所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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柳生心眼流に、経絡、骨絡、筋絡の三つがある。(腱引きは、筋絡の流れになる。)
今回、その中の骨絡を、日曜日習いに行った。
最初に、爪の切り方をやった。
武道家ー人をいじめる爪。
治療家ー人を生かす爪。
相手に痛いとか、嫌な気持ちを持たせてはいけないと仰られた。
この話を聞いて当たり前だと、思う人は多いと思う。
私が思ったのは、相手に対しての触れ方までも、注意しているそういう気持ちが素晴らしいなと思った。
人によって、感覚は違うので、こちらは、軽くでも、その相手によっては、強く感じたりする。
本人的には、気を使っているつもりでも、相手は、それを、不快に感じたり。
昔、悪気かなかったのですが、同僚の先生を怒らせていることがありました。
だから、一方で、治してあげたいと思いながら、相手に知らずに緊張感を持たせてしまっているかもしれない。
だから、一方で、相手の為と思ってしていても、その行為(好意)そのものが、相手を楽にしづらくしている。
そんな事を考えました。
触る時の指のくぼみ、角度が分かって、腱をひっかける事が、大事と先生は仰られました。
五本の指にも、ひとつ、ひとつ意味があったり、皮膚の感覚は、辞書に髪の毛を入れて、何枚目に入っていて、
どういう形か分かるようにするという日々の努力が大事と仰られました。
多くの人を触って脳に記憶して残す、そうすると、異常があると、分かるそうです。
これは、ずっと、治療の世界とか、その他の世界でやってきている人は、今までにないパターンという事で、
何かおかしいなと思うと思います。
分かっていない事が分かるというのが大事と仰られていました。
確かに、知らない事を知ると、世界が広がります。
思いましたのは、細かく知ると、細かい部分に作用が出来き、漠然と知ると、漠然な感じで作用するのかな
と思いました。
細かく知れば、知るほど、逆に、いろんな世界で通用するようになって世界が広がるのかなと思います。
昔の、人の生き死にの時代の人は、その置かれている環境がいろんな事に注意していないと生きていけないので、
その洞察力、精神力、体力等が、凄かったのかなと思います。
いい刺激になりました、ありがとうございました!(*^▽^*)
3月1日で、開業して、10周年目に入る。
整骨業界は、私が入った時と比べて、非常にのんびり出来ない感じになっている。
昔は、おじいちゃんやおばあちゃんに、いい天気ですね、とか、言ってマッサージして、
最初の頃は、腕の力だけで、ほぐしていたので、土曜日ぐらいになると、腕が上がらなくなったりした。
そんな事をするうちに、ほぐすだけでは、症状が改善しない人が出てくるようになったので、講習会とか、行くようになった。
世の中には、いろんな治療法があり、いろんな先生がいた。中には、胡散臭いものや、怪しいものもあったが、
その中には、本物もあった。(私の場合、基準は、ただ、効果があるか、ないかだけなので、外側は、関係ない。)
そんな感じで、いろんな先生や、患者さんと会い、いろいろ考えているうちに、患者さんと、向かい合う姿勢が、どんどん深くなった。
今年、一年の成果としたは、今まで、短気で、怒っていた人が、怒る事が殆どなくなったという話を聞くようになった。
地道な、身の周りからの草の根活動をしている気がする。
個人的に好きなものは、調和とか、平穏とか、仲良くとか、愛とかなので、そのような世界を、構築している。
いろんな人生があっていいと思う。
生とか死というのを、意識して暮らすと、命が生き生きして、凄く充実する。
ぼやっと、生きると、いろいろ億劫になる。
やりきった人生とやり残した人生があるとしたら、みんなは、どちらを、選ぶのだろう?
たぶん、やりきった人生を選ぶ人が多いと思う。
であれば、なぜ、今、全力でやらず、言い訳をしているのだろうか?
人に対する言い訳はまだいい、人生最後の日に、後悔に気づくのは、勿体無いと思う。
小学生の頃、全力で、やるのが、怖かった。
それは、もし、全力で、やって、それでも、ダメだったら、私という人間は価値が無いというのが、怖かった。
今は、全力で、やる、それで、ダメだったら、しょうがないと思っている。
全力でやる。そうすれば、後悔がない。
私なりの全力は、私が納得する。
他人の評価は、関係ない。
私の人生は、私が決める!
