所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
日曜日に親友の山ちゃんと、群馬県に、カニ食べ放題のバスツアー行った。
カニは、食べ慣れていなと、食べるのに時間がかかる。
そうは言っても、3回お代わりした。(お腹一杯!)
酒蔵では、試飲をし、そこで、食べた、お酒のソフトクリームは美味しかった。
ぶどう刈りは、ひと房だけ、取ってよかったが、どれが、いいかよく分からなかった。
道の駅では、ビールを飲んで、ソーセージを食べた。(お酒は弱いけど、美味しかった。)
風がとっても、心地よかった。
一日が、あっという間に、時間が過ぎた。
感想としては、とっても、楽で、リラックス出来た。
帰りのバスで、アンケートを書いた。
今回のもう一つの目的である、カンブリア宮殿で、紹介されていた、クラブツーリズムのサービスとは、どんな感じかを考えてみた。
よくバスツアーで、右手に見えますのは、あの有名な何何です。左手に見えますのは、歴史ある何何ですと説明してくれたりする。
そうすると、みんな一生懸命それを、聞こうとして、身体に力が入る。(日本人は生真面目な人が多いので、最近は、そうでもないが。)
そんな中、勝手におしゃべりしていると、ガイドさんが、一生懸命話をしているのに、あの人達は、なぜ、黙ってきかないのか!
と心の中で怒っている人もいると思う。(ガイドさんとしては、楽しんでもらおうと思っているのだが。)
このバスでは、みんな、お友達同士で、勝手におしゃべりしている。(でも、それが、不快でない。)
強制しない事で、トラブルをつくらないようにしているし、自由を与えている。
今回思ったのは、相手の為を思って行っている事が、もしかすると、相手を縛っている事もあるかもしれないなと。
ツアーも目的によって、いろいろ集まる人達が違うと思うので、例えば、熱い集団であれば、また、違ったサービス(ひとつになれるとか。)
になるのかなと思った。
どんどんシンプルにすると、どんどん自由になると、思うけど、その自由が、相手の自由を制限しないように、お互いの自由を尊重しあう為には、
どうしたらいいかを考えるのが、ポイントかなと思った。
大和田菜穂さんの「すでに愛の中にある」という本を読んだ。
なかなか深い!
自己意識(私)というのは、脳が作り出した幻想です。
と書かれている。
一般的に私がいて、相手がいて、世界があってという感じで暮らしていると思う。
私という時、この肉体を持っているのが、私と認識している人が多いと思う。
以前から、良く浮かんだ考えは、もし、みんながゼロの状態で生まれて、これは、こういう事ですというデーターを
入力され、ある出来事があり、それに、反応したり、本人が学習したりしたりして、人生を送ったとする。
例えば、この時、二人の人が肉体も、入るデーターも、同じで、全く同じ条件で出来事が起きたとすると、同じ考えになると思う。
本人的には、自分で考えて行動していると思っているのだが。
みんな私という肉体をもったこの身体で、世界を見ている人が多いと思う。
そうすると、私と世界とか、私とあなたとか、私と私以外というものを創ってしまう。
そんな感じで暮らしている人が多いと思う。
良く、人生は、決められているとか、決められていないとかという話がある。
人生が決められているならば、頑張ってもしょうがないと思う人もいる。
人生が決められていなければ、頑張れば、より良くなるので、頑張りたいと思う人もいる。
大和田さんは、{すべてひとつのエネルギーが形を変えた現れたものです。目に見えるもの、見えないもの、感覚や音、思考、イメージその他
この世にあるものすべては同じ一つのエネルギー(私はライフと呼んでいます)の表現であり、本当は、分離というのは存在しません。
実際は、ただ、「全体」があるだけで、独立した個人というものも存在しません。そして、時間というものも存在せず、あるのは無時間の空間のみです。
また、何かをコントロールしている存在というのもなく、一つひとつの現象はただ起きているだけです。
このノン・デュアリティ、非二元という視点は、実際のところ頭で「理解する」ものではないのでなかなか伝わりにくいのですが、
人はどこかで、「これ」を知っているのです。}
と話されています。
私という部分が、限られたデーターしかないのに、全体を分かろうとしている所に無理がある。
映画を見ていて、私が映画の主人公がだったら、結末が決まっている。
これが、あなたの人生だったら、どうだろうか?
