所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 考える事。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 48の記事一覧
昔、成功法則とか、プチリタイアとか、流行っていた時期が、あった。
その頃は、それが、かっこいいと思っていた。
山登りのリーダーとは、その頃、山登りではなく、年に何回か、会って、カフェめぐりをして、長時間おしゃべりをする仲だった。
その時、リーダーから、「 松岡!人は、肩書きや、経済力じゃないぞ!それが、なくても、凄い人が、たくさんいるんだから!」と言われた。
と言われたが、その時は、それが、かっこいいと思っていて、頑張って、力を持つ事こそ大事で、あまりピンとこなかった。
昔、プチリタイアに憧れた私は、今、朝から晩まで、仕事をし、休みの日は、講習会と、山登りという生活をしている。
ただ、良かったことは、この仕事が、凄い好きなので、いい感じで、時間が、過ぎていく。
大事なものは、状況によって変わったり、本当に大事なものに気づいたりすると思う。
今の状況が、心地よいのも、居心地悪いのも、そういう状況が、あるのではなく、そう感じる自分がいるだけである。
であるばらば、すべて、本人次第である。
私のいる世界は、私次第。
あなたのいる世界は、あなた次第。
努力という言葉が、ある。
私が、好きな言葉である。
天才という言葉がある。
私が、憧れる言葉である。
昔から、夢のような事を考える事が、好きだった。
昔は、それを、努力なしで、そうなる事を、待っていた。
だが、いつまで待っても、そうなる事は、なかった。
今は、理想が、あると、それに向かって努力すると、なんとか、うまくいくように、なってきた。
努力というと、足りない所を補ってというイメージが、あり、そこに価値がある感じがする。
頑張る姿は、心を打つ!
目標が20という力で達成出来るという時、そこにマイナス5があり、それを、努力で、
修正して、無くすという考えが、一つある。
もう一つは、20に、マイナス5があり、そこにプラス5をという考えがある。
どちらも、目標に対しては、クリア出来ている。
欠点を修正するか、得意なところを伸ばすか?
得意、不得意というのも、どの場にいるかで変わる相対的なものである。
みんな、自分の中に、こうでなければ、ならないというものが、あり、それが、多い人程、
心が、自由になれない。
立場的に、強い人は、それを、強制したり、弱い人は、そこに、葛藤が、強くあると思う。
みんな自分の心の奥底にある、判断基準は、正しいのかという作業をすると、
もっと分りあえるのになあと思う。
ポジティブとネガティブ。
物事をとらえる時、ポジティブな考え方、ネガティブな考え方がある。
物事に取り組むに当たって、モチベーション、技量(行動する能力)、状況、状況を分析する力、のいろいろな要素がある。
この要素に、対して、ネガティブで、望むと、失敗する事は、簡単である。(そして、失敗体験を重ねる。)
また、昔の成功体験が、通用しないのは、この要素に対して、認識が甘いからだろうと思う。
よく、今までの経験で、物事を行い、それで、うまくいく事が、多い。
ただ、これは、全ての要素が、100%合って、うまくいったのではなく、うまくいく要素が、多かった為と思う。
例えば、整骨院に、痛みを持った患者さんが、来る。
問診して、どうして、この症状が、出たか聞く。
この時、患者さんは、この先生は、本当に大丈夫か、判断する。(よく、質問して試そうとする人もいる。 こんなに太っていて、大丈夫か?(笑い)。
これで、治療を受ける事になるのだが、患者さんの要素に、男、女、年齢、症状、原因、考え方、等があり、
また、患者さんを取り巻く状況に、仕事、家庭、人間関係、経済状況、の要素がある。
まだ、私自身、症状をとるという思いで治療している。
症状が、なくなる事で、患者さんが、気持ちに余裕が出来て、周りに対して優しくなり、
周りの人も、患者さんに対して優しくなるんだろうなという所までは、考えている。
患者さん本人にとっては、世界が、変わったと思うだろう。
生きていくなかで、人は、いろいろな影響を受け、常に、同じ状態を保つという事は、難しいと思う。
治療家として、どうしても、症状は、悪と思ってしまっているが、患者さんにとってこの症状が、
何かを気づかせるサインとして出ている事を説明する事できると、もっと大きな意味を持つのでは、ないかと思う。
まだ、今の段階では、出来ていないが、物事をポジティブとして、とらえるだけでなく、ネガティブなとらえかたも、出来、
陰と陽の両方を合わせ持つ方が、より深い感じがする。
光と闇、光しかなければ、光の意味が分らない。
闇しかなければ、闇の意味が分らない。
ネガティブを、ポジティブでとらえると、リスクの可能性が、低い安全な方法と考えられる。
また、ポジティブをネガティブでとらえると、リスクの可能性が、高い、危険な方法と考えられる。
どちらか、一方の立場に立つと、相容れないし、どちらの立場でも、その人の分る範囲でしか、理解できない。
そこで、ポジティブな見方で、いろんな可能性を、考え、
ネガティブな考えで、リスクを減らすのは、どうだろうか?
