所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
昔、土木作業員をやっていた時期が、あった。
地元が、木更津というところで、久留里線という電車(正確にいうと、ディーゼル車)に乗って
久留里駅というところで降りると、そこに、ライトバンが停まっていて、その後ろの荷台のところに、
カナダ人の190センチぐらいの人と、折り重なって詰め込まれた。
どっかに売られちゃうのかなと思いながら、車は、手掘りのトンネルを抜け、山の中へ。
そこは、猟をする人もくるところで、仕事は、堤防を造る工事だった。
募集では、日当1万円という話だったが、初めてだったので、見習いということで、8千円だった。
話が違うじゃんと思いながら、仕事の内容は、30キロのコンクリートブロックを運ぶのと、
一輪車に、砕石を載せて運ぶことだった。
ここで、印象的だったのは、言葉が、荒かったことだった。
最初は、怒っているのかと思ったが、それが、普通だったので、びっくりした。
怒鳴るような言葉の中、働いている時の楽しみは、家でつくってもらったお弁当と
インスタント味噌汁を食べている時と、その後の野っ原に、ビニールシートを敷いての、
お昼寝だった。
この仕事をしている時、ああ、生きてるなという実感があった。
この頃、弟と腕相撲をして、両腕に対して片腕で勝ったと思う。(パワーが、有り余っていた感じ。)
ある時、雨が、降って堤防に川の水が、入ってきて、危ないという時、
みんなで、必死に、土嚢を積んで、なんとか決壊しないように頑張っていた
が、結局、決壊し、また、最初からやり直しになった。
いつも仕事をして、帰る時電車に乗ると、泥だらけなので、気にしながら乗ったのを、
覚えている。
凄いと思ったのは、一緒に働いていたカナダ人は、仕事が終わって久留里駅で、降ろされると
20キロ先の家まで、自転車で、帰っていった。(なんて体力だと思った。)
この時一緒に働いていた若い兄ちゃんから、原付を2万円で買った。
初めてのバイクだったので、嬉しかったが、そのバイクは、色は、黄色と赤の稲妻カラー
直管マフラーというのだったので、凄いうるさかった。
真面目な人間なので、暴走族と間違われると非常に困るので、上野に行って
マフラーを買い、その後の仕事場の人に、黒のスプレーで、塗り直してもらった。
結局、エンジンが、乗ってる最中に止まったりして、修理費に結構お金がかかったが、
スピードが、90キロぐらい出たので、楽しく乗ることが、出来た。
まあ、いろいろあったが、人が、汗して働くという事は、いいなあと思える経験が、
出来たのは、よかった。
世の中には、知らない事が、たくさんあるが、結構知った気になっている。
昔、自分の出会う世界の外に、欲しい知識がある時、どうしたらよいかと考えた事が、あった。
ただ、その事を知るだけで、世界が、広がる。
知る知らないの差は、興味の差だろう。
凄い好きなら、凄くその事が、知りたくなり、程ほどに好きなら、表面的な理解になるだろう。
昔、フォトリーディング(速読)というセミナーに参加して、本が、速く読めたらいいなぁと思った。
そこで、バシ!バシ!質問を飛ばしていたのが、経済評論家の勝間さんだった。
私は、参加しただけで、満足して、努力を怠った。
その差が、今出ているんだろう。
本当に手を入れたければ、思いっきり頑張ればいいと思う。
程ほどに好きであれば、程ほどに頑張ればいいと思う。
その選択は、本人に委ねられている。
日曜日に、朝、先輩の引越しの手伝いをし、船橋のサウナに行って、お風呂に入って、
リフレッシュした。
昔、一緒に、働いていた先生とご飯を食べたが、とにかくよくしゃべった。
若い先生で、基本的な、考え方は、似ているが、先を読み情報をとらえる事と、
やる事が、徹底している事と、気遣いが、素晴らしいと思った。
私などは、あまり気遣いが、ないほうなので、周りにいろいろ迷惑をかけているだろう。
昔、整骨院の分院長をやっている時、友達が、スタッフとして入ってきた。
