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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 6月, 2016|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院の記事一覧
日本の心を伝える空手家 銘苅拳一 という本を読んだ。
この本は、銘苅先生に炭粉先生がインタビューして、書かれたものだ。
感想として、
①感想をまとめるのが、大変だった。
②空手 国際親善
③殴ることについての考察。
①感想をまとめるのが、大変だった。
この本を読んで、最初に分かったのが、炭粉先生の空手と国際親善に対しての認識。
後は、銘苅先生の凄さと、個人的な気づきを書けばいいと思った。
何で、書けないのかと思ったら、
「私の武勇伝などよりも、国際親善の大切さをこそ描いて欲しい」との銘苅拳一の心。
という一文。
武勇伝中心に書かれていれば、中国に門弟八百万人の銘苅先生の凄さが分かりやすいかなと思ったが、
これが、無いので、銘苅先生の凄さアピールが出来ないと思い、さて、どうしたものかと、葛藤していた。
なら、銘苅先生の人間性の高さを伝えれば、分かる人には、分かるかなと思った。
②炭粉先生は、銘苅先生と話をしているうちに、炭粉先生の持つ空手のイメージ、突き、蹴りと、
銘苅先生の空手(手 ティー)が違う事が分かった。
銘苅先生曰く「 炭粉さん、空手・・・いえ、手(ティー)何も殴り合い、蹴り合いだけではありません。投げ技もあればスカシ技もあります。手がやがて(トウディー)、そして本土に渡って『空手』と呼ばれるようになった時、既に隆盛を極めようとしていた柔道に遠慮し、打撃技以外を晒すことを敢えて伏せたのです。」
「昔はね、道場も流派もなかった。段位もなかった。空手着もなかった。ただ、ティーチカヤー(手使い)とティーナラヤー(手習い)の区別だけがあった。ティーチカヤーがティーナラヤーを教えてあげるのです。それだけのことなんですよ。」
「試合には必ずルールがあります。だから厳密な意味では、武道たりえない。そして勝った方は『次は負けるかもしれない』と不安になり、負けた方は『次はリベンジしてやる』という気持ちになる。その繰り返しの中に魂の向上は望めないと私は思うのです。昔の沖縄のティーチカヤーはね、『勝負は時の運などではない。お互いに会った瞬間、もう勝負はついている。それを、やってみなければ分からないなどというのは、まだ、全然修行が足りないのだ。会った瞬間、見た瞬間に勝敗が分かるようになれば、何故戦う必要があるのか」と言っていました。つまり武道を修行し、極めるとは、即ちそういった境地を得るための精進なのです。」
炭粉先生が最後の方で、書かれています。
もし、・・・畑村が保江の説く<愛>という概念で氣空術を悟り、その結果銘苅の見た沖縄の名人の技に接近出来つつあるのであれば、沖縄の空手の原理も同じく<愛>になるはずなのだ。
ここに至り、私は愕然とする。まさに<親善>と<真の空手の姿>とが、完全に一致したからだ!稀代の空手家・銘苅拳一が言いたかったこととは、これだったのではないか!彼は、それを知っていたのだ!
かくて銘苅が私に言った「自分の武勇伝よりも<親善>を伝えたい」との言葉に抱いていた違和感が、完全に霧消したのだ。
この炭粉先生の話を読んで思いました。私達の多くは、いろんな知識や、経験を積み重ねて、物事を理解していきます。
本来は、ただ、無償の愛というものがあり、それは、私達に関わる全てのものに対して同じ気持ちを持てるといいのですが、本人も知らないうちに、差をつけていたりします。その人自身が、人生を通して、その事に、気づく事が本人をどんどん自由にするのかなと思います。
③殴ることについての考察。
私の中で殴るというイメージが悪かった。
そこで、殴るという事について、考えてみた。
赤ちゃんが、お父さん、お母さんに寄って、行って、手が当たった。
別に悪い気しない。むしろ、可愛いと思う。
カップルの彼氏が、コイツ、といって、コツンと、彼女を叩いた。
これも、多分、悪い気しないと思う。むしろ、嬉しいと思う。
挨拶で、拳と拳を合わせた、通称、グータッチ。
これも、悪い気しない、むしろ、仲がいい。
私の殴るのイメージは、小学校の時、通知表をもらってくると、父親から、拳骨をもらった。
この時の、気持ちは、痛い、怖いだったと思う。
父親世代は、軍隊式で、親や、先生が、叱る時に、普通に、殴るをしていたそうだ。
だから、父親にとっては、殴るのは、普通の事だと思う。
空手の人は、突きや、蹴りがある。
突きは、いわゆる殴る、でも、悪いとは、思わない。
