所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
週末にノンデュアリティの講演会のはしごをした。
14時~17時40分までが、大和田さん、溝口さん、阿部さんと
特別ゲストの堀澤祖門さんの講演会。
18時30分~21時30分が、じゅんころさんの講演会。
各公演会とも、質問の時間があった。
いろんな質問があったが、まとめると、私は、これを、こう思っているのですけれど、ノンデュアリティだと、どうですか?
とか、この意味は、ノンデュアリティだと、どう思いますか?とか、ノンデュアリティになると、どう変わりますか?という感じだった。
いろんな質問を聞いていて、質問者の視点と、回答者の視点が違うなと思った。
質問者のみんなは、私という個人の意識で、私は、これを大事に思っているという価値観で、聞いている。
それに対して、回答者が、起こっていることしか起こらないとか、起こっていないという感じで答えている。
ノンデュアリティという視点になると、永遠というもの、その上で繰り広げられる表現が安心して見ていられる。
永遠というものが、私という本体だと分かると、私(すべて)は、絶対傷つかないので、その個人の人生で起こる全ての事は、
浮かんでは消え、浮かんでは消える泡のようなものと思えるので、それに、執着しない。
でも、質問者のみんなは、その目に見える表現の方に囚われてしまっている。
そこで、みんなは、どうしたら、ノンデュアリティになれるかと思ったりする。
阿部さんによれば、大和田さんは、ぼーっとしてたら、なったそうだ。
溝口さんは、椅子から、立ち上がる時になったそうだ。
阿部さんは、興味のある人は、試してみてって笑いながら、言ってました。(ぼーっとしながら、椅子から立ち上がるといのは、どうでしょう。)
ノンデュアリティでは、本当は、私がしている事、思っている事は、私がしているわけではないんですよと言っています。
であるならば、嫌いなあいつの言うあの言葉、行動は、あいつが言いたくて言っているんでないと思えるかもしれません。
また、相手に対して、つい、出てしまった傷つけてしまったあの言葉で、そんなに後悔する必要がないかもしれません。
そうは言っても、なかなか思えないかもれません。
悩む原因のひとつに、比べるがあります。
いろんな師匠、誰が、一番か?
いろんな教え、どの教えが一番か?
いろんな世界観、宇宙観、どれが、一番か?
そこで、出来れば、一番を知りたいと思ってしまいます。
ポイントは、今、その人にとって、一番納得出来るもので、心が楽なるものだと、いいかなと思います。
私自身が、実践してどんどん楽になってきたのは、調和とか、平等とかを基準にしていることです。
仕事が出来る人も、出来ない人もいるが、人間的価値は、同じ。
力の強い人も、弱い人もいるが、人間的価値は、同じ。
お金を持っている人も、持ってない人もいるが、人間的価値は、同じ。
汚れている人も、綺麗な人もいるが、人間的価値は、同じ。
頭のいい人も、悪い人もいるが、人間的価値は、同じ。
権力のある人も、無い人もいるが、人間的価値は、同じ。
優しい人も、意地悪な人もいるが、人間的価値は、同じ。
いろんな人がいますが、人間的価値は、同じというのを持っていると、
頭にくる人、嫌いな人に対して、段々と思いが変わってきます。(実践済み)
じゅんころさんに、彼氏に対して、どういう感情何ですか?と質問している人がいた。
ノンデュアリティの人がどういう感情か気になるらしい。
彼氏という、特別な存在が、ノンデュアリティだとどうなるのか?
