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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 考える事。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 41の記事一覧
昨日、炭粉先生の稽古に参加した。
炭粉先生の本は、全部読んでいるので、いつか、是非会いたいと思っていた。
本を読んだ感じでは、強い、荒々しいイメージと愛かなと思っていた。
最初、なんかいい感じの人だなと思ったが、こういう人という言葉が浮かばなかった。
実際にお会いしてみると、外見からは、パワーが溢れる感じがし、内面からは、お人柄の良さが滲み出る感じがした。
ただ、この言葉でも、先生を言い表せていない感じがした。
先生は、先生が実戦を通して掴んだものを、稽古で教えてくれた。
稽古の内容は、先生の許可をとってないので、書く事が出来ないが、真剣でないと怪我をすると思った。
ただ、それでも、先生が全身全霊をかけて、教えててくれているので、覚悟をもった私達は、その先生の姿勢に
答えようと、必死で頑張っていたと思う。
私などは、鈍い方なので、ただ、先生の教えてくれることを、ただ、そのままやろうと思って身体を動かしていた。
逆に、武道、武術で、ずっと、鍛錬している人は、無意識に身体が動くので、それを、先生は指摘していた。
炭粉先生、流石だなと思ったのが、合気(愛魂)の中で、例えば、ある先生が合気(愛魂)をかけた時、
相手の方が、可哀想と思って、協力してあげた時、これを、やらせというのか?(炭粉先生)
人によっては、心を動かしたというかもしれないし、協力した時点で、やらせというかもしれない。
多くの人は、やらせと思うかもしれない。
でも、筋肉楽なんだよ。
と、先生が話してくれた。
炭粉先生が、仰りたいのは、たぶん、以前、ある伝説の達人のお弟子さんとお話した時、そのお弟子さんは、師匠と
相対した時、私自身は、分からなかったのだが、崩されていた。
私に、対しての説明では、お弟子さんの1メモリが1センチとすると、師匠の1メモリは1ミリだから、
お弟子さんは、師匠の動きを感知出来ないという事だった。
だから、合気(愛魂)がかかってないと思っている人でも、筋肉が楽という事は、実は、かかっているんですよと、
仰っているんだなと思った。
ここで、いろんな視点という所で、見てみると、合気(愛魂)をかけているAさん、合気(愛魂)をかけられているBさん、それを、見ているCさんが、いたとする。Cさんの視点からは、外側からだけなので、動きで、うまくいったか、いかなかったか?という見え方だと思う。Bさんの視点からは、本人が感じ取れるか、感じ取れないかで、うまくいったか、いかなかったとなる。Aさんの視点からも、本人が感じ取れるか、とれないかで、うまくいったか、いかなかったという事にも、なると思う。
炭粉先生の場合は、Cさんの視点でも、合気(愛魂)がかかっているのが分かる。
炭粉先生を東京駅まで、お見送りして歩いている時に、炭粉先生に、先生の本読んで、保江先生に、炭粉先生、分かって良かったですねという話をしたら、保江先生が、炭粉先生、頭のいい人だからねと仰りました。その話をしましたら、炭粉先生は、あのブログ書いてる?そうです。そうです。と返事をしました。FAX送ったよと仰っられましたので、営業FAXが多いので、今、使ってないですよと申し上げました。(あ~あ、せっかく先生がFAX送ってくださったのに、残念。)
そして、先生に、先生が保江先生と出会ったのも、よかったですし、保江先生も炭粉先生と出会って、実戦を経験して、お互いよかったですよねと伝えました。
今回、勉強になったのは、炭粉先生は、全身全霊をもって、みんなに伝えたい事は、実践で、その愛は使えるのか?
