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院長 | 松岡 良一 |
零式活人術という炭粉先生の本を読んだ。
この本を読んで思ったのは、山登りである。
山登りにも、いろんなルートがある。
お花を見ながら、景色を楽しみながら、楽しく登って頂上を目指すコース。
断崖絶壁を、悪戦苦闘しながら、必死で登って頂上を目指すコース。
どちらも、頂上から見る事が出来れば、いろんなコースがあるのが分かると思う。
私などは、才能というものが、無かったので、とにかく、努力と、根性だけで頑張るしかなかった。
社会で揉まれ、お腹が痛くなったり、お尻から、太もも、ふくらはぎ、足までつって、曲がったままになったり、
朝、起きたら、鼻血で,血の海になっていたりした。
そんな感じで、頑張って積み重ねていると、現実は、少しづつ、理想に近づいていった。
ただ、世の中には、もっと、もっと、命懸けの努力を、重ねている人がいたりした。
元々は、凄い理想家なので、いろんな事を夢みていたが、現実は、一歩、一歩頑張るしかなかった。
私の場合、元々は、嫌いな努力や、根性がいつのまにか、習慣になってしまった。
そうしていると、心の内面では、頑張っている人は、好きだが、頑張らない人は、嫌いという感情を持つようになった。
苦労してこそ、価値があり、物事を把握して、から出ないと、楽しめなかった。
最初から、楽しんでやるという考え方は、なかった。
今は、価値観で、判断しなくなったので、努力しなきゃ、苦労しなきゃダメという事は、なくなった。
人と人が出会い、その場がうまくいきやすいのは、同じ価値観を持った人同士だと思う。
努力が大事だと思う人が、努力が大事という人と同じ場にいる。
楽しい事が大事と思う人が、楽しい事が大事という人と同じ場にいる。
同じ価値観同士の方が分かりあえる。
努力が大事だと思う人と楽しい事が大事という同じ場にいる。
ここで、お互いの価値観で、話をしても、この場は、うまくいかない。
この時、お互いの価値観は、棚上げして、ただ、ただ相手の事だけ考えると、
本人の我のない状態なので、相手の心の内面が出てきていい状態になる。
この時は、今までのように、価値観がぶっからないので、相手の話が、すーっと聞ける。
これが、出来るようになると、今まで嫌いだったものや、世界が、あっ、そういう考えもあるんですね。
と思えるように、なって、表、裏と物事の一面しか見ていなかった事が、表裏は、ひとつというのが、分かってくる。
今は、私という意識をどんどん大きくして、より自由度を、あげていきたいと思う。
保江先生と矢作先生の対談本、「ありのままで生きる」という本を読んだ。
自由な考えの保江先生と、聖なる考えの矢作先生が、同じテーマについて、話している気がした。
本当は、みんな赤ちゃんのように無邪気に生きると伸び伸びして楽しいと思う。
ここは、地球の日本という国。
法律があり、常識があり、道徳があり、みんなの心の中に観念があり、ルールがある所である。
大人は、赤ちゃんが大きくなるにつれ、いろんな事を教えようとする。
それは、何も知らないから、教えてあげようという気持ちである。(悪気は、ない。)
大人になって、みんないろんな悩みを持つ人が多いと思うが、その中のひとつは、本人の本当に望む事と、
周りのルールに合わせなきゃいけないという心との葛藤があると思う。
今、私の思っている事の判断基準は、、果たして、本当に、私が心底望んでいる事なのかを、追求していくと、
どんどん、心が楽になる。
赤ちゃんの無邪気は、みんなから、愛される。
大人の無邪気は、ルールが正しいと思っている人から見れば、我があるようにみえる。
善という考えで、悪は、間違えと思っている人と、善というのが、好きな人がいると思う。
赤ちゃんの無邪気さを持つ人と、聖なるものを好む人が出会うと、そこに、何を思うのだろうか?
