所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
日曜日に、新国立劇場で、SENPOという舞台を観てきた。
この舞台は、第二次世界大戦中に、リトアニアの領事の杉原千畝さんが、ヒトラーの迫害から逃れてきたユダヤ人達に、
命をかけて日本の通過ビザを発給した時の事を題材にしています。
SENPOというのは、千畝(ちうね)の発音が、難しいかった為の呼ばせていた名称です。
この舞台を観て、思った事は、助かりたいという気持ちと国の命令と人としての倫理の葛藤。
ユダヤの人は、とにかく、助かりたい。(死にたくない。)
SENPOは、ユダヤの人を助けると自分の命がないかもしれない。(処刑されるかもしれない。)
この命は、どちらも同じ命です。(どっちが重く、どっちが軽いは、ないと思います。)
この時のSENPOの判断は、相手や自分という損得という所から離れて内面の奥底(信念)からだったと思います。
だから、ぶれない!
この平和な今の日本で、どれ位SENPOの気持ちに共感できるかが、日々の生きる力になると思います。
いやあ、感動した舞台だった!でも、また、休み明け、仕事か。(憂鬱だな。)
いやあ、感動した舞台だった!仕事は、きついけど、SENPOに比べるとたいしたきつさじゃないな、頑張っていこう!
経験は、自信になり、頑張れるの原動力になります。
共感力が、あると、人の体験を自分として感じられ、頑張れるの原動力になると思います。
人に関心を持ってどんどん自分の枠を外していくと、どんどん心が、楽になっていくと思います。
月曜日に、午前中の仕事が終わって、荻窪のなごみの湯に行った。
そこで、体力を回復して、夕方から、中野のごっつハンドに行った。
ここで、元小結の三杉里さんが、四股を教えてくれるということになっていた。
昔から、足腰には、スクワットか、四股だと思っていた。
四股は、恐ろしくきついので、これが、出来れば、足腰が、磐石になると思っていた。
四股に対する憧れがある一方、恐ろしくきついというのが、あったので、しごかれて泣いちゃうのかなとも思ったりした。
大人になっていろいろ社会で揉まれてくると、なかなか泣く事がなくなって、しごかれるのも、いい経験かなと覚悟を決めお店に入りました。
するとそこには、にこっとした三杉里さんが、おられました。(たぶんいい人だろう。)
実際の四股の練習は、3人の参加者がいたのですが、それぞれの体力に合わせ、その人を見て、指導して頂きました。
よく、武道とか、武術で、丹田を意識すると言われる事が、多いのですが、今まで、よく分かっていませんでした。
それを、三杉里さんの相撲時代の経験と丹田が結びついた話をされて、更に、丹田に力が入っている状態と入っていない状態を
実際に見せて、その違いが分かるようにしてくれました。
私達は、三杉里さんが、苦労して手に入れたものを、教えて頂いたので、本当に有難いです。
四股をしている時、思い出したのは、中学時代のバスケ部の空気椅子です。
足がプルプルして、いる所に、先輩が、腕にボールを乗っけるんです。(竹刀持っているんで、怖いんです。)
きつさは、その時と同じくらいでも、三杉里さんが、疲れたら、休んでと言ってくれるんで、安心しているんです。
だから、もう少し、頑張ろうと思うのです。
せっかく、一生懸命教えて頂いているので、期待に応えたいと思って頑張ってしまうのです。
人間の能力を伸ばす方法は、恐怖で、脅してという方法と、愛情を持って、接して、それが、伝わる方法があると思います。
頑張らなきゃいけない状況と、頑張りたい状況。
三杉里さんの素晴らしいところは、決して強制しないところと、その人の限界を見極めているところ。(この見極めが、ないと怪我します。)
相当な苦労と努力をされてきていらっしゃる分、優しいのかなと思います。
武道、武術、格闘技、スポーツをされる方、三杉里さんの四股、お勧めです!