今年は、とにかく、会いたい人にあった。
オリジナルを創り出したかったが、これは、まだ、完成出来なかった。
ひとつ分かったのが、オリジナル、個性を出したもので、オールマイティーでない場合、
それは、創った人の価値観をぶっけて、そのぶつけられた人が納得すると、その場が出来るという価値観の世界。
だから、価値観が合う、合わないが出てくる。(ビジネスの世界では。差別化してとかいっている。)
それを、愛ベースにすると、どんな人でも、大丈夫になると思う。(模索中。)
例えば、価値観の場合、外見が大事って人と、中身が大事って人が話しても、お互いが主張して、
話がうまくいかない。
これを、愛ベースで、見ると、中身が大事って人が、外見が大事って人の外見の美に対する努力は凄いと思う。
また、外見が大事って人が中身が大事って人の気遣い方をみると、優しい気持ちになると思う。
そんな感じで、お互いが心豊かにになるといいなと思う。
道場の稽古で、保江先生が、優しさが最強と話している。
優しくない人は、優しくなりましょうと話している。(笑)
相手に対して、つい、自分の意見を言って優しくなれない人は、
本人の好きなものに対しては、大事にするので、そこから、少しづつ、広げていくとか、
その人が喜ぶのと、その人の気分が悪くなるのの、どちらが心地いいかと、考えるのも、いいかもしれません。
葛藤が起きるのは、制限された物の見方(部分)で、その全体をみるから、よく、見えていません。
それを、少しづつ、広げていくとどんどん楽になります。
本人なりに、ひとつ、ひとつ、納得して人生を送っていくと、その納得した中では、調和がとれています。
そうして、いろんな場面で、調和をとる事が、私にとっても、あなたにとっても、お互いの世界を広げていく
ことになると思います。調和とは、お互いが、主張しあって、戦うのでは、なく、片方が、主張して、
もう一方が、妥協するのではなく、お互いが、遠慮して、妥協するのでなく、お互いが、お互いの主張をし、
そのうえで、双方の納得の答えを出し、それが、今まで、一人だけで、見ていた世界よりも広くなるものだと思います。
そうして、双方納得の世界が分かると、この二人と、周りの関係に置いて、どう調和をとるかという感じになると思います。
こういう感じに、どんどん本人なりに納得しながら生きていくと、自由度が増し、世界が広がります。
その世界の中で、私がどう生きればいいかは、全体としてうまくいくにはどうしたらいいかを考えると、
自ずと、個人としての私の生き方が見えてくると思います。
ポイントは、私に正直に、相手に正直に生きるという事だと思います。
これを、少しづつ、出来る範囲でやっていくと、どんどん自由になっていきます。
炭粉さんの零式活人術Ⅱという本を読んだ。
炭粉さんは、元々空手をされていて、保江先生と出会い、現在は、空手家としても、治療家としても凄い人だ。
炭粉さんの本をいつも楽しく読ませて頂いている。
この本の中で、実は私も八年前までは、空手はこうあるべきだ。稽古は、修行はこうあるべきだとの見解を強くもっていました。そんな私が、武道に対して主義主張もない保江邦夫という男にいとも簡単に投げ飛ばされたのです。何を言いたいのかと言えば、主義主張とは関係ないところで本当に大切なモノがシンプルに用意されていることもある、ということです。つまり、人生には「これが絶対に正しいという正解」などない、ということになります。少なくとも私は、だから保江先生との勝負の後しばらく経ってから、自分が持っていた空手や武道の、人生そのものに対しても「~あるべき」という気持ちを捨ててしまいました。そして「どう力んでも自分の人生など大したことではない」との考えから、外で酒を呑むことも、酔っ払って恥をかくことも、もうどっちでもよくなってしまいました。「自分はいつ死んでもおかしくない」状況になった時、さらにその考えは強まったのです。決して自暴自棄ではありません。ですが一種の達観かも知れません。特別な修行と主義主張があろうがなかろうが、成功する時は成功するし失敗する時は失敗する。奇跡は、たかが人間の至り得る境地を待たずに起こり得ることを知ることこそが、自分の人生哲学にとって素晴らしい発見となったのです。想像するに、おそらく保江先生も同じ考えに至られたのではないか・・・
と書かれています。
保江先生に、炭粉さんの本を見せて、先生、炭粉さん、先生に出会って、ここに気づいて良かったですねと言いました。
先生は、炭粉さんは、頭が良くて、追究しているから、分かったんですよ、追究しないと、分からないですよと話してくれました。
人生において、あやふや、漠然、中途半端、にしていると、その意味に気づかない。
興味が有る事を調べてみる。踏み込んでみる。そうすると、以前より分かるようになる。すると、疑問点が出てくる。そこを考えてみる。行動してみる。そうすると、より深く分かるようになる。興味がある事、本人が大事にしている事には、アンテナが立つ、そうして、興味のある事や、本人が大事にしている事に反応する。逆にそこに何かモノがあっても、興味がなければ、本人に関係なければ、反応しない。もうひとつ、アンテナが立つと、そこに興味のあるものや、本人に関係するものが集まってくる。それは、アンテナの性能が上がれば、上がるほど、強くなる。また、違う言い方をすると、本来は、全て繋がっている。そうして、本人の興味のあるところから気づいていく感じだと思う。だから、本人の価値観とか、今の視点で分からなくても、ちゃんと、本人の奥底で求めているものの流れに乗っている。となると、心に葛藤があっても、なくても、大丈夫という事になる。葛藤がある時は、とにかく、何でもやってみる。そうして、やりつくすと、うまくいく。いかなくても、全てをやりつくしたから、納得で出来る。
これが、追究するの意味かなと思う。あくまでも、本人の出来る範囲で、本人なりに納得出来る考えを受け入れると,今よりは、楽になると思う。師走でざわざわしている人もいると思いますが、頑張っていきましょう!