それは、お互いが、それに、同意して行われているからだと思う。
柔道は、投げる。柔道する人にとっては、普通である。
そして、同意の上で、やっているから、怖くない。
もし、歩いていて、同意なしで、投げられたら、大怪我する。それは、恐ろしいと思う。
私が殴るという事に対して、イメージが悪かったのは、同意なしに、父親から殴られていたからだと思う。
そこで、恐怖を覚えてしまったからだと思う。(何で怒られたか、分からない。)
もし、昔テレビでやっていた、スクールウォーズの監督のように、お前は、俺の子なんだから、しっかりしなければダメじゃないかと、涙を流しながら、ぶっ飛ばされたら、父親の愛を感じ、その期待に答えていたかもしれない。
そうはいっても、人生は、その人のものなので、父親の性にするのでなく、息子である私が、学び取らなければならない。
全ての行為は、いい悪いは無く、その人がどう受け取るかで、変わる。
そして、今回、気づいた事は、物事を、以外と、ごっちゃにしているな、と思った。
昔、銘苅先生が、冠光寺流の道場に来られた事があった。
その時、銘苅先生と膝相撲をやった。
2回やって、2回、私が勝った。(内心、我の無い人は、強いなと思った。そう思った時は、我があるのだけれど。(笑) )
その後、2回、縦にひっくり返された。(何で、やられたか、分からない。後に分かったけれど。)
その後の懇親会の席で、師匠が、銘苅先生に紹介してくれた。
そこで、銘苅先生に教えて頂いた。
先生が本気で、打つと、相手は、死んだり、吹っ飛んだりするとの事。
だから、当てない。これが、本当の寸止めの意味。
次に、もう少し強くなると、お互いの実力が分かり、戦わずして、参りましたとなるとの事。
そして、更に、上がると、赤ちゃんのように、誰からも、闘いを挑まれなくなる。
これが、敵がいないという本当の意味の無敵との事。
この話を聞きまして、流石、銘苅先生と思いました。
世の中には、銘苅先生のように、素晴らしい人がいます。
その銘苅先生が会いに行ったのは、氣空術の畑村先生。
その畑村先生が会いにいったのは、冠光寺流の保江先生。
その保江先生に決闘を挑んだのは、炭粉先生。
世の中には、素晴らしい先生方がいらっしゃいます。
その先生と、もし、出会える事が出来れば、今まで、持っていた価値観など、吹っ飛ぶかもしれません。
そして、いろんな可能性がある事に気づくかもしれません。
その為には、先ず、目の前の事を一生懸命やる事が大事だと思います。
そして、追究する事で、アンテナの感度を上げてみてください。
そうして、やっていくと、きっと、見つかると思います。
、
昨日、地球儀を買った。みなっしーに写真を撮ってもらったら、笑っていた。
危険な香りする?世界征服みたいで!と言ったら。
みなっしー曰く、「妄想に取り憑かれた人みたい!」
失礼な! (笑)
今回、地球儀を買ったのは、前から欲しかったのと、イギリスがEUから離脱して、その影響が世界に出ている
ので、その考えるきっかけになればとの思いからだった。
株とか、投資とか、やっている人は、この事については、意識していたと思う。
しかし、普段、仕事を真面目に一生懸命やっている人が、この煽(あお)りを受けて、給料10パーセントカットとなった時、
この人は、どう対応していれば、よかったのだろうか?と思う。
ひとつは、社長が、この場合に対して、対策を考えていて、給料をカットしなくてすむようにする。
ひとつは、日本の企業が、自分の企業の利益を守る為に、いろいろなやり方で、手を打つ。
ひとつは、日本の国が、自国の利益を守る為に、いろいろなやり方で、手を打つ。
ひとつは、イギリスと関わる国で、離脱すると、損益を被る国同士が手を組み、いろいろなやり方で、手を打つ。
ここで、思う事は、まず、情報がある人と、情報を持たない人で、差が出る。
情報を知らないと、いいように、やられてしまうかもしれない。
その為には、まず、仕事を覚え、この仕事がどういう事によって成り立つているのを、少しづつ考えていく、すると、
その為には、これが問題になるな、とか、段々と、全体が見えてくると思う。
そうして、そうやって、それぞれが、そんな感じで、やっていくと、私の所と、あなたの所がぶっかると思う。
この時、力関係による、妥協でなく、双方の困った状況を理解した上で、お互い納得の答えを出すと、お互い上手くいく。
この時のポイントは、お互いが包み隠さず、本音で、腹を割って話す事だと思う。
どうしたら、私は、損しないで、得するかを考えるより、どうしたら、この全く違う二人が上手くいくかを考えた方が私の世界が広がる。(*´∀`*)
今回、分かった事は、ふたつあった。
①思わぬ、成長!