純粋無垢な心を持った人が、このルールの多い世の中で、一生懸命、誠実に生きている人に出会い、心を打たれたのかもしれない。
一生懸命誠実に生きている人が、純粋無垢な心の人に出会い、肩の力を抜いてもいいだよという事に気付いたのかもしれない。
もし、全ての事が分かっていたら、私の行動が周りにどう影響するか?私も周りも幸せにするには、どうしたらよいかが分かると思う。
もし、見えている範囲が狭いのであれば、ただ、目の前の事に、一生懸命力を注ぎ、それを、没頭するくらいまで行い、
一日の中で、没頭する時間を少しづつ、増やしていけば、いつのまにか、幸せしかない状態になっていると思う。
日曜日の、冠光寺流の稽古に、沖縄空手の銘苅先生が、参加されてくださった。
膝相撲という、(膝をつけた状態での相撲)、のを、先生とお手を合わせる事が出来た。
体格的には、私の方が、大きいのだが、ひっくり返されてしまった。(何で倒されたか,分からない。)
懇親会の席で、銘苅先生とお話が出来た。
先生が、体重を下に、落として、そのまま、拳を真っ直ぐ打つと、相手は、ふっとぶという話だった。
寸止めの本当の意味は、当てたら、死んでしまうので、寸止めとい事らしい。
先生が、話してくれたのは、だから、もう少し出来るように、なると、戦う前から、お互いの実力が分かり、参りましたとか、
争わなくても、話がつく状態になると教えて頂いた。
更に、進むと、赤ちゃんのように、敵がいない状態という話をして頂いた。
よく、無敵という言葉は、最強の意味で使われるが、本当の無敵は、敵がいない状態の事だと思う。
みんな愛とか、好きという気持ちを、持っているが、あの人だけは、ダメとか、嫌いとか、という気持ちもあると思う。
無敵は、みんなから、愛される人だと思う。
銘苅先生は、冠光寺流の師匠に、会いたかったと話してくださった。
最近、思うのは、世の中には、それぞれ、自分の道を追求している人達がいる。
そこに、触れてみると、ただ純粋にそれだけを、求めている心が見える。
ただ、ただ、心を込めて、一生懸命頑張ると、そのうち、没頭した状態になる。
そうすると、今まで、こうだと思っていた事自体が、考えに過ぎない事に気づく。
どんな事でも、少しでも、今に取り組めば、人生は、変わる!
最近、考えている事は、私が私を喜ばせる為には、どうするか?
今まで、努力、根性だけで、頑張ってきて、そのくせ、私に対しては、粗末に扱ってきたので、思いっきり、優しくしてあげたいと思う。
親友の山ちゃんと、高校で出会ってから、30年になるという事で、今年は、30周年記念をやろうと話をしていた。
昔は、週末に、パチンコとか、競馬とか、ボーリングとか、ゲームをやったりしていた。(カラオケは、スーパー音痴なので、禁止になっている。)
その頃は、それで、熱くなっていて、楽しかったと思う。(ギャンブルは、殆ど負けていた。)
日々のストレスを、一緒に遊んで発散していたと思う。
このストレス発散に、いいのが、本人にとって熱中、没頭、無我夢中になれる事として、楽に出来る、遊びをやっていたと思う。
そんな事をして、一年の終わりに、今年の反省会をして、、来年こそは、こうしたいという話をしていた。
今は、それが、スーパー銭湯と、ご飯に変わっている。
昔は、彼女が欲しいと言っていた山ちゃんが、今は、時間がなくて、大変と言いながら、家族に囲まれて、幸せなのを、知っている。
それは、山ちゃんという意識が、個人という意識から、家族というものが、山ちゃん自身の意識になったからだと思う。
昔、山ちゃんに対して、山ちゃんの為なら、死ねると言う気持ちをもっていた。
その気持ちが伝わっていたのは、嬉しかった。
昔からの松ちゃんを見てきている山ちゃんは、カッコ悪イところ、ダメなところを一杯知っていると思うが、よく、親友として、付き合ってきてくれたと思う。
世の中は、損得だったり、優劣だったりで、人と付き合っている人もいると思うが、これからも、本音の言える親友として、
今日、白衣にアイロンをかけていて、思ったこと。
心を込めてやっていると、段々、その事に没頭するようになった。
この没頭が、癒しになる。
山登りをしていた時に、一番よかったのは、登っている時だった。
その時は、きついはずだが、その登るという事に没頭していた。
この没頭が、癒しになった。
山登りしている時、普段の生活では、大変な時期も、あったと思う。
でも、この山登りをしている瞬間は、大変という事は、考えていなかった。
ただ、登るこれだけを考えていた。
没頭していた。
これが、癒しになった。
そうして、また、頑張る為の原動力となった。
山登り、アイロンかけ、ただ、その事だけに没頭する。
これが、目の前の事をやっている、今という瞬間を生きている事だと思う。
この瞬間、瞬間、を生きるというようにすると悩みは、なくなる。
目の前の事を、大切にして生きていますか?
