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院長 | 松岡 良一 |
週末にカンさんの講演・ワークショップに参加した。
一度、会ってみたかった。
結構、知っている方達も来られていた。
感想として、一番、残った言葉として、独学、自分で掴みとる。
身体と真剣に向き合う。
教わった事だけやっても、ダメと思った。
まず、最初に、両手を合わせるという事をした。
右手で考えると、右手で感じる左手がある。(これは、昔、人生の師匠から習っているので、入り易かった。)
左手で考えると、左手で感じる右手がある。
両手を合掌する。
答えを出さなくて言いと話してくれた。
そうはいっても、これを、少し考えてみた。
右手は、左手がいて、自分の事が分かる。
左手は、右手がいて、自分の事が分かる。
これは、私というものは、私だけでは、私が分からず、相手がいる事で、私を認識していると話だなと思った。
手を合わせてゼロになる。
右手でも左手でもないものが出てくる。
と話された。
答えを出さなくていいの意味は、最初は、右手だけの考えで解釈したり、左手だけの解釈したり、
そういう事になるので、直ぐ、答えを出さなくていいと言ったと思ったのですが、
もう少し考えてみると、つい、今まで持っている知識、経験で考えているなと思いました。
これは、脳の癖の気がします。
これでは、確かに、新しいものを、取り入れたりしても、思考が進化していない気がします。
そうすると、人には、肉体があるので、本人が肉体を持って生きているうちに、吸収出来るものの数が
そんなにたくさんは、出来なくなってしまうなと思いました。
今後の課題、思考体系の進化。
カンさんは、例えば、外国行く、それは、遠くに言っただけ、宇宙に行く、それも、遠くに行っただけ。
凄い人に会う。それは、凄い人に出会っただけ。
凄いワークショップに行く。それは、出ただけ。
確かに、外国に行くのは、素晴らしいと思います。
凄い人に出会うのも、素晴らしいと思います。
凄いワークショップに出るのも、素晴らしいと思います。
ただ、本当に大事なのは、本人自身が気づいて変わる事だと思います。
今いるその場で、本気になるのが大事と話してくれました。
昔、今、未来。
命がけで伝えたいと思っている人は、みんな同じ。
命がけで生きていると、自分にとって、大事なものに、気づくと思います。
そうすると、自分にとって大事なものを、伝えたいと思うようになると思います。
そんな生き方をしていると、自分が自分を認められるようになります。
カンさん自身は、先人から受け継いだもの、独学で掴んだもの、この両方を伝えたいそうです。
こんな話をしてくれました。
土壌に種をまくと、水をやったり、日が当たったり、して、そのうち、芽が出たり、そのうち、花が咲いたりする。
植物では、時間がかかるのが、忍耐強く、待つ事が普通なのですが、
いざ、人の事になると、自分の才能を無理やり発現させるようなやり方をしてしまっている。
種を解剖したり、結果だけを求めたり。
少しづつ、毎日、コツコツとやるものを1つ持つといいですね。
静かに、コツコツ、丁寧に毎日やる。
毎日、コツコツを地道にやるものがあるといいなと思う。
だそうです。
目・鼻・口・耳使いこなしていますか?
その中で、耳は、聞かな過ぎてもダメ、(集中していない。)、聞きすぎてもダメ、(自分の解釈が入る。)
この時のポイントは、手を使ってとの事です。
そのやり方は、各自が、独学で掴んでくださいとの事でした。
息を吐くとき、一回目は、両親を思って吐く。
これは、自分という人をこの世に存在させて頂いたという感謝の意味。
二回目は、今まで出会った人を想って吐く。
これは、本人にとって、好きな人も、嫌いな人も、いろんな人と出会う事で、自分という人間が出来上がったから、
そこに、感謝の意味。
三回目は、自分に対して、息を吐く。
この世があるのは、自分という肉体を持った存在があるから、生きる事が出来ているという感謝の意味。
人は、二度生まれなければいけない。
そういう言葉があるそうです。
一度目は、赤ちゃんのとして生まれた時、二度目は、今まで、こうだと思って生きてきたけど、
そのこうだと思って生きてきたのは、自分の考えではない事に気づいた時だそうです。
おまけとして、重力が流れると、軟骨が再生するそうです。
これは、登山家の三浦さんが、重りを、42キロ背負って都内を5~6時間歩いたら、半月板が再生したと、
本に書いてありましたので、そうだと思います。
こういう事も、最初に分かる人が気づき、それを今の科学で、機械で再現する人が現れると、多くの人が助かるかなと思います。
他に話して頂いたのは、同時に、2つの物事を意識すると、脳がそういう使われ方をして、変容がうまれるようです。
後、大事だなと思いましたのは、身体の使い方。
無意識に身体の使い方がみんな出来上がっていて、その意識で、何か習っても、ダメとの事でした。
聞いていて、思いましたのは、身体の動かす時、一回リセットしなければ、いけないんだなと思いました。
(身体の使い方では、柳生心眼流では、指のひとつ、ひとつの意味があったりします。)
この話を行徳の先生と話ました。
すると、先生は、どの位置で話をするかが大事と話てくれました。
私も話をする時は、昔、気づいた話をすると、相手が、そこに、反応や、反発がある時があります。
この時は、私自身気づいていないのですが、価値観の所で、話をしているんだと思います。
よく、同じ内容の話をしていて、話が素直に聞ける人と素直に聞けない人がいます。
素直に聞ける人の場合は、同じ価値観の人の場合と、価値観という所にいない人です。
価値観という所にいない人は、冠光寺流でいうと、無償の愛、みんなに伝わり易い言葉で言うと、
この人は、私の事を想ってくれているんだという気持ちが感じられる人です。愛情の場合は、相手の気持ちが、重荷になる時もあって、相手が、せっかく私の為にしてくれるので、本当の気持ちが出しづらい感じです。無償の愛の場合は、私自身が、本当のありのままが出せて、そして、私自身の奥にある心に気づいたりする感じです。
素直に聞けない人は、本人の中にある価値観がぶっかっていて、何か、正しい気がするけど、聞きづらいという事だと思います。
私には、分からない人がいます。分からないから嘘だと、言える人と、言えない人がいます。
分からないから、嘘と言える人は、私の価値観によって、相手を否定(本人が正しい)出来る人です。
その場合は、同じ、土俵にいます。
嘘と言えない人は、その土俵に、いなくて、私には、分からないけど、そういう事もあるかなと思えます。
この思いの裏側には、畏敬の念があるかもしれません。
その人の発する言葉は、例え、知っている事でも、有り難く聞けます。
誰が、発するか?どの位置で、発するか?は、同じ内容でも、受け取り側に影響するという事です。
そこで、出てくるのが、どう有りたいか?どういう生き方をして、どういう存在になりたいか?を追究していくことだと思います。
ただ、人によって、それぞれ求める事は、違うと思います。
それを、限られた肉体の時間の中で、コツコツ地道にやっていく。
そんな感じかなと思います。(*´∀`*)
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