所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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昨日、お昼で、仕事が終わり、スーパー銭湯に行き、身体を回復させ、その後、ブロンコビリーで、ステーキを食べた。
以前から、受付のみなっしーに、院長、美味しいですよと言われ続け、ようやく、行く事が出来た。
みなっしーお薦めのミスジステーキと、プレミアムステーキを頼んだ。
焼き方は、と聞かれ、ミディアムと、言った。(実際は、レアな感じだったので、ウエルダンにしておけば良かった。)
両方食べたが、あまり違いは、分からなかった。(おこちゃまな私は、ステーキより、ハンバーグだな。)
とりあえず、先延ばし、ひとつクリアー。
もうひとつは、魚を焼こうと、コンロの上で、網をおくと、直ぐ、安全装置が働いて、火が消えてしまう。
魚は食べたいけど、魚が焼けない。
うーんという思いで、先延ばしにしていた。
今日、魚焼けるというフイッシュロースターというのを買った。
これで、クリアー!
DVDで、新宿スワンと、Zアイランドを観た。
どちらも、面白かった。
8月13日から、16日まで、お盆休みだった。実家の木更津に帰った。
初日は、三井アウトレットパークに行き、父親の登山靴を買い、つけ麺とみたで、つけ麺を食べた。(一度、行ってみたかった。)
二日目は、高宕山に山登りに行った。(先月よりは、楽だった。)その後、スーパー銭湯に行った。
父親と弟の身体のメンテナンスをした。
弟の赤ちゃんが、泣いていた。(パパが(・(ェ)・)ゴローにやられていると思ったのだろうか?)
三日目、四日目は、ゴロゴロした。
のんびり出来て、よかった。
月曜日にみなっしーから、北海道のお土産を頂いた。(みなっしーに、院長、ウニ高いんでちゃんと、食べて下さいと言われた。)
お土産、ありがとうございます!
しっかり、充電したので、これからも、どんどん頑張っていこうと思う!
日曜日に久しぶりに、父親と地元の高宕山に登った。
家で、準備している時、父親は、なぜか、鼻を蜂に刺され、私は、五本指の靴を履こうとしている時に、指を怪我して血が出てしまった。
そんな負傷している二人ではあったが、山を登っていると、鳥や、蝉等の声が聞こえて、自然を感じる事が出来た。
山によって癒されるのは、人によっていろいろだと思うが、私の場合は、山をただ感じる。
この状態になっていると、葛藤がないので、ストレスがない。
そうはいっても、炎天下の中の山登りは、最後は、くたくたのぼろぼろだったけど、非常に、よかった。
帰ってから、スーパー銭湯に行って、水風呂で、身体を冷やす事をしたので、身体の疲れは大丈夫だった。
今後は、山によっての感じ方の違いが、どう身体や心に影響するかを、検証できたらと思う。
間違いなく、私の場合は、山登りで癒されるので、この癒されるメカニズムをもっと、詰めていきたい!
お笑いの又吉さんが「火花」という小説で芥川賞をとった。
物語は、花火大会から始まる。
この本で伝えたかったのは、芸人さんも、売れている人、売れていない人、続けている人、辞めた人、いろいろいる。
花火のように、輝きたいと思いながら、頑張っている人達がいる。
誰に何を言われようが、その人にとって、そこにかける想いは、その瞬間は、火花のように、命を燃やしているです。
この頑張っている人達の思いを伝えたい。
この思いが、伝わったのだと思います。
おめでとうございます!
