| 所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
|---|---|
| 電話番号 | 047-300-3820 |
| FAX | 047-300-3821 |
| matsuokaseikotsuin@nifty.com | |
| 院長 | 松岡 良一 |


Blog記事一覧 > 考える事。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 36の記事一覧
この前、行徳の先生と話をしていた時に、先生が一言、「問いだけがある」と話してくれた。
昔、結果と、過程、どっちが大事と考えていた時期があった。
数字とか、成果主義とか、結果を大事にする考え方と、やり方とか、悩んだりして、本人を成長させる、過程を大事にする考え方がある。
その辺りが、本人なりに納得できるようになると、問いという考え方が出てくる。
問いの最初の段階は、仕事でも、趣味でも、やり込むと、それに、反応して、見つける事が出来る。
その後の問いは、私の興味のあるものに、反応して見つけるのではなく、私自身が答えを持っている。
言い換えると、本来あるべき繋がりが、湧き上がって、見えてくるというものかなと思う。
朝、スクーターに乗って、クネクネした道を通勤している。たまに、前の車が止まったり、信号が変わったりしている。今までは、それは、状況に合わせて、身体が、無意識に反応していると思っていた。
今は、違う考えを持っていて、私という人が家から、整骨院まで、スクーターを運転する。といのがまずある。その時、道は、クネクネしているので、身体を傾ける。身体を傾けると、身体を傾けた感覚(体感)が出てくる。これを、一般的には、私が、スクーターを傾けて、その感覚を感じていると思っている。前の車が止まった。同じように、止まる。これが、決められている。これも、一般的には、車に反応して止まっている気がする。信号が変わるのも、同じ感じ。
普通、私(個人)という人が人生を見ると、未来は、不確かなもので、先は、読めない。それは、私(個人)という一部分のデーターで、制限されたもので、見ているからだと思う。もし、その場の状況全てを、見る事が出来れば、それは、不確かなものでなくなるのかなと思う。
今思う事は、表面的な私(個人)で物事を見ると、葛藤が多いと思う。それを、どんどん奥の私で、見ていくと私が求めていたのは、私(全体)という事になるのかなと思う。(何だ同じじゃないか!)
昔、患者さんのおばあちゃんと話をした時があった。凄く穏やかな感じの人で、細かい内容は、忘れてしまったが、お話を聞いていて、思った。幼い時は、幼い時の悩みがある。その時は、それが、大問題で、苦しい。それが、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代、その時は、本当に苦しく大変だったが、時間が経つと、そうでも、なかったりする。それは、こうじゃなきゃいけないという思いが、変化したからだと思う。
もし、問い(私)と、宇宙(私)というのが、同じというのが分かると、個人的な意識で言うと、凄く納得、凄く充実、絶対って感じと言い切れるのかなと思う。
行徳の先生は、今、分かった事を伝えてくれる。それを、私は、私なりの受け取れる範囲で、受け取っている。
たまに、先生を見ていると、私は、何か違う所を見ているだなというのを、感じたりする。そんな感じで、いつもお世話になっている。ありがとうございます。
世の中には、漫画みたいな先生達がいらっしゃる。
善、悪、上、下、左、右、地球、宇宙、いろんな先生達が、本人の求める所で、人を導ている。
それを、どの先生が、正しいとか、最強とを、考えると、分からなくなってしまうので、いろんな先生達の考えを、全て入れて、
その中で、本人が納得というのが持てればいいのかなと思う。(*´∀`*)
小林健先生の量子医学という本を読んだ。
以前から、無償の愛というものを活用すると、相手の方が気づける場を創れるかなと思っていた。
そして、最近、これを、治療に活用している人もいるのではないかと思って、インターネットで、探してみた。
そこで、小林健先生を見つけた。11月にセミナーがあるのを、見つけたので、電話してみると、すでに満員だった。
今回は、セミナーは、ダメだったので、先生のブログを全て読んだ。そして、波動薬というCDを買った。
