所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 好きなもの|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 37の記事一覧
日曜日に、町田で、島津先生の柳生心眼流の活法があった。
前回、足首をやると、土台がよくなることで、他の部分もよくなることが分かった。
今回、分かったのは、そもそも私達が習ってきていた解剖学の身体のイメージと、実際が違っていたことだった。
今回、これを理解してもらう為に、先生は、足関節の標本をバラバラにしてくれた。
そして、みんなに、どうなっているか?考えさせた。
私は、先生に「構造が違うんですね。」と言った。
前回の足首の時の理解は、土台が大事。足首という土台が歪むと、身体が歪む。だから、身体の症状が出ている時、その部分だけやっても、根本をやっていないので、結局は、また、症状出るよという意味で、その部分だけに、アプローチするのは、先生は、好きじゃないんだなと思った。
かと言って、先生の仰る、小指側に体重をかけるとか、草履を履くのは、今の現代の人はやらないだろうと思っていた。まあ、先生は出来るけど、みんなは、そこまでやらないだろうと思っていた。
先生の小さい頃は、裸足で歩いていたらしい、それが、靴というものを履かなきゃいけなくなったらしい。
この時、感じたことは、裸足の時の自由さから、靴を履いたときの不自由さだったそうだ。
だから、私達には、当たり前の靴を履くという感覚が、先生には、窮屈で、それが、身体を悪くしてると、実感を持って仰っていると思う。
私達は、小さい頃から、靴を履いてきて、生きている人が、日本では、多いと思う。
そこで、習う運動学は、靴ベースの歩き方だったりする。
ということは、これが、私達のベースの考え方になってしまっている。
だから、先生の仰る話は、つい例外として、武術家の人だから、それをしているのかと思っていた。
が、今回分かったのは、先生の教えてくれたことが、理にかなっていると思った。
先生は、刺激(痛み)、脳、意識が大事ということを話されている。
心眼流は、殺活なので、先生に、「例えば、100で死ぬという時、99なら、自然治癒が一番働きますよね。でも、これを、するには、恐ろしく痛いし、信頼関係がなきゃダメですよね。」と聞いてみました。
すると、先生は、治療する前に、身体の動かない方と1時間くらい話をするという話をしてくれました。
先生は、この人を治そうと本気で、覚悟を決めている、だから、患者さんにも同じように、治りたいという覚悟を決めてもらいたいと思っているんだなと思いました。これが、先生のいう意識、違う言い方をすると、一体感、私的には、愛の場。
なかなか症状がとれない方や、プロの方や、スポーツ、格闘技、武術、をやってる方で、運動能力を上げたいで、本気の方は、島津先生の所は、お勧めです。
島津正體院
東京都町田市中町1-13-9-101
☎042-729-2225
今回、構造も、私の理解の範囲で、書いてもよかったのですが、みんなに分かりやすいように、島津先生の本が、腱引きの師匠や、いろいろ研究しているお医者さん達も参加される形の本になるようです。
昔から、好きな人は、どんな人と聞かれて、優しい人がいいですと答えていた。
6年ぐらい前には、近所の整形外科の院長先生から、打ち上げの席で、「松岡先生は、どういう人がタイプ?」と聞かれた。
その時、「私は、今の世の中いろいろあると思いますが、状況が良いから、上手くいってるのではなく、どんな状況でも、一緒にやっていく、苦楽を共にするタイプがいいです」と答えていた。
たぶん、この時の私は、状況によって、あっちに行ったり、こっちに来たりする打算的な人は、嫌いだったので、こういう言葉になったと思う。
今だと、やはり優しい人とか、知らない世界を知っている人という感じになる。
そこで、この優しい人というのを考えてみた。
昔は、真面目で、正直で、思いやりがあって、心の広い人という感じだった。
そして、ポイントは、私より優しい人。
優しさというと、人によって、私にだけ優しければとか、みんなに優しいとか、厳しさも優しさとか言ったりすると思う。
