所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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週末に、柳生心眼流の骨絡の二回目に参加した。
今回、思ったのは、二つ。
①徒弟制度の意味。
②殺法、活法の関係。
①徒弟制度に対してのイメージは、厳しい師匠がいて、決して教えてくれず、目で盗んで、覚える、間違えると、殴られるという感じを持っていた。
整骨学校の時は、二人の先生にそれぞれ、師事している生徒がいて、一人は、マルマルして、もう一人は、細かった。
その時、先生によって、厳しさが違うんだなと思った。
昔、一緒にやっていた先生から聞いた話が正しく徒弟制度だなと思った話がある。
電話がかかってきて、「院長いる?」と聞かれたら、即座にハイ何何先生と言わなければいけない。
そうしないと、鋏の持つ所で、ゴンとやられる。
名前を言わないのに、その声で、直ぐ、何何先生が分からなければいけない。
整骨も、この徒弟制度タイプと、マニュアル式タイプがある。
マニュアル式は、この時は、こうしましょうというのを、重ねていく、そうして、積み重ねた分だけ、いろいろ対応が出来る。
ただ、考える事をしないで、覚えている事だけしていると、習っていない事には、対応出来ない。
徒弟制度の場合は、やられるがあるので、油断が出来ない。常に、集中している。
千葉の別の武術の稽古を見学させて、頂いていた時、これは、真剣にやらなけば、怪我するなと思った。
この時思ったのは、一生懸命では足りない、もうひとつ上の真剣という意識を感じた。
こんな感じで、徒弟制度に対して、いろんなイメージを持っていったが、
今回、島津先生が、仰った、「武術は、三歳から初めて、身体が出来る。」
という話を聞いて、昔の大人は、十五歳(元服)だから、それまでに、武術が出来る、神経が、細胞が、そのようになるのだなと思った。
外から、見ていて、小さい子に、そんな事をするのは、可哀想と思うかもしれないが、これが、後々、この子にとって、厳しい人生を乗り切る宝物になるのであれば、いいのかなと思った。
徒弟制度とは、現代のように、教える、教わるというのではなく、師匠が苦労して、掴んだ宝物を、弟子が覚悟を持って、それを、受け継いでいくものかなと思う。
師匠は、その前の師匠から受け継いだやり方を弟子に伝える、そうして、ブレないように、同じものを、伝えていくのかなと思う。
②殺法と活法というのがある。生かすも殺すもという言葉がある。
柳生心眼流では、殺すも生かすもだそうである。
昔は、仕事の無い時期に、先輩、後輩で、相手の肘を折り、そして、それを元に戻す事をやったそうである。
骨の折れる感覚、骨を元に戻す感覚を、痛みとともに、記憶していたそうだ。
平先生が、壊れる前が、いい感じになると仰った。
肘の関節、肩の関節、それ以上いかない角度がある。
それ以上いくと、関節が壊れる。
その少し手前だと、いいふうに働く。
この意味は、人間、ヤバくなると、持てる力、全て、総動員して、必死に抵抗するからだと思う。
普段、あまり使われていない筋肉も頑張るからかなと思う。
例えば、十人いて、一人怪我したら、残りの九人が協力して、頑張って十人分の働きをする。
それを、十人いて、一人怪我したら、残りの九人の協力が出来ていないと、十人分の働きが悪く、疲弊してしまう。
筋肉も、ひとつの筋肉を痛めたら、他の筋肉が協力すれば、その筋肉の負担を少なくする事が出来ると思う。
そうして、痛めた筋肉が治っていくと思う。
身体も、社会も、協力して、調和をとれば、上手くいく。
ただ、調和に関して、それぞれ、持っている調和の認識が違うので、その部分だけ見ると、調和がとれていないように見える。
しかし、全ての物事は、表と裏の意味を持っているので、大きい意味では、調和が取れている。
武術の人の追究する姿勢は、凄いなと思った。
島津先生、平先生、ありがとうございました。(*´∀`*) 次回よろしくお願い致します!
同じメーカーの白衣を、修理したりして、20年ぐらい着ている。
少し前から、問題が起きた。
一番、大きいサイズを、着ているのだが、とうとう、この白衣がきつくなってきた。
別のメーカーの5Lを注文して、これで、解決と思ったが、以外と、こちらの方が小さかった。
はて、どうしたものかと思ったが、インターネットで、見つけた。
気にいっているメーカーの今のサイズより、大きいサイズの受注生産。
1ヶ月ぐらいは、かかったが、白衣が届いた。
これで、解決!めでたし!めでたし!
