所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
昨年、やっと、44歳にして、整理整頓が出来るように、なった。
父親と山登りをしている時に、父親が、「おまえは、母ちゃんが、やってくれてたから、出来ないよ。」
と言われ、そうか、母ちゃんが、やったから、出来ないのだとそう、理解した。
整理整頓をしようと、すると、心に凄く、葛藤があり、なかなか出来なかった。(毎年の目標に整理整頓があった。)
1ヶ月位前に、来られた患者さんと、整理整頓の話をした。
その主婦の方は、整理整頓が出来るということで、話を聞いてみると、綺麗にする事が好きとの事だった。
主婦の方の母親も、綺麗にする事が好きだったそうだ。
そこで、私と主婦の方のこの違いは、何か、考えてみた。
うちの母親は、整理整頓が苦手だった。ただ、可愛い息子の為に、面倒な整理整頓を、してあげた。
だから、その息子は、整理整頓に、非常に、心の葛藤を持つようになってしまった。
一方、主婦の方は、母親が、綺麗にする事は、気持ちいいという感覚を教えてくれたので、それが、そのまま良い感情が持てる習慣となった。
これが、愛という気持ちを持って、物事に取り組んでいるといえる。
全くの別ものとして、綺麗好きでも、綺麗でなければいけないというのが、ある。
これは、表面上は、似ているが、綺麗でなければ許せないという怒りの気持ちを、もっている。
価値観の考え方である。
親とか、先生という物事を教えるという立場の人が、この物事は、こうである、こうでなければいけないという教え方をすると、
それを、教わった子供や、生徒は、そう思ってしまう。
そうして、知らずにそれに、反する考えに怒りを持っている価値観が出来上がる。
出来れば、物事を教える人は、その物事の意味がよーく分って、楽しさを伝えられる人が教えてくれるといいなと思う。
そうすれば、その物事の楽しさが分かるから、後は、自分で、どんどん進みていくと思う。
とは言っても、人生そういう良い巡り合わせが、来ればいいが、来ない場合も多々あると思う。
となると、本人が、何かの出来事の時、怒りの感情がでたら、
私の中に、こうじゃなきゃいけないという価値観を持っているんだなというのに気づいていくというのを、やっていくのも、いいと思う。
価値観の違いも、相手との信頼関係が出来てしまえば、全然問題にならないが、(実証済み)
価値観で物事を判断している視点の時は、とにかく、仲良く、私も相手も幸せになるには、どうしたらいいかを、考えながら、物事を進めて行けばいいと思う。
一人の幸せより、二人の幸せの方が、より幸せ度が大きいと思う。
私の心を縛っているのは、他人ではなく、私自身というのに気づくと、どんどん自由になる。
人生楽しみましょう!
今日、45歳の誕生日を迎えた。もし、寿命というのが、分っていれば、人によって、いろんな計画を立て、それを、実行していく人もいるだろう。
だが、寿命は、分からない!であれば、出来るだけ、本人がしたい事を、中心にやっていった方が、後悔は、ない!
仕事をしたい人は、仕事をすればいいし、家族を大切にしたい人は、家族を大切にすればいいし、趣味を楽しみたい人は、、楽しめばいいし、
お金を儲けたい人は、儲ければいいし、真理を追究したい人は、追究すれば、いいと思う。
本人にとって、何が、大事か、分かっていれば、それを、中心に人生を組立ていけば、いいと思う。
もし、漠然と生きていていて、それが、幸せなら、それでも、いいと思うし、そこに、心の葛藤があるならば、今の現実をしっかりみて、本人の理想に向かって
少しづつ、本人の心が楽になるように、やっていけばいいと思う。(実践済み。)
分からければ、聞いてもいいと思うし、誰かのマネをしても、いいと思う。
ただ、人生は、その人、本人のものだし、誰かが、代わりに生きる事は、出来ない。
他人の言いなりの人生は、面白くないし、そうすると、つい、他人の性にしてまう。(自我の世界観)
私とあなたという、力くらべの競争の世界を、卒業すると、私の幸せと、あなたの幸せ、2人とも、幸せになるには、どうすればいいかという
世界になる。(小学生に言うと、すれば、みんな仲良くしなさい!という事になると思う。)
いろんな事が、分かれば、分る程、世界は、どんどん広がっていく!