純粋な想いは、人の気持ちを動かすなと思いました。
三浦雄一郎さんの「歩けば歩くほど人は若返る」という本を読んだ。
昔、読んだ三浦さんの本には、重りが29キロ背負って、と書かれていた。
今回の本には、体重78キロの三浦さんが、46キロを背負って歩いていると書かれていた。
私も、高校時代、郵便配達のバイトのお金で、パワーアンクルとリストという総重量10キロ購入し、つけたりしていた。
これを、外したら、漫画のように、とんでもない力が出るかなと思っていたが、出なかった。
以前、患者さんのOLさんが、会社に三浦さんが、講演に来られて、話を聞いていると、何か、身体が、燃えるような感じになったと話してくれた。
今回本の中で、重りをつけて、歩いたら、三浦さんの半月板が、再生したり、マネした人が膝の痛みが無くなったりしたと書いてあった。
息子の豪太さんが、本の中で、「アンクルウエイトをつけてウォーキングしたことで、お父さんの半月板が正常値まで再生していたというのは驚きだ。
常識的にはありえないもの。これまでの常識で考えると、関節内には血管が通っていないので、一度傷ついたらほとんど治らない。とくに半月板なんか
すり減ったものは元に戻らないし、一度ささくれ立ったら除去した方がいいとまでいわれているくらいなんだ。でも、半月板の再生を事実として受け止めて考える
と、まず関節液の主成分であるグルコサミンは、関節内の保護をすると同時に、回復にも大きな効果を発揮することが知られている。
この関節液というのは、上からかかる力で一度間接がグッと押されたあと、今度は下に引っ張られる物理的作用で循環しているんだ。
それが、リュックの重さと、アンクルウエイトとの重さのせいで、膝関節内で山道よりもさらに強い伸長運動が繰り返されて、
毎日毎日ウォーキングするたびに関節内でよりダイナミックな関節液の循環が起こった。
それを長年続けたことがグルコサミンの回復効果を促進させて、半月板再生につながったのではないかと推測しているよ。」と書いてある。
65歳の時、暴飲暴食がたたって、メタボになってしまった三浦さんは、札幌の自宅近くの藻岩山(531m)という小学生が遠足でいく山に登ったが、
気持ち悪くなって、登頂できなかった。
そこから、70歳で、エベレスト登頂を目指す所が凄いと思った。
三浦さんの場合は、昔、いろんな冒険を達成したこの私が、このままでいいのか?と思い、
それならば、一度は、諦めたエベレスト登頂と覚悟を決めた。
人は、いつでも、いつからでも、本気になれば、そこから、変わることが出来る。
何の為に生きるか?を持っていると、人生は、退屈しない。
最近、思うことは、過保護にすると、身体も心も弱ってくる。
余裕がなくなる。
余裕のない心で見る世界は、楽しくない。
そういう時は、どうするか?
身体を鍛えるか!心を鍛えるか!余裕のある人と出会うか!
何でも、いいと思う。
とりあえず、やってみればいいと思う。
本の最後に、{三浦さんが、父は、「私の人生に冒険はない。自分のはしんどいけれど一歩一歩、歩いていけば達成できるもので、
雄一郎のそれとはまったく次元が違う」といった。たしかに僕は冒険家だ。エベレスト滑降で転んだり、南極で雪崩に巻き込まれたり、
クレバスに落ちたり、いつ死んでもおかしくない危機に遭遇したことは幾度もある。
でも、命が惜しければエベレストなんかいかなければいい。しかし、死を前提とした覚悟を決めると、
反対にどうすれば生きて帰ってこられるかを必死に追求する。
その僕の答えが「歩く」ことだった。
僕は冒険の道を選んだだけで、父の努力と、僕の一歩は根本的には変わらない。
冒険も目標も、日々歩き続けることで必ず達成できるのだ。
さあ、歩くことから始めよう。(死を意識することで、毎日が活き活きしてくる。努力に凄い努力、ちっぽけな努力はない。歩くとは、人生。)
昨日思ったのは、物事を知る時、今までの経験を元に物事を理解したりする人が多いと思う。
となると、私の中で、こうだと思っている事と違う場合は、なかなか受け入れられない人もいると思う。
昔、東京で、やっていた時、同僚の先生にある治療を行なった。治療効果はあった。
だが、その先生、曰く、先生の中で、論理的に納得出来なければ、それは、認めないという事だった。
その頃の私は、症状が取れれば、やり方は、なんでも、いいんじゃないかと思っていた。
私とあなたがいたとする。
私という世界で、私の理解出来る範囲で、あなたを理解する。
あなたという世界で、あなたの理解出来る範囲で、私を理解する。
このやり方でも、世界が少し広がるだろう。
私という世界で、私の理解出来る範囲で、あなたを理解しようとした。
だが、私は、あなたを理解出来ない。
あなたという世界で、あなたの理解出来る範囲で、私を理解しようとした。
だが、あなたは、私を理解出来ない。
であるならば、世界は、広がらない。
私の居る場が、同じ価値観のもの同志なら、居心地いいし、ストレスも少ないいだろう。
私の居る場が、違う価値観のもの同志なら、戦いになり、後は、力関係で、怒ったり、我慢したりするのだろうと思う。
価値観が同じだと、同じ事をしていても、相手が、この人は、なかなかこだわりがあっていいなと思えたり、
価値観が違うと、頑固だなと思ったりすると思う。
価値観がぶつかる根底にあるのは、お互い、私の気持ちを分かって欲しい、そんな時に、それは、違うと言われたら、
私の人生を否定された気がして、頭にきてしまうという事だと思う。
私の嫌いなあなたがいた時、
戦うのか?拒否するのか?私の思いは、棚上げして、聞くのか?
