所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
私のもうどうしょうもない位疲れた時の対処法は、船橋にあるお店のつけ麺を食べ、
その後サウナに行ってお風呂に入るというやり方で、これで、完全復活する。
このつけ麺は、私が、今まで食べたつけ麺で、一番おいしい。
サウナのお風呂は、トゴール湯というもので、新潟県の栃尾又温泉の温泉成分を、
人工的につくったもので、これに入ると、本当に疲れが、取れる。
このサウナに行くと、ジャクジー、水風呂、トゴール湯、水風呂、ジャグジー水風呂、トゴール湯
この繰り返しを、1時間30分ぐらいやっている。
これが、私の中の現在一番の最強の復活法である。
そもそもスーパー銭湯に、はまったのは、以前勤めていた、整骨院の時だった。
朝7時40分に、整骨院に行き、夜10時まで仕事をし、その後院長を1時間マッサージし、
11時過ぎから整骨院の分院の開業場所探しに行き、家に帰ると朝の3時過ぎだった。
院長は、オーナーなので、社長出勤していたが、私は、いちスタッフなので、
ゆっくり出勤というわけには、いかなかった。
そんな生活を送っていた時の唯一の楽しみは、ららぽーとにある、スーパー銭湯だった。
ここは、1時までに入ると、入浴料千円が、五百円になるので、日曜の朝は、1時までに
スーパー銭湯に行くのが、ひとつの目標だった。
日曜日の朝は、いつも、ゆっくりする為に、リゲインを飲んだ。(飲まないと力が抜けなかった。)
ある時、スーパー銭湯で、お風呂に入っていると、私の心の中で、世の中で私ほど
働いている人は、いないだろうという気持ちが、まず出てきた。
その後に、そこにいる、おじいちゃん、おじちゃん、若い人、子供みんな生きているんだ。
という気持ちが、入り込み、自分自身に対して、何をおまえは、自分だけ頑張っているつもり
になっているんだ、みんなそれぞれ頑張っているんじゃないかという気持ちが湧いてきた時、
そこにいるみんなとの境界線が、なくなり、全てが、一体となった感覚になった。
そこから、スーパー銭湯に、はまっていった。
疲れたとき、自分なりに回復法を、持っていると安心である。
私の場合は、スーパー銭湯、山登り、寝る、DVD鑑賞、まんが喫茶、つけ麺がある。
その時の状態で、選択している。
日本は、のんびりした国なので、物がある事で、ストレスをつくっていると思うが、
頑張れば生活できるので、そこに気づけばみんな幸せなのにと思う。
新潟のインターの手前のパーキングの所で、チェーン規制で、チェーンがないと危ないと言う事
になって、チェーン無しのノーマルタイヤで、行くか?チェーン規制解除を待って行くか?
という事に、なったが、そのまま、行く事になった。(ああ、このまま滑って、ぶっかちゃうのか。)
高速道路は、除雪作業が、うまく出来ていて凍ったところは、なかった。(いや、一安心した。)
という感じで、八海山に、到着すると、一台停まっていた。
少しすると、管理人の人が来て営業は、やっていないので、山登りは、ダメといわれた。
まさか、まさかの現地に着いての、山登り中止。
せっかく、来たので、もうどこの山でも、いいので、ということで、山探し、
いろいろ探したが、見つからず、以前登った平標山に登る事になった。
登山口は、雪に埋もれて、道も分らなくなっていた。
登りかたは、登山口の辺りから、直登し、とにかく頂上に向けてまっすぐ、まっすぐ登った。
急登だったので、落ちたら滑って下までいってしまうので、木がある所は、まだよかったが、
無い所は、足を、斜面に刺し、指先を4本にし、刺して登った。(怖いよー。怖いよー。)
なんとか無事に登りきることが、出来た。
降りは、気をつけながら、お尻で、滑って降りた。
たまに、木にぶっかったり、止まれず激突したりした。
なんとか、無事に下山出来て良かった。
次回の5月の連休の山登りは、今回の2倍というから、大丈夫かな?と思っている。
山登りを始めたきっかけは、テレビで、大林素子さんが、山登りをする男の人は、
強くて、優しいと言っていた。
別に、大林さんのファンでは、ないが、その言葉が、胸に響いた。
単純にかっこいいと思った。
その日の夜に、山登りをしている接骨の学校時代の同級生の先生に、電話し、
先生どこでも、いいので、山登り連れて行って下さいと頼んだのが、始まりだった。
一番最初に登った山が、三つ峠山というところで、登りは、きつかったが、
登っている時は、ただ、登るということだけを考え、それに没頭していた。
頂上に着くと、やったという達成感が得られ、降りでは、登りのきつかった分が、爽快感に変わった
ただ、この降りの時、地面が凍っていて、滑って、尾骨を骨折した。(1ヶ月痛かった。)
それでも、山登りは、いいなと思った。
山登りをすると、いろいろな考えが、浮かぶ。
最初の頃は、山の登るルートも、いろいろあるので、
人生と同じように、いろんな道があるんじゃないかと思ったり、
山の高さもいろいろあるので、目標も人によって違うなと思ったりした。
あまり考え過ぎると足元が疎かになり転んだりした。
山に登っている時は、いい人になっている感じがする。
それが、山から降りて、東西線で疲れて寝て、起きると
普通の人に戻ってしまう。
山に登っている時の状態で、普段の生活を送れると、たぶん、先生、素晴らしいですねと
言われたりすると思うが、現実は、患者さんに、先生は、痛いと言うと、大丈夫ですか?