じゅんころさんのお答え、目の前の事をしてる。
一般的には、連絡ないなとか、どうしているかなと思うかもしれないが、そこが、違うなと思った。
そういう気持ちが起これば、するだろうし、という感じだと思う。
今、この場所にいて、この一瞬で消える起こる事を、大事にしていくと、悩んでいる暇はない。
みんながそれぞれのペースで、本人なりに、一生懸命頑張っていると、後悔のない人生が送れると思う。
昔から、よく、山登りのリーダーに、松岡は、こう思うと、それだけになっちゃうからなと言われていた。
例えば、左の道と、右の道があるとする。
リーダーが、左の道がいいと言う。
私は、どうしても、右の道に行きたい。
そして、右の道に行って失敗する。
やっぱり、リーダーの言ってた通りですね。と言う。
そして、また、次も、同じ失敗を繰り返す。
もしかすると、初めから、左の道しかないと決められていたとしても、どうしても、私のその時の意識を納得させなければ、先に進めない。
そうして、失敗しても、失敗しても、納得しながら、進んでいくと、少しづつ、少しづつ、楽になってくる。
だから、Aのやり方で、ダメなら、Bのやり方、Bでダメなら、Cのやり方、Cでダメなら、別のやり方、とにかくいろんなやり方をして、
泥臭くても、カッコ悪くても、本人が納得出来るまで、やればいいと思う。
と不器用な私は、不器用というコンプレックスを、バネに頑張れている。
せっかく、生まれてきたのだから、それぞれの生きたい人生に、真っ直ぐ正面から、向き合いましょう!
上江洲先生は、波動は、形、香り、色、音色があると仰っていた。
瞬間移動とか、治せるとか、悟りには、関係ないと仰っていた。(つい、出来たらいいなと思ってしまいますが。)
光がどんどん強くなり、闇が現れる。
今までは、その本人の中で抑えられていたいろんな感情が抑えが効かなくなるそうです。(つい、怒りが、本音が出ちゃうそうです。)
先生の話を聞いて思いましたのは、波動というのが、集まって、物質とかになるんだろう。
私自身、患者さんと接する上で、すべてを分って、何でも出来て、その上で、接したいというのを、常に持ち続けていたのですが、
凄い能力というのに、囚われるより、永遠の命というのが分って,今持てる力すべてで、患者さんと向き合えばいいんだなと思いました。
凄い能力は、つい心が出来ていないと、天狗になります。
先生の話される道具に使われるようになります。
この会場で、偶然、久しぶりに、右京さんに、お会いした。(近況を聞いた。)
元気そうだった。(また、そのうち、どっかで、お会いするでしょう。)
みなっしーお薦めの太陽のトマト麺を、山登りのリーダーと食べた。
なかなか美味しかった。
その後、1年ぶりに、カフェした。
日曜日に錦糸町で、上江洲先生の講話があった。
以前から、一度話を聞いてみたいと思っていた。
上江洲先生も冠光寺流の師匠と同じように、愛の人だと思ったので、是非、会いたいと思っていた。
先生は、愛、調和、完全、平和だと、問題は、起こらないと仰っていた。
みんなは、中身より、外側の衣装ばかり、気にすると話されていた。
知り合いの先生が、お金からの解脱(解放)は、どうしたらいいでしょうか?
お金が無くても困りますし、どのくらい稼いでいいのでしょうか?と言う意味で、質問していた。
それに、対して、上江洲先生は、こんな話をしてくれた。
私が、スーパーに奥さんと、買い物に行って、奥さんが買い物している時に、駐車場で、車で待っていると、
(私が買うものは、色紙とか、必要なものだけ、奥さんが買うものは、生活に必要なもの(食料品とか、だけ)
一台の高級車が停まった。
すると、その運転していた人が、少しして、戻って来て、傷が付いていないか調べて、また、スーパーに行った。
そして、時間が経って、また、傷が付いていないか調べていた。
私の車なんて、雨漏りがして、傘をささないとダメなのに。(みなさんは、そんな車見た事がありますか?と仰っていた。)
あるお金持ちが、イエス様にあなたについていきたいと言った。
次に、ついていけないと言った。
イエス様は、人間には、出来ないけど、神には出来ると仰られた。
この2つの話を聞いて、思ったのは、お金は、本人にとって、必要な分だけあればいいという事と、(多すぎても、少なすぎても、葛藤が出てくる。)
なかなかお金に対する見方を変えるのが難しいという事。
みなさんは、親子3人贅沢は出来ないけど、笑顔を絶えない幸せな家庭と、
親子3人贅沢はしているけど、心の通っていない寒々した家庭どちらを選ぶのでしょうか?(両方いいとこ取りでも、大丈夫です。)
治療家の人の場合は、お金たくさんもらっていいのか?悩む人がいます。
それを、お金は、感謝の対価という考えが持てれば、お金は受け取り易いと思います。(金額は、その先生の納得する金額で、そこに、大小はありません。)
私から見る上江洲先生の世界観は、まず、永遠の命をベースにしています。(これを、みんなの正体とか、すべてとか、本質という事だと思います。)
その上に、肉体という衣装を纏った魂があります。
魂は、感情とか、理性とか、先生は、見えない道具という言い方をしております。
お金は、道具という人がいます。
道具を使えば幸せ!