②向き合っていない。
嵐のテレビで、肥満遺伝子検査の話があった。
これは、頬の粘膜を取って、どのタイプかを、調べるというものだ。
りんご型ー糖質で太りやすいタイプ。(β3AR遺伝子)
洋梨型ー糖質で太りやすいタイプ。(UCP1遺伝子)
バナナ型ー筋肉がつきにくいタイプ。(β2AR遺伝子)
アダム・イブ型ー生活習慣に問題あり?タイプ。(遺伝子に異常なし)
そうして、その結果を元に、その人に合わせた、アドバイスとレシピブックが届くようになっている。
①これを、送るにあたって、質問に答えて、身体のサイズや、体温を測るというのがあった。
体温は、36.7度だったので、いい感じだと思った。
みなっしーに、身体のサイズを測ってもらったら、B123、W122、H120だった。
手が回りませんね。ヽ(*´∀`)ノぷっ、と笑われ、確かに、以前、測ってもらった時より、パワーアップしていた。
②もうひとつ分かったのが、ダイエットと、向き合ってないなと思った。
多くの事は、努力と根性で、何とかなるのに、なぜ、上手くいかないのか?
不思議だった。
そして、分かったのが、今の所、太って困ってはいない。だから、やらない。
あっ、そういうことか!と思った。
私自身、気づいた。
例えば、生活をしていて、別にこれを、始めると、更に、理想の生活が送れるのに、なぜ、上手くいかないのか?
それは、現状の生活で、困る事がないので、つい、安穏としてしまう。
そして、その物事と、向き合っていないのに、気づいた。
その物事と、向き合えば、上手くいく確立が上がると思う。
向き合わなければ、何年、経とうが、現状は変わらない。
今、もし、困っていれば、何も考えず、頑張ると思う。
そこで、方法としては、頑張らざるを得ない状況にするか、(ヤバければ、頑張るでしょう!)
私の中の興味のあるものと、結びつけて、目的意識を持たせる。(なぜ、それを、しなければならないか?意味を持たせる。)
そうして、その物事と、向き合うように、工夫する。
知るとは、知識、経験を重ねる事だと思っていましたが、そうではなくて、気づく事、いろんな考え方を吸収し、
どんどん大きな視点で、見れて、調和が取れている事かなと思います。
{部分で、見ると、争い、全体で、見ると、調和。(視点の違い。)}
週末に、柳生心眼流の骨絡の二回目に参加した。
今回、思ったのは、二つ。
①徒弟制度の意味。
②殺法、活法の関係。
①徒弟制度に対してのイメージは、厳しい師匠がいて、決して教えてくれず、目で盗んで、覚える、間違えると、殴られるという感じを持っていた。
整骨学校の時は、二人の先生にそれぞれ、師事している生徒がいて、一人は、マルマルして、もう一人は、細かった。
その時、先生によって、厳しさが違うんだなと思った。
昔、一緒にやっていた先生から聞いた話が正しく徒弟制度だなと思った話がある。
電話がかかってきて、「院長いる?」と聞かれたら、即座にハイ何何先生と言わなければいけない。
そうしないと、鋏の持つ所で、ゴンとやられる。
名前を言わないのに、その声で、直ぐ、何何先生が分からなければいけない。
整骨も、この徒弟制度タイプと、マニュアル式タイプがある。
マニュアル式は、この時は、こうしましょうというのを、重ねていく、そうして、積み重ねた分だけ、いろいろ対応が出来る。
ただ、考える事をしないで、覚えている事だけしていると、習っていない事には、対応出来ない。
徒弟制度の場合は、やられるがあるので、油断が出来ない。常に、集中している。
千葉の別の武術の稽古を見学させて、頂いていた時、これは、真剣にやらなけば、怪我するなと思った。
この時思ったのは、一生懸命では足りない、もうひとつ上の真剣という意識を感じた。
こんな感じで、徒弟制度に対して、いろんなイメージを持っていったが、
今回、島津先生が、仰った、「武術は、三歳から初めて、身体が出来る。」
という話を聞いて、昔の大人は、十五歳(元服)だから、それまでに、武術が出来る、神経が、細胞が、そのようになるのだなと思った。
外から、見ていて、小さい子に、そんな事をするのは、可哀想と思うかもしれないが、これが、後々、この子にとって、厳しい人生を乗り切る宝物になるのであれば、いいのかなと思った。
徒弟制度とは、現代のように、教える、教わるというのではなく、師匠が苦労して、掴んだ宝物を、弟子が覚悟を持って、それを、受け継いでいくものかなと思う。
