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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 好きなもの|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 47の記事一覧
昔、ある時、例えば、アフリカの人に、日本の情報があれば、凄く生活が便利になるのにという話をしていて、その為には、アフリカの人がその情報を手にいれるにはどうしたらいいか?という質問を、山登りのリーダーにした事があった。この質問の意味は、今、いる所と、別の場所では、文明が進んでいて、今いる所の人が、進んでいる所の情報が手にいれられれば、便利なのになぁ、からの質問であった。それに、対し、リーダーは、その人、その人によって、その場所にいる意味があるので、という感じで答えてくれた。この当時の私の考えは、便利な方法を使うであった。
今は、どう考えるかというと、例えば、アフリカのある部族が狩りをするとする。そこに、ライフルというものを持ち込む。すると、狩りは、楽かもしれない。便利である。一方、ライフルがない部族の人は、木の槍で、狩りをしていたとする。すると、ライフルと違って、狩りは、楽ではないので、槍の尖らせ方を考えたり、木の種類を考えたり、獲物の習性を考えたり、獲物の追い込み方を考えたり、いろいろ工夫すると思う。便利は、楽でいいが、考える力を奪う。元々、便利なものを生み出すのは、不便があって、それを、解決した結果が便利になるのではあるが。ライフルという武器に頼っている人は、槍を使っている人より、身体を使っていないので、身体が弱くなる。便利なものに頼ると、本人のいろんな力が弱くなる。
便利じゃない状況だと、工夫しなければならないので、苦労を知っている。苦労を知っていると、感謝の気持ちが生まれる。
便利が当たり前になっていると、感謝の心が持ちづらい。
私が、ある部族の生き方をしていたら、いろいろ大変かもしれないが、毎日、生きるという事だけを考えて、充実した生活を送っているかもしれない。
一見、便利という事は、よさそうだが、もしかすると、別の喜び、を奪っているかもしれない。
また、違う視点から見ると、便利になった分、本人の興味のある事に時間を使えるという場合もあると思う。
便利というのは、効率を求めている人には、喜ばれる。
ただ、いろんな人を見ていると、仕事が出来るというのは、たくさんの事が時間内に出来るのが、仕事が出来る人と思っている人が多いが、そんないろんな事を処理出来る能力が高いと言われる人が、以外と、本人の求めるものは、そこにはなくて、本人の感じる充実感だったりしている。
便利な世の中になれば、なるほど、簡単に出来ない事は、面倒くさく感じるかもしれない。
便利な世の中になれば、なるほど、苦労はしなくていいかもしれない、でも、苦労というものは、充実感を生んだりする。
苦労したから、大切にする。苦労したから感謝の気持ちが分かる。
物事は、捉え方次第で、どうとでもとれる。
という事は、同じ事を見ているつもりでも、人によって、全く違う見方をしている。
考えるのが、苦手な人は、いろんな意見を聞いて、その中から、自分に合うのを、選択するのが、簡単かもしれない。
行動するのが、苦手な人は、いろんな人の行動を見ていて、その中で、やれそうなものを、選択するのが、簡単かもしれない。
どう生きようが、その人の人生、であるならば、好きに生きたらいいと思う!
