所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 考える事。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 46の記事一覧
ここ最近出来るように,なった事は、ちょっとした事を、面倒くさがらずやれるようになった。
最近、心がけている、直感で動くというのを、更に進めて、ぱあっと浮かんだちょつとした事を、メモしてその日のうちにやりきるようにしている。
今までは、どうしても、絶対したいという事は、全てやってきたけれど、普段のちょつとした事は、まだ、、いいかとか、後でとか、時間がたってから
やっていたりした。
そのちょつとした事は、私の中では、労力としては、十段階の二位なのだけれど、つい,面倒くさいなと思ってしまっていた。
昔、ある若い先生が、患者さんにマッサージするのをしたくて、掃除や、準備の事が疎かになっていた時、
彼は、仕事に優劣をつけていたので、彼に仕事に大きいとか、小さいとかは,無いんですよと言い、ひとつ、ひとつ大事にしなければダメですよ。
と言っていたりした。
ちょっとした事と思っいる事も、そこに、心を込めると、没頭出来る。
今、その瞬間に生きている。
そうすると、どんな苦しい状況があろうが、その瞬間は、悩む事が無くなる。
面倒くさいと思ってやらなかったのは、私の中に、物事に対しての優劣の判断があるのが、分かった。
本来は、今、この一瞬、一瞬、一瞬を、常に心を込めて行うようにするか、愛そのものの状態として在るが出来れば人生は、楽しいと思う。
掃除をするのを、見ていて、綺麗でなければ、ダメという思いでやっている人と、綺麗が好きだからやっている人がいる。
綺麗でなければ、ダメという人は、そういう考えを持っている(観念)、だから、綺麗にしない人は、許せないという感情を持つ。(その空間は、緊張している。)
同じそういう観念を持つもの同士は、話が合う。
綺麗が好きという人は、綺麗という状態を愛しているので心に余裕がある。(その空間は、ゆったりしている。)
今というこの一瞬を、過去に囚われで過ごすか、未来を心配して過ごすか、心を込めて過ごすかで、人生の豊かさが変わってくると思う。
どんな生き方も、本人納得の生き方ができれば、いいんじゃないかと思う。
もし、今の生活が違うと思うのであれば、本人の出来るちょっとした事から始めてみれば、少しづつ変わっていくと思う。
昔、福島の川島先生のブログで、トイレ掃除の話が書いてあった。
トイレの中を、ゴシゴシ擦っていると、その場所が綺麗になって、他の場所が汚れているのが、目立ってくる。
という話が書いてあった。
どんな事でも、ちょっとの事と思う事でも、なんでもいいから一生懸命やっていると、何かに気づくようになる。
気づくという事が、本人を、縛っていた考え(観念)から、解放し、より、自由にしてくれると思う。
せっかくの人生だから、この日本という平和なのんびりした国で、思いっきり、前のめりに、楽しく、生きていきたいと思います!
昔、父親が、母方の曽祖父と話をした時に「生き金、死に金」という話をされて、お金の使い方が、大事という事を聞いた。
その時の理解は、無駄遣いをしなければ、いいんだろうぐらいだった。
昨日、ヒッキーさん、と話をしていて、お金は、感謝の気持ちという話になった。
お金に関しては、いろんな考えがあると思うが、私は、患者さんが、ありがとうございますと喜んでくれて、頂く、感謝の対価という感じを持っている。
話の中で、感謝の出来ない事には、お金は、使わないという事が出た。
いざ、振り返ってみると、漠然と使っていたり、無駄に使っていたりしている。
お金も、私自身が、感謝出来るような使い方をしていると、それが、時間を大事に、私を大事に、繋がると思う。
最近、ドラマの半沢直樹をレンタルで借りて観ていて、土曜日に観終わった。
ドラマの中で、「やられたらやりかえす、倍返しだ!」という決め台詞がある。
昔、病院に努めていた時に、怒髪天にきて、病院の壁に穴を開けた事があった。
その頃の私は、違うなと思っても、意見が言えず、ストレスで、お腹に激痛がきたり、足が攣れて曲がったり,痺れたりしていた。
