所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 4月, 2012|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院の記事一覧
最近、整骨院で、後片付けを、している時、福山雅治の「家族になろうよ」という曲を、かけている。
どれほど深く信じ合っていても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから
という歌詞が、あり、なかなか、深いなあと思っている。
同じ屋根の下に、二人の人間が、暮らしている。
それぞれ違った環境で、育ち、違った価値観を持っている。
そんな二人なら、お互い、なんでこの気持ちが、わからないの?(孤独)
という事が出てくると思う。
それは、違った価値観を、持つ二人だから、しょうがない。
ただ、その時、相手を愛していれば、理解しようと努めるだろう。
二人が、同じ立ち位置にいて、あなたと私の中で、問題を解決しようとする場合、
お互いが主張するタイプの場合は、妥協ということになるかもしれない。(損得で計算するから)
お互いが思いやりを持つタイプの場合は、自分の事より、相手が大事なので、
相手が、喜ぶ事が、自分の喜びなので、うまくいくと思う。
主張するタイプと、思いやりのタイプの組み合わせだと、主張するタイプが、我儘し放題でも、
思いやりのタイプが、相手の為に尽くしてくれるので、うまく、いくだろう。
主張するタイプが、いつか、その思いやりに気づくと、自分の態度を省みて、優しくなるだろう。
もうひとつは、あなたと私と、 個と個と考えないで、
家族という共同体を、一心同体という気持ちを持って考える事が、出来るとバランスが、とれると思う。
問題は、同じレベルと解決しようとすると、無理が、きやすいと思うが、ひとつ視点を上げると解決すると思う。
福山さんは、違った価値観を持ったが二人が出会い、日々の生活の中でお互い傷つけたりあってりするけど、
段々と家族になっていくんだよ。
というメッセージを、訴えているのかなと思った。
今回、福山さんのこの詞をみて、やっぱり、それぞれの分野で追求している人の言葉は、深いなあと思った。
ルックスも、声も、考え方も、生きかたも、かっこよすぎる。
だから、多くの人に、愛されるのだろう。
今日、昼休みに、バイク屋さんで、いつも乗っているスクーターのオイル交換と、エンジンの調子が、悪かったので、みてもらった。
流石、バイク屋さんは、しくみを理解しているので、エンジンの調子は、よくなった。
よく、父親が、人間の身体も、機械と同じで、どこが、悪いか、見つけて、そこを治せば、いいだけという。
(素人は、物事を、表面で、とらえるから困る。)
まず、痛い場所を、特定し、その痛みの原因を見つける。
その痛みの原因に対して、治療する。
まず、痛い場所を、正確に特定するのが、難しい場合もある。
たった、ひとつの筋肉の筋繊維が、捻れているとか。(師匠が、そう言っていた。)
痛い場所の原因の場所が、本当の原因なのか。(治療を一生懸命やっている人は、どんどん追っていくだろう。)
その痛みの原因を、やって、症状が、消え、その後も、症状が、出なければ、治療が、うまくいったといえるだろう。
難しいのは、同じ症状の時で、原因が、違う時、それを、見つけられるか?
同じ症状でも、人によって、回復力が、違う!
同じ症状でも、人によって、生活環境が、違う!
同じ症状でも、人によって、考え方が、違う!
同じ症状でも、人によって、求めるものが、違う!