量子医学とは、現代医学のように表面的な症状をストップさせるのではなくて、症状が起きてしまった細胞の元の更に元にある「量子」にアプローチしていく手法です。科学の世界では、これ以上はもう分解できなくなった最小単位のものを、「量子」または、「素粒子」と呼んでいます。素粒子を分かりやすく別の言葉に置き換えれば、「愛」という言葉とイコールになります。この素粒子が持っている特徴のひとつに、「まるで、波のように絶えず動きまわっている」ということがあります。そして、この素粒子の持っているわずかな波長が、私達の健康状態を大きく左右しています。だから、もし、みなさんが自分の力で素粒子が持っている波長を自在にコントロールすることができれば、どんな難病でもあっという間に治癒させることができるでしょう。量子波といのは、わずか一秒間で地球を七回り半できるほどの高速スピードを持っていますがもし、みなさんが自分の身体が持っている波長を変えることができれば、すでに起きている病気症状さえも、一瞬のうちに予想できない形に変化させることができます。私が普段行っている施術の中では、人が過去に受けた素性(素粒子の中にある人間の生きる素の原点の物質)のひずみを癒すことによって、今ある病状だけでなくて、未来にも同じ病気が起きないように波動コントロールしていきます。そのため、私の中にある量子医学のイメージは、過去と現在と未来が一瞬のうちにパッとひとつながりになって、時間や空間の区別が完全になくなっていくというものです。時間とは、ただ宇宙に流れているだけで、人が数を数えたり、区切ったりするために存在しているわけではないのです。みなさんが、私の治療院で一度でも施術を受けてみれば分かりますが、素性のひずみを埋めると、まるで時間を巻き戻したように身体が元気を取り戻していきます。量子医学では、人の身体の波長を「元」から正していくために、数年後にまた同じ病気にかかってしまうことがあり得ないのです。
と書かれてます。
健康に関しては、こう書かれてます。
結局、健康でいるために必要なことは、自分や他人に対して「スーパーラブ」を持っていることです。世の中に広まったどんな健康法よりも、強い愛情を自分の内側に持っていることの方が、よほど効き目があると言えるでしょう。
愛に関しては、こう書かれています。
心が「無」になれば、その瞬間に自分の内側にある真の姿を見つめ直して、本来の感性や心の美しさが現われてくるからです。そして、自分の中から愛情の泉がこんこんと湧き出しているのが分かるようになります。花瓶に花を生けるときれいですが、花なしで飾っても、花瓶が持っているものはしっかり出てきます。だから、みなさんは特別なことをしなくても、ただそこに生きているだけで愛に溢れた魅力ある存在なのだと知りましょう。
私はどんな生き物でも、ただ一生懸命に生きていること自体が「愛」なのだと感じます。
個人的には、この言葉が好きです。
感想としましては、小林先生は、愛の人だなと思いました。
愛はぶつからない。愛と接していると、緊張が緩む。
そして、本来求めているものに気づいていく。
患者さんを、見ていると、筋肉でみると、固まっている。調子悪い。ほぐれる。楽になる。
骨で見ると、関節、固まっている。ほどける。楽になる。
まだ、細胞の固まっているというのは、分からないが、昔、空間を、見ていると、ただ、動きだけが見えた。(動きが見えるというのも、変な感じだが。)
その時、これが、元なのかなと思った。この私の経験というもので、話を組み立ててみると。
ただの動きというものがある。これが、まとまると、小さな動きになる。更に、小さな動きがまとまると、中ぐらいの動きになる。
中ぐらいの動きがまとまると、大きな動きになる。これが、細胞だったり、臓器だったり、身体だったり、人だったり、家庭だったり、社会だったり、日本だったり、地球だったり、宇宙だったりするのかなと思う。
この正常と言われる動きの組み合わせであれば、調子がいいが、その組み合わせが違ってくると、調子が悪くなるのかなと思う。
ここに、愛というエネルギーが与えられると、変な動きの絡みを解いて、正常にするのかなと思う。
身体であれば、病気の症状が改善する。社会であれば、人間関係が良好になる。地球であれば、環境破壊から自然が復活してくる。とか。
ただ、これは、あくまでも、視点をその場所に限定して見ていると、そう見えるということなので、宇宙全体で、考えると、問題ないかもしれない。
