所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
---|---|
電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
matsuokaseikotsuin@nifty.com | |
院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 好きなもの|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 41の記事一覧
この前、行徳の先生と話をしていた時に、先生が一言、「問いだけがある」と話してくれた。
昔、結果と、過程、どっちが大事と考えていた時期があった。
数字とか、成果主義とか、結果を大事にする考え方と、やり方とか、悩んだりして、本人を成長させる、過程を大事にする考え方がある。
その辺りが、本人なりに納得できるようになると、問いという考え方が出てくる。
問いの最初の段階は、仕事でも、趣味でも、やり込むと、それに、反応して、見つける事が出来る。
その後の問いは、私の興味のあるものに、反応して見つけるのではなく、私自身が答えを持っている。
言い換えると、本来あるべき繋がりが、湧き上がって、見えてくるというものかなと思う。
朝、スクーターに乗って、クネクネした道を通勤している。たまに、前の車が止まったり、信号が変わったりしている。今までは、それは、状況に合わせて、身体が、無意識に反応していると思っていた。
今は、違う考えを持っていて、私という人が家から、整骨院まで、スクーターを運転する。といのがまずある。その時、道は、クネクネしているので、身体を傾ける。身体を傾けると、身体を傾けた感覚(体感)が出てくる。これを、一般的には、私が、スクーターを傾けて、その感覚を感じていると思っている。前の車が止まった。同じように、止まる。これが、決められている。これも、一般的には、車に反応して止まっている気がする。信号が変わるのも、同じ感じ。
普通、私(個人)という人が人生を見ると、未来は、不確かなもので、先は、読めない。それは、私(個人)という一部分のデーターで、制限されたもので、見ているからだと思う。もし、その場の状況全てを、見る事が出来れば、それは、不確かなものでなくなるのかなと思う。
今思う事は、表面的な私(個人)で物事を見ると、葛藤が多いと思う。それを、どんどん奥の私で、見ていくと私が求めていたのは、私(全体)という事になるのかなと思う。(何だ同じじゃないか!)
昔、患者さんのおばあちゃんと話をした時があった。凄く穏やかな感じの人で、細かい内容は、忘れてしまったが、お話を聞いていて、思った。幼い時は、幼い時の悩みがある。その時は、それが、大問題で、苦しい。それが、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代、その時は、本当に苦しく大変だったが、時間が経つと、そうでも、なかったりする。それは、こうじゃなきゃいけないという思いが、変化したからだと思う。
もし、問い(私)と、宇宙(私)というのが、同じというのが分かると、個人的な意識で言うと、凄く納得、凄く充実、絶対って感じと言い切れるのかなと思う。
行徳の先生は、今、分かった事を伝えてくれる。それを、私は、私なりの受け取れる範囲で、受け取っている。
たまに、先生を見ていると、私は、何か違う所を見ているだなというのを、感じたりする。そんな感じで、いつもお世話になっている。ありがとうございます。
世の中には、漫画みたいな先生達がいらっしゃる。
善、悪、上、下、左、右、地球、宇宙、いろんな先生達が、本人の求める所で、人を導ている。
それを、どの先生が、正しいとか、最強とを、考えると、分からなくなってしまうので、いろんな先生達の考えを、全て入れて、
その中で、本人が納得というのが持てればいいのかなと思う。(*´∀`*)
小林健先生の量子医学という本を読んだ。
以前から、無償の愛というものを活用すると、相手の方が気づける場を創れるかなと思っていた。
そして、最近、これを、治療に活用している人もいるのではないかと思って、インターネットで、探してみた。
そこで、小林健先生を見つけた。11月にセミナーがあるのを、見つけたので、電話してみると、すでに満員だった。
今回は、セミナーは、ダメだったので、先生のブログを全て読んだ。そして、波動薬というCDを買った。
