所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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土曜日の夜に、仕事が終わってから、船橋のサウナに行った。
私が一番疲れた時は、船橋のラーメン屋さんで、つけ麺食べて、その後、船橋のサウナで、ジャグジーと、水風呂と、トゴール湯のお風呂に、繰り返し入る事で、(90分ぐらい。)完全復活する。
今回は、ラーメンは、食べなかったが、しっかりお風呂で、回復した。最近、考える事は、どんな時間の使い方も、その人が満足していれば、それでいいと思うし、それを、広げていくと、どんな生き方もその人が満足していれば、他の人には、分からなくても、それでいいと思う。その人を制限しているのは、その人自身の考えで、そこに気づけばどんどん楽になると思う。みんなの為に生きたい人は、みんなの為に生きる事が、その人自身の喜びになるし、私だけの為に生きたい人は、私だけが満足すれば、その人の喜びになると思う。人の人生は、有限なので、聖人のように生きる事が苦しかったら、手を抜いてもいいと思うし、私の思うままワガママ放題に生きれば、困るのは、周りだけなので、本人が楽しくてよければ、そういう生き方もあると思う。人生で、人に迷惑かけては、いけないと教わる。確かに、迷惑をかけられると、周りの人が困る事もあると思う。でも、人に遠慮して、我慢して生きるというのは、どうなんだろと思う。法律、ルール、道徳、倫理というのがある。これが正しいと教わる。すると、こうしなければいけないと思ってしまう。本当の私は、こう生きたいのに、これを、正しいと思っている私もいて、それが、本人を苦しめる。物事は、実際に私の問題として、真正面から取り組んだ時に、その意味が分かり、腑に落ちる。そういう事をひとつずつやっていく事で、私という人は、今まではこうだと思っていたけど、本当は、これが今の私にとって大事な事なんだという事が分かっていくと思う。いろんな人と出会って、いろんな話を聞いて、いろんな考えに触れて、そして行動すると、本当の私に気づいていくと思う。
3月1日は、開業日で、今日から、12年目突入となる。
雨の日も、風の日も、雪の日も、台風の日も、もちろん、晴れの日も、深夜0時まで整骨院を開けていた。(計画停電の時は、その時間だけは、出来なかったが。)
未だに、初めて来られた患者さんに、どの位やっているんですか?と聞かれ、10年以上やってますよと言っても、えーつそんなにやってるんですかと、言われ、まだまだ、認知度が低いなと思ったりしている。
最近、思う事は、整骨院に来られる患者さんは、様々なバックボーンを持ち、そして症状を持ってやってくる。そこで、症状の改善だけでなく、何かの気づきがあると、心に余裕が出たり、生活にはりが出たりするのかなと思う。お互い解放された者同士で、相対すると、この二人それぞれのストリーが分かり、またお互い見えていなかったものが、お互いを通して、見えてくるのかなと思う。そんな風な感じで、段々、世の中の全ての繋がりが分かるようになれば、苦手な人も、嫌いな人も、ああ、そういう事なんですねと思え、その出会いに自然と感謝する事が出来るかなと思う。人を変えるのは、難しいというけれど、人は、変わる事が出来る。それは、何かの出来事だったり、誰かとの出会いだっあり、そこで、本人が本気で、そう思った瞬間に変わっている。もし、世の中の人全てを、我事のように思えれば、いろんな人生を送ってる感じになる。相手を受け入れるとは、相手のその行為、その考えに対し、納得して、腑に落とす事だ。そうして、日々の生活の中で、ひとつ、ひとつ、実践で、やっていくと、許容量は、どんどん増えていく。それは、どんどん楽になることでもある。
こんな事を考えながら、日々仕事をしている。とりあえず、今出来る、目の前の事を精一杯やっていこうと思う!
日曜日に、東京の南高尾の草戸山に山登りに行った。
今回は、前回のラーメンが寒さで、硬かったので、カップラーメンでなく、インスタントラーメンを鍋でやろうという事になった。ラーメンは、サッポロ一番塩ラーメンにした。麺だけだと味気ないので、ウインナーと野菜を入れた。ラーメンは、凄く熱、熱だった。(熱過ぎた!)