よく、いろんな人と話をしてみて、ひとつの物事でも、それについて、深く考えている人も、いるし、そうでも、ない人もいて、
いろいろだなと思うことがある。
時間の流れは、過去、現在、未来と思っている人が、多い。
だから、現在は、過去が、あってこそ、存在していて、未来は、現在どうするかで決まる。
と思っている。
また、別の人は、未来、現在、過去と時間が、流れていて、未来から流れてくるものを、
どれを選択するかで、現在が決まり、それが、少し経つと過去になると考える。
最初の方の考え方で、現在は、過去の積み重ねで、出来上がっていると考え、
例えば、現在が、不幸だと、未来は、現在の積み重ねなので、これからも、不幸と思ってしまう。
後の方の考えだと、あくまで、選択なので、
自分にとって、幸せか、不幸を選択すれば、よいだけである。
今まで、不幸でも、幸せの方を、選択すれば、人生は、一変する。
実際は、不幸な考え方の積み重ねをしているので、不幸を選択してしまってる。
だから、今の状況が、不幸だとしても、幸せな考え方の積み重ねをすれば、
状況も、幸せになると思う。
本来は、幸せも、不幸も、そういう状況があるわけではなく、本人が、そう思うだけであるが、
この時代の日本の人の一般的な人の考える幸せ、不幸の状況自体も、本人次第だと思う。
私は、もしかすると、過去、現在、未来は、それぞれ、存在していて、
その時代で、頑張れば、互いに影響しあっているのでは、ないかと想像している。
こう考えると、どの時代でも、それが、他に影響及ぼすので、その時代、その瞬間を
大事に生きるのが、大切ではないかと思う。
明日から、苗場山の山登りに行く!
楽しんでこようと思う。
最近、整骨院で、後片付けを、している時、福山雅治の「家族になろうよ」という曲を、かけている。
どれほど深く信じ合っていても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから
という歌詞が、あり、なかなか、深いなあと思っている。
同じ屋根の下に、二人の人間が、暮らしている。
それぞれ違った環境で、育ち、違った価値観を持っている。
そんな二人なら、お互い、なんでこの気持ちが、わからないの?(孤独)
という事が出てくると思う。
それは、違った価値観を、持つ二人だから、しょうがない。
ただ、その時、相手を愛していれば、理解しようと努めるだろう。
二人が、同じ立ち位置にいて、あなたと私の中で、問題を解決しようとする場合、
お互いが主張するタイプの場合は、妥協ということになるかもしれない。(損得で計算するから)
お互いが思いやりを持つタイプの場合は、自分の事より、相手が大事なので、
相手が、喜ぶ事が、自分の喜びなので、うまくいくと思う。
主張するタイプと、思いやりのタイプの組み合わせだと、主張するタイプが、我儘し放題でも、
思いやりのタイプが、相手の為に尽くしてくれるので、うまく、いくだろう。
主張するタイプが、いつか、その思いやりに気づくと、自分の態度を省みて、優しくなるだろう。
もうひとつは、あなたと私と、 個と個と考えないで、
家族という共同体を、一心同体という気持ちを持って考える事が、出来るとバランスが、とれると思う。
問題は、同じレベルと解決しようとすると、無理が、きやすいと思うが、ひとつ視点を上げると解決すると思う。
福山さんは、違った価値観を持ったが二人が出会い、日々の生活の中でお互い傷つけたりあってりするけど、
段々と家族になっていくんだよ。
というメッセージを、訴えているのかなと思った。
今回、福山さんのこの詞をみて、やっぱり、それぞれの分野で追求している人の言葉は、深いなあと思った。
ルックスも、声も、考え方も、生きかたも、かっこよすぎる。
だから、多くの人に、愛されるのだろう。
今の状況は、全て自分の意識が、創り出している。
求めると、アンテナが立つ。
アンテナが、立つと、自分の求めたものに、出会うことが、出来る。
ただ、その時に、準備が、出来ていないと、せっかく、出会っても、関わる事が、出来ない。
準備とは、普段から、いつ出会っても、よいように、努力する事だと思う。
よいものに、出会った、でも、お金がない、時間がない、体力がない、理解力がない、根性がない、
昔から、夢のような事ばかり、思っていた。
ただ、思うだけで、行動をしていなかった。
努力をして、行動すると、そこに可能性が、広がった。
また、努力をすると、そこにまた、可能性が、広がった。
また、また、努力をすると、そこに、可能性が、広がった。
いい気に、なって天狗になると、だいぶ、落っこちてしまった。
また、努力をすると、復活した。
また、また、努力をすると、そこに、可能性が、広がった。
今、夢に近づいている。
理想は、人それぞれ違うと思う。
ある人にとっては、家族と、過ごす時間だったり、お金を稼ぐ事だったり、偉くなる事だったり、遊びまくる事だったり、旅だったり、
とにかく、おしゃべりだったり、自分をみつめたり、いろいろ、あると思う。
その為には、まず、自分にとって、何が、一番大切か、考えてみるのが、大事では、ないだろか?
