所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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昨年の年末に、房総の宿に、両親と祖母と、弟の家族で、泊まった。
今回、期待していたのは、兎に角、高脚ガニを食べてみたかった。
弟の奥さんが、320回程、電話して、やっととれたお宿で、あった。
部屋は、私の誕生日の、2月16日の216号であった。
いつも、お正月の休みは、実家に帰って、ゴロゴロして、アンコ餅を1日、10個程食べて、1日1キロ体重が増える感じであった。
お宿では、思いっきり食べて、苦しいくらいであった。
お風呂も、なかなかいい感じの温泉でだった。
帰りに、吉永小百合さんの映画の舞台の喫茶店で、写真を撮った。
元旦には、父親と山登りをしたが、霰(あられ)がたくさん、降ってきた。
後は、おせちを食べ、テレビを、見、ゴロゴロしていた。
いいお正月だった。
今年は、新しい生活スタイルを、確立し、予想外の出来事を楽しみたいと思う。
今日、整骨院の仕事が、終わった。
来年は、出来るだけ、経験に基づく、行動で、なく、直感で動き、予想外を、楽しみ、私の世界を広げていこうと思う。
今年、出会った方々ありがとうございました。
来年は、さらに、変化していくと思いますんで、よろしくお願い致します!
腱引きの「呼吸法と運動指導」というDVDを観た。
その中で、患者さんが、腱引きで、身体と心を整えてもらったと話されていた。
腱引きは、心に対して、身体からアプローチする。
久しぶりに腱引きの師匠の元気な姿を見て、感じたのは、やはり、患者さんに、対しての覚悟だと思った。
その覚悟が、患者さんに、伝わり、それが、安心を生むと思った。
人と人のコミュニケーションが、表面的なものの方が、争いを生まず、楽で、
本音をガンガン打つける方が、争いを生んだり、大変だと思うが、相手を知るには、いいと思う。(最初のコミュニーケーションとして。)
小口先生を観ていると、患者さんの身体を通して、相手の心に語りかけている気がする。
腱引きを習って、少し出来るようになると、どうせ、良くなるんだから、自信が出来た。
これが、調子に乗って、天狗になっていた時も、あったと思う。(表面には、出さないようにしていたつもりだが。)
今は、価値観の違う患者さんでも、私の価値観で判断しないで、受け止めて、考えられるようになった。
世の中には、いろんな治療法があり、理解出来るもの,出来ないものあると思うが、
最近、ドラマの半沢直樹をレンタルで借りて観ていて、土曜日に観終わった。
ドラマの中で、「やられたらやりかえす、倍返しだ!」という決め台詞がある。
昔、病院に努めていた時に、怒髪天にきて、病院の壁に穴を開けた事があった。
その頃の私は、違うなと思っても、意見が言えず、ストレスで、お腹に激痛がきたり、足が攣れて曲がったり,痺れたりしていた。
この時は、ある先生に教わった事を、患者さんに話していたら、その先生に、それは、違うだろうと言われ、流石に、怒りが出てきた。
患者さんの施術を終わって、どんどん怒りが増し、こいつを殴ってやろうかと思ったが、多分壊れると思い、
壁に拳を当てたまま、力を入れると、バーンと病院に音が鳴り響いて、壁に穴が空いた。
私は、その当時でも、仏の顔を100回ぐらいは、出来たが、その時は、流石に、その後、その先生に、それは、おかしいですよねと言った。
世の中には、いろいろ理不尽な事があり、組織に所属していると、立場上、言いたくても言えない事がある。
それを、この半沢直樹という主人公は、立場に関係なく、自分自身の正義に従って、行動する事が、みんなの共感をを得て支持されているのだろう。
ところで、世界中の人が71憶人いて、悪いと思う事を、黒、良いと思う事を、白とする。
例えば、昼の12時に待ち合わせで、12時より、早くが白、12時を超えると黒、(時間の待ち合わせに遅れてはいけないという考え)