面白くないと思う人もいるし、ハッピーエンドなら、いいやという人もいるかもしれない。
この時、映画を見ているという意識なら葛藤は、ない気がする。
スマップのナンバー1でなくても、オンリー1でいいという歌がある。
全体の中のそれぞれは、みんな表現の違いがあるだけで、同じものという考えが持てると葛藤はない。
ただ、私という個人の人生の意味というのを、考えると、私と私以外を生み出してしまう。
ポイントは、私という部分で全体を見ようとしている所。
私を追求しすぎて、私と私以外にしない事。
視点を私から、全体という意識に変える。
これが、難しいと思う。
感じとしては、現象を見ている感じ。
大和田さんは、現象と私を結びつける所に、葛藤があると話されています。
本人の分かる範囲で、いろいろなものを取り入れていくのが、いいと思います。
8月13日から、16日まで、お盆休みだった。実家の木更津に帰った。
初日は、三井アウトレットパークに行き、父親の登山靴を買い、つけ麺とみたで、つけ麺を食べた。(一度、行ってみたかった。)
二日目は、高宕山に山登りに行った。(先月よりは、楽だった。)その後、スーパー銭湯に行った。
父親と弟の身体のメンテナンスをした。
弟の赤ちゃんが、泣いていた。(パパが(・(ェ)・)ゴローにやられていると思ったのだろうか?)
三日目、四日目は、ゴロゴロした。
のんびり出来て、よかった。
月曜日にみなっしーから、北海道のお土産を頂いた。(みなっしーに、院長、ウニ高いんでちゃんと、食べて下さいと言われた。)
お土産、ありがとうございます!
しっかり、充電したので、これからも、どんどん頑張っていこうと思う!
土曜日に仕事が終わってから、向かいにある整体のまこと先生と、居酒屋で、ご飯を食べた。
以前先生に、7月14日一周年ですね、おめでとうございますと伝えたら、一緒に飲みに行きましょうと言われ、
その日が、土曜日だった。(私は、お酒に弱いので、もっぱら食べる専門だけど。)
いろいろと話をしてみて、患者さんに、寄り添うという事と、自立してもらうという事を大事にしている所がいいなと思った。
時計を見てみると、なんと、1時50分。
アラームを、0時にして、バイブにしていたが、気づかず、終電が行ってしまった。
そこのお店が、朝3時までなので、そこで話した。
店を出て、開いているお店を、探したが、無く、最後は、交番に行って、聞き、居酒屋の近くの居酒屋が、朝までやっているという事で、そこに行った。
まこと先生は、心と身体の関係、今は、特に、メンタルを大事にしていると話してくれた。
結局、夜の8時30分から、朝の5時まで、お互いの仕事に対する話をして、いたら、まさかの朝帰りとなってしまった。(最後は、二人とも、眠い感じだった。)
まこと先生の仕事に対する、ただ漠然やっているのではなく、常になぜ?を持っている姿勢と、身体を壊さない施術を大事にしている事を
知れたのは、よかった。
まこと先生は、近所にこれだけいろいろ考えてる人がいるとは、思わなかったと喜んでいた。
まこと先生、お互い、ご近所同士、スタイルは違いますが、頑張っていきましょう!
日曜日に久しぶりに、父親と地元の高宕山に登った。
家で、準備している時、父親は、なぜか、鼻を蜂に刺され、私は、五本指の靴を履こうとしている時に、指を怪我して血が出てしまった。
そんな負傷している二人ではあったが、山を登っていると、鳥や、蝉等の声が聞こえて、自然を感じる事が出来た。
山によって癒されるのは、人によっていろいろだと思うが、私の場合は、山をただ感じる。
この状態になっていると、葛藤がないので、ストレスがない。
そうはいっても、炎天下の中の山登りは、最後は、くたくたのぼろぼろだったけど、非常に、よかった。
帰ってから、スーパー銭湯に行って、水風呂で、身体を冷やす事をしたので、身体の疲れは大丈夫だった。
今後は、山によっての感じ方の違いが、どう身体や心に影響するかを、検証できたらと思う。
間違いなく、私の場合は、山登りで癒されるので、この癒されるメカニズムをもっと、詰めていきたい!
