所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
matsuokaseikotsuin@nifty.com | |
院長 | 松岡 良一 |
世の中には、様々な治療や、考え方が、ある。
日曜日に、伝統療法カンファレンスというのが、あった。
いろんな治療の先生方が、集まった。
独自に、治療法を確立した先生程、自分の治療に、自信を持っていて、自分が一番という意識があるような気がする。
だから、今回、様々な治療法の先生方が、集まった事は、凄い事だと思う。
講演が、あったり、体験会があったりした。
最後の方で、会場で、痛い所がある人に、手を挙げてもらい、その場で、そこのいる先生方が治療する。
そこに来ている患者さん達は、いろんな有名な先生の治療を受けたりしているので、なかなか難しい症状だったりする。
その患者さん達が、5分ぐらいで良くなってしまう。
ある先生が、治療する時に、治療家の人で、触りたい人と言われ、最初の先生が、骨盤を触り、左側が、上がっている言った。
私の過去の患者さんの中で、左側が上がっていた人は、7人しかいなかったので、少し触って自信を持って右側と言った。
すると、先生が、押さえる場所は、ここと言って、触ったら、左側が、上がっていた。
先生が、治療するには、まず見立てが、大事ですからと、ガツンと指摘された。(常々、師匠に言われている事である。)
とりあえず、大きな身体で、小さくなっていた。(顔から、汗が出ていた。これが、本当に顔から、火がでるというものだと、実感した。)
天狗になり易い自分にとっては、いい薬だった。(ありがとうございました。)
いろいろ勉強して、その知識、経験が積み重ねられて、自分の軸が出来、それを基準に、考える。(という考えかたがある。)
もうひとつ、患者さんが、症状を持って来院された時、その症状は、同じでも、原因の深さ、生活環境を踏まえ、
求めるレベル(とりあえず動ければいい、違和感まで無い状態等)という患者さん軸という考え方。
昔から、よく考えたのは、世の中、全ての人の価値観を球体として立体で、考えた時、それをそれぞれの方向から、
平面で捉えようとしているところに、いろんな悩みが、起きている気がする。
全ての価値観を丸ごと、受け入れる方法があれば、あれば、いいけれど。(そんな先生が、何人かいます。)
凡人の私が、現時点で、取れる方法は、世の中の価値観を1万パーツくらいに小分けし、患者さんや、世の中で、出会った人を通し、
私だったら、そんな事しないけどと思う価値観をひとつ、ひとつ受け入れていき、自分の器を大きくしていき、
患者さん、出会う人に、喜んでもらいながら、1万パーツのパズルを組み立ていき、そこで、見える世界を活用したいなと思っています。
ただ、あまりに立派に、なってしまうと、近寄り難くなってしまうので、ずっこけ、笑い、ダメな部分のマントをして、
3年寝太郎な感じでいくのも面白いかなと思う。
昨日、マダムシンコのマダムブリュレで、頂いた。
このマダムブリュレは、非常に人気で、インターネットで、何ヶ月もまたなければ、手に入らないものだ。
このなかなか手に入らないものを、なんとか願う事で、(引き寄せの法則)手にはいらないかと、受付の人と話をした。
受付の人は、やってみますと言っていた。
そんな話をして2週間で、受付の人が、マダムシンコのマダムブリュレのおすそ分けを持ってきてくれた。
甘くて美味しかった。
受付の人に、どうして手に入ったんですか?
と聞いたら、家に帰ると、ご主人が、持ってきてくれたそうです。
受付の人の、引き寄せのパワーは、凄いなと思った。
一番凄いと思ったのは、愛する奥さんの為に、頑張ったご主人。
そのご主人を、引き寄せた、受付の人のパワー!
日曜日に、新潟県の八海山に山登りに、行った。
曇天模様の中、雪に、ボコボコはまりながら、歩いていると、段々天候が悪くなり、霰(あられ)が、ガンガン顔に当たってきた。
先は、見えなくなるし、後ろも、見えなくなってきた。
リーダーと先輩は、イケイケなので、止まる気配なし、もはや、これまでかと思った。
すると、先輩とリーダーが、雪で、足跡が、消えるとヤバイとの事で、撤退決定!