そして、今思う、優しい人とは、何かが分かった。
人生をやってきて、分かったのは、短気な人は、いくら恐い顔してても、我慢の出来ない人なので、精神的に弱く、毎日、日々、人生を修行のように生きている人は、精神的に強い。ここまでいくと、信念という所になる。
以前、有名な空手家の先生の講演会に参加した。
その時、その場は、ピーンと張り詰めていた。そして、私は、この人は、相当、精神的にも、強いなと思った。
そして、2年後、久しぶりにワークショップに参加して分かったのは、その信念の奥にある、弟子を一人前にしょうという愛だった。
私の言う優しい人とは、この愛が感じられる人、もう少し言うと、この愛の部分。
だから、私にとって、ゴツイ勇ましい人と時間を共有する場と、可愛いらしい女性と時間を共有する場の価値は同じになる。
無償の愛という言葉がある。無償の愛を持ちながら、運命の人と出会うといいなと思っていた時期があった。(意外と、顔に似合わず、ロマンチックなところがある。笑)
一方で、分け隔てなく愛せる。一方で、特別の人が欲しい。これは、矛盾している。でも、両方上手くいきたいと思っていた。
特別な人というのが、出てくるのは、僕の彼女とか、私の彼氏というふうに独占しないと、不安な気持ちが出るから、そういうことで、安心する為である。
今私なりに、優しい人とは、大きな愛を持っている人ではなく、この愛の場が出来ると、みんな優しい人になってしまうことだということが分かった。そうなると、特別な人というのは、なくなる。あるとすれば、愛という場でのワガママごっこになるのかなと思う。
意外と漠然としていた優しい人という意味が分かったのは、よかった。(*´∀`*)
日曜日に、奥多摩の三頭山に山登りに行った。
今回は、とにかく、雪が無くて、雨が降らなきゃいいなと思っていた。
だって、雪山だとアイゼンをつけなきゃいけないし、雨が降ったら、普段使っている厚手の重たい雨合羽を着なきゃいけない。
山を登っていると、途中から、小雨になってきた、リーダーは、濡れないように、上着を出していた。
カッパ着る?とリーダーから、言われたが、大丈夫ですと言って、着なかった。
もう少し、雨が強くなって、リーダーは、傘を出していた。
私は、このぐらい濡れても大丈夫と思ってそのまま歩いた。
お昼に、屋根のついた所で、カップラーメンを食べていると、土砂降りになった。
流石に、この雨では、カッパを着なきゃと思い、完全武装で、気をつけながら、山を降って行った。
けっこう泥だらけになったが、怪我無く、無事下山となった。
山は、きつい所もあるけど、やっぱりいいなといつも思う。
武道家の人や、武術家の人を見ていると、その佇まいや、雰囲気が、カッコイイなと思ったりする。
先日、1年ぶりくらいの来院の患者さんと話をした。
彼、曰く、仕事と休日で、あまりに休日に休み過ぎる(ゆっくり)と、調子が悪くなるというのが分かったそうだ。だから、仕事の日と、休日を出来るだけ同じ感じで過ごすそうだ。
整骨院に来られる患者さんは、痛みや、強い症状をかかえて来られる。そうして、症状と一緒に、ストレスもかかえて、緊張している人が多い。身体の緊張、心の緊張に対して、お仕事終わったら、仕事モードのスイッチをオフにした方が言いといつも言っている。
たまに、月曜日が調子が悪いという患者さんがいたりした。何で休みの次の日で調子悪いのかなと思った。余程、仕事がストレスなのか、遊び過ぎで、疲れてちゃっているのかと思っていた。
私の場合だと、休みで、ぐでーんとしても、仕事になると、150ぐらい出せる。だから、意味が分からなかった。今回、彼の話を聞いて、人によって違うんだなと思った。昔、ナンバ式の先生が、筋肉は、緩ませすぎると、身体の反応が悪くなるという話をされていた。そういうのも、関係するのかもしれない。
昔、勤めている頃は、仕事の時は、次の日も仕事と思って寝ていた。(決して、油断はしない。)休みの前の日は、次の日は、仕事がないので、力を抜いて眠ることができた。
患者さんを見ていると、仕事とプライベートを分けて考えている人が多い。仕事というと、力が入って、緊張している。そして、緊張するのが、普通になっていく。仕事、頑張っているから、プライベートは、ゆっくりしたいなと思っている。