量子医学とは、現代医学のように表面的な症状をストップさせるのではなくて、症状が起きてしまった細胞の元の更に元にある「量子」にアプローチしていく手法です。科学の世界では、これ以上はもう分解できなくなった最小単位のものを、「量子」または、「素粒子」と呼んでいます。素粒子を分かりやすく別の言葉に置き換えれば、「愛」という言葉とイコールになります。この素粒子が持っている特徴のひとつに、「まるで、波のように絶えず動きまわっている」ということがあります。そして、この素粒子の持っているわずかな波長が、私達の健康状態を大きく左右しています。だから、もし、みなさんが自分の力で素粒子が持っている波長を自在にコントロールすることができれば、どんな難病でもあっという間に治癒させることができるでしょう。量子波といのは、わずか一秒間で地球を七回り半できるほどの高速スピードを持っていますがもし、みなさんが自分の身体が持っている波長を変えることができれば、すでに起きている病気症状さえも、一瞬のうちに予想できない形に変化させることができます。私が普段行っている施術の中では、人が過去に受けた素性(素粒子の中にある人間の生きる素の原点の物質)のひずみを癒すことによって、今ある病状だけでなくて、未来にも同じ病気が起きないように波動コントロールしていきます。そのため、私の中にある量子医学のイメージは、過去と現在と未来が一瞬のうちにパッとひとつながりになって、時間や空間の区別が完全になくなっていくというものです。時間とは、ただ宇宙に流れているだけで、人が数を数えたり、区切ったりするために存在しているわけではないのです。みなさんが、私の治療院で一度でも施術を受けてみれば分かりますが、素性のひずみを埋めると、まるで時間を巻き戻したように身体が元気を取り戻していきます。量子医学では、人の身体の波長を「元」から正していくために、数年後にまた同じ病気にかかってしまうことがあり得ないのです。
と書かれてます。
健康に関しては、こう書かれてます。
結局、健康でいるために必要なことは、自分や他人に対して「スーパーラブ」を持っていることです。世の中に広まったどんな健康法よりも、強い愛情を自分の内側に持っていることの方が、よほど効き目があると言えるでしょう。
愛に関しては、こう書かれています。
心が「無」になれば、その瞬間に自分の内側にある真の姿を見つめ直して、本来の感性や心の美しさが現われてくるからです。そして、自分の中から愛情の泉がこんこんと湧き出しているのが分かるようになります。花瓶に花を生けるときれいですが、花なしで飾っても、花瓶が持っているものはしっかり出てきます。だから、みなさんは特別なことをしなくても、ただそこに生きているだけで愛に溢れた魅力ある存在なのだと知りましょう。
私はどんな生き物でも、ただ一生懸命に生きていること自体が「愛」なのだと感じます。
個人的には、この言葉が好きです。
感想としましては、小林先生は、愛の人だなと思いました。
愛はぶつからない。愛と接していると、緊張が緩む。
そして、本来求めているものに気づいていく。
患者さんを、見ていると、筋肉でみると、固まっている。調子悪い。ほぐれる。楽になる。
骨で見ると、関節、固まっている。ほどける。楽になる。
まだ、細胞の固まっているというのは、分からないが、昔、空間を、見ていると、ただ、動きだけが見えた。(動きが見えるというのも、変な感じだが。)
その時、これが、元なのかなと思った。この私の経験というもので、話を組み立ててみると。
ただの動きというものがある。これが、まとまると、小さな動きになる。更に、小さな動きがまとまると、中ぐらいの動きになる。
中ぐらいの動きがまとまると、大きな動きになる。これが、細胞だったり、臓器だったり、身体だったり、人だったり、家庭だったり、社会だったり、日本だったり、地球だったり、宇宙だったりするのかなと思う。
この正常と言われる動きの組み合わせであれば、調子がいいが、その組み合わせが違ってくると、調子が悪くなるのかなと思う。
ここに、愛というエネルギーが与えられると、変な動きの絡みを解いて、正常にするのかなと思う。
身体であれば、病気の症状が改善する。社会であれば、人間関係が良好になる。地球であれば、環境破壊から自然が復活してくる。とか。
ただ、これは、あくまでも、視点をその場所に限定して見ていると、そう見えるということなので、宇宙全体で、考えると、問題ないかもしれない。
この辺は、実際に検証してみないと、分からない。(課題)
