所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 好きなもの|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 37の記事一覧
日曜日に、奥多摩の三頭山に山登りに行った。
今回は、とにかく、雪が無くて、雨が降らなきゃいいなと思っていた。
だって、雪山だとアイゼンをつけなきゃいけないし、雨が降ったら、普段使っている厚手の重たい雨合羽を着なきゃいけない。
山を登っていると、途中から、小雨になってきた、リーダーは、濡れないように、上着を出していた。
カッパ着る?とリーダーから、言われたが、大丈夫ですと言って、着なかった。
もう少し、雨が強くなって、リーダーは、傘を出していた。
私は、このぐらい濡れても大丈夫と思ってそのまま歩いた。
お昼に、屋根のついた所で、カップラーメンを食べていると、土砂降りになった。
流石に、この雨では、カッパを着なきゃと思い、完全武装で、気をつけながら、山を降って行った。
けっこう泥だらけになったが、怪我無く、無事下山となった。
山は、きつい所もあるけど、やっぱりいいなといつも思う。
武道家の人や、武術家の人を見ていると、その佇まいや、雰囲気が、カッコイイなと思ったりする。
先日、1年ぶりくらいの来院の患者さんと話をした。
彼、曰く、仕事と休日で、あまりに休日に休み過ぎる(ゆっくり)と、調子が悪くなるというのが分かったそうだ。だから、仕事の日と、休日を出来るだけ同じ感じで過ごすそうだ。
整骨院に来られる患者さんは、痛みや、強い症状をかかえて来られる。そうして、症状と一緒に、ストレスもかかえて、緊張している人が多い。身体の緊張、心の緊張に対して、お仕事終わったら、仕事モードのスイッチをオフにした方が言いといつも言っている。
たまに、月曜日が調子が悪いという患者さんがいたりした。何で休みの次の日で調子悪いのかなと思った。余程、仕事がストレスなのか、遊び過ぎで、疲れてちゃっているのかと思っていた。
私の場合だと、休みで、ぐでーんとしても、仕事になると、150ぐらい出せる。だから、意味が分からなかった。今回、彼の話を聞いて、人によって違うんだなと思った。昔、ナンバ式の先生が、筋肉は、緩ませすぎると、身体の反応が悪くなるという話をされていた。そういうのも、関係するのかもしれない。
昔、勤めている頃は、仕事の時は、次の日も仕事と思って寝ていた。(決して、油断はしない。)休みの前の日は、次の日は、仕事がないので、力を抜いて眠ることができた。
患者さんを見ていると、仕事とプライベートを分けて考えている人が多い。仕事というと、力が入って、緊張している。そして、緊張するのが、普通になっていく。仕事、頑張っているから、プライベートは、ゆっくりしたいなと思っている。
今回、彼の話を聞いて分かったことは、仕事とプライベートにあまり差がありすぎると、調子が悪くなる人もいるということ。
これを、踏まえて、考えてみる。
緊張度。仕事100 プライベート80
仕事100 プライベート50
仕事100 プライベート30
仕事 70 プライベート100 (これは、仕事、手を抜いているなとか。笑 )
仕事100 プライベート100 (仕事も、遊びも全力でとか。)
仕事 50 プライベート50 (上手く、力が抜けてるなとか。)
律するというと、素晴らしい気がして、怠惰というダメな気がする。
でも、人って、身体が丈夫な人もいるし、弱い人もいる。心が強い人もいるし、弱い人もいる。
律するというと、それが好きな人もいるし、それを、厳しく感じる人もいると思う。
怠惰というと、ダメ人間て感じがするけど、ゆっくりするというと、身体と心を労わっている気がする。
厳しくし過ぎて身体と心を痛める人もいるし、ダラダラし過ぎて、身体と心を弱らせる人もいると思う。
人と比べず、私自身としっかり、向き合うと、その人に丁度いい、緊張感、リラックスが分かってくると思う。
律することも、愛だし、リラックスすることも、愛だと思う。
人にも優しく、私にも優しく、したいと思う。
ただ、その緊張感、リラックスは、人によって違うので、私の思った優しさは、相手にとって、厳しさになるかもしれないのでご注意を!