(モデルは、前回、ポロシャツで、協力してくれた患者さん。カメラは、みなっしーのいない時間だったので、ガテン系の源さん、仮名に協力して頂きました。ご協力ありがとうございました。)
柳生心眼流に、経絡、骨絡、筋絡の三つがある。(腱引きは、筋絡の流れになる。)
今回、その中の骨絡を、日曜日習いに行った。
最初に、爪の切り方をやった。
武道家ー人をいじめる爪。
治療家ー人を生かす爪。
相手に痛いとか、嫌な気持ちを持たせてはいけないと仰られた。
この話を聞いて当たり前だと、思う人は多いと思う。
私が思ったのは、相手に対しての触れ方までも、注意しているそういう気持ちが素晴らしいなと思った。
人によって、感覚は違うので、こちらは、軽くでも、その相手によっては、強く感じたりする。
本人的には、気を使っているつもりでも、相手は、それを、不快に感じたり。
昔、悪気かなかったのですが、同僚の先生を怒らせていることがありました。
だから、一方で、治してあげたいと思いながら、相手に知らずに緊張感を持たせてしまっているかもしれない。
だから、一方で、相手の為と思ってしていても、その行為(好意)そのものが、相手を楽にしづらくしている。
そんな事を考えました。
触る時の指のくぼみ、角度が分かって、腱をひっかける事が、大事と先生は仰られました。
五本の指にも、ひとつ、ひとつ意味があったり、皮膚の感覚は、辞書に髪の毛を入れて、何枚目に入っていて、
どういう形か分かるようにするという日々の努力が大事と仰られました。
多くの人を触って脳に記憶して残す、そうすると、異常があると、分かるそうです。
これは、ずっと、治療の世界とか、その他の世界でやってきている人は、今までにないパターンという事で、
何かおかしいなと思うと思います。
分かっていない事が分かるというのが大事と仰られていました。
確かに、知らない事を知ると、世界が広がります。
思いましたのは、細かく知ると、細かい部分に作用が出来き、漠然と知ると、漠然な感じで作用するのかな
と思いました。
細かく知れば、知るほど、逆に、いろんな世界で通用するようになって世界が広がるのかなと思います。
昔の、人の生き死にの時代の人は、その置かれている環境がいろんな事に注意していないと生きていけないので、
その洞察力、精神力、体力等が、凄かったのかなと思います。
いい刺激になりました、ありがとうございました!(*^▽^*)
3月1日で、開業して、10周年目に入る。
整骨業界は、私が入った時と比べて、非常にのんびり出来ない感じになっている。
昔は、おじいちゃんやおばあちゃんに、いい天気ですね、とか、言ってマッサージして、
最初の頃は、腕の力だけで、ほぐしていたので、土曜日ぐらいになると、腕が上がらなくなったりした。
そんな事をするうちに、ほぐすだけでは、症状が改善しない人が出てくるようになったので、講習会とか、行くようになった。
世の中には、いろんな治療法があり、いろんな先生がいた。中には、胡散臭いものや、怪しいものもあったが、
その中には、本物もあった。(私の場合、基準は、ただ、効果があるか、ないかだけなので、外側は、関係ない。)
そんな感じで、いろんな先生や、患者さんと会い、いろいろ考えているうちに、患者さんと、向かい合う姿勢が、どんどん深くなった。
今年、一年の成果としたは、今まで、短気で、怒っていた人が、怒る事が殆どなくなったという話を聞くようになった。
地道な、身の周りからの草の根活動をしている気がする。
個人的に好きなものは、調和とか、平穏とか、仲良くとか、愛とかなので、そのような世界を、構築している。
いろんな人生があっていいと思う。
生とか死というのを、意識して暮らすと、命が生き生きして、凄く充実する。
ぼやっと、生きると、いろいろ億劫になる。
やりきった人生とやり残した人生があるとしたら、みんなは、どちらを、選ぶのだろう?
たぶん、やりきった人生を選ぶ人が多いと思う。
であれば、なぜ、今、全力でやらず、言い訳をしているのだろうか?
人に対する言い訳はまだいい、人生最後の日に、後悔に気づくのは、勿体無いと思う。
小学生の頃、全力で、やるのが、怖かった。
それは、もし、全力で、やって、それでも、ダメだったら、私という人間は価値が無いというのが、怖かった。
今は、全力で、やる、それで、ダメだったら、しょうがないと思っている。
全力でやる。そうすれば、後悔がない。
私なりの全力は、私が納得する。
他人の評価は、関係ない。
私の人生は、私が決める!
