所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 12月, 2015|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院の記事一覧
出会い。
人と出会って感化されたという言葉がある。
感銘を受けて、ああ、そういう考えもいいなとか思ったりして、その人自身も、そういう風になりたいと思う。
2013年の時、行徳の吉野先生と話をしていて、先生は、仕事を楽しくするという話をされていた。
その時の私は、仕事は、一生懸命、努力して、糞真面目にするものと思っていた。
楽しむのは、仕事の全てを把握して、余裕のある時なら、分かるという感じだった。
だから、その話を聞いても、そういう世界もあるのかなと思っていた。
この頃の私は、努力とか、根性とか、そういう積み重ねの世界で生きてきたので、
私の価値観すると、よく分からないという感じだったと思う。
そんな中で、冠光寺流を紹介されたりして、先生と接していると、正しく、楽しそうな仕事、
生活をしているのが、伝わった。そういうのも、、いいなと思えるようになった。
価値観で、いうと、陰と陽。
無理しても、頑張るという仕事と、楽しく、楽しむ仕事。
価値観という所で見ると、お互いが理解しえない。
楽しく仕事する人から見ると、なんで、そんなに無理してまでして、仕事するのかな
楽しくすればいいのと、思って、理解できない。
先生が、陽の価値観だけで、接していたら、多分、そんな世界もあるのかな?
私には、関係ないけど、と思っていたと思う。
今年、二年ぶりに、空手の宇城先生の講習会に参加して、思った事は、
二年前は、先生の強さ、頭の良さ、強い信念といった凄さの価値観に反応した。
今回は、先生の相手をなんとか一人前にしてやろうという愛に反応した。
愛というのが、伝わると、表面的には、怒られても、頑張ろうと思える。
愛を本質として捉えてもいいし、価値観の奥に愛があると考えてもいい。
親は、子を愛していると思う。
でも、衝突が生まれる時は、その言葉は、価値観から発していると思う。
でも、親は子を思う愛だと、価値観で、発する言葉を混同していると思う。
親子でさえ、価値観でぶっかっている世界で、人と人が価値観でぶっかるのは、よくある。
この時、もし、純粋に相手の為だけを、思う気持ちの愛から発せられた言葉なら、伝わると思う。
もし、みんなが相手の奥にある愛を感じる事ができれば、敵はいなくなると思う。(同じものと思ってもいい。)
様々な環境の人、様々な価値観の人に、この愛をどう伝えていくかが、今後の課題かなと思います。
吉野先生、いつも、ありがとうございます。
中々の石頭で、一つ、一つ、検証していくタイプなので、お手数おかけしておりますが、
暖かい目で、見ていただき、いつも、感謝しております。
今年に引き続き、来年もよろしくお願い致します。
松岡良一
今年は、とにかく、会いたい人にあった。
オリジナルを創り出したかったが、これは、まだ、完成出来なかった。
ひとつ分かったのが、オリジナル、個性を出したもので、オールマイティーでない場合、
それは、創った人の価値観をぶっけて、そのぶつけられた人が納得すると、その場が出来るという価値観の世界。
だから、価値観が合う、合わないが出てくる。(ビジネスの世界では。差別化してとかいっている。)
それを、愛ベースにすると、どんな人でも、大丈夫になると思う。(模索中。)
例えば、価値観の場合、外見が大事って人と、中身が大事って人が話しても、お互いが主張して、
話がうまくいかない。
これを、愛ベースで、見ると、中身が大事って人が、外見が大事って人の外見の美に対する努力は凄いと思う。
また、外見が大事って人が中身が大事って人の気遣い方をみると、優しい気持ちになると思う。
そんな感じで、お互いが心豊かにになるといいなと思う。
道場の稽古で、保江先生が、優しさが最強と話している。
優しくない人は、優しくなりましょうと話している。(笑)
相手に対して、つい、自分の意見を言って優しくなれない人は、
本人の好きなものに対しては、大事にするので、そこから、少しづつ、広げていくとか、
その人が喜ぶのと、その人の気分が悪くなるのの、どちらが心地いいかと、考えるのも、いいかもしれません。
葛藤が起きるのは、制限された物の見方(部分)で、その全体をみるから、よく、見えていません。