10周年ボールペンが、今日届いた。
以前、松岡整骨院の名前の書かれたペンライトか、ボールペンが届いたことがあった。
その時は、あ~あこういうのも、いいかなと思ったが、結局、みなっしーといろいろ話して、それで、終わってしまった。
今回は、ダイレクトメールに、松岡整骨院様、10周年おめでとうございます!と書かれていて、その中に、松岡整骨院という名前と、10の文字が書かれたボールペンが入っていた。
それを、見てやるなと思い、心をつかまれてしまった。
普通、ダイレクトメールは、不特定多数の人に、その人、その物、その会社の伝えたいことを、一方的に送る。
(考え方としては、私に合う人だけ、反応すればいいと思っている。)だから、捨てるという人も多いと思う。
今回は、松岡整骨院の情報を、どこかで掴んで、私(整骨院)という人を見て、その人(整骨院)に対して、そのものを提供している。
だから、嬉しい。(*´∀`*) 人は、余程、ひねくれていない限り、人から思ってもらえると、嬉しく思うと思う。
人は、相手を見るとき、普通に見ているつもりだが、あくまでも、その人の分かる範囲で、相手はこうだと決めつけて見ている人が多い。だから、相手を見ているが、私を見ていることと同じになり、これを、鏡とか言ったりしていると思う。じゃあどうするかというと、愛を持って見るということになる。愛は、人によって、違うので、私なりの言葉で言うと、我(ワガママ、法律、道徳、ルール、ものさし)を無しの状態。我というと、ワガママ、自己中、自分勝手は、分かりやすいと思う。これを、制するという意味で、法律とか、道徳とか、ルールがあると思う。そんなことされたら、他の人に迷惑をかける。世の中大変になっちゃう。だから、守らなきゃいけません。となる。でも、赤ちゃんはどうでしょうか?結構、めちゃくちゃ、ワガママ放題だと思う。でも、可愛いからいいいよ。世の中のことまだ、知らないからいいよ。と思っていると思う。赤ちゃんが、愛そのものと言っている人もいる。聖人とか、法律とか、ルールが好きな人は、そのまま本人のお好きなように生きていけばいいと思う。よくあるのは、この人達が、この聖なるものとか、法律とか、ルールを、相手にこれを、強要することがある。言っているほうは、悪気なく、正論と思っているので、言葉が強い。言われているほうは、その人自身もそう思っているので、何も言えない。これが、凄く心を苦しめる。(日本という国は、法治国家であり、会社には、会社のルールがあるとは思うが。)
我というのが、あると、その人自身の世界を制限してしまう。愛があると、相手の世界のことも知ることが出来る。世界が広がる。
ワガママを正そうとする世界には、ルールが必要だけど、いろんなワガママを認められる世界だと、ルールはいらない。だって、仲良しだから。
愛があると、みんな仲良し!愛がないと周りは、敵ばっか!