ありがとうございました。
昨日、知り合いの先生と話をした。
その時出た話が、正当性を主張しない。
争わない。
そうすると、融合が起きる。
昔、整骨院のグループに勤めている時、友人が、スタッフとして、入ってきた。
彼とは、性格的には、正反対だと思うが、非常に馬が合った。
昔から、困った時には、助けてもらっていた。
友人として、非常に信用していた。
スタッフで、安心して任せられる先生が、辞める事に、なったので、これは、大変だなと思っていた。
そんな時、友人が、入ってくれる事になったので、これで、大丈夫だと思った。
いざ、仕事をしてみると、マイペースで、指示に対して、100パーセントで答えてくれない。
これが、友人の時は、個性かなで許せるのだけれど、仕事となると、精一杯やってもらわないと困る。
私の中の精一杯は、その人の個々の能力は、差があるので、その人なりの精一杯があれば、いいと思っている。
精一杯やると人は、成長すると思っている。
後で聞くと、この時の彼は、昔ののんびりしていた私を見ていたので、もっと楽かなと思ったのに、ハードなので、
話が違うと思ったらしい。(困っているから、力になったのに、話違うじゃん!)
私は、私で、院長の言葉は、絶対と思っているところに、それを、100パーセント徹底出来ないところが、
手を抜いている気がして、非常に心の中で、葛藤が、あった。
同じ信頼している友人でも、仕事となると、違うんだなと思った。
これが、院のルール(正当性)と思ってやっていた気がする。
正当性を主張する事は、自分の人生の積み重ねを主張する事だと思う。
そして、私の気持ちを分かってもらいたい。
出来れば、同意してもらいたい。
だから、否定されると、自分の人生を否定された気持ちになって、衝突が起こる。(お互い譲れない!)
例えば、ご飯とパンが、ある。
この時、Aさんは、ご飯とパンの両方が好き。
Bさんは、ご飯とパンの両方が、嫌い。
Cさんは、ご飯は、好き、パンは嫌い。
Dさんは、ご飯は、嫌い、パンは嫌い。
この時、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんを否定する人は、いないと思う。(小さい頃は、好き嫌いなく、食べようと言われるけど。)
これは、嗜好(好み)なので、みんな分かり合え易いのでは、ないだろうか?
とすると、正当性も、同じように、みんなそれぞれ、生き方が違うので、
いろんな好みがあると、受け入れる事が出来れば、衝突がなくなるのでは、ないだろうか。
私は、あなたと感覚(好み)は、違うけれど、あなたの事は好きだよが、伝われば、世の中平和になるかなと思います。
今、出来る事は、お互い見えなかった世界を、繋げて、そこに、気づいたら、好きになるなとか、
そこまで、気づかなかったので、嫌いにならなかったとか、少しづつ、お互いの世界を広げていけると、いいなと思います。
出きる範囲で少しづつ、少しづつ。
昨日は、知り合いの先生と、どちらの慈愛が、大きいか、慈愛勝負をして、遊んでいました。(最後は、なぜか、回っていました。)
日曜日に、昔、患者さんで来られていた方のお店(京食堂Kubo)へ親友と行った。
この方が、初めて整骨院に来られた時の印象を覚えている。
にこにこしているのだが、目が笑っていなかった。
そこで、若い先生に気をつけるようにと、指示した。
心の中で、何ものかなと思って接した。(只者じゃないなと思った。そそうのないように気をつけた。)
話をしてみると、日本料理の方で、相当な修業を積まれ、この方は、実力あるんだろうなと思った。
来院されるようになって、年も近い事もあっていろいろ話をした。(昔の話も覚えてくれていた。)
その頃、頂いた本が、すきやばし次郎さんの事が書いてある本だった。
以前勤めていた時に、仲間の先生とこの方のお店へ行った。
その時、初めて、食べる事で、感動した。(うまいという事は、よくあるが、感動は初めて!)