12時より早くが、黒、遅くは,白、(早く、行き過ぎると、準備の邪魔になって急がせてしまうから、ダメという考え)
(どっちのタイプもいるので、場合によっては、出来るだけ、ぴったり合わせたりしている。)
前者の場合でも、緊急事態では、遅れても、白になり、後者の場合でも、緊急事態では、早くても、白になる。
だから、ひとつの出来事において、世界中で、白になったり、黒になったりする。
という事は、日本にいて、日本の常識に合っていて、暮らし易い人と、合ってなくて、暮らしにくい人がいると思う。
前者は、ストレスが少なく、後者は多い。
みんなが気づかずにストレスを持ってしまうのは、世の中の常識と、本人の考えが違う場合だと思う。
それが、家族だったり、学校だったり、会社だったり、国だったり、社会だったりすると思う。
そこを、ひとつ、ひとつ、向き合って納得していくと、ストレスがなくなってくる。
そうやっていくと、そもそも、物事に、ただ、勝手に意味付しているだけだと分かってくる。
その物事の意味付の仕方が、人によって違うのである。
嫌いな人でも、怖い人でも、何度でも、話をしていると、あっそうかという見方とかなったりする。
メンタルの強い人は、互いの意見を戦わせて、精神的な殴り合いをして、お互い納得するまで、話し合うというのも、いいと思う。
(お前も、やるな!お前こそな!という感じ。最後に握手。)
2年ぐらい前は、攻撃的な相手に対しては、ガンガンぶっかったりしていたと思う。
今は、とにかく、私の考えは、棚に上げて、出来るだけ、その人が話易いように、馬鹿丁寧に接するようにしている。
治療家の人は、分かると思うが、手の平に緊張があると、相手に緊張を与えてしまう。
指の当て方に気をつけても、肩に力が入っていると、それが伝わってしまう。
そんな感じで、身体全体の力が抜けてその上で、治療が出来るといいと思うが、なかなか難しい。(わざと、緊張させたり、反発力を利用する治療もある。)
更に、その人に対して、心に何も持っていない方がその人を、感じやすい。(先入観がない方がいい)
そうして、そんな感じで接すると、本人が、社交的な会話から、自我の会話になり、更に、奥底に持っている気持ちが出たりすろ。
だから、繊細な人程、優しく、優しく、接しないと、その人の心の奥底の部分が出てこなくなってしまう。(怖がってしまう。)
今までは、ここを意識していたけれども、段々とどの人に対しても、同じように接するようになってきている。
ライオンが好きでも、虎が好きでも、犬が好きでも、猫が好きでも、金魚が好きでも、あじさいが好きでも、ひまわりが好きでも、
それぞれ好みでいいと思う。
それが動物が好きでも、魚が好きでも、植物が好きでも、
もちろん人が好きでも、
生物が好きでも、
地球が好きでも、
宇宙が好きでも、
何でもいいと思う。
ここで、宇宙のような広い心を持たないとダメと思い、本人は、ライオンしか好きでない時に、
外側と内側のバランスが崩れている為、葛藤が起こる。
こんな時は、虎を考えてみたりする方法でもいいし、ライオンを深く考える事で何か分かるかもしれないので、
何でも、やってみると、現状が変わるかもしれない。
本人にとってやり易い方法でいいと思う。
私の場合は、昔から、やっている方法は、興味ある事に対しては、とにかく、行動する。(やらないと、後悔するので。)
興味ある事に関しては、アンテナが立っているので、それを、見つけたり、また、それをしていると、情報が集まったりする。
今を生きる為に出来る事は、今しかないので、本当は、何がしたいのか?表面的な欲求をどんどんやりつくしてもいいし、外しても、いいと思う。
すると、本当にしたい事が、何か見えると思う。
日曜日に、浜名湖の堀さんのセッションを受けに行った。
今年の目標の一つに、堀さんに会って、セッションを受けるというのを決めていた。