この辺は、実際に検証してみないと、分からない。(課題)
最近、思いましたのは、人によって、興味の範囲が違う。人生の経験も違う。だからその人が今、欲しい情報は、今、興味がある事を、上手くやれている人だなと思いました。その方が具体的だから分かりやすい。あまり、抽象度が上がり過ぎると、意味が分からないなと思いました。みんなが上手くいくためには、いろんな場を作らなきゃいけないんだなと思いました。だから、人生の師匠は、いろんな場を作ったんだなと思いました。
人生は、その人の思う通り生きた方が、充実します。(*´∀`*)
長田先生の「治癒を引き出すエネルギーの秘密がわかった」という本を読んだ。
今の時代、いろんな面がわかって話せる人もいるだろうと思ってこの本を購入した。
本の中で、直感には、2つある。と書かれている。
ひとつは、自分の知識経験からく来る直感。
もうひとつは、本当の自分、潜在的な部分から来る直感。
私の場合ですと、前者は、スーパー銭湯とか、治療とか、達人とか、興味のある事に、アンテナが立って、反応する感じ。
後者は、今までの経験や、考え方のデーターで捉えるのでは、なく、私(我)を無くして、その場を捉える感じ。
本当の私に必要な事に気づくって感じ。
本の中で、子供のころから体が弱いといわれてきた人は、いつまでも自分は体が弱いという観念を引きずっているかもしれません。たとえすっかり大人になってもうその名残はまったくなかったとしても、自分では気づかないうちにそんな観念に影響されていることもあるのです。
葛藤というのは、こうありたいと言葉に表していることと、潜在的な自分、本質的な自分がとらわれている観念とのずれから生まれます。そこにずれがあると、いくらこうなりたいと願っても、それに向けて努力しても、なかなかよい結果得られません。だから、何かを実現したいというときには、潜在意識に目を向けてゆくことが大切です。ただし、誤解しないでください。潜在意識のすべてがネガティブなものというわけではありません。もちろんそこには、いい考えや前向きなこともたくさんつまっています。ここで問題になるのは、顕在意識とずれのあるもの。それは、ネガティブなものが多いというだけなのです。
と書かれています。
私は、この文章で、何かひっかかりました。最初は、何か分かりませんでしたが、私も、患者さんに、葛藤とは、本当の自分と、価値観が違うと生まれるんだと思います。それを、教えてくれているんだと思います。とか言っています。長田先生は、表面的なものを、変えても、その奥の観念が変わらないと、なかなか変わらないですよと仰っております。あっ、そうか、これは、視点の違いだなと思いました。
本の中で、現在すでにとても多くの人が、肉体と感情、肉体と考え方の癖やパターンの密接な関係について理解しています。けれども、同時に、コンセプトを自分を責めることに使い続けている現状を危惧してもいます。
ただ、気づけば、いいだけだと思いますが。
私も、昔、患者さんで、格闘技をやって、痛めて、治して、また、痛めて、治して、また、痛めた時には、本当に、身体を大事にしないなと思って、ちょっと、軽く、怒りながら、嫌味を言った事があります。その時、人生の師匠の言葉が、あっ、そうだなと思いました。そこに、来る患者さんは、そこの先生と同じタイプがくるという話でした。確かに、無理ばかりさせて一番身体を大事にしてないのは、私自身だと思いました。
長田先生の僕の最大の役目は、患者さん自身が本能的な問題に気づけるようなエネルギーフィールドを作り出すこと。僕が僕自身がゼロになっていることで、患者さんの本質さを映し出す鏡のような存在になること。本来は在るだけでいい、十分なのです。「成す」「言葉にする。」ことによって、患者さんと自分の間エネルギーバランスを乱さないか、この精妙なるサジかげんが楽しいし、面白いのですね。これこそが医者冥利だと思います。
と書かれています。私も、現時点では、ここを、理想としています。
本の中には、細胞にはそれぞれ特有の周波数があります。と書かれています。
であれば、周波数が分かる人は、周波数の乱れを整える事が出来れば症状の改善に繋がると思います。
個人的な意見としましては、ポイントは、人によって、持っている観念が違う為、納得の仕方が違うという事。
物事のつながりが分かる事。(言い方を変えると、繋がりが分からないから、納得出来ない。)