それを、少しづつ、広げていくとどんどん楽になります。
本人なりに、ひとつ、ひとつ、納得して人生を送っていくと、その納得した中では、調和がとれています。
そうして、いろんな場面で、調和をとる事が、私にとっても、あなたにとっても、お互いの世界を広げていく
ことになると思います。調和とは、お互いが、主張しあって、戦うのでは、なく、片方が、主張して、
もう一方が、妥協するのではなく、お互いが、遠慮して、妥協するのでなく、お互いが、お互いの主張をし、
そのうえで、双方の納得の答えを出し、それが、今まで、一人だけで、見ていた世界よりも広くなるものだと思います。
そうして、双方納得の世界が分かると、この二人と、周りの関係に置いて、どう調和をとるかという感じになると思います。
こういう感じに、どんどん本人なりに納得しながら生きていくと、自由度が増し、世界が広がります。
その世界の中で、私がどう生きればいいかは、全体としてうまくいくにはどうしたらいいかを考えると、
自ずと、個人としての私の生き方が見えてくると思います。
ポイントは、私に正直に、相手に正直に生きるという事だと思います。
これを、少しづつ、出来る範囲でやっていくと、どんどん自由になっていきます。
保江先生と山本先生の対談本、「神に近づくには波長を合わせればいい!」を読んだ。
山本先生は、合気道の植芝盛平翁に師事され、合気道の指導と、前衛書家としてのお顔もお持ちである。
道場では、山本先生はいつも、にこにこされて、いい声されていらっしゃるなという印象を持っていました。
本の中で、声を出しながら、字を書くというのをされていると書いてありました。
これは、正しく、声を出しながら、字を書いているので、思った事が、具現化されているとの事でした。
山本先生は、言葉とか、呼吸に、非常に造詣が深い方だと、本を読んで思いました。
昔、読んだ本の中で、ピラミッドの石を運んでいる人に、何をしているんんですかと聞くと、
一人目は、石を運んでいます。
二人目は、ピラミッドを造っています。
三人目は、王様の墓を造っています。
四人目は、エジプトの歴史を創っています。
と答えていました。
その時、思ったのは、仕事は、どう意識するかで、変わるなと思いました。
出来るだけ、いろんな意味を分ってやった方がいいなと思いました。
山本先生の場合は、このいろんな意味が分かっているだけでなく、
例えば、人は、細胞の集まりであり、肉体を持った一つの個体であり、家族の一員であり、
社会の一員であり、国の一員である、人類の一員であり、動物の一員であり、生物の一員であり、
地球の一員であり、宇宙の一員であると思う。
この幾重にも重なった空間ここに、作用するのではと思いました。
これを、どこまで、意識出来るかが、空間の活用度かなと思う。
先生の文字は、ただの文字ではなく、いろんな空間の力があるので、いろんな奇跡が起こるのかなと思いました。
保江先生も空間、山本先生も空間、だから、波長が合うのかなと思いました。
今年も、残り少なくなってきましたが、頑張っていきます!
師走のザワザワの時に、気合いで、しゃんと頑張っています。
今年も残り少なくなっていますが、油断なく、丁寧に生きていきましょう!
この時期、本当に、事故、怪我が多いです。(焦らず、ひとつづつ、片付けていきましょう。)
炭粉さんの零式活人術Ⅱという本を読んだ。
炭粉さんは、元々空手をされていて、保江先生と出会い、現在は、空手家としても、治療家としても凄い人だ。
炭粉さんの本をいつも楽しく読ませて頂いている。
この本の中で、実は私も八年前までは、空手はこうあるべきだ。稽古は、修行はこうあるべきだとの見解を強くもっていました。そんな私が、武道に対して主義主張もない保江邦夫という男にいとも簡単に投げ飛ばされたのです。何を言いたいのかと言えば、主義主張とは関係ないところで本当に大切なモノがシンプルに用意されていることもある、ということです。つまり、人生には「これが絶対に正しいという正解」などない、ということになります。少なくとも私は、だから保江先生との勝負の後しばらく経ってから、自分が持っていた空手や武道の、人生そのものに対しても「~あるべき」という気持ちを捨ててしまいました。そして「どう力んでも自分の人生など大したことではない」との考えから、外で酒を呑むことも、酔っ払って恥をかくことも、もうどっちでもよくなってしまいました。「自分はいつ死んでもおかしくない」状況になった時、さらにその考えは強まったのです。決して自暴自棄ではありません。ですが一種の達観かも知れません。特別な修行と主義主張があろうがなかろうが、成功する時は成功するし失敗する時は失敗する。奇跡は、たかが人間の至り得る境地を待たずに起こり得ることを知ることこそが、自分の人生哲学にとって素晴らしい発見となったのです。想像するに、おそらく保江先生も同じ考えに至られたのではないか・・・
