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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 10月, 2017|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院の記事一覧
日曜日に、台風の中、自由が丘に行った。(雨、風、凄かった。)
秋山先生、吉野先生、飛田先生のコラボ講演会があった。
今回の目的は、不食の秋山先生に、是非、一度会ってみたいと思っての事だった。
参加された方には、秋山先生のコーヒーが振舞われた。
お代わりした。(次の日のトイレが違った。)
講演会の話で、お坊さんのお友達がお坊さんを心配して連れてきた。
このお坊さんは、人の為に、とにかく、身を粉にして頑張り過ぎているという事だった。
そのお坊さんに、対して、まず、自分が幸せにならないといけないと話されていました。
身を捨てて相手の為にというと、日本人的には、素晴らしいという感じがしますが、身を捨てて相手の為に頑張っている時に、素晴らしいと思われる人と、心配される人がいます。
愛 感謝 ありがとう という言葉が出ました。
確かに、愛 素晴らしい! 感謝! 素晴らしい! ありがとう! 素晴らしい!と思います。
この時、愛でなければならない! 感謝しなければならない! ありがとうと思わなければならない!と思うのであれば、何か無理してる感じがします。この無理している緊張があると、心配されるのかなと思います。
只管打座という言葉があります。ただそのものに、なるとか、我を無くして管になるとかと捉えている人もいると思います。ここで、もうひとつ気づきます事は、我を無くしてと言った時点で、差別しているので、そこに我があるという事になります。実際は、只管打座の意味が分かっている人は我を分けていないと思います。
人によって、我という捉え方が違うので、よく分からなくなるかもしれません。
吉野先生は、我をワガママとあるがままと話しておりました。
私的には、我を制限された考え方と思っております。分かりやすい我は、ワガママですが、ルール、法律、道徳、倫理、それが、正しいと思った時点で、我と思っております。ただ、制限された考え方が悪いというのではなく、今の私だと、枠が無いなと思っていたら、あっ、枠があったという感じです。
磯さんという方が飛び入りで、参加されました。動物は、本能のままに生きています。自然の中で生きています。という話をされました。動物の本能のままに生きているは、その生き方で、調和がとれている。また、違う言い方をしますと、全体の中で、調和はとれるように、無意識に動かされているという意味だと思います。ここに、関係する話として、吉野先生は、人は、無意識に動かされるのを、拒める、自由意思があると話されておりました。磯さんは、具体的な話として、怒りが出た時は、ただ、怒りにまかせて怒るのではなく、いつものパターンをテイクアウトすると言い方をされていました。本来、そのままやると、怒りのままですが、その怒りに気づいて回避した。怒れるけど、怒らない。我慢した。これが、創造をした事になるそうです。確かに、怒りの場を違う場に変えていますね。どこかの場面で、お前は、動物のように本能のままだなと言われたり、出くわす事があるかもしれませんが、動物の本能のままには、調和がとれています。人が本能のままにと言われた時は、制限された考えで、相手と、全体を見ているから、軋轢が生まれます。だから、人の場合は、流れのままの世界で、調和の世界いる事も出来るし、拒んで、葛藤を楽しむ事も出来ます。この葛藤の状況を相手が創っていると思うか、私が創っていると思うかで、全然違うと思います。
愛とか、我とか、人によって、捉え方が違いますが、普段の生活の中で、ひとつ、ひとつ、腑に落とすをやっていくと、どんどん受け入れられる事が多くなっていきます。是非、やってみてください。
個人的には、帰りの電車の中で、吉野先生ともう一人の方と乗っていた時、先生が、もう一人の方に、「松岡先生は、松岡先生の周りには、動物が集まる。そんな愛。」と言ってくれました。これが、嬉しかったです。昔、マガジンで、ショウグンという漫画があり、その主人公が着ているものは、ボロボロなのですが、公園で、公園にいる鳥たちが肩にのったり、周りに動物とか、集まってきている場面がありました。こんな風になると嬉しいなと思っていました。最近では、虫が寄ってくる事は、あります。(悪い虫では、ありません。笑)
この言葉を聞いて、流石!吉野先生!よく、私の心を分かっていらっしゃると思いました。これからも、不束者ですが、よろしくお願い致します!( ^ω^ )
日曜日に、東京の町田の島津先生の所に行った。
今回のひとつのテーマは、患者さんは、嘘をつくという事を教わった。
肩が痛くて上がらないという方のビデオを見て、その原因が足首にあり、それが、膝にきて、更に、股関節にきて、腰に来て、更に、肩に来ているというのを説明して頂いた。
これは、施術している人は、分かっている人が多いと思うが、患者さんの言葉だけを鵜呑みにすると、原因を間違うという話であって、患者さんの話を聞きつつ、全体を見るという事が大事という事であった。
今回、私的に、感動したのは、いい状態を知ると、脳は覚えるんだなと思った。
他には、活を入れる(気絶した人を起こす。)を習った。
首の出っ張った骨(頸椎7番)付近を叩く。
鼻にコショウを入れる。
首の筋肉(胸鎖乳突筋)をぐっと、つかむ。
そして、秘伝を習った。
今回の感想としましては、形としては、外側から見ると、同じように見えるかもしれないけれど、その中で働く力は、違うんだなと思った。島津先生の元には、他の武術の先生が来られたりしているみたいで、それは、やはり、先生の背景が凄いというのが、分かっている人が見つけてくるんだなと思いました。是非、その価値が分かる人がそれを、受け取るといいなと思います。
余談として、今回、島津先生に聞いてみたかったのが、あったので、質問してみました。「先生、刃物は怖くないですか?」先生は、「怖いよ」と仰られました。私の中では、武術の人は、武器を扱うので、怖くなくなるのかなと思っていました。(とりあえず、いろんな人に聞いております。)
で、先生がベルトあると聞かれ、先生にベルトを渡して、今から、来てみて、と仰られてので、とりあえず、殴ろうとしましたら、先生がつばを噴射されまして(毒霧みたいな感じ)、眼鏡が全く見えなくなりました。それと、同時にベルトが、パシっときました。(後で、駅のトイレで( ^ω^ )を洗いました。) そこで、分かりましたのは、これが、実戦であれば、目潰しをされ、攻撃されているなと思いました。
そして、もうひとつ、分かりましたのは、先生の仰る、怖いは、怖くて、動けないの、怖いでなく、武器の強さを認めた上で、素手で、対峙するのは、武器を持った方が強いという意味の怖いという事だなと思いました。武器の強さが分かった上で、それに、対峙出来るのは、凄いと思います。
もうひとつ、余談として、昔、中村 錦之助さんとお会いした時、凄く謙虚に礼を尽くされたそうです。一流の人は、謙虚と仰られておりました。
そんな、島津先生が、11月11日(土曜日)に、BS-TBSの夜6時からの夕焼け酒場という番組に出られるそうです。お時間ある方は、是非、観てみてください。
島津先生、ありがとうございました。勉強になりました、また、よろしくお願いします!( ^ω^ )