と聞いてくれるけど、絶対力緩めないですねと言われたりする。(人によります。)
山登りに行って、いい人になり、日常生活に戻り、普通の人になる。
いつもこの繰り返しで、いろいろ気づくことが、出来る。
山登りに、月に一回のペースで、行っているが、月に一回行けていると
日常生活で、きついという事は、ない。
ただ、山登りの為のトレーニングを、サボると、山で、地獄をみる。
日々のトレーニングが、やはり、大事。
いつも、一緒に行く、仲間の先輩方は、普段ハードなトレーニングをされているので、
いつも、凄いなと思って尊敬している。
いつもいろいろ学させて頂いている。
これからも、足を引っ張りますが、よろしくお願いします!
アントニオ猪木が、好きだ!整骨院には、猪木の限定フィギアがある。
猪木さんの凄い所は、借金を何億も背負っても、危ない国に行っても、気にしない強心臓と
その明るさだと思う。
元気が、あれば何でもできる!
猪木が、笑えば、世界が笑う!
普通の人が、暗くなってしまうそんな時でも、笑い飛ばしてしまう!
馬鹿になれ とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ
かいてかいて恥かいて 裸になったら見えてくる
本当の自分が見えてくる
本当の自分も笑ってた
それくらい 馬鹿になれ
猪木さんの言葉は、深い!
私には、これが、非常に難しい!
ちっぽけなプライドが、邪魔をする。
みんな見栄とか、コンプレックスを少なからず持っていると思うが、
ひとつ、ひとつ、その事に向き合っていくと、その先に
自分の本当に大事にしているものに気づくと思う。
そこには、たぶん、幸せに包まれた、笑っている自分がいると思う。
昔、土木作業員をやっていた時期が、あった。
地元が、木更津というところで、久留里線という電車(正確にいうと、ディーゼル車)に乗って
久留里駅というところで降りると、そこに、ライトバンが停まっていて、その後ろの荷台のところに、
カナダ人の190センチぐらいの人と、折り重なって詰め込まれた。
どっかに売られちゃうのかなと思いながら、車は、手掘りのトンネルを抜け、山の中へ。
そこは、猟をする人もくるところで、仕事は、堤防を造る工事だった。
募集では、日当1万円という話だったが、初めてだったので、見習いということで、8千円だった。
話が違うじゃんと思いながら、仕事の内容は、30キロのコンクリートブロックを運ぶのと、
一輪車に、砕石を載せて運ぶことだった。
ここで、印象的だったのは、言葉が、荒かったことだった。
最初は、怒っているのかと思ったが、それが、普通だったので、びっくりした。
怒鳴るような言葉の中、働いている時の楽しみは、家でつくってもらったお弁当と
インスタント味噌汁を食べている時と、その後の野っ原に、ビニールシートを敷いての、
お昼寝だった。
この仕事をしている時、ああ、生きてるなという実感があった。
この頃、弟と腕相撲をして、両腕に対して片腕で勝ったと思う。(パワーが、有り余っていた感じ。)
ある時、雨が、降って堤防に川の水が、入ってきて、危ないという時、
みんなで、必死に、土嚢を積んで、なんとか決壊しないように頑張っていた
が、結局、決壊し、また、最初からやり直しになった。
いつも仕事をして、帰る時電車に乗ると、泥だらけなので、気にしながら乗ったのを、
覚えている。
凄いと思ったのは、一緒に働いていたカナダ人は、仕事が終わって久留里駅で、降ろされると
20キロ先の家まで、自転車で、帰っていった。(なんて体力だと思った。)
この時一緒に働いていた若い兄ちゃんから、原付を2万円で買った。
初めてのバイクだったので、嬉しかったが、そのバイクは、色は、黄色と赤の稲妻カラー
直管マフラーというのだったので、凄いうるさかった。
真面目な人間なので、暴走族と間違われると非常に困るので、上野に行って
マフラーを買い、その後の仕事場の人に、黒のスプレーで、塗り直してもらった。
結局、エンジンが、乗ってる最中に止まったりして、修理費に結構お金がかかったが、