今回、彼の話を聞いて分かったことは、仕事とプライベートにあまり差がありすぎると、調子が悪くなる人もいるということ。
これを、踏まえて、考えてみる。
緊張度。仕事100 プライベート80
仕事100 プライベート50
仕事100 プライベート30
仕事 70 プライベート100 (これは、仕事、手を抜いているなとか。笑 )
仕事100 プライベート100 (仕事も、遊びも全力でとか。)
仕事 50 プライベート50 (上手く、力が抜けてるなとか。)
律するというと、素晴らしい気がして、怠惰というダメな気がする。
でも、人って、身体が丈夫な人もいるし、弱い人もいる。心が強い人もいるし、弱い人もいる。
律するというと、それが好きな人もいるし、それを、厳しく感じる人もいると思う。
怠惰というと、ダメ人間て感じがするけど、ゆっくりするというと、身体と心を労わっている気がする。
厳しくし過ぎて身体と心を痛める人もいるし、ダラダラし過ぎて、身体と心を弱らせる人もいると思う。
人と比べず、私自身としっかり、向き合うと、その人に丁度いい、緊張感、リラックスが分かってくると思う。
律することも、愛だし、リラックスすることも、愛だと思う。
人にも優しく、私にも優しく、したいと思う。
ただ、その緊張感、リラックスは、人によって違うので、私の思った優しさは、相手にとって、厳しさになるかもしれないのでご注意を!
10周年ボールペンが、今日届いた。
以前、松岡整骨院の名前の書かれたペンライトか、ボールペンが届いたことがあった。
その時は、あ~あこういうのも、いいかなと思ったが、結局、みなっしーといろいろ話して、それで、終わってしまった。
今回は、ダイレクトメールに、松岡整骨院様、10周年おめでとうございます!と書かれていて、その中に、松岡整骨院という名前と、10の文字が書かれたボールペンが入っていた。
それを、見てやるなと思い、心をつかまれてしまった。
普通、ダイレクトメールは、不特定多数の人に、その人、その物、その会社の伝えたいことを、一方的に送る。
(考え方としては、私に合う人だけ、反応すればいいと思っている。)だから、捨てるという人も多いと思う。
今回は、松岡整骨院の情報を、どこかで掴んで、私(整骨院)という人を見て、その人(整骨院)に対して、そのものを提供している。
だから、嬉しい。(*´∀`*) 人は、余程、ひねくれていない限り、人から思ってもらえると、嬉しく思うと思う。
人は、相手を見るとき、普通に見ているつもりだが、あくまでも、その人の分かる範囲で、相手はこうだと決めつけて見ている人が多い。だから、相手を見ているが、私を見ていることと同じになり、これを、鏡とか言ったりしていると思う。じゃあどうするかというと、愛を持って見るということになる。愛は、人によって、違うので、私なりの言葉で言うと、我(ワガママ、法律、道徳、ルール、ものさし)を無しの状態。我というと、ワガママ、自己中、自分勝手は、分かりやすいと思う。これを、制するという意味で、法律とか、道徳とか、ルールがあると思う。そんなことされたら、他の人に迷惑をかける。世の中大変になっちゃう。だから、守らなきゃいけません。となる。でも、赤ちゃんはどうでしょうか?結構、めちゃくちゃ、ワガママ放題だと思う。でも、可愛いからいいいよ。世の中のことまだ、知らないからいいよ。と思っていると思う。赤ちゃんが、愛そのものと言っている人もいる。聖人とか、法律とか、ルールが好きな人は、そのまま本人のお好きなように生きていけばいいと思う。よくあるのは、この人達が、この聖なるものとか、法律とか、ルールを、相手にこれを、強要することがある。言っているほうは、悪気なく、正論と思っているので、言葉が強い。言われているほうは、その人自身もそう思っているので、何も言えない。これが、凄く心を苦しめる。(日本という国は、法治国家であり、会社には、会社のルールがあるとは思うが。)
我というのが、あると、その人自身の世界を制限してしまう。愛があると、相手の世界のことも知ることが出来る。世界が広がる。
ワガママを正そうとする世界には、ルールが必要だけど、いろんなワガママを認められる世界だと、ルールはいらない。だって、仲良しだから。
愛があると、みんな仲良し!愛がないと周りは、敵ばっか!