という事だと思いました。
もし悪い奴が襲って来たときに、それに、対応できるかという所を心配されていると思いました。
世の中には、いろいろな人がいます。
話して、分かる人もいますし、分からない人もいます、道理の通用する人もいますし、滅茶苦茶な人もいます。
でも、先生の伝える愛が分かると、本人も安心ですし、その悪いという奴の心も救えるかもしれません。
人によって、許せる範囲が違います。
この許せる範囲は、どう決まるかというと、今までの生き方で、こうじゃなきゃダメという価値観が造り上げられます。
社会で、揉まれると、いろんな人、いろんな考えがあるんだなというのが、分かります。
その人と、もう一人の、こうじゃなきゃダメが全く反対だとぶつかります。
私の場合ですと、以前は、努力と根性のタイプなので、その反対の頑張らない奴、手を抜く奴は、嫌いでした。
その人なりに、少しでも、頑張っているなら、分かるのですが、そうでないとダメでした。
一方で、メリハリをつけてという考え方の人もいます。
ずっーと、やると、集中力が落ちるので、休憩を挟んだ方がいいという人もいます。
いろんな考え方、やり方があります。
つい、多くの人は、一つの物の見方で、全部を見ようとしてしまいます。
人によって、その人、その人の心地よさは違うのですが。(その人、その人の正義が違う。)
ここに、対して、愛というのが持てると、価値観の違いは、価値観で判断している時は、戦いとなりますが、
信頼関係が出来、それは、新しい可能性となります。(今まで、嫌いだった人、世界が)
炭粉先生が、身を持って、教えてくださっているのは、踏み込むという事かなと思います。
今は、世の中に、たくさんの情報があると思います。
インターネットで、検索すると、知りたい事のその意味が分かります。
でも、物事の本当の意味は、あくまでも、体験して、腑に落とす所までいかないと、良く分かっていません。
その為に、その世界を、外側から、眺めているだけでなく、踏み込むという勇気を持った方が、
本人にとっても、より充実した人生を送れると思います。
新しい世界を知るには、ひとつには、出会いというのがあると思います。
好きな人とか、尊敬出来る人とか、その人の言葉なら、今までなら、そんな事違うだろうとか、素通りしてきた言葉が、
あーあっ、そういう事もあるかなと、素直に聞けるというのがあります。
そして、その人と接していて、影響を受けて、新しい世界が開けると思います。
そうして、もうひとつが、遺恨を残さないという事だそうです。
合気(愛魂)がかかって、倒れたとしたら、相手が強くてとか、こちらが、強くて倒れたとか、何か分かりません。
そうしたら、遺恨も残らないのでしょうという事でした。
最後に、今分かった、私なりの炭粉先生の人物像ですが、何かいいなと思うけれど、具体的に、言い表せなかったのですが、たぶん、炭粉先生の愛のパワーに当てられて、いい気分になっているのかなと思いました。愛が吹き出している感じ、そうすると、つい、先生の為に頑張ってみようと、思ってしまいました。男女問わず、多くの人を、魅了すると思いました。
炭粉先生、この度は、ありがとうございました。
また、よろしくお願い致します!
松岡良一
人は、知識や、経験を通して、それを元に物事を考えていく人が多い。
個人というものが、いろいろ吸収して、大きくなり、それで、世界と関わるという感じである。
過去、現在、未来という時間の概念があった時。
ネガティブなAさんが、ネガティブな過去から、ネガティブな現在を選び、ネガティブな未来を選んでしまう。
本当は、いろんな可能性の現在(ポジティブも含む)、いろんな可能性の未来(ポジティブも含む)、があり、
どれを選んでもいいのだが、そうなってしまう。
なかなか本人の力だけでは、難しい。
そんな時、ポジティブなBさんと友達になった。
考え方は、違うが、ネガティブなAさんは、ポジティブなBさんが、好きみたいである。
Aさんは、そんなBさんと関わるうちに、そんな考え方もあるのかなと思うようになっていった。
そうして、Aさんは、ポジティブな考えもありかなと思えるようになっていった。
そして、Aさんの選択肢の中に新たに、ポジティブなものが生まれた。
人と関わる事は、結構大変だったり、ストレスを感じる事もあると思うが、