今年は、とにかく、会いたい人にあった。
オリジナルを創り出したかったが、これは、まだ、完成出来なかった。
ひとつ分かったのが、オリジナル、個性を出したもので、オールマイティーでない場合、
それは、創った人の価値観をぶっけて、そのぶつけられた人が納得すると、その場が出来るという価値観の世界。
だから、価値観が合う、合わないが出てくる。(ビジネスの世界では。差別化してとかいっている。)
それを、愛ベースにすると、どんな人でも、大丈夫になると思う。(模索中。)
例えば、価値観の場合、外見が大事って人と、中身が大事って人が話しても、お互いが主張して、
話がうまくいかない。
これを、愛ベースで、見ると、中身が大事って人が、外見が大事って人の外見の美に対する努力は凄いと思う。
また、外見が大事って人が中身が大事って人の気遣い方をみると、優しい気持ちになると思う。
そんな感じで、お互いが心豊かにになるといいなと思う。
道場の稽古で、保江先生が、優しさが最強と話している。
優しくない人は、優しくなりましょうと話している。(笑)
相手に対して、つい、自分の意見を言って優しくなれない人は、
本人の好きなものに対しては、大事にするので、そこから、少しづつ、広げていくとか、
その人が喜ぶのと、その人の気分が悪くなるのの、どちらが心地いいかと、考えるのも、いいかもしれません。
葛藤が起きるのは、制限された物の見方(部分)で、その全体をみるから、よく、見えていません。
それを、少しづつ、広げていくとどんどん楽になります。
本人なりに、ひとつ、ひとつ、納得して人生を送っていくと、その納得した中では、調和がとれています。
そうして、いろんな場面で、調和をとる事が、私にとっても、あなたにとっても、お互いの世界を広げていく
ことになると思います。調和とは、お互いが、主張しあって、戦うのでは、なく、片方が、主張して、
もう一方が、妥協するのではなく、お互いが、遠慮して、妥協するのでなく、お互いが、お互いの主張をし、
そのうえで、双方の納得の答えを出し、それが、今まで、一人だけで、見ていた世界よりも広くなるものだと思います。
そうして、双方納得の世界が分かると、この二人と、周りの関係に置いて、どう調和をとるかという感じになると思います。
こういう感じに、どんどん本人なりに納得しながら生きていくと、自由度が増し、世界が広がります。
その世界の中で、私がどう生きればいいかは、全体としてうまくいくにはどうしたらいいかを考えると、
自ずと、個人としての私の生き方が見えてくると思います。
ポイントは、私に正直に、相手に正直に生きるという事だと思います。
これを、少しづつ、出来る範囲でやっていくと、どんどん自由になっていきます。
炭粉さんの零式活人術Ⅱという本を読んだ。
炭粉さんは、元々空手をされていて、保江先生と出会い、現在は、空手家としても、治療家としても凄い人だ。
炭粉さんの本をいつも楽しく読ませて頂いている。
この本の中で、実は私も八年前までは、空手はこうあるべきだ。稽古は、修行はこうあるべきだとの見解を強くもっていました。そんな私が、武道に対して主義主張もない保江邦夫という男にいとも簡単に投げ飛ばされたのです。何を言いたいのかと言えば、主義主張とは関係ないところで本当に大切なモノがシンプルに用意されていることもある、ということです。つまり、人生には「これが絶対に正しいという正解」などない、ということになります。少なくとも私は、だから保江先生との勝負の後しばらく経ってから、自分が持っていた空手や武道の、人生そのものに対しても「~あるべき」という気持ちを捨ててしまいました。そして「どう力んでも自分の人生など大したことではない」との考えから、外で酒を呑むことも、酔っ払って恥をかくことも、もうどっちでもよくなってしまいました。「自分はいつ死んでもおかしくない」状況になった時、さらにその考えは強まったのです。決して自暴自棄ではありません。ですが一種の達観かも知れません。特別な修行と主義主張があろうがなかろうが、成功する時は成功するし失敗する時は失敗する。奇跡は、たかが人間の至り得る境地を待たずに起こり得ることを知ることこそが、自分の人生哲学にとって素晴らしい発見となったのです。想像するに、おそらく保江先生も同じ考えに至られたのではないか・・・
と書かれています。
保江先生に、炭粉さんの本を見せて、先生、炭粉さん、先生に出会って、ここに気づいて良かったですねと言いました。
先生は、炭粉さんは、頭が良くて、追究しているから、分かったんですよ、追究しないと、分からないですよと話してくれました。
人生において、あやふや、漠然、中途半端、にしていると、その意味に気づかない。
興味が有る事を調べてみる。踏み込んでみる。そうすると、以前より分かるようになる。すると、疑問点が出てくる。そこを考えてみる。行動してみる。そうすると、より深く分かるようになる。興味がある事、本人が大事にしている事には、アンテナが立つ、そうして、興味のある事や、本人が大事にしている事に反応する。逆にそこに何かモノがあっても、興味がなければ、本人に関係なければ、反応しない。もうひとつ、アンテナが立つと、そこに興味のあるものや、本人に関係するものが集まってくる。それは、アンテナの性能が上がれば、上がるほど、強くなる。また、違う言い方をすると、本来は、全て繋がっている。そうして、本人の興味のあるところから気づいていく感じだと思う。だから、本人の価値観とか、今の視点で分からなくても、ちゃんと、本人の奥底で求めているものの流れに乗っている。となると、心に葛藤があっても、なくても、大丈夫という事になる。葛藤がある時は、とにかく、何でもやってみる。そうして、やりつくすと、うまくいく。いかなくても、全てをやりつくしたから、納得で出来る。
これが、追究するの意味かなと思う。あくまでも、本人の出来る範囲で、本人なりに納得出来る考えを受け入れると,今よりは、楽になると思う。師走でざわざわしている人もいると思いますが、頑張っていきましょう!