熱いラーメンと、熱いコーヒーで、休憩は、充実していた。
4時間半の山登りだったが、リーダーに、「最後、足きてただろう?」と言われた。「あっ、はい。」
確かに、最後は、足にきて弱っていたのが、リーダには、ばれていた。
そんな感じの山登りだったが、無事怪我なく、いい感じの時間が過ごせたと思う。(*^▽^*)
日曜日に、町田の島津先生の所に行った。
今回は、山を捉える練習。
指先を動かす時は、肘から動かす。
指の末節骨の所は、鉤状(かぎじょう)になった部分があり、この部分で、筋を捉える。
この部分で捉えようと力が入ると、つい指が曲がってしまう。これは、指先がセンサーの働きをする為に、指先で、探る習性があるらしい。あくまでも、鉤状の部分で、筋を捉える。参加していた別流派の剣術の方に、何回教わっても、なかなか難しいんですよと言いましたら、刀の場合は、柄(つか)を持つとき、この鉤状の部分で、刃先の向きを変えると仰っていた。やはり、追究されている方は、いろいろ分かっているんだと思った。
私の今の課題としましては、瓢原(ひさご腹)にして、その力を背中、右肩、肘に伝えて、それを、指の鉤の部分で、筋を捉えることだと思いました。これが、出来ないと、背骨、顎の矯正が出来ないそうです。
整骨的な話としましては、昔、島津先生の場合は、折れたら、骨を整復して、ぴったり、合わせて、段ボールで、固定するそうです。そして、一週目で、外側の段ボールを外し、指を動かしてもらいながら、三週目には、全て、固定は、外し、終了だそうです。これが、なかなか理解されなかったそうです。昔、整形外科に勤めていた時、骨折の患者さんは、骨が着くために、三週固定し、三週リハビリをしていました。患者さんによっては、三週でも、骨のくっつきが怪しい時は、安全策で、四週固定し、そこから、リハビリしていました。今は、早期のリハビリが、復帰を早めるという方向だと思いますが、最新の現場の情報は、分かりません。骨折をピッタリ合わせる技術があり、動かしても、大丈夫という経験を持っている先生ならでは、と思う所であります。
今回、サンボの萩原さんが、来られていましたので、ツショートお願いしました。(私の叔父さんが、昔、サンボの理事をしていまして、萩原さんに、その話をしましたら、叔父さんに、お世話になったと言っておられました。私も、昔、叔父さんに、「松岡、お前もサンボやるか」と言われたことがありましたが、噂では、ギブアップしても、離してくれないというのを、聞きましたので、ヤバイなと思いやりませんでした。本当の所は、分かりませんが。笑
今回は、多くの方が来られ、みんな真剣に学んでいた、その姿勢がいいなと思いました。
なかなか覚えない私でありますが、次回もよろしくお願い致します! (*^▽^*)
佐藤さんの「お金2.0」という本を買った。よく、電車に乗るとこの本の広告があって、仮想通貨、フィンテック、シェアリングエコノミー、評価経済・・・「新しい経済」を私達はどう生きるか!という言葉を見て、こういうことを意識している人は、お金に対して、どう思っているのかと思った。お金を道具という人もいる。お金の話をすると、嫌な顔をする人もいる。お金を感謝の対価と思っている人もいる。
本の中で、お金は、もともと物々交換の不便さから生まれて最初は、貝殻で、それが、金属、紙になったようです。(今だと電子マネーもある。)価値の保存・尺度・交換の役割があると書かれています。
佐藤さんは、価値には、三つあると言っています。
①有用性としての価値
一言で言えば、「役に立つか?」という観点から考えた価値です。現実世界で使用できる、利用できる、儲かる、といった実世界での「リターン」を前提とした価値です。
②内面的価値
個人の内面的な感情と結びつけるもの