家族を幸せにする為に、お金を稼ぎ、もっと、たくさん稼いだ方が、家族が、幸せになると、思い、頑張って、仕事!仕事!
収入は、増えたが、心が、離れたでは、本末転倒だと思う。
家族でも、亭主関白、かかあ天下、みんな尊重しあう、いろいろあると、思う。
例えば、お父さん(ご主人)が、家族の為に、いつも、仕事が、忙しいとします。
この時、お母さん(奥さん)が、うちのお父さん(ご主人)は、家族の為に、お仕事頑張っていると思っているか、
仕事ばっかりして、家族の事を、ほっといてと思うか、
また、お母さん(奥さん)が、普段、家事をしている事に対して、
お父さん(ご主人)が、お母さん(奥さん)が、頑張って家事をして、家を守っていてくれているから、僕は、頑張れると感謝しているのと、
私は、一生懸命仕事しているのに、家で、ごろごろしていると思っているのか、
相手に対して、損得で、考えるのか、思いやりで考えるのか、
また、自分の相手が、どういう考えの人によるかで、同じ行動でも、相手の受け取り方が、違うと思います。
相手の頭の中は、普通、読めないので、とにかく、コミュニケーションを、とる事が、大事だと思います。
お互い相手に求める理想の姿が、あると、思いますが、それが、お互いの理想通りなら、素晴らしいと思います。
そうでない場合が、多いから、いろんな葛藤が、生まれると思います。
その葛藤が、その本人に気づきを与えるきっかけになると思います。
なぜ、私が、苦しまなければいけないのかと思い相手のせいにしていると、本人の成長は、ないと思います。
いつも、同じ問題で、自分自身を苦しめる事に、なるでしょう。
今、理想の家族が、あるとします。
それでも、お互いの成長の度合いは、違うと思います。
そこで、また、葛藤が、生まれ、気づきが生まれると思います。
日々の暮らしの中で、葛藤が有り、気づき、成長していくのかなと思っています。
価値、たまに、考えたりする。
世の中には、多くの価値観が、あると、思う。
この人達に、どういうサービス、どういう人が、合うのか?
それが、サービス(商品)であるなら、例えば、ボールペンで、考えると、値段、性能(書き心地)、デザイン、色、触感、重量感、
みんなが、持っているから等、
ひとつの商品に、多くの価値を、持たせれば、地域性とか、そんなに、考えなくてもよいと思う。
これが、人であるなら、例えば、男性で、考えると、かっこいい、男らしい、強い、かわいい、頭が良い、優しい、真面目等、
いろんな価値を持つ人ほど、魅力的な人になると思う。
私は、元々、小さい頃の夢は、警察官になりたいぐらいだったので、正義が、好きで、悪が、嫌いだった。
それが、頭が、良い人、悪い人、お金が、ある人、ない人、優しい人、意地の悪い人等、いろんな人を見るうちに、
世の中には、いろんな人がいて、その人自身が、みんな自分が、正しいと思っている、様々な価値観を、持っているな、
ただ、それを、自分が、正しいと思い押し付けるのは、いけないなと思った。
と言いながら、押し付ける相手に、感情が、動くのが、まだまだですが、これが、うまく出来ると人間的に成長するのですが。
何が、正義なのか、悪なのか、と考えた時、法律、倫理、時代、国、人、で、違うと思います。
昔、ガソリンスタンドで、深夜、働いていた時、外車に乗っている人は、殆ど横柄な人でした。(深夜というのも、あるかもしれません。)
この時、外車に乗っている人は、ダメだと、偏見を持ってましたが、そのうち考えが、変わりました。
外車に乗っているという事は、お金を稼いでいると、(ぼんぼんもいると思いますが。)
お金を稼いでいるという事は、その人の所で働いている人や、お客さんには、貢献している。
その対価として、お金を貰っている。
私の見る、嫌な奴というのは、私の思う、その人の一面に、すぎない。
(今、外車に乗っている人で、接する人は、みんな良い感じの人です。)
今まで、私自身、100パーセント、正義の人、100パーセント、悪の人、見た事は、ありません。
みんなそれぞれ、正義と悪の要素を持っていて、その割合が違うに過ぎない。
また、それも、見る人に、よっても違うし、何を基準にするかで変わると思います。
私自身の人生の目的は、人間性を高めるという事なので、いろんな価値観を持つ人が、納得する人になる事だと思います。
理想は、高く、現実は、様々な葛藤を乗り越えて、一歩、一歩、前のめりでいきたいです!(口ばっかしにならないように、しないと。)