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Blog記事一覧 > 6月, 2014|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院の記事一覧
坂東さんの記事に、「畑から宇宙が見えるー川口由一と自然農の世界、新井由己」
という本が載っていた。
今、千葉の実家の方で、父親が畑を借りて、野菜を育てている。
父親の実家は、農家なので、ぜひ、読んでもらいたいなと思い購入した。
川口さんの自然農は、耕さず、肥料・農薬を使わず、草や虫を敵としないというのが基本。
本を読んでの最初の感想は、効率という考えと、心を込めるという考えの2つがあり、効率を求めるあまり、心を失くしているいるなと思った。
本の中に、「多くの人を養ううために始まった慣行農法は、安価で安全な食糧を安定的に大量に生産するのが、目的だ。
農薬を用いながら、たくさんの人の食糧を約束してくれる。」
ここだけ、見ると、たくさん出来るので、効率的といえる。
ただ、川口さんは、本の中で、「トラクターやコンバイン、田植え機などの農業機械を使うことにによって、それらのものを用意するために、
どれだけの人の手間がかかっているか考えてみるといいだろう。石油を掘り出す、石油を運ぶ、機械をつくる、機械をつくる工場を建設する、
機械をつくるのに必要なエネルギーを用意する、燃料を確保する・・・・・と、気が遠くなるほどたくさんの人が関わっている」と話されている。
これだけ、手をかけているのが、効率は、、いいと言えるだろうかと指摘している。
確かに、これを、考えると、効率的と言えない気がするが、違う側面から見ると、たくさんの仕事があるので、雇用を生んでいるとも言える。
審美眼を養い、本物と偽物を見分ける目を持つのが、大事だと話されている。
本の中で、境地という言葉を使って、その中に相対界と絶対界がある。
相対界が、個々という意識、絶対界が、全体という意識。
川口さんは、一体であるのと同時に個々別々であることを悟れば、対立し、争うこともなく、自他ともに平和に生きることのできるところに立てます。
と話されています。
これは、例えば、一人の男性が、個人の意識だけを優先させるより、奥さんがいれば、夫婦としてどうありたいか、子供がいれば、
家族として、どうありたいか、会社に勤めていれば、会社として、どうありたいか、市に住んでいれば、市としてどうありたいか、日本に住んでいれば、
日本としてどうありたいか、地球に住んでいれば、地球としてどうありたいか、宇宙に住んでいれば、宇宙としてどうありたいか。
人によって、物事の見える範囲が違います。
仕事に関しても、一生懸命やる人、お金の為にやる人、好きでやる人、嫌々やる人等、いろいろいると思います。
会社とそこで働く人、一見別物のような気がします。
しかし、会社というものに自分という意識を持てれば、その中で、私の役割が見えてきます。
それが、その人個人を輝かせる事になります。(結局は、自分の為になる。)
人が出来る事は、今、ここしか関与出来ないのですが、物事の見える範囲をどんどん広げる事で、より多くのものの為になり、また、自分の為になります。
だから、少しづつでも、いいので、自分の心の納得出来る範囲で、いろんな物事を受け入れる事は、結局は、みんなの為が、自分の為になります。
楽しい人生を送りましょう!
腱引きの「呼吸法と運動指導」というDVDを観た。
その中で、患者さんが、腱引きで、身体と心を整えてもらったと話されていた。
腱引きは、心に対して、身体からアプローチする。
久しぶりに腱引きの師匠の元気な姿を見て、感じたのは、やはり、患者さんに、対しての覚悟だと思った。
その覚悟が、患者さんに、伝わり、それが、安心を生むと思った。
人と人のコミュニケーションが、表面的なものの方が、争いを生まず、楽で、
本音をガンガン打つける方が、争いを生んだり、大変だと思うが、相手を知るには、いいと思う。(最初のコミュニーケーションとして。)
小口先生を観ていると、患者さんの身体を通して、相手の心に語りかけている気がする。
腱引きを習って、少し出来るようになると、どうせ、良くなるんだから、自信が出来た。
これが、調子に乗って、天狗になっていた時も、あったと思う。(表面には、出さないようにしていたつもりだが。)
今は、価値観の違う患者さんでも、私の価値観で判断しないで、受け止めて、考えられるようになった。
世の中には、いろんな治療法があり、理解出来るもの,出来ないものあると思うが、
最近、ドラマの半沢直樹をレンタルで借りて観ていて、土曜日に観終わった。
ドラマの中で、「やられたらやりかえす、倍返しだ!」という決め台詞がある。
昔、病院に努めていた時に、怒髪天にきて、病院の壁に穴を開けた事があった。
