所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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院長 | 松岡 良一 |
長田先生の「治癒を引き出すエネルギーの秘密がわかった」という本を読んだ。
今の時代、いろんな面がわかって話せる人もいるだろうと思ってこの本を購入した。
本の中で、直感には、2つある。と書かれている。
ひとつは、自分の知識経験からく来る直感。
もうひとつは、本当の自分、潜在的な部分から来る直感。
私の場合ですと、前者は、スーパー銭湯とか、治療とか、達人とか、興味のある事に、アンテナが立って、反応する感じ。
後者は、今までの経験や、考え方のデーターで捉えるのでは、なく、私(我)を無くして、その場を捉える感じ。
本当の私に必要な事に気づくって感じ。
本の中で、子供のころから体が弱いといわれてきた人は、いつまでも自分は体が弱いという観念を引きずっているかもしれません。たとえすっかり大人になってもうその名残はまったくなかったとしても、自分では気づかないうちにそんな観念に影響されていることもあるのです。
葛藤というのは、こうありたいと言葉に表していることと、潜在的な自分、本質的な自分がとらわれている観念とのずれから生まれます。そこにずれがあると、いくらこうなりたいと願っても、それに向けて努力しても、なかなかよい結果得られません。だから、何かを実現したいというときには、潜在意識に目を向けてゆくことが大切です。ただし、誤解しないでください。潜在意識のすべてがネガティブなものというわけではありません。もちろんそこには、いい考えや前向きなこともたくさんつまっています。ここで問題になるのは、顕在意識とずれのあるもの。それは、ネガティブなものが多いというだけなのです。
と書かれています。
私は、この文章で、何かひっかかりました。最初は、何か分かりませんでしたが、私も、患者さんに、葛藤とは、本当の自分と、価値観が違うと生まれるんだと思います。それを、教えてくれているんだと思います。とか言っています。長田先生は、表面的なものを、変えても、その奥の観念が変わらないと、なかなか変わらないですよと仰っております。あっ、そうか、これは、視点の違いだなと思いました。
本の中で、現在すでにとても多くの人が、肉体と感情、肉体と考え方の癖やパターンの密接な関係について理解しています。けれども、同時に、コンセプトを自分を責めることに使い続けている現状を危惧してもいます。
ただ、気づけば、いいだけだと思いますが。
私も、昔、患者さんで、格闘技をやって、痛めて、治して、また、痛めて、治して、また、痛めた時には、本当に、身体を大事にしないなと思って、ちょっと、軽く、怒りながら、嫌味を言った事があります。その時、人生の師匠の言葉が、あっ、そうだなと思いました。そこに、来る患者さんは、そこの先生と同じタイプがくるという話でした。確かに、無理ばかりさせて一番身体を大事にしてないのは、私自身だと思いました。
長田先生の僕の最大の役目は、患者さん自身が本能的な問題に気づけるようなエネルギーフィールドを作り出すこと。僕が僕自身がゼロになっていることで、患者さんの本質さを映し出す鏡のような存在になること。本来は在るだけでいい、十分なのです。「成す」「言葉にする。」ことによって、患者さんと自分の間エネルギーバランスを乱さないか、この精妙なるサジかげんが楽しいし、面白いのですね。これこそが医者冥利だと思います。
と書かれています。私も、現時点では、ここを、理想としています。
本の中には、細胞にはそれぞれ特有の周波数があります。と書かれています。
であれば、周波数が分かる人は、周波数の乱れを整える事が出来れば症状の改善に繋がると思います。
個人的な意見としましては、ポイントは、人によって、持っている観念が違う為、納得の仕方が違うという事。
物事のつながりが分かる事。(言い方を変えると、繋がりが分からないから、納得出来ない。)
例えば、氣とか、愛とか出す人がいて、それで、よくなった場合、結果よけばいいという人や、よく分からないので、何か納得出来ないという人もいます。それが、機械から、氣や愛が出て、それが、最新の光線治療なんですと言われれば、納得出来る人もいる感じがします。
実際は、なかなかそこまでやらないと思いますが、私は、こういう父親と、こういう母親からの子供として生まれ、小さい頃、こういう事があって、こう思うようになった。そうして、現在までの、歴史を語るとします。相手の方も同じようにします。そうして、この二人がお互いの事を理解します。こうすると、お互いが、自分の世界だけで、見て見えなかったものが、相手がいる事で、自分の世界を広げる事が出来るかなと思います。そうして、今、この場面のこの状況に立つとします。そうすると、一人だけでは、解決出来なかった問題が解決出来るかなと思います。
