所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
日曜日に、山梨県の西沢渓谷に行った。
天気も良く、向かう途中では、富士山もしっかり望めた。
今回は、ハイキングみたいとの事だったので、殆ど、起伏のないのんびりしたコースと思っていた。が、実際は、しっかり、山登りで、いつも通り、先輩達のペースは速かった。(油断した、やられた。笑)
最近、患者さんと話をした時、その患者さんは、唯一のリラックスが漫画を読む事で癒されるとの事だった。その時の話で、人によって、趣味もいろいろあり、それは、他の人から、見たら、興味がないかもしれないけど、その人にとっては、凄く大事なものですよねという事になった。
で、考えた。私の趣味の山登りは、そこに、没頭する事が身体にも、心にもいい。山で食べるカップラーメンと、コーヒーは、とっても美味しい。もし、毎週行けたら、凄く、いろいろな事がパワーアップする!(近所に山があるといいなといつも思っている。)
まあ、でも、この山登りが出来るのは、先輩達が連れて行ってくれるからだと思う。たぶん、独りでは、迷子になってしまうと思う。これからも、いろいろ足を引っ張ると思いますが、先輩方、何卒、よろしくお願いします!( ^ω^ )
昔、整骨業界に入ってばかりの時、患者さんとの話で、宗教、政治、プロ野球の話題は、ダメと言われた。
その話題で、患者さんを、不快にさせたり、トラブルになるのを、未然に防ぐ為であった。その人の大事にしているものは、人によって違い、そこを侵されるのは、許しがたいものなので、そこで感情が爆発したりする。
ある方が、私に、その人の信じているものを話されてきた。最初、私は、私に第三者的意見を求めているのかと思っていた。(その客観的な姿勢がいいなと思った。)だから、特に興味はなかったが、その話を聞いた。そうして、分かったのは、その方にとっていいものを、私に伝えたいという気持ちだった。私は、昔から、物事の本質とか、根本というものは、全てを包括すると思っている。だから、そういう話は、好きだ。その私に、そういう話をするのであれば、私の分からない事でないと、興味が沸かない。その時、私が思ったのは、どうしても、教えとか、信じるものがあると、それに、妄信してしまう場合もあり、他の考えが、浮かばなくなるんだなと思った。だから、指導者という立場の人は、気をつけないと、人をコントロールしてしまう。と、その時は、思った。私の中には、全てを受け入れたいと思う気持ちを持っているが、妄信の人には、話が通じないなと思った。拒絶というのは、好きではないが、しょうがないかと思った。その方が、今日、朝、たまたま会った時に、「先生、本と、CD、読まれました?」と聞かれた。(春に、会った時渡されたそれを、今度来たら、そのまま返そうと思っていた。)いや、必要ないので。大丈夫です。と言ったが、とりあえず、本を読み、CDを聴いてみた。すると、この教えは、本質、根本を言っている感じがした。自分の教え以外に、対して、排他的な感じでは、なかった。一番いいのは、全て分かっているのが、理想だけれど、みんなそれぞれ、それぞれの位置でしか物事を見ていないので、であれば、この方自身のアプローチが、人は、いろんな考えを持っている、そして、興味の範囲も違う、今この先生は、私の興味のあるここには、興味ないんだという考えが持てれば、先生が興味を持たれた時に、声かけてみようとなるのではないのかなと思う事が出来れば、と思う。
こだわりというのがある。そのこだわりで、人に迷惑かけると相手からは、ワガママと思われる。でも、迷惑かけても、気にしない人にとっては、私らしく生きている。そのこだわりで、尊敬されるも人いる。そのこだわりで、相手から、あの人は、頑固だからと言われる人がいる。でも、その仕事ぶりが認められている人もいる。ただ、単に頑固でダメだなと言われる人もいる。大事なのは、どういう私でいたいかである。どんな生き方でも、その人がその生き方に納得していれば、その人にとっては、充実した生き方となると思う。
今年も、残り、後、一ヶ月半になりましたが、頑張っていきましょう!
