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Blog記事一覧 > 本。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 8の記事一覧
年末から、今年にかけて、個人用のパソコンのインターネットが、なかなか繋がらない。
トントンクリックしたり、祈ったりして、たまに繋がったり、何週間も繋がらなかったりしている。(今だに、原因は、分からない。)
久しぶりに繋がったので、ブログが更新出来た。
「溶ける」という井川さんの本を読んだ。
大王製紙の創業家三代目で、カジノで、106億8000万円を負けて有名になった人だ。
どういう気持ちで、このような状況になったか、興味があった。
裕福な家庭で、生まれて、何不自由なく育ち、我儘放題で、ギャンブルに狂ってしまった。
マスコミの報道を、見ていると、そういう印象を受けたが、本を読んでみると、違った。
本人が、暴君と呼ぶ厳しい父親の元で、徹底して、鍛えられていた。
父親の良い面を吸収し、結果に凄いこだわりを持ち、抽象的な事は、嫌い、具体的な行動に、重きを置いていた。
このやり方で、会社を、うまく導いて頑張っていた。
一方、ギャンブルで、病的賭博という言葉があり、これに、該当するらしい。
大きな金額を、かけないと快感が得られないらしい。(そのドキドキ感が、興奮するらしい。)
会社を背負っている、そのプレッシャーの捌け口のギャンブルかというとそうでは、ないらしい。
本人、曰く、ギャンブルが好きだそうだ。
私が、思うに、どんなに大変な状況であっても、仕事に関しては、本人なりの分析と行動で、上手く出来てしまう。
そんな時に、バカラという運の要素が、大きいギャンブルに出会った。
本人の文章によると、
カジノのテーブルについた瞬間、私の脳内には、アドレナリンとドーパミンが噴出する。
勝ったときの高揚感もさることながら、負けたときの悔しさと、次の瞬間に湧き立って来る「次は勝ってやる」
という闘争心がまた妙な快楽を生む。
だから、勝っても、負けてもやめられないのだ。
地獄の釜の蓋が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦がれるような感覚がたまらない。
このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う。
と書かれている。
ギャンブルによって、彼は、初めて、心が解放されたのでは、ないかと思う。
現在、借金は、完済され、4年間の実刑の後、刑務所から、出てくるらしい。
文章の最後にこう書かれている。
一番信用できないのは、自分ー106億8000万円の代償として私が得たものは、かくも悲しい事実のみだった。
今度、出てきた時は、自分が、本当に、本心から、喜べるものを、ビジネスにするんじゃないだろうかと思う。
好きと上手に出来る(上手くこなせる)は違う。
観念の奥底に、ある本当にしたい事に気づくけば、人生は、楽しくなる。
今年は、どんどん、動いて行こうと思う!(動けば、世界が変わる)
今年の目標の内、2つは、今月達成する。
業捨(ごうしゃ)という本を読んだ。
谷原先生の業捨というのは、業を取る事で、症状を取るというものです。
具体的には、右手の人差し指に、拇指をそえ、人差し指の腹と爪の間で、シャツの上からこする。
この時こすられる時の痛みが、激痛らしい。(刺青の3倍から5倍)
こすられた背中は、人によって、赤くなったり、どす黒くなったりする。
この本の中に、胃袋の丈夫差は、生まれもったもので、あるけれど、腹八分に、食べておく事も出来るし、
逆に暴飲暴食して、胃袋を壊す事も出来ます。と書いてあります。(私は、分目位食べています。)
生まれもった環境は、人それぞれ、あると思いますが、人生どう生きるかは、自分次第だと思います。
朝、整骨院で、ニッポン放送をかけていて、人生相談の中で、変えられるものは、変えましょう、変えられないものは、受け入れましょう。
といっている。
つい、キツイ時は、人の性にしたくなってしまう。
私も、昔、整骨院のグループに、勤めている時、家が、金持ちだったら、オーナーに、負けないのになと思った事が、あった。
今、思うと、その状況を、人の性にしていた。
今では、努力すれば、なんでも出来るというのが、分かり、力がつけば、力のある人と出会い、
そこで、また、自分の未熟さに、気づき、目標にし、努力をする。
よく、才能がある、ないとか、いう。
同じ事をやって、直ぐ出来る人となかなか出来ない人がいる。
私は、元々直ぐ出来るというタイプでは、ないが、自分の事を棚に上げて、恐ろしい程理想を高く持つ。
そうすると、同じ練習の仕方では、器用な人(その事に関して能力の高い人)に追いつけないが、