いやぁ、助かりました。
今回感じたのは、リーダーと先輩は、圧倒的な体力が、あるうえでの、経験と判断。
リーダーと先輩は、大変な状況に、なった時、リーダーと先輩を合わせた重さの私を担ぐのは、無理との判断が、あったのかなと思います。
いつも、ご迷惑おかけしてます。
来月は、晴れで、雪山で、そりで、楽しみたいです。
3月1日で、開業7年目に突入しました。
整骨業界に、入った頃は、おじいちゃん、おばあちゃんの肩とか、腰をもんで、お話をして、
楽になったと言われると嬉しくて、そんな感じで仕事をしていました。
そのうち、普通にもんでいても、治らない患者さんが、来たりすると、何とかしなけば、と思うようになりました。
いろんな治療院、いろんなセミナー、いろんな場所に行くと、いろんな考え方に出会います。
そんな事をしていると、治療スタイルは、いろいろ変わります。
昔は、いろいろ笑わせたりしながら、治療をしたり、していたのですが、今では、身体の状態をみて、黙々と治療したり、
説明しながら治療したり、一つ、一つの手技をして、効果を確認してもらいながら治療したりしています。
そんな感じでやっていると、辛い人とか、痛い人とか、そういう患者さんが来るようになりました。
今、身近に、山登りのリーダーを始め、5人の師匠がいます。(治療の師匠だったり、人生の師匠だったりします。)
山登りのリーダーには、いつも、甘い考えをたしなめられます。(天狗にならないように、いつも、ご指導ありがとうございます。)
治療の師匠の言葉で、いつも胸にあるのは、『あきらめず、努力していれば、いつかできるようになる。』(この言葉に救われています。)
もう一人の治療の師匠の言葉で、心に残った事は、『目の前の事をただ(真剣に)やる。』(一生懸命より、真剣の意識の方が、更によい。)
人生の師匠の言葉で、『病気、症状は、サイン』(今まで、症状は、悪いものと思っていました。病気、症状も、人生の一部。)
もう一人の人生の師匠の言葉、『いろいろ修行して分かった事は、私は何もしていなかった事。』(何もしなくても、変化が起きる。)
7年目は、師匠達に学びつつ、ゴットハンドを目指します!(学んでいる時点で、甘いと思うのですが、実力をどんどんあげていきます。)
日曜日に腱引きの合宿の時に、指の使い方を教わった。
腱引きの仲間が、『先生の指の腱、出ないんですよね。』と言った。
すると、先生が、『それは、指で、腱を押しつぶしているから、分からないんだ。』と仰った。
先生に、実際にやって頂いた。
先生の母指の先の方で、人差し指を弾いてもらうと、腱が動くのが、分かった。
今まで、よく指を、もう少し立てて言われることが、あったが、それが、腱を上から押している時だった。(パワーで、強引に動かしていた。)
以前から、頭では、分かっていたことが、今回は、よく、実感できた。
結果的に出来るのと(腱が動く)、それを意図して(腱を感じながら)、行う(動かす)、のでは、違う。
あれ、今回、うまくいかないなというのと、この腱が動かないのでダメだなというのと、この腱の下の腱が影響してダメだなという、
いろんなレベルが、ある。
師匠に聞いたことがある。
師匠の場合は、人体の解剖を3Dでイメージしながら、それを指先で捉えながら、施術を行う。
師匠の施術中の指先で捉えようとしている時、凄い緊張感がある。
師匠に聞いたことがある。
『先生の指先で感じようとしている時は、神経を研ぎ澄まして、緊張しているように見えるんですけど、緊張していると、
それが、相手に伝わってしまうので、逆に緩めて、相手を感じようとしているんですね?』と言ったら、
師匠は、『松岡君、それも、あるんだけど、緊張させて、自分の電位で、どこが、悪いか見つけるのも、あるんだよ。』と仰られた。
イメージ的には、機械が、故障して、電気を流した時、どこで、断線しているか、見つけるかんじだろうと思った。
昔、分院長になったばかりの時に、患者さんが、近くの整骨院で、骨盤が、曲がっていると言われて来院された。
その時は、整形外科の勤務を3年終えたばかりだったので、適当な事言って、そんなのレントゲン見ないと分からないじゃないかと思っていた。
どうしても、人は、自分の分かる範囲で判断してしまうので、知識、経験に囚われてしまう。(今は、実践主義、治れば、何でもいい!)