このボールペンは、インターナショナル・プロセス・システムズ株式会社内ナショナルペン
☎0120-306-400 だそうです。
このやり方は、素晴らしいなと思ったので、電話してみました。
「どうやって、松岡整骨院の情報を手にいれたのですか?」
「マーケティング部がいろいろホームページを見たりして、見つけたそうです。」
「普通、ダイレクトメールは、不特定多数に送ると思いますが、松岡整骨院の10周年というのが、分かって、ボールペンを送ってくれたので、嬉しかったです。是非、喜んでいたとお伝えください。ありがとうございました。」
人は、相手に、私を想ってもらえると、単純に嬉しいと思います。
このボールペンの不特定多数でなく、あなたの為に造りましたというのは、いろんなビジネスの人のビジネスをする上での、一番大事なことかなと思いました。
ありがとうございました。勉強になりました。
松岡良一
土曜日の夜に、3月のライオンという映画を観た。
今まで、この映画の予告の動画を60回以上観て、行こうと思っていた。
今回、観ていて思ったのは、目の動きとか、瞼(まぶた)がピクっとくるとか、その人の感情を表現している所が凄いなと思った。
たくさんの有名な役者さんが出ていて、その役柄に合わせて、それを、その役者さんの持てる全てを出していた。
その役者さん同士の感情と感情のぶっかりあいが面白かった。
感情を観ている人にリアルに伝えることが出来る役者さんという人は、流石、プロだな思った。
役者さんは、たぶん、表情だけでなく、普段、みんながあまり気に留めてない所作までも、追究して、出来るだけリアルなその人物像をつくりあげていると思う。
いい映画です。
3月のライオン、お勧めです!(*´∀`*)
日曜日に、長野県の守屋山に山登りに行った。(近くに諏訪湖がある。)
天気も素晴らしく、雪もあるが、風も強くなく、いい感じだった。
このまま、いい感じで行けるかかなと思った。
途中で、リーダーがアイゼン(氷で滑らないように、靴底につける金属製の爪。)をつけると言った。
何とか、アイゼンなしで、行けると思ったが、そうはいかないかなかった。(やばい予感。)
あれ、どうやって、つけたっけなと思いながら、アイゼンをつけようとしていると、リーダーが鬼の形相で、また、ちゃんと練習してきてないなと、雷を落とした。(´・ω・`)
どうもすいませんと言いながら、リーダーにアイゼンをつけてもらった。
昼に、カップラーメンを食べていると、リーダーがコーヒーを飲む時のコップ持ってきたかと言った。
あっ!忘れた。やばい!また、怒られてしまう!
大丈夫です。このカップで、いけます。と言ったら、リーダーが紙コップを持ってきてくれていた。
どうもありがとうございます。
リーダーや、先輩を見ていると、普段、ちゃんと、鍛えている。(だから、二人共、腹筋が割れているんだろう。)
リーダーは、週5日歩いて、それとは、別に週2日トレーニングしている。
それがあるから、山登りが出来るそうだ。
それに、ひきかえ私は、全く運動してない。
いつも山登りで、いっつも死にそうになるのは、ここに、原因があると思う。
(身長は、一緒くらいなのに、体重は、40kg違っている。)
山に行くと、癒やれる、山に行くと、きつい、山に行くと、カップラーメンが美味しい、山に行くと、何かきづいたりする、山には、何かあると思う。
今回の山登りで、気づいたこと。
①アイゼンのつけたかをしっかり覚えましょう!
1、装備をしっかりしないと、命取りです。(大怪我の元です。)
2、周りに、迷惑かけてしまいます。(もたもた、すると、時間がかかります。)
3、リーダーに、鬼の形相で、怒られてしまいます。(心に、ダメージを受けるかもしれません。)
②コーヒーカップを忘れないように!
1、忘れると、コーヒーが飲めないかもしれません。
2、リーダーに怒られます。(´・ω・`)となります。
今回、特に思ったことは、リーダーと、先輩は、日々の努力をしている。
そして、今の状態(実力)に、あった、装備をしている。
ということは、自分を知っている。
そんな二人に、迷惑をかける役としての私がいる。(なんちゃって!)
こんな私を、見捨てず、いつも、山登りに連れて行ってくれてありがとうございます!