一人として、同じ人は、いないので、これを、考慮にいれて、3回ですとか、5回です。
と言うのが、難しい仕事に、なっている。
これを、的確に言うには、全てを分ってなければ、言えない。
せいぜい、経験を基に、これぐらいとですという言い方しか出来ない。
いつか、こうですと、完璧に、言い切りたいです。
スーパー銭湯に、行くのが、好きだ。
その中でも、水風呂が、気に入っている。
いろんな本を読むと、人間には、追い詰められると、凄い力、を出す事が、出来ると言われている。(火事場の馬鹿力)
以前、水風呂に入って、我慢すれば、もしかして出来るのでは、ないかと思ってやっていた時期が、あった。
風呂から、出て、鏡をみると、なんか、ぶつぶつが、出ていたことが、あった。
これは、何なのかと、思っていたら、それは、寒さで出る寒イボだった。
これに、気づいてから、身体に悪いと思って、無理はしないようにしている。
ただ、一度だけ、水風呂に入っている時、血管の中で、血液が、炭酸のように、シュワ、シュワしたことが、あった。
これが、身体の状態が、どうゆう状態の時起こるかは、分らないが、また、体験してみたい。
昔、患者さんで、五十肩の人が、いた、その人が、娘の赤ちゃんをみるという事で、1ヶ月ほど、娘の所に行っていた。
帰ってきたら、五十肩は、治っていた。
昔、ダンスをする女の子が、シンスプリント(動きすぎ)で、歩くのも、大変だった。
知ってる整形の先生を、紹介した。
薬の力で、4日で、治った。
その症状は、状況で、意味づけが、変わる、前者は、五十肩で、本当は、大変だったが、そうも言ってられない状況なので、
本人にとって、その意味が、小さくなった。
後者は、本来痛いはずが、薬で脳が痛みを感じなかったので、整合性をとる為に、症状を無くした。
推測だが、たぶん、脳が、認識する事が、肉体的変化を及ぼす事になるのでは、ないか、と思う。
全ては、実証してみなければ、ならないが。
今の状況は、全て自分の意識が、創り出している。
求めると、アンテナが立つ。
アンテナが、立つと、自分の求めたものに、出会うことが、出来る。
ただ、その時に、準備が、出来ていないと、せっかく、出会っても、関わる事が、出来ない。
準備とは、普段から、いつ出会っても、よいように、努力する事だと思う。
よいものに、出会った、でも、お金がない、時間がない、体力がない、理解力がない、根性がない、
昔から、夢のような事ばかり、思っていた。
ただ、思うだけで、行動をしていなかった。
努力をして、行動すると、そこに可能性が、広がった。
また、努力をすると、そこにまた、可能性が、広がった。
また、また、努力をすると、そこに、可能性が、広がった。
いい気に、なって天狗になると、だいぶ、落っこちてしまった。
また、努力をすると、復活した。
また、また、努力をすると、そこに、可能性が、広がった。
今、夢に近づいている。
理想は、人それぞれ違うと思う。
ある人にとっては、家族と、過ごす時間だったり、お金を稼ぐ事だったり、偉くなる事だったり、遊びまくる事だったり、旅だったり、
とにかく、おしゃべりだったり、自分をみつめたり、いろいろ、あると思う。
その為には、まず、自分にとって、何が、一番大切か、考えてみるのが、大事では、ないだろか?
家族を幸せにする為に、お金を稼ぎ、もっと、たくさん稼いだ方が、家族が、幸せになると、思い、頑張って、仕事!仕事!
収入は、増えたが、心が、離れたでは、本末転倒だと思う。
家族でも、亭主関白、かかあ天下、みんな尊重しあう、いろいろあると、思う。
例えば、お父さん(ご主人)が、家族の為に、いつも、仕事が、忙しいとします。
この時、お母さん(奥さん)が、うちのお父さん(ご主人)は、家族の為に、お仕事頑張っていると思っているか、
仕事ばっかりして、家族の事を、ほっといてと思うか、
また、お母さん(奥さん)が、普段、家事をしている事に対して、
お父さん(ご主人)が、お母さん(奥さん)が、頑張って家事をして、家を守っていてくれているから、僕は、頑張れると感謝しているのと、
私は、一生懸命仕事しているのに、家で、ごろごろしていると思っているのか、
相手に対して、損得で、考えるのか、思いやりで考えるのか、
また、自分の相手が、どういう考えの人によるかで、同じ行動でも、相手の受け取り方が、違うと思います。
相手の頭の中は、普通、読めないので、とにかく、コミュニケーションを、とる事が、大事だと思います。
お互い相手に求める理想の姿が、あると、思いますが、それが、お互いの理想通りなら、素晴らしいと思います。
そうでない場合が、多いから、いろんな葛藤が、生まれると思います。
その葛藤が、その本人に気づきを与えるきっかけになると思います。
なぜ、私が、苦しまなければいけないのかと思い相手のせいにしていると、本人の成長は、ないと思います。
いつも、同じ問題で、自分自身を苦しめる事に、なるでしょう。
今、理想の家族が、あるとします。
それでも、お互いの成長の度合いは、違うと思います。
そこで、また、葛藤が、生まれ、気づきが生まれると思います。
日々の暮らしの中で、葛藤が有り、気づき、成長していくのかなと思っています。
5月の連休は、山登りと、友達と遊ぶ事を予定している。
山登りは、苗場山に、泊まりでいく。
一日目に、宿に泊まって、二日目に、朝から登って夕方に、降りてくる予定だ。
普段で、七時間かかると言われているので、雪山だと、さて、どの位かかるのか?
