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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 山登り。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 8の記事一覧
日曜日に、奥多摩にある高水三山に山登りに行った。
5時間の山登りだったが、半分くらいの所で、すでに、弱っていた。
最後は、電車に間に合う為に、必死になっていた。
とにかく、ボロボロになった山登りだった。
リーダーには、次までに、身体鍛えておけと言われ、確かに、身体は、鍛えておかなきゃと思った。
以前は、治療で、その治療技術で、治すという気持ちが、あり、そこには、強い気持ちがあった。
イメージとしては、症状を、技をもって、制すという部分が、あった。
今は、とにかく、どんな患者さん、どんな症状を持つに対しても、自分の持てる最高の対応をしている。(とにかく、馬鹿丁寧に、馬鹿丁寧に。)
そうすると、患者さんの感じが変わる。(柔らかい感じになる。)
同じ症状を持っていても、患者さんの背景(生き方)は、それぞれ、異なる。
これからは、症状を通しての、患者さんとの関わり方が、どんどん深くなるようになっていくだろう。
明日、久しぶりに山登りに行く。
今回の山登りは、リーダーと先輩の記念すべき100回目の山登りとなるので、
その山登りの1回目の高水三山に行く事になった。
久しぶりの山登り、どんな感じになるのだろう。
ゴールデンウィークを、家族で、山登りに行ったり、友達とスーパー銭湯に、行ったりして、のんびり過ごした。
今週、仕事をしながら、考えた事は、
私の今までの思考の整理だった。
①今まで、治療の仕事をしていて、保険を中心で、行っていた時、
手強い症状だと、普通に、揉んだり、解したり、動かしたりしても、症状が改善しない事があった。
かといって、その保険の範囲内で、その人だけ、特別に何倍もやると、システムが、壊れる。
(みんなが、10分なのに、その人だけ、60分。明らかに不公平感が、漂う。)
症状を分割して、少しづつ取るという考え方と、手技があればよかったのだが。
そんな時は、休みの日に、来てもらって、長いと、3時間ぐらい、期間で半年ぐらいやったりした。
(同じ手技で、同じ場所をやる場合は、1時間以上やっても、それ以降の改善度は、高くなかった。)
この時の私の気持ちは、とにかく今持てる力、全てで、患者さんをなんとかしてあげようと思っていた。(自己満足の世界だが。)
②次に、この状況を第三者の立場で見た時、
私は、患者さんにとっては、症状が、軽くなるのは、嬉しい事だろうが、この先生は、休みを返上して、凄く頑張っているなと思い、
ここに、不公平感を感じた。先生が上でも、患者さんが上でもなく、平等な関係がいいと思った。
そこからは、私自身の納得のある上での、患者さんとの関わりとなった。
力のある人が、難なく出来る事が、力のない人は、無理しなければいけない。(その差は、努力の差だと思う。)
③更に、考えたのは、
一般的に、自分と相手が、いた時に、自分中心の人は、身勝手と言われ、悪く思われる。
逆に、自分と相手が、いた時に、自分の身を棄てて、相手の為に頑張ると素晴らしいと思われる。
でも、どちらも、バランスを欠いている気がする。
④更に、更に、考えたのは、
第三者として、見た時にも、2つあって、
その見方が、自分と相手と同じ目線で、考えると、そこに、損得が、発生する。(自分が得した、損した、相手が得した、損した。)
もう1つの見方は、全体として、見る。(全体が、うまくいくには、どうすれば、いいか?を考える)
困っているから、助ける。
今、相手が、困っているから、助ける。(自分の出来る範囲で、そうしないと自分が困ってしまう。出来ない事は、他の人に助けてもらおう。)
今、自分が困っているから、助けてもらう。(相手の出来る範囲で、そうしないと相手が困ってしまう。出来ない事は、他の人に助けてもらおう。)
自分の責任を果たし、それでも、ダメな時は、周りが助けてくれるそんな社会がいいなと思います。
⑤自分自身の課題。
患者さんに対する一生懸命な気持ちと同じぐらい自分を大事にする。
今は、自分を棄ててもという気持ちは、患者さんの為といういう思いが強いが、
一方、自分に対しては、粗末に扱っている。
もっと、自分を患者さんと同じくらい大切に思えるといいのだが、そこが、課題。
日曜日に、谷川岳に山登りに、行った。
天候は、快晴で、登りは、順調だった。
降りは、こども用そりで、滑って立ったら、両方の太腿(内側広筋)が、つった。(痛い、痛い)
そこから、降りるのに、ビビリが、入り、一歩、一歩が、怖かった。
降りの、当初の予定より、1時間30分くらい遅れてしまった。(みんなの足を引っ張ってしまった。)
今回の反省、トレーニングをしっかりやる、雪山では、いいアイゼンを買う。
後は、滑落の恐怖といかに向き合うかが、課題としてある。(なんで、こんなに怖いのだろう。)
本当に、久しぶりに、ボロボロになった。
次回の、みんなで、行く山登り6月までに、鍛えておこう。
日曜日に、新潟県の八海山に山登りに、行った。
曇天模様の中、雪に、ボコボコはまりながら、歩いていると、段々天候が悪くなり、霰(あられ)が、ガンガン顔に当たってきた。
先は、見えなくなるし、後ろも、見えなくなってきた。
リーダーと先輩は、イケイケなので、止まる気配なし、もはや、これまでかと思った。
すると、先輩とリーダーが、雪で、足跡が、消えるとヤバイとの事で、撤退決定!