これからも、よろしくお願いします!(*´∀`*)
昨日、道場の稽古があって、その後、懇親会があった。
懇親会の席で、行徳の先生が師匠の背中見ていれば分かるだろうという話をしていた。
これだけで、分かる人には、分かるし、分からない人は、分からないかもしれない話だけど、聞いていて素晴らしいなと思った。
背中って言ったって、大きな背中、小ちゃな背中、頼もしい背中、可愛らしい背中、哀愁のある背中の事では、勿論ない!(笑)
簡単に言うと、察しろ!という事である。
私達が、師匠や、先生を選ぶ場合、最初のきっかけは、困っている時に、助けられたとか、あの師匠は、凄いんですとか、あの先生は、凄い事が出来るという所を見てというのがあると思う。
行徳の先生は、師匠を持つ事の意味を、師匠という人がいることで、師匠がいない時より、凄く頑張れるし、道を外れないと言っている。
この話を聞いて、師匠の背中を見るとは、師匠の生きる姿勢を見る事だなと思った。
師匠という心の拠り所があるから、安心して、自由に、伸び伸び出来る。
師匠の見守ってくれる姿勢があるから、頑張れる。
最初は、師匠のその能力に惚れて、かもしれないが、その後は、やっぱり人間性と思っている。
いろんな師匠を見てきたが、凄く能力が高くても、心が出来ていないと、能力に振り回される。(ちょとは、自慢したいという気持ちの人はいると思うけど、それが過ぎると天狗になる。)
そんな師匠を盲目的に信じていると、周りが見えなくなるなと思っている。
世の中には、いろんな師匠がいるので、いろんな考えがあると思う。
冠光寺流の師匠は、見ていると、いろいろな方法を提示して、後は、その人がやる、やらないは自由意思に任している感じがする。私などは、昔は、仕事で、その人が苦労しないように、私が上手くいった経験を語ったりしていた。(つい、口だしたりしていたと思う。その時は、それが、その人の為と思っていたので。)その人の個性が花開くのは、その人自身が、何かあったり、問題にぶっかったりして、気づいたりしてだと思う。ただ、その個性の花開くスピードが違う。これを、じっと待って見守るのが、師匠かなと思う。
親子でさえ、つい、口出ししている人が多いとおもうが、他人に対して大きな愛を持って、見守るということが出来るか?価値観で見守ると、忍耐、我慢が出ると思う。愛という意識になったとき、人によって、スピードが違うことは、当たり前になると思う。これが、お弟子さんとして、分かって欲しいことでは、ないのかなと思っている。師匠としては、そういう気持ちを繋いでくれると嬉しいなと思っているのじゃないかなと思っている。
今回は、特に、行徳の先生の言う言葉が、心に響いたので、つい、出来心で思ったことを、書いてしましました。
いつも、ありがとうございます。(*´∀`*)
松岡良一
みなっしーから、水戸のお土産で、私の好きな納豆を頂いた。
何と、いつか食べたかった藁(わら)タイプ。
ありがとうございます!
2017年3月1日で、開業してから、10年経ち、11年目に入る。
行徳の地でやってみて分かったのは、いろんな業種が全て激戦となっている。
昔、ある先生が下町で開業するのと、セレブな町で開業するのでは、結果が違うと思った。
その先生に合う地域があるのではと思っていた。
かといって、ピタっと合う場所を見つけるのは、難しい。
私の場合は、東西線の沿線に長く住んでいて、たまたま空いていた店舗が同じ不動産会社で、そこの不動産会社のパートのおばちゃんに、行徳という所は、隣の駅の妙典や南行徳からも、自転車で、来るんですよと言われ、いいなと思い、そして、近くに公園があって、ここで、昼を過ごすと癒されるなと思い、この2点で、行徳に決めた。