今回思ったのは、Aという治療法がダメなら、B、BがダメならC,Cがダメなら、D,DがダメならEというより、
一つの治療法だけなら、その方法を相手に合わせて、微調整して、ぴったり合わせるのが、大事かな。
今、知識は、インターネットで、簡単に手に入る。
それが、そのまま使えたら、わざわざ行動する必要がないと思う。
治療の技術を教わる。
それで、うまくいく場合もある。
うまくいかない時は、それを現場に合わせて、微調整できるかが大事だと思う。(治療の場合は、患者によって様々な身体、心、状況がある。)
もうひとつ、思ったのは、いろんな知識、経験を、左脳に入れ、治療を行う時は、右脳を使い、感じとりながら、行うのが、いいんじゃないか。
感覚とは、関係ないが、昔から、一生懸命やる事が、好きだが、合宿の時、型で木刀で打ち合っていた時に、気持ち的には、真剣のつもりで、
真剣にやっていた、すると、気持ちが、生きているって実感が、出来て凄く気分が良かった。
一生懸命は、モチベーションが、高い時は、いいと思う。
モチベーションが、落ちた時は、疲れると思う。
だから、一生懸命のもう一つ上の真剣という意識で生活出来たら、毎日が、もっと、充実すると思う。
戦国時代でない、この、のんびりした日本で、生と死から、離れたとこで、暮らしている状況で、いかに真剣にいきるか?
豆大福を食べながら、葛藤中である。(いつも、山登りの先輩方には、ボロボロの姿で、ご迷惑かけています。)
土曜日、日曜日と、静岡県の本部で、腱引きの特別合宿に、行ってきた。
腱引きのルーツの武術の型をやったりした。
みんな格闘技とか、やっている人達なので、実に、熱い感じだった。
型の時は、相手が、余裕のある方だったので、木刀を使っていたが、とにかく、思いっきりやってみた。
私の中では、一瞬、一瞬、真剣で、楽しかった。
腱引きの最高顧問の先生が、武術の先生だったので、聞いてみたい質問が、あった。
それは、先生にとって、強さとは、何ですか?
私の想像していたのは、強さとは、武力ではなく、精神というものが大事だという答え方。
先生に、聞いてみた。
『先生は、今まで、いろんな戦いを実戦されてきて、先生の思う強さとは、何ですか?』
『俺は、そんな難しい事、考えたりしないから、分からねい』
『そんな考える暇なく、ただ、目の前の事を、やってきているだけ』
それを、聞いて、思いました。
戦いで、相手が、右手で、殴ってきたので、左手で、受け流して、左足で、蹴る。
というのを、頭で、考えながら、やっていると、考えている間にやられてしまう。
いろんな体格、いろんな状況、いろんな敵、と相対する時に、大事なのは、
それに対する身体の反応だと思う。
これを、実戦で、積み重ねていけば、いくほど、いろんな反応が、出来て、強くなると思う。
この経験値が、多いほど、準備が出来ているので、余裕に繋がると思う。
この身体の反応というものを、治療に活用し、これは、無意識下で行われるので、
日曜日に、群馬県の地蔵岳に山登りに、行った。
氷点下10度の中、駐車場で、着替えをしていたが、もたもたして、凄い時間が、かかった。
山を登っていると、段々、右手の、人差し指、中指、薬指、の感覚が、無くなり、そのうち、激痛に、なった。
指を曲げたり、伸ばしたり、手を振ったりしたが、激痛は、変わらずだった。
これが、凍傷かと、思い、何とかしないと、ヤバイなと思った。
木の幹に指を当てて、木のパワーで、助けてもらおうと、じっとしていると、痛みが、段々と治まってきて、痛くなくなった。
この話を、患者さんのおじいさんにしたら、ミニのホッカイロがいいよと言ったので、次回から、持っていこうと思う。
今回は、痛い思いをしたので、しっかり学んだと思う。
山登りをしていると、ボコっと、太腿まで、埋まってしまうので、7合目まで、ぐらいしか行けなかった。
リーダーと先輩は、頂上を制覇した。
湊かなえさんの『母性』という本を読んだ。
整骨院で、午前中は、ラジオをかけていて、この『母性』という本は、湊かなえさんがどうしても書きたかった本だとゲストの人が、言っていた。
流行作家のどうしても、書きたかったテーマの母性を、普段、小説は読まない、母性のない私が、読んでみた。
母性は、子を持つ親が、最初から、持っているものなのか?子が持つ事になってから、段々出てくるものなのか?