マイ・インターンという映画のDVDを観た。
内容は、インターネットで洋服を扱う、若き女性社長と、会社を定年したシニアの人がこの会社にシニアインターンとして入っての物語。
この映画を観て思った事は、世の中が、どんどん便利になってる分、傷つけない、傷つけられないという表面的な関係が生まれたり、逆にバーチャルがリアルになったりしているなと思った。そして、求めているのは、人と人の繋がり。どこまで、その人と関わるか?どれだけ真剣に関わるか?それには、パワーがいる。直接的に関わる方が、失敗した時、ダメージが大きい。でも、洗練されたやり方より、より、その人が出るので、本人的には、納得し易いと思う。ひとつ、ひとつ、やり方に拘って、私らしさを見つけるのが、本人にとって、納得の人生になるのではないかと思う。その時、その時の本人の持っている意識が納得を目指すのが、人生を有意義に過ごす秘訣だと思う。私の求めるものに、妥協しない。なぜ、こういう事を私自身が書いているか、客感的に眺めてみた。そうすると、見えてくるのは、本人が制限を創って、本人が制限によって、縛られて、苦しんでる人が多いなと思っている私がいる。なぜ、苦しんでいるのか?それは、本人が創っている制限に気づかないからだと思う。では、どうすればいいのか?ひとつは、人の話を聞く。ひとつは、本人自身の判断をひとつ、ひとつ検証して、それは、本人が本当に納得している判断か確かめる。知らずに、親の判断、知らずに、日本の常識、知らずに時代が入ってたりする。出来るだけ、多くの情報を集め、相反する概念も置きながら、その中で、本人納得の答えを見つける。拘りがある意識の時は、とにかく、何でも、思いっきりやれば、本人納得の人生となると思う。拘りがない意識であれば、物事をただ、楽しめばいいと思う。その本人にあわせて、お好きな方、どちらでも大丈夫です。(*´∀`*)
昨日、炭粉先生の稽古に参加した。
炭粉先生の本は、全部読んでいるので、いつか、是非会いたいと思っていた。
本を読んだ感じでは、強い、荒々しいイメージと愛かなと思っていた。
最初、なんかいい感じの人だなと思ったが、こういう人という言葉が浮かばなかった。
実際にお会いしてみると、外見からは、パワーが溢れる感じがし、内面からは、お人柄の良さが滲み出る感じがした。
ただ、この言葉でも、先生を言い表せていない感じがした。
先生は、先生が実戦を通して掴んだものを、稽古で教えてくれた。
稽古の内容は、先生の許可をとってないので、書く事が出来ないが、真剣でないと怪我をすると思った。
ただ、それでも、先生が全身全霊をかけて、教えててくれているので、覚悟をもった私達は、その先生の姿勢に
答えようと、必死で頑張っていたと思う。
私などは、鈍い方なので、ただ、先生の教えてくれることを、ただ、そのままやろうと思って身体を動かしていた。
逆に、武道、武術で、ずっと、鍛錬している人は、無意識に身体が動くので、それを、先生は指摘していた。
炭粉先生、流石だなと思ったのが、合気(愛魂)の中で、例えば、ある先生が合気(愛魂)をかけた時、
相手の方が、可哀想と思って、協力してあげた時、これを、やらせというのか?(炭粉先生)
人によっては、心を動かしたというかもしれないし、協力した時点で、やらせというかもしれない。
多くの人は、やらせと思うかもしれない。
でも、筋肉楽なんだよ。
と、先生が話してくれた。
炭粉先生が、仰りたいのは、たぶん、以前、ある伝説の達人のお弟子さんとお話した時、そのお弟子さんは、師匠と
相対した時、私自身は、分からなかったのだが、崩されていた。
私に、対しての説明では、お弟子さんの1メモリが1センチとすると、師匠の1メモリは1ミリだから、
お弟子さんは、師匠の動きを感知出来ないという事だった。
だから、合気(愛魂)がかかってないと思っている人でも、筋肉が楽という事は、実は、かかっているんですよと、
仰っているんだなと思った。
ここで、いろんな視点という所で、見てみると、合気(愛魂)をかけているAさん、合気(愛魂)をかけられているBさん、それを、見ているCさんが、いたとする。Cさんの視点からは、外側からだけなので、動きで、うまくいったか、いかなかったか?という見え方だと思う。Bさんの視点からは、本人が感じ取れるか、感じ取れないかで、うまくいったか、いかなかったとなる。Aさんの視点からも、本人が感じ取れるか、とれないかで、うまくいったか、いかなかったという事にも、なると思う。
炭粉先生の場合は、Cさんの視点でも、合気(愛魂)がかかっているのが分かる。
炭粉先生を東京駅まで、お見送りして歩いている時に、炭粉先生に、先生の本読んで、保江先生に、炭粉先生、分かって良かったですねという話をしたら、保江先生が、炭粉先生、頭のいい人だからねと仰りました。その話をしましたら、炭粉先生は、あのブログ書いてる?そうです。そうです。と返事をしました。FAX送ったよと仰っられましたので、営業FAXが多いので、今、使ってないですよと申し上げました。(あ~あ、せっかく先生がFAX送ってくださったのに、残念。)
そして、先生に、先生が保江先生と出会ったのも、よかったですし、保江先生も炭粉先生と出会って、実戦を経験して、お互いよかったですよねと伝えました。
今回、勉強になったのは、炭粉先生は、全身全霊をもって、みんなに伝えたい事は、実践で、その愛は使えるのか?
