所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
日曜日に、浅間山の近くの黒斑山(くろふやま)-標高2400メートルに山登りに行ってきました。
氷点下20度、そこは、バナナで釘が打てる世界。(昔、CMでやっていました。)
寒いというよりは、痛いという感じ。
頂上で、ご飯の時、グローブを外し、下の薄い手袋で、お握りを食べたりした。
その後、動いていないので、身体は、寒く、
とにかく、手、手、手が、痛い、ズキズキする、
ヤバイ! 手が、死んじゃう!
手を振ったり、木に手を当てたりするが、痛い!
そのまま、下山して、必死に歩いていると、手の痛みは、無くなった。(うーん、対処法を考えないといけないなと思う。)
今回も、リーダー、先輩、山女子の二人、の5人の登山だった。
みんな、体力がある。
昔は、山登りの最終目標は、修験道の大峯山という所に登れればいいなと思っていたので、その為には、体力と高所恐怖症を
クリアしなければ、と、思っていた。
今では、山登りは、ただ、山に行って、山を感じれれば、幸せなので、まあ、とりあえず、山なら何でも、いいとう心持ちになっている。
今回、ふと、思ったのは、山登りの先輩方は、普段、トレーニングをして鍛えている。
(2人とも、腹筋が割れている。私のは、3段に割れたのが、合体して1つなっている。)
そんな2人と一緒に、山登りをして、よく、影響を受けないか、不思議だった。
いつも、リーダーには、松岡!スクワット、やったか!と鬼の形相で言われる。
やっていないと、むにゃ、むにゃ、とか、伏し目がちになる。(子供か!)
スクワットやらなきゃいけないなと反省し、また、日々の生活が、始まると、そのまま流されて、スクワットをしないで過ごしてしまう。
山登りを月に1回、行けると、日常生活で、体力的にきついという事は、ない。
しかし、スクワットをしないと山で地獄をみる。
ある時、山登りのブログで、危険な所に、挑む人、逃げる人、挑戦しない人というのを、
いろんな考えが、あっていいんじゃないかと書いた。
すると、普段、温厚な先輩が、コメントを入れてくれて、
そこには、「 山登りする男は、それでは、ダメだ、人生は、常に危険と隣合わせだから!」
と書かれていた。
それを、読んで、この先輩方と一緒に山登りするには、身体位鍛えていないと、ヤバイと思った。
次の日から、1日、100回やるようにした。
1回の山登りの度に、100回づつ増やし、富士山の時は、1日1000回になっていた。
ただ、この時は、回数ばかりに拘ったので、重心が、狂って、バランスが悪くなってしまった。
車の中で、こんな話をしていると、山女子の方は、スクワット、50回とかやっているという話をしていた。
じゃあ、55回やりますよと言った。(一昨日、55回、昨日、60回、今日、60回)
この話の前に、リーダーと、人生自分の思う通りに生きないとダメですよねという話をして、
いろんなしがらみで、文句言って生きているのは、本当の自分を生きていないじゃないかと言ったら、
リーダーは、自分の思い通りに生きているじゃんと言った。
私の好きな番組で、人生の楽園という番組があり(普段は、仕事中で、観られないが。)
その中に、出演される方が、大病をして、仕事人間が、田舎に引越して、家族が大事な事に気づく。
人は、本当の、危機になると、そこで、始めて本音を出す人がいる。
それならば、普段から、本音を言える人間関係を築く事が出来れば、お互いストレスが無いと思う。
だから、妥協とか、我慢は、その人の本来の生き方じゃないかと思っている。
ここで、リーダーと私の思っている自分の視点が、違っていた。
私の視点の自分は、個人としての自分(自我)が、思い通りに生きるのが、いいと思っている。
リーダーの視点の自分は、家族の一員の中の自分が、思い通りに生きるのが、いいと思っている。
例えば、お父さん、お母さん、子供という3人家族がいたとする。