ある時、一人10分の治療の所、その友達が、30分治療していた。
時間が、長いと合図を送ったが、そのままやろうとしてたので、〇〇先生!と言った。
その時友達が、患者さんに、私は、やりたいんですけど、この位にしないと、
院長が怖い顔しているんで、という話が、聞こえたので、さすがに、カチンときて、
〇〇先生!!と声を荒げてしまった。
友達としては、いいのだが、仕事になると、こちらの要求通り動いてももらわないと
と、思ってしまう。
そこが、プライベートと、仕事の違うところだと思う。
仕事をする時、みんな自分なりの取り組み方が、あると思う。
時間内だけ働けば、いいと思っている人。
仕事が、好きで働いている人。(私は、このタイプ。)
仕事が、嫌だけど働いている人。
仕事を一生懸命頑張っている人。
仕事で手を抜く人。
いろいろいると思う。
昔、評価という事に対して、思った事が、ある。
A先生が、普通の整骨院では、10の評価。(10点満点で。)
別の繁盛している整骨院では、5の評価。
名人のいる整骨院では、1の評価。
同じ先生が、場所が、違うと評価も違う。
利益を重視している所だと、最大10の力を持つA先生が、7の効果を出すのと、
最大5の力を持つB先生が、精一杯やって5の効果を出していれば、A先生の評価が上だろう。
B先生が、腐らず、精一杯頑張っていければ、A先生を抜けるだろう。
今だけを見れば、A先生は、手を抜くいけすかない奴かもしれないが、(個人的には、嫌い。)
昔、頑張ったからこそ、その実力があると思う。
であるならば、手を抜けない状況を作ってしまえば、いいと思う。
か、モチベーションの下がる原因の解決。
評価は、全てそこの方針が、あると思うので、自分に合った所を選ぶのが、ベストだと思う。
私自身は、器用な方では、ないので、素直で一生懸命頑張っていれば、いいと思っている。
そうすれば、少しづつ、仕事を、任す事が、出来ると思う。
それが、実力をあげることに繋がると思っている。
昨日、患者さんで、右の肩が、上に30度しか挙がらないが、三回の治療で、
70度まで、挙がるようになったが、触ってみると、筋の状態は、左よりは、筋肉が、落ちているが、
状態は、スムーズな感じが、したので、これは、脳のプログラミングの挙げるという動作を
忘れてしまっていると思いどうしたらよいか、と思った。
そこで、三つの治療法を組み合わせてみると、水平まで、挙上できるように、なった。
その後、普通に、挙げることが、出来た。
今回は、患者さんが、75才で、10日後が、誕生日という状況で、免許の更新が、あると言われた。
もっと早く来ればと言いながらも、必死で、やったので、うまくいったのだと思う。
仮説だが、どんな治療法でも、いいので、一回脳が、痛くないとか、動くとかを、記憶すると、
症状の戻りが、なくなるんじゃないかなと思っています。
だから、治療を受けて、その時の症状が、無くなって、症状が、戻るときは、脳が、記憶して
ないかもしれない。(真の原因が、追求が、甘い場合を除く)
私の場合は、日々勉強中なので、その時もっとも、私自身が、納得できる事を大事にしています。
ただ、今まで、私自身、治療を考えてみると、その当時の知識、経験からは、
それが、正解しか、考えられなかった。
ただ、それだと、うまくいく時もあるし、いかない時(不確定要素)もある。
不確定要素(よく分っていない)の要素の割合が、最初の頃は、大きかった。
それが、段々といろんな経験をしていくと、不確定要素の割合が、少なくなってる。
ただ、それでも、不確定要素が、ゼロには、ならない。
それは、球体を、平面で、とらえようとしているから難しいのでは、ないかなと思う。
いろんな見方が、出来るといろんな、角度から、球体をとらえる事が、出来るようになるだろう。
それでも、中は、見れない。
中が、MRIのようにみれたとする。
それでも、筋肉の硬ささえ分らない。
治療は、結局は、いかにその物事に対して、深く追求していけるかだろう!