この時は、ある先生に教わった事を、患者さんに話していたら、その先生に、それは、違うだろうと言われ、流石に、怒りが出てきた。
患者さんの施術を終わって、どんどん怒りが増し、こいつを殴ってやろうかと思ったが、多分壊れると思い、
壁に拳を当てたまま、力を入れると、バーンと病院に音が鳴り響いて、壁に穴が空いた。
私は、その当時でも、仏の顔を100回ぐらいは、出来たが、その時は、流石に、その後、その先生に、それは、おかしいですよねと言った。
世の中には、いろいろ理不尽な事があり、組織に所属していると、立場上、言いたくても言えない事がある。
それを、この半沢直樹という主人公は、立場に関係なく、自分自身の正義に従って、行動する事が、みんなの共感をを得て支持されているのだろう。
ところで、世界中の人が71憶人いて、悪いと思う事を、黒、良いと思う事を、白とする。
例えば、昼の12時に待ち合わせで、12時より、早くが白、12時を超えると黒、(時間の待ち合わせに遅れてはいけないという考え)
12時より早くが、黒、遅くは,白、(早く、行き過ぎると、準備の邪魔になって急がせてしまうから、ダメという考え)
(どっちのタイプもいるので、場合によっては、出来るだけ、ぴったり合わせたりしている。)
前者の場合でも、緊急事態では、遅れても、白になり、後者の場合でも、緊急事態では、早くても、白になる。
だから、ひとつの出来事において、世界中で、白になったり、黒になったりする。
という事は、日本にいて、日本の常識に合っていて、暮らし易い人と、合ってなくて、暮らしにくい人がいると思う。
前者は、ストレスが少なく、後者は多い。
みんなが気づかずにストレスを持ってしまうのは、世の中の常識と、本人の考えが違う場合だと思う。
それが、家族だったり、学校だったり、会社だったり、国だったり、社会だったりすると思う。
そこを、ひとつ、ひとつ、向き合って納得していくと、ストレスがなくなってくる。
そうやっていくと、そもそも、物事に、ただ、勝手に意味付しているだけだと分かってくる。
その物事の意味付の仕方が、人によって違うのである。
嫌いな人でも、怖い人でも、何度でも、話をしていると、あっそうかという見方とかなったりする。
メンタルの強い人は、互いの意見を戦わせて、精神的な殴り合いをして、お互い納得するまで、話し合うというのも、いいと思う。
(お前も、やるな!お前こそな!という感じ。最後に握手。)
2年ぐらい前は、攻撃的な相手に対しては、ガンガンぶっかったりしていたと思う。
今は、とにかく、私の考えは、棚に上げて、出来るだけ、その人が話易いように、馬鹿丁寧に接するようにしている。
治療家の人は、分かると思うが、手の平に緊張があると、相手に緊張を与えてしまう。
指の当て方に気をつけても、肩に力が入っていると、それが伝わってしまう。
そんな感じで、身体全体の力が抜けてその上で、治療が出来るといいと思うが、なかなか難しい。(わざと、緊張させたり、反発力を利用する治療もある。)
更に、その人に対して、心に何も持っていない方がその人を、感じやすい。(先入観がない方がいい)
そうして、そんな感じで接すると、本人が、社交的な会話から、自我の会話になり、更に、奥底に持っている気持ちが出たりすろ。
だから、繊細な人程、優しく、優しく、接しないと、その人の心の奥底の部分が出てこなくなってしまう。(怖がってしまう。)
今までは、ここを意識していたけれども、段々とどの人に対しても、同じように接するようになってきている。
ライオンが好きでも、虎が好きでも、犬が好きでも、猫が好きでも、金魚が好きでも、あじさいが好きでも、ひまわりが好きでも、
それぞれ好みでいいと思う。
それが動物が好きでも、魚が好きでも、植物が好きでも、
もちろん人が好きでも、
生物が好きでも、
地球が好きでも、
宇宙が好きでも、
何でもいいと思う。
ここで、宇宙のような広い心を持たないとダメと思い、本人は、ライオンしか好きでない時に、
外側と内側のバランスが崩れている為、葛藤が起こる。
こんな時は、虎を考えてみたりする方法でもいいし、ライオンを深く考える事で何か分かるかもしれないので、
何でも、やってみると、現状が変わるかもしれない。
本人にとってやり易い方法でいいと思う。
私の場合は、昔から、やっている方法は、興味ある事に対しては、とにかく、行動する。(やらないと、後悔するので。)