ちゃんと、無事に、帰って来られるのか?
いろいろあるが、遭難と、怪我だけは、しないように、しようと思う。
以前、泊まりで行った、雪山の巻機山(まきはたやま)の山登りの降りで、だーっと、滑って、ストックを刺して、
なんとか止まれてが、ストックは、グニャと曲がり、左膝の内側側副靭帯を、負傷した事が、あった。
私の見立てでは、半年ぐらいと思っていたが、絶対安静と、とにかく、好きなお菓子を食べて、治す事に意識を集中させた結果、
一ヶ月で、治った。(柔道で、右の内側側副靭帯を負傷した時は、半年以上かかった。)
あと、今回は、泊まりなので、前回の白馬山の泊まりの時、山小屋が、混んでいて、一畳半の所に、三人で、寝る状況になった。
二人とも、睡眠導入剤を、飲んで寝たようだったが、眠れなかったらしい。
とくに、リーダーは、朝、ボロボロの状態だった。
私は、どんな状況でも、一分ぐらいで、寝てしまい、この時の朝は、普段より、多く睡眠をとったので、快調だった。
ここで、ひとつ、疑問が、湧いてくる。
なぜ、強靭な精神的と、強靭な肉体的を持つリーダーが、ここまで、打ちのめされたのか?
答えは、私のいびきである。
怪獣並みである、その破壊力は、凄まじい!
昔、整骨院の分院長を、やっている時、友達が、スタッフとして、入ってきた。
昼休みは、みんな昼寝をするので、スタッフの人達には、耳栓を支給していた。
その友達が、私の向かいのベットに寝た。
友達のいびきは、凄まじく、普段、一分で寝る私が、まったく寝る事が、出来なかった。
その時の、ストレスは、強く、もう、ダメだと、思った。
次の日から、昼休みは、アパートに、帰って寝るようになった。
この時、私の心に、いびきは、大きい方が、勝ちというのが、しっかり、刻まれた。
一度でいいから、すやすや、寝息を立ててみたい。
私は、和菓子の豆大福が、大好きだ。
最近は、とんと、ご無沙汰で、食べていない。
豆を噛む時の、食感が、たまらない。
そこには、確かに幸せが存在している。
豆大福を、食べるときは、普通は、お茶だろが、私は、コーヒーである。
好きな物と、好きな物の、コラボは、そこに、至福の時を、演出する。
更に、温泉と、山が、絡んだらもう、大変である。
何で、こんなに、大福が、好きか?考えてみた。
まず、幼い頃から、とにかく、お餅が、大好きだった。
今でも、お正月に、実家に、帰ると、あんこ餅を、1日10個食べ、4日いると、4キロ太るぐらい好きである。
あんこも、好きである。
昔は、よく、毎日、きんつばを食べていた。
あんドーナツに、はまっていた時期もあった。
豆も、どんな豆も、好きなんで、えんどう豆でも、黒豆でも、その噛み心地がとってもいい。
豆の噛み心地と、あんこの甘さと、餅のもちもち感のハーモニーが、素晴らしい。
これも、その人に、あった、豆と、あんこの甘さと、もちもち感と、その大きさとか、割合とか、温度とか、硬さとか、あんこを2種類にするとか、
豆を塩茹でにするとか、香りとか、あんこの包み方を変えるとか、いろいろ工夫すると、その人を更に幸せにする豆大福が、
出来るかもしれない。
とにかく、豆大福を食べている時は、幸せである。
価値、たまに、考えたりする。
世の中には、多くの価値観が、あると、思う。
この人達に、どういうサービス、どういう人が、合うのか?