日曜日に、町田の島津先生の所に行った。
今回、特に、共振と、波という事が心に残った。
剛の松風の合気と柔の柳の合気というのがある。(剛の合気は、殺法なので、教えて頂いておりません。どさくさでいつか、先生にお聞きしようとこっそり思っております。)
手足を動かす事が不自由の患者さんに、対して、手技と、意識と、振動を使って接するそうです。
この時、共振という言葉が出ました。その言葉を聞きまして、私は、施術者のいい状態が、患者さんに、共振して伝わるんだと思いました。いろんな人が共振とか、共鳴とか言っておりますが、ここでも、その力を使っているんだなと思いました。
血腫のある患者さんに、対して、柳の合気を使う。そうすると、部分的に暖かい熱が障害物を取り除く、そして、同時に、脈でもむ。(脈のリズムを使う。)筋肉のポンプ作用を使う。こうして、血腫をなくすそうです。
そして、私的な気づきとしましては、患者さんを、見て、繊細な人と、頑丈な人がいると思っておりました。昔、ある繊細な治療する先生が、荒い治療を受けると、センサーがおかしくなるとおつしゃておりました。その言葉もあってか、私自身の中では、人は、繊細なタイプか、頑丈なタイプかと思っておりました。繊細なタイプは、感じるタイプ。良い方に働くと、いろいろな事に気づける。悪い方に働くと、神経質、いろいろ許せない。頑丈なタイプは、感じないタイプ。良い方に働くと、いろんなストレスに耐えられる。悪い方に、働くと、いろんな事に気づけない。と思っておりましたが、本人が耐え難い強い刺激(陽)を受けると、死なないように、頑張る力が出てくる。これで、生命力アップになる。(火事場のバカ力)一方、優しい力の刺激(陰)。温かさ。愛。を受けると、その本人の緊張が解け、本人が出しやすくなる。この陽と陰の力を使う事で、同じ刺激だけでないので、陰陽で、波となるそうです。島津先生になかなか深いですね。と言いました。違う言い方をしますと、北風と太陽の接し方で、その本人自身が、何かに気づくのかなと思います。
それを、踏まえますと、今回の気づきとしましては、人は、細かい所に気づく優しさと、困難を乗り越える強さの両方を持っているのがいいのかなと思いました。(ミクロから、マクロまで。)
私など、有り難いのは、いろんな疑問があると、怒られても(愛情を感じますので怖くありません。)聞けるという場がありますが、先生の修行時代など、質問に答えてくれるというのがない中で、師匠の一挙手一投足、言葉、雰囲気、いろんな物に、神経を研ぎ澄ませて、稽古されていたようです。
出来る事を、少しづつ、頑張っていこうと思います。
いつもありがとうございます!
松岡良一
漢と書いて、おとこと読む。(漫画の北斗の拳や、男塾読んだ人は、分かると思う。)
患者さんと話していて、この患者さんは、漢だなと思ったりする人がいたりする。
男性だと、強さに憧れる人もいると思う。(私だと、今でも、元気玉作れないかなと思ったりしている。笑)
男とは、漢とは、こうあるべき、こういう男になりたい!こういう漢になりたい!
その強さが腕力だったり、精神力だったり、その人が人生を送る中で、求める強さが変わってくると思う。
私の思う漢は、強靭な体力と精神力を持っていて、日々の生活を100パーセントの力を出して、全力で生きている人。
こんな漢の人がいると、周りの人は、その人をお手本として、普段の生活に臨めるのかなと思う。(お手本があると、楽。)
漢の人に、どうですか?ライバルとか、強敵は、今までの人生の中にいました?と聞いてみた。そうすると、いないという答えばかりだった。もったいなと思う。強敵がいれば、切磋琢磨して、更に、いけるのに、と思った。だから、知っている事で、教えてもいいことは、話す事にしている。(そうして、ちょと、手合わせしてもらう。)
漢らしさを追究すると、何かが分かり、女らしさを追究すると、何かが分かると思う。
本人の理想を追究すると、思っていた所に答えが無い事に気づくと思う。
とりあえずは、身近な所にいる、素敵な人をお手本に、その素敵な部分をマネすると、そのマネした分、今より、素敵な私になれるのかなと思います。( ^ω^ )
同じ物を見ても、好きという人と嫌いという人がいる。
この二人がそのまま話しても、私は、好き、私は、嫌いで話が終わってしまうと思う。
この二人が、今までの人生をお互い話をし、それぞれの人生を想う事が出来れば、この好きという感情、この嫌いという感情が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。でも、私は、この物を好きだけど、あなたが、嫌いという気持ちも認められるかもしれない。
信頼関係のある仲での勝負は、お互いに、プラスに働くと思う。
価値観と価値観のぶつかり合いの勝負は、なんでもありなので、様々な感情が出てくると思う。
人と人の出会いは、心地良かったり、気分を害したり、新しい世界を教えてくれたり、いろいろあると思うが、そこで、気づく事があると思う。
