのスピードは陸上競技のj金メダリストに勝る。
当然カピバラは、カピバラ同士でも仲がいい。
血縁関係のあるメスが共同で子育てを行うことで知られ、カピバラの赤ちゃんは群れのどのメスからでもお乳をもらえる。
些細(ささい)なことは気にしない。
そして愛情深いのだ。
カピバラという名前には現地の言葉で「草原の支配者」という意味がある。
誰とでもよい関係を築けるものは、平穏でゆとりのある人生を歩むことができる。
こんな感じで、いろんな動物のことが書かれている。
結論、動物には迷いがない。
思うままに生きている。
カピバラいいですね。(*´∀`*)