このボールペンは、インターナショナル・プロセス・システムズ株式会社内ナショナルペン
☎0120-306-400 だそうです。
このやり方は、素晴らしいなと思ったので、電話してみました。
「どうやって、松岡整骨院の情報を手にいれたのですか?」
「マーケティング部がいろいろホームページを見たりして、見つけたそうです。」
「普通、ダイレクトメールは、不特定多数に送ると思いますが、松岡整骨院の10周年というのが、分かって、ボールペンを送ってくれたので、嬉しかったです。是非、喜んでいたとお伝えください。ありがとうございました。」
人は、相手に、私を想ってもらえると、単純に嬉しいと思います。
このボールペンの不特定多数でなく、あなたの為に造りましたというのは、いろんなビジネスの人のビジネスをする上での、一番大事なことかなと思いました。
ありがとうございました。勉強になりました。
松岡良一
土曜日の夜に、3月のライオンという映画を観た。
今まで、この映画の予告の動画を60回以上観て、行こうと思っていた。
今回、観ていて思ったのは、目の動きとか、瞼(まぶた)がピクっとくるとか、その人の感情を表現している所が凄いなと思った。
たくさんの有名な役者さんが出ていて、その役柄に合わせて、それを、その役者さんの持てる全てを出していた。
その役者さん同士の感情と感情のぶっかりあいが面白かった。
感情を観ている人にリアルに伝えることが出来る役者さんという人は、流石、プロだな思った。
役者さんは、たぶん、表情だけでなく、普段、みんながあまり気に留めてない所作までも、追究して、出来るだけリアルなその人物像をつくりあげていると思う。
いい映画です。
3月のライオン、お勧めです!(*´∀`*)
日曜日に、長野県の守屋山に山登りに行った。(近くに諏訪湖がある。)
天気も素晴らしく、雪もあるが、風も強くなく、いい感じだった。
このまま、いい感じで行けるかかなと思った。
途中で、リーダーがアイゼン(氷で滑らないように、靴底につける金属製の爪。)をつけると言った。
何とか、アイゼンなしで、行けると思ったが、そうはいかないかなかった。(やばい予感。)
あれ、どうやって、つけたっけなと思いながら、アイゼンをつけようとしていると、リーダーが鬼の形相で、また、ちゃんと練習してきてないなと、雷を落とした。(´・ω・`)
どうもすいませんと言いながら、リーダーにアイゼンをつけてもらった。
昼に、カップラーメンを食べていると、リーダーがコーヒーを飲む時のコップ持ってきたかと言った。
あっ!忘れた。やばい!また、怒られてしまう!
大丈夫です。このカップで、いけます。と言ったら、リーダーが紙コップを持ってきてくれていた。
どうもありがとうございます。
リーダーや、先輩を見ていると、普段、ちゃんと、鍛えている。(だから、二人共、腹筋が割れているんだろう。)
リーダーは、週5日歩いて、それとは、別に週2日トレーニングしている。
それがあるから、山登りが出来るそうだ。
それに、ひきかえ私は、全く運動してない。
いつも山登りで、いっつも死にそうになるのは、ここに、原因があると思う。
(身長は、一緒くらいなのに、体重は、40kg違っている。)
山に行くと、癒やれる、山に行くと、きつい、山に行くと、カップラーメンが美味しい、山に行くと、何かきづいたりする、山には、何かあると思う。
今回の山登りで、気づいたこと。
①アイゼンのつけたかをしっかり覚えましょう!