料理の技術と、目配り、気配り、が、凄いと思った。
この時、この方が言った、「喜んでもらえて、お金も貰えて、こんないい仕事はない!」という言葉が印象に残っている。
この言葉が、言えるのは、徹底的に仕事を追究し、お客さんを満足させる事が出来なければ言えない言葉だと思った。
仕事は、こういう感じでしたいものである。
お会計の時、二人で、4万円ぐらいは軽くいくかなっと思った。
そうすると、「お二人、5千円ずつでいいですよ。」
と言われ、恐縮しつつ、ごちそうになった。
この時、いつか、自腹で、この方のお店に行きたいと思った。
10年ぶり、お会いして、普段食べられない、はも、まつたけ、ふかひれ、毛蟹を食べた。
普段、お酒は、飲まないので、ビール2杯でいい気分になった。
「先生、瞬殺ですね。」と言われたらしい。
いい気分だったので、普段、心がけている一口25噛みは、やらず、バクバク食べていた。
毛蟹は、おかわりまで、した。
おもいっきり満腹になって、後は、ご夫婦の仲むつまじいショットとお願いしたら、奥様が、遠慮されたので、
大将とのツーショットになった。
お店の隅々まで、神経の行き届いた感じとお料理は、最高だった。
久保さん、また、行きますので、よろしくお願いします。
住職から、五感を大切にという事を学んだ。
見る!
住職は、銀色の龍の置物、金色の建物の置物、白蛇の置物を指で指して、
これ見て、これ見て、これ見てと仰る。
ただ見る!
この時、龍を思い浮かべながら、建物を見たりはしないし、建物を思いながら、白蛇を見たりしない。
これは、その通り、分かる。
次に、住職は、赤ちゃんが、生まれて、直ぐに、生まれたのが、分かったわけでないと、仰る。
確かに、赤ちゃんは、生まれて、直ぐに、状況を理解したのでなく、周りの人の助けを借りて、
ひとつ、ひとつ、これは、何と認識していったのだろう。
見るという行為、ひとつに、その人の今までの人生が含まれている。(その人の人生経験を元にした見方になる。)
だから、同じ物を見ても、二人の人が、いたら、それぞれ、受け取りかたが違う。
これが、人と人のなかなか分かりあえない原因のひとつだろう。
ある物を見る時、そこには、自分の思いを、もって、見ているみている。
ある物、その物でなく、自分なりに、見ている。
ある物を、歪んで見ているとも、いえるし、そのある物に意味付けしている(創造)とも、いえる。
ただ、見る!
あるがままに、見る!
これが、出きるようになると、森羅万象とひとつになるそうです。
せっかくの人生、自分の思うまま、生きたいですね。
日曜日に、腱引き主催の大阪の浅井先生の治療法の講習会があった。
講習会の前に、身体の疲れを取る為に、スーパー銭湯に行った。
お風呂に、入っていると、身体を揺すられた。
話をしてみると、よく、お風呂で倒れる人がいるので、心配してくれたらしい。
昔から、スーパー銭湯に行っているが、話かけられる事は、まず、ない。
久しぶりに、外で、優しさを感じた。
いい気分のまま、講習会に向かった。
浅井先生の治療は、骨に圧力がかかると、電位が発生し、それによって、筋肉が硬くなったり、
神経にいくと、痺れたり、痛くなったり、するという事が前提となっている。
筋肉は、電圧が掛かると収縮する性質があるので、硬直や疼痛のある筋肉は、何処から発生している異常な電気で収縮しているのです。
この異常な電気を出している所が、関節面の異常だったり、骨に傷がある場所だったりするそうです。
この異常な電位を見つけ、電位を低下させる事が、治療になります。(触診が、出来ないとこの治療は、修得できないそうです。)
今回、浅井先生の治療にかける情熱を見て、治療っていいものだなと思いました。
徹底的に、追究する姿勢が、素晴らしいと思いました。