と書かれています。
保江先生に、炭粉さんの本を見せて、先生、炭粉さん、先生に出会って、ここに気づいて良かったですねと言いました。
先生は、炭粉さんは、頭が良くて、追究しているから、分かったんですよ、追究しないと、分からないですよと話してくれました。
人生において、あやふや、漠然、中途半端、にしていると、その意味に気づかない。
興味が有る事を調べてみる。踏み込んでみる。そうすると、以前より分かるようになる。すると、疑問点が出てくる。そこを考えてみる。行動してみる。そうすると、より深く分かるようになる。興味がある事、本人が大事にしている事には、アンテナが立つ、そうして、興味のある事や、本人が大事にしている事に反応する。逆にそこに何かモノがあっても、興味がなければ、本人に関係なければ、反応しない。もうひとつ、アンテナが立つと、そこに興味のあるものや、本人に関係するものが集まってくる。それは、アンテナの性能が上がれば、上がるほど、強くなる。また、違う言い方をすると、本来は、全て繋がっている。そうして、本人の興味のあるところから気づいていく感じだと思う。だから、本人の価値観とか、今の視点で分からなくても、ちゃんと、本人の奥底で求めているものの流れに乗っている。となると、心に葛藤があっても、なくても、大丈夫という事になる。葛藤がある時は、とにかく、何でもやってみる。そうして、やりつくすと、うまくいく。いかなくても、全てをやりつくしたから、納得で出来る。
これが、追究するの意味かなと思う。あくまでも、本人の出来る範囲で、本人なりに納得出来る考えを受け入れると,今よりは、楽になると思う。師走でざわざわしている人もいると思いますが、頑張っていきましょう!
遠藤先生、エクレアありがとうございます。美味しく頂かせて頂きます。(*´∀`*)
日曜日に、東京の町田で、空手の宇城先生の体験型講習会があった。
二年前に、先生の講演会を聞きに行ったので、久しぶりだった。
内容は、例えば、二人の人が、立った状態で、向き合って、肩を組む。
それを、もう一人の人が横から押す。
一回目は、二人がイガミあっている状態。
横から押すと、グラグラする。
二回目は、二人が仲良くの状態。
横から押しても、安定している。
次に、肩を組んだ二人の人の下に正座した人が座る。
それを、もう一人が、正座した人を後ろから押す。
一回目は、同じように二人がイガミあっている状態。
すると、簡単に倒れる。
二回目は、同じように二人が仲良い状態。
今度は、安定しているので、倒れない。
ここで、先生は、両親がそんな状態だと、それは、子供に影響する。
と話をされた。
逆もあると思う。子供がしっかりしていると、親もその姿を見て、しっかりしなければいけないと思う事もあると思う。
先生は、頭の良い人程、首を捻ると話していた。
本当は、ただ、目の前の事実を受け入れるだけでいいと思うのだが、
頭の良い人(頭だけで考える人)は、どうしても、本人の知識、経験という所だけに囚われてしまっているので、
なかなか理解しづらいようだ。(素直が一番。)
他には、三人の人と更に後ろからもう一人が押さえた状態の四人対先生一人の腕相撲とか、子供や、妊婦さんと、大人の男性
の腕相撲とか、(いいなと思ったのが、子供が、大人四人に腕相撲に勝った事を、この事は、一生残ると先生が話されて
いた事。小さい頃は、意味分からなくても、本人の中の成熟度が増すと、ああ、そういう意味かとか、
凄い事を体験した、世の中には、凄い人もいるな。謙虚にならないといけないなとか。この経験が本人にとって、
宝物になる。そんな先を考えての行動は、素晴らしいなと思いました。)
最後は、先生一人対全員(百十人)とか(先生が台風の目のような感じで、みんなは、そこを、中心に回りだすという感じ)
があった。
そんな感じで、いろんな事をやっていくうちに、そこにいるみんなは、子供のような純粋性を取り戻し、
先生の話を素直に聞いている感じになりました。
二年前に、講演会を聞きに行った時、スタッフの人の緊張感が、凄くて、それが、伝わりました。
