| 所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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| 電話番号 | 047-300-3820 |
| FAX | 047-300-3821 |
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| 院長 | 松岡 良一 |


Blog記事一覧 > 考える事。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 48の記事一覧
日曜日と月曜日に鳳凰三山に山登りに行ってきた。
初日5時間30分、二日目8時間。
今回の課題は、いつも山登りに行った日は、その日のうちに、水風呂に入って熱くなった身体を冷やして、身体の快復をを行っているが、
それが、使えない事だ。
初日の最初の作戦は、いかに太腿の筋肉を疲れさせずに、太腿のパワーを温存させるかように考えて登った。
結局、最後の方は、みんなのペースに少しでも、合わせる為、太腿の筋肉を使ってしまったが。
この日は、鳳凰小屋という山小屋に泊まり、夜ご飯は、カレーだった。(おかわりして、2杯食べた。)
印象的だったのは、ここで働く人の眼が、キラキラしていた事だ。(やはり、好きな事をしている人の表情は、素晴らしい!)
食堂で、女性で、一人で、来られている人が、いて、仲間が、話しかけていたが、まだ、一人で山登りは、出来ないので、凄いなと思った。
二日目は、朝3時に起き、4時に出発し、2400メートルの鳳凰小屋から、地蔵岳(2764メートル)を登り、次に、観音岳(2840メートル)
その次に薬師岳(2780メートル)を登り、そこから標高差1630メートルを降りて、青木鉱泉(1150メートル)まで、8時間かけて歩いた。
とっても、ハードで、最後の2時間30分ぐらいは、殆ど体力を使い果たした後の状態で、歩いた。
この時、身体は、ボロボロだったが、気持ちは、まだ行ける感じだった。
昔、柔道の練習をして、非常に疲れて、総武線の電車で、座りこんでしまった時が、あったが、その時、ランナーズハイという感じの
凄い高揚感を感じた、もう少しで、それに、近い感じになりそうだった。
今回の山登りで、リーダーは、太腿の肉離れを起こし、もう一人の先輩は、膝が痛くなり、私のメガネは、真っ二つになり、(修理に出した。)
いろんな事が、起きたが、山登りをしていると、普段の生活では、きついと感じる事がない、(この意味は、大きい!)
登っている時は、ただ登るという事だけに、没頭している。(これが、癒しになる。)
現代社会は、ストレス社会と言われるが、ストレスは、結局自分が作っているので、こだわりが、多い人ほどストレスが多くなる。
ストレスを、相手や、状況や、自分以外の性と思う人は、とにかく、身体を鍛えてそれに、負けないようにするというのがいいと思う。
身体が、強いとストレスに耐える事が出来る。
ストレスを自分が、作っていると考える事が出来る人は、今の感情が、どういう価値観によって起きたか、意識してみるとよいと思う。
価値観は、その人が、親や、時代や、地域や、いろんな影響を受けてつくりあげたものなので、その人にとっては、正しい。
ここで、大事なのは、どちらが、正しいか、正しくないか、ではなく価値観の違うもの同士が、コミニケーションを取ることで、
お互いの世界を広げる事だと思う。(効果的なやり方については、研究中。)
よく思うのは、知らない事を知ると、それだけで、世界がぐっと、広がる。
物事には、表や、裏や、いろんな面があると思う。
いろんな面を見つける事で、その物事の深さが、増していくと思う。
であるならば、ひとつの物事に対してそこに正反対の意味が、同時に存在することを認めることが、出来れば世界が広がると思う。
現在の所、表や裏は、一方だけでは、存在できないという理解しか出来ていません。
今、思ったのは、そもそも、物事をひとつの見方で、とらえるから、そうみえるだけなのかもしれない。
ひとつの物事を、表を見ている人が、裏を見ている人と話をしているので、話が噛み合わないだけだと思う。
みんなの意見を全て正しいとして、統合していく方法は、どうだろうか?
