| 所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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| 電話番号 | 047-300-3820 |
| FAX | 047-300-3821 |
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| 院長 | 松岡 良一 |


Blog記事一覧 > 考える事。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 46の記事一覧
今年も、とうとう師走になってしまった。
この師走は、私にとってのイベントが、たくさんある。
あっと言う間の一ヶ月になると思う。
今年も、残り一ヶ月、楽しんでいこうと思う。
父親から