最近、思いましたのは、人によって、興味の範囲が違う。人生の経験も違う。だからその人が今、欲しい情報は、今、興味がある事を、上手くやれている人だなと思いました。その方が具体的だから分かりやすい。あまり、抽象度が上がり過ぎると、意味が分からないなと思いました。みんなが上手くいくためには、いろんな場を作らなきゃいけないんだなと思いました。だから、人生の師匠は、いろんな場を作ったんだなと思いました。
人生は、その人の思う通り生きた方が、充実します。(*´∀`*)
長田先生の「治癒を引き出すエネルギーの秘密がわかった」という本を読んだ。
今の時代、いろんな面がわかって話せる人もいるだろうと思ってこの本を購入した。
本の中で、直感には、2つある。と書かれている。
ひとつは、自分の知識経験からく来る直感。
もうひとつは、本当の自分、潜在的な部分から来る直感。
私の場合ですと、前者は、スーパー銭湯とか、治療とか、達人とか、興味のある事に、アンテナが立って、反応する感じ。
後者は、今までの経験や、考え方のデーターで捉えるのでは、なく、私(我)を無くして、その場を捉える感じ。
本当の私に必要な事に気づくって感じ。
本の中で、子供のころから体が弱いといわれてきた人は、いつまでも自分は体が弱いという観念を引きずっているかもしれません。たとえすっかり大人になってもうその名残はまったくなかったとしても、自分では気づかないうちにそんな観念に影響されていることもあるのです。
葛藤というのは、こうありたいと言葉に表していることと、潜在的な自分、本質的な自分がとらわれている観念とのずれから生まれます。そこにずれがあると、いくらこうなりたいと願っても、それに向けて努力しても、なかなかよい結果得られません。だから、何かを実現したいというときには、潜在意識に目を向けてゆくことが大切です。ただし、誤解しないでください。潜在意識のすべてがネガティブなものというわけではありません。もちろんそこには、いい考えや前向きなこともたくさんつまっています。ここで問題になるのは、顕在意識とずれのあるもの。それは、ネガティブなものが多いというだけなのです。
と書かれています。
私は、この文章で、何かひっかかりました。最初は、何か分かりませんでしたが、私も、患者さんに、葛藤とは、本当の自分と、価値観が違うと生まれるんだと思います。それを、教えてくれているんだと思います。とか言っています。長田先生は、表面的なものを、変えても、その奥の観念が変わらないと、なかなか変わらないですよと仰っております。あっ、そうか、これは、視点の違いだなと思いました。
本の中で、現在すでにとても多くの人が、肉体と感情、肉体と考え方の癖やパターンの密接な関係について理解しています。けれども、同時に、コンセプトを自分を責めることに使い続けている現状を危惧してもいます。
ただ、気づけば、いいだけだと思いますが。
私も、昔、患者さんで、格闘技をやって、痛めて、治して、また、痛めて、治して、また、痛めた時には、本当に、身体を大事にしないなと思って、ちょっと、軽く、怒りながら、嫌味を言った事があります。その時、人生の師匠の言葉が、あっ、そうだなと思いました。そこに、来る患者さんは、そこの先生と同じタイプがくるという話でした。確かに、無理ばかりさせて一番身体を大事にしてないのは、私自身だと思いました。
長田先生の僕の最大の役目は、患者さん自身が本能的な問題に気づけるようなエネルギーフィールドを作り出すこと。僕が僕自身がゼロになっていることで、患者さんの本質さを映し出す鏡のような存在になること。本来は在るだけでいい、十分なのです。「成す」「言葉にする。」ことによって、患者さんと自分の間エネルギーバランスを乱さないか、この精妙なるサジかげんが楽しいし、面白いのですね。これこそが医者冥利だと思います。
と書かれています。私も、現時点では、ここを、理想としています。
本の中には、細胞にはそれぞれ特有の周波数があります。と書かれています。
であれば、周波数が分かる人は、周波数の乱れを整える事が出来れば症状の改善に繋がると思います。
個人的な意見としましては、ポイントは、人によって、持っている観念が違う為、納得の仕方が違うという事。
物事のつながりが分かる事。(言い方を変えると、繋がりが分からないから、納得出来ない。)
例えば、氣とか、愛とか出す人がいて、それで、よくなった場合、結果よけばいいという人や、よく分からないので、何か納得出来ないという人もいます。それが、機械から、氣や愛が出て、それが、最新の光線治療なんですと言われれば、納得出来る人もいる感じがします。