興味ある事に関しては、アンテナが立っているので、それを、見つけたり、また、それをしていると、情報が集まったりする。
今を生きる為に出来る事は、今しかないので、本当は、何がしたいのか?表面的な欲求をどんどんやりつくしてもいいし、外しても、いいと思う。
すると、本当にしたい事が、何か見えると思う。
週末にテレビで、福永騎手と渡辺棋士がお互いの仕事に関して語っていた。
渡辺棋士は、将棋の棋譜の研究に15時間かけたりして、準備を徹底的にやるようにしている。
福永騎手は、「努力している人は、努力していない人には、勝てるが、楽しんでいる人には、勝てない!」と話されていた。
30歳位の時、限界を感じて辞めようと思ったとも、話していた。
それが、限界は自分が、つくって気づいて今は、動作解析とかを取り入れている。
本人の持っていない知識を取り入れることにより、今までの限界を突破している。
腱引きの師匠に、先生は、どのような勉強をされているのですか?と聞いた事がある。
解剖学の本を見て、3Dにイメージ化し、今日の治療の手順をもう一度振り返り、手数を少なくするには、どうすればいいか考える。
この話を聞いた時、流石、師匠だと思った。
それは、苦でなく、楽しいらしい。
腱引きの最高顧問の先生は、ずっと武術をされてきた方で、夢の中まで闘っていると奥さんが、話されていた。
この話を聞いた時も、凄いと思った。
努力と聞くと、一般的に苦労してとか、きついとか、頑張らなきゃというイメージがあるかもしれない。
私の苦手のものとか、私から見てなかなか出来ないものが出きる人を見ると、努力して凄いと感じるのだと思う。
これが、みんな好きな事だと何時間でも出来ると思う。(好きにもいろんなレベルがある。)
たまたま好きな事が仕事だと頑張りやすい。
ただ、実際仕事の場合、要求されるレベルは、職場によって様々だ。
その人なりに、全力でやっていて、その2倍要求されるのは、きつい。
(私の場合、5倍要求され、あるのは、怒りと〇意。その時は、気配まで分かるようになった。心の平和が一番です。)
仕事は、その職種、その職場のやり方があると思うが、それが、本人と合っていればよいが、違うときつい。
Aのやり方では、うまく出来ないが、Bのやり方でうまく、いくなら、Bでやればいいと思う。(本人に合った方法を見つける。)
ただ、どうしても、Aのやり方でやらなきゃいけない時は、一つ、一つ、意味を、素直に聞いて行う。
昔、ホットパックを、肩と腰に置くという事が、出来ない先生がいた。(17回目で、やっと出来た。)
小学生でも、出きるのに、なぜ、この大卒の先生が、出来ないか、悩んだ。
普通、普通の人は、右手は、右手と認識するのに、この先生の認識が、左手とか、違う事になっているのか、いろいろ考えた。
結局、分かったのは、話をしている時に、自分の考えの方に意識がいってしまい、言われた事を聞いていなかっただけであった。
ポイントは、素直に、人の話を聞けば、いいだけの話だった。
言われた通りに、頑張っていると、少しづつ出来るようになる。(出来ない場合は、教え方が悪い場合もある。)
苦しいかもしれないが、少しづつ出来ようになると、少し自信がつく、そうすると、心に少し余裕が出て周りが、少し見えるようになる。
そうやって、段々と努力を重ねていくと、結果が出て、どんどん自信がつく、心に余裕が出てくると、楽しむ事が出来るようになる。
(自信がつき過ぎると、天狗になるので、注意!上には、上がいる。)
世の中には、やり方は、たくさんあると思う。
昔、行った、経営セミナーの経営コンサルタントの人の考え方、異業種のやり方を取り入れる。(ただ、他の業界のやり方を持ち込んだだけ。)
その業界、業界で、漠然と行われている仕事の仕方があるからだ。(思考が停止してるとも、いえる。)
腱引きの師匠が、諦めずにやり続けていれば、いつか出来るように、なると話されていた。
この言葉に、不器用な私は、多いに救われてた。
日曜日に、千葉市にある、千葉県障害者スポーツ・レクリエーションセンターに行った。
ホームヘルパーをしている母親から、ボランティアのマッサージをしてくれないかと頼まれての事だった。
母親の思いっきり一生懸命やっている姿が、見られてよかった。
