所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
日曜日に、腱引き主催の大阪の浅井先生の治療法の講習会があった。
講習会の前に、身体の疲れを取る為に、スーパー銭湯に行った。
お風呂に、入っていると、身体を揺すられた。
話をしてみると、よく、お風呂で倒れる人がいるので、心配してくれたらしい。
昔から、スーパー銭湯に行っているが、話かけられる事は、まず、ない。
久しぶりに、外で、優しさを感じた。
いい気分のまま、講習会に向かった。
浅井先生の治療は、骨に圧力がかかると、電位が発生し、それによって、筋肉が硬くなったり、
神経にいくと、痺れたり、痛くなったり、するという事が前提となっている。
筋肉は、電圧が掛かると収縮する性質があるので、硬直や疼痛のある筋肉は、何処から発生している異常な電気で収縮しているのです。
この異常な電気を出している所が、関節面の異常だったり、骨に傷がある場所だったりするそうです。
この異常な電位を見つけ、電位を低下させる事が、治療になります。(触診が、出来ないとこの治療は、修得できないそうです。)
今回、浅井先生の治療にかける情熱を見て、治療っていいものだなと思いました。
徹底的に、追究する姿勢が、素晴らしいと思いました。
日曜日に、奥多摩にある高水三山に山登りに行った。
5時間の山登りだったが、半分くらいの所で、すでに、弱っていた。
最後は、電車に間に合う為に、必死になっていた。
とにかく、ボロボロになった山登りだった。
リーダーには、次までに、身体鍛えておけと言われ、確かに、身体は、鍛えておかなきゃと思った。
以前は、治療で、その治療技術で、治すという気持ちが、あり、そこには、強い気持ちがあった。
イメージとしては、症状を、技をもって、制すという部分が、あった。
今は、とにかく、どんな患者さん、どんな症状を持つに対しても、自分の持てる最高の対応をしている。(とにかく、馬鹿丁寧に、馬鹿丁寧に。)
そうすると、患者さんの感じが変わる。(柔らかい感じになる。)
同じ症状を持っていても、患者さんの背景(生き方)は、それぞれ、異なる。
これからは、症状を通しての、患者さんとの関わり方が、どんどん深くなるようになっていくだろう。
明日、久しぶりに山登りに行く。
今回の山登りは、リーダーと先輩の記念すべき100回目の山登りとなるので、
その山登りの1回目の高水三山に行く事になった。
久しぶりの山登り、どんな感じになるのだろう。
休みの日に、静岡の筋整流法の本部で、杉本錬堂先生の痛みを取るセミナーがあった。
なぜか、特定の場所を2回、シュ、シュ、と切る動作で刺激を加えると、筋肉が、50パーセント緩む。
今回、このセミナーに参加して良いなと思ったのは、筋整流法の小口先生と錬堂先生が、
お互い高めあって融合していきましょうという話が、出たことだ。
どうしても、治療業界は、それぞれが自分の治療法に自信を持っていて、なかなか他の治療法の意見を聞く事が出来ないと思う。
一つの治療法で、全てに答える事が、出来るのならば、その治療法を修得すればいいと思う。
そうでなければ、Aという概念を持つ治療法が、Bという概念を持つ治療法を取り入れる事により、更に大きなCという概念を持つ治療法に
なってもいいし、Bという概念を持つ治療法が、Aという概念を持つ治療法を取り入れる事により、更に大きなDという概念を持つ治療法に
なってもいいと思う。
小口先生の徹底的に追及する姿勢と、錬堂先生の広い心が、交流し、お互い高めあい成長しましょうという気持ちになった思います。
錬堂先生に、先生の見方は、ぽっと、浮かんだ事をデーターとして、積み重ね、それをみんなに伝えて、
また、ぽっと、出たら、それをみんなに伝えているんですよね?と質問しました。
そうだと仰ってました。
更に、先生に、ぽっ、てどこから来てるんですか?と質問したら、
分からないと仰っていました。(たぶん、先生は分かっている気がします。この場で答えとみんなが混乱するから。)
錬堂先生に、普段心がけている事は、何ですか?と質問しました。
朝4時か5時に起きる。
肉は、食べない。
良く噛んで食べる。
上の2つは、現時点では、出来ない。
3つ目の良く噛んで食べるをやる事にした。
昔から、父親、山登りのリーダーから、言われていたが、なかなか出来なかった。