道具に使われれば不幸せ!
先生の仰りたい事は、道具は、本来、人を幸せにするものなのに、
なぜ、その道具のよさが分からず、振り回されないといけないのか?(感情という道具に振り回せれている人多いですよね。)
という事だと思います。
先生は、
吸息=愛・神
吐息=愛・神
と仰っております。
ある女性が、相談に来られ、その女性が吐いた息が、
飛んでいたハエにかかり、死んだそうです。(それを、実際に見たと先生は話されておりました。)
息⇒自らの心
と書きます。
その吐息が、恨み、怒り、嫉妬であるならばどうなるんでしょうか?
と話されておりました。
といっても、そう思う時もあると思います。
そこで、そういう時に、そういう気持ちを持つと相手にダメージを与えるというのが分かったうえで、言葉を吐こうとすると、
相手に対して、寛容な心が持ち易いと思います。
先生が最後に、
「人の前に立つものは息をしらなければならない!」
と仰っておりました。
勉強になりました。
ありがとうございました。
昨日、お昼で、仕事が終わり、スーパー銭湯に行き、身体を回復させ、その後、ブロンコビリーで、ステーキを食べた。
以前から、受付のみなっしーに、院長、美味しいですよと言われ続け、ようやく、行く事が出来た。
みなっしーお薦めのミスジステーキと、プレミアムステーキを頼んだ。
焼き方は、と聞かれ、ミディアムと、言った。(実際は、レアな感じだったので、ウエルダンにしておけば良かった。)
両方食べたが、あまり違いは、分からなかった。(おこちゃまな私は、ステーキより、ハンバーグだな。)
とりあえず、先延ばし、ひとつクリアー。
もうひとつは、魚を焼こうと、コンロの上で、網をおくと、直ぐ、安全装置が働いて、火が消えてしまう。
魚は食べたいけど、魚が焼けない。
うーんという思いで、先延ばしにしていた。
今日、魚焼けるというフイッシュロースターというのを買った。
これで、クリアー!
DVDで、新宿スワンと、Zアイランドを観た。
どちらも、面白かった。
最初は、どんなもんだろうな?と思って、オーナーのカットを受ける事になりました。
すると、最初にカウンセリングがありました。
オーナーの高木さんが、「松岡さん、あなたは、自分がどういう人か言えますか?」という意味の事を聞かれたと思います。
分かっている私に、そんな質問してと思いましたが、分かっている事を言いました。
結果、全部は、分っていないとの事でした。(過去に、ひとりだけ自分の事をピタリといい当てたある方がいたそうです。)
鏡に紙を貼って、質問され、それに書いていくという事をしていました。
すると、カウンセリングが終わった時には、満足している私がいました。
面白いことに、私が満足していると、逆に髪型は、何でもいいという感じになりました。
一回目の髪型は、過去と未来を表すという意味で、右と左で、もみあげの長さが違いました。(気づいていた人は、いたのだろうか?)
