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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 1月, 2014|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院の記事一覧
日曜日に、浅間山の近くの黒斑山(くろふやま)-標高2400メートルに山登りに行ってきました。
氷点下20度、そこは、バナナで釘が打てる世界。(昔、CMでやっていました。)
寒いというよりは、痛いという感じ。
頂上で、ご飯の時、グローブを外し、下の薄い手袋で、お握りを食べたりした。
その後、動いていないので、身体は、寒く、
とにかく、手、手、手が、痛い、ズキズキする、
ヤバイ! 手が、死んじゃう!
手を振ったり、木に手を当てたりするが、痛い!
そのまま、下山して、必死に歩いていると、手の痛みは、無くなった。(うーん、対処法を考えないといけないなと思う。)
今回も、リーダー、先輩、山女子の二人、の5人の登山だった。
みんな、体力がある。
昔は、山登りの最終目標は、修験道の大峯山という所に登れればいいなと思っていたので、その為には、体力と高所恐怖症を
クリアしなければ、と、思っていた。
今では、山登りは、ただ、山に行って、山を感じれれば、幸せなので、まあ、とりあえず、山なら何でも、いいとう心持ちになっている。
今回、ふと、思ったのは、山登りの先輩方は、普段、トレーニングをして鍛えている。
(2人とも、腹筋が割れている。私のは、3段に割れたのが、合体して1つなっている。)
そんな2人と一緒に、山登りをして、よく、影響を受けないか、不思議だった。
いつも、リーダーには、松岡!スクワット、やったか!と鬼の形相で言われる。
やっていないと、むにゃ、むにゃ、とか、伏し目がちになる。(子供か!)
スクワットやらなきゃいけないなと反省し、また、日々の生活が、始まると、そのまま流されて、スクワットをしないで過ごしてしまう。
山登りを月に1回、行けると、日常生活で、体力的にきついという事は、ない。
しかし、スクワットをしないと山で地獄をみる。
ある時、山登りのブログで、危険な所に、挑む人、逃げる人、挑戦しない人というのを、
いろんな考えが、あっていいんじゃないかと書いた。
すると、普段、温厚な先輩が、コメントを入れてくれて、
そこには、「 山登りする男は、それでは、ダメだ、人生は、常に危険と隣合わせだから!」
と書かれていた。
それを、読んで、この先輩方と一緒に山登りするには、身体位鍛えていないと、ヤバイと思った。
次の日から、1日、100回やるようにした。
1回の山登りの度に、100回づつ増やし、富士山の時は、1日1000回になっていた。
ただ、この時は、回数ばかりに拘ったので、重心が、狂って、バランスが悪くなってしまった。
車の中で、こんな話をしていると、山女子の方は、スクワット、50回とかやっているという話をしていた。
じゃあ、55回やりますよと言った。(一昨日、55回、昨日、60回、今日、60回)
この話の前に、リーダーと、人生自分の思う通りに生きないとダメですよねという話をして、
いろんなしがらみで、文句言って生きているのは、本当の自分を生きていないじゃないかと言ったら、
リーダーは、自分の思い通りに生きているじゃんと言った。
私の好きな番組で、人生の楽園という番組があり(普段は、仕事中で、観られないが。)
その中に、出演される方が、大病をして、仕事人間が、田舎に引越して、家族が大事な事に気づく。
人は、本当の、危機になると、そこで、始めて本音を出す人がいる。
それならば、普段から、本音を言える人間関係を築く事が出来れば、お互いストレスが無いと思う。
だから、妥協とか、我慢は、その人の本来の生き方じゃないかと思っている。
ここで、リーダーと私の思っている自分の視点が、違っていた。
私の視点の自分は、個人としての自分(自我)が、思い通りに生きるのが、いいと思っている。
リーダーの視点の自分は、家族の一員の中の自分が、思い通りに生きるのが、いいと思っている。
例えば、お父さん、お母さん、子供という3人家族がいたとする。
お父さんは、本当は、1人で、のんびりしたい。
お母さんは、買い物に連れてってもらいたい。
子供は、おもちゃを買ってもらいたい。
この時、お父さんの意見だけを通すと、お母さん、子供に不満が残る。
この時、お父さんが、ゆっくりしたいなと思いつつも、家族の為という視点で、お母さんには、買い物、子供には、おもちゃ
という行動をとるとする。
これが、お父さん(自我)は、不満があったのだが、家族という視点の自分に立つと、家族の為だから、しょうがないなと納得している。
これが、リーダーのいう自分の思い通り。
自分(自我)がその状況を許している。
だから、今の状況があるという事は、ある意味、自分自身がそれをつくりだしている。
だから、自分の思い通り。