錬堂先生によると、食物が、胃に入ると、胃酸が出て食べ物を消化するが、
この胃酸が、強力な酸なので、胃に悪い。
それが、良く噛んで食べると、唾液が出て、これが、食物に混ざり、胃を守る成分となるらしい。
良く噛む事が、胃に負担をかけないというのが、いいなと思ったので、1口を、25回以上噛む事にした。
やってみると、今まで、5口も噛んでいなかったので、顎が疲れる。
食べる事で、疲れる事は、初めてだ。
いかに、噛んでいなかった事が、分かった。
業捨(ごうしゃ)という本を読んだ。
谷原先生の業捨というのは、業を取る事で、症状を取るというものです。
具体的には、右手の人差し指に、拇指をそえ、人差し指の腹と爪の間で、シャツの上からこする。
この時こすられる時の痛みが、激痛らしい。(刺青の3倍から5倍)
こすられた背中は、人によって、赤くなったり、どす黒くなったりする。
この本の中に、胃袋の丈夫差は、生まれもったもので、あるけれど、腹八分に、食べておく事も出来るし、
逆に暴飲暴食して、胃袋を壊す事も出来ます。と書いてあります。(私は、分目位食べています。)
生まれもった環境は、人それぞれ、あると思いますが、人生どう生きるかは、自分次第だと思います。
朝、整骨院で、ニッポン放送をかけていて、人生相談の中で、変えられるものは、変えましょう、変えられないものは、受け入れましょう。
といっている。
つい、キツイ時は、人の性にしたくなってしまう。
私も、昔、整骨院のグループに、勤めている時、家が、金持ちだったら、オーナーに、負けないのになと思った事が、あった。
今、思うと、その状況を、人の性にしていた。
今では、努力すれば、なんでも出来るというのが、分かり、力がつけば、力のある人と出会い、
そこで、また、自分の未熟さに、気づき、目標にし、努力をする。
よく、才能がある、ないとか、いう。
同じ事をやって、直ぐ出来る人となかなか出来ない人がいる。
私は、元々直ぐ出来るというタイプでは、ないが、自分の事を棚に上げて、恐ろしい程理想を高く持つ。
そうすると、同じ練習の仕方では、器用な人(その事に関して能力の高い人)に追いつけないが、
別のやり方で、能力をあげたりする事が出来る事が、分かった。
という事は、本来学習する事は、画一的な練習方法でなく、その人を見て、その人にあった練習方法を行うのが、いいんだろうと思う。
AでダメならB、BでダメならC、CでダメならD、DでダメならE、EでダメならF、とにかくうまくいくまでやってみる。
本の中で、「人はまず、心の中で、思った事を口に出し、そして行動にうつすというのが、自然です。
ですから、心の中で思っていることが、清ければ、言葉も良くなり、従って行動も善なるものになります。
けれど、心の中に邪悪なものがあれば、言葉も行動も悪に走ってしまう結果となるのは当然でしょう。」と書いてあり。
特に、思いが大事と言っています。
悪い事を思ってても、法律で、罪には、問われませんが、憎しみや、怒りといった悪感情を抱くと、それが、心の奥に残る気がします。
悪感情が、起こるのは、自分の中にある、物の見方、考え方にあると思います。
悪い奴とか、嫌な奴とかは、普通、自分なら、そんな事しない、自分とは、全く逆と思う人も、多いでしょうが、
そもそも、悪いとか、嫌な感情が、分かるのは、自分の奥底に、同じものを持つからだと思います。
とすると、悪いあいつ、嫌なあいつは、自分と同じタイプ。(いい人、素敵な人も、同じタイプ。)
自分が、悪い奴、嫌な奴に、反応するように、相手も、自分の中にある悪い部分、嫌な部分に反応していると思います。
自分が、悪い奴、嫌な奴と思う人が、ある人には、素直でいい感じに、話をしているのを見ると、
(昔は、こいつは、悪い奴ですから、騙されないで下さいと思っていました。)
悪い奴、嫌な奴と思っている人は、ある人のいい部分に、反応しているのだと思います。
だから、自分の成長を見るには、悪い奴、嫌な奴と思っていた人と接して、快適な時間が送れるかだと思います。
世の中の葛藤の多くは、本当は、周りでなくて、自分自身が、つくっているのに、気づき、一つ、一つ、自分の奥底の考え方が分かると、
人生が楽だと思います。(そんな事は、言っていても、毎朝の豆大福は、止められません!)