師匠は、その前の師匠から受け継いだやり方を弟子に伝える、そうして、ブレないように、同じものを、伝えていくのかなと思う。
②殺法と活法というのがある。生かすも殺すもという言葉がある。
柳生心眼流では、殺すも生かすもだそうである。
昔は、仕事の無い時期に、先輩、後輩で、相手の肘を折り、そして、それを元に戻す事をやったそうである。
骨の折れる感覚、骨を元に戻す感覚を、痛みとともに、記憶していたそうだ。
平先生が、壊れる前が、いい感じになると仰った。
肘の関節、肩の関節、それ以上いかない角度がある。
それ以上いくと、関節が壊れる。
その少し手前だと、いいふうに働く。
この意味は、人間、ヤバくなると、持てる力、全て、総動員して、必死に抵抗するからだと思う。
普段、あまり使われていない筋肉も頑張るからかなと思う。
例えば、十人いて、一人怪我したら、残りの九人が協力して、頑張って十人分の働きをする。
それを、十人いて、一人怪我したら、残りの九人の協力が出来ていないと、十人分の働きが悪く、疲弊してしまう。
筋肉も、ひとつの筋肉を痛めたら、他の筋肉が協力すれば、その筋肉の負担を少なくする事が出来ると思う。
そうして、痛めた筋肉が治っていくと思う。
身体も、社会も、協力して、調和をとれば、上手くいく。
ただ、調和に関して、それぞれ、持っている調和の認識が違うので、その部分だけ見ると、調和がとれていないように見える。
しかし、全ての物事は、表と裏の意味を持っているので、大きい意味では、調和が取れている。
武術の人の追究する姿勢は、凄いなと思った。
島津先生、平先生、ありがとうございました。(*´∀`*) 次回よろしくお願い致します!
本当は、善と悪は無い。
極めると,善と悪の無い事に気づく。
①ここに、善の好きなA君と、悪の好きなB君がいる。
お互いは、仲が悪く、それぞれ善の道、悪の道を極めようと志ていた。
A君は私の中にある悪の部分をどんどん無くす事で、善の道の階段を昇っていった。
B君は私の中にある善の部分をどんどん無くす事で、悪の道の階段を昇っていった。
②そうして、お互い気づいた事がある。
A君は善の道の階段を昇っていくにつれ、尊敬され、感謝されていたが、そこに上下の関係を感じ、まずいなと思っていた。
B君は悪の道の階段を昇っていくにつれ、畏敬の念を抱かれ、怖がられていたが、そこに上下の関係を感じ、いい気分だった。
③やっと、A君もB君もナンバーツーの地位まで昇った。
普段の生活は全て上手くいって悩む事は、殆ど無くなっていた。
二人とも、これは、力の世界だなと思った。
④とうとうA君とB君は善の道、悪の道を極めた。
そして、善も悪も無い事が分かった。その時、A君は、善の王様の気持ち、B君は悪の王様の気持ちが分かった。
⑤A君とB君が一緒にお茶を飲んでいると、
A君に一人の青年が声をかけた。
「昔、あなたに優しくされた性で、こんな風になったんですよ、あなたの性ですよ」と怒って、言われた。
B君に、別の青年が声をかけた。
「昔、あなたにぶっとばされて、目が覚めたんです。あなたのお陰です。どうもありがとうございました。」と感謝された。
A君は、B君に、「ただ、気に障ったから、ぶっばしたB君が感謝され」
B君は、A君に、「相手の為を思って、優しくしたA君が、恨まれ」
本当に、善も悪も無いねえ、と二人は笑った。
(私は、元々、警察官というのが、夢でしたので、悪は嫌いでした。ストライクゾーンが狭かったです。ただ、いろんな人と会ってみると、それぞれ、善の部分、悪の部分があるなと思いました。もちろん、私自身、怠惰な心とか、悪を憎む心とか、いろいろ持っているのが分かりました。そして、した事と、相手の受け取り方が違うというのも、分かりました。であれば、全てに対して、善の効果を発揮するのは、難しく、また、悪の効果を発揮するのも、難しいなと思いました。物事は、その部分だけで捉えると、善に見えたり、悪に見えたりするのですが、もう少し、長い目で見ると、逆になったりします。どの視点で、物事を見るかが、ポイントだと思います。(*´∀`*))
昔、職人さんと話していると、こういう話が多かった。
奥さんと、買い物に行くと、俺は、買いたい物だけ買って、直ぐ帰りたいのに、奥さんの買い物に付き合わされる。