例えば、氣とか、愛とか出す人がいて、それで、よくなった場合、結果よけばいいという人や、よく分からないので、何か納得出来ないという人もいます。それが、機械から、氣や愛が出て、それが、最新の光線治療なんですと言われれば、納得出来る人もいる感じがします。
実際は、なかなかそこまでやらないと思いますが、私は、こういう父親と、こういう母親からの子供として生まれ、小さい頃、こういう事があって、こう思うようになった。そうして、現在までの、歴史を語るとします。相手の方も同じようにします。そうして、この二人がお互いの事を理解します。こうすると、お互いが、自分の世界だけで、見て見えなかったものが、相手がいる事で、自分の世界を広げる事が出来るかなと思います。そうして、今、この場面のこの状況に立つとします。そうすると、一人だけでは、解決出来なかった問題が解決出来るかなと思います。
良い悪いという判断基準を持っていると、私が良いというものだけ、受け入れ、私が悪いというものは、拒否する人もいると思います。この考え方で、人生を終わったとしたら、悪いと思っているという世界の情報は、知らない事になります。本当は、ここに、私を、制限から解放する情報があるのに、もったいないと思います。どのような状況下でも通用する良い、悪いというのがあるのであれば、別ですが。だから、そこに、進む一歩として、お勧めなのが、相手の話を聞く、とにかく何度も聞く、最初は、私なら、その状況でも、そんな事しないのに、と思うかもしれませんが、それは、その部分だけみると、そう思うのですが、そう思う判断基準の元の思いがその前にあります。それを、客観的に見ると、私という人は、こういう事があって、こういう感情を持っている。それが、はんだん基準の元になっている。というふうに、私を他人ごととして、見ると、冷静に物事が見えると思います。頭の中だけでやると、分からなくなってしまうかもしれませんので、紙に書くのもいいと思います。
そうして、いつか、気づくのは、私を苦しめているのは、相手や、環境や、状況ではなく、何だ、私の制限している考えなんだというのが分かると思います。
気づいてもいいし、気づかなくてもいいと思います。気づかなくても、その人は誰かの為になっていると思います。(どうしようもなく見えても、親にとっては、可愛いい我が子とか。)そこに、葛藤を抱くのは、繋がりが見えないからです。
もし、宇宙の仕組み全てが分かれば、あっ、何だ、そういうことなのね。と、思うと思います。(*´∀`*)
昨日、近所の仁整形外科のボランティアコンサートがあった。
来られていた方が、聞いていると、涙が出た言っていた。
イスもいつもより、更に追加して、何とかという盛況ぶりだった。
いつも、参加して、思うのは、来られている方と、院長先生や、スタッフの方とのやり取りを聞いていると、
本当に慕われているなというのが、伝わってくる。いい関係だなと思う。
コンサートの後、院長先生に誘われ、懇親会に参加した。
スタッフの鍼の先生と、理学療法士の先生と話をしていて、松岡先生の所、腱引きの看板出していますが、
腱引きって、どんな感じなのですかと聞かれたので、分かる事をお話した。
ベースに筋が捻れる、ずれるという概念がない所での、話であったが、盛り上がった。(受けにくると言ってくれた。)
院長先生のお友達とは、競馬の話をして、どういう予想の建て方をしているか、を聞いたりした。
優馬という競馬の専門誌の調教欄の3頭が、1・5頭くるという話を教えて頂いたので、これは、有馬記念で、活用しようと思う。
懇親会は、4時間30分くらいあったが、全体を見ていると、院長先生が、本当に、みんなに慕われているなというのが、
いいなと思った。みんながそれぞれの持ち場で、一生懸命頑張っている気がした。(理想の職場ですね。)
ごちそうさまです。どうもありがとうございました。(*´∀`*)
日曜日に、棒ノ折山に、山登りに行った。
リーダーと、先輩と三人の山登りは、二年半ぶりとなった。
久しぶりの山登りは、きつかったが、没頭しようと、努めた。
没頭しようと、思えば、思うほど、没頭するのは、難しかった。
歩き続けていると、ふと、気づくと、きっさだけが残った。
この時、きっさ以外の事は、考えていなかった。
山の頂上で、カップラーメン(カップヌードルシーフド味)と、おにぎり二個を食べた。
カップラーメンの具を、こぼしてしてしまった。(あっ!)