今年は、予想外を楽しみたいと思う!
受付のみなっしーに誕生日プレゼントを頂きました。
ありがとうございます。
お米と、マヨネーズと、手帳との事でした。
みなっしーのセンスは、いつも、素晴らしいです。
いつも、いろいろ気づいてもらって、助けられています。
その御蔭で、院長は、すくすく育ち、丸々しております。(父親には、よく、痩せろ!と言われておりますが。)
これからも、受付のみなっしーを始め、ご縁のあるみなさま、どうぞ、ふつつかものでありますが、小学生の頃に、大器晩成型と先生に言われた
昨日、畑田先生の勉強会に参加した。
冠光寺流の家元の話で、出てくる90歳のおばあちゃまだ。
家元の話の印象だと、非常に、きちっとした先生だと思っていた。
だから、今回、お会いしたら、日頃の不摂生を、思いっきり指摘されるのかなと思っていた。(まあ、それも、勉強だなと思っていた。)
本の読み方で、みなさんは、どのように、読んでいますかという話という話になった。
情景を、浮かべてとか、その世界に入ってとか、そんな話がでた。
先生の読み方は、その作者の心の位置に立って読むという事だった。
これは、よく、相手の立場に立って、考えるという言葉があるが、
多くは、その人が、その人の気持ちで、相手の立場に立つから、分かり合えず、トラブルになる。
これを、相手の心そのものになって、考えることが出来たら、相手の事が良く、分るだろう。
主体と客体の話で、話すと、聞く、 男性と、女性、
男は、目標を決めて創っていく、女は、流れを創る。
順番が大事みたいである。(なぜ、順番が大事が私の中では、今の時点では、理解出来ていない)
トイレに入った時、場所に感謝、作ってくれた人に感謝、水に感謝、生存に感謝、細胞に感謝等、
当たり前と思っている事に、いろんな事がある事で、それが、成り立っている事に気づくと感謝が出てくる。
本来の感謝は、何かをしてくれたから、感謝するのではなくて、世の中にある全てのことのひとつ、ひとつがある事で、
私が成り立っている事に気づく事だと思う。(私などは、まだまだ、感謝が足りないと思う。)
親という字は、立木を見るという事で、虫はついていないか、ちゃんと育っているか、
正に、親の心を表している気がする。
料理で、大根の味付けの時、調味料を入れる、ベストのその瞬間があるらしい。(凄く、美味しくなるとの事。)
物には、その瞬間がある。
それは、親が子供に言う時のタイミングも、ベストがあるとの事。
知識は、行動して、知恵になる。
自分に正直にという話もされていた。
畑田先生を観ていると、覚悟を持って、相手の状態を分かった上で、ベストのタイミングで、接している。
帰られる時、5階から、階段を、凄い勢いで、降りていく先生の姿があった。
早い!早い!