別のやり方で、能力をあげたりする事が出来る事が、分かった。
という事は、本来学習する事は、画一的な練習方法でなく、その人を見て、その人にあった練習方法を行うのが、いいんだろうと思う。
AでダメならB、BでダメならC、CでダメならD、DでダメならE、EでダメならF、とにかくうまくいくまでやってみる。
本の中で、「人はまず、心の中で、思った事を口に出し、そして行動にうつすというのが、自然です。
ですから、心の中で思っていることが、清ければ、言葉も良くなり、従って行動も善なるものになります。
けれど、心の中に邪悪なものがあれば、言葉も行動も悪に走ってしまう結果となるのは当然でしょう。」と書いてあり。
特に、思いが大事と言っています。
悪い事を思ってても、法律で、罪には、問われませんが、憎しみや、怒りといった悪感情を抱くと、それが、心の奥に残る気がします。
悪感情が、起こるのは、自分の中にある、物の見方、考え方にあると思います。
悪い奴とか、嫌な奴とかは、普通、自分なら、そんな事しない、自分とは、全く逆と思う人も、多いでしょうが、
そもそも、悪いとか、嫌な感情が、分かるのは、自分の奥底に、同じものを持つからだと思います。
とすると、悪いあいつ、嫌なあいつは、自分と同じタイプ。(いい人、素敵な人も、同じタイプ。)
自分が、悪い奴、嫌な奴に、反応するように、相手も、自分の中にある悪い部分、嫌な部分に反応していると思います。
自分が、悪い奴、嫌な奴と思う人が、ある人には、素直でいい感じに、話をしているのを見ると、
(昔は、こいつは、悪い奴ですから、騙されないで下さいと思っていました。)
悪い奴、嫌な奴と思っている人は、ある人のいい部分に、反応しているのだと思います。
だから、自分の成長を見るには、悪い奴、嫌な奴と思っていた人と接して、快適な時間が送れるかだと思います。
世の中の葛藤の多くは、本当は、周りでなくて、自分自身が、つくっているのに、気づき、一つ、一つ、自分の奥底の考え方が分かると、
人生が楽だと思います。(そんな事は、言っていても、毎朝の豆大福は、止められません!)
毎日、毎日、なんとなく生きるのも、前のめりで、燃え尽きるように生きるのも、全て、自分次第だと思います。
とりあえず、全ての価値観を持てるように、一歩、一歩進んでいきます。
ニック・ブイチチさんの本『 それでも僕の人生は「希望」でいっぱい』を読んだ。
彼は、生まれつき両手両足がない。
この本を読んで、思ったのは、人生を終える時、精一杯やって満足と思えるのか、あの時、ああすれば良かったと後悔するのか?
ただ、普段の生活では、状況に、よっては、妥協したり、ミスしたりして生活したりしている。
「人の心が満たされるのは、自分の能力や情熱を最大限に発揮出来ている時」とニックさんは、仰っている。
「自分が苦しみを抱えているときは他の人の苦しみを和らげ、希望を抱けるようにしてあげましょう。
その人を支え、苦しんでいるのは自分だけではないと気づかせてあげるのです。
自分が苦しみを理解してもらいたい時は人の苦しみを理解し、友達が欲しいときは自分が誰かの友達になりましょう。
心から希望が欲しいと感じている時には、人に希望を与えていることです。」とも仰っている。
自分がしてもらいたい事を相手にする事で、それが、相手に伝わった時、喜ばれ、それによって自分が癒されると思う。
与える事で、与えられるんだと思う。
「あるものに感謝し、誰かの為に行動し、人の痛みに、共感し、他人も、自分も許してみる」と仰っている。
人は、なかなか自分というものを理解していない。
自分の内面を自分自身だけで分かるのは、難しい。
だから、相手を理解する事で、自分を理解する。
自分の気持ちと、相手の気持ちという対象物が、あった方が、気づく事が出来ると思う。
いろんな葛藤は気づくチャンスで、成長に繋がる。(心に余裕が無いとこういう風にも、思えませんが。)
「人生でもっとも大切なのは、生かされている目的に目覚めることです!」と仰っています。
人生の目的が、今、分からない人は、必死にもがいてみると何か分かると思います。(必死でやれば、自分に納得できます。)
ただ、ニック・ブイチチさんに、比べると、頑張りは、半分くらいかなと思います。
まだまだ、甘い私ではありますが、後悔の無い人生を送るように、全力で、生きたいと思います。
湊かなえさんの『母性』という本を読んだ。
整骨院で、午前中は、ラジオをかけていて、この『母性』という本は、湊かなえさんがどうしても書きたかった本だとゲストの人が、言っていた。
流行作家のどうしても、書きたかったテーマの母性を、普段、小説は読まない、母性のない私が、読んでみた。
母性は、子を持つ親が、最初から、持っているものなのか?子が持つ事になってから、段々出てくるものなのか?