いろんな視点を持つ事で、分かりあえる。
本質を探る。(いろんな考え方が、あるのは、それぞれが経験してきた事によって観念が、出来上がっているので、
その本質は、何かを探ると、みんな同じ所に行き着くのではないか。)
私は、昔から、バランスとか、調和という事が、好きである。
個人レベルでは、調和が、崩れると、病気。
社会レベルでは、調和が、崩れると、人間関係が、きつい。
地球レベルでは、調和が、崩れると、自然災害、人災。
最初は、個人レベルで、調和が、取れるようにして、段々上げていく。
知らずに個人レベルで、ある部分が、成長しているかもしれない、すると、そこに今まで違って不均衡が生まれる。
その不均衡を調和の状態にする為に、他の部分が、成長しなければ、ならない。
調和と混乱は、成長する為に必要な事かもしれない。
安定と不安定。
多くの人は、安定を望むと思う。
実際は、安定とは、本人と周りが、成長しない状態の中でしか成立しないと思う。
だから、夫婦、家族は、お互いが成長する為に努力しないと、どんどんズレていくと、
小学校の通知表で、2が多かった私は、思う。(父親に拳骨をもらった記憶有り。)
とにかく、自分の人生は、自分の思う通り生きるのが、いいと思う。
ただ、いろんなしがらみが、あると、思うので、少しづつ、自分のペースで、行けばもっと、人生が生きやすくなるんじゃないかと思う。
人は、自分の興味あるものに、反応する。
私だと、山登り、スーパー銭湯、治療というキーワードに特に反応する。
例えば、ラジオから山の話が、聞こえたり、電車で、山登りの格好をしている人がいたり、
患者さんから、山の話を聞いたりすると、すぐ反応する。
ということは、逆にいうと、自分の知ってもらいたい事が、ある時
それを、知ってもらう為には、それが伝わるようにしなければならない。
これが、情報発信である。
何を伝えたいのか?
何が出来るのか?
どういう気持ちで臨んでいるのか?
これが、興味を持った人に、伝わると、その伝わった人が、行動を起こすと思う。
みんな自分の好きなものに対しては、貪欲だと思う。
また、それに対しての執着が、強いので、苦にならない。
人によって、物事の興味度、理解度が、あるので、その人に合った言葉で、説明してあげると伝わり易いと思う。
人は、みな、いろんなコミュニティーに、所属している。
家族だったり、会社だったり、地域だったり、サークルだったり、いろいろあると思う。
会社では、社長で、地域では、地元の名士で、サークルでは、リーダーで、家族では、奥さんに頭の上がらない亭主とか。
人は人との関係の中で、自分のキャラクターが、決まってくる。
人は、個々で、生きているのでは、なく、人との関係の中で、自分の役割を決めていく。
だからある人にみせる一面と、別の人にみせる一面は、違うのだが、どちらも、本人である。
人は人との間で磨かれ、成長したりするが、変化を望むなら、のんびりしたコミュニティーより、自分にとって、厳しいコミュニティーの方がいい。
今回参加する、気合の入った合宿で、魂の揺さぶられる体験が、出来ると、意識レベルを上げる事が、出来ると思う。
昔、成功法則とか、プチリタイアとか、流行っていた時期が、あった。
その頃は、それが、かっこいいと思っていた。
山登りのリーダーとは、その頃、山登りではなく、年に何回か、会って、カフェめぐりをして、長時間おしゃべりをする仲だった。
その時、リーダーから、「 松岡!人は、肩書きや、経済力じゃないぞ!それが、なくても、凄い人が、たくさんいるんだから!」と言われた。
と言われたが、その時は、それが、かっこいいと思っていて、頑張って、力を持つ事こそ大事で、あまりピンとこなかった。
昔、プチリタイアに憧れた私は、今、朝から晩まで、仕事をし、休みの日は、講習会と、山登りという生活をしている。
ただ、良かったことは、この仕事が、凄い好きなので、いい感じで、時間が、過ぎていく。
大事なものは、状況によって変わったり、本当に大事なものに気づいたりすると思う。
今の状況が、心地よいのも、居心地悪いのも、そういう状況が、あるのではなく、そう感じる自分がいるだけである。
であるばらば、すべて、本人次第である。
私のいる世界は、私次第。
あなたのいる世界は、あなた次第。
努力という言葉が、ある。
私が、好きな言葉である。
天才という言葉がある。
私が、憧れる言葉である。
昔から、夢のような事を考える事が、好きだった。
昔は、それを、努力なしで、そうなる事を、待っていた。
だが、いつまで待っても、そうなる事は、なかった。
今は、理想が、あると、それに向かって努力すると、なんとか、うまくいくように、なってきた。
努力というと、足りない所を補ってというイメージが、あり、そこに価値がある感じがする。
頑張る姿は、心を打つ!