スピードが、90キロぐらい出たので、楽しく乗ることが、出来た。
まあ、いろいろあったが、人が、汗して働くという事は、いいなあと思える経験が、
出来たのは、よかった。
世の中には、知らない事が、たくさんあるが、結構知った気になっている。
昔、自分の出会う世界の外に、欲しい知識がある時、どうしたらよいかと考えた事が、あった。
ただ、その事を知るだけで、世界が、広がる。
知る知らないの差は、興味の差だろう。
凄い好きなら、凄くその事が、知りたくなり、程ほどに好きなら、表面的な理解になるだろう。
昔、フォトリーディング(速読)というセミナーに参加して、本が、速く読めたらいいなぁと思った。
そこで、バシ!バシ!質問を飛ばしていたのが、経済評論家の勝間さんだった。
私は、参加しただけで、満足して、努力を怠った。
その差が、今出ているんだろう。
本当に手を入れたければ、思いっきり頑張ればいいと思う。
程ほどに好きであれば、程ほどに頑張ればいいと思う。
その選択は、本人に委ねられている。
日曜日に、朝、先輩の引越しの手伝いをし、船橋のサウナに行って、お風呂に入って、
リフレッシュした。
昔、一緒に、働いていた先生とご飯を食べたが、とにかくよくしゃべった。
若い先生で、基本的な、考え方は、似ているが、先を読み情報をとらえる事と、
やる事が、徹底している事と、気遣いが、素晴らしいと思った。
私などは、あまり気遣いが、ないほうなので、周りにいろいろ迷惑をかけているだろう。
昔、整骨院の分院長をやっている時、友達が、スタッフとして入ってきた。
ある時、一人10分の治療の所、その友達が、30分治療していた。
時間が、長いと合図を送ったが、そのままやろうとしてたので、〇〇先生!と言った。
その時友達が、患者さんに、私は、やりたいんですけど、この位にしないと、
院長が怖い顔しているんで、という話が、聞こえたので、さすがに、カチンときて、
〇〇先生!!と声を荒げてしまった。
友達としては、いいのだが、仕事になると、こちらの要求通り動いてももらわないと
と、思ってしまう。
そこが、プライベートと、仕事の違うところだと思う。
仕事をする時、みんな自分なりの取り組み方が、あると思う。
時間内だけ働けば、いいと思っている人。
仕事が、好きで働いている人。(私は、このタイプ。)
仕事が、嫌だけど働いている人。
仕事を一生懸命頑張っている人。
仕事で手を抜く人。
いろいろいると思う。
昔、評価という事に対して、思った事が、ある。
A先生が、普通の整骨院では、10の評価。(10点満点で。)
別の繁盛している整骨院では、5の評価。
名人のいる整骨院では、1の評価。
同じ先生が、場所が、違うと評価も違う。
利益を重視している所だと、最大10の力を持つA先生が、7の効果を出すのと、
最大5の力を持つB先生が、精一杯やって5の効果を出していれば、A先生の評価が上だろう。
B先生が、腐らず、精一杯頑張っていければ、A先生を抜けるだろう。
今だけを見れば、A先生は、手を抜くいけすかない奴かもしれないが、(個人的には、嫌い。)
昔、頑張ったからこそ、その実力があると思う。
であるならば、手を抜けない状況を作ってしまえば、いいと思う。
か、モチベーションの下がる原因の解決。
評価は、全てそこの方針が、あると思うので、自分に合った所を選ぶのが、ベストだと思う。
私自身は、器用な方では、ないので、素直で一生懸命頑張っていれば、いいと思っている。
そうすれば、少しづつ、仕事を、任す事が、出来ると思う。
それが、実力をあげることに繋がると思っている。
昨日、患者さんで、右の肩が、上に30度しか挙がらないが、三回の治療で、
70度まで、挙がるようになったが、触ってみると、筋の状態は、左よりは、筋肉が、落ちているが、
状態は、スムーズな感じが、したので、これは、脳のプログラミングの挙げるという動作を
忘れてしまっていると思いどうしたらよいか、と思った。
そこで、三つの治療法を組み合わせてみると、水平まで、挙上できるように、なった。