どう向き合うかは、私次第だと思う。
あなたを知りたい時、一番邪魔するのは、私の我である。
私は、昔、怒っている人は、嫌だなと思い、心の中で、私自身が、怒りに対して、怒っていた。
って、事は、同じじゃん、ただ、力関係によって、表面に出ているか、出ていないだけ。
信頼関係が築けると、価値観の違いは、気になりません。(実証済み)
あなたの嫌いな、頭にくる物事に、真剣に向き合うと、新しい世界が見えてきます。
ポジティブという価値観とネガティブという価値観が、一緒になって、ひとつです。
ただ、価値観が違うと、見え方が違うだけです。
ポイントは、最初は、私の知らない考え方があるんだと頭の隅に置いているだけでいいと思います。
昔は、世の中の全ての人の価値観が分かればいいなと思っていました。
ただ、それは、価値観同志の繋がりに過ぎません。
それより、信頼関係さえ出来れば、価値観の違いが、新しい世界を知るきっかけになり、楽しめます。
私事で、言いますと、努力、根性で生きてきましたので、昔は、頑張らない人は嫌いでしたし、頭にきていました。
ある時、仕事を、楽しそうにしている先生を見ました。
仕事は、糞真面目に、努力するのが、当然と思ってましたから、楽しそうは、不真面目じゃないかと思っていました。
私がその時、出来る事としたら、全てを把握してから、なら、楽しむのも、ありかなぐらいでした。
その先生を見ていて、そんな生き方もあるのかなと思いました。
一生懸命、頑張って、心を込めて、物事に取り組んでいると、没頭します。
一方、物事を楽しみながら、無我夢中になっている状態、これも、没頭の状態です。
この両方の没頭に、差はありません。
どちらでも、好きなやり方でいいと思います。
感情は、価値観の反応で、喜怒哀楽に、優劣は、ありません。
みんなが、あなたと私という意識をもっているのであれば、同んなじ価値というのを、持った上で、
仕事が出来る、出来ない、スポーツが出来る、出来ない、何かが出来る出来ないで、考える事が出来れば、
ストレスは、少ないと思います。
簡単に言うと、私とあなたの関係を、仲間と思うのか、敵と思うかで、全然違います。
こんな事を、言っておりますが、これも、ひとつの考えなので、あなたの生活が、いい方向に向かうのであれば、活用してみてください。
人生は、全て、本人次第で、どうにでもなりますので、頑張ってもいいし、頑張らなくてもいいし、あなたの思う生き方を追究してみてください。
私自身が、小学生の頃、通知表をもらうと、毎回、父親から、拳骨をもらってた人なので(2ばっかりだったと思う。)、
そんな人でも、思う事は、全て実現してきているので、みんなは、大丈夫だと思います。
前から、大きいエビフライを食べてみたいと思って、インターネットで、検索しては、行きたいな!行きたいな!と思っていた。
タイミングが、合わず、やっと、今回食べる事が出来た。(50分くらい並んだ。)
長さは、30センチのクルマエビとの事で、ぷりっとして、美味しかった。
なかなかいい雰囲気のお店だったが、私の目的は、大きいエビフライを食べる事だったので、10分ぐらいで、ガツガツ食べた。
この辺が、紳士的でない私らしい感じかなと思った。
世の中には、美味しいものある。
それを、1人で食べるのか?みんなと食べるのか?楽しい雰囲気で食べるのか?暗い雰囲気で食べるのか?
その時の場が、美味しさに関係する。
千田琢哉さんの「好きなことだけして生きていけ」という本を読んだ。
この本の中で、いいなと思ったのが、成功か!幸せか!