頭にくる。(怒)
ご主人の方は、用事だけ済ませればいいと思っている。(男性は、結構多いと思う。)
だから、用事以外は、無駄と感じる為に、無駄な時間を過ごすのが、許せない。だから、頭にくる。
奥さんの方は、ウインドーショッピングとか、ご主人と過ごす時間そのものを楽しみにしている。
だから、何時間かかろうが、その時間そのものを大切に思っているから、時間は関係ない。
昔、院長とスタッフのトラブルを解決した時、そこの院長が最後に言った言葉、
「松岡先生、自分と同じに考えたらいけないんですね。」 「そういうこと。」
その時は、そこの院長が、院長の新人時代だったら、こうしていたのに、何で、お前は、しないので、接していたらしい。
院長の精神力と、スタッフの精神力は、違うのですが、院長は、院長なりに、相手の立場にたっていた。
よく、相手の立場に立ちましょうと、言っていますが、つい、私の気持ちで、相手の立場になっている人が多い。
だから、好意を持っている、友達でも、彼氏、彼女でも、ご主人、奥さんでも、子供でもいいのですが、
私があなたの為を思ってやってあげたとします。(好きだから。(*´д`*))
同じ価値観、感覚なら、分かるのですが、そうでないと、してもらっても、分かりません。
だから、ご主人は、奥さんから、してもらっても分かっていません。
そのくせ、うちの馬鹿嫁は、気づかない奴と思ってたりします。(言葉悪くて、すみません。)
奥さんの方は、うちの主人、鈍いからとか、思ってたりします。
ここで、このご主人に、凄く気づく、奥さんがいるとします。
今日の主人、機嫌いいわね、足音、動き、微妙に目尻が緩んでる、だって、雰囲気いいもん。とか、
奥さんの方は、常に労わりを持って接してくれて、いつも、何でも、聞いてくれるご主人。
いつも幸せみたいな。
つい、お互い、私の事を棚にあげて、相手に求めたりするのですが、こんな相手は、あまりいません。
で、どうするか?
ひとつ、分かっているのは、お互いを思ってやってあげてる。でも、それが、伝わらない。
だって、分からないから。そして、頭にくる。そして、諦める。(チーン。)
先ず、前提として、お互いが好意を持って今の関係がある。
と言う事は、相手に対して、悪意はない、相手も悪意がない、私の事を思ってくれているのを、
もう一度、頭に入れる。
その上で、どういう事が好きか?嫌いか?をお互い確認する。
そこで、ポイントは、つい、私の感覚で、聞いてしまうけれど、とにかく聞く。ずっと聞く。
出来れば、片方が話し、片方は聞くだけに徹する。その時、短気な人は、ぬおっと、(怒)なるかもしれませんが、
黙って、聞いあげてください。今まで真剣に向き合ってこなかったのですから、そのつけと思って、
修行です。修行!
そうして、何時間、何十時間にもなるかもしれませんが、相手が納得するまで、話してもらいます。
そして、終わったら、分からない事、確認したい事をメモしておきます。
今度は、交代して、ご主人が話をします。この時、奥さんは、頭にきたり、気持ちが分かって、ぐっときたりして、
涙したり、鼻水が出たりしてしまうかもしれませんが、それで、いいです。これが、向き合うという事です。
そして、奥さんも、ご主人が納得するまで、話をして、話終わったら、同じように、分からない事、確認したい事をメモしておきます。
これで、お互い、本音で、話、終えたと思います。
そして、お互いのメモを元に、分からない事、確認したい事を話していきます。
ここでも、分からなければ、何度でも、聞き直し、確認して、私が思っているのが、合っているのかを、
やっていきます。面倒くさいかもしれませんが、ここで、手を抜くと、ズレが出てきます。
手を抜いた結果が、今の状況になっていますので、頑張ってください。
(ご主人が、短気で、暴れそうな人は、屈強な人を用意しておいてください。)
こうして、お互い、本音で、話し合えたら、お互い、こんなに相手の事を思っていた相手の愛に気づくと思います。
私は、夫婦が喧嘩するのは、価値観がぶっかっているだけだと思っていました。
でも、本当の所は、お互いが、相手の事を思ってしている事に、相手が気づかない。
何でこの気持ちが分からないんだよ。好きなのに。だから、頭にくる。
よく、父親が、家族と、他人は違うと言っていました。
他人には、優しく、家族には、厳しく!
