所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
日曜日に、山梨県の蛾ヶ岳(ひるがたけ)に山登りに行った。
いつものように、東西線の始発に乗って、荻窪駅、6時10分の集合に間に合うように行った。
まだ、外は、暗く、星が出ていた。(今回は、睡眠時間3時間30分ぐらいだった。)
道中、リーダーにコップは、持ってきたか?と言われた。「あっ!」忘れた。(やばい!怒られる!)「忘れました。」「大丈夫です! カップラーメンのカップで食べますので。」 「箸は?」「あっ!」(しまった箸も忘れた!)「大丈夫です!落ちてる、枝で食べますので!」
とそんな感じのリーダーだったが、コップを貸してくれた。
ちゃんと、持ち物は、確認しましょう!
今回の山登りは、天候もよく、コースもいい感じで、富士山もよく見えた。
ただ、頂上で、カップラーメンを食べた時、風が吹くと、凄く寒かった。
そして、麺は硬かった。次回は、インスタントラーメンで、鍋という事になった。
家に帰ると、夜8時には、寝てしまった。
今年、初めて、超時間寝てしまった。(11時間)
こんな感じで師走の一日が終わった。
先輩方、来年もよろしくお願いします!
(*^▽^*)
日曜日に町田の島津先生の所に行った。
今回は、患者さんの脈のリズムに合わせて、施術を行うという事だった。
そして、その時に手の熱を加える。
このリズムという話を聞いて、同調とか、一体感だなと思った。
施術師が、一方的に、患者さんに、施術するのでなく、患者さんは、施術に一方的にしてもらうでなく、お互いが、その場に、しっかり向かい合うことだなと思った。
先生は、伝承が大事と仰った。ある時、先生が生徒に、見なくて、大丈夫?と、聞いたそうだ。ビデオを撮って、家で観ますから、大丈夫ですと生徒は答えたそうだ。先生は、内心そんなんで何が分かるんだと思ったそうだ。
伝承の意味!
この話を聞いて、ポイントは、伝えるだなと思った。
ただ、教える、教わるでなく。
教える者の姿勢。教わる者の姿勢。
先生の時代は、師匠が一度だけ技を見せる。それを、弟子が見て、考えて学びとる。
そして、師匠は、鬼のように厳しいけれど、そこには、弟子を一人前にしょうという深い愛情がある。
そうやって、受け継いだものを、今は、生徒さんに伝えている。
本来は、門外不出の技を生徒さんに、伝えている。それを、生徒さんは、その真意をくみ取らないで、ビデオで、その身体の中の働きを分からずに、形だけで、とらえている。
真剣に伝えようとしているものを、受け取り側の我儘を持って接するのは、もったいないと思う。
私は、不器用な方でありますが、先生を見ていて、先生は、そこにいる人のレベルに合わせて、教えてくださっているなと思っている。こちらの身体を捉えるレベル、身体を使いこなすレベルが上がれば、そこに、合わせて教えてくださると思う。
人と人が真剣に向かい合うと、お互い、その人が知らない相手の世界が入ってきて、世界が広がると思う。
最近、思いますのは、名の通った人、通ってない人、いろんな人がいらっしゃいますが、凄い人いますよと言いたいです。(*^▽^*)
最近、考えているのは、真面目な人と、不真面目な人が、同じ場にいて、真面目な人が一生懸命仕事をし、不真面目な人が楽に仕事し、それでも、その場が成り立たないかなと思っています。
遠藤先生から、お菓子が届いた。直ぐ、お礼の電話をした。久しぶりに、遠藤先生と話が出来てよかった。
昔、一緒に仕事をした時は、次の人生は、遠藤先生のようにイケメンになりたいと思った。
先生の場合は、更に、明るく、根性もあり、頭もよく、性格も素晴らしいので、凄いなと思った。
(何だよ、弱点ないじゃん! 笑 )
そんな遠藤先生の接骨院・鍼灸院が船橋にあります。
飯山満駅前接骨院・鍼灸院 TEL 047-466-5876
船橋で、身体の調子の悪い人は、是非、行ってみるといいと思います。 お勧めです。
遠藤先生、お菓子ありがとうございます!
みなっしーと、美味しく、召し上がります。ありがとうございました。(*^▽^*)
今年も、後、僅かですが、お互い、頑張っていきましょう!
