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院長 | 松岡 良一 |
「謎の空手・氣空術」という本を読んだ。
炭粉先生が、推薦の言葉の中で、
「威力ある技はその威力故に、耐えられる。
威力なき技はそれ故に、耐えるべき対象が、ない。」
これこそが、氣空術の本質!
「氣空の拳」とは誠にもって、よくいったものだ・・・・・・即ち
「汝の敵を愛せよ」を唯一の理合とする冠光寺眞法と、ピッタリ符号するのです!
と書かれております。
意識で、感知出来れば、今まで積み重ねたもので、対応出来ると思いますが、
意識で、感知出来なければ、努力や、根性で、鍛えた身体をもってしても、対応出来ないと思います。
「動きや力の配分をどんなに完璧に踏襲しても、全くの徒労!」と書かれております。
愛魂というのが、あるのか、無いのかで、全然違うという意味だと思います。
私が、昔、山登りの一番最初の山で、三つ峠という山を登りました。
そこのコースは、短い時間のコース、長時間コース、岩登りのコース、もうひとつコースがあった気がします。
同じ、三つ峠という山登りというした事では、同じですが、中身が全然違います。(この時、凍っていて、滑って、尾骨骨折しました。(´・ω・`))
三つ峠という山登りをしたという話を聞いただけでは、その違いは分からないと思います。
であれば、一見、外側から見ると、同じ動きでも、ひとつ、ひとつ、精査する事で、この人には、効くけど、この人には、効かないというのが、なくなってくると思います。
意外とあるのが、別の技法で、その事が出来たとすると、つい、そういうものかなと思ってしまいますが、果たして、それが、師匠に通用するのかは、難しい気がします。
畑村会長は、「保江先生の柔術は、冠光寺眞法の愛魂の理合をそのまま柔術に通したもので、そのため冠光寺流柔術と呼ばれますが、先生によれば眞法の愛魂は柔術のみならずあらゆる人間行為に通すことができるとのことでした。ということは、我が空手にも通すことができるはずです。これが、氣空術のそもそもの発想でした。」
と書かれております。
私のイメージでは、無償の愛という完全球体を、みんなは、その一部分を、平面に、捉えて、愛という解釈をしているので、それぞれの愛が違ったりする。でも、それも、無償の愛の一部。
保江先生も、「愛には高貴な愛や低俗な愛などと区別は存在せず、どのような愛も愛であることに変わりはないのです。」
と書かれております。
保江先生が、畑村会長の事を、「かねてより密かに目標としていた己の姿ー限りなく透明に近い愛ーが、そう、既にそこにあったのだ。この僕に一つの大発見があった。活人術をするに、何も襲いかかってくる相手を愛する必要すらないということを。自分自身が愛になり、しかも限りなく透明に近い愛となっていさえすれば、ただ自然に動けばそれが愛魂(合気)になるのだから。」
と書かれております。
愛そのものになれば、全ての行動が、愛のある行動となります。かといって、いきなり、それを、目指すのは、大変かもしれないので、まずは、好きな分野で、それを、マスターしている師匠と関わるのが、いいと思います。
畑村会長の空手の話の中で、畑村会長が、強い初代の前田会長に、必殺・飛び後ろ回し蹴りを喰わそうと、思ったら、会長に完璧に封じられた話や、前田会長の弟さんと、稽古して、二人で、銭湯に行って、空手着を脱いだら、お互いの胸に、拳の後があって、嬉しかったと書かれております。本当に、空手が好きというのが、伝わってきます。
拘りは、頑張る原動力になると思います。
でも、拘りが、物事を、見えにくくもします。
そんな時、その人の好きな分野で、畑村会長や、炭粉先生や、保江先生のように、愛というエネルギーが分かった人が、世の中にどんどん増えてくれば、そこに参加する事で、より、充実した人生を送りやすいかなと思います。
氣空術。 »