愛情・共感・興奮・好意・信頼など、実生活に約にたつわけでないけれど、その個人の内面にとってポジティブな効果を及ぼす時に、価値があるという表現を使います。
③社会的な価値
慈善活動やNPOのように、個人ではなく社会全体の持続性を高めるような活動も私たちは価値があると表現します。
今のお金は、この中で①の有用性のみを価値として考えている。
本の中で、フェイスブックのザッカバーグさんのハーバード大学のスピーチの言葉が書いてあります。
今日、私は「目的」について話ます。しかし「あなたの人生の目的を見つけなさいといった、よくある卒業式スピーチ」をしたいわけではありません。私たちはミレニアム世代なんだから、そんなことは本能的にやっているはずです。そうじゃなくて、今日私が話したいのは、「自分の人生の目標(意義)を見つけるだけでは不十分だ」ということです。僕らの世代にとっての課題は、「”誰もが”人生の中で目的(意義)を持てる世界を創り出すこと」なのです。(中略)この社会を前に進めること、それが僕ら世代の課題です。新しい仕事を作るだけじゃなくて、新しい「目的」を創り出さなくちゃいけない。
注 ミレニアム世代1980年代以降に生まれた世代、生まれた時から、衣食住が満たされた状態なので、あの服が欲しかったとか、美味しいものが食べたかったという強烈な執着が少なく、お金や出世みたいなものにモチベーションを感じにくいそうです。
お金があっても、ストレスが多い人もいるし、お金が無くてストレスを感じる人もいる。
段々と、社会が、価値に対して、①中心から、②や③になっていく方向だそうです。
最近、いくつかの会社で導入されている仕組みに、社内通貨があります。通貨の設計は、企業によって違いますが、社員が毎月一定の社内通貨を保有していて、それを同僚に感謝のしるしとして付与できるという仕組みにしているところが多いです。
ソシャールキャピタルは、個人が繋がってできている社会が持続的によい方向に発展していくために必要な「社会的なネットワーク」を「資産」と捉える考え方です。既存の経済ではマネーキャピタル(金融資本)を増やすことがうまい人(経営者・投資家)が大きな力を持っていましたが、これからはソシャールキャピタルを増やすのに長けた人も大きな力をもつようになると思います。
グラミン銀行はバングラデシュから貧困をなくしたいと考えたムハンマド・ユヌスが貧困に苦しむ人々に少額を貸し出す金融機関です。慈善事業を持続可能なビジネスとして成立させることで、寄付金や政府に頼らずに数百万人が貧困から脱することに貢献しました。
これら全体の流れを見ると、社会的に価値のある取り組みは利益を出しやすくなってきている一方で、利潤のみを徹底的に追及する事業は短期的な利益を求めすぎて消費者に避けられてしまうか、過剰競争に巻き込まれ長期的には収益を出しにくくなっている気がします。数十年後には、「営利」と「非営利」という区別はなくなっており、活動は全て「価値」という視点から捉えられるようになっているでしょう。
と佐藤さんは、見解をのべています。
この本を読んで、佐藤さんは、お金は、道具と言っております。
私の個人的な感想としましては、お金のパワーで、生活していた人は、パワーが効かない場面も出てくるのかなと、かっいって、大事なのは、お金じゃないという人が上手くいくかというと、あくまでも、こちらだけが、相手の為と一方的に思っても、伝わらなきゃダメで、その為には、人間性を磨く必要があるのかなと思いました。
今は、どういう仕組みを創ればいいか分かりませんが、お互いが優しさを持って相対するそんな社会がいいなと思います。こんなに優しくしやがって!倍返しだ!どっちが優しいか、勝負だ!
って、なると平和だなと思います。
と言いながら、今できることを、日々の生活の中で、一歩、一歩頑張っていきます!