仕事も、ただやっている、なんとなくやっている、言われた事をやっている、やっている振りをしている、考えながらやっている、
本気でやっている。
いろいろあると、思う。
仕事に対する、モチベーションも、いろいろある。
人と接する仕事の場合、相手は、直接、人である。
本人は、自分なりの仕事観を持って、仕事を行うけれど、その影響を受けるのは、相手である。
私の場合、相手の人が、技術的に、拙くても、一生懸命さが、伝われば、身体的には、拒否反応でも、気持ち的には、悪い気がしない。
ある武術の方に、質問した。
「先生、緊張感を持って、相手に触ると、相手に、緊張感伝わっちゃいますよね?」
「そう、だから、触る前から、気をつける。」
武術の達人になると、氣というものが、分かるようになってくる。
だから、相手もそういうタイプだと、触る前から、氣が相手に届くので、その時点から、気をつける。
氣の感覚の分からない人は、例えば、自分の中で1という力が、人によって、100グラム、10グラム、1グラム、
といろいろ、あると考えるといいと思う。
そこで、考えが浮かんだ。
「といことは、人によって、感じ方が違うし、触る事だけでなく、話し方とか、物の扱いとか、全てに、対し、気をつけなければ、いけませんね。」
「そう、そう、しないと嘘になる。」
その言葉を聞いて、まだまだ私などは、物に対して、ぞんざいに扱ったりしている事も、あるので、ダメだなと思った。
ただ、今、実戦している、人に対して、とにかく、馬鹿丁寧に接するを行うと、みんな良い感じになっているし、私自身ストレスがない。
今回、ボランティアのマッサージを行っていた、3人の先生は、みんな目の見えない方だった。
みんな明るい先生で、楽しそうに、話をしていた。
マッサージを受けた方が、みんな喜んで帰って行った。
元気を、もらっているようだった。
相手に対して、取り組む姿勢の真剣さが、凄いんだろうなと、思った。
真剣に、相手と向き合っていますか?
昨日、知り合いの先生と話をした。
その時出た話が、正当性を主張しない。
争わない。
そうすると、融合が起きる。
昔、整骨院のグループに勤めている時、友人が、スタッフとして、入ってきた。
彼とは、性格的には、正反対だと思うが、非常に馬が合った。
昔から、困った時には、助けてもらっていた。
友人として、非常に信用していた。
スタッフで、安心して任せられる先生が、辞める事に、なったので、これは、大変だなと思っていた。
そんな時、友人が、入ってくれる事になったので、これで、大丈夫だと思った。
いざ、仕事をしてみると、マイペースで、指示に対して、100パーセントで答えてくれない。
これが、友人の時は、個性かなで許せるのだけれど、仕事となると、精一杯やってもらわないと困る。
私の中の精一杯は、その人の個々の能力は、差があるので、その人なりの精一杯があれば、いいと思っている。
精一杯やると人は、成長すると思っている。
後で聞くと、この時の彼は、昔ののんびりしていた私を見ていたので、もっと楽かなと思ったのに、ハードなので、
話が違うと思ったらしい。(困っているから、力になったのに、話違うじゃん!)
私は、私で、院長の言葉は、絶対と思っているところに、それを、100パーセント徹底出来ないところが、
手を抜いている気がして、非常に心の中で、葛藤が、あった。
同じ信頼している友人でも、仕事となると、違うんだなと思った。
これが、院のルール(正当性)と思ってやっていた気がする。
正当性を主張する事は、自分の人生の積み重ねを主張する事だと思う。
そして、私の気持ちを分かってもらいたい。
出来れば、同意してもらいたい。
だから、否定されると、自分の人生を否定された気持ちになって、衝突が起こる。(お互い譲れない!)
例えば、ご飯とパンが、ある。
この時、Aさんは、ご飯とパンの両方が好き。
Bさんは、ご飯とパンの両方が、嫌い。
Cさんは、ご飯は、好き、パンは嫌い。
Dさんは、ご飯は、嫌い、パンは嫌い。
この時、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんを否定する人は、いないと思う。(小さい頃は、好き嫌いなく、食べようと言われるけど。)
これは、嗜好(好み)なので、みんな分かり合え易いのでは、ないだろうか?