日曜日に、奥多摩にある高水三山に山登りに行った。
5時間の山登りだったが、半分くらいの所で、すでに、弱っていた。
最後は、電車に間に合う為に、必死になっていた。
とにかく、ボロボロになった山登りだった。
リーダーには、次までに、身体鍛えておけと言われ、確かに、身体は、鍛えておかなきゃと思った。
以前は、治療で、その治療技術で、治すという気持ちが、あり、そこには、強い気持ちがあった。
イメージとしては、症状を、技をもって、制すという部分が、あった。
今は、とにかく、どんな患者さん、どんな症状を持つに対しても、自分の持てる最高の対応をしている。(とにかく、馬鹿丁寧に、馬鹿丁寧に。)
そうすると、患者さんの感じが変わる。(柔らかい感じになる。)
同じ症状を持っていても、患者さんの背景(生き方)は、それぞれ、異なる。
これからは、症状を通しての、患者さんとの関わり方が、どんどん深くなるようになっていくだろう。
明日、久しぶりに山登りに行く。
今回の山登りは、リーダーと先輩の記念すべき100回目の山登りとなるので、
その山登りの1回目の高水三山に行く事になった。
久しぶりの山登り、どんな感じになるのだろう。
休みの日に、静岡の筋整流法の本部で、杉本錬堂先生の痛みを取るセミナーがあった。
なぜか、特定の場所を2回、シュ、シュ、と切る動作で刺激を加えると、筋肉が、50パーセント緩む。
今回、このセミナーに参加して良いなと思ったのは、筋整流法の小口先生と錬堂先生が、
お互い高めあって融合していきましょうという話が、出たことだ。
どうしても、治療業界は、それぞれが自分の治療法に自信を持っていて、なかなか他の治療法の意見を聞く事が出来ないと思う。
一つの治療法で、全てに答える事が、出来るのならば、その治療法を修得すればいいと思う。
そうでなければ、Aという概念を持つ治療法が、Bという概念を持つ治療法を取り入れる事により、更に大きなCという概念を持つ治療法に
なってもいいし、Bという概念を持つ治療法が、Aという概念を持つ治療法を取り入れる事により、更に大きなDという概念を持つ治療法に
なってもいいと思う。
小口先生の徹底的に追及する姿勢と、錬堂先生の広い心が、交流し、お互い高めあい成長しましょうという気持ちになった思います。
錬堂先生に、先生の見方は、ぽっと、浮かんだ事をデーターとして、積み重ね、それをみんなに伝えて、
また、ぽっと、出たら、それをみんなに伝えているんですよね?と質問しました。
そうだと仰ってました。
更に、先生に、ぽっ、てどこから来てるんですか?と質問したら、
分からないと仰っていました。(たぶん、先生は分かっている気がします。この場で答えとみんなが混乱するから。)
錬堂先生に、普段心がけている事は、何ですか?と質問しました。
朝4時か5時に起きる。
肉は、食べない。
良く噛んで食べる。
上の2つは、現時点では、出来ない。
3つ目の良く噛んで食べるをやる事にした。
昔から、父親、山登りのリーダーから、言われていたが、なかなか出来なかった。
錬堂先生によると、食物が、胃に入ると、胃酸が出て食べ物を消化するが、
この胃酸が、強力な酸なので、胃に悪い。
それが、良く噛んで食べると、唾液が出て、これが、食物に混ざり、胃を守る成分となるらしい。
良く噛む事が、胃に負担をかけないというのが、いいなと思ったので、1口を、25回以上噛む事にした。
やってみると、今まで、5口も噛んでいなかったので、顎が疲れる。
食べる事で、疲れる事は、初めてだ。
いかに、噛んでいなかった事が、分かった。
業捨(ごうしゃ)という本を読んだ。
谷原先生の業捨というのは、業を取る事で、症状を取るというものです。
具体的には、右手の人差し指に、拇指をそえ、人差し指の腹と爪の間で、シャツの上からこする。