お父さんは、本当は、1人で、のんびりしたい。
お母さんは、買い物に連れてってもらいたい。
子供は、おもちゃを買ってもらいたい。
この時、お父さんの意見だけを通すと、お母さん、子供に不満が残る。
この時、お父さんが、ゆっくりしたいなと思いつつも、家族の為という視点で、お母さんには、買い物、子供には、おもちゃ
という行動をとるとする。
これが、お父さん(自我)は、不満があったのだが、家族という視点の自分に立つと、家族の為だから、しょうがないなと納得している。
これが、リーダーのいう自分の思い通り。
自分(自我)がその状況を許している。
だから、今の状況があるという事は、ある意味、自分自身がそれをつくりだしている。
だから、自分の思い通り。
ただ、いつも、お父さんが、お母さん、子供の意見ばかり、聞いてそれに幸せを感じれるタイプならよいが、
不満を溜め過ぎるといつか、爆発する。
だから、家族という集団を、うまく、運営しようと思うのなら、
お父さんという自我の許容範囲、お母さんという自我の許容範囲、子供という自我の許容範囲を分かろうとして、
コミュニーケーションをとるのが、いいと思う。
表面的な、コミュニーケーションでは、相手に必要以上に遠慮して、不満が残ったり、自我の強い相手に、我慢して、不満が残ったりする。
人間は、常に、いろんな人に、出合ったり、いろんな出来事に、遭遇したりして、変化している。
目の前にいるその人は、自分の思っているその人とは、違っているかもしれない、
だから、人と話す時は、真剣に向き合わないとその人の本当の心の部分が、分からない。
そうやって生きていると、世の中に不要なものは、無いという事が、実感できるのかな思う。
今の自分が形成されたのは、両親、兄弟、友達、好きな人、嫌いな人、いい事、悪い事、人生の全てと
考える事が出来れば、何か、1つが足りないだけで、今の自分とは、違う自分になっているだろう。
そういう心持ちが、持てると、全てが愛おしくなり、全てに感謝する事が出来のだろうと思う。(まだまだ、出来ていないが。)
これらを、踏まえて、山登りは、私以外鍛えている人が4人なので、スクワットの回数を少しづつ、増やしていこうと思う。
今回、勉強になったのは、リーダーの言っていた自分の思い通りという言葉。
つい、みんな自分(自我)の思い通りにならないと、不満を抱くが、
家庭において、会社において、社会において、今の自分の状況があるのは、そういう状況を許している自分がいて、
その方が、家庭にとって、会社にとって、社会にとって、いいと思っている自分がいる事に気づけば
心が楽になるのかなと思う。
流石!リーダー!日本1!(ここで、よいしょしないで、どこで、する)
これからも、山登りを一緒に登って下さるみなさま!松ちゃんは、大器晩成型なので、(90歳位で、たぶん、しっかりする気がする。)
ひとつ、長い目で、みてやってくださいませ。
年末から、今年にかけて、個人用のパソコンのインターネットが、なかなか繋がらない。
トントンクリックしたり、祈ったりして、たまに繋がったり、何週間も繋がらなかったりしている。(今だに、原因は、分からない。)
久しぶりに繋がったので、ブログが更新出来た。
「溶ける」という井川さんの本を読んだ。
大王製紙の創業家三代目で、カジノで、106億8000万円を負けて有名になった人だ。
どういう気持ちで、このような状況になったか、興味があった。
裕福な家庭で、生まれて、何不自由なく育ち、我儘放題で、ギャンブルに狂ってしまった。
マスコミの報道を、見ていると、そういう印象を受けたが、本を読んでみると、違った。
本人が、暴君と呼ぶ厳しい父親の元で、徹底して、鍛えられていた。
父親の良い面を吸収し、結果に凄いこだわりを持ち、抽象的な事は、嫌い、具体的な行動に、重きを置いていた。
このやり方で、会社を、うまく導いて頑張っていた。
一方、ギャンブルで、病的賭博という言葉があり、これに、該当するらしい。