1、装備をしっかりしないと、命取りです。(大怪我の元です。)
2、周りに、迷惑かけてしまいます。(もたもた、すると、時間がかかります。)
3、リーダーに、鬼の形相で、怒られてしまいます。(心に、ダメージを受けるかもしれません。)
②コーヒーカップを忘れないように!
1、忘れると、コーヒーが飲めないかもしれません。
2、リーダーに怒られます。(´・ω・`)となります。
今回、特に思ったことは、リーダーと、先輩は、日々の努力をしている。
そして、今の状態(実力)に、あった、装備をしている。
ということは、自分を知っている。
そんな二人に、迷惑をかける役としての私がいる。(なんちゃって!)
こんな私を、見捨てず、いつも、山登りに連れて行ってくれてありがとうございます!
これからも、よろしくお願いします!(*´∀`*)
昨日、道場の稽古があって、その後、懇親会があった。
懇親会の席で、行徳の先生が師匠の背中見ていれば分かるだろうという話をしていた。
これだけで、分かる人には、分かるし、分からない人は、分からないかもしれない話だけど、聞いていて素晴らしいなと思った。
背中って言ったって、大きな背中、小ちゃな背中、頼もしい背中、可愛らしい背中、哀愁のある背中の事では、勿論ない!(笑)
簡単に言うと、察しろ!という事である。
私達が、師匠や、先生を選ぶ場合、最初のきっかけは、困っている時に、助けられたとか、あの師匠は、凄いんですとか、あの先生は、凄い事が出来るという所を見てというのがあると思う。
行徳の先生は、師匠を持つ事の意味を、師匠という人がいることで、師匠がいない時より、凄く頑張れるし、道を外れないと言っている。
この話を聞いて、師匠の背中を見るとは、師匠の生きる姿勢を見る事だなと思った。
師匠という心の拠り所があるから、安心して、自由に、伸び伸び出来る。
師匠の見守ってくれる姿勢があるから、頑張れる。
最初は、師匠のその能力に惚れて、かもしれないが、その後は、やっぱり人間性と思っている。
いろんな師匠を見てきたが、凄く能力が高くても、心が出来ていないと、能力に振り回される。(ちょとは、自慢したいという気持ちの人はいると思うけど、それが過ぎると天狗になる。)
そんな師匠を盲目的に信じていると、周りが見えなくなるなと思っている。
世の中には、いろんな師匠がいるので、いろんな考えがあると思う。
冠光寺流の師匠は、見ていると、いろいろな方法を提示して、後は、その人がやる、やらないは自由意思に任している感じがする。私などは、昔は、仕事で、その人が苦労しないように、私が上手くいった経験を語ったりしていた。(つい、口だしたりしていたと思う。その時は、それが、その人の為と思っていたので。)その人の個性が花開くのは、その人自身が、何かあったり、問題にぶっかったりして、気づいたりしてだと思う。ただ、その個性の花開くスピードが違う。これを、じっと待って見守るのが、師匠かなと思う。
親子でさえ、つい、口出ししている人が多いとおもうが、他人に対して大きな愛を持って、見守るということが出来るか?価値観で見守ると、忍耐、我慢が出ると思う。愛という意識になったとき、人によって、スピードが違うことは、当たり前になると思う。これが、お弟子さんとして、分かって欲しいことでは、ないのかなと思っている。師匠としては、そういう気持ちを繋いでくれると嬉しいなと思っているのじゃないかなと思っている。
今回は、特に、行徳の先生の言う言葉が、心に響いたので、つい、出来心で思ったことを、書いてしましました。
いつも、ありがとうございます。(*´∀`*)
松岡良一
みなっしーから、水戸のお土産で、私の好きな納豆を頂いた。
何と、いつか食べたかった藁(わら)タイプ。
ありがとうございます!