とすると、正当性も、同じように、みんなそれぞれ、生き方が違うので、
いろんな好みがあると、受け入れる事が出来れば、衝突がなくなるのでは、ないだろうか。
私は、あなたと感覚(好み)は、違うけれど、あなたの事は好きだよが、伝われば、世の中平和になるかなと思います。
今、出来る事は、お互い見えなかった世界を、繋げて、そこに、気づいたら、好きになるなとか、
そこまで、気づかなかったので、嫌いにならなかったとか、少しづつ、お互いの世界を広げていけると、いいなと思います。
出きる範囲で少しづつ、少しづつ。
昨日は、知り合いの先生と、どちらの慈愛が、大きいか、慈愛勝負をして、遊んでいました。(最後は、なぜか、回っていました。)
住職から、五感を大切にという事を学んだ。
見る!
住職は、銀色の龍の置物、金色の建物の置物、白蛇の置物を指で指して、
これ見て、これ見て、これ見てと仰る。
ただ見る!
この時、龍を思い浮かべながら、建物を見たりはしないし、建物を思いながら、白蛇を見たりしない。
これは、その通り、分かる。
次に、住職は、赤ちゃんが、生まれて、直ぐに、生まれたのが、分かったわけでないと、仰る。
確かに、赤ちゃんは、生まれて、直ぐに、状況を理解したのでなく、周りの人の助けを借りて、
ひとつ、ひとつ、これは、何と認識していったのだろう。
見るという行為、ひとつに、その人の今までの人生が含まれている。(その人の人生経験を元にした見方になる。)
だから、同じ物を見ても、二人の人が、いたら、それぞれ、受け取りかたが違う。
これが、人と人のなかなか分かりあえない原因のひとつだろう。
ある物を見る時、そこには、自分の思いを、もって、見ているみている。
ある物、その物でなく、自分なりに、見ている。
ある物を、歪んで見ているとも、いえるし、そのある物に意味付けしている(創造)とも、いえる。
ただ、見る!
あるがままに、見る!
これが、出きるようになると、森羅万象とひとつになるそうです。
せっかくの人生、自分の思うまま、生きたいですね。
ゴールデンウィークを、家族で、山登りに行ったり、友達とスーパー銭湯に、行ったりして、のんびり過ごした。
今週、仕事をしながら、考えた事は、
私の今までの思考の整理だった。
①今まで、治療の仕事をしていて、保険を中心で、行っていた時、
手強い症状だと、普通に、揉んだり、解したり、動かしたりしても、症状が改善しない事があった。
かといって、その保険の範囲内で、その人だけ、特別に何倍もやると、システムが、壊れる。
(みんなが、10分なのに、その人だけ、60分。明らかに不公平感が、漂う。)
症状を分割して、少しづつ取るという考え方と、手技があればよかったのだが。
そんな時は、休みの日に、来てもらって、長いと、3時間ぐらい、期間で半年ぐらいやったりした。
(同じ手技で、同じ場所をやる場合は、1時間以上やっても、それ以降の改善度は、高くなかった。)
この時の私の気持ちは、とにかく今持てる力、全てで、患者さんをなんとかしてあげようと思っていた。(自己満足の世界だが。)
②次に、この状況を第三者の立場で見た時、
私は、患者さんにとっては、症状が、軽くなるのは、嬉しい事だろうが、この先生は、休みを返上して、凄く頑張っているなと思い、
ここに、不公平感を感じた。先生が上でも、患者さんが上でもなく、平等な関係がいいと思った。
そこからは、私自身の納得のある上での、患者さんとの関わりとなった。
力のある人が、難なく出来る事が、力のない人は、無理しなければいけない。(その差は、努力の差だと思う。)
③更に、考えたのは、
一般的に、自分と相手が、いた時に、自分中心の人は、身勝手と言われ、悪く思われる。
逆に、自分と相手が、いた時に、自分の身を棄てて、相手の為に頑張ると素晴らしいと思われる。
でも、どちらも、バランスを欠いている気がする。
④更に、更に、考えたのは、
第三者として、見た時にも、2つあって、
その見方が、自分と相手と同じ目線で、考えると、そこに、損得が、発生する。(自分が得した、損した、相手が得した、損した。)
もう1つの見方は、全体として、見る。(全体が、うまくいくには、どうすれば、いいか?を考える)
困っているから、助ける。
今、相手が、困っているから、助ける。(自分の出来る範囲で、そうしないと自分が困ってしまう。出来ない事は、他の人に助けてもらおう。)
