所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 好きなもの|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 37の記事一覧
ゴールデンウィークが、あっ!という間に終わった。
今回の目的の親孝行は、両親と、祖母の身体のメンテナンスをして、後は、返事は、全てイエスで答えていたので、出来ていたと思う。
畑で、キャベツとほうれん草を収穫した。スーパーでは、お店によって、1個140円くらいから、300円ぐらいで売っている。(スーパーによって、全然違う。)収穫したものは、スーパーより大きいキャベツで、これなら、500円ぐらい貰わないと、割に合わないと思った。(私は、収穫しただけだけど。)でも、500円だと、消費者には、高いなと思った。生産者の求める金額と、消費者の求める金額は違うと思うので、価格を決めるのは、難しいなと思った。
後、ゴールデンウィーク中のいろんな家族を見ていて、子ども達は、自然と親の言うことを、聞いていて、枠が出来ちゃっているなと思った。勿論、子供の時は、生活費や、お金の事や、いろんな事を考えず、私の事だけ考えていればよくて、いろいろうるさい親かもしれないが、しっかり守られている。(ちっちゃな世界で生きている。)
個人的には、私自身を徹底的に元気にすると、どんなふうになるのかやってみようと思う。
身体が凄まじく元気なら悩みは、結構、無くなると思う。
それを、実践して生きていこうと思う。
日曜日に、町田で、島津先生の柳生心眼流の活法があった。
前回、足首をやると、土台がよくなることで、他の部分もよくなることが分かった。
今回、分かったのは、そもそも私達が習ってきていた解剖学の身体のイメージと、実際が違っていたことだった。
今回、これを理解してもらう為に、先生は、足関節の標本をバラバラにしてくれた。
そして、みんなに、どうなっているか?考えさせた。
私は、先生に「構造が違うんですね。」と言った。
前回の足首の時の理解は、土台が大事。足首という土台が歪むと、身体が歪む。だから、身体の症状が出ている時、その部分だけやっても、根本をやっていないので、結局は、また、症状出るよという意味で、その部分だけに、アプローチするのは、先生は、好きじゃないんだなと思った。
かと言って、先生の仰る、小指側に体重をかけるとか、草履を履くのは、今の現代の人はやらないだろうと思っていた。まあ、先生は出来るけど、みんなは、そこまでやらないだろうと思っていた。
先生の小さい頃は、裸足で歩いていたらしい、それが、靴というものを履かなきゃいけなくなったらしい。
この時、感じたことは、裸足の時の自由さから、靴を履いたときの不自由さだったそうだ。
だから、私達には、当たり前の靴を履くという感覚が、先生には、窮屈で、それが、身体を悪くしてると、実感を持って仰っていると思う。
私達は、小さい頃から、靴を履いてきて、生きている人が、日本では、多いと思う。
そこで、習う運動学は、靴ベースの歩き方だったりする。
ということは、これが、私達のベースの考え方になってしまっている。
だから、先生の仰る話は、つい例外として、武術家の人だから、それをしているのかと思っていた。
が、今回分かったのは、先生の教えてくれたことが、理にかなっていると思った。
先生は、刺激(痛み)、脳、意識が大事ということを話されている。
心眼流は、殺活なので、先生に、「例えば、100で死ぬという時、99なら、自然治癒が一番働きますよね。でも、これを、するには、恐ろしく痛いし、信頼関係がなきゃダメですよね。」と聞いてみました。
すると、先生は、治療する前に、身体の動かない方と1時間くらい話をするという話をしてくれました。
先生は、この人を治そうと本気で、覚悟を決めている、だから、患者さんにも同じように、治りたいという覚悟を決めてもらいたいと思っているんだなと思いました。これが、先生のいう意識、違う言い方をすると、一体感、私的には、愛の場。
なかなか症状がとれない方や、プロの方や、スポーツ、格闘技、武術、をやってる方で、運動能力を上げたいで、本気の方は、島津先生の所は、お勧めです。
島津正體院
東京都町田市中町1-13-9-101
☎042-729-2225
今回、構造も、私の理解の範囲で、書いてもよかったのですが、みんなに分かりやすいように、島津先生の本が、腱引きの師匠や、いろいろ研究しているお医者さん達も参加される形の本になるようです。
昔から、好きな人は、どんな人と聞かれて、優しい人がいいですと答えていた。
6年ぐらい前には、近所の整形外科の院長先生から、打ち上げの席で、「松岡先生は、どういう人がタイプ?」と聞かれた。
その時、「私は、今の世の中いろいろあると思いますが、状況が良いから、上手くいってるのではなく、どんな状況でも、一緒にやっていく、苦楽を共にするタイプがいいです」と答えていた。
たぶん、この時の私は、状況によって、あっちに行ったり、こっちに来たりする打算的な人は、嫌いだったので、こういう言葉になったと思う。
今だと、やはり優しい人とか、知らない世界を知っている人という感じになる。
そこで、この優しい人というのを考えてみた。
昔は、真面目で、正直で、思いやりがあって、心の広い人という感じだった。
そして、ポイントは、私より優しい人。
優しさというと、人によって、私にだけ優しければとか、みんなに優しいとか、厳しさも優しさとか言ったりすると思う。
そして、今思う、優しい人とは、何かが分かった。