それが、サービス(商品)であるなら、例えば、ボールペンで、考えると、値段、性能(書き心地)、デザイン、色、触感、重量感、
みんなが、持っているから等、
ひとつの商品に、多くの価値を、持たせれば、地域性とか、そんなに、考えなくてもよいと思う。
これが、人であるなら、例えば、男性で、考えると、かっこいい、男らしい、強い、かわいい、頭が良い、優しい、真面目等、
いろんな価値を持つ人ほど、魅力的な人になると思う。
私は、元々、小さい頃の夢は、警察官になりたいぐらいだったので、正義が、好きで、悪が、嫌いだった。
それが、頭が、良い人、悪い人、お金が、ある人、ない人、優しい人、意地の悪い人等、いろんな人を見るうちに、
世の中には、いろんな人がいて、その人自身が、みんな自分が、正しいと思っている、様々な価値観を、持っているな、
ただ、それを、自分が、正しいと思い押し付けるのは、いけないなと思った。
と言いながら、押し付ける相手に、感情が、動くのが、まだまだですが、これが、うまく出来ると人間的に成長するのですが。
何が、正義なのか、悪なのか、と考えた時、法律、倫理、時代、国、人、で、違うと思います。
昔、ガソリンスタンドで、深夜、働いていた時、外車に乗っている人は、殆ど横柄な人でした。(深夜というのも、あるかもしれません。)
この時、外車に乗っている人は、ダメだと、偏見を持ってましたが、そのうち考えが、変わりました。
外車に乗っているという事は、お金を稼いでいると、(ぼんぼんもいると思いますが。)
お金を稼いでいるという事は、その人の所で働いている人や、お客さんには、貢献している。
その対価として、お金を貰っている。
私の見る、嫌な奴というのは、私の思う、その人の一面に、すぎない。
(今、外車に乗っている人で、接する人は、みんな良い感じの人です。)
今まで、私自身、100パーセント、正義の人、100パーセント、悪の人、見た事は、ありません。
みんなそれぞれ、正義と悪の要素を持っていて、その割合が違うに過ぎない。
また、それも、見る人に、よっても違うし、何を基準にするかで変わると思います。
私自身の人生の目的は、人間性を高めるという事なので、いろんな価値観を持つ人が、納得する人になる事だと思います。
理想は、高く、現実は、様々な葛藤を乗り越えて、一歩、一歩、前のめりでいきたいです!(口ばっかしにならないように、しないと。)
毎月、一回、日曜日に埼玉で、筋整流法(古式腱引き)の伝承会に、参加している。
この筋整流法は、柳生心眼流の中の筋絡の流れに、小口先生の頭脳が、プラスされて、出来きあがったものである。
詳しくは、今月の月刊秘伝を、読んで見て下さい。
この筋整流法で、驚いたのは、ぎっくり腰の治療の時であった。
昔から、あ!痛た!た!と患者さんが、来られて、あ!痛た!た!と帰って行く。
冷やしたり、電気をかけたり、軽くもんだり、テーピングをしたり、コルセットをしたり、その分だけ少し軽くなるが、患部は、あまり良くなってない。
これが、いつも、患者さんに、申し訳ないと思っていた。
私の場合は、今まで、普通のぎっくり腰の治りかたは、強い痛みが、7日から、10日で落ち着き、朝だけ、痛いのが、無くなり、
何をしても大丈夫というのが、通常1ヶ月ぐらいだった。
ぎっくり腰で、なかなか治らないと言って来る人や、酷くして、来る人は、だいたい、お風呂か、押しているか、動かしているか、
どれかをやっていた。
筋肉の繊維を痛めているので、冷却と、安静が大事と思っていて、その修復に、時間が、かかると思っていた。
それが、筋整流法では、腰には、4つの筋(腱)が、あって、これが、ズレルのが、ぎっくり腰の原因と言っている。
解剖学的には、ない筋(腱)をあるという所を触ってみると、指先には、確かに筋(腱)が感じられる。(初めての時は、分らなかった。)
その筋(腱)が、外側にいっているので、内側に引いて、本来ある場所に、筋(腱)にやると、よくなる。
私の場合、今の実力だと、10を5にすることは、出来る。(うまくいくと、4回で治ったりする。)
患者さんが、腰を曲げて来ても、だいたい普通に歩いて帰れるようには、なっていると思う。
では、半分痛みのある状態で、お風呂に入っていいのだろうか?