仕事か!家庭か!という二者択一でなく、対立でなく、包括的な、
千田さん、曰く、「幸せな成功者になろう。仕事で成功しながら、愛情溢れる家庭も築こう。好きなことでお金もちになろう」
という考えである。
つい、何かを求めると、何かを犠牲にしなければ、という考えかたがあるが、両方求めてもいいんじゃないですかという考えである。
子供が、無邪気に遊んでいるの、反対が、退屈な大人と書いてある。
そんな大人を、見て、子供は、そんな大人になりたいだろうか?と書いてある。
確かに、今の社会は、苦しんでいる人が多くみえる。
その根本は、我である。
私自身が、昨年、分かったのは、我には、見える我と、見えない我がある。
例えば、私と相手がいて、相手が、一般的に我が儘といわれる人で、
その相手と接した時、相手の我が儘が出たとき、
つい、あの人は、自己中だからなとか、思ってしまうが、
本当の所は、例え、相手が我が儘100%としても、私の中に我が儘が、まったくなければ、
相手の我が儘が出る事は、ない。
出る場合は、私の中に、我が儘が、5%か、10%があったりする。(相手の我を見えるが、私の我は、見えていない。)
ただ、我が儘は、信頼関係出来たら、気にならなくなる。
これは、今までは、価値観で、相手を見ていたのが、
信頼関係が出来ると、相手を私の事のように思えて見れるからである。、
これが出来ると、我が儘は、個性になる。
昔、友達が、私が任されている整骨院にスタッフとして、入ってきた。
価値観は、真逆なのに、友達として、非常に馬があった。
いざ、仕事となると、友達の時のようには、いかなかった。
その時は、何でか、分からなかった。
今は、分かった。
友達の時は、信頼関係出来ているので、何でも有りだし、彼の為ならなんでもやってあげようという気持ちがあった。
仕事の時は、当時、私の中で、仕事は、こういうものだという価値観で、友達を見ていて、(鬼みたいな気がする。表面的には、柔らかったと思うが。)
また、仕事と、プライベートは、分けなければいけないという考えを持っていた。
友達は、松ちゃん、いつもと違うなと思ったかもしれない。
友達には、悪い事しました、そんな私と今も、友達でいてくれて、ありがとうございます。
千田さんが、
幸せのすべての根源は、本人が本音で好きなことをやっているか否かだ。
好きなことに没頭すれば、好きな人と出逢い、好きな人と幸せになれる。
一度これを経験すれば、あなたは大好きなことをして生きる人生の虜になるだろう。
と締めくくりに書かれている。
今日、患者さんと話をした時、地元は、どちらですか?と、お聞きした。
患者さん 「巣鴨です。」
私 「駅前の小さな道場知ってます?」
患者さん 「昔、剣道で、通った事があります。」
私 「私、そこで、柔道、最初に習ったんですよ。」
この頃は、地元の木更津から巣鴨まで、日曜日に、2時間30分以上かけて、通った記憶がある。
思い出としては、乱取り(練習試合みたいなもの)、というのがあって、
おじさんと、柔道初日に、乱取りした時、(私、当時、183センチ、97キロ、 おじさん、160センチ、80キロぐらい)
心の中では、勝つと思っていたら、気がつくと、畳に叩きつけられていた。
全然、動きが見えなかった。
今思うと、浮腰だったと思う。
流石、柔道6段、強いんだな、これからは、口の利き方に気を付けようと思った。
(といいながら、へらず口を叩いていた気がするが、あくまでも、本気で怒らせない範囲で。)
練習の後のご飯で、おじさん達の武勇伝を聞いて、柔道の人は、凄いんだなと思ったりしていた。
帰りの電車で、あまりに疲れて、座りこんでいた時、ぐわっと、ランナーズハイのような状態になったのが、一回あった。
最近、ふと、思った事としては、本当は、みんな、いろんな繋がり(ご縁)があるんだ、
だけど、みんな私の興味のある事で、物事を見たり、人と関わったりするので、(特に、一番興味のある事から。)
二番手、三番手の興味は、弱かったり、嫌いな事は、関わらなかったりする。
たぶん、今、日常生活で関わる人は、本気で、向き合えば、いろんな繋がりを発見出来る気がする。
それを、上辺だけの表面的な付き合いを、していれば、表面しか分からないのに、それで、その人を判断してしまったりするのだろうと思う。
真剣に生きれば、物事が、よく分かるし、漠然と生きれば、葛藤の多い人生となったりする。
どう生きようが、その人の人生だから、いいと思うが、私は、やりきったと思って終わりたいと思う。
理想は、前のめりで、倒れこむような感じがいいなと思う。
今年は、私の中で、大きな目標を2つ達成したいと思う!