大きな金額を、かけないと快感が得られないらしい。(そのドキドキ感が、興奮するらしい。)
会社を背負っている、そのプレッシャーの捌け口のギャンブルかというとそうでは、ないらしい。
本人、曰く、ギャンブルが好きだそうだ。
私が、思うに、どんなに大変な状況であっても、仕事に関しては、本人なりの分析と行動で、上手く出来てしまう。
そんな時に、バカラという運の要素が、大きいギャンブルに出会った。
本人の文章によると、
カジノのテーブルについた瞬間、私の脳内には、アドレナリンとドーパミンが噴出する。
勝ったときの高揚感もさることながら、負けたときの悔しさと、次の瞬間に湧き立って来る「次は勝ってやる」
という闘争心がまた妙な快楽を生む。
だから、勝っても、負けてもやめられないのだ。
地獄の釜の蓋が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦がれるような感覚がたまらない。
このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う。
と書かれている。
ギャンブルによって、彼は、初めて、心が解放されたのでは、ないかと思う。
現在、借金は、完済され、4年間の実刑の後、刑務所から、出てくるらしい。
文章の最後にこう書かれている。
一番信用できないのは、自分ー106億8000万円の代償として私が得たものは、かくも悲しい事実のみだった。
今度、出てきた時は、自分が、本当に、本心から、喜べるものを、ビジネスにするんじゃないだろうかと思う。
好きと上手に出来る(上手くこなせる)は違う。
観念の奥底に、ある本当にしたい事に気づくけば、人生は、楽しくなる。
今年は、どんどん、動いて行こうと思う!(動けば、世界が変わる)
今年の目標の内、2つは、今月達成する。
日曜日に丹沢の鍋割山に山登りに行った。
今回は、山女子の方が、二人参加された。
いつもの男性だけの部活のような山登りではなく、何かいつもと違うなと感じながら(先輩達は、女性がいると違うじゃん。)こういう感じもいいなと思った。
山女子、二人の体力は、トレーニングお忘れ気味の私よりあって、みんながおしゃべりしながら、登って、丁度いいくらいだった。
頂上に着くと、名物の鍋焼きうどんが直ぐ食べられてラッキーだった。(結構待たないと、食べられないという話だった。)
全部で、7時間の山登りであったけれど、山女子の方に、お菓子を頂いたり、コーヒーを頂いたりして、あっという間に時間が経った。
山女子の方に、山の何処が好きですか?と聞いてみた。
自信、生かされている、感謝、自然、という言葉を話されたので、感性が近いなと思った。
最近、考えている私の接し方次第で、相手がどう受け取るかの山登りの一つの意味が分かった。
私自身が、緊張していれば、相手に緊張が伝わり、相手は心を開かない。
それが、繊細な相手程、出来るだけ、優しく、優しく接しないと、その人を恐がらせて心の声を潰してしまう。
山登りをすると、普段、私自身が、押さえ込んでいた気持ち(社会のルールに従わなきゃだめとか、いい人じゃないと嫌われちゃとか、)
更に、奥底にある私自身の持っているこうでなければならない(観念)が解放され、楽になるんだと思う。
山登りをしている時は、そういう観念に囚われていない。(日常生活に、戻ると囚われる)
だから、山登りは、いいんだろうと思う。
普段、みんな、みんなの心の中にある判断基準は、本当の心の基準なのか、周りの基準なのか、考えて見ると、心が楽になると思う。
週末にテレビで、福永騎手と渡辺棋士がお互いの仕事に関して語っていた。
渡辺棋士は、将棋の棋譜の研究に15時間かけたりして、準備を徹底的にやるようにしている。
福永騎手は、「努力している人は、努力していない人には、勝てるが、楽しんでいる人には、勝てない!」と話されていた。
30歳位の時、限界を感じて辞めようと思ったとも、話していた。
