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院長 | 松岡 良一 |
松久先生の松果体革命という本を読んだ。
本の中で、「地球人は、時間と空間と重力に縛られています。重力に縛られると、人間のエネルギーの本質である螺旋振動波は、地球の中心に向かって、一方向にしか向かない状態になります。実は、地球に向かって引き寄せられていくという状態が「時間」と「空間」を作っています。しかし、自分の振動数エネルギーを自由に上げることができるようになると、その方向性は、自由度を増し、時間と空間に縛られない状態を手に入れることができます。時間と空間というのは、「自分の身体が今ここにしかない」という幻想に基づいてできる概念です。「私は今いて、今以外にはいない」「私はここにいて、ここ以外にはいない」という概念は、自分という存在は”今ここにしかいない”という幻想です。素粒子のレベルでは、魂の意識エネルギーは、今にも過去にも未来にも、ここにもあそこにも自分はいて、今ここを選ばされているだけという状態です。松果体が不活性化していると、重力に縛られ、時間と空間の枠に閉じ込められます。」と書かれています。
この話を読んでそんな気がしました。私は、重力が執着であり、地球の愛かなと思っておりまして、時間もないという話も聞いておりましたので、ただ、それが、どういう風になるかなが、きっちりと説明できなかったので、この話は、凄く納得しました。
そして、本の中で、「魂にとって良い悪いは、自分の乱れたエネルギーを修正するのに、「どのような体験をしたら一番修正しやすいか?」という基準しかありません。ですから魂エネルギーの修正の観点から見たときに、どんな選択であっても、すべてが「善」の判断のもとに選ばれた状況でしかないということです。私たちは地球次元でいうところの「善」と「悪」を感じて、ストーリーの流れによって一喜一憂してしまいますが、魂エネルギーレベルでいうと、体験するものはすべて「善」なのです。」と書かれています。
この話もそうだなと思いました。善と悪を持つ人が世界を見ると、善と悪の世界が見えると思いました。
そして、もうひとつ本の中で、「自覚しない意識ですが、超潜在意識(宇宙意識)が効率よく取り込まれるためには、顕在意識と潜在意識は眠らせたほうがよいのです。今までの地球の成功哲学は、潜在意識を最大限に利用するという教えでしたが、実は、それさえも眠らせたほうがよいのです。」と書かれています。
この話もそうかなと思いました。
私の中では、この先生の話は、凄く納得しやすい感じになっていますので、いつか、是非、お会いしたと思いました。
結局のところ、みんな自身が世界を創っていると思いますので、その人の分かる範囲でしか、世界は、見えてこないと思いますので、いろんな話を聞き、実際に試してみて、ひとつ、ひとつ、その人なりに、腑に落としていくのが、大事だと思います。
(*^▽^*)
日曜日に東京の町田の島津先生の所に行った。
前腕(手首から肘の間)から手と、背中と、肘のやり方を教わった。
前腕から、手の所は、手首が大事とのことだった。背中は、背骨に関係するとのことだった。
肘は、肘内障の整復(子供の肘の脱臼を正常の状態にすること。)と同じだった。
手首の施術(治療の事ーお医者さん以外の人が、治療という言葉を使っていけないので、こういう言い方をしている。)の甘い所を指摘して頂いて勉強になった。
今回、施術とは、別に聞きたかったことがあった。それは、殺法の時の意識と、活法の時の意識をどう違うのか感じてみたかった。殺意がどういう風に身体に影響するかを実感してみたかった。(お手柔らかにお願いします!)その話を先生にしてみましたら、先生が殺法は、こう!活法は、こう!とやってみせてくれました。確かに、殺法の方が身体にガツンときて、活法の方が優しい感じがしました。殺法は、身体を壊す為、活法は、身体を良くする為だそうです。ただ、これは、身体的操作という気がするのですが、私の中では、意識がある気がするので、これからも、手を変え品を変えたまに、質問してみようと思っております。そうは言っても、まだまだ出来ないことがあるので、ひとつ、ひとつ覚えいこうと思っております。いつも勉強になります。ありがとうござます!(*^▽^*)
今日、とうとうパソコンのインターネットがなかなか繋がらない問題が解決した。
インターネットは、無線ランというので、院用のパソコンと、個人用のパソコンを繋げていた。
個人用といっても、それで、整骨院のブログや、メールをやったりしていて、それが、途中で、とまったり、なかなかインターネットが繋がらなかったりしていた。(整骨院用は、ちゃんと繋がる。)繋がらない時は、祈ったり、隙をついたり、いろいろすると、10回目とか、20回目に繋がったりする。いよいよダメな時は、患者さんや、業者の方にやってもらったりした。そして、今回は、患者さんに、インターネットのルーターの位置を変えてもらった。みなっしーにも、協力してもらった。が、やはり、上手くいかなかったので、前に頼んでいた、時間がある時、有線ランで、というやり方をしてもらった。ここでも、みなっしーに協力してもらった。(みなっしーに、残業にさせてしまった。)そして、皆様の協力のもと、とうとう有線で、インターネットが繋がらない問題が解決した。
患者さん、みなっしー、ありがとうございます!これで、ストレスのない世界が始まった。
(*^▽^*)
土曜日の夜に、おばあちゃんのお見舞いがてら、実家に帰った。
なぜか、日曜日の朝から畑仕事を夕方までしていた。
今回は、ジャガイモや、玉ねぎ、キャベツ、レタスの収穫、草取りをした。
私としては、身体を動かすというのは、嫌いでないし、自然の中で、土を感じるのもよかった。
そして、私の真の目的としては、とにかく、ズッキーニを持って帰ろうということだけ考えていた。