以前は、ビックカップヌードル(シーフド味)とおにぎり三個だったが、少なくても、大丈夫になった。
そして、降りの休憩で、コーヒーとお菓子を食べた。
山で食べると、、本当に美味しい。
降りは、スピードを出して、降りていったら、最後は、足に力が入らなくなった。(膝が笑っていた。)
リーダーに、途中で、足をマッサージしてもらい、何とか、四時間弱の山登りを終えた。(ありがとうございます。)
私にとって、山登りのいい所は、普段、緊張している、身体と心を、解放する事と、身体と心を丈夫にする事だと思う。
(月一で行けるといのだが。)
山登りの後、ファミリーレストランで、久しぶりに三人で、喋ったのも、よかった。
また、次回、よろしくお願いします!(*´∀`*)
あの人が好き、あれが好き、あの人が嫌い、あれが嫌いというのがある。
それは、好きなあの人という存在を認識している、私、好きなあれという存在を認識している、私、
嫌いなあの人という存在を認識している、私、嫌いなあれという存在を認識している、私ではない。
ただ、あの人がいたり、あれがあったして、そこに、好きとか、嫌いという感情を持って、見ているだけである。
であれば、よく、人は変わらないというが、人に対する見方を変える事は、出来る。
人に対する見方を変えるには、世の中には、いろんな状況の人がいて、いろんな考え方があって、いろんな人生があるというのを、持つといいと思う。
葛藤が生まれるのは、その人自身の制限された考え方。
その葛藤を生み出す、制限された考え方と、相反する考え方を、ひとつ、ひとつ腑に落としていくと、どんどん楽になる。
なぜ、それが正しいと言えるのか?なぜ、それが悪いと言えるのか?
っていうのを、考えると、私自身の考えと思っていたのは、私自身でなく、いつのまにか、私の考えと思っていたものに、気づくと思う。
また、視点を変えると、葛藤することで、何かに気づくこともある。
どう生きようが、いつか、肉体は、なくなっていく人が多いと思うので、その限られた肉体の時間の中で、どう過ごすかは、
おのおのに委ねられている。
最近、携帯の調子が悪く、勝手に電源が落ちたり、初期の待ち受けになったり、メールが送信出来なくなったりしていた。
電源を一度、きって、祈ったりして、何とか、復活させていた。
とうとう、圏外になって、通話も出来なくなってしまったので、ドコモショップに行った。
同じ型の携帯が無く、更に、修理も出来ないとの事で、じゃあ、ひとつ、新しい型でもいいかなと思ったら、
お店にあるのしか、ダメとの事なので、店員さんに、他で、同じの買っても大丈夫ですか?と確認した。
患者さんから、秋葉原や、インターネットで、中古携帯買えると聞いていたので、インターネットで、同じ型の携帯を注文した。
中にあるカードを差し替えれば、いいとは、何となく知っていたので、以前、引っ張った事があるが、抜けなかった。
これは、強引に引っ張ると壊れるなと思ったので、患者さんに、カードの抜き方を教えてもらった。
ロックがかかっているので、解除すればいいとの事だった。
良く見ると、ちゃんと、書いてあった。(笑)
そうして、カードのやり方もマスターして、準備万端の所に携帯が届いた。
ただ、カードを抜いて、入れ直してから、携帯の調子が良くなって、不具合がなくなった。
まあ、そういう事もありますね。(*´∀`*)
週末にカンさんの講演・ワークショップに参加した。
一度、会ってみたかった。
結構、知っている方達も来られていた。
感想として、一番、残った言葉として、独学、自分で掴みとる。
身体と真剣に向き合う。
教わった事だけやっても、ダメと思った。
まず、最初に、両手を合わせるという事をした。
右手で考えると、右手で感じる左手がある。(これは、昔、人生の師匠から習っているので、入り易かった。)
左手で考えると、左手で感じる右手がある。
両手を合掌する。
答えを出さなくて言いと話してくれた。
そうはいっても、これを、少し考えてみた。
右手は、左手がいて、自分の事が分かる。