堀さんは、いろいろ追究している方なので、会うのが、楽しみだった。
今回、思ったのは、治療という行為を通して、世の中の苦しんでいる人と向き合い、その人がその人自身で苦しみに気づき、
また、その姿を通して、今まで、私自身を粗末にしてきたので、私自身にもっと関心をもって、大切にしていきたいと思った。
視点を、部分という所だけを見ると、そこには、葛藤や、衝突があるけれど、全体という視点でみると、全てに意味があり、調和がとれている。
例えば、ある出来事が、その人に悲しみを与えた、悲しみを持つその人の行動は、別の人の希望の力となった。
物事を部分で捉えると、意味が分からなかったりするが、これが、分かるのが、本人にとっての気づきであり、より広い全体性の中で、
部分を捉える事が出来れば、その物事の深い意味が分かると思う。
その人にとって、大事な事は、その人の今、興味がある事に、全力を注ぐ事だと思う。
素晴らしい高尚な教えがあったとする、それが、理解出来て、実践で、使いこなす事が出来れば、それを、活用するのも、いいと思う。
でなければ、今、出来る事を、するしかないと思う。
全ての物事に意味があるという考えかたが出来ると、ある行動をしてもいいし、しなくてもいいとも、考えられるし、(こう考えられると気楽)
ある行動をする事が、しない事が、他者に影響を与えると考えると、(一生懸命生きないと)とも、どっちも言える。
全体の視点を持つと、どんな行動も、大丈夫。部分の視点を持つとどんな行動するかが、他者へ影響するから良く、考えて!
世の中には、いろんな考えがあります。
ポイントは、本人が受け入れ易い考えを取り入れて、違った時は、その都度、修正して、いくのが、やり易いと思います。
とりあえず、素直に、その考えでやってみる、うまくいく、ラッキー!
うまくいかない、心の奥底にこだわりを持っている(観念)、気づく、心が開放される。ラッキー!
うまくいかない、良く分かんない、別の考えでやってみる、うまくいく、ラッキー!
本人納得の人生を送りたいですね。
堀さん、ありがとうございました。
日曜日に、腱引き主催の大阪の浅井先生の治療法の講習会があった。
講習会の前に、身体の疲れを取る為に、スーパー銭湯に行った。
お風呂に、入っていると、身体を揺すられた。
話をしてみると、よく、お風呂で倒れる人がいるので、心配してくれたらしい。
昔から、スーパー銭湯に行っているが、話かけられる事は、まず、ない。
久しぶりに、外で、優しさを感じた。
いい気分のまま、講習会に向かった。
浅井先生の治療は、骨に圧力がかかると、電位が発生し、それによって、筋肉が硬くなったり、
神経にいくと、痺れたり、痛くなったり、するという事が前提となっている。
筋肉は、電圧が掛かると収縮する性質があるので、硬直や疼痛のある筋肉は、何処から発生している異常な電気で収縮しているのです。
この異常な電気を出している所が、関節面の異常だったり、骨に傷がある場所だったりするそうです。
この異常な電位を見つけ、電位を低下させる事が、治療になります。(触診が、出来ないとこの治療は、修得できないそうです。)
今回、浅井先生の治療にかける情熱を見て、治療っていいものだなと思いました。
徹底的に、追究する姿勢が、素晴らしいと思いました。
休みの日に、静岡の筋整流法の本部で、杉本錬堂先生の痛みを取るセミナーがあった。
なぜか、特定の場所を2回、シュ、シュ、と切る動作で刺激を加えると、筋肉が、50パーセント緩む。
今回、このセミナーに参加して良いなと思ったのは、筋整流法の小口先生と錬堂先生が、
お互い高めあって融合していきましょうという話が、出たことだ。
どうしても、治療業界は、それぞれが自分の治療法に自信を持っていて、なかなか他の治療法の意見を聞く事が出来ないと思う。
一つの治療法で、全てに答える事が、出来るのならば、その治療法を修得すればいいと思う。
そうでなければ、Aという概念を持つ治療法が、Bという概念を持つ治療法を取り入れる事により、更に大きなCという概念を持つ治療法に