自然の中で、作物を育てて、そして、食べる。その収穫という部分だけで関わって充実感を感じている。これが、種からだと、まず、畑を作って、水をやったり、天候や、病気や、虫の心配をして、上手く育つか、育たないかがあり、そして、収穫があると思う。これが、普段の生活になると、この全ての過程は、他の人がやってくれて、後は、スーパーで、食材として食べるだけとなっている。普段の生活では、いろんな物事の一部分でしか関わらないことが多いので、全体が見えない。もし、全てを、見ることが出来れば、私達は、いろんな人や、いろんなものが関わって、生活が出来ているんだと思え、自然に感謝が生まれ、人は、一人では、生きていけないんだと思えるのかなと思った。最近、思うことは、部分に囚われると、全体が見えなくなるな、全体という見方をすると、部分がなぜ、そうなったが分かるかなと思った。(まだ、全体を完璧に、見るやり方は、確立出来ていません。挑戦中です。)
ただ、分かることは、そこに入ってみると、その世界のことが、前より深く分かるんだなと思った。とにかくやってみると、何らかの気づくことが出てくるかなと思った。
行動って大事って思いました。(*^▽^*)
ある先生と話をしていて、今できることを考え、今できることをやるということが大事だと教わった。
その言葉を聞いて、私は思った。今できることをやり続けていると、最初は、面倒くさかったその行動が習慣になり、楽にできるようになり、行動自体の実力も上がってきて、その結果も上手くいく、そして、上手くいくのが、習慣になると、いつも、思ったことは、実現するようになるのかなと思った。
この今できることを考え、今できることをやるというのは、世の中の様々な状況や、実力の人でも、その人なりの今できることがあると思う。
今ある状況が厳しい時は、力がない人は、諦めてしまうかもしれない。力がある人は、それでもクリアしていくと思う。力がない人が今できることをやれば、今より少しできる人になる。その時点で、先ほどまでの私と変わっている。
今まで無理かなと思っていた人が、今できることを考えて、それを行動に移すと、そこにできるという芽が生まれる。
そこにあるのは、その物事と私を比べたときに、あまりに力の差を感じてしまうと、無理ですと思ってしまう時でも、ちょつとだけなら、できることがあり、それを続けていると、そのうちできるようになるという事かなと思った。
私もまだまだなところがあるので、いろんな素晴らしい人の素晴らしいと思うところを吸収していきたいと思う。
ひとつ前のアンアンに、距骨という文字を見つけた。まだまだそんなに知られていないので、どんな取り上げ方されているか、興味があったので、買ってみた。この中で、出てくる志水先生は、距骨のズレかたで、いろんなタイプがあると仰っている。先生の出している本も買って読んでみた。踵には、踵骨とその上に距骨という骨がある。脛と足の間のベアリングのようなものが、距骨という説明が凄く分かりやすいなと思った。この先生は、元々、外反母趾の有名な先生の所にいて、そこからこのことに気づいたのかなと思う。
竹末先生は、カイロプラクテックの先生で、アメリカに留学した時に、エックス線を照射している時に、歩くとどういう風に骨が動くかの研究に参加された。その時に、距骨が大事と気づくたらしい。先生のお勧めしている距骨ウオーキングは、私も毎日やっている。
米澤先生は、先生のやり方が、整骨院に送られてきて、先生は、どういう風に捉えているかが、興味あったので、本を読んでみた。先生は、踵骨がズレると、その上の距骨に影響すると書かれていた。本の中では、かかとのセルフケアが書かれている。
柳生心眼流では、土台が歪むと、身体が歪むという考えで、土台の足首の距骨の重要性が伝えられている。(ただ、武術なので、外には、出ない。)
いろんな先生が距骨に注目しているけど、先生によって、捉え方が違っていたりする。
私なんかは、距骨を整えると、脳の認識する身体と実際の身体が一致して、地球の軸に合って、足が、免震構造みたいになって怪我しにくくなるのかなと思っている。
土曜日に、木更津の父親からメールがあり、電話をかけてみると、畑で、ズッキーニを採ってぎっくり腰になったと言ってきた。
明日、用事があるので、間に合えば、仕事を終わつてから行って、朝、直ぐ戻れば行くよと言った。ダメな時は、冷やして、安静にしてくださいと言った。
私は、いつの頃からか、ズッキーニが凄く好きなので、スーパーで、見つけると、10本ぐらい買ってしまう。そして、1回の食事で、2本ぐらい生(実際は、火を通した方がいいみたいです。)で食べて幸せを感じてしまう。今回、父親が、ズッキーニで、ぎっくり腰と言ったので、ズッキーニで、つろうとしているのかと思った。
父親が動けるようになった時、帰りに、ズッキーニ2~3本持って帰ったらいいと言った。うん、なかなかなケチだなと思っていたら、ズッキーニを見せてくれた。普段、買うズッキーニは、20センチくらいで、きゅうりみたいだけど、このズッキーニの一番大きいのは、長さが42センチぐらいあって、胴回りの太さ凄く、怪獣みたいで、笑ってしまった。これなら、2~3本という意味も分かるなと思った。取り合えず、そこにあったズッキーニ9本(3本は、お店で売っていたもの)もらっていった。
そして、この時、考えたのは、大きくなれば、なるほど、大味になるのかなと考えたりした。20センチなら、100のおいしさ、30センチなら80のおいしさ、40センチならおいしさかなと思って、その時は、どの辺で、良しとするのが、いいかなと思った。実際食べてみたら、大きくても、おいしかった。
ズッキーニ道の初心者の私が、まだ分からないのが、スーパーのズッキーニを食べた時、凄くおいしいのと、おいしいのがあって、この違いは、鮮度なのか、何なのかがよく分かっていないので、今後のテーマになるのかと思っている。
ズッキーニなかなかこの世界は、深いかもしれない。
(*^▽^*)