所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 2月, 2015|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院の記事一覧
今日は、2月28日。今日で、開業から、8年の歳月が過ぎ、明日、3月1日で、9周年目に突入する。
私の中で、一番続いているのが、この仕事である。
よく、天職という言葉があるが、これを、求めて、転職を繰り返す人もいる。
みんな、私に合うものを、見つけようとしているが、中々見つからない。
それは、天職そのものが、何か分からないからである。
本当は、あなたは、この仕事をすると、あなたの持っている力が、最大限に活かされて、毎日、生きがいを感じますよ。
と教えてくれる人が、いればいいが、そういう人が、なかなかいない。
となると、まず、今の仕事を頑張ってみるのが大事である。
そうして、言われた事が出来るようになると、心に余裕が出てきて、周りが見えてくる。
更に、もっと頑張ると、もっと周りが見えてくる。
そんな感じでやっていると、仕事自体が楽しくなる。そうなって初めて、私が見えてくる。
私が、見え始めると、これが、私の道かな、が出てくる。
どんな仕事でも、徹底的にやり込むと、その仕事の楽しさが出てくる。
そこまで、いっても、違うと思えば、次に行くのも、ありかなと思う。
もし、ひとつの仕事しかなければ、みんな仕事を選んだりして、悩む事は、ないだろう。
でも、世の中には、いろんな仕事がある。
また、いろんな仕事が、なければ、世の中は、成り立たない。
という事は、私のこの仕事は、こういう事をする仕事なのだけれど、これによって、こういうお客様の為になるし、
そこで、喜んでもらえれば、私は、ますますやりがいを感じ、お客様も幸せになる。
その幸せになったお客様が、また、関わりある人に、幸せを伝え、広げていく。
その喜びを、どこまで、私事として思えるかが、幸せの秘訣であると思う。
逆に、私というものが、狭い人程、不満が多いと思う。
とりあえずは、まず、私が、やり易い所から,始めてみるのがいいと思う。
仕事と言う言葉は、あるけど、いろんな仕事があるし、仕事時間もいろいろだし、型があるわけでは、ないので、
もし、それでも、しっくりこなければ、私なりの仕事を創ってもいいと思う。
こうでなければいけないが、葛藤を生み、こうしたいなーが、楽しさを生む。
問題として捉えて、苦しみたいのか?問題として捉えてそれを解決し、達成感を得たいのか?
そもそも何事も無かったように、こなしてしまうのか?
生き方は、自由だと思う。
でも、本人の中にある考えに縛られて、不自由になっている人が、多いなと思う。
なぜ、不満を言うのだろう?なぜ、人の性にするのだろう?(まあ、私も、昔は、言っていた気がしますが。とりあえず、棚上げしてっと。)
それを、繰り返しているうちは、たまたまその嫌な事が無くなったとしても、嫌な人がいなくなったとしても、
また、同じような事が、起きる。(根本を解決していない為。)
私自身が、問題をクリアーして、気づいたのが、この事だった。(実証済み)
今、私個人の目標としましては、物事をあるがままで観ることと、物事に良い、悪いの両方を意味付をすると、の違い。
物事に私なりの意味付をすると、どうなるのか?を、試していきたいです。
9周年目は、予想外の展開になる事を、楽しみにして、頑張っていきます!
私に関わりのあるみなさま、これからも、何を言っているか、分かりづらい部分も、あると思いますが、本人なりに一生懸命なので、
ひとつ、暖かい目で、見てあげてください!
よろしくお願いします!
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昨年、やっと、44歳にして、整理整頓が出来るように、なった。
父親と山登りをしている時に、父親が、「おまえは、母ちゃんが、やってくれてたから、出来ないよ。」
と言われ、そうか、母ちゃんが、やったから、出来ないのだとそう、理解した。
整理整頓をしようと、すると、心に凄く、葛藤があり、なかなか出来なかった。(毎年の目標に整理整頓があった。)
1ヶ月位前に、来られた患者さんと、整理整頓の話をした。
その主婦の方は、整理整頓が出来るということで、話を聞いてみると、綺麗にする事が好きとの事だった。
主婦の方の母親も、綺麗にする事が好きだったそうだ。
そこで、私と主婦の方のこの違いは、何か、考えてみた。
うちの母親は、整理整頓が苦手だった。ただ、可愛い息子の為に、面倒な整理整頓を、してあげた。
だから、その息子は、整理整頓に、非常に、心の葛藤を持つようになってしまった。
一方、主婦の方は、母親が、綺麗にする事は、気持ちいいという感覚を教えてくれたので、それが、そのまま良い感情が持てる習慣となった。
これが、愛という気持ちを持って、物事に取り組んでいるといえる。
全くの別ものとして、綺麗好きでも、綺麗でなければいけないというのが、ある。
これは、表面上は、似ているが、綺麗でなければ許せないという怒りの気持ちを、もっている。
価値観の考え方である。
親とか、先生という物事を教えるという立場の人が、この物事は、こうである、こうでなければいけないという教え方をすると、
それを、教わった子供や、生徒は、そう思ってしまう。
そうして、知らずにそれに、反する考えに怒りを持っている価値観が出来上がる。
出来れば、物事を教える人は、その物事の意味がよーく分って、楽しさを伝えられる人が教えてくれるといいなと思う。
そうすれば、その物事の楽しさが分かるから、後は、自分で、どんどん進みていくと思う。
とは言っても、人生そういう良い巡り合わせが、来ればいいが、来ない場合も多々あると思う。
となると、本人が、何かの出来事の時、怒りの感情がでたら、
私の中に、こうじゃなきゃいけないという価値観を持っているんだなというのに気づいていくというのを、やっていくのも、いいと思う。
価値観の違いも、相手との信頼関係が出来てしまえば、全然問題にならないが、(実証済み)
価値観で物事を判断している視点の時は、とにかく、仲良く、私も相手も幸せになるには、どうしたらいいかを、考えながら、物事を進めて行けばいいと思う。
一人の幸せより、二人の幸せの方が、より幸せ度が大きいと思う。
私の心を縛っているのは、他人ではなく、私自身というのに気づくと、どんどん自由になる。
人生楽しみましょう!