お笑いの又吉さんが「火花」という小説で芥川賞をとった。
物語は、花火大会から始まる。
この本で伝えたかったのは、芸人さんも、売れている人、売れていない人、続けている人、辞めた人、いろいろいる。
花火のように、輝きたいと思いながら、頑張っている人達がいる。
誰に何を言われようが、その人にとって、そこにかける想いは、その瞬間は、火花のように、命を燃やしているです。
この頑張っている人達の思いを伝えたい。
この思いが、伝わったのだと思います。
おめでとうございます!
純粋な想いは、人の気持ちを動かすなと思いました。
お笑いの又吉さんの火花という本を読んだ。
又吉さんの風貌は、文豪という感じがするので、どんな文章を書くのか、興味があった。
本の内容は、お笑いに生きる主人公と、その先輩の事が書かれている。
主人公は、とにかくいろいろ考えているが、なかなかふっきれず、行動に移せていない感じで、
その逆のタイプの先輩は、不器用な感じで、相手かまわず、自分の思った事を徹底して、行動に移しているがうまくいってない、それが、二人の笑いに関係している。
昔、テレビに出ている落語家の師匠という方が来られた事があった。
これは、ひとつ笑わせてやろうと思った。
結局は、反応なし、という感じだった。
今思えば、人間的に磨かれていない若造の戯言に、話のプロが付き合う事は、ないだろう。
この時、飾らない等身大の私で、接していたら、何かひと事貰えたかもしれない。
芸人の人って、、凄いなと思う。
人によって、笑いのツボが違うし、その時によって、心理状態が違うし、そんな場を把握しなければいけないと思う。
俺の笑いで、笑わしてやろうと、思って、その場のお客さんの笑いのツボが合っていれば、笑うと思う。(共感出来る。)
俺の笑いで、笑わしてやろうと、思って、その場のお客さんの笑いのツボが合っていなければ、場が白けると思う。(共感出来ない。)
笑う時は、力が抜けている。
つまり、緊張していない。
という事は、北風と太陽の話のように、何とか笑わしてやろうと、思って、どんどん頑張って、力が入ると、笑いのツボが合っていない場合は、
お客さんも、ますます力が入って、笑えない状況になってしまう。
ここで、笑わそうと思って、お客さんが笑ってくれれば、いい場が出来ていると思う。
この先輩は、自分のやり方を通そうとして、お客さんを見ていない。
自分の笑いに対する美学がある為に、笑いをとる為に、お客さんに媚をうるのは、違うと思っている。
ここに、心の葛藤がある。
他の業種の職人さんであれば、うちの気に入らなければ、他に行ってくれ!
が、通用するかもしれない。(うちのこだわりが分かる人だけが、お客さんでいい。)
それで、本人が納得なら、そういう生き方もあると思う。
我の強い人と接すると、多くの人は、緊張すると思う。
芸人さんの場合は、お客さんを緊張させたら、笑いは、生まれ無いと思う。(緊張からの、弛緩は有りだと思う。)
私の鉄板ネタは、患者さんの耳元で、「ここだけの話なんですが、実は、この整骨院をつくったのは、◎◎さんの為に作ったんです。
本当は、他の人は来なくてもいいです。だけど、それでは、食べていけないので、しかたなくやっているんです。」と小声で話します。
すると、患者さんは、先生、冗談言ってといいますが、喜んでくれます。(15年以上前から、言ってると思います。)
これを、分析すると、患者さんの為に一生懸命やって、満足してもらった状態で、私自身が、患者さんの施術をする時は、その患者さんの事しか
考えていなくて、言葉が本心から出ているので、それが、伝わっているのだと思います。
肩こりが、ひどくなると、痛くなったり、更にひどくなると、鈍麻っていって、感覚が鈍くなります。(他に、頭痛、吐き気、痺れ、寝違い等もあります。)
頑張っている人程、身体も、心も固まっていて、また、それが、普通になって気づいていません。
昔は、こういう患者さんは、強い力で、ほぐしていました。
患者さん自身も、感覚が鈍くなってきているので、強い刺激を求め、更に、強い刺激となってしまいました。
そんな事をしていると、どんどん強い刺激で、どんどん筋肉を硬くしてしまいました。
あっ、これは、ダメだな、筋繊維を痛めているなと思い、そのやり方は、しないようになりました。
そんな身体と心の固まっている人に対する、笑いは、外側からの刺激というより、内側から、自分自身で、握っている拳を、開くような内側から
の刺激で心に届く、笑いなのかなと思います。(あくまでイメージですが。)
手ごわそうな人は、意欲がなく、いろんなものに無関心のタイプかなと思います。
このタイプの人が笑ってくれると、誰でも、大丈夫って感じがします。
お笑いの人は、本来は、その場にいる人を全て把握して、その人の背景まで分かったうえで、ネタをつくれば、たぶん受けると思います。
実際は、お客さんを見ていないで、勝ってに創ったネタで、お客さんを笑わせようとして、そこに、ギャップがある事です。
そのギャップをどう埋めたらいいのでしょうか?