人と関わる事で、本人が解放されたり、一緒に楽しんだり、喜んだりすると思う。
よく、コップに水が半分入っているという話がある。
半分あると考えるのか、半分しかないと考えるのか。
どっちも、水はコップに半分だけ入っているという状況は同じである。
これを、人生で、考えると、同じ状況なのに、一人は、幸福、不幸となる。
そう言われると、ああそうだと思える人は、多いかもしれない。
しかし、普段の生活に振り返ってみると、結構ネガティブな人もいるかもしれない。
葛藤が多いのであれば、尊敬出来る人や、好きな人と話をしてみて、
私にとって、受け入れやすい部分から、取り入れていくと、少しづつ楽になると思う。
人生は、どんな生き方をしても、その人の人生。
であるならば、その人なりの人生を生ききった方がいいと思う。(人と比べなくていい。)
高橋さんの「宇宙のしくみ使えば、すべてがうまくいくようになっている」という本を読んだ。
以前から、アートテン農法という言葉を聞いていて、いつか、どんな感じか見てみたいという気持ちを持っていた。
簡単に言うと、アートテンという技術を使って、空間をパワーアップさせる感じだと思う。
農業の場合は、そこで、出来た作物は、非常にエネルギーの高いものが出来るようだ。
だから、それを、食べた人は、元気になると思う。
父親が、木更津で、畑をやっているので、そこで、こういうものを活用してくれると、いいなと思っている。
(父親のつくっているゴボウも大根ぐらいの太さがあるので、エネルギーが高いかもしれない。)
最近、トラブルが起きた人達と、平和な人達を見ていて思う事。
たまたまトラブルが起きたというよりは、そこにいる人達が無理をしていて、無理が出来なくなって状態で、不協和音が大きく鳴った時に、起きている感じがする。(会社のルール、家族のルール、私のルールに、対して)
平和な人達は、出来るだけ、仲良くとか、愛を持ってという気持ちで、接しているので、それが、相手とか、周りに伝わり、そして、穏やかな状況になっているのかなと思います。
最近、思う事は、受け取った事を相手に伝える。
私が感じとった事を、相手に感じとってもらうという伝え方。
人は、興味のある事に反応する。
それは、その人の中に、興味があるものに対して、強いものをもっているからだと思う。
難しいのは、本人に、その感覚がない時に、どう感じ取れるかだと思う。
これを、個人という視点で考えると、出来るだけ、本人の持っているのを、空っぽにした方が、受け取りやすい。
新しい物事を受けとろうとする時、一番、邪魔をするのは、その本人の持っている知識や、経験だったりする。
そこを、拘らなければ、楽になるのに、と思う事がある。(全ては、その人が望んでいいる生き方なので、問題ないのでは、あるが。)
また、そこに、拘っているから、問題になったり、問題が起きたりしている。
今思う事としては、この物理空間の中に、いろんな雛形があり、本人の意識に合わせて、現実と思っている空間を浮かびあがらせているのかなと思う。(研究中)
本質に、近づけば、近づく程、平和になり、離れれば、離れる程、葛藤が多い人生となるだろう。
今、その人がいるその場所で、精一杯頑張る事が、後悔の無い人生を歩む事になるだろうと思う。
場がその人に影響しているのであれば、その人も、場に影響を与えていると思う。
ポイントは、みんなが生活するいろんな場所で、いろんな仕組みがあり、その仕組みを理解して、その場所に関わった方が、
スムーズにいく。仕組みが、問題を起こしているのであれば、仕組みを変える事もありだと思うし、変えれないのであれば、そこから、脱出するというのもありだと思う。どう生きようと、人から影響を受け、また、人に影響を与え、どの視点を持つかで、問題になったり、相手の為になったりすると思う。
という事は、滅茶苦茶に生きても、人の為に生きても、どっちでも大丈夫だと思う。
(なかなか、滅茶苦茶に生きる人に、共感出来る人は、少ないと思うけど。)
お昼にご飯を食べている時、朝日新聞の18歳をあるくという記事の中で、
球面ディスプレーを若月舞子さんという方が、研究していると書かれている。
記事には、「開発しているのは、球面ディスプレーにインターネットの情報をきれいに写し出す新しい技術だ。