それが、限界は自分が、つくって気づいて今は、動作解析とかを取り入れている。
本人の持っていない知識を取り入れることにより、今までの限界を突破している。
腱引きの師匠に、先生は、どのような勉強をされているのですか?と聞いた事がある。
解剖学の本を見て、3Dにイメージ化し、今日の治療の手順をもう一度振り返り、手数を少なくするには、どうすればいいか考える。
この話を聞いた時、流石、師匠だと思った。
それは、苦でなく、楽しいらしい。
腱引きの最高顧問の先生は、ずっと武術をされてきた方で、夢の中まで闘っていると奥さんが、話されていた。
この話を聞いた時も、凄いと思った。
努力と聞くと、一般的に苦労してとか、きついとか、頑張らなきゃというイメージがあるかもしれない。
私の苦手のものとか、私から見てなかなか出来ないものが出きる人を見ると、努力して凄いと感じるのだと思う。
これが、みんな好きな事だと何時間でも出来ると思う。(好きにもいろんなレベルがある。)
たまたま好きな事が仕事だと頑張りやすい。
ただ、実際仕事の場合、要求されるレベルは、職場によって様々だ。
その人なりに、全力でやっていて、その2倍要求されるのは、きつい。
(私の場合、5倍要求され、あるのは、怒りと〇意。その時は、気配まで分かるようになった。心の平和が一番です。)
仕事は、その職種、その職場のやり方があると思うが、それが、本人と合っていればよいが、違うときつい。
Aのやり方では、うまく出来ないが、Bのやり方でうまく、いくなら、Bでやればいいと思う。(本人に合った方法を見つける。)
ただ、どうしても、Aのやり方でやらなきゃいけない時は、一つ、一つ、意味を、素直に聞いて行う。
昔、ホットパックを、肩と腰に置くという事が、出来ない先生がいた。(17回目で、やっと出来た。)
小学生でも、出きるのに、なぜ、この大卒の先生が、出来ないか、悩んだ。
普通、普通の人は、右手は、右手と認識するのに、この先生の認識が、左手とか、違う事になっているのか、いろいろ考えた。
結局、分かったのは、話をしている時に、自分の考えの方に意識がいってしまい、言われた事を聞いていなかっただけであった。
ポイントは、素直に、人の話を聞けば、いいだけの話だった。
言われた通りに、頑張っていると、少しづつ出来るようになる。(出来ない場合は、教え方が悪い場合もある。)
苦しいかもしれないが、少しづつ出来ようになると、少し自信がつく、そうすると、心に少し余裕が出て周りが、少し見えるようになる。
そうやって、段々と努力を重ねていくと、結果が出て、どんどん自信がつく、心に余裕が出てくると、楽しむ事が出来るようになる。
(自信がつき過ぎると、天狗になるので、注意!上には、上がいる。)
世の中には、やり方は、たくさんあると思う。
昔、行った、経営セミナーの経営コンサルタントの人の考え方、異業種のやり方を取り入れる。(ただ、他の業界のやり方を持ち込んだだけ。)
その業界、業界で、漠然と行われている仕事の仕方があるからだ。(思考が停止してるとも、いえる。)
腱引きの師匠が、諦めずにやり続けていれば、いつか出来るように、なると話されていた。
この言葉に、不器用な私は、多いに救われてた。
今日、遠方から来られた患者さんと話した時の事。
料理人の方で、昔、「味をつけるのではなく味を迎え入れる」という言葉を教わったらしい。
この意味は、自分のテクニックを押し付けて、味をつくるのではなく、素材本来の力を引き出された味という事らしい。
この方自身、料理を追究されてきているので、話される事は、中々奥深い。
治療でも、テクニックをただ、患者さんに当て嵌めるのと、身体の変化、心の変化を見て、行うのでは、結果が違う。
患者さんが緊張している状態より、リラックスした状態の方が、治療効果が一般的に効果が高い。
(武術では、一度緊張させて、その後、緩ませるやり方もある。)
最近、思う事の一つは、どれだけ、徹底して、馬鹿丁寧に優しく接する事ができるか?