その頃の私は、違うなと思っても、意見が言えず、ストレスで、お腹に激痛がきたり、足が攣れて曲がったり,痺れたりしていた。
この時は、ある先生に教わった事を、患者さんに話していたら、その先生に、それは、違うだろうと言われ、流石に、怒りが出てきた。
患者さんの施術を終わって、どんどん怒りが増し、こいつを殴ってやろうかと思ったが、多分壊れると思い、
壁に拳を当てたまま、力を入れると、バーンと病院に音が鳴り響いて、壁に穴が空いた。
私は、その当時でも、仏の顔を100回ぐらいは、出来たが、その時は、流石に、その後、その先生に、それは、おかしいですよねと言った。
世の中には、いろいろ理不尽な事があり、組織に所属していると、立場上、言いたくても言えない事がある。
それを、この半沢直樹という主人公は、立場に関係なく、自分自身の正義に従って、行動する事が、みんなの共感をを得て支持されているのだろう。
ところで、世界中の人が71憶人いて、悪いと思う事を、黒、良いと思う事を、白とする。
例えば、昼の12時に待ち合わせで、12時より、早くが白、12時を超えると黒、(時間の待ち合わせに遅れてはいけないという考え)
12時より早くが、黒、遅くは,白、(早く、行き過ぎると、準備の邪魔になって急がせてしまうから、ダメという考え)
(どっちのタイプもいるので、場合によっては、出来るだけ、ぴったり合わせたりしている。)
前者の場合でも、緊急事態では、遅れても、白になり、後者の場合でも、緊急事態では、早くても、白になる。
だから、ひとつの出来事において、世界中で、白になったり、黒になったりする。
という事は、日本にいて、日本の常識に合っていて、暮らし易い人と、合ってなくて、暮らしにくい人がいると思う。
前者は、ストレスが少なく、後者は多い。
みんなが気づかずにストレスを持ってしまうのは、世の中の常識と、本人の考えが違う場合だと思う。
それが、家族だったり、学校だったり、会社だったり、国だったり、社会だったりすると思う。
そこを、ひとつ、ひとつ、向き合って納得していくと、ストレスがなくなってくる。
そうやっていくと、そもそも、物事に、ただ、勝手に意味付しているだけだと分かってくる。
その物事の意味付の仕方が、人によって違うのである。
嫌いな人でも、怖い人でも、何度でも、話をしていると、あっそうかという見方とかなったりする。
メンタルの強い人は、互いの意見を戦わせて、精神的な殴り合いをして、お互い納得するまで、話し合うというのも、いいと思う。
(お前も、やるな!お前こそな!という感じ。最後に握手。)
2年ぐらい前は、攻撃的な相手に対しては、ガンガンぶっかったりしていたと思う。
今は、とにかく、私の考えは、棚に上げて、出来るだけ、その人が話易いように、馬鹿丁寧に接するようにしている。
治療家の人は、分かると思うが、手の平に緊張があると、相手に緊張を与えてしまう。
指の当て方に気をつけても、肩に力が入っていると、それが伝わってしまう。
そんな感じで、身体全体の力が抜けてその上で、治療が出来るといいと思うが、なかなか難しい。(わざと、緊張させたり、反発力を利用する治療もある。)
更に、その人に対して、心に何も持っていない方がその人を、感じやすい。(先入観がない方がいい)
そうして、そんな感じで接すると、本人が、社交的な会話から、自我の会話になり、更に、奥底に持っている気持ちが出たりすろ。
だから、繊細な人程、優しく、優しく、接しないと、その人の心の奥底の部分が出てこなくなってしまう。(怖がってしまう。)
今までは、ここを意識していたけれども、段々とどの人に対しても、同じように接するようになってきている。
ライオンが好きでも、虎が好きでも、犬が好きでも、猫が好きでも、金魚が好きでも、あじさいが好きでも、ひまわりが好きでも、
それぞれ好みでいいと思う。
それが動物が好きでも、魚が好きでも、植物が好きでも、
もちろん人が好きでも、
生物が好きでも、
地球が好きでも、
宇宙が好きでも、
何でもいいと思う。
ここで、宇宙のような広い心を持たないとダメと思い、本人は、ライオンしか好きでない時に、
外側と内側のバランスが崩れている為、葛藤が起こる。
こんな時は、虎を考えてみたりする方法でもいいし、ライオンを深く考える事で何か分かるかもしれないので、
何でも、やってみると、現状が変わるかもしれない。
本人にとってやり易い方法でいいと思う。
私の場合は、昔から、やっている方法は、興味ある事に対しては、とにかく、行動する。(やらないと、後悔するので。)
興味ある事に関しては、アンテナが立っているので、それを、見つけたり、また、それをしていると、情報が集まったりする。
今を生きる為に出来る事は、今しかないので、本当は、何がしたいのか?表面的な欲求をどんどんやりつくしてもいいし、外しても、いいと思う。
すると、本当にしたい事が、何か見えると思う。