パソコンのように平面ではないため、文字がゆがんだり、端が切れたりしてしまう。
若月さんは、こうした問題点を克服することでコミュニーケーションのあり方を変えられると考えている。」
と書かれている。
最初、平面の情報を球体に写すという所には、興味がなかったが、コミュニケーションという言葉が出てきたので興味を持った。
私は昔から、本質とか、全体の話をする時に、よく、みんなは、本質という球体を、価値観という平面で捉えようとするから捉えきれていないという事を言っていた。だから、球面ディスプレーだと、そこに、関係するのかと思った。
若月さんが、球面ディスプレーを研究テーマに定めたのは、人種や宗教、性の違いなどを学ぶ「多様性の授業」に役立つ技術だと思ったからだ。そのきっかけは、村井純・SFC環境情報学部長の講演録の
「多様性があるからこそ、イノベーションが起きる」という言葉だそうだ。
いいなと思ったのは、球面ディスプレーを追究していくと、
まず、人によって、このぐらいで、とか、ここまでやらなけばいけないという、人によって、こだわりが違うんだなという事が分かると思う。妥協するのか、みんな納得を、目指すのか、正しく、コミュニケーションが関わってくる。これが、価値観を持った人どうしのコミュニケーション。ここで、分かるのが、物事に対して、部分で捉えるか、全体で捉えるか、漠然と捉えるか、細かく捉えるのか。ここで、気づく事として、物事に対して、ズームインとか、ズームアウトとか。
技術的な事としては、素人の私が思う事は、ホログラフィーとの違いとか、(物質なので、リアル感とか)、その人の欲しいものをピンポイントで、見つける検索システムとか、イメージとしては、地球には、奥にマントルがあるように、球面の奥に本質があるように、その上に、感情とか、価値観とか、信念とか、道徳とかをどう、構築するか、(これが、出来るとA君はいつも、怒ちゃうけど、それは、こういう生き方で、こういう価値観が出来それで、そうなっちゃうとか、が、客感的にみれると思う。)更に、アフリカの人モードとか、アメリカの人モードとか、時代を変えてみるとか。
イノベーションの意味は、例えば、頭にくる、一番嫌いな人を、出来れば私は、関わりたくないと思う人の世界を、あっそういう世界もあるんだと、私自身で、気づいていく事で、制限されている考えを、解放する事で、見える世界の事だと思います。
ポイントは、無償の愛。これが、持てると、価値観の違いが気にならなくなります。多様性を楽しめる。(価値観で、見ている時は、衝突する時がある。)最初は、思いやりとか、相手と私がうまくいくにはを考えるのがいいと思います。
若月さんは、強い気持ちを持って望まれているので、これを、追究されると、どんどん周りが変わっていくと思います。
素晴らしいと思います。
是非、みんなを幸せにする為に、頑張ってください。(私なんか、18歳の時は、適当に生きていたと思います。)
出会い。
人と出会って感化されたという言葉がある。
感銘を受けて、ああ、そういう考えもいいなとか思ったりして、その人自身も、そういう風になりたいと思う。
2013年の時、行徳の吉野先生と話をしていて、先生は、仕事を楽しくするという話をされていた。
その時の私は、仕事は、一生懸命、努力して、糞真面目にするものと思っていた。
楽しむのは、仕事の全てを把握して、余裕のある時なら、分かるという感じだった。
だから、その話を聞いても、そういう世界もあるのかなと思っていた。
この頃の私は、努力とか、根性とか、そういう積み重ねの世界で生きてきたので、
私の価値観すると、よく分からないという感じだったと思う。
そんな中で、冠光寺流を紹介されたりして、先生と接していると、正しく、楽しそうな仕事、
生活をしているのが、伝わった。そういうのも、、いいなと思えるようになった。
価値観で、いうと、陰と陽。
無理しても、頑張るという仕事と、楽しく、楽しむ仕事。
価値観という所で見ると、お互いが理解しえない。
楽しく仕事する人から見ると、なんで、そんなに無理してまでして、仕事するのかな
楽しくすればいいのと、思って、理解できない。
先生が、陽の価値観だけで、接していたら、多分、そんな世界もあるのかな?