徹底して、こだわり抜いたと思っているネタが、お客さんに受け入れられるには、何が必要でしょうか?
それが、場を掴むという事だと思います。
そこにいるみんなが肩の力を抜いて話が聞ける場!
これを、創れるかが、ポイントだと思います。
私自身は、教えてあげようと思って話すと、うまく場が創れない時があります。
ただ、ただ、気持ちだけで、話した方が、場が出来ている気がします。
場がうまく出来ると、お客さんは、安心して、緊張から開放されます。
お客さんの反応を見ながら、言葉が出てくるといいかもしれません。
お客さんによって、言葉がくぁっても、面白いと思います。
これが、お客さんの事を考えて出来た、お客さんの心を解放する笑いかなと思います。
もうひとつは、ある人は、身体を鍛え、毎日、腕立て、腹筋、背筋、スクワットをしています。
この人の発する、「ぽふっ。」ある人は,小さい頃から、ずっと、苦労して、努力に努力を重ねてきました。この人の発する、「ぽふっ」
ある人は、何となく生きています。この人の発する、「ぽふっ」 ある人は、ずっと、嘘ばっかりついてきました。この人の発する、「ぽふっ」
ある人は、みんなに好かれています。この人の発する、「ぽふっ」 ある人は、正体不明で、人がどうかも定かではありません。
この人?の発する「ぽふっ」 同じ、「ぽふっ」という言葉なのですが、それぞれ、人生が違うので、その人が、ただ、ひと言、「ぽふっ」
というだけで、笑ってしまうのも、あると思います。
世の中には、いろんな笑いがあると思います。
本人の中に、明確な笑いに対する信念があると、それは、伝わり安いと思います。
世の中の人は、笑わないけれど、ただ、この人だけは、笑ってくれる。
それも、いいと思います。
日曜日に、近所の整形外科の主催するボランティアコンサートがあった。
一年に二回、六月と十一月にある。
私は、椅子を運んだり、後片付けしたりしている。
開業以来参加している。
そうして参加していると、女性スタッフの方の、お腹が大きくなったり、赤ちゃんを抱っこしたり、周りを、子供が走ったりしている。
そんな時間の流れを感じたりしていて、先生の所のスタッフの人は、男性も女性も、ずっと、勤めているなと思う。
それだけ、過ごし易い、職場環境をつくっている院長は、素晴らしいなと思う。
職場は、そこのトップ次第で、楽しい職場になったり、辛い職場になったりする。
よく思うのは、枠の中に入ってしまうと、中々、そこに掴まってしまって、物事が本人なりの冷静な判断出来なくなる。
例えば、鬼のように厳しい所(昔の職場)、普通の所、原っぱで、寝転んで、雲を見ているような感じの所(練馬の時の整骨院、松岡整骨院)。
そこの職場の感じが、本人にとって、普通になってしまう。
果たして、それが、本人にとって、どう言う意味を持つか?