なってもいいし、Bという概念を持つ治療法が、Aという概念を持つ治療法を取り入れる事により、更に大きなDという概念を持つ治療法に
なってもいいと思う。
小口先生の徹底的に追及する姿勢と、錬堂先生の広い心が、交流し、お互い高めあい成長しましょうという気持ちになった思います。
錬堂先生に、先生の見方は、ぽっと、浮かんだ事をデーターとして、積み重ね、それをみんなに伝えて、
また、ぽっと、出たら、それをみんなに伝えているんですよね?と質問しました。
そうだと仰ってました。
更に、先生に、ぽっ、てどこから来てるんですか?と質問したら、
分からないと仰っていました。(たぶん、先生は分かっている気がします。この場で答えとみんなが混乱するから。)
錬堂先生に、普段心がけている事は、何ですか?と質問しました。
朝4時か5時に起きる。
肉は、食べない。
良く噛んで食べる。
上の2つは、現時点では、出来ない。
3つ目の良く噛んで食べるをやる事にした。
昔から、父親、山登りのリーダーから、言われていたが、なかなか出来なかった。
錬堂先生によると、食物が、胃に入ると、胃酸が出て食べ物を消化するが、
この胃酸が、強力な酸なので、胃に悪い。
それが、良く噛んで食べると、唾液が出て、これが、食物に混ざり、胃を守る成分となるらしい。
良く噛む事が、胃に負担をかけないというのが、いいなと思ったので、1口を、25回以上噛む事にした。
やってみると、今まで、5口も噛んでいなかったので、顎が疲れる。
食べる事で、疲れる事は、初めてだ。
いかに、噛んでいなかった事が、分かった。
世の中には、様々な治療や、考え方が、ある。
日曜日に、伝統療法カンファレンスというのが、あった。
いろんな治療の先生方が、集まった。
独自に、治療法を確立した先生程、自分の治療に、自信を持っていて、自分が一番という意識があるような気がする。
だから、今回、様々な治療法の先生方が、集まった事は、凄い事だと思う。
講演が、あったり、体験会があったりした。
最後の方で、会場で、痛い所がある人に、手を挙げてもらい、その場で、そこのいる先生方が治療する。
そこに来ている患者さん達は、いろんな有名な先生の治療を受けたりしているので、なかなか難しい症状だったりする。
その患者さん達が、5分ぐらいで良くなってしまう。
ある先生が、治療する時に、治療家の人で、触りたい人と言われ、最初の先生が、骨盤を触り、左側が、上がっている言った。
私の過去の患者さんの中で、左側が上がっていた人は、7人しかいなかったので、少し触って自信を持って右側と言った。
すると、先生が、押さえる場所は、ここと言って、触ったら、左側が、上がっていた。
先生が、治療するには、まず見立てが、大事ですからと、ガツンと指摘された。(常々、師匠に言われている事である。)
とりあえず、大きな身体で、小さくなっていた。(顔から、汗が出ていた。これが、本当に顔から、火がでるというものだと、実感した。)
天狗になり易い自分にとっては、いい薬だった。(ありがとうございました。)
いろいろ勉強して、その知識、経験が積み重ねられて、自分の軸が出来、それを基準に、考える。(という考えかたがある。)
もうひとつ、患者さんが、症状を持って来院された時、その症状は、同じでも、原因の深さ、生活環境を踏まえ、
求めるレベル(とりあえず動ければいい、違和感まで無い状態等)という患者さん軸という考え方。
昔から、よく考えたのは、世の中、全ての人の価値観を球体として立体で、考えた時、それをそれぞれの方向から、
平面で捉えようとしているところに、いろんな悩みが、起きている気がする。
全ての価値観を丸ごと、受け入れる方法があれば、あれば、いいけれど。(そんな先生が、何人かいます。)
凡人の私が、現時点で、取れる方法は、世の中の価値観を1万パーツくらいに小分けし、患者さんや、世の中で、出会った人を通し、