私には、関係ないけど、と思っていたと思う。
今年、二年ぶりに、空手の宇城先生の講習会に参加して、思った事は、
二年前は、先生の強さ、頭の良さ、強い信念といった凄さの価値観に反応した。
今回は、先生の相手をなんとか一人前にしてやろうという愛に反応した。
愛というのが、伝わると、表面的には、怒られても、頑張ろうと思える。
愛を本質として捉えてもいいし、価値観の奥に愛があると考えてもいい。
親は、子を愛していると思う。
でも、衝突が生まれる時は、その言葉は、価値観から発していると思う。
でも、親は子を思う愛だと、価値観で、発する言葉を混同していると思う。
親子でさえ、価値観でぶっかっている世界で、人と人が価値観でぶっかるのは、よくある。
この時、もし、純粋に相手の為だけを、思う気持ちの愛から発せられた言葉なら、伝わると思う。
もし、みんなが相手の奥にある愛を感じる事ができれば、敵はいなくなると思う。(同じものと思ってもいい。)
様々な環境の人、様々な価値観の人に、この愛をどう伝えていくかが、今後の課題かなと思います。
吉野先生、いつも、ありがとうございます。
中々の石頭で、一つ、一つ、検証していくタイプなので、お手数おかけしておりますが、
暖かい目で、見ていただき、いつも、感謝しております。
今年に引き続き、来年もよろしくお願い致します。
松岡良一
今年は、とにかく、会いたい人にあった。
オリジナルを創り出したかったが、これは、まだ、完成出来なかった。
ひとつ分かったのが、オリジナル、個性を出したもので、オールマイティーでない場合、
それは、創った人の価値観をぶっけて、そのぶつけられた人が納得すると、その場が出来るという価値観の世界。
だから、価値観が合う、合わないが出てくる。(ビジネスの世界では。差別化してとかいっている。)
それを、愛ベースにすると、どんな人でも、大丈夫になると思う。(模索中。)
例えば、価値観の場合、外見が大事って人と、中身が大事って人が話しても、お互いが主張して、
話がうまくいかない。
これを、愛ベースで、見ると、中身が大事って人が、外見が大事って人の外見の美に対する努力は凄いと思う。
また、外見が大事って人が中身が大事って人の気遣い方をみると、優しい気持ちになると思う。
そんな感じで、お互いが心豊かにになるといいなと思う。
道場の稽古で、保江先生が、優しさが最強と話している。
優しくない人は、優しくなりましょうと話している。(笑)
相手に対して、つい、自分の意見を言って優しくなれない人は、
本人の好きなものに対しては、大事にするので、そこから、少しづつ、広げていくとか、
その人が喜ぶのと、その人の気分が悪くなるのの、どちらが心地いいかと、考えるのも、いいかもしれません。
葛藤が起きるのは、制限された物の見方(部分)で、その全体をみるから、よく、見えていません。
それを、少しづつ、広げていくとどんどん楽になります。
本人なりに、ひとつ、ひとつ、納得して人生を送っていくと、その納得した中では、調和がとれています。
そうして、いろんな場面で、調和をとる事が、私にとっても、あなたにとっても、お互いの世界を広げていく
ことになると思います。調和とは、お互いが、主張しあって、戦うのでは、なく、片方が、主張して、
もう一方が、妥協するのではなく、お互いが、遠慮して、妥協するのでなく、お互いが、お互いの主張をし、
そのうえで、双方の納得の答えを出し、それが、今まで、一人だけで、見ていた世界よりも広くなるものだと思います。
そうして、双方納得の世界が分かると、この二人と、周りの関係に置いて、どう調和をとるかという感じになると思います。
こういう感じに、どんどん本人なりに納得しながら生きていくと、自由度が増し、世界が広がります。
その世界の中で、私がどう生きればいいかは、全体としてうまくいくにはどうしたらいいかを考えると、
自ずと、個人としての私の生き方が見えてくると思います。
ポイントは、私に正直に、相手に正直に生きるという事だと思います。
これを、少しづつ、出来る範囲でやっていくと、どんどん自由になっていきます。
保江先生と山本先生の対談本、「神に近づくには波長を合わせればいい!」を読んだ。
山本先生は、合気道の植芝盛平翁に師事され、合気道の指導と、前衛書家としてのお顔もお持ちである。
道場では、山本先生はいつも、にこにこされて、いい声されていらっしゃるなという印象を持っていました。
本の中で、声を出しながら、字を書くというのをされていると書いてありました。
これは、正しく、声を出しながら、字を書いているので、思った事が、具現化されているとの事でした。
山本先生は、言葉とか、呼吸に、非常に造詣が深い方だと、本を読んで思いました。
昔、読んだ本の中で、ピラミッドの石を運んでいる人に、何をしているんんですかと聞くと、
一人目は、石を運んでいます。
二人目は、ピラミッドを造っています。
三人目は、王様の墓を造っています。
四人目は、エジプトの歴史を創っています。
と答えていました。
その時、思ったのは、仕事は、どう意識するかで、変わるなと思いました。
出来るだけ、いろんな意味を分ってやった方がいいなと思いました。
山本先生の場合は、このいろんな意味が分かっているだけでなく、
例えば、人は、細胞の集まりであり、肉体を持った一つの個体であり、家族の一員であり、
社会の一員であり、国の一員である、人類の一員であり、動物の一員であり、生物の一員であり、
地球の一員であり、宇宙の一員であると思う。
この幾重にも重なった空間ここに、作用するのではと思いました。
これを、どこまで、意識出来るかが、空間の活用度かなと思う。
先生の文字は、ただの文字ではなく、いろんな空間の力があるので、いろんな奇跡が起こるのかなと思いました。
保江先生も空間、山本先生も空間、だから、波長が合うのかなと思いました。
今年も、残り少なくなってきましたが、頑張っていきます!