優しい人には、優しく接しても、大丈夫だろうが、馬鹿丁寧に優しく接する。
普通の感じの人には、普通に接しても、大丈夫だろうが、馬鹿丁寧に優しく接する。
横柄な人には、横柄に接しても、大丈夫だろうが、馬鹿丁寧に優しく接する。
元々、優しい人は、好きなので、これは、出来る。
普通の人、これも、出来る。
横柄な人と接する時、最初の頃は、心の中で、イラッとする感情が少し出て、その感情が少しすると、収まる感じだった。(まだまだ未熟です。)
これを、やり続けていると、イラッとする感情が無くなる。
山登りをしている時、確かに、キツイのだが、没頭しているとそれを、感じ無くなる。
同じように、馬鹿丁寧に接する事だけ、専心していると、イラッとする感情が出なくなった。
これを、行って良かった点は、新患の患者さんと、最初から、打ち解けた感じになって、本当に言いたい事を話してくれる事。
行っている私も、今まで以上に、心穏やかな感じになっている。
人と接する仕事で、大事なのは、どれだけお互いの気持ちが、通じ合うかどうかだと思う。
みんなそれぞれの人生で、創り上げた世界観(価値観)で生きている。(だから、分かり合うのは、難しい)
そこで、大事なのは、どれだけその人の世界観を理解するか。
その為に、どれだけ話し易い気持ちになってもらえるか。
自分の気持ちをうまく伝えられる人は、問題ない。
我がままな人は、自己主張が強いので、問題ない。
問題は、繊細な人で、本当は、いろいろ言いたい事があるのに、恐くて言えない人。
どれだけ、その人の心に寄り添えるか。
力にも、いろいろあると思うが、戦闘力、権力、精神力。
私の中にある、葛藤を見つけ、みんなの気持ちを受け入れる力をどんどん広げたいと思う。
おまけ、昨日の夜、チョコバットが当たり、今朝、77、11、8888、77、ナンバーの車4台を見た。
土曜日に、南行徳で近くの整形外科の先生の主催するボランティアコンサートが、行われた。
土曜日は、祝日で、1時まで受付だったので、土曜日に来られる方には、予め、コンサートのお手伝いがあるので、
その旨を伝えた結果、1時で、パッと終わる事が出来た。
今回のコンサートで、一番、嬉しかった事は、院長先生が、整骨業界は、今、大変な時代なんですと話をした時に、
院長先生が、松岡整骨院の力になると話された事でした。
今でも、骨折や、西洋医学の方が、患者さんにとって治りが、早い時は、お願いしております。
本当に、院長先生の一言が、あるだけで、これからも、思いっきり頑張れそうです。
有り難い事です。
身体は、重く、疲れが溜まっていたが、好きな山登りなので、朝3時30起きでも大丈夫だった。
岩殿山の山頂までは、急な登りになっていたが、直ぐ山頂に着いた。
私的には、これで、大丈夫なのだが、ここから、稚児落しという所まで行くとの事だった。
稚児落しという看板は、出るのだが、なかなか着かない。(遠い、遠い)
稚児落しに行くまでには、鎖場が何ヶ所もあったり、とにかく、昇っては、下ったりの繰り返しで、なかなかハードだった。
今回、高い所は、苦手なのだが、丹田に力を入れると、恐さが無くなる事が、分かった。
山登りで、楽しいのは、山登り自体も、楽しいのだが、車中のおしゃべりも楽しい。
山登りを昔から、仲間と一緒にやっていて、実生活では、大変な時もあったが、この山登りが、あってこそ頑張れた所が、たくさんある。
リーダーや、先輩は、私のダメな所や、かっこ悪い所をたくさん知っていると思うが、この山登りで、そういう部分を出せているので、
日常生活が、快適に送れていると思う。
自分を飾らず、本音で話せる仲間がいる事は、幸せだと思う。