今、自分が困っているから、助けてもらう。(相手の出来る範囲で、そうしないと相手が困ってしまう。出来ない事は、他の人に助けてもらおう。)
自分の責任を果たし、それでも、ダメな時は、周りが助けてくれるそんな社会がいいなと思います。
⑤自分自身の課題。
患者さんに対する一生懸命な気持ちと同じぐらい自分を大事にする。
今は、自分を棄ててもという気持ちは、患者さんの為といういう思いが強いが、
一方、自分に対しては、粗末に扱っている。
もっと、自分を患者さんと同じくらい大切に思えるといいのだが、そこが、課題。
世の中には、様々な治療や、考え方が、ある。
日曜日に、伝統療法カンファレンスというのが、あった。
いろんな治療の先生方が、集まった。
独自に、治療法を確立した先生程、自分の治療に、自信を持っていて、自分が一番という意識があるような気がする。
だから、今回、様々な治療法の先生方が、集まった事は、凄い事だと思う。
講演が、あったり、体験会があったりした。
最後の方で、会場で、痛い所がある人に、手を挙げてもらい、その場で、そこのいる先生方が治療する。
そこに来ている患者さん達は、いろんな有名な先生の治療を受けたりしているので、なかなか難しい症状だったりする。
その患者さん達が、5分ぐらいで良くなってしまう。
ある先生が、治療する時に、治療家の人で、触りたい人と言われ、最初の先生が、骨盤を触り、左側が、上がっている言った。
私の過去の患者さんの中で、左側が上がっていた人は、7人しかいなかったので、少し触って自信を持って右側と言った。
すると、先生が、押さえる場所は、ここと言って、触ったら、左側が、上がっていた。
先生が、治療するには、まず見立てが、大事ですからと、ガツンと指摘された。(常々、師匠に言われている事である。)
とりあえず、大きな身体で、小さくなっていた。(顔から、汗が出ていた。これが、本当に顔から、火がでるというものだと、実感した。)
天狗になり易い自分にとっては、いい薬だった。(ありがとうございました。)
いろいろ勉強して、その知識、経験が積み重ねられて、自分の軸が出来、それを基準に、考える。(という考えかたがある。)
もうひとつ、患者さんが、症状を持って来院された時、その症状は、同じでも、原因の深さ、生活環境を踏まえ、
求めるレベル(とりあえず動ければいい、違和感まで無い状態等)という患者さん軸という考え方。
昔から、よく考えたのは、世の中、全ての人の価値観を球体として立体で、考えた時、それをそれぞれの方向から、
平面で捉えようとしているところに、いろんな悩みが、起きている気がする。
全ての価値観を丸ごと、受け入れる方法があれば、あれば、いいけれど。(そんな先生が、何人かいます。)
凡人の私が、現時点で、取れる方法は、世の中の価値観を1万パーツくらいに小分けし、患者さんや、世の中で、出会った人を通し、
私だったら、そんな事しないけどと思う価値観をひとつ、ひとつ受け入れていき、自分の器を大きくしていき、
患者さん、出会う人に、喜んでもらいながら、1万パーツのパズルを組み立ていき、そこで、見える世界を活用したいなと思っています。
ただ、あまりに立派に、なってしまうと、近寄り難くなってしまうので、ずっこけ、笑い、ダメな部分のマントをして、
3年寝太郎な感じでいくのも面白いかなと思う。
とうとう、2013年の仕事が、始まった。
今年は、去年以上に、いろんなものに出会って、いろんな刺激を受けたい。
去年、深夜に、シュガーレスというドラマをやっていて、面白かった。
その主題歌が、ジェネレーションズのBRAVE IT Out という曲でいいなと思った。
そのPVをテレビで、観たら、またそのダンスが、かっこよかった。(かっこいい人が、やっているから、かっこいいのかもしれない。)
という訳で、今年の目標は、ダンスがしたい。(ジェネレーションズのファンの方、このダンスの習える所の情報下さい。お願いします!)
その為の身体作りをしなければならない。(この熱いエネルギーをダンスで、表現したい!)
仕事の方は、出来るだけ私の思う理想のスタイルの確立に向け頑張っていきたいと思う。
自分の持っているエネルギーを、何の制限もなく、自分の思う通り行動出来たら、凄く気分がいいと思う。
それに向け、今年も、頑張っていこう!