目標が20という力で達成出来るという時、そこにマイナス5があり、それを、努力で、
修正して、無くすという考えが、一つある。
もう一つは、20に、マイナス5があり、そこにプラス5をという考えがある。
どちらも、目標に対しては、クリア出来ている。
欠点を修正するか、得意なところを伸ばすか?
得意、不得意というのも、どの場にいるかで変わる相対的なものである。
みんな、自分の中に、こうでなければ、ならないというものが、あり、それが、多い人程、
心が、自由になれない。
立場的に、強い人は、それを、強制したり、弱い人は、そこに、葛藤が、強くあると思う。
みんな自分の心の奥底にある、判断基準は、正しいのかという作業をすると、
もっと分りあえるのになあと思う。
ポジティブとネガティブ。
物事をとらえる時、ポジティブな考え方、ネガティブな考え方がある。
物事に取り組むに当たって、モチベーション、技量(行動する能力)、状況、状況を分析する力、のいろいろな要素がある。
この要素に、対して、ネガティブで、望むと、失敗する事は、簡単である。(そして、失敗体験を重ねる。)
また、昔の成功体験が、通用しないのは、この要素に対して、認識が甘いからだろうと思う。
よく、今までの経験で、物事を行い、それで、うまくいく事が、多い。
ただ、これは、全ての要素が、100%合って、うまくいったのではなく、うまくいく要素が、多かった為と思う。
例えば、整骨院に、痛みを持った患者さんが、来る。
問診して、どうして、この症状が、出たか聞く。
この時、患者さんは、この先生は、本当に大丈夫か、判断する。(よく、質問して試そうとする人もいる。 こんなに太っていて、大丈夫か?(笑い)。
これで、治療を受ける事になるのだが、患者さんの要素に、男、女、年齢、症状、原因、考え方、等があり、
また、患者さんを取り巻く状況に、仕事、家庭、人間関係、経済状況、の要素がある。
まだ、私自身、症状をとるという思いで治療している。
症状が、なくなる事で、患者さんが、気持ちに余裕が出来て、周りに対して優しくなり、
周りの人も、患者さんに対して優しくなるんだろうなという所までは、考えている。
患者さん本人にとっては、世界が、変わったと思うだろう。
生きていくなかで、人は、いろいろな影響を受け、常に、同じ状態を保つという事は、難しいと思う。
治療家として、どうしても、症状は、悪と思ってしまっているが、患者さんにとってこの症状が、
何かを気づかせるサインとして出ている事を説明する事できると、もっと大きな意味を持つのでは、ないかと思う。
まだ、今の段階では、出来ていないが、物事をポジティブとして、とらえるだけでなく、ネガティブなとらえかたも、出来、
陰と陽の両方を合わせ持つ方が、より深い感じがする。
光と闇、光しかなければ、光の意味が分らない。
闇しかなければ、闇の意味が分らない。
ネガティブを、ポジティブでとらえると、リスクの可能性が、低い安全な方法と考えられる。
また、ポジティブをネガティブでとらえると、リスクの可能性が、高い、危険な方法と考えられる。
どちらか、一方の立場に立つと、相容れないし、どちらの立場でも、その人の分る範囲でしか、理解できない。
そこで、ポジティブな見方で、いろんな可能性を、考え、
ネガティブな考えで、リスクを減らすのは、どうだろうか?