良い悪いという判断基準を持っていると、私が良いというものだけ、受け入れ、私が悪いというものは、拒否する人もいると思います。この考え方で、人生を終わったとしたら、悪いと思っているという世界の情報は、知らない事になります。本当は、ここに、私を、制限から解放する情報があるのに、もったいないと思います。どのような状況下でも通用する良い、悪いというのがあるのであれば、別ですが。だから、そこに、進む一歩として、お勧めなのが、相手の話を聞く、とにかく何度も聞く、最初は、私なら、その状況でも、そんな事しないのに、と思うかもしれませんが、それは、その部分だけみると、そう思うのですが、そう思う判断基準の元の思いがその前にあります。それを、客観的に見ると、私という人は、こういう事があって、こういう感情を持っている。それが、はんだん基準の元になっている。というふうに、私を他人ごととして、見ると、冷静に物事が見えると思います。頭の中だけでやると、分からなくなってしまうかもしれませんので、紙に書くのもいいと思います。
そうして、いつか、気づくのは、私を苦しめているのは、相手や、環境や、状況ではなく、何だ、私の制限している考えなんだというのが分かると思います。
気づいてもいいし、気づかなくてもいいと思います。気づかなくても、その人は誰かの為になっていると思います。(どうしようもなく見えても、親にとっては、可愛いい我が子とか。)そこに、葛藤を抱くのは、繋がりが見えないからです。
もし、宇宙の仕組み全てが分かれば、あっ、何だ、そういうことなのね。と、思うと思います。(*´∀`*)
昨日、近所の仁整形外科のボランティアコンサートがあった。
来られていた方が、聞いていると、涙が出た言っていた。
イスもいつもより、更に追加して、何とかという盛況ぶりだった。
いつも、参加して、思うのは、来られている方と、院長先生や、スタッフの方とのやり取りを聞いていると、
本当に慕われているなというのが、伝わってくる。いい関係だなと思う。
コンサートの後、院長先生に誘われ、懇親会に参加した。
スタッフの鍼の先生と、理学療法士の先生と話をしていて、松岡先生の所、腱引きの看板出していますが、
腱引きって、どんな感じなのですかと聞かれたので、分かる事をお話した。
ベースに筋が捻れる、ずれるという概念がない所での、話であったが、盛り上がった。(受けにくると言ってくれた。)
院長先生のお友達とは、競馬の話をして、どういう予想の建て方をしているか、を聞いたりした。
優馬という競馬の専門誌の調教欄の3頭が、1・5頭くるという話を教えて頂いたので、これは、有馬記念で、活用しようと思う。
懇親会は、4時間30分くらいあったが、全体を見ていると、院長先生が、本当に、みんなに慕われているなというのが、
いいなと思った。みんながそれぞれの持ち場で、一生懸命頑張っている気がした。(理想の職場ですね。)
ごちそうさまです。どうもありがとうございました。(*´∀`*)
日曜日に、棒ノ折山に、山登りに行った。
リーダーと、先輩と三人の山登りは、二年半ぶりとなった。
久しぶりの山登りは、きつかったが、没頭しようと、努めた。
没頭しようと、思えば、思うほど、没頭するのは、難しかった。
歩き続けていると、ふと、気づくと、きっさだけが残った。
この時、きっさ以外の事は、考えていなかった。
山の頂上で、カップラーメン(カップヌードルシーフド味)と、おにぎり二個を食べた。
カップラーメンの具を、こぼしてしてしまった。(あっ!)
以前は、ビックカップヌードル(シーフド味)とおにぎり三個だったが、少なくても、大丈夫になった。
そして、降りの休憩で、コーヒーとお菓子を食べた。
山で食べると、、本当に美味しい。
降りは、スピードを出して、降りていったら、最後は、足に力が入らなくなった。(膝が笑っていた。)
リーダーに、途中で、足をマッサージしてもらい、何とか、四時間弱の山登りを終えた。(ありがとうございます。)
私にとって、山登りのいい所は、普段、緊張している、身体と心を、解放する事と、身体と心を丈夫にする事だと思う。
(月一で行けるといのだが。)
山登りの後、ファミリーレストランで、久しぶりに三人で、喋ったのも、よかった。
また、次回、よろしくお願いします!(*´∀`*)
あの人が好き、あれが好き、あの人が嫌い、あれが嫌いというのがある。
それは、好きなあの人という存在を認識している、私、好きなあれという存在を認識している、私、
嫌いなあの人という存在を認識している、私、嫌いなあれという存在を認識している、私ではない。
ただ、あの人がいたり、あれがあったして、そこに、好きとか、嫌いという感情を持って、見ているだけである。
であれば、よく、人は変わらないというが、人に対する見方を変える事は、出来る。
人に対する見方を変えるには、世の中には、いろんな状況の人がいて、いろんな考え方があって、いろんな人生があるというのを、持つといいと思う。
葛藤が生まれるのは、その人自身の制限された考え方。
その葛藤を生み出す、制限された考え方と、相反する考え方を、ひとつ、ひとつ腑に落としていくと、どんどん楽になる。
なぜ、それが正しいと言えるのか?なぜ、それが悪いと言えるのか?
っていうのを、考えると、私自身の考えと思っていたのは、私自身でなく、いつのまにか、私の考えと思っていたものに、気づくと思う。
また、視点を変えると、葛藤することで、何かに気づくこともある。
どう生きようが、いつか、肉体は、なくなっていく人が多いと思うので、その限られた肉体の時間の中で、どう過ごすかは、
おのおのに委ねられている。