土曜日に仕事が終わってから、向かいにある整体のまこと先生と、居酒屋で、ご飯を食べた。
以前先生に、7月14日一周年ですね、おめでとうございますと伝えたら、一緒に飲みに行きましょうと言われ、
その日が、土曜日だった。(私は、お酒に弱いので、もっぱら食べる専門だけど。)
いろいろと話をしてみて、患者さんに、寄り添うという事と、自立してもらうという事を大事にしている所がいいなと思った。
時計を見てみると、なんと、1時50分。
アラームを、0時にして、バイブにしていたが、気づかず、終電が行ってしまった。
そこのお店が、朝3時までなので、そこで話した。
店を出て、開いているお店を、探したが、無く、最後は、交番に行って、聞き、居酒屋の近くの居酒屋が、朝までやっているという事で、そこに行った。
まこと先生は、心と身体の関係、今は、特に、メンタルを大事にしていると話してくれた。
結局、夜の8時30分から、朝の5時まで、お互いの仕事に対する話をして、いたら、まさかの朝帰りとなってしまった。(最後は、二人とも、眠い感じだった。)
まこと先生の仕事に対する、ただ漠然やっているのではなく、常になぜ?を持っている姿勢と、身体を壊さない施術を大事にしている事を
知れたのは、よかった。
まこと先生は、近所にこれだけいろいろ考えてる人がいるとは、思わなかったと喜んでいた。
まこと先生、お互い、ご近所同士、スタイルは違いますが、頑張っていきましょう!
日曜日に、久しぶり(二年ぶり)腱引きの師匠の小口先生にお会いした。
平先生と小口先生のコラボセミナーが大塚のゴールドジムで、行われた。
気持ちとしては、ずいぶんと顔を出していなかったので、小口先生のお顔が見られればいいなと思った。
平先生は、チャンピオンという漫画で、グラップラー刃牙という漫画のモデルとなった人なので、いつか、お会いしたいと思っていた。
噂では、なかなかの人格者とお聞きしていたので、楽しみにしていた。
私は、座学と思っていたので、ジャージを持っていかなかった。
平先生のお話は、人間は、本来、骨の数だけ、動かせる事が出来る。
だから、原始人が本来の人間の力が使えているだと思うという事だった。
それを、現代人は、整った場所で、暮らしているので、どんどん、固まって、いろんな症状を出しているというとの事だった。
平先生が、床に寝て、頭の位置は、同じで、背骨を動かす事を見せてくれた。
感じとしては、身体が伸びる感じで、身長が高くなっていた。(背骨を真直ぐにしているのかなと思った。)
平先生が肩をどんどん、引っ張って,捻ってというやり方をして、それを、みんなが二人一組で、やって、効果を体感する。
それに対して、小口先生が解説入れたり、腱引きでは、こうやり方もありますという感じでというのを、見せたりしていた。
逆に腰では、小口先生がやって、平先生が、うちではこうですよというのを、みなさんが出来る簡単なやり方を教えてくれていた。
今回、思ったのは、小口先生は、身体を、先生の指先で捉えた感覚をもとに、先生納得の理論を構築し、メカニズムの視点から、話をされ、平先生は、格闘技
をずっとされてきているので、実戦の中でつかんだ身体の事を話されているなと思った。
セミナーの最初に平先生が、みなさんは、健康をどのように思っていますか?