土曜日に仕事が終わってから、向かいにある整体のまこと先生と、居酒屋で、ご飯を食べた。
以前先生に、7月14日一周年ですね、おめでとうございますと伝えたら、一緒に飲みに行きましょうと言われ、
その日が、土曜日だった。(私は、お酒に弱いので、もっぱら食べる専門だけど。)
いろいろと話をしてみて、患者さんに、寄り添うという事と、自立してもらうという事を大事にしている所がいいなと思った。
時計を見てみると、なんと、1時50分。
アラームを、0時にして、バイブにしていたが、気づかず、終電が行ってしまった。
そこのお店が、朝3時までなので、そこで話した。
店を出て、開いているお店を、探したが、無く、最後は、交番に行って、聞き、居酒屋の近くの居酒屋が、朝までやっているという事で、そこに行った。
まこと先生は、心と身体の関係、今は、特に、メンタルを大事にしていると話してくれた。
結局、夜の8時30分から、朝の5時まで、お互いの仕事に対する話をして、いたら、まさかの朝帰りとなってしまった。(最後は、二人とも、眠い感じだった。)
まこと先生の仕事に対する、ただ漠然やっているのではなく、常になぜ?を持っている姿勢と、身体を壊さない施術を大事にしている事を
知れたのは、よかった。
まこと先生は、近所にこれだけいろいろ考えてる人がいるとは、思わなかったと喜んでいた。
まこと先生、お互い、ご近所同士、スタイルは違いますが、頑張っていきましょう!
日曜日に、久しぶり(二年ぶり)腱引きの師匠の小口先生にお会いした。
平先生と小口先生のコラボセミナーが大塚のゴールドジムで、行われた。
気持ちとしては、ずいぶんと顔を出していなかったので、小口先生のお顔が見られればいいなと思った。
平先生は、チャンピオンという漫画で、グラップラー刃牙という漫画のモデルとなった人なので、いつか、お会いしたいと思っていた。
噂では、なかなかの人格者とお聞きしていたので、楽しみにしていた。
私は、座学と思っていたので、ジャージを持っていかなかった。
平先生のお話は、人間は、本来、骨の数だけ、動かせる事が出来る。
だから、原始人が本来の人間の力が使えているだと思うという事だった。
それを、現代人は、整った場所で、暮らしているので、どんどん、固まって、いろんな症状を出しているというとの事だった。
平先生が、床に寝て、頭の位置は、同じで、背骨を動かす事を見せてくれた。
感じとしては、身体が伸びる感じで、身長が高くなっていた。(背骨を真直ぐにしているのかなと思った。)
平先生が肩をどんどん、引っ張って,捻ってというやり方をして、それを、みんなが二人一組で、やって、効果を体感する。
それに対して、小口先生が解説入れたり、腱引きでは、こうやり方もありますという感じでというのを、見せたりしていた。
逆に腰では、小口先生がやって、平先生が、うちではこうですよというのを、みなさんが出来る簡単なやり方を教えてくれていた。
今回、思ったのは、小口先生は、身体を、先生の指先で捉えた感覚をもとに、先生納得の理論を構築し、メカニズムの視点から、話をされ、平先生は、格闘技
をずっとされてきているので、実戦の中でつかんだ身体の事を話されているなと思った。
セミナーの最初に平先生が、みなさんは、健康をどのように思っていますか?
と質問を投げかけられ、この話をするだけで終わちゃうんでしませんが、という話をしました。
セミナーを終えて思ったのは、身体の中から、満ち溢れるパワーが出ていたら、悩みなんか気にならないんだろうなと思った。
悩みの捉え方を、平先生は、偏った身体の使い方、本来の身体を使えていない状態をどんどん使える状態に解放していく事で、心も解放していこうと
思っているのだろうなと思った。
身体を通して、私を知るという考え素晴らしいなと思った。
腱引きの師匠の小口先生の分析が、より、繊細になっているので、流石だなと思った。
本部には、トレイルランの鏑木さん達こられているという話だった。
どの道でも、本人の思う道を、信念を持って、ブレずにいく、姿は、かっこいいなと思った。
平先生、小口先生、ありがとうございました。