そんな感じで、カウンセリングを、受けていて、印象に残った事は、今までは、他人が達成した境地を、目指したり、
楽しさに許可を出していなかったり、分かっている事に飽きているという事でした。
高木さんは、その人の中にあるものを、整理してくれる感じでした。
今回で、卒業だったので、高木さんの世界感を聞いたりしました。
最後の方で、高木さんに質問してもいいですか?と聞かれました。
よく、ありがとうございますと言っているので、その意味はとの事でした。
そこで、ありがとうという言葉を、以外と無意識で、使っているなというのに、気づいて驚きでした。
昔に、お代を頂く時に、患者さんに、ありがとうございますと言って、怒られた事がありました。
今は、怒られないので、みなさん納得して頂いているのかなと思います。
こちらに、通わせて頂いている時にやっていた事は、その時、関心のある事を腑に落とす作業だったと思います。
私にとっては、カウンセリングを含めた、4時間は、セッションを受けている感じでした。
高木さん、奥様、吉岡さん、お世話になりました。
ありがとうございました。
経営者の方、クリエイティブなお仕事の方、追究、探求が好きな方には、お薦めだと思います。
日曜日に、神田の神保町にある、セブンズヘアーに行った。
昨年から、月に一回くらいのペースで、髪を切りに通っている。
以前、山の道具を買いに来た時に、ふらふらとお店に入って、そのお店のスタッフの女性に髪を切ってもらった時に、
本を読むとその世界に入るという話をされていたので、強く印象に残っていた。
昨年、また、寄って、髪を切ってもらっている時に、「松岡さんなら、オーナーと話が合いますよ、是非、オーナーのカット受けてください」
と言われました。でも、そうすると、指名変わっちゃうので、大丈夫なんですか?と聞きましたら、気にしないで、受けてくださいと言われました。
そこで、次回から、オーナーのカットを予約して、ホームページを見てみると、オーナーの経歴は、ニューヨークのヴィダルサースンという所で
トップまでいった人と書かれていた。あっ、このオーナーだから、この女性スタッフが、素晴らしいんだなと思った。
今までは、人は、中身が大事という考えを持っていたのが、(表面は、どうでもいい)
人の為に何かをする時に、今までは、身を捨ててでも相手の為にという考えを持っていた。(日本人的には、美徳とされるかもしれない。)
それが、この頃は、私を大事にしない人が、相手の為にするのと、私を大事にする人が相手の為にするのでは、効果が違うと思っていた。
そこで、私を大事にしてみようと思ってみた。今までは、近くの床屋さんに行って、お任せでしていたのを、気分を変えて、美容院に行くようになった。
いろんな美容院さんに行って分かったのが、それぞれ、そのお店のこだわりがあったりして、賞をとるようなお店のオーナーと話をすると、
ぱっと、入ってきた時に、そのお客さんに合うパータンの髪型が5パータンぐらいでて、頭の形も考えたりするという話を聞いた。
考えかたとしては、髪型で、その人に自信を持たせたり、いい気分にさせたりする事に、重きを置いている感じがした。
OLさんとか、マダムの方は、髪を切ってもらう事で、心も癒してもらう事も、含めてのカットなんだなと思った。
私なりに、髪を切るとは、こういう事か、を持っての、セブンズヘアーー!
続きます。
日曜日に親友の山ちゃんと、群馬県に、カニ食べ放題のバスツアー行った。
カニは、食べ慣れていなと、食べるのに時間がかかる。
そうは言っても、3回お代わりした。(お腹一杯!)
酒蔵では、試飲をし、そこで、食べた、お酒のソフトクリームは美味しかった。
ぶどう刈りは、ひと房だけ、取ってよかったが、どれが、いいかよく分からなかった。
道の駅では、ビールを飲んで、ソーセージを食べた。(お酒は弱いけど、美味しかった。)
風がとっても、心地よかった。
一日が、あっという間に、時間が過ぎた。
感想としては、とっても、楽で、リラックス出来た。
帰りのバスで、アンケートを書いた。
今回のもう一つの目的である、カンブリア宮殿で、紹介されていた、クラブツーリズムのサービスとは、どんな感じかを考えてみた。
よくバスツアーで、右手に見えますのは、あの有名な何何です。左手に見えますのは、歴史ある何何ですと説明してくれたりする。
そうすると、みんな一生懸命それを、聞こうとして、身体に力が入る。(日本人は生真面目な人が多いので、最近は、そうでもないが。)
そんな中、勝手におしゃべりしていると、ガイドさんが、一生懸命話をしているのに、あの人達は、なぜ、黙ってきかないのか!