90歳の先生の姿を見ていると、それより若い人達は、年だから、という言い訳は、出来ないだろう。
ありがとうございます、勉強になりました。
人生は、のんびり暮らしてもいいと思うし、一生懸命必死に生きてもいいと思う。
後は、その人が、人生を終了する日に、後悔がなければ、いいかなと思う。
加藤さんの「65点の君が好き」という本を読んだ。
加藤さんは、小学校の先生である。
本の中で、{子どもは、同じ時間、同じ思いを周りの人間と共有しようとする。ただ、見てほしいのだ。その人の関心を自分に向けたいのだ。
それが共有できると、これまで内に秘めていた想いが開放される。この広い宇宙に一人放り出された心が安心するのだと思う。
「見て。見て」 「先生、これ」 「できた!先生」 小学生と一緒にいると、こんなことが毎日起こる。}
と書かれている。
という事を、親が、分かっていれば、理想だが、親も状況で、そうそう聞いていられない事も、あると思う。
親は、親の視点で、判断し、子供は、子供の視点で判断している。(子供は、いつも聞いてくれないと、段々話さなくなるだろう。)
ただ、この話は、子どもだけでなく、大人もそうだと思う。
ダメ父ちゃんだって、ダメ母ちゃんだって、いいじゃないかと思う。
本当は、家族が、本音で、弱い部分、強い部分さらけ出せばいいと思うが、父として、母として、こうあるべきを、持っていると、
ついいいかっこしてしまうのかなと思う。
それが、更に、社会に出ると、その思いがもっと、強くなって、表面的なコミニケーションに、なったり、価値観の合う人とだけ、付き合ったりとなるのだと思う。
{その子を世界で一番愛している親と、世界で二番目に愛している先生が同じ方向を向いて協力したら、学校という場は
どんなに希望に満ちたものになるだろうか。}と書かれている。
私の地元では、そんなに数がいないので、あの人は、何処何処の誰それというのが、分かったりする。
そうすると、何か仲間意識というのが、ある感じで、悪い事は、出来ない雰囲気があると思う。(それでも、頑張れば、悪い事は、出来るかもしれない。笑い)
昔は、特に、両親の世代は、祖父、祖母、父、母、子ども、みんな一緒で、ガチャ、ガチャ、うっとうしいぐらいだったかもしれないが、
そこには、うっとうしいぐらいの愛情が、あったと思う。
それが、今や、核家族や、一人暮らしという所が、孤独をつくりやすいと思う。
人は、誰かが、思ってくれると、頑張れると思う。
年末に、弟の家族と一緒に、旅行に行った。
その時、弟と、奥さんが、赤ちゃんを、甲斐甲斐しく、世話をしていた。
弟も、私の弟ではあるのだが、弟の家族の父親として、頼もしく見えた。
世の中がうまくいく方法は、弟が赤ちゃんに接している時のように、寛容に、根気強く、ただ、ただ、愛情を持って、接するといいと思う。
どうしても、生き方が違う、他人同士は、お互い、お互いの意見をぶつけるだけでは、分かりあえない。(価値観が近い場合は、大丈夫)
そんな時、ただ、ただ、あなたを知りたいという気持ちで、私の意見を棚上げして、赤ちゃんに接するようにする。
そうすると、信頼関係が生まれる。
これさえ、出来れば、後は、うまくいく。
赤ちゃんの意味は、親は、何も出来ないから、してあげていると思っているけど、(確かにその意味もあるけど。)
本当の意味は、人は、何が出来るか、出来ないかでなく、ただ、その存在に価値があるというを教えてくれているのだと思う。
{命は時間だから、その命の時間を相手の笑顔の為に使える人を、僕は素敵だなと思う。}
と書かれている。
「命は、時間だから」いい言葉だと思う。
みんなが、時間を、命と思って大事につかうと、みんなの意識が、変わり、世の中が変わると思う!
物事の捉え方。
ある物事(事象)は、ただ、そのものがあるに過ぎない。
そこに、みんなは、いろんな意味付をする。
ある物事Aに、良い、悪いを決め付けてしまう。
その物事が、本人にとって、良いことは、良いという認識で、本人の奥底に、価値観として、判断基準となる。
その物事が、本人にとって、悪いことは、悪いという認識で、本人の奥底に、価値観として、判断基準となる。
この2人に信頼関係が出来ていると、どちらの面もある事が分かる。
今の状況に、両面をもって、望む事が出来れば、いろんな事がうまくいきやすいだろうと思う。
可能性という良い面と、リスクという悪い面と。
信頼関係がとれている集団だと、いろんなアイデアを出す人達と、いろんなリスクを考える人達で、どちらの人達も、
生き生きした個性が生きる気がする。
そこで、全体という視点で、物事を考える事が出来ると思う。(価値観は、違っても、同じ仲間という感じ。)
信頼関係のとれていない集団だと、お互いの立場でしか、主張しない為、それぞれの持ち味を消す事になる。
そんな感じだと、お互い楽しくないと思う。(トップや、リーダー次第だと思う。)
最近思う事は、既知の事を、きちんとやる事では、私の心が喜ばない事に気づいた。
未知の事を、実生活で、実証して、道にしていこうと思う!