筋整流法では、家に帰って、よーく温まってくださいと言う。
ただ、今まで、さんざん、お風呂が、ダメと言ってきた人が、お風呂がいいですよというのは、怖い。(1分ならいいですよと言っていた。)
まったく、痛みが、なければ、お風呂で、温まってくださいと言えるけど。
そんな時、以前来たことがある頑丈そうな患者さんが、ぎっくり腰で、来院した。
筋整流法の治療をすると、身体を曲げていたのが、楽になり、半分ぐらいになった。
先生、だいぶ楽になりましたというので、〇〇さん、普通は、お風呂ダメだけど、この治療法では、お風呂に入ると楽になるというんで、
お風呂入って、痛くなったら、ごめんねと言いました。
次の日、患者さんが、また、楽になりましたと言ってくれたので、お風呂は、いいんだなと思いました。
そこで、一つ疑問が、湧きました。
ぎっくり腰で、一般的には、冷やせ、
筋整流法では、温めろ
まったく、逆です。
今までの経験で、お風呂に入ったら、悪化するか、治りが遅かったりしました。
これは、どういうことか、考えてみました。
今まで、悪化したり、治りが、遅かったのは、筋(腱)が、ズレタ、捻れた、状態で、膨らむので、神経に当たって痛くなっていた。
筋整流法では、それを、正常な位置の方に引くので、痛みが出ないのかと思いました。
今まで、何十年と接骨業界で、やってきて、筋(腱)が、ズレル、捻れる、知りませんでした。
今は、知らなかった、筋(腱)が、ズレル、捻れるという概念が、入ったので、改善率が、あがりました。
世の中には、知らない事が、たくさんあると思います。
それを知っても、理解出来ないから、受け入れられない人が、いると思います。
私の場合、判断基準は、治るか?治らないか?だけなので、理由は、いりません。
筋整流法の場合は、解剖学の知識を、頭に入れて、指先の感覚を鍛え、解剖学の知識を基に、皮膚の下をイメージできる人には、
いいと思います。(難しいですけど。)
指先の鍛錬は、電話帳の紙の下に、髪の毛を入れて、何枚目に入っているかを当てて、それを、どんどん、増やして、分るようになると
いいと言われています。
筋整流法の先輩達は、筋反射というもので、原因を、特定したりしています。(今は、まだ、感覚が、つかめていません。)
筋整流法に、出会えてよかったのは、その治療に対する意識の高さだと思います。
整骨院では、患者さんに、先生!凄いですね!と言われ、ちょっと、天狗になりそうですが、
伝承会に行くと、いつも、緊張します。
このバランスが、いいのかなと思っています。
物質的な治療を求める方には、お勧めだと思います。
昔、よく、パチンコ、とか、競馬とか、やっていた、時期が、あった。
その頃は、やってて、本当に、楽しかった。
友達と、中山競馬場とか、後楽園とか、錦糸町の場外馬券場に、行って、朝から、夕方まで、競馬をしていた。
殆ど、勝つことは、なかったが、その時は、楽しかった。
まあ、この頃は、普段のストレスを、解消する方法としては、これが、私にとって、唯一だった。
たぶん、何の努力もなく、手軽に刺激が、得られる事が、よかったんだと思う。(一回、一回、研究して、やれば、勝率は、あがったと思う。)
ただ、漠然とやり、その瞬間は、ストレスから、解放されていた。
その頃の、夢は、友達が、定年したら、一緒に、地方競馬をしに行く事だった。
多くの時間とお金を使い、ある時、 やっと、 気づいた。
競馬、パチンコ、 ギャンブル は、勝てない!