ただ、いつも、お父さんが、お母さん、子供の意見ばかり、聞いてそれに幸せを感じれるタイプならよいが、
不満を溜め過ぎるといつか、爆発する。
だから、家族という集団を、うまく、運営しようと思うのなら、
お父さんという自我の許容範囲、お母さんという自我の許容範囲、子供という自我の許容範囲を分かろうとして、
コミュニーケーションをとるのが、いいと思う。
表面的な、コミュニーケーションでは、相手に必要以上に遠慮して、不満が残ったり、自我の強い相手に、我慢して、不満が残ったりする。
人間は、常に、いろんな人に、出合ったり、いろんな出来事に、遭遇したりして、変化している。
目の前にいるその人は、自分の思っているその人とは、違っているかもしれない、
だから、人と話す時は、真剣に向き合わないとその人の本当の心の部分が、分からない。
そうやって生きていると、世の中に不要なものは、無いという事が、実感できるのかな思う。
今の自分が形成されたのは、両親、兄弟、友達、好きな人、嫌いな人、いい事、悪い事、人生の全てと
考える事が出来れば、何か、1つが足りないだけで、今の自分とは、違う自分になっているだろう。
そういう心持ちが、持てると、全てが愛おしくなり、全てに感謝する事が出来のだろうと思う。(まだまだ、出来ていないが。)
これらを、踏まえて、山登りは、私以外鍛えている人が4人なので、スクワットの回数を少しづつ、増やしていこうと思う。
今回、勉強になったのは、リーダーの言っていた自分の思い通りという言葉。
つい、みんな自分(自我)の思い通りにならないと、不満を抱くが、
家庭において、会社において、社会において、今の自分の状況があるのは、そういう状況を許している自分がいて、
その方が、家庭にとって、会社にとって、社会にとって、いいと思っている自分がいる事に気づけば
心が楽になるのかなと思う。
流石!リーダー!日本1!(ここで、よいしょしないで、どこで、する)
これからも、山登りを一緒に登って下さるみなさま!松ちゃんは、大器晩成型なので、(90歳位で、たぶん、しっかりする気がする。)
ひとつ、長い目で、みてやってくださいませ。
年末から、今年にかけて、個人用のパソコンのインターネットが、なかなか繋がらない。
トントンクリックしたり、祈ったりして、たまに繋がったり、何週間も繋がらなかったりしている。(今だに、原因は、分からない。)
久しぶりに繋がったので、ブログが更新出来た。
「溶ける」という井川さんの本を読んだ。
大王製紙の創業家三代目で、カジノで、106億8000万円を負けて有名になった人だ。
どういう気持ちで、このような状況になったか、興味があった。
裕福な家庭で、生まれて、何不自由なく育ち、我儘放題で、ギャンブルに狂ってしまった。
マスコミの報道を、見ていると、そういう印象を受けたが、本を読んでみると、違った。
本人が、暴君と呼ぶ厳しい父親の元で、徹底して、鍛えられていた。
父親の良い面を吸収し、結果に凄いこだわりを持ち、抽象的な事は、嫌い、具体的な行動に、重きを置いていた。
このやり方で、会社を、うまく導いて頑張っていた。
一方、ギャンブルで、病的賭博という言葉があり、これに、該当するらしい。
大きな金額を、かけないと快感が得られないらしい。(そのドキドキ感が、興奮するらしい。)
会社を背負っている、そのプレッシャーの捌け口のギャンブルかというとそうでは、ないらしい。
本人、曰く、ギャンブルが好きだそうだ。
私が、思うに、どんなに大変な状況であっても、仕事に関しては、本人なりの分析と行動で、上手く出来てしまう。
そんな時に、バカラという運の要素が、大きいギャンブルに出会った。
本人の文章によると、
カジノのテーブルについた瞬間、私の脳内には、アドレナリンとドーパミンが噴出する。
勝ったときの高揚感もさることながら、負けたときの悔しさと、次の瞬間に湧き立って来る「次は勝ってやる」
という闘争心がまた妙な快楽を生む。
だから、勝っても、負けてもやめられないのだ。
地獄の釜の蓋が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦がれるような感覚がたまらない。
このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う。
と書かれている。
ギャンブルによって、彼は、初めて、心が解放されたのでは、ないかと思う。
現在、借金は、完済され、4年間の実刑の後、刑務所から、出てくるらしい。
文章の最後にこう書かれている。
一番信用できないのは、自分ー106億8000万円の代償として私が得たものは、かくも悲しい事実のみだった。
今度、出てきた時は、自分が、本当に、本心から、喜べるものを、ビジネスにするんじゃないだろうかと思う。
好きと上手に出来る(上手くこなせる)は違う。
観念の奥底に、ある本当にしたい事に気づくけば、人生は、楽しくなる。
今年は、どんどん、動いて行こうと思う!(動けば、世界が変わる)
今年の目標の内、2つは、今月達成する。