左手は、右手がいて、自分の事が分かる。
これは、私というものは、私だけでは、私が分からず、相手がいる事で、私を認識していると話だなと思った。
手を合わせてゼロになる。
右手でも左手でもないものが出てくる。
と話された。
答えを出さなくていいの意味は、最初は、右手だけの考えで解釈したり、左手だけの解釈したり、
そういう事になるので、直ぐ、答えを出さなくていいと言ったと思ったのですが、
もう少し考えてみると、つい、今まで持っている知識、経験で考えているなと思いました。
これは、脳の癖の気がします。
これでは、確かに、新しいものを、取り入れたりしても、思考が進化していない気がします。
そうすると、人には、肉体があるので、本人が肉体を持って生きているうちに、吸収出来るものの数が
そんなにたくさんは、出来なくなってしまうなと思いました。
今後の課題、思考体系の進化。
カンさんは、例えば、外国行く、それは、遠くに言っただけ、宇宙に行く、それも、遠くに行っただけ。
凄い人に会う。それは、凄い人に出会っただけ。
凄いワークショップに行く。それは、出ただけ。
確かに、外国に行くのは、素晴らしいと思います。
凄い人に出会うのも、素晴らしいと思います。
凄いワークショップに出るのも、素晴らしいと思います。
ただ、本当に大事なのは、本人自身が気づいて変わる事だと思います。
今いるその場で、本気になるのが大事と話してくれました。
昔、今、未来。
命がけで伝えたいと思っている人は、みんな同じ。
命がけで生きていると、自分にとって、大事なものに、気づくと思います。
そうすると、自分にとって大事なものを、伝えたいと思うようになると思います。
そんな生き方をしていると、自分が自分を認められるようになります。
カンさん自身は、先人から受け継いだもの、独学で掴んだもの、この両方を伝えたいそうです。
こんな話をしてくれました。
土壌に種をまくと、水をやったり、日が当たったり、して、そのうち、芽が出たり、そのうち、花が咲いたりする。
植物では、時間がかかるのが、忍耐強く、待つ事が普通なのですが、
いざ、人の事になると、自分の才能を無理やり発現させるようなやり方をしてしまっている。
種を解剖したり、結果だけを求めたり。
少しづつ、毎日、コツコツとやるものを1つ持つといいですね。
静かに、コツコツ、丁寧に毎日やる。
毎日、コツコツを地道にやるものがあるといいなと思う。
だそうです。
目・鼻・口・耳使いこなしていますか?
その中で、耳は、聞かな過ぎてもダメ、(集中していない。)、聞きすぎてもダメ、(自分の解釈が入る。)
この時のポイントは、手を使ってとの事です。
そのやり方は、各自が、独学で掴んでくださいとの事でした。
息を吐くとき、一回目は、両親を思って吐く。
これは、自分という人をこの世に存在させて頂いたという感謝の意味。
二回目は、今まで出会った人を想って吐く。
これは、本人にとって、好きな人も、嫌いな人も、いろんな人と出会う事で、自分という人間が出来上がったから、
そこに、感謝の意味。
三回目は、自分に対して、息を吐く。
この世があるのは、自分という肉体を持った存在があるから、生きる事が出来ているという感謝の意味。
人は、二度生まれなければいけない。
そういう言葉があるそうです。
一度目は、赤ちゃんのとして生まれた時、二度目は、今まで、こうだと思って生きてきたけど、
そのこうだと思って生きてきたのは、自分の考えではない事に気づいた時だそうです。
おまけとして、重力が流れると、軟骨が再生するそうです。
これは、登山家の三浦さんが、重りを、42キロ背負って都内を5~6時間歩いたら、半月板が再生したと、
本に書いてありましたので、そうだと思います。
こういう事も、最初に分かる人が気づき、それを今の科学で、機械で再現する人が現れると、多くの人が助かるかなと思います。
他に話して頂いたのは、同時に、2つの物事を意識すると、脳がそういう使われ方をして、変容がうまれるようです。
後、大事だなと思いましたのは、身体の使い方。