そこに、気づいたら、もっと、お金の使い方が、あるんじゃないかと思うように、なった。(早く気づけば、5年前には、開業できた。)
ギャンブルの本質は、お金をかける事で、お金が儲かる事だと思う。
パチンコも、競馬も面白いと思う。
私のように、熱くなるタイプは、その時の生活を、壊さない事が、大事だと思う(お給料の範囲内でやっていたが。)
独身者と既婚者で、使える額が、違うと思う。
昔、練馬で整骨院の院長をしている時、競馬をしているおばあちゃんが、いた。
そのおばあちゃんは、300円だけ使っていた。(メインレース3点)
競馬は、馬の1着、2着、3着を、当てるゲーム。
パチンコは、リーチを楽しむ。
お笑いのじゃいさんのぎゃんぶるの本を読むと参考になると思う。
みんな、自分の身の丈に、あった金額で、楽しめれば、いいんじゃないかと思う。
世の中には、いろんな楽しい事が、あり、いろんな趣味が、あると思う。
そこで、大事なのは、その趣味は、自分にとっては、興味が、なくても、それは、その本人にとっては、大事なものなので、
それを、どうこういう事は、出来ないと思う。
ただ、その趣味が、周りに、被害を及ぼしたり、その本人は、気づかないが、本人自身を苦しめているのであれば、
そこに、関与するのは、ありだと思う。
今の私は、心と身体をベストに、する事を大事にしている。(そのわりには、デブじゃん。)
元気の良い時の100パーセントと、調子の悪いの100パーセントは、どっちも、一生懸命やっているが、
患者さんに、提供出来るものが、変わってしまうので、気をつけている。
山登り、スーパー銭湯、DVD鑑賞、読書、漫画喫茶、面白そうな治療をうけるとか、そちらの方が、自分にとって価値があるようになった。
今では、友達と遊んだ時とか、実家に帰って、弟が、パチンコに行く時と、有馬記念(これだけは、毎年行く。今年からは、行けなくなるが。)
年に何回か、ぐらいになったが、その一回に対しても、父親に、おまえは、ダメだなと言われる。(お父さんも、パチンコやってるでしょう!)
これを言われると、カチンと来るが、父親は、心配して、言ってくれているので、お父さん、あまり四角四面になり過ぎても困るでしょう。
と言うようにしている。
昔、ある先生と話をしていて、ストレスが、大きいと、それを解消する為に、お金をたくさん使うという話を聞いた。
仕事をバリバリやって、お金を稼ぐようになると、それにともなってストレスが、大きくなる。
それを、解消する為に、お金をたくさん使う。
その時は、その話を聞いて、そうかなと思ったが、今は、違う。
ストレスは、全て、その本人自身が、感じていることなので、例えば、ある状況を、Aさんは、ストレス10とした時。(10が、マックス)
Bさんは、ストレス5、Cさんは、ストレス0。
というように、その人自身の感じかたが、変われば、ストレスは、小さくなる。
ストレスを無くす方法は、全て、肯定的にとらえることだ。
てめえ!何とろとろやっているんだ!と言われたら、
この人は、本当は、そんな言い方したくないが、敢えて私に気づかせる為に、刺激を与える言い方をし、そう言ってくれてるんだ。
と思えればいいのですが、(なかなか難しいと思います。)
出来ない人は、身体を鍛えましょう!
肉体が、強ければ、ストレスに対して、強くなります。(いろいろ言われても負けません。)
肯定的にとらえるというのは、イメージで、言うと、相手を受け入れる。
肉体を鍛えるというのは、イメージで、言うと、相手と戦うという感じだと思います。
ストレス社会と言われますが、それを作り出しているのは、お互いが、正しいと思い、相手を認めないところだと思います。
世の中は、まだ、競争社会だと思いますが、平面的な見方をして、パイを奪い合うのではなく、協調、調和、バランスといった、心を持ち
みんな、少しづつ、少しづつ、相手を認め、お互いの世界を広げていけば、その場所で、新たな価値を見い出し、
新しい市場を創り出す事も出来きて、平和になるのかなと思っていいます。
お互い相手を認めあう事で、重なりあい、相手を自分の事のように思えれば、素晴らしいと思う。(なかなか難しいと思うけど。)