行徳でやってみて分かったのは、行徳には、地域性は無く、多種多様な人達がいる所だなと思った。
だから、患者さんや、お客さんは、いろんなお店がたくさんあるので、その中で、自分に合うお店を選べばよい。
逆にお店の方は、いろんな人に満足してもらえるものを、提供出来るか、お店のカラーにあったお客さんに来てもらえるかだと思う。
そんな行徳という地で、朝から、深夜まで、私は頑張っていると思う。
開業する時に、近所の整形外科の院長先生に挨拶に行った。
整骨で今まで挨拶をしに来た人がいなかったらしく、気にいって頂いて、地元の新聞に院長先生が松岡整骨院の開業の事を書いてくれた。
それ以来、気にかけて頂いている。有難い事なといつも、思っている。
今でも、お世話になっている行徳の先生は、元々は、全く面識がなかったけれど、何故か、患者さんを紹介され、そのご縁が今日まで続いている。
上手く先生に、道をつけて頂いている気がする。私の目標の人でもある。いつも、ありがとうございます。
受付のみなっしーには、いつも、整骨院がより良くなるようにして頂いている。
本当にいつも助かっています。ありがとうございます。
私自身は、土木作業員をやったり、ガソリンスタンドで働いたり、道路工事の旗振りをした後に、整骨業界に入った。業界に入ると、優しい所や、のんびりした所もあったが、鬼や悪魔のいる所もあった。そういう所では、お腹が凄まじく痛くなったり、足がストレスで、曲がったりした。こういう所で、世の中の理不尽さを身をもって勉強させてもらい、そのおかげで、メンタルが凄く鍛えられた。
そんな感じで、整骨業界に入って思ったのは、世の中には、いろんな価値観があるなという事だった。私自身元々は、警察官になりたいと思っていたので、法律、ルールが正義というものを持っていた。だから、それ以外は、認められなかった。が、いろんな人達と関わる中で、その人の生き方で、出来上がった正義があるなというのが分かった。そうして、治療技術を上げる為に、いろいろな治療法に参加した。そこで、分かったのが、身体に対してのいろんな見方があるなという事だった。開業してから、武術の治療、腱引きというのに、出会った。これは、武術の殺法、活法の活法にあたる。今まで、ギックリ腰の患者さんが来ると、いろいろやったが、なかなか改善しなく、いつも悪いなと思っていた。それが、腱引きの技術で施術すると、症状が大幅に改善する。この腱引きという治療法が、私にとっては、凄い自信となった。今では、治療のベースになっている。そして、人生の師と呼べる人と出会い、物事に対する、考え方が狭い事に、気づかされた。(いつか、また、お会いしたいと思っている。)そんな感じでいろんな治療法と出会って気づいたのは、いろんな治療法は、その先生の価値観で出来ている。だから、そこに、相性が生まれる。勿論、それを、創り上げるのは、凄い努力をされた結果だと思う。そこで、未熟な私は、こう思った。愛ベースの治療なら、オールマイティになるのじゃないか!もし、愛の場が創れると、そこで、症状は消えるかもしれなしい、患者さんにとって、症状より、大事な事に気づくかもしれないなと思った。
という事を考えながら、11年目も、目の前の人と、真剣に関わることしか出来ないなと思う。
今年は、いろんな予想外のことが起きるといいなと思う。(*´∀`*)
親友の山ちゃんから、プレゼントが届いた。
猪木さんの手ぬぐいと、扇子。
ありがとうございます!
元気があれば、何でもできる!
元気がないときは、松岡整骨院にお寄りください。
精一杯頑張ります!