これは、宇城先生が、怖くて、みんな油断できないのかなと思いました。(礼儀を大切にと話されているので。)
今回、会場に行ってみると、スタッフのみなさんが、気持ち悪くなったら、直ぐ、声かけてくださいとか、
いろいろ声をかけてくれました。いろんな事をする時も、気遣って、優しく声をかけてくれました。
先生は、自立して、調和する事が大事と話されていました。
正しく、先生の考え方に共感し、それを受け継ぎ実践しているのが、今のスタッフの方だと思いました。
整骨院のグループにいる時、院長とスタッフのトラブルを解決する役目だったのですが、
そこで、分かったのが、院長は、一番初めの院長の影響を受けている事が多いでした。
例えば、最初の院長が、指導という事で殴るという考えの場合。
Aという院長は、それを、学んでいるので、殴るのは、当たり前という考えを持つ。
それを、スタッフに、そういうものだと思ってやってしまう。
Bという院長は、それを、学んではいるけど、やっぱり、殴るのは、良くないと思い、
別の方法で、スタッフに指導する。
Cという院長は、それを学んだけど、やっぱり、殴るのは、良くないと分っているが、
自分がされたので、その恨みを、スタッフに指導としてしてしまう。(こういう悪い奴もいます。)
Cという院長は、問題外ですが、以外とA院長のように、最初の院長の教えを、
私の頭で考えることなしに、盲目的に信じている場合が多々ありました。
今回、体験講習会で、伝えたかった事は、心と身体が一致していると、身体は、強いという事だと思います。
本当は、人間関係において、親子関係においては、親がしっかり真剣に向き合う事、親がしっかりしてない時は、
子供が、私自身で気づく事。人と人の関係に、おいても、その人の今持てる力で、真剣にお互い向き合う事を
すれば、良いのですが、なかなか労力入りますし、時間もかかりますし、大変だと思います。
そこで、手を抜くと、結局は、本人にトラブルという形で帰ってきます。
宇城先生が素晴らしいなと思いますのは、言葉と行動が一致している事だと思います。
なかなか人というのは、私に甘くというのが、あったり、つい、とか、状況によっては、とか、
いつも、言っている事と同じに出来ない事がある人は、多いと思います。
先生の場合は、言葉と行動が一致しているので、強いし、ブレないと思います。
例えば、喧嘩が強く、自己中心的な生き方をしている人が、先生と出会うと、
とにかくやっつけてみようと、いろいろしてみますが、何をしても、勝てません。
それで、俺より強いので、話を聞いてみるか、と、最初は、力関係の中で、従ってみるか
という感じかもしれません。先生は、礼儀が大事と話されておりますので、挨拶とか、
一つ、一つ、注意を受けるかもしれません。そこで、カチンときても、先生には、勝てません。
従うしかありません。そうして、礼儀を学び、先生の言われる事が、少しづつ出来るようになると、
何か,今までと違う人間関係が出来てくると、思います。
今までは、絶対そうだと思って許せない事が、そうでもないと心境の変化が出てくるような気がします。
そうして、先生と関わっていると、面倒くさいなとか、厳しいなと思っている事は、俺の事を思って
やってくれているんだなというのが、分かるようになります。
先生としては、一人の人間を一人前に育てるという気持ちで、やっていると思います。
例えば、気の弱い人が、先生と出会うと、先生のように、強くて、頭がよくて、優しい、凄い人になりたいと思うかもしれません。
そうして、尊敬出来る、先生の言う事を、一つ、一つ、実践して出来るようになると、本人が自信を持ち、
今までは、社会との関わり方は、消極的でしたが、積極的になり、違った世界が見えるようになる気がします。
先生としては、同じように一人の人間を一人前に育てるという気持ちでやっていると思います。
先生を見ていて思いますのは、人によって、違うというのが、分かったうえでの接し方をしているので
素晴らしいと思いました。
私が二年前に先生に対して、見えていなかったのは、強さ、礼儀正しさ、頭のよさ、凄さ、信念の奥にある愛でした。
愛があるから、人と関わる。でも、人は、変えれない。でも、その人が愛に気づくと、変われる。
人と接する。本気で、接する。凄いパワーがいります。でも、愛があれば、大丈夫です。
宇城先生、カッコイイと思います。
勉強になりました。
ありがとうございました。