この意味が、私には、分かりませんでした。
どっちにも、優しくすればいいと思っていました。
今、分かりました。
父ちゃん、そういう意味だね。
愛情が深いから。
参りました!
まだ、父ちゃんの壁は、越せないね。
良一
天職という言葉がある。
今の仕事がきつかったり、やりがいが持てないと、私には、何処かに、私に合った職業(天職)があるんじゃないかと思ってしまう。
天職を求めて、転職する。みたいな。
私も昔、その人に合った職業を見つけてあげるには、どうしたらいいんだろうと考えた事があった。
それが、見つかれば、その人は、毎日、生き生きとし、高いモチベーションで、その人の力を思いっきり発揮して、
充実な時間を過ごせるかと思ったからだ。
以外と、実際にはいる。本人は、いたって、真面目に考えていると思う。
だが、探しても、なかなか、見つからない。この時は、その方法が分からなかった。
今は、こう思う。
天職を見つけるには、本人が持っているこうだという見方を、あっ、そうか本当は、こういう意味かという事をやっていく。
仕事を一生懸命しながら、ひとつ、ひとつ、本人の今まではこう思っていたという見方を外していく。
ずっと、これを、やり続けていくと、本人の本当に求めているものに、気づいていく。
その時、私は、これが、天職なんだが、分かると思う。
イメージでは、本人の身体が、何層ものベールに覆われていて、それで、物事を見ていたのを、一枚、一枚取る感じ。
同じ仕事をしていてもいいし、転職してもいいけど、そこで、一生懸命仕事して、
気づく事をしないと、ずっと、天職は、見つからない。
だから、もしかして、今している仕事が、天職かもしれないけど、一生懸命仕事をする人と、
しない人では、ひとりは、天職を見つけ、もうひとりは、天職を見つけられないと思う。
天職を見つけようと、楽をしても見つからない。
天職を見つけるのは、本当の私に気づく事だからと思う。
とにかく、いろいろやってみるといいと思う。(*´∀`*)
昔は、ポジティブとネガティブに対して、前向きと後ろ向き、やる気ありとやる気なしと捉えていた。
ポジティブは、今よりもっと、よくなる為に頑張ろうみたいな感じで。
ネガティブは、言い訳してやらないみたいな感じで。
実際は、自信のある事は、ポジティブで、望め、自信の無い事は、ネガティブになっていた気がする。
ポジティブは、今を変えたい、ネガティブな捉え方をすると、現状に満足していない。
逆にネガティブは、ポジティブな捉え方をすると、今のままでいい、現状に満足している。
だから現状に満足していないポジティブな人は、現状に満足しているネガティブな人は許せない。
現状に満足しているネガティブな人は、現状に満足していないポジティブな人から、注意されても意味が分からない。
何かをして、現状を変えなければと思っている現状に満足していない価値観と、
今のままで、充分だと思っている現状に満足している価値観。
これだけ見ると、一見、ポジティブな人がネガティブに見え、ネガティブな人がポジティブに見える。
然るに、ポジティブな人は、ネガティブな人に頭にきたりしているが、実は、本人の中にある現状に満足していない心を克服できていないだけである。
昔、グループ系の整骨院に入った時、そこの副院長(天敵)が、7メートル先の所を指差していて、そこに1ミリの糸くずが落ちていた。それで、恫喝された。この時思ったのは、綺麗好きというのも、綺麗じゃなきゃ許せないという綺麗好きと、綺麗にするのが、嬉しいという綺麗好きがあるなと思った。価値観とは、それが正しいと思っているが、その内側に無理している心があり、私が無理してやっているのに、何で、あなたは、しないのが、許せないに気づいていず、私と、反対だから、ダメと思って怒っている事だと思います。
物事の片面だけを見ている時は、ポジティブな人は、可能性を追究し、ネガティブな人は、リスクを追究して、
お互いの長所を伸ばして、手を組むと(信頼関係)、攻撃と守備の両方を備えた感じになると思います。
ポジティブな人は、ネガティブな人に学び、ネガティブな人は、ポジティブな人に学ぶ。
世の中、いろんな人がいますが、ただ、仲良くすればいいと思います。(*´∀`*)