小林健先生の「長生きしたけりゃ素性力をつけなさい」という本を読んだ。
本の中で、
私の治療の根底には、「人間に病気はない」という基本的な考え方があります。
私達が「病気」と呼んでいるものは、体が発している「警告」だからです。つまり、本格的な病気や悪化を防ぐための反応です。
おすすめしたい六つのライフスタイルとして、
①少塩多酢
②少肉多菜
③少食多噛
④少糖多果
⑤少怒多笑
⑥少煩多眠
そして、小林先生の七つのテクニックの中に、私達人間の道というのがあります。
小林テクニックのなかでも最も大切なのが、それぞれの人にご自分の「道」について考えていただくことです。私がたどりついた「私たち人間の 道 」という考え方は、祖父に習ったカバラ医学、形而上学(けいじじょうがく)、そして58年間にわたる患者さんとの心と体のふれ合いなどから得たものです。太陽や星、木や草、雨、動物たち、空気や水にさえも真に感謝して、日々豊かにジョイフルな人生を送っていくことは、心身ともにすこやかに過ごす基盤です。そのためには、自分の好きなことを大切にしたり、充実した納得出来る生き方を模索したり、人とのつながりの中で自分も人も生かしていったりということの積み重ねが大事です。決してむずかしく考える必要はなく、「楽しく自然にライフスタイルを考えていく精神学」です。それによって、自然に免疫力も高まっていきます。そのことを患者さんと同じたちばで伝えていくのが、私の「道」だと思っています。
本を読んだ感想としましては、
よく、人は、一人では生きていけないと言いますが、(一人で生きていける人はそのままで大丈夫です。)人と関わって、生きていく以上は、バランスをとりながら、生きるのが、結局は、私の為になります。その時、本音で話すのが大事です。気の荒い人は、相手の人が本音で話せるように、優しく接してあげてください。そうしないと、相手の人が怖がって、本音を話せません。これでは、相手の方に不満が残ってしまいます。また、気の弱い方や、お優しい方は、これを、言ったら、相手の方に悪いかなと思うかもしれません。でもこれを、言わないと、自分自身が不満を溜めてしまいます。自分が正しくて、相手が間違っていると思う人は、そんな相手の話は、非常に話が聞きづらいでしょうが、とりあえず、自分の考えを棚上げして、相手の話を聞いてみてください。聞いても意味が分からない時は、もう少しなぜそういう考えを持つようになったか、聞いてみてください。それを、どんどんやっていくと、ああ、そういうご事情でそうなったのが、分かると思います。そうすると、今までは、受け入れることが出来なかった考えが、ああ、そんな考えもあるんだと思えるようになってきます。そういうことをやっていくと、私の世界が広がっていきます。だから、人と向い合うことは、結局は、私の為になります。そうやって、みんな本音で、話合うことが出来れば、みんな納得の結果が生まれると思います。
素性は非常にデリケートなもので、「その性質は『愛』だけ、『生きる』だけである」そうです。(*´∀`*)
斎藤一人さんの微差力という本を読んだ。
この微差の事をこう書いている。
この微差、笑顔だったり、言うことが肯定的だったり、着ているものが華やかだったり、するだけで、この微差が掛け算になってくるのです。ものスゴイ、結果が違ってきちゃうんですよ。ホントに、仕事でも、日常生活でも、いろんなことが違ってくるのです。
そして、何でも、ものには道理があります。その道理どおりやれば人生はうまく行くようになっています。
まず、自分の為、次に人の為、最後に社会の為にやるとうまく行く。
こうも書かれています。ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、しあわせ、ありがとう、許します。この天国言葉を口にし、天国思いをすることによって、出る波動が違い、人相が違うと、呼び寄せる現象が違う。いい事が起きるのです。
そして、お弟子さんに対しては、人の個性を否定しないという気持ちを持っていました。
だから、私は、お弟子さんたちの個性をいじりませんでした。全員、個性が違うんです。そのなかで、一人ひとり、しあわせになる。これが私の基本路線で、私の教えです。だから、ウチの人たちって、みんな明るいんです。
と書かれています。
これを読んで思いましたことは、微差とは、書いてありますが、この微差こそが大事なこと。
しあわせは、本人が思えばしあわせになれるし、その時、私を大事にし、人を大事にし、社会を大事にすれば、より大きなしあわせになると思いました。
そしてポイントとしては、私の心持ち次第で、楽しくなったり、苦しくなったりすると思いました。
いろんな人を見ていますと、ちょっとのことでも、感動する人もいますし、結構凄いことでも、心が動かない人もいます。
人に対して、向き合うと、いろいろ気づくことがあります。それは、人の事に気づくというより、本当は人を通して、私のことに気づくということになります。
道理が分かっている人は、微差が大事というのを知っています。
素直な人は、微差をやってみます。
じゃない人は、微差をしません。 (笑)
みなっしーから、京都のお土産で、京都で有名なパン屋さんのアンパンを頂きました。
ありがとうございます! (*´∀`*)