人生をやってきて、分かったのは、短気な人は、いくら恐い顔してても、我慢の出来ない人なので、精神的に弱く、毎日、日々、人生を修行のように生きている人は、精神的に強い。ここまでいくと、信念という所になる。
以前、有名な空手家の先生の講演会に参加した。
その時、その場は、ピーンと張り詰めていた。そして、私は、この人は、相当、精神的にも、強いなと思った。
そして、2年後、久しぶりにワークショップに参加して分かったのは、その信念の奥にある、弟子を一人前にしょうという愛だった。
私の言う優しい人とは、この愛が感じられる人、もう少し言うと、この愛の部分。
だから、私にとって、ゴツイ勇ましい人と時間を共有する場と、可愛いらしい女性と時間を共有する場の価値は同じになる。
無償の愛という言葉がある。無償の愛を持ちながら、運命の人と出会うといいなと思っていた時期があった。(意外と、顔に似合わず、ロマンチックなところがある。笑)
一方で、分け隔てなく愛せる。一方で、特別の人が欲しい。これは、矛盾している。でも、両方上手くいきたいと思っていた。
特別な人というのが、出てくるのは、僕の彼女とか、私の彼氏というふうに独占しないと、不安な気持ちが出るから、そういうことで、安心する為である。
今私なりに、優しい人とは、大きな愛を持っている人ではなく、この愛の場が出来ると、みんな優しい人になってしまうことだということが分かった。そうなると、特別な人というのは、なくなる。あるとすれば、愛という場でのワガママごっこになるのかなと思う。
意外と漠然としていた優しい人という意味が分かったのは、よかった。(*´∀`*)
日曜日に、奥多摩の三頭山に山登りに行った。
今回は、とにかく、雪が無くて、雨が降らなきゃいいなと思っていた。
だって、雪山だとアイゼンをつけなきゃいけないし、雨が降ったら、普段使っている厚手の重たい雨合羽を着なきゃいけない。
山を登っていると、途中から、小雨になってきた、リーダーは、濡れないように、上着を出していた。
カッパ着る?とリーダーから、言われたが、大丈夫ですと言って、着なかった。
もう少し、雨が強くなって、リーダーは、傘を出していた。
私は、このぐらい濡れても大丈夫と思ってそのまま歩いた。
お昼に、屋根のついた所で、カップラーメンを食べていると、土砂降りになった。
流石に、この雨では、カッパを着なきゃと思い、完全武装で、気をつけながら、山を降って行った。
けっこう泥だらけになったが、怪我無く、無事下山となった。
山は、きつい所もあるけど、やっぱりいいなといつも思う。
武道家の人や、武術家の人を見ていると、その佇まいや、雰囲気が、カッコイイなと思ったりする。
先日、1年ぶりくらいの来院の患者さんと話をした。
彼、曰く、仕事と休日で、あまりに休日に休み過ぎる(ゆっくり)と、調子が悪くなるというのが分かったそうだ。だから、仕事の日と、休日を出来るだけ同じ感じで過ごすそうだ。
整骨院に来られる患者さんは、痛みや、強い症状をかかえて来られる。そうして、症状と一緒に、ストレスもかかえて、緊張している人が多い。身体の緊張、心の緊張に対して、お仕事終わったら、仕事モードのスイッチをオフにした方が言いといつも言っている。
たまに、月曜日が調子が悪いという患者さんがいたりした。何で休みの次の日で調子悪いのかなと思った。余程、仕事がストレスなのか、遊び過ぎで、疲れてちゃっているのかと思っていた。
私の場合だと、休みで、ぐでーんとしても、仕事になると、150ぐらい出せる。だから、意味が分からなかった。今回、彼の話を聞いて、人によって違うんだなと思った。昔、ナンバ式の先生が、筋肉は、緩ませすぎると、身体の反応が悪くなるという話をされていた。そういうのも、関係するのかもしれない。
昔、勤めている頃は、仕事の時は、次の日も仕事と思って寝ていた。(決して、油断はしない。)休みの前の日は、次の日は、仕事がないので、力を抜いて眠ることができた。
患者さんを見ていると、仕事とプライベートを分けて考えている人が多い。仕事というと、力が入って、緊張している。そして、緊張するのが、普通になっていく。仕事、頑張っているから、プライベートは、ゆっくりしたいなと思っている。
今回、彼の話を聞いて分かったことは、仕事とプライベートにあまり差がありすぎると、調子が悪くなる人もいるということ。
これを、踏まえて、考えてみる。
緊張度。仕事100 プライベート80
仕事100 プライベート50
仕事100 プライベート30
仕事 70 プライベート100 (これは、仕事、手を抜いているなとか。笑 )
仕事100 プライベート100 (仕事も、遊びも全力でとか。)
仕事 50 プライベート50 (上手く、力が抜けてるなとか。)
律するというと、素晴らしい気がして、怠惰というダメな気がする。
でも、人って、身体が丈夫な人もいるし、弱い人もいる。心が強い人もいるし、弱い人もいる。
律するというと、それが好きな人もいるし、それを、厳しく感じる人もいると思う。
怠惰というと、ダメ人間て感じがするけど、ゆっくりするというと、身体と心を労わっている気がする。
厳しくし過ぎて身体と心を痛める人もいるし、ダラダラし過ぎて、身体と心を弱らせる人もいると思う。
人と比べず、私自身としっかり、向き合うと、その人に丁度いい、緊張感、リラックスが分かってくると思う。
律することも、愛だし、リラックスすることも、愛だと思う。
人にも優しく、私にも優しく、したいと思う。
ただ、その緊張感、リラックスは、人によって違うので、私の思った優しさは、相手にとって、厳しさになるかもしれないのでご注意を!