という所を、昨今のいろんな事件を、みて、母性とは?今一度、考えてみたいと思ったのではないだろうか?
ここで、出てくる、おばあちゃん、お母さん、娘。
おばあちゃんは、お母さん(娘)、娘(孫)に、対して無償の愛で接している。
お母さんは、娘より、おばあちゃんに喜ばれる事を自分(私)の事より、幸せに感じている。
(お母さんは、おばあちゃんに喜ばれる為なら、自分の我儘を、押し殺している。物事の表面に捉われている。)
娘は、お母さんの為を思って、頑張っているが、お母さんには、伝わらない。
私などは、小さい頃、あまり、器用でもないし、学校の成績も、良くなかったので、
それでも、いいよと言ってくれている母親に、愛されている事を充分に感じた。
これが、もし、優秀な子と言われる子供だったら、
何かが出来ることでしか、自分には、価値がないという価値観をつくりあげたかもしれない。
一時期、患者さんや、友達に、親に、どういう怒られかたをしたか、聞いていた。
お家に、よって様々な怒りかた、叱りかたがあるのが、分かった。
家の母親に怒られて記憶に、あるのは、小学校の低学年の時、小学校まで、ぶっとばすよ!(小学校まで、200メートル)と言われ、
いつも、優しい母親が、その大きな腕で、そういう事を言うのだから、身体は、粉々になると思い、本当に怖かった。
母性は、子を持ったから、出るのか?本来出るものが、今まで生きてきた中で、作り上げられた観念に、よってそれが、歪むのか?
湊さんは、最後に、こう書いている。
『時は流れる。流れるからこそ、母への思いも変化する。
それでも愛を求めようとするのが娘であり、自分が求めたものを我が子に捧げたいと思う気持ちが、
母性なのではないだろうか。』
母親は、自分の持てる精一杯の愛情で、娘を育てる、娘は、育てられる中で、愛情を学び、やりきれなさを学ぶ、
娘は、母親に、なって、自分の受け取った愛情を、伝えようとし、
子供の時に、感じたやりきれない思いをさせないように、心を砕く。
なぜ、葛藤が起こるのか?
それは、母親、娘、それぞれ、感受性が違うからだと思う。
母親は、自分の分身の我が子と思っているかもしれない、ただ、その我が子である娘は、自分とは、感受性が違うのだ。
私は、思う。
例え、感受性が、違っても、母親の言っている意味が、分からなくても、(うるさいなと思っても。)
そこに、真剣に向き合ってくれている母親の姿が、あれば、愛を感じる事が出来ると思う。
かとうちあきさんの『野宿入門』という本を読んだ。
この本を読んで感じたのは、家があり、家族があり、社会で生活している。
普段、あまり意識していないが、物理的には、家というのに、守られて生活している。
うるさいかもしれないが、家族がいる事で、精神的に守られている。
ストレスにもなるが、社会にいる事で、自分の役割を感じる事が出来る。
もし、肩書きが無くなり、家族、友達も無くなり、家も無くなり、裸になった時、どの位の人が、頑張れるのだろうか?
日々、当たり前と思っている事に感謝できるようになると、世の中平和になるのだろうけれど。
金子哲夫さんの僕の死に方ーエンディングダイアリー500日という本を読んだ。
整骨院では、午前中は、ニッポン放送を流していて、たまに、金子さんが、出演されて、お買い得情報とかを話していた。
その金子さんが、41歳という若さで、亡くなり、難病と闘いながら、仕事をしていたというのを、知った。
金子さんは、いつも、人を喜ばせる事を自分の喜びに感じていて、それを、最後まで、続けていた。
だから、多くの人が、周りに集まるんだと思います。
死ぬという事が、分かったら、まず、死の恐怖があり、死の覚悟が出来たら、どう生きるかを考えると思います。
金子さんは、自分の好きな仕事をして、それで、相手が喜んでくれて、また、喜んでくれるのが、嬉しいから、また、仕事を一生懸命頑張る。
金子さんの原点は、小さい頃に、お買い物を任され、安くかってきた時の、母親の「えらい!」の一言だった。
その時、褒められたのが、本当に、嬉しかったそうだ。
それが、大人になって、これだけ、頑張れたのは、奥さんに、自分の成功の歩みを見て、喜んで、褒めてもらいたかったからじゃないかな
と思う。
人の為に頑張る。
それが、好きだから。
金子さんは、そんな人だと思います。
この本で優しさを感じました。