と質問を投げかけられ、この話をするだけで終わちゃうんでしませんが、という話をしました。
セミナーを終えて思ったのは、身体の中から、満ち溢れるパワーが出ていたら、悩みなんか気にならないんだろうなと思った。
悩みの捉え方を、平先生は、偏った身体の使い方、本来の身体を使えていない状態をどんどん使える状態に解放していく事で、心も解放していこうと
思っているのだろうなと思った。
身体を通して、私を知るという考え素晴らしいなと思った。
腱引きの師匠の小口先生の分析が、より、繊細になっているので、流石だなと思った。
本部には、トレイルランの鏑木さん達こられているという話だった。
どの道でも、本人の思う道を、信念を持って、ブレずにいく、姿は、かっこいいなと思った。
平先生、小口先生、ありがとうございました。
今日は、2月28日。今日で、開業から、8年の歳月が過ぎ、明日、3月1日で、9周年目に突入する。
私の中で、一番続いているのが、この仕事である。
よく、天職という言葉があるが、これを、求めて、転職を繰り返す人もいる。
みんな、私に合うものを、見つけようとしているが、中々見つからない。
それは、天職そのものが、何か分からないからである。
本当は、あなたは、この仕事をすると、あなたの持っている力が、最大限に活かされて、毎日、生きがいを感じますよ。
と教えてくれる人が、いればいいが、そういう人が、なかなかいない。
となると、まず、今の仕事を頑張ってみるのが大事である。
そうして、言われた事が出来るようになると、心に余裕が出てきて、周りが見えてくる。
更に、もっと頑張ると、もっと周りが見えてくる。
そんな感じでやっていると、仕事自体が楽しくなる。そうなって初めて、私が見えてくる。
私が、見え始めると、これが、私の道かな、が出てくる。
どんな仕事でも、徹底的にやり込むと、その仕事の楽しさが出てくる。
そこまで、いっても、違うと思えば、次に行くのも、ありかなと思う。
もし、ひとつの仕事しかなければ、みんな仕事を選んだりして、悩む事は、ないだろう。
でも、世の中には、いろんな仕事がある。
また、いろんな仕事が、なければ、世の中は、成り立たない。
という事は、私のこの仕事は、こういう事をする仕事なのだけれど、これによって、こういうお客様の為になるし、
そこで、喜んでもらえれば、私は、ますますやりがいを感じ、お客様も幸せになる。
その幸せになったお客様が、また、関わりある人に、幸せを伝え、広げていく。
その喜びを、どこまで、私事として思えるかが、幸せの秘訣であると思う。
逆に、私というものが、狭い人程、不満が多いと思う。
とりあえずは、まず、私が、やり易い所から,始めてみるのがいいと思う。
仕事と言う言葉は、あるけど、いろんな仕事があるし、仕事時間もいろいろだし、型があるわけでは、ないので、
もし、それでも、しっくりこなければ、私なりの仕事を創ってもいいと思う。
こうでなければいけないが、葛藤を生み、こうしたいなーが、楽しさを生む。
問題として捉えて、苦しみたいのか?問題として捉えてそれを解決し、達成感を得たいのか?
そもそも何事も無かったように、こなしてしまうのか?
生き方は、自由だと思う。
でも、本人の中にある考えに縛られて、不自由になっている人が、多いなと思う。
なぜ、不満を言うのだろう?なぜ、人の性にするのだろう?(まあ、私も、昔は、言っていた気がしますが。とりあえず、棚上げしてっと。)
それを、繰り返しているうちは、たまたまその嫌な事が無くなったとしても、嫌な人がいなくなったとしても、
また、同じような事が、起きる。(根本を解決していない為。)
私自身が、問題をクリアーして、気づいたのが、この事だった。(実証済み)
今、私個人の目標としましては、物事をあるがままで観ることと、物事に良い、悪いの両方を意味付をすると、の違い。
物事に私なりの意味付をすると、どうなるのか?を、試していきたいです。
9周年目は、予想外の展開になる事を、楽しみにして、頑張っていきます!
私に関わりのあるみなさま、これからも、何を言っているか、分かりづらい部分も、あると思いますが、本人なりに一生懸命なので、
ひとつ、暖かい目で、見てあげてください!
よろしくお願いします!
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