この時こすられる時の痛みが、激痛らしい。(刺青の3倍から5倍)
こすられた背中は、人によって、赤くなったり、どす黒くなったりする。
この本の中に、胃袋の丈夫差は、生まれもったもので、あるけれど、腹八分に、食べておく事も出来るし、
逆に暴飲暴食して、胃袋を壊す事も出来ます。と書いてあります。(私は、分目位食べています。)
生まれもった環境は、人それぞれ、あると思いますが、人生どう生きるかは、自分次第だと思います。
朝、整骨院で、ニッポン放送をかけていて、人生相談の中で、変えられるものは、変えましょう、変えられないものは、受け入れましょう。
といっている。
つい、キツイ時は、人の性にしたくなってしまう。
私も、昔、整骨院のグループに、勤めている時、家が、金持ちだったら、オーナーに、負けないのになと思った事が、あった。
今、思うと、その状況を、人の性にしていた。
今では、努力すれば、なんでも出来るというのが、分かり、力がつけば、力のある人と出会い、
そこで、また、自分の未熟さに、気づき、目標にし、努力をする。
よく、才能がある、ないとか、いう。
同じ事をやって、直ぐ出来る人となかなか出来ない人がいる。
私は、元々直ぐ出来るというタイプでは、ないが、自分の事を棚に上げて、恐ろしい程理想を高く持つ。
そうすると、同じ練習の仕方では、器用な人(その事に関して能力の高い人)に追いつけないが、
別のやり方で、能力をあげたりする事が出来る事が、分かった。
という事は、本来学習する事は、画一的な練習方法でなく、その人を見て、その人にあった練習方法を行うのが、いいんだろうと思う。
AでダメならB、BでダメならC、CでダメならD、DでダメならE、EでダメならF、とにかくうまくいくまでやってみる。
本の中で、「人はまず、心の中で、思った事を口に出し、そして行動にうつすというのが、自然です。
ですから、心の中で思っていることが、清ければ、言葉も良くなり、従って行動も善なるものになります。
けれど、心の中に邪悪なものがあれば、言葉も行動も悪に走ってしまう結果となるのは当然でしょう。」と書いてあり。
特に、思いが大事と言っています。
悪い事を思ってても、法律で、罪には、問われませんが、憎しみや、怒りといった悪感情を抱くと、それが、心の奥に残る気がします。
悪感情が、起こるのは、自分の中にある、物の見方、考え方にあると思います。
悪い奴とか、嫌な奴とかは、普通、自分なら、そんな事しない、自分とは、全く逆と思う人も、多いでしょうが、
そもそも、悪いとか、嫌な感情が、分かるのは、自分の奥底に、同じものを持つからだと思います。
とすると、悪いあいつ、嫌なあいつは、自分と同じタイプ。(いい人、素敵な人も、同じタイプ。)
自分が、悪い奴、嫌な奴に、反応するように、相手も、自分の中にある悪い部分、嫌な部分に反応していると思います。
自分が、悪い奴、嫌な奴と思う人が、ある人には、素直でいい感じに、話をしているのを見ると、
(昔は、こいつは、悪い奴ですから、騙されないで下さいと思っていました。)
悪い奴、嫌な奴と思っている人は、ある人のいい部分に、反応しているのだと思います。
だから、自分の成長を見るには、悪い奴、嫌な奴と思っていた人と接して、快適な時間が送れるかだと思います。
世の中の葛藤の多くは、本当は、周りでなくて、自分自身が、つくっているのに、気づき、一つ、一つ、自分の奥底の考え方が分かると、
人生が楽だと思います。(そんな事は、言っていても、毎朝の豆大福は、止められません!)
毎日、毎日、なんとなく生きるのも、前のめりで、燃え尽きるように生きるのも、全て、自分次第だと思います。
とりあえず、全ての価値観を持てるように、一歩、一歩進んでいきます。