世の中には、まだまだ知らない、楽しい事が、たくさんあると、思う!
この糞真面目な性格の私に、いろんな刺激を与えて、いろんな喜びを知って、それを、みんなに還元したいと思う!
人生は、一度っきり、とにかく、徹底して、行動して、私を喜ばせたいと思う!
昨年の年末に、房総の宿に、両親と祖母と、弟の家族で、泊まった。
今回、期待していたのは、兎に角、高脚ガニを食べてみたかった。
弟の奥さんが、320回程、電話して、やっととれたお宿で、あった。
部屋は、私の誕生日の、2月16日の216号であった。
いつも、お正月の休みは、実家に帰って、ゴロゴロして、アンコ餅を1日、10個程食べて、1日1キロ体重が増える感じであった。
お宿では、思いっきり食べて、苦しいくらいであった。
お風呂も、なかなかいい感じの温泉でだった。
帰りに、吉永小百合さんの映画の舞台の喫茶店で、写真を撮った。
元旦には、父親と山登りをしたが、霰(あられ)がたくさん、降ってきた。
後は、おせちを食べ、テレビを、見、ゴロゴロしていた。
いいお正月だった。
今年は、新しい生活スタイルを、確立し、予想外の出来事を楽しみたいと思う。
今日、整骨院の仕事が、終わった。
来年は、出来るだけ、経験に基づく、行動で、なく、直感で動き、予想外を、楽しみ、私の世界を広げていこうと思う。
今年、出会った方々ありがとうございました。
来年は、さらに、変化していくと思いますんで、よろしくお願い致します!
よく、気づくという言葉がある。
ある時、気づく。
これは、話をしている時、お風呂に入っている時、自然の中にいる時とか,何かの時に気づきが起こる。
多くの方は、物事は、知識、経験を重ねて、その人の中にあるデーターで、物事を判断する。
だから、物事の理解は、過去のデーターがベースで考える。
興味のある事に、反応する。
私だと、スーパー銭湯に関係するものがあると、ぱっと、看板や、その情報の会話に反応したりする。
アンテナが立っている感じである。
これは、逆の場合も、ある,アンテナが立つ事で、その物事がこちらに反応する。
面白かったのは、私の行きつけのお風呂が、トゴール湯といって、準天然温泉で、新潟県の栃尾又温泉の温泉成分を人工的に造ったもので、
いつか、行きたいんです。と患者さんに、話をしたら、その患者さんの出身が、私、その隣の出身よと言われた事があった。
という風に、今、持っているデーターを基準にしている。
気づきの場合は、例えば、本人の興味がある事で、分からない事を質問すると、質問を置いておくと、(これは、どういう事なんだろうと思っていると。)
没頭状態の時に、今までは、こう思っていたけど、あっそうか?と思い分かってしまう事がある。
これが、気づきである。
今まで囚われていた考えが、観念がとれて、あっそうかとなる。
冠光寺流の門人の女性の方は、寝る前に、質問を置いて、夢の中で見た事が、質問の答えだったと教えてくれた。
ポイントは、その人の中で、どうしても、知りたいことを、質問として、持っていると、没頭状態の時に、答えが分かったりするので、
質問を出来るだけ具体的に持つのが大事だと思う。
よく、直感で、行動する人が、何かよく分からないけれど、何かの行動したら、なぜか、こうなり、最後は、うまくいったという話があるが、
それは、現時点のデーターでは、その行動、物事の関連付が出来ないから、そう思うだけだと思う。
そのデーターの奥にある心では、ちゃんと分かっていると思う。
まあ、とにかく、何でも、やってみて本人なりの方法を掴めばいいと思う。