よく、いろんな人と話をしてみて、ひとつの物事でも、それについて、深く考えている人も、いるし、そうでも、ない人もいて、
いろいろだなと思うことがある。
時間の流れは、過去、現在、未来と思っている人が、多い。
だから、現在は、過去が、あってこそ、存在していて、未来は、現在どうするかで決まる。
と思っている。
また、別の人は、未来、現在、過去と時間が、流れていて、未来から流れてくるものを、
どれを選択するかで、現在が決まり、それが、少し経つと過去になると考える。
最初の方の考え方で、現在は、過去の積み重ねで、出来上がっていると考え、
例えば、現在が、不幸だと、未来は、現在の積み重ねなので、これからも、不幸と思ってしまう。
後の方の考えだと、あくまで、選択なので、
自分にとって、幸せか、不幸を選択すれば、よいだけである。
今まで、不幸でも、幸せの方を、選択すれば、人生は、一変する。
実際は、不幸な考え方の積み重ねをしているので、不幸を選択してしまってる。
だから、今の状況が、不幸だとしても、幸せな考え方の積み重ねをすれば、
状況も、幸せになると思う。
本来は、幸せも、不幸も、そういう状況があるわけではなく、本人が、そう思うだけであるが、
この時代の日本の人の一般的な人の考える幸せ、不幸の状況自体も、本人次第だと思う。
私は、もしかすると、過去、現在、未来は、それぞれ、存在していて、
その時代で、頑張れば、互いに影響しあっているのでは、ないかと想像している。
こう考えると、どの時代でも、それが、他に影響及ぼすので、その時代、その瞬間を
大事に生きるのが、大切ではないかと思う。
明日から、苗場山の山登りに行く!
楽しんでこようと思う。
最近、整骨院で、後片付けを、している時、福山雅治の「家族になろうよ」という曲を、かけている。
どれほど深く信じ合っていても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから
という歌詞が、あり、なかなか、深いなあと思っている。
同じ屋根の下に、二人の人間が、暮らしている。
それぞれ違った環境で、育ち、違った価値観を持っている。
そんな二人なら、お互い、なんでこの気持ちが、わからないの?(孤独)
という事が出てくると思う。
それは、違った価値観を、持つ二人だから、しょうがない。
ただ、その時、相手を愛していれば、理解しようと努めるだろう。
二人が、同じ立ち位置にいて、あなたと私の中で、問題を解決しようとする場合、
お互いが主張するタイプの場合は、妥協ということになるかもしれない。(損得で計算するから)
お互いが思いやりを持つタイプの場合は、自分の事より、相手が大事なので、
相手が、喜ぶ事が、自分の喜びなので、うまくいくと思う。
主張するタイプと、思いやりのタイプの組み合わせだと、主張するタイプが、我儘し放題でも、
思いやりのタイプが、相手の為に尽くしてくれるので、うまく、いくだろう。
主張するタイプが、いつか、その思いやりに気づくと、自分の態度を省みて、優しくなるだろう。
もうひとつは、あなたと私と、 個と個と考えないで、
家族という共同体を、一心同体という気持ちを持って考える事が、出来るとバランスが、とれると思う。
問題は、同じレベルと解決しようとすると、無理が、きやすいと思うが、ひとつ視点を上げると解決すると思う。
福山さんは、違った価値観を持ったが二人が出会い、日々の生活の中でお互い傷つけたりあってりするけど、
段々と家族になっていくんだよ。
というメッセージを、訴えているのかなと思った。
今回、福山さんのこの詞をみて、やっぱり、それぞれの分野で追求している人の言葉は、深いなあと思った。
ルックスも、声も、考え方も、生きかたも、かっこよすぎる。
だから、多くの人に、愛されるのだろう。
今の状況は、全て自分の意識が、創り出している。
求めると、アンテナが立つ。
アンテナが、立つと、自分の求めたものに、出会うことが、出来る。
ただ、その時に、準備が、出来ていないと、せっかく、出会っても、関わる事が、出来ない。
準備とは、普段から、いつ出会っても、よいように、努力する事だと思う。
よいものに、出会った、でも、お金がない、時間がない、体力がない、理解力がない、根性がない、
昔から、夢のような事ばかり、思っていた。
ただ、思うだけで、行動をしていなかった。
努力をして、行動すると、そこに可能性が、広がった。
また、努力をすると、そこにまた、可能性が、広がった。
また、また、努力をすると、そこに、可能性が、広がった。
いい気に、なって天狗になると、だいぶ、落っこちてしまった。
また、努力をすると、復活した。
また、また、努力をすると、そこに、可能性が、広がった。
今、夢に近づいている。