みなっしーが、クリスマスツリーの所にある風船を、ツリーと被るので、「院長、風船どこに置きます?」と聞いてきた。
「どこがいいですかね?」と私が言ったら、
みなっしーが、「風船要らないです!」と、ハリセンで、叩いてきた。(注ー実際は、叩いていません。)
カーチンときたので、「じゃあ、大丈夫です。」と言って、違う場所に風船をつけた。
私は、みなっしーのセンスは、尊敬しているので、次の日、風船の意味を聞いてみた。
風船は、パーリーピーポーで、整骨院は、木で、癒しのイメージなので、波長が違うとのことでした。
確かに、そうだなと思いました。私の場合は、治療が武術の治療がベースなので、強いイメージを、風船を浮かすことで、柔らかくなり、剛の人だけでなく、柔の人も入り易くなるかなと、単純に思っていました。
みなっしーの話は、その通りだと思ったので、風船は、全部、外すように決めました。
(ここで、こっちょり心の声を書いときます。みなっしーは、いつも、患者さんには、天使200パーセントなのに、院長には、いつも、一切手加減無しなんだもんな。(´・ω・`))
こんな感じで、松岡整骨院は、院長の至らなさを、みなっしーがカバーして、頑張ってます!
師走で、何かと、忙しいと思いますが、出来ることを、コツコツやっていきます。(*^-^*)
ブログを書くと、親友の山ちゃんからは、長いと言われ、行徳の先生からは、段々、意識が変わると、シンプルになるよと、アドバイスをもらったりしている。
そうは言われても、なぜ、長くなるか、この松岡さんの思考を分析してみた。彼の考え方は、みんなに少しでも、良い情報を伝えて、少しでも、みんなの生活が、楽になるといいなと思っている。なぜ、長くなるか、行徳の先生のアドバイスを聞いて、分かったのが、ひとつの文章に、いろんな話題を入れていることだった。これからは、ひとつの話題で、文章を書こうと思っているそうだ。そして、彼自身が気づいたのが、人が、文章を書くことのひとつは、自分の主張を聞いてもらいたいという気持ちを持っているが、その主張が、全ての人に受け入れられるものではないという事だった。(人によって、興味の範囲が違うので、合わない話は、関心がなかったり、苦痛でしか、なかったりする。)
彼の良い所は、馬鹿正直に、本音を書いている事だと、思うが、それも、興味のない人には、全く、どうでもいいことである。
その彼が、気づいたことは、シンプルに書くことが出来ると、行間とか、間が出来、そこにスペースが出来ることで、読む人がほっとすることが出来るのかなと思ったりしたようだ。
ごちゃ、ごちゃ書くことが習慣になっている彼が、果たして、シンプルに書くことが出来るのか?
いつか、出来ると、私は、信じております。( ^ω^ )
シンプル イズ ザ ベスト !
日曜日に、飯田橋で、アルケミアのワークショップがあった。
ワークの中で、好きなもの、嫌いなものを身体のどこで、感じるかやった。
頭だと、考え方、ハートだと、感情、お腹だと、生理的との事だった。
本を読んで、ピンとこないのが、ひとつ、聞きたい質問がひとつ、あった。
現実に苦しんでいるなら、そこに、「すでに理想はある」ということなんです。
現実と、理想が同時に存在するの意味がよくわかりませんでした。
今日、分かったのが、理想があるから、今の現実に苦しんでいるんだなと思いました。
そして、その理想とは、今の社会と比べて私は。
先生に聞きたかった質問は、部分的な真実と、全体的な真実は、どこで、判断するのですか?でした。
で、質問してみました。先生の答えは、部分的な真実を繋げていけば、との答えでした。
この答を聞いた時は、ガクっとしました。そうやって生きてきたので。(当たり前じゃん。)
でも、今日、浮かんだのは、私の中には、部分では、全体が分からない、でも、全体なら、部分も分かる、という考えを持っているな。という意識の私と、部分も全体も一緒と考える意識の先生との視点の違いかなと思いました。
私の感想としましては、脳神経が身体全体を把握しているのではなく、身体の反応が、思考が理解出来ない所で、働き、それが、葛藤を生んでいるんだなと思いました。
勉強になりました。ありがとうございました。( ^ω^ )
先生の言葉。
「問いかけに答えはないかもしれないが、問いかけからの解放がある。」
これは、問題として、捉える私がいるという事だと思います。(松ちゃん。)
変容が起こると、実は、病気って、消えるんだす。簡単な話、神経質だったら、いろんな事とか、気になりますよね。でも、神経質でなくなったら、図太くなるでしょう?ということなんです。(笑)