無意識に身体の使い方がみんな出来上がっていて、その意識で、何か習っても、ダメとの事でした。
聞いていて、思いましたのは、身体の動かす時、一回リセットしなければ、いけないんだなと思いました。
(身体の使い方では、柳生心眼流では、指のひとつ、ひとつの意味があったりします。)
この話を行徳の先生と話ました。
すると、先生は、どの位置で話をするかが大事と話てくれました。
私も話をする時は、昔、気づいた話をすると、相手が、そこに、反応や、反発がある時があります。
この時は、私自身気づいていないのですが、価値観の所で、話をしているんだと思います。
よく、同じ内容の話をしていて、話が素直に聞ける人と素直に聞けない人がいます。
素直に聞ける人の場合は、同じ価値観の人の場合と、価値観という所にいない人です。
価値観という所にいない人は、冠光寺流でいうと、無償の愛、みんなに伝わり易い言葉で言うと、
この人は、私の事を想ってくれているんだという気持ちが感じられる人です。愛情の場合は、相手の気持ちが、重荷になる時もあって、相手が、せっかく私の為にしてくれるので、本当の気持ちが出しづらい感じです。無償の愛の場合は、私自身が、本当のありのままが出せて、そして、私自身の奥にある心に気づいたりする感じです。
素直に聞けない人は、本人の中にある価値観がぶっかっていて、何か、正しい気がするけど、聞きづらいという事だと思います。
私には、分からない人がいます。分からないから嘘だと、言える人と、言えない人がいます。
分からないから、嘘と言える人は、私の価値観によって、相手を否定(本人が正しい)出来る人です。
その場合は、同じ、土俵にいます。
嘘と言えない人は、その土俵に、いなくて、私には、分からないけど、そういう事もあるかなと思えます。
この思いの裏側には、畏敬の念があるかもしれません。
その人の発する言葉は、例え、知っている事でも、有り難く聞けます。
誰が、発するか?どの位置で、発するか?は、同じ内容でも、受け取り側に影響するという事です。
そこで、出てくるのが、どう有りたいか?どういう生き方をして、どういう存在になりたいか?を追究していくことだと思います。
ただ、人によって、それぞれ求める事は、違うと思います。
それを、限られた肉体の時間の中で、コツコツ地道にやっていく。
そんな感じかなと思います。(*´∀`*)
日曜日に、柳生心眼流の骨絡の講座が終わった。
足関節、膝関節、股関節、手関節、肘関節、肩関節、腹部、胸部、頚部 (首)に対する方法を教えて頂いた。
腹部、胸部、頚部(首)に対しては、剛身(こわみ)という身体の使い方が出来ないといけない。
今回、いかに相手の緊張を取るか、こちらが、緊張を与えないかが、大事だなと、思った。
患者さんを見ていて、デスクワークのお仕事の方や、ストレスの多い職場の方や、本人自身が力入ちゃっている方は、
みんな緊張して、力が入ちゃってる方が、多い。(自律神経の交感神経優位。)
そうして、どんどん感じずらくなり、固まっていく。
そして、それが普通になっていく。
身体も心も固まっていく。
私自身も、昔、そんな時は、余程、凄い事が起きないと、心が動かなかった、それを、感じた。
骨絡で、学んだのは、そんな身体になっているのを、どんどん動ける身体にする事で、どんどん元気になる事だなと思った。
そうして、考えてみると、本来は、自由な身体、自由な心を、制限された身体の使い方、制限された考え方で、固まってしまっているんだな思った。
平先生は、その人が限界の所まで、動いて、そこに術者が力を加えると、更に、動く事とを見せて頂いた。
島津先生が、皮膚を触ると、奥の筋肉まで、緩める事が出来るらしいと、教えて頂いた。
島津先生とお話していると、この先生の背景には、いろいろあるなと思った。
どれだけ、それを、受け取れるかが,ポイントかなと思った。
帰りに、島津先生から、奥様の手作りの梅のおにぎりを頂いた。
美味しかった。
ありがとうございます。
島津先生、平先生、勉強になりました。
ありがとうございました。(*´∀`*)