いやぁ、助かりました。
今回感じたのは、リーダーと先輩は、圧倒的な体力が、あるうえでの、経験と判断。
リーダーと先輩は、大変な状況に、なった時、リーダーと先輩を合わせた重さの私を担ぐのは、無理との判断が、あったのかなと思います。
いつも、ご迷惑おかけしてます。
来月は、晴れで、雪山で、そりで、楽しみたいです。
日曜日に、群馬県の地蔵岳に山登りに、行った。
氷点下10度の中、駐車場で、着替えをしていたが、もたもたして、凄い時間が、かかった。
山を登っていると、段々、右手の、人差し指、中指、薬指、の感覚が、無くなり、そのうち、激痛に、なった。
指を曲げたり、伸ばしたり、手を振ったりしたが、激痛は、変わらずだった。
これが、凍傷かと、思い、何とかしないと、ヤバイなと思った。
木の幹に指を当てて、木のパワーで、助けてもらおうと、じっとしていると、痛みが、段々と治まってきて、痛くなくなった。
この話を、患者さんのおじいさんにしたら、ミニのホッカイロがいいよと言ったので、次回から、持っていこうと思う。
今回は、痛い思いをしたので、しっかり学んだと思う。
山登りをしていると、ボコっと、太腿まで、埋まってしまうので、7合目まで、ぐらいしか行けなかった。
リーダーと先輩は、頂上を制覇した。
日曜日は、苫米地さんのセミナーが、中止になり、千葉県の富山、伊予ヶ岳に山登りに行く事になった。
アクアララインを通って、館山道を通っている途中、母校が見えた。
地元に来た感があり、そんな中での山登りとなった。
10月以来の山登りなので、どうかなと思ったが、結構大丈夫だった。(身体に活を入れなければ、と思っていた。)
風が、吹き荒れていて、カップラーメンをつくる事が出来るかとおもったが、何とか出来た。(よく煮えていなかったので、硬かった。)
今回の事で、冬季のカップラーメンは、禁止になってしまった。
私の中で、カップラーメンを食べる事は、山登りの魅力の中の30パーセントを占めるので、非常に残念な結果になってしまった。
カップラーメンを山で食べると何でこんなに美味しいのかと考えた事が、あった。
それは、山でカップラーメンを食べると、感謝の心が、出てくるんだなと思った。
カップラーメンを通して、感謝の心を学んだのだが、これからは、どうしたら、いいかが、今後の課題である。
山にいると、人間性が高くなり、いい人になっている気がする。(帰りに東西線に乗って、寝て、目が覚めると、いつも普通の人になっている。)
山から、降りると、普通の人になる。
なかなか、山にいる時の精神性を、町中で保つのが、難しいなと思っていた。
山登りをする事で、いろんな考えが浮かんだり、癒しになったり、刺激になったりしている。
帰りに、親友が痛い所が、あるので、治療すると言ったら、親友の家の近くで降ろしてくれた。(山登りの仲間と親友のご対面となった。)
親友のお父さんと話をしたら、目標を持つ事が、大事と仰っていた。
人生、幾つに、なっても、目標を持ち、生きがいを感じながら、生活する事は、素晴らしいと思う。
12月23日、24日、世間が、クリスマス・イブで、幸せな時間を過ごす時、
私は、静岡県で、柳生心眼流の合宿である。
そこで、何か、新しい世界が、開けるきっかけが、見つかる事を期待しながら・・・・・。
日曜日と月曜日に鳳凰三山に山登りに行ってきた。
初日5時間30分、二日目8時間。
今回の課題は、いつも山登りに行った日は、その日のうちに、水風呂に入って熱くなった身体を冷やして、身体の快復をを行っているが、
それが、使えない事だ。
初日の最初の作戦は、いかに太腿の筋肉を疲れさせずに、太腿のパワーを温存させるかように考えて登った。
結局、最後の方は、みんなのペースに少しでも、合わせる為、太腿の筋肉を使ってしまったが。
この日は、鳳凰小屋という山小屋に泊まり、夜ご飯は、カレーだった。(おかわりして、2杯食べた。)
印象的だったのは、ここで働く人の眼が、キラキラしていた事だ。(やはり、好きな事をしている人の表情は、素晴らしい!)