と私自身にいつも、問いかけていると、今という状態でいられるのかもしれない。
それが、流れに身を任せて、物事がスムーズにいく状態の気がする。
私のコダワリが、現実を創り、コダワリが無くなれば、そこには、ただ流れがある事に気づくのかもしれない。
私が問題を創り、苦しんだり、悩んだりしている。
であるならば、私が、幸せを創り、楽しんだり、喜んだりも出来ると思う。
どんな選択も、私自身次第だと思う。
私は、今という瞬間に生きる事で、頑張ってきた私自身を楽しませたい!喜ばせたい!と思っている。
ここ最近出来るように,なった事は、ちょっとした事を、面倒くさがらずやれるようになった。
最近、心がけている、直感で動くというのを、更に進めて、ぱあっと浮かんだちょつとした事を、メモしてその日のうちにやりきるようにしている。
今までは、どうしても、絶対したいという事は、全てやってきたけれど、普段のちょつとした事は、まだ、、いいかとか、後でとか、時間がたってから
やっていたりした。
そのちょつとした事は、私の中では、労力としては、十段階の二位なのだけれど、つい,面倒くさいなと思ってしまっていた。
昔、ある若い先生が、患者さんにマッサージするのをしたくて、掃除や、準備の事が疎かになっていた時、
彼は、仕事に優劣をつけていたので、彼に仕事に大きいとか、小さいとかは,無いんですよと言い、ひとつ、ひとつ大事にしなければダメですよ。
と言っていたりした。
ちょっとした事と思っいる事も、そこに、心を込めると、没頭出来る。
今、その瞬間に生きている。
そうすると、どんな苦しい状況があろうが、その瞬間は、悩む事が無くなる。
面倒くさいと思ってやらなかったのは、私の中に、物事に対しての優劣の判断があるのが、分かった。
本来は、今、この一瞬、一瞬、一瞬を、常に心を込めて行うようにするか、愛そのものの状態として在るが出来れば人生は、楽しいと思う。
掃除をするのを、見ていて、綺麗でなければ、ダメという思いでやっている人と、綺麗が好きだからやっている人がいる。
綺麗でなければ、ダメという人は、そういう考えを持っている(観念)、だから、綺麗にしない人は、許せないという感情を持つ。(その空間は、緊張している。)
同じそういう観念を持つもの同士は、話が合う。
綺麗が好きという人は、綺麗という状態を愛しているので心に余裕がある。(その空間は、ゆったりしている。)
今というこの一瞬を、過去に囚われで過ごすか、未来を心配して過ごすか、心を込めて過ごすかで、人生の豊かさが変わってくると思う。
どんな生き方も、本人納得の生き方ができれば、いいんじゃないかと思う。
もし、今の生活が違うと思うのであれば、本人の出来るちょっとした事から始めてみれば、少しづつ変わっていくと思う。
昔、福島の川島先生のブログで、トイレ掃除の話が書いてあった。
トイレの中を、ゴシゴシ擦っていると、その場所が綺麗になって、他の場所が汚れているのが、目立ってくる。
という話が書いてあった。
どんな事でも、ちょっとの事と思う事でも、なんでもいいから一生懸命やっていると、何かに気づくようになる。
気づくという事が、本人を、縛っていた考え(観念)から、解放し、より、自由にしてくれると思う。
せっかくの人生だから、この日本という平和なのんびりした国で、思いっきり、前のめりに、楽しく、生きていきたいと思います!