と心の中で怒っている人もいると思う。(ガイドさんとしては、楽しんでもらおうと思っているのだが。)
このバスでは、みんな、お友達同士で、勝手におしゃべりしている。(でも、それが、不快でない。)
強制しない事で、トラブルをつくらないようにしているし、自由を与えている。
今回思ったのは、相手の為を思って行っている事が、もしかすると、相手を縛っている事もあるかもしれないなと。
ツアーも目的によって、いろいろ集まる人達が違うと思うので、例えば、熱い集団であれば、また、違ったサービス(ひとつになれるとか。)
になるのかなと思った。
どんどんシンプルにすると、どんどん自由になると、思うけど、その自由が、相手の自由を制限しないように、お互いの自由を尊重しあう為には、
どうしたらいいかを考えるのが、ポイントかなと思った。
大和田菜穂さんの「すでに愛の中にある」という本を読んだ。
なかなか深い!
自己意識(私)というのは、脳が作り出した幻想です。
と書かれている。
一般的に私がいて、相手がいて、世界があってという感じで暮らしていると思う。
私という時、この肉体を持っているのが、私と認識している人が多いと思う。
以前から、良く浮かんだ考えは、もし、みんながゼロの状態で生まれて、これは、こういう事ですというデーターを
入力され、ある出来事があり、それに、反応したり、本人が学習したりしたりして、人生を送ったとする。
例えば、この時、二人の人が肉体も、入るデーターも、同じで、全く同じ条件で出来事が起きたとすると、同じ考えになると思う。
本人的には、自分で考えて行動していると思っているのだが。
みんな私という肉体をもったこの身体で、世界を見ている人が多いと思う。
そうすると、私と世界とか、私とあなたとか、私と私以外というものを創ってしまう。
そんな感じで暮らしている人が多いと思う。
良く、人生は、決められているとか、決められていないとかという話がある。
人生が決められているならば、頑張ってもしょうがないと思う人もいる。
人生が決められていなければ、頑張れば、より良くなるので、頑張りたいと思う人もいる。
大和田さんは、{すべてひとつのエネルギーが形を変えた現れたものです。目に見えるもの、見えないもの、感覚や音、思考、イメージその他
この世にあるものすべては同じ一つのエネルギー(私はライフと呼んでいます)の表現であり、本当は、分離というのは存在しません。
実際は、ただ、「全体」があるだけで、独立した個人というものも存在しません。そして、時間というものも存在せず、あるのは無時間の空間のみです。
また、何かをコントロールしている存在というのもなく、一つひとつの現象はただ起きているだけです。
このノン・デュアリティ、非二元という視点は、実際のところ頭で「理解する」ものではないのでなかなか伝わりにくいのですが、
人はどこかで、「これ」を知っているのです。}
と話されています。
私という部分が、限られたデーターしかないのに、全体を分かろうとしている所に無理がある。
映画を見ていて、私が映画の主人公がだったら、結末が決まっている。
これが、あなたの人生だったら、どうだろうか?
面白くないと思う人もいるし、ハッピーエンドなら、いいやという人もいるかもしれない。
この時、映画を見ているという意識なら葛藤は、ない気がする。
スマップのナンバー1でなくても、オンリー1でいいという歌がある。
全体の中のそれぞれは、みんな表現の違いがあるだけで、同じものという考えが持てると葛藤はない。
ただ、私という個人の人生の意味というのを、考えると、私と私以外を生み出してしまう。
ポイントは、私という部分で全体を見ようとしている所。
私を追求しすぎて、私と私以外にしない事。
視点を私から、全体という意識に変える。
これが、難しいと思う。
感じとしては、現象を見ている感じ。
大和田さんは、現象と私を結びつける所に、葛藤があると話されています。
本人の分かる範囲で、いろいろなものを取り入れていくのが、いいと思います。