毎日、毎日、なんとなく生きるのも、前のめりで、燃え尽きるように生きるのも、全て、自分次第だと思います。
とりあえず、全ての価値観を持てるように、一歩、一歩進んでいきます。
ゴールデンウィークを、家族で、山登りに行ったり、友達とスーパー銭湯に、行ったりして、のんびり過ごした。
今週、仕事をしながら、考えた事は、
私の今までの思考の整理だった。
①今まで、治療の仕事をしていて、保険を中心で、行っていた時、
手強い症状だと、普通に、揉んだり、解したり、動かしたりしても、症状が改善しない事があった。
かといって、その保険の範囲内で、その人だけ、特別に何倍もやると、システムが、壊れる。
(みんなが、10分なのに、その人だけ、60分。明らかに不公平感が、漂う。)
症状を分割して、少しづつ取るという考え方と、手技があればよかったのだが。
そんな時は、休みの日に、来てもらって、長いと、3時間ぐらい、期間で半年ぐらいやったりした。
(同じ手技で、同じ場所をやる場合は、1時間以上やっても、それ以降の改善度は、高くなかった。)
この時の私の気持ちは、とにかく今持てる力、全てで、患者さんをなんとかしてあげようと思っていた。(自己満足の世界だが。)
②次に、この状況を第三者の立場で見た時、
私は、患者さんにとっては、症状が、軽くなるのは、嬉しい事だろうが、この先生は、休みを返上して、凄く頑張っているなと思い、
ここに、不公平感を感じた。先生が上でも、患者さんが上でもなく、平等な関係がいいと思った。
そこからは、私自身の納得のある上での、患者さんとの関わりとなった。
力のある人が、難なく出来る事が、力のない人は、無理しなければいけない。(その差は、努力の差だと思う。)
③更に、考えたのは、
一般的に、自分と相手が、いた時に、自分中心の人は、身勝手と言われ、悪く思われる。
逆に、自分と相手が、いた時に、自分の身を棄てて、相手の為に頑張ると素晴らしいと思われる。
でも、どちらも、バランスを欠いている気がする。
④更に、更に、考えたのは、
第三者として、見た時にも、2つあって、
その見方が、自分と相手と同じ目線で、考えると、そこに、損得が、発生する。(自分が得した、損した、相手が得した、損した。)
もう1つの見方は、全体として、見る。(全体が、うまくいくには、どうすれば、いいか?を考える)
困っているから、助ける。
今、相手が、困っているから、助ける。(自分の出来る範囲で、そうしないと自分が困ってしまう。出来ない事は、他の人に助けてもらおう。)
今、自分が困っているから、助けてもらう。(相手の出来る範囲で、そうしないと相手が困ってしまう。出来ない事は、他の人に助けてもらおう。)
自分の責任を果たし、それでも、ダメな時は、周りが助けてくれるそんな社会がいいなと思います。
⑤自分自身の課題。
患者さんに対する一生懸命な気持ちと同じぐらい自分を大事にする。
今は、自分を棄ててもという気持ちは、患者さんの為といういう思いが強いが、
一方、自分に対しては、粗末に扱っている。
もっと、自分を患者さんと同じくらい大切に思えるといいのだが、そこが、課題。
ニック・ブイチチさんの本『 それでも僕の人生は「希望」でいっぱい』を読んだ。
彼は、生まれつき両手両足がない。
この本を読んで、思ったのは、人生を終える時、精一杯やって満足と思えるのか、あの時、ああすれば良かったと後悔するのか?
ただ、普段の生活では、状況に、よっては、妥協したり、ミスしたりして生活したりしている。
「人の心が満たされるのは、自分の能力や情熱を最大限に発揮出来ている時」とニックさんは、仰っている。
「自分が苦しみを抱えているときは他の人の苦しみを和らげ、希望を抱けるようにしてあげましょう。
その人を支え、苦しんでいるのは自分だけではないと気づかせてあげるのです。
自分が苦しみを理解してもらいたい時は人の苦しみを理解し、友達が欲しいときは自分が誰かの友達になりましょう。
心から希望が欲しいと感じている時には、人に希望を与えていることです。」とも仰っている。
自分がしてもらいたい事を相手にする事で、それが、相手に伝わった時、喜ばれ、それによって自分が癒されると思う。
与える事で、与えられるんだと思う。
「あるものに感謝し、誰かの為に行動し、人の痛みに、共感し、他人も、自分も許してみる」と仰っている。
人は、なかなか自分というものを理解していない。
自分の内面を自分自身だけで分かるのは、難しい。
だから、相手を理解する事で、自分を理解する。
自分の気持ちと、相手の気持ちという対象物が、あった方が、気づく事が出来ると思う。
いろんな葛藤は気づくチャンスで、成長に繋がる。(心に余裕が無いとこういう風にも、思えませんが。)
「人生でもっとも大切なのは、生かされている目的に目覚めることです!」と仰っています。
人生の目的が、今、分からない人は、必死にもがいてみると何か分かると思います。(必死でやれば、自分に納得できます。)
ただ、ニック・ブイチチさんに、比べると、頑張りは、半分くらいかなと思います。
まだまだ、甘い私ではありますが、後悔の無い人生を送るように、全力で、生きたいと思います。
日曜日に、谷川岳に山登りに、行った。
天候は、快晴で、登りは、順調だった。
降りは、こども用そりで、滑って立ったら、両方の太腿(内側広筋)が、つった。(痛い、痛い)
そこから、降りるのに、ビビリが、入り、一歩、一歩が、怖かった。
降りの、当初の予定より、1時間30分くらい遅れてしまった。(みんなの足を引っ張ってしまった。)
今回の反省、トレーニングをしっかりやる、雪山では、いいアイゼンを買う。
後は、滑落の恐怖といかに向き合うかが、課題としてある。(なんで、こんなに怖いのだろう。)
本当に、久しぶりに、ボロボロになった。
次回の、みんなで、行く山登り6月までに、鍛えておこう。