昔、ある先生がいて、短気なおじいちゃん先生によく怒られていた。(私も昔は、よく怒られていました。)その一場面を見てみると、どうやら、ゴミが溜まっているに、捨ててなくて、怒られている。その先生にアドバイスした。おじいちゃん先生がどのくらいゴミが溜まったら、捨てなけきゃいけないのか、その感覚を掴む。6割りなのか、7割なのか。気分なのか。また、一見すると、おじいちゃん先生が強くて、怒られている先生が弱者な感じがするけど、おじちゃん先生は、先生の行動に左右されているので、わざともっと、もたもたすると、おじいちゃん先生は、怒りが強くなるという話をした。このおじいちゃん先生は、この先生を怒れば、怒る程、周りに嫌われていくというのが分かっていなかった。(因果応報)このただ、自分の気持ちのままに生きるという反応の人生を送っていると、本人の知らない所で損をしていると思う。(短気は、損気。)
生き方は、いろんな生き方があると思います。ワガママは嫌だなと思う人は、そういう生き方をすればいいと思いますし、自分の思い通りに生きるという人は、そういう生き方をすればいいと思いますし、どう生きるのが、その人にとって、一番納得出来るかを、人生を通して、学んでいくのかなと思います。
物事は、気づけば、気づくだけ、いろんな事が楽になると思います。( ^ω^ )
日曜日に、台風の中、自由が丘に行った。(雨、風、凄かった。)
秋山先生、吉野先生、飛田先生のコラボ講演会があった。
今回の目的は、不食の秋山先生に、是非、一度会ってみたいと思っての事だった。
参加された方には、秋山先生のコーヒーが振舞われた。
お代わりした。(次の日のトイレが違った。)
講演会の話で、お坊さんのお友達がお坊さんを心配して連れてきた。
このお坊さんは、人の為に、とにかく、身を粉にして頑張り過ぎているという事だった。
そのお坊さんに、対して、まず、自分が幸せにならないといけないと話されていました。
身を捨てて相手の為にというと、日本人的には、素晴らしいという感じがしますが、身を捨てて相手の為に頑張っている時に、素晴らしいと思われる人と、心配される人がいます。
愛 感謝 ありがとう という言葉が出ました。
確かに、愛 素晴らしい! 感謝! 素晴らしい! ありがとう! 素晴らしい!と思います。
この時、愛でなければならない! 感謝しなければならない! ありがとうと思わなければならない!と思うのであれば、何か無理してる感じがします。この無理している緊張があると、心配されるのかなと思います。
只管打座という言葉があります。ただそのものに、なるとか、我を無くして管になるとかと捉えている人もいると思います。ここで、もうひとつ気づきます事は、我を無くしてと言った時点で、差別しているので、そこに我があるという事になります。実際は、只管打座の意味が分かっている人は我を分けていないと思います。
人によって、我という捉え方が違うので、よく分からなくなるかもしれません。
吉野先生は、我をワガママとあるがままと話しておりました。
私的には、我を制限された考え方と思っております。分かりやすい我は、ワガママですが、ルール、法律、道徳、倫理、それが、正しいと思った時点で、我と思っております。ただ、制限された考え方が悪いというのではなく、今の私だと、枠が無いなと思っていたら、あっ、枠があったという感じです。
磯さんという方が飛び入りで、参加されました。動物は、本能のままに生きています。自然の中で生きています。という話をされました。動物の本能のままに生きているは、その生き方で、調和がとれている。また、違う言い方をしますと、全体の中で、調和はとれるように、無意識に動かされているという意味だと思います。ここに、関係する話として、吉野先生は、人は、無意識に動かされるのを、拒める、自由意思があると話されておりました。磯さんは、具体的な話として、怒りが出た時は、ただ、怒りにまかせて怒るのではなく、いつものパターンをテイクアウトすると言い方をされていました。本来、そのままやると、怒りのままですが、その怒りに気づいて回避した。怒れるけど、怒らない。我慢した。これが、創造をした事になるそうです。確かに、怒りの場を違う場に変えていますね。どこかの場面で、お前は、動物のように本能のままだなと言われたり、出くわす事があるかもしれませんが、動物の本能のままには、調和がとれています。人が本能のままにと言われた時は、制限された考えで、相手と、全体を見ているから、軋轢が生まれます。だから、人の場合は、流れのままの世界で、調和の世界いる事も出来るし、拒んで、葛藤を楽しむ事も出来ます。この葛藤の状況を相手が創っていると思うか、私が創っていると思うかで、全然違うと思います。
愛とか、我とか、人によって、捉え方が違いますが、普段の生活の中で、ひとつ、ひとつ、腑に落とすをやっていくと、どんどん受け入れられる事が多くなっていきます。是非、やってみてください。
個人的には、帰りの電車の中で、吉野先生ともう一人の方と乗っていた時、先生が、もう一人の方に、「松岡先生は、松岡先生の周りには、動物が集まる。そんな愛。」と言ってくれました。これが、嬉しかったです。昔、マガジンで、ショウグンという漫画があり、その主人公が着ているものは、ボロボロなのですが、公園で、公園にいる鳥たちが肩にのったり、周りに動物とか、集まってきている場面がありました。こんな風になると嬉しいなと思っていました。最近では、虫が寄ってくる事は、あります。(悪い虫では、ありません。笑)
この言葉を聞いて、流石!吉野先生!よく、私の心を分かっていらっしゃると思いました。これからも、不束者ですが、よろしくお願い致します!( ^ω^ )