考える余裕があるといいのだが、以外とない。
そんな時は、頑張って、頑張って没頭している状態になってもいいし、逃げてもいいと思う。
人生は、どこからでも、スタート出来る。
但し、あなたが、枠に因われていなければだが。
枠は、あなたが創っている。
三浦雄一郎さんの「歩けば歩くほど人は若返る」という本を読んだ。
昔、読んだ三浦さんの本には、重りが29キロ背負って、と書かれていた。
今回の本には、体重78キロの三浦さんが、46キロを背負って歩いていると書かれていた。
私も、高校時代、郵便配達のバイトのお金で、パワーアンクルとリストという総重量10キロ購入し、つけたりしていた。
これを、外したら、漫画のように、とんでもない力が出るかなと思っていたが、出なかった。
以前、患者さんのOLさんが、会社に三浦さんが、講演に来られて、話を聞いていると、何か、身体が、燃えるような感じになったと話してくれた。
今回本の中で、重りをつけて、歩いたら、三浦さんの半月板が、再生したり、マネした人が膝の痛みが無くなったりしたと書いてあった。
息子の豪太さんが、本の中で、「アンクルウエイトをつけてウォーキングしたことで、お父さんの半月板が正常値まで再生していたというのは驚きだ。
常識的にはありえないもの。これまでの常識で考えると、関節内には血管が通っていないので、一度傷ついたらほとんど治らない。とくに半月板なんか
すり減ったものは元に戻らないし、一度ささくれ立ったら除去した方がいいとまでいわれているくらいなんだ。でも、半月板の再生を事実として受け止めて考える
と、まず関節液の主成分であるグルコサミンは、関節内の保護をすると同時に、回復にも大きな効果を発揮することが知られている。
この関節液というのは、上からかかる力で一度間接がグッと押されたあと、今度は下に引っ張られる物理的作用で循環しているんだ。
それが、リュックの重さと、アンクルウエイトとの重さのせいで、膝関節内で山道よりもさらに強い伸長運動が繰り返されて、
毎日毎日ウォーキングするたびに関節内でよりダイナミックな関節液の循環が起こった。
それを長年続けたことがグルコサミンの回復効果を促進させて、半月板再生につながったのではないかと推測しているよ。」と書いてある。
65歳の時、暴飲暴食がたたって、メタボになってしまった三浦さんは、札幌の自宅近くの藻岩山(531m)という小学生が遠足でいく山に登ったが、
気持ち悪くなって、登頂できなかった。
そこから、70歳で、エベレスト登頂を目指す所が凄いと思った。
三浦さんの場合は、昔、いろんな冒険を達成したこの私が、このままでいいのか?と思い、
それならば、一度は、諦めたエベレスト登頂と覚悟を決めた。
人は、いつでも、いつからでも、本気になれば、そこから、変わることが出来る。
何の為に生きるか?を持っていると、人生は、退屈しない。
最近、思うことは、過保護にすると、身体も心も弱ってくる。
余裕がなくなる。
余裕のない心で見る世界は、楽しくない。
そういう時は、どうするか?
身体を鍛えるか!心を鍛えるか!余裕のある人と出会うか!
何でも、いいと思う。
とりあえず、やってみればいいと思う。
本の最後に、{三浦さんが、父は、「私の人生に冒険はない。自分のはしんどいけれど一歩一歩、歩いていけば達成できるもので、
雄一郎のそれとはまったく次元が違う」といった。たしかに僕は冒険家だ。エベレスト滑降で転んだり、南極で雪崩に巻き込まれたり、
クレバスに落ちたり、いつ死んでもおかしくない危機に遭遇したことは幾度もある。
でも、命が惜しければエベレストなんかいかなければいい。しかし、死を前提とした覚悟を決めると、
反対にどうすれば生きて帰ってこられるかを必死に追求する。
その僕の答えが「歩く」ことだった。
僕は冒険の道を選んだだけで、父の努力と、僕の一歩は根本的には変わらない。
冒険も目標も、日々歩き続けることで必ず達成できるのだ。
さあ、歩くことから始めよう。(死を意識することで、毎日が活き活きしてくる。努力に凄い努力、ちっぽけな努力はない。歩くとは、人生。)