師走のザワザワの時に、気合いで、しゃんと頑張っています。
今年も残り少なくなっていますが、油断なく、丁寧に生きていきましょう!
この時期、本当に、事故、怪我が多いです。(焦らず、ひとつづつ、片付けていきましょう。)
炭粉さんの零式活人術Ⅱという本を読んだ。
炭粉さんは、元々空手をされていて、保江先生と出会い、現在は、空手家としても、治療家としても凄い人だ。
炭粉さんの本をいつも楽しく読ませて頂いている。
この本の中で、実は私も八年前までは、空手はこうあるべきだ。稽古は、修行はこうあるべきだとの見解を強くもっていました。そんな私が、武道に対して主義主張もない保江邦夫という男にいとも簡単に投げ飛ばされたのです。何を言いたいのかと言えば、主義主張とは関係ないところで本当に大切なモノがシンプルに用意されていることもある、ということです。つまり、人生には「これが絶対に正しいという正解」などない、ということになります。少なくとも私は、だから保江先生との勝負の後しばらく経ってから、自分が持っていた空手や武道の、人生そのものに対しても「~あるべき」という気持ちを捨ててしまいました。そして「どう力んでも自分の人生など大したことではない」との考えから、外で酒を呑むことも、酔っ払って恥をかくことも、もうどっちでもよくなってしまいました。「自分はいつ死んでもおかしくない」状況になった時、さらにその考えは強まったのです。決して自暴自棄ではありません。ですが一種の達観かも知れません。特別な修行と主義主張があろうがなかろうが、成功する時は成功するし失敗する時は失敗する。奇跡は、たかが人間の至り得る境地を待たずに起こり得ることを知ることこそが、自分の人生哲学にとって素晴らしい発見となったのです。想像するに、おそらく保江先生も同じ考えに至られたのではないか・・・
と書かれています。
保江先生に、炭粉さんの本を見せて、先生、炭粉さん、先生に出会って、ここに気づいて良かったですねと言いました。
先生は、炭粉さんは、頭が良くて、追究しているから、分かったんですよ、追究しないと、分からないですよと話してくれました。
人生において、あやふや、漠然、中途半端、にしていると、その意味に気づかない。
興味が有る事を調べてみる。踏み込んでみる。そうすると、以前より分かるようになる。すると、疑問点が出てくる。そこを考えてみる。行動してみる。そうすると、より深く分かるようになる。興味がある事、本人が大事にしている事には、アンテナが立つ、そうして、興味のある事や、本人が大事にしている事に反応する。逆にそこに何かモノがあっても、興味がなければ、本人に関係なければ、反応しない。もうひとつ、アンテナが立つと、そこに興味のあるものや、本人に関係するものが集まってくる。それは、アンテナの性能が上がれば、上がるほど、強くなる。また、違う言い方をすると、本来は、全て繋がっている。そうして、本人の興味のあるところから気づいていく感じだと思う。だから、本人の価値観とか、今の視点で分からなくても、ちゃんと、本人の奥底で求めているものの流れに乗っている。となると、心に葛藤があっても、なくても、大丈夫という事になる。葛藤がある時は、とにかく、何でもやってみる。そうして、やりつくすと、うまくいく。いかなくても、全てをやりつくしたから、納得で出来る。
これが、追究するの意味かなと思う。あくまでも、本人の出来る範囲で、本人なりに納得出来る考えを受け入れると,今よりは、楽になると思う。師走でざわざわしている人もいると思いますが、頑張っていきましょう!