私だったら、そんな事しないけどと思う価値観をひとつ、ひとつ受け入れていき、自分の器を大きくしていき、
患者さん、出会う人に、喜んでもらいながら、1万パーツのパズルを組み立ていき、そこで、見える世界を活用したいなと思っています。
ただ、あまりに立派に、なってしまうと、近寄り難くなってしまうので、ずっこけ、笑い、ダメな部分のマントをして、
3年寝太郎な感じでいくのも面白いかなと思う。
日曜日に腱引きの合宿の時に、指の使い方を教わった。
腱引きの仲間が、『先生の指の腱、出ないんですよね。』と言った。
すると、先生が、『それは、指で、腱を押しつぶしているから、分からないんだ。』と仰った。
先生に、実際にやって頂いた。
先生の母指の先の方で、人差し指を弾いてもらうと、腱が動くのが、分かった。
今まで、よく指を、もう少し立てて言われることが、あったが、それが、腱を上から押している時だった。(パワーで、強引に動かしていた。)
以前から、頭では、分かっていたことが、今回は、よく、実感できた。
結果的に出来るのと(腱が動く)、それを意図して(腱を感じながら)、行う(動かす)、のでは、違う。
あれ、今回、うまくいかないなというのと、この腱が動かないのでダメだなというのと、この腱の下の腱が影響してダメだなという、
いろんなレベルが、ある。
師匠に聞いたことがある。
師匠の場合は、人体の解剖を3Dでイメージしながら、それを指先で捉えながら、施術を行う。
師匠の施術中の指先で捉えようとしている時、凄い緊張感がある。
師匠に聞いたことがある。
『先生の指先で感じようとしている時は、神経を研ぎ澄まして、緊張しているように見えるんですけど、緊張していると、
それが、相手に伝わってしまうので、逆に緩めて、相手を感じようとしているんですね?』と言ったら、
師匠は、『松岡君、それも、あるんだけど、緊張させて、自分の電位で、どこが、悪いか見つけるのも、あるんだよ。』と仰られた。
イメージ的には、機械が、故障して、電気を流した時、どこで、断線しているか、見つけるかんじだろうと思った。
昔、分院長になったばかりの時に、患者さんが、近くの整骨院で、骨盤が、曲がっていると言われて来院された。
その時は、整形外科の勤務を3年終えたばかりだったので、適当な事言って、そんなのレントゲン見ないと分からないじゃないかと思っていた。
どうしても、人は、自分の分かる範囲で判断してしまうので、知識、経験に囚われてしまう。(今は、実践主義、治れば、何でもいい!)
今回思ったのは、Aという治療法がダメなら、B、BがダメならC,Cがダメなら、D,DがダメならEというより、
一つの治療法だけなら、その方法を相手に合わせて、微調整して、ぴったり合わせるのが、大事かな。
今、知識は、インターネットで、簡単に手に入る。
それが、そのまま使えたら、わざわざ行動する必要がないと思う。
治療の技術を教わる。
それで、うまくいく場合もある。
うまくいかない時は、それを現場に合わせて、微調整できるかが大事だと思う。(治療の場合は、患者によって様々な身体、心、状況がある。)
もうひとつ、思ったのは、いろんな知識、経験を、左脳に入れ、治療を行う時は、右脳を使い、感じとりながら、行うのが、いいんじゃないか。
感覚とは、関係ないが、昔から、一生懸命やる事が、好きだが、合宿の時、型で木刀で打ち合っていた時に、気持ち的には、真剣のつもりで、
真剣にやっていた、すると、気持ちが、生きているって実感が、出来て凄く気分が良かった。
一生懸命は、モチベーションが、高い時は、いいと思う。
モチベーションが、落ちた時は、疲れると思う。
だから、一生懸命のもう一つ上の真剣という意識で生活出来たら、毎日が、もっと、充実すると思う。
戦国時代でない、この、のんびりした日本で、生と死から、離れたとこで、暮らしている状況で、いかに真剣にいきるか?
豆大福を食べながら、葛藤中である。(いつも、山登りの先輩方には、ボロボロの姿で、ご迷惑かけています。)