その後、普通に、挙げることが、出来た。
今回は、患者さんが、75才で、10日後が、誕生日という状況で、免許の更新が、あると言われた。
もっと早く来ればと言いながらも、必死で、やったので、うまくいったのだと思う。
仮説だが、どんな治療法でも、いいので、一回脳が、痛くないとか、動くとかを、記憶すると、
症状の戻りが、なくなるんじゃないかなと思っています。
だから、治療を受けて、その時の症状が、無くなって、症状が、戻るときは、脳が、記憶して
ないかもしれない。(真の原因が、追求が、甘い場合を除く)
私の場合は、日々勉強中なので、その時もっとも、私自身が、納得できる事を大事にしています。
ただ、今まで、私自身、治療を考えてみると、その当時の知識、経験からは、
それが、正解しか、考えられなかった。
ただ、それだと、うまくいく時もあるし、いかない時(不確定要素)もある。
不確定要素(よく分っていない)の要素の割合が、最初の頃は、大きかった。
それが、段々といろんな経験をしていくと、不確定要素の割合が、少なくなってる。
ただ、それでも、不確定要素が、ゼロには、ならない。
それは、球体を、平面で、とらえようとしているから難しいのでは、ないかなと思う。
いろんな見方が、出来るといろんな、角度から、球体をとらえる事が、出来るようになるだろう。
それでも、中は、見れない。
中が、MRIのようにみれたとする。
それでも、筋肉の硬ささえ分らない。
治療は、結局は、いかにその物事に対して、深く追求していけるかだろう!
整骨業界に、入った最初の頃、1週間すると、土曜日の終わりぐらいに、なると、
腕が、挙がらなくなった。
とにかく、最初は、指の力だけで、ほぐしていたから、腕が、パンパンに、なった。
冬なんかは、手袋に、特に、右手が入りづらかった。
この頃は、あまり考える事もせず、院長の言う事を、ハイ、ハイと聞いていた。
ある時、低周波という電気を、おばあちゃんにかけようと、パッドを、肩と腰に当て、
電気のボリュームを、回した。
結構回しているのに、電気が、来ないとおばあちゃんが、言うので、
とうとう、ボリュームが、最大までなってしまった。
でも、来ないというので、おかしいなと思った。
パッドの上に手を、置いて押さえると、おばちゃんが、カエルのように、手足を、バタバタさせた。
あっ、すいません。と言って電気を急いで切った。
やはり、電気は、来ていたのだ、パッドと身体の接触面が、浮いていたようだった。
その事が、あってから、3ヶ月ぐらい、おばあちゃんに、先生の時は、油断できないからね。
と、入る度に言われた。
ここで、電気をかける時は、パットと身体に、隙間をつくっては、いけないというのを、学んだ。
今、思うとあまり、考えもせず、やっていた気がする。
一番最初の修行先の整骨院で、院長と、ごはんを食べている時、ごはんが、全部ポロッと落ちて、
ベタッと床にくっついた。
またその床が、汚い感じで、(掃除は、しているけど。)
まあ、これは、食べなくていいだろうとしまおうとすると、院長が、食べろと言った。
えっと言ったが、キッと睨むので、食べた。
柔道6段、早稲田卒、の院長の前で、私は、無力だった。(単純に怖かった。)
院長の実家、農家なので、食べ物を大切にという意味で言ったんだろうが、
その時は、正直嫌だった。
だから今も覚えている。
院長に、先生が、80才くらいになれば、勝ちますよ。と言ったことが、ある。(もちろん、武器あり。)
その時、院長が、「松岡、その時、おまえいくつになるんだ」と言われた。
院長は、その時でも、負けない気だなと思った。
男なら、強くて、頭が、良くて、というのが、理想で、そこに、優しさが、あるとなおいいと思う。
ちなみに、柔道の乱取りを院長と、一番初めにやった時、0.5秒で、畳に叩きつけられた。
見えなかった。
そんな院長が、男として、ひとつの理想だと思う。
いつか、もっと成長して、ぶっかりたい。
その時、労わりの精神を持てるとよいのだが。