実際は、なかなかそこまでやらないと思いますが、私は、こういう父親と、こういう母親からの子供として生まれ、小さい頃、こういう事があって、こう思うようになった。そうして、現在までの、歴史を語るとします。相手の方も同じようにします。そうして、この二人がお互いの事を理解します。こうすると、お互いが、自分の世界だけで、見て見えなかったものが、相手がいる事で、自分の世界を広げる事が出来るかなと思います。そうして、今、この場面のこの状況に立つとします。そうすると、一人だけでは、解決出来なかった問題が解決出来るかなと思います。
良い悪いという判断基準を持っていると、私が良いというものだけ、受け入れ、私が悪いというものは、拒否する人もいると思います。この考え方で、人生を終わったとしたら、悪いと思っているという世界の情報は、知らない事になります。本当は、ここに、私を、制限から解放する情報があるのに、もったいないと思います。どのような状況下でも通用する良い、悪いというのがあるのであれば、別ですが。だから、そこに、進む一歩として、お勧めなのが、相手の話を聞く、とにかく何度も聞く、最初は、私なら、その状況でも、そんな事しないのに、と思うかもしれませんが、それは、その部分だけみると、そう思うのですが、そう思う判断基準の元の思いがその前にあります。それを、客観的に見ると、私という人は、こういう事があって、こういう感情を持っている。それが、はんだん基準の元になっている。というふうに、私を他人ごととして、見ると、冷静に物事が見えると思います。頭の中だけでやると、分からなくなってしまうかもしれませんので、紙に書くのもいいと思います。
そうして、いつか、気づくのは、私を苦しめているのは、相手や、環境や、状況ではなく、何だ、私の制限している考えなんだというのが分かると思います。
気づいてもいいし、気づかなくてもいいと思います。気づかなくても、その人は誰かの為になっていると思います。(どうしようもなく見えても、親にとっては、可愛いい我が子とか。)そこに、葛藤を抱くのは、繋がりが見えないからです。
もし、宇宙の仕組み全てが分かれば、あっ、何だ、そういうことなのね。と、思うと思います。(*´∀`*)
昨日、近所の仁整形外科のボランティアコンサートがあった。
来られていた方が、聞いていると、涙が出た言っていた。
イスもいつもより、更に追加して、何とかという盛況ぶりだった。
いつも、参加して、思うのは、来られている方と、院長先生や、スタッフの方とのやり取りを聞いていると、
本当に慕われているなというのが、伝わってくる。いい関係だなと思う。
コンサートの後、院長先生に誘われ、懇親会に参加した。
スタッフの鍼の先生と、理学療法士の先生と話をしていて、松岡先生の所、腱引きの看板出していますが、
腱引きって、どんな感じなのですかと聞かれたので、分かる事をお話した。
ベースに筋が捻れる、ずれるという概念がない所での、話であったが、盛り上がった。(受けにくると言ってくれた。)
院長先生のお友達とは、競馬の話をして、どういう予想の建て方をしているか、を聞いたりした。
優馬という競馬の専門誌の調教欄の3頭が、1・5頭くるという話を教えて頂いたので、これは、有馬記念で、活用しようと思う。
懇親会は、4時間30分くらいあったが、全体を見ていると、院長先生が、本当に、みんなに慕われているなというのが、
いいなと思った。みんながそれぞれの持ち場で、一生懸命頑張っている気がした。(理想の職場ですね。)
ごちそうさまです。どうもありがとうございました。(*´∀`*)
日曜日に、棒ノ折山に、山登りに行った。
リーダーと、先輩と三人の山登りは、二年半ぶりとなった。
久しぶりの山登りは、きつかったが、没頭しようと、努めた。
没頭しようと、思えば、思うほど、没頭するのは、難しかった。
歩き続けていると、ふと、気づくと、きっさだけが残った。
この時、きっさ以外の事は、考えていなかった。
山の頂上で、カップラーメン(カップヌードルシーフド味)と、おにぎり二個を食べた。
カップラーメンの具を、こぼしてしてしまった。(あっ!)
以前は、ビックカップヌードル(シーフド味)とおにぎり三個だったが、少なくても、大丈夫になった。
そして、降りの休憩で、コーヒーとお菓子を食べた。
山で食べると、、本当に美味しい。
降りは、スピードを出して、降りていったら、最後は、足に力が入らなくなった。(膝が笑っていた。)
リーダーに、途中で、足をマッサージしてもらい、何とか、四時間弱の山登りを終えた。(ありがとうございます。)
私にとって、山登りのいい所は、普段、緊張している、身体と心を、解放する事と、身体と心を丈夫にする事だと思う。
(月一で行けるといのだが。)
山登りの後、ファミリーレストランで、久しぶりに三人で、喋ったのも、よかった。
また、次回、よろしくお願いします!(*´∀`*)