「自分」をとりまく様々な「問題」をすべて変えるよりも、「それを問題としてとらえしまう自分」を変えてしまったほうが、手っ取り早い、というのも理由のひとつですが、自分自身を0化しておかないと出会うクライアントさん自体に自分の問題が反映してしまったり、クライアントさんそのものが、自分の問題となってしまったり、クライアントさんそのものが、自分の問題となってしまったりすることがあるので、社会の構成員としてのセラピストの責任を果たすために、全人的0化、少なくともその「努力」を必須としています。
この姿勢は、大事ですね。つい、私の見方で、相手を見てしまう! (松ちゃん。)
ゼロになったら、いのちだけが残るわけなんです。いのちというのは、躍動している。ダイナミズムですね。
めちゃめちゃ生きる、生命力があふれていく。
真空にガンマ線を当てると物質が飛び出してくる。
空 (松ちゃん。)
今、皆さんが感じている現実圧(問題)っていうのは、社会から来る淘汰圧です。この圧をむしろ、エネルギーに変えていく、そうすると新しい形態、新しい進化をしていきます。進化は何にも左右されないものを求めているので、ゼロ化は生命力が求めている方向ということになります。
ということは、私達は、社会が悪いといいながら、知らずに社会の求める私達でなければ、いけないと思っている。そりやぁ、私達の中に相反する二つの意識を持てば、葛藤するでしょう!(松ちゃん。)
僕だけ出来ても意味がない。
死ぬ気になると出来るようになる。
でも物理学の法則っていうのは、本当に平等なので、器用さは、関係ないですね。その原理原則に従って動けば、どなたでも、再現できるのです。
いいっすね。(松ちゃん。)
もうひとつ、再現性を得るために、とても大切にしていること。それが、「仮説を立てる、実験する、検証する」というプロセスです。
物事がある理屈でうまくいったとしても、さらに、「それは部分的な真実なのか」 「全体的な真実なのか」という部分についても検証します。
この姿勢、素晴らしい! (松ちゃん。)
私たちの心というのは、「されたい」というソフトが、一番大元の‶基本ソフト″として入っています。これはあって当然のもの。ただ、弱みとしても働きます。煩悩の一番の最初が「〇〇されたい」です。あとは、たいしたことがない。「〇〇されたい」、これは個人的な渇望のことですが、お釈迦さまはこれを「渇愛」と言われた。渇愛があると六道を輪廻してしまうよ、だからそこから抜けてしまおう、という一つの概念を提示しているですね。自分で身につけた覚えはないのに、自分の行動のすべてが、自分の「されたい」に制約されていく。ものを考える主体の自分が「〇〇されたい」に覆われているという基本ソフトがあって、これが勝手に起動しているわけですよね。私たち成人の中に、幼児がいるイメージ。これに左右されていることを、まず知ることです。でも、この「〇〇されたい」は絶対不変のものではないんです。わかれば、変えられます。認知の光を当てていくと、脳が可能な限り自動修正をやってくれますからね。そういうもののすべてに、知性の光を当てちゃおう、ということなんです。「知」こそ、私たち人類の最大の特性なんですから。
この「されたい」という言葉の意味がなかなかわかりませんでした。(松ちゃん。)
したいなら、わかるけど、されたいって、どういう意味?と思いました。
インターネットで、渇愛を調べました。①欲愛ー肉体の快楽を求める欲望のこと。②有愛ー生きることへの執着、死にたくないという欲望。③無有愛ー無になりたい、死にたいという欲望。
この意味なら、わかるけど、「されたい」だと、ピンときませんでした。そして、ふと、浮かんだのは、不足というのがあると、その不足している隙間を埋めようとして、「されたい」が起こると思いました。だから、不足がなくなると、この感覚がわからなくなるんだと思いました。
このアルケミアという技法は、今、認識している私ということがわかることで、今の現状を私自身がしっかり把握することで、今の現状から解放され、新しいことが起きる。そして、また、その新しい現状を把握することで、また、新しいことが起きるの繰り返しだと思います。
この先生は、その人の核の部分が見えていて、そこから、派生する意識、そして、また、そこから、派生する意識がわかるのかなと思います。
私達は、人生を通して、今の私(今の意識)に気づき、そして、また、今の私に気づいていく。って、感じだと思います。
この先生は、全人格ゼロ化といっておられます。ゼロになれば、なるほど、いろんなことがわかり、いろんなことを優しさで包んであげれると思います。素晴らしい考え方だと思います。(^◇^)