という事だと思いました。
もし悪い奴が襲って来たときに、それに、対応できるかという所を心配されていると思いました。
世の中には、いろいろな人がいます。
話して、分かる人もいますし、分からない人もいます、道理の通用する人もいますし、滅茶苦茶な人もいます。
でも、先生の伝える愛が分かると、本人も安心ですし、その悪いという奴の心も救えるかもしれません。
人によって、許せる範囲が違います。
この許せる範囲は、どう決まるかというと、今までの生き方で、こうじゃなきゃダメという価値観が造り上げられます。
社会で、揉まれると、いろんな人、いろんな考えがあるんだなというのが、分かります。
その人と、もう一人の、こうじゃなきゃダメが全く反対だとぶつかります。
私の場合ですと、以前は、努力と根性のタイプなので、その反対の頑張らない奴、手を抜く奴は、嫌いでした。
その人なりに、少しでも、頑張っているなら、分かるのですが、そうでないとダメでした。
一方で、メリハリをつけてという考え方の人もいます。
ずっーと、やると、集中力が落ちるので、休憩を挟んだ方がいいという人もいます。
いろんな考え方、やり方があります。
つい、多くの人は、一つの物の見方で、全部を見ようとしてしまいます。
人によって、その人、その人の心地よさは違うのですが。(その人、その人の正義が違う。)
ここに、対して、愛というのが持てると、価値観の違いは、価値観で判断している時は、戦いとなりますが、
信頼関係が出来、それは、新しい可能性となります。(今まで、嫌いだった人、世界が)
炭粉先生が、身を持って、教えてくださっているのは、踏み込むという事かなと思います。
今は、世の中に、たくさんの情報があると思います。
インターネットで、検索すると、知りたい事のその意味が分かります。
でも、物事の本当の意味は、あくまでも、体験して、腑に落とす所までいかないと、良く分かっていません。
その為に、その世界を、外側から、眺めているだけでなく、踏み込むという勇気を持った方が、
本人にとっても、より充実した人生を送れると思います。
新しい世界を知るには、ひとつには、出会いというのがあると思います。
好きな人とか、尊敬出来る人とか、その人の言葉なら、今までなら、そんな事違うだろうとか、素通りしてきた言葉が、
あーあっ、そういう事もあるかなと、素直に聞けるというのがあります。
そして、その人と接していて、影響を受けて、新しい世界が開けると思います。
そうして、もうひとつが、遺恨を残さないという事だそうです。
合気(愛魂)がかかって、倒れたとしたら、相手が強くてとか、こちらが、強くて倒れたとか、何か分かりません。
そうしたら、遺恨も残らないのでしょうという事でした。
最後に、今分かった、私なりの炭粉先生の人物像ですが、何かいいなと思うけれど、具体的に、言い表せなかったのですが、たぶん、炭粉先生の愛のパワーに当てられて、いい気分になっているのかなと思いました。愛が吹き出している感じ、そうすると、つい、先生の為に頑張ってみようと、思ってしまいました。男女問わず、多くの人を、魅了すると思いました。
炭粉先生、この度は、ありがとうございました。
また、よろしくお願い致します!
松岡良一
近所の美容院さんから、社員旅行のお土産を頂いた。
シンガポールだそうです。
毎年、社員旅行は、海外だそうです。
いい会社ですね。
ちなみに、松岡整骨院では、年末の大掃除の後に、ワックスが乾くのを、待つ間に、
みなっしーと、院長は、ケーキを食べ、コーヒーを飲んで一年間お疲れさまでしたという感じでやっています。
(所要時間5~10分ぐらい。)
それ以外に関しては、院長は、みなっしーに棄てられないように(笑い)、目にみえる形、見えない形で、いろいろ頑張っています。
これからは、経営者の方は、契約という形の雇用関係というだけでなく、様々な状況は、あると思いますが、
その中で、出来る範囲の社員の人に対する感謝の気持ちを表していかなければ、昔でいう愛社精神とか
一致団結とか、生まれずらいのかなと思います。(ドライな関係)
昔、不満に思っていたのは、患者さんに対して、いい顔をして、スタッフに対して、鬼の顔をしてという事でした。
離職率は、高かったです。(早い人は、半日で。)
無理している状況だと、病気になったり、トラブルが起きたりします。
また、自分さえよければという視点は、一見、本人にとって、有利な感じがしますが、
見えている範囲が狭いので、見えていない所が原因で、トラブルが起きたりします。
実際、いろいろ聞こえてくるケースで、見えてくるのは、ワガママな経営者が、
指揮を執ると、そこで働く社員の方は、大変なのですが、かといって、辞める分けいかずという
依存の構造があると思います。
お人柄のいい人が頑張って、ワガママ経営者を助けるという事で、何とか、トラブルがおさまるという感じだと思います。
だから、経営者の方は、大変だと思いますが、余裕が出たら、出来る範囲で、
社員の為にした方が、結局は、自分の為になると思います。
人が喜ぶのが、好きな人は、人の為にするのは、嬉しいと思いますが、
自分が得するのが、好きな人は、いろいろ総合的に判断して、自分が得する為に、人の為にをするでもいいんじゃないでしょうか?