整骨業界に、入った最初の頃、1週間すると、土曜日の終わりぐらいに、なると、
腕が、挙がらなくなった。
とにかく、最初は、指の力だけで、ほぐしていたから、腕が、パンパンに、なった。
冬なんかは、手袋に、特に、右手が入りづらかった。
この頃は、あまり考える事もせず、院長の言う事を、ハイ、ハイと聞いていた。
ある時、低周波という電気を、おばあちゃんにかけようと、パッドを、肩と腰に当て、
電気のボリュームを、回した。
結構回しているのに、電気が、来ないとおばあちゃんが、言うので、
とうとう、ボリュームが、最大までなってしまった。
でも、来ないというので、おかしいなと思った。
パッドの上に手を、置いて押さえると、おばちゃんが、カエルのように、手足を、バタバタさせた。
あっ、すいません。と言って電気を急いで切った。
やはり、電気は、来ていたのだ、パッドと身体の接触面が、浮いていたようだった。
その事が、あってから、3ヶ月ぐらい、おばあちゃんに、先生の時は、油断できないからね。
と、入る度に言われた。
ここで、電気をかける時は、パットと身体に、隙間をつくっては、いけないというのを、学んだ。
今、思うとあまり、考えもせず、やっていた気がする。
一番最初の修行先の整骨院で、院長と、ごはんを食べている時、ごはんが、全部ポロッと落ちて、
ベタッと床にくっついた。
またその床が、汚い感じで、(掃除は、しているけど。)
まあ、これは、食べなくていいだろうとしまおうとすると、院長が、食べろと言った。
えっと言ったが、キッと睨むので、食べた。
柔道6段、早稲田卒、の院長の前で、私は、無力だった。(単純に怖かった。)
院長の実家、農家なので、食べ物を大切にという意味で言ったんだろうが、
その時は、正直嫌だった。
だから今も覚えている。
院長に、先生が、80才くらいになれば、勝ちますよ。と言ったことが、ある。(もちろん、武器あり。)
その時、院長が、「松岡、その時、おまえいくつになるんだ」と言われた。
院長は、その時でも、負けない気だなと思った。
男なら、強くて、頭が、良くて、というのが、理想で、そこに、優しさが、あるとなおいいと思う。
ちなみに、柔道の乱取りを院長と、一番初めにやった時、0.5秒で、畳に叩きつけられた。
見えなかった。
そんな院長が、男として、ひとつの理想だと思う。
いつか、もっと成長して、ぶっかりたい。
その時、労わりの精神を持てるとよいのだが。
今日、今までの古いホームページを消してもらった。
3月28日、午後8時現在、グーグル検索で、松岡整骨院と検索すると、
今まで、トップページだったのが、13枚目になってしまった。
インターネット上では、やはり、トップページが、一番人気ということで、
選択する時の大きな要素になると思う。
13枚目まで、わざわざ捜す人は、いないと思うので、
実際には、あるのに、インターネット上では、見えなくなってしまった。
さて、どの位で、トップページに、あがってくるのか、早い復活を期待している。
下町ロケットを読んだ。
普段、小説は読まない私が、そもそもこの本を読もうと思ったのは、
テレビで石原都知事に対して、この作家の人の態度が、面白かったので、
どんな作品を書く人だろうと思うのきっかけだった。
読み終わってから、その作家の人と別人というのが、分った。
下町ロケットの感想は、中小企業と大企業、中小企業の経営の大変さ、大企業病、
下町の工場の技術力の高さ、親と子、というキーワードを絡めながら、
主人公の理想と現実の中で揺れる心の葛藤が、生き生きとして描かれていた。
普段、生活していると、みんな、いろんなしがらみの中で、心の葛藤が、あると思う。
それは、自分の中の正義と相手の中の正義が、違うから起こるのだが、
難しいのは、私の方が、正しくて、あなたは、間違ってますよと思って
その問題を解決しても、相手の心が、納得出来ない事だろう。
こういう事が、みんなないだろうか?
言われている事は、正しい気がするが、心が、納得できない。
私にはそう思う時がある。まず、私の主張を全否定されてから、理屈をこねられても、聞く気は、しない。
昔、天敵と思う人が、いて、言っている事は、正しいが、言い方が、恫喝するような感じだったので、
私という人間に敬意を払っていない感じだったので、そこに対して怒りを覚えた。
父親の時代なら、先生や、目上の人に対して、その人の言葉は、絶対というのが、あったが、
私の場合は、まず自分の考えを出し、その時の状況で、どれが、全体的にバランスが、とれるかで考える。
これが、院長になると、敬意を払わない相手には、怒りを覚えるので、とたんにバランスがとれなくなる。
私の課題は、院長という立場の自分とそれ以外の自分との差を同じにする事だ。
外に行くと、世の中には、凄い人達が、居て、自分の小ささを感じる。
ひとつ、ひとつの追求の仕方が、凄まじい。
どこまで、根性で追いつけるか、人生の課題にしたい。
今年か、来年には、私の闘魂に、火をつけた天敵にあって、お互いどれくらい成長したか、
勝負したい! 非常に楽しみである。
今日は、一日雨が降っている。
そんな中、私の地元の方の君津市から患者さんが来院された。
雨の日でも、治りたいという気持ちが、強い方は、来られている。
みんなそれぞれ生活の中で、優先順位が、ある。
痛くても、仕事をしなくては、ならない人もいるし、自分の事より、家族の為に頑張る人もいる。
同じ症状を、持っていても、置かれている環境が、違い、その人の回復力が違い、
考え方が違う。
となると、その症状の意味づけは、みんなそれぞれ違うのだろう。
よく病気や怪我は、気づきのきっかけになる。
本当の意味で、病気や、怪我の意味を理解できたら、治る場合が多いと思う。
物事には、全て意味があると、自分に甘い私は、思う。