という所を、昨今のいろんな事件を、みて、母性とは?今一度、考えてみたいと思ったのではないだろうか?
ここで、出てくる、おばあちゃん、お母さん、娘。
おばあちゃんは、お母さん(娘)、娘(孫)に、対して無償の愛で接している。
お母さんは、娘より、おばあちゃんに喜ばれる事を自分(私)の事より、幸せに感じている。
(お母さんは、おばあちゃんに喜ばれる為なら、自分の我儘を、押し殺している。物事の表面に捉われている。)
娘は、お母さんの為を思って、頑張っているが、お母さんには、伝わらない。
私などは、小さい頃、あまり、器用でもないし、学校の成績も、良くなかったので、
それでも、いいよと言ってくれている母親に、愛されている事を充分に感じた。
これが、もし、優秀な子と言われる子供だったら、
何かが出来ることでしか、自分には、価値がないという価値観をつくりあげたかもしれない。
一時期、患者さんや、友達に、親に、どういう怒られかたをしたか、聞いていた。
お家に、よって様々な怒りかた、叱りかたがあるのが、分かった。
家の母親に怒られて記憶に、あるのは、小学校の低学年の時、小学校まで、ぶっとばすよ!(小学校まで、200メートル)と言われ、
いつも、優しい母親が、その大きな腕で、そういう事を言うのだから、身体は、粉々になると思い、本当に怖かった。
母性は、子を持ったから、出るのか?本来出るものが、今まで生きてきた中で、作り上げられた観念に、よってそれが、歪むのか?
湊さんは、最後に、こう書いている。
『時は流れる。流れるからこそ、母への思いも変化する。
それでも愛を求めようとするのが娘であり、自分が求めたものを我が子に捧げたいと思う気持ちが、
母性なのではないだろうか。』
母親は、自分の持てる精一杯の愛情で、娘を育てる、娘は、育てられる中で、愛情を学び、やりきれなさを学ぶ、
娘は、母親に、なって、自分の受け取った愛情を、伝えようとし、
子供の時に、感じたやりきれない思いをさせないように、心を砕く。
なぜ、葛藤が起こるのか?
それは、母親、娘、それぞれ、感受性が違うからだと思う。
母親は、自分の分身の我が子と思っているかもしれない、ただ、その我が子である娘は、自分とは、感受性が違うのだ。
私は、思う。
例え、感受性が、違っても、母親の言っている意味が、分からなくても、(うるさいなと思っても。)
そこに、真剣に向き合ってくれている母親の姿が、あれば、愛を感じる事が出来ると思う。
かとうちあきさんの『野宿入門』という本を読んだ。
この本を読んで感じたのは、家があり、家族があり、社会で生活している。
普段、あまり意識していないが、物理的には、家というのに、守られて生活している。
うるさいかもしれないが、家族がいる事で、精神的に守られている。
ストレスにもなるが、社会にいる事で、自分の役割を感じる事が出来る。
もし、肩書きが無くなり、家族、友達も無くなり、家も無くなり、裸になった時、どの位の人が、頑張れるのだろうか?
日々、当たり前と思っている事に感謝できるようになると、世の中平和になるのだろうけれど。