今日、45歳の誕生日を迎えた。もし、寿命というのが、分っていれば、人によって、いろんな計画を立て、それを、実行していく人もいるだろう。
だが、寿命は、分からない!であれば、出来るだけ、本人がしたい事を、中心にやっていった方が、後悔は、ない!
仕事をしたい人は、仕事をすればいいし、家族を大切にしたい人は、家族を大切にすればいいし、趣味を楽しみたい人は、、楽しめばいいし、
お金を儲けたい人は、儲ければいいし、真理を追究したい人は、追究すれば、いいと思う。
本人にとって、何が、大事か、分かっていれば、それを、中心に人生を組立ていけば、いいと思う。
もし、漠然と生きていていて、それが、幸せなら、それでも、いいと思うし、そこに、心の葛藤があるならば、今の現実をしっかりみて、本人の理想に向かって
少しづつ、本人の心が楽になるように、やっていけばいいと思う。(実践済み。)
分からければ、聞いてもいいと思うし、誰かのマネをしても、いいと思う。
ただ、人生は、その人、本人のものだし、誰かが、代わりに生きる事は、出来ない。
他人の言いなりの人生は、面白くないし、そうすると、つい、他人の性にしてまう。(自我の世界観)
私とあなたという、力くらべの競争の世界を、卒業すると、私の幸せと、あなたの幸せ、2人とも、幸せになるには、どうすればいいかという
世界になる。(小学生に言うと、すれば、みんな仲良くしなさい!という事になると思う。)
いろんな事が、分かれば、分る程、世界は、どんどん広がっていく!
今年は、予想外を楽しみたいと思う!
受付のみなっしーに誕生日プレゼントを頂きました。
ありがとうございます。
お米と、マヨネーズと、手帳との事でした。
みなっしーのセンスは、いつも、素晴らしいです。
いつも、いろいろ気づいてもらって、助けられています。
その御蔭で、院長は、すくすく育ち、丸々しております。(父親には、よく、痩せろ!と言われておりますが。)
これからも、受付のみなっしーを始め、ご縁のあるみなさま、どうぞ、ふつつかものでありますが、小学生の頃に、大器晩成型と先生に言われた
昨日、畑田先生の勉強会に参加した。
冠光寺流の家元の話で、出てくる90歳のおばあちゃまだ。
家元の話の印象だと、非常に、きちっとした先生だと思っていた。
だから、今回、お会いしたら、日頃の不摂生を、思いっきり指摘されるのかなと思っていた。(まあ、それも、勉強だなと思っていた。)
本の読み方で、みなさんは、どのように、読んでいますかという話という話になった。
情景を、浮かべてとか、その世界に入ってとか、そんな話がでた。
先生の読み方は、その作者の心の位置に立って読むという事だった。
これは、よく、相手の立場に立って、考えるという言葉があるが、
多くは、その人が、その人の気持ちで、相手の立場に立つから、分かり合えず、トラブルになる。
これを、相手の心そのものになって、考えることが出来たら、相手の事が良く、分るだろう。
主体と客体の話で、話すと、聞く、 男性と、女性、
男は、目標を決めて創っていく、女は、流れを創る。
順番が大事みたいである。(なぜ、順番が大事が私の中では、今の時点では、理解出来ていない)
トイレに入った時、場所に感謝、作ってくれた人に感謝、水に感謝、生存に感謝、細胞に感謝等、
当たり前と思っている事に、いろんな事がある事で、それが、成り立っている事に気づくと感謝が出てくる。
本来の感謝は、何かをしてくれたから、感謝するのではなくて、世の中にある全てのことのひとつ、ひとつがある事で、
私が成り立っている事に気づく事だと思う。(私などは、まだまだ、感謝が足りないと思う。)
親という字は、立木を見るという事で、虫はついていないか、ちゃんと育っているか、
正に、親の心を表している気がする。
料理で、大根の味付けの時、調味料を入れる、ベストのその瞬間があるらしい。(凄く、美味しくなるとの事。)
物には、その瞬間がある。
それは、親が子供に言う時のタイミングも、ベストがあるとの事。
知識は、行動して、知恵になる。
自分に正直にという話もされていた。
畑田先生を観ていると、覚悟を持って、相手の状態を分かった上で、ベストのタイミングで、接している。
帰られる時、5階から、階段を、凄い勢いで、降りていく先生の姿があった。
早い!早い!
90歳の先生の姿を見ていると、それより若い人達は、年だから、という言い訳は、出来ないだろう。
ありがとうございます、勉強になりました。
人生は、のんびり暮らしてもいいと思うし、一生懸命必死に生きてもいいと思う。
後は、その人が、人生を終了する日に、後悔がなければ、いいかなと思う。