落合さんの「デジタルネイチャー 計算機的多様性の世界へ」という題の講演会の動画を観た。
感想としましては、この方の考え方は、素晴らしいと思いました。
面白いと思ったのは、左手は、三拍子で、右手は、四拍子というリズムを取る時、これを、やるのは、なかなか難しいと思うのですが、電気を流せば、そういうことが、簡単に出来き、その後、電極を外しても、出来るようになるとのことでした。ということは、機械の出来ることを、人間に覚えさせることが出来るんだなと思いました。
これを、施術の世界で、考えると、エネルギー系の場合は、伝授という言い方をするのかなと思いました。ということは、師匠が弟子に、手の感覚を伝えて、それを、弟子が受け取ると、出来るようになるのかなと思いました。実際は、その師匠の感覚が微妙なので、なかなか難しいところでも、あるのですが、(いつか、その人が成長した時、これが、あの時の感覚かと思うのかなと思います。)触覚という所を研究していくと、もしかすると、機械的な刺激で、ある部分がアップしたり、ある部分を刺激することで、触覚のアップに繋がるのかなと思います。
他には、目が悪い人が、メガネをかける。お年寄りの足の弱った方が、足にロボットをつけて足の弱ったことをカバーする。
この話を聞きまして、メガネ、ロボットがあることで対等になれる。これは、素晴らしいと思いました。今の世の中は、いろんなところで、比較して生きています。強ければ、主張し、弱ければ、主張しづらい。そんな時、お互いが、対等という立場で、話すことが出来ると、お互いの幸せが実現するのかなと思います。(鬼みたいな人には、怖くて、何も言えない。)そうして、いろんな人と対等で話すことをしていると、私の本当にやりたいことが見えてくるのかなと思います。
落合さんのやりたいことは、私達自身が、普段、こうあらねばと、知らずに思っている常識に対して、(実は、この常識が、本人の葛藤の原因だったりするのですが、)これを、いろんな現象、いろんな物を見てもらって、本人の中にある価値観を壊して、そんなに苦しまなくて、もっと、楽に生きてもいいんだよということをされているのかなと思いました。
落合さんの言葉に、 波を起こしながらモノを作る「サーファー」になるべしがあるそうです。
この言葉も素晴らしいなと思いました。私は、こう解釈しました。新しいモノを作っても、みんなが理解出来なければ、意味がない、みんなに受け入れてもらう環境もつくりながら新しいモノをつくる。
世の中には、素晴らしい人がいますね。勉強になります。(*^▽^*)
心眼流的マッサージ。
これは、前回、その人の脈のリズムを感じ、そのリズムでやるという話は聞いた。
島津先生に、「先生、これは、段々やっていると、血液の動きが分かるようになるということでしょうか!」と聞きましたら、首を縦に降って下さいました。だそうです。静脈〇、脳梗〇にも、いいそうです。
今の私のレベルでは、そうかなと思うぐらいですけど、頑張ります。
丹田(瓢腹ひさごばら)
前回、丹田の上に、もうひとつ、お腹をつくると、普通の丹田より、持続するという話を教えて頂きました。
今回は、瓢原(ひさごばら)の方が、普通の丹田より、強いというのを、実感させて頂きました。
今回も、先生は、私達の力を見ていて、それに合わせて、教えて頂いているなと思いました。
ありがとうございました。
勉強になりました。また、よろしくお願いいたします。
日曜日に、町田の島津先生の所に行った。
今回、教えて頂いたのは、隠れ腰痛と、心眼流的マッサージと、丹田(瓢腹)
隠れ腰痛とは、どこが原因で、痛いか分からないけど、腰が痛い場合。
先生は、身体のバランスで、腰痛を感じると教えて下さった。
私の場合で、考えてみると、骨盤のズレと、筋の捻じれと、筋の引っ張られで、症状が出ている方が多く、それ以外だと、腹筋や、筋膜や、足首だったりしている。
身体のバランスと考えてみると、仙腸関節とか、頭蓋骨とか、重心とか、地球を考えると、重力もあったりすると思う。
ひとつの考え方としては、この腰痛に関わる要素を全て取り除けば、症状がなくなるというもの。
別の考え方としては、昔、患者さんで、ぎっくり腰の患者さんの筋肉が鉄板のようだったけど、普段、腰痛は感じないという場合。(脳が症状を認識しなければ、いいのか?)
脳が症状を認識しない場合と、脳が満足しているという場合もあると思う。
人によって、頑張れるタイプと、頑張れないタイプ、頑張れる時と頑張れない時があると思う。
センサーも、感度が上がれば、どんどん感じる事ができ、タフさも、どんどん強くなれば、よりタフになる。
症状に対しての感度が上がって、それに対して、不満を持てば、きつかったり、怒りが出てきたり、それに対して、そういう事かと納得できれば、和らいだり、楽になったりするのかなと思う。タフさも、麻痺という感じで、感じないのも、本人や周りにとって、今は、分からないが、いつか、爆発すると、困ることになるのかなと思うし、強くなることで、余裕ができると、本人や周りにとっても心や身体にいいかなと思う。(そうは言っても、松岡整骨院では、とにかく持てる力を全て出して施術しますので、安心してください。)