食堂で、女性で、一人で、来られている人が、いて、仲間が、話しかけていたが、まだ、一人で山登りは、出来ないので、凄いなと思った。
二日目は、朝3時に起き、4時に出発し、2400メートルの鳳凰小屋から、地蔵岳(2764メートル)を登り、次に、観音岳(2840メートル)
その次に薬師岳(2780メートル)を登り、そこから標高差1630メートルを降りて、青木鉱泉(1150メートル)まで、8時間かけて歩いた。
とっても、ハードで、最後の2時間30分ぐらいは、殆ど体力を使い果たした後の状態で、歩いた。
この時、身体は、ボロボロだったが、気持ちは、まだ行ける感じだった。
昔、柔道の練習をして、非常に疲れて、総武線の電車で、座りこんでしまった時が、あったが、その時、ランナーズハイという感じの
凄い高揚感を感じた、もう少しで、それに、近い感じになりそうだった。
今回の山登りで、リーダーは、太腿の肉離れを起こし、もう一人の先輩は、膝が痛くなり、私のメガネは、真っ二つになり、(修理に出した。)
いろんな事が、起きたが、山登りをしていると、普段の生活では、きついと感じる事がない、(この意味は、大きい!)
登っている時は、ただ登るという事だけに、没頭している。(これが、癒しになる。)
現代社会は、ストレス社会と言われるが、ストレスは、結局自分が作っているので、こだわりが、多い人ほどストレスが多くなる。
ストレスを、相手や、状況や、自分以外の性と思う人は、とにかく、身体を鍛えてそれに、負けないようにするというのがいいと思う。
身体が、強いとストレスに耐える事が出来る。
ストレスを自分が、作っていると考える事が出来る人は、今の感情が、どういう価値観によって起きたか、意識してみるとよいと思う。
価値観は、その人が、親や、時代や、地域や、いろんな影響を受けてつくりあげたものなので、その人にとっては、正しい。
ここで、大事なのは、どちらが、正しいか、正しくないか、ではなく価値観の違うもの同士が、コミニケーションを取ることで、
お互いの世界を広げる事だと思う。(効果的なやり方については、研究中。)
よく思うのは、知らない事を知ると、それだけで、世界がぐっと、広がる。
物事には、表や、裏や、いろんな面があると思う。
いろんな面を見つける事で、その物事の深さが、増していくと思う。
であるならば、ひとつの物事に対してそこに正反対の意味が、同時に存在することを認めることが、出来れば世界が広がると思う。
現在の所、表や裏は、一方だけでは、存在できないという理解しか出来ていません。
今、思ったのは、そもそも、物事をひとつの見方で、とらえるから、そうみえるだけなのかもしれない。
ひとつの物事を、表を見ている人が、裏を見ている人と話をしているので、話が噛み合わないだけだと思う。
みんなの意見を全て正しいとして、統合していく方法は、どうだろうか?
いろんな視点を持つ事で、分かりあえる。
本質を探る。(いろんな考え方が、あるのは、それぞれが経験してきた事によって観念が、出来上がっているので、
その本質は、何かを探ると、みんな同じ所に行き着くのではないか。)
私は、昔から、バランスとか、調和という事が、好きである。
個人レベルでは、調和が、崩れると、病気。
社会レベルでは、調和が、崩れると、人間関係が、きつい。
地球レベルでは、調和が、崩れると、自然災害、人災。
最初は、個人レベルで、調和が、取れるようにして、段々上げていく。
知らずに個人レベルで、ある部分が、成長しているかもしれない、すると、そこに今まで違って不均衡が生まれる。
その不均衡を調和の状態にする為に、他の部分が、成長しなければ、ならない。
調和と混乱は、成長する為に必要な事かもしれない。
安定と不安定。
多くの人は、安定を望むと思う。
実際は、安定とは、本人と周りが、成長しない状態の中でしか成立しないと思う。
だから、夫婦、家族は、お互いが成長する為に努力しないと、どんどんズレていくと、
小学校の通知表で、2が多かった私は、思う。(父親に拳骨をもらった記憶有り。)
とにかく、自分の人生は、自分の思う通り生きるのが、いいと思う。
ただ、いろんなしがらみが、あると、思うので、少しづつ、自分のペースで、行けばもっと、人生が生きやすくなるんじゃないかと思う。
日曜日、月曜日に、山梨県の南アルプスの鳳凰三山に山登りに行く。
初日、6時間、二日目、8時間だそうだ。
今回は、山小屋に泊まるので、必殺の冷やしが、使えないので、身体が、快復しないまま、二日目の山登りとなる。
過酷だ!
さらに、天気は、微妙だ。
なぜ、山に登りたいかと聞かれたら?
以前は、修験道の修行的な意味を、求めていたが、今は、ただ、山の空気が、単純に吸いたい為からと答えるだろう。
これからの人生、いろいろとあると思うが、山を登っているその瞬間だけは、その時の自分を見つめていると思う。
山で身体と心が、鍛えられ、山で、自然を感じ、心が、ピュアになり、人間も自然の一部と感じられる。
そんな魅力が、山には、ある。
さて、鳳凰三山、どんな山登りになるだろうか?