普段、いつも私の為にしてくれる人と、いつも、自分の事だけする人、どちらの為に頑張りたいでしょうか。
とか、いろいろ思いが浮かびました。
お土産ありがとうございました。
みなっしーと半分個します。(*´∀`*)
お昼にご飯を食べている時、朝日新聞の18歳をあるくという記事の中で、
球面ディスプレーを若月舞子さんという方が、研究していると書かれている。
記事には、「開発しているのは、球面ディスプレーにインターネットの情報をきれいに写し出す新しい技術だ。
パソコンのように平面ではないため、文字がゆがんだり、端が切れたりしてしまう。
若月さんは、こうした問題点を克服することでコミュニーケーションのあり方を変えられると考えている。」
と書かれている。
最初、平面の情報を球体に写すという所には、興味がなかったが、コミュニケーションという言葉が出てきたので興味を持った。
私は昔から、本質とか、全体の話をする時に、よく、みんなは、本質という球体を、価値観という平面で捉えようとするから捉えきれていないという事を言っていた。だから、球面ディスプレーだと、そこに、関係するのかと思った。
若月さんが、球面ディスプレーを研究テーマに定めたのは、人種や宗教、性の違いなどを学ぶ「多様性の授業」に役立つ技術だと思ったからだ。そのきっかけは、村井純・SFC環境情報学部長の講演録の
「多様性があるからこそ、イノベーションが起きる」という言葉だそうだ。
いいなと思ったのは、球面ディスプレーを追究していくと、
まず、人によって、このぐらいで、とか、ここまでやらなけばいけないという、人によって、こだわりが違うんだなという事が分かると思う。妥協するのか、みんな納得を、目指すのか、正しく、コミュニケーションが関わってくる。これが、価値観を持った人どうしのコミュニケーション。ここで、分かるのが、物事に対して、部分で捉えるか、全体で捉えるか、漠然と捉えるか、細かく捉えるのか。ここで、気づく事として、物事に対して、ズームインとか、ズームアウトとか。
技術的な事としては、素人の私が思う事は、ホログラフィーとの違いとか、(物質なので、リアル感とか)、その人の欲しいものをピンポイントで、見つける検索システムとか、イメージとしては、地球には、奥にマントルがあるように、球面の奥に本質があるように、その上に、感情とか、価値観とか、信念とか、道徳とかをどう、構築するか、(これが、出来るとA君はいつも、怒ちゃうけど、それは、こういう生き方で、こういう価値観が出来それで、そうなっちゃうとか、が、客感的にみれると思う。)更に、アフリカの人モードとか、アメリカの人モードとか、時代を変えてみるとか。
イノベーションの意味は、例えば、頭にくる、一番嫌いな人を、出来れば私は、関わりたくないと思う人の世界を、あっそういう世界もあるんだと、私自身で、気づいていく事で、制限されている考えを、解放する事で、見える世界の事だと思います。
ポイントは、無償の愛。これが、持てると、価値観の違いが気にならなくなります。多様性を楽しめる。(価値観で、見ている時は、衝突する時がある。)最初は、思いやりとか、相手と私がうまくいくにはを考えるのがいいと思います。
若月さんは、強い気持ちを持って望まれているので、これを、追究されると、どんどん周りが変わっていくと思います。
素晴らしいと思います。
是非、みんなを幸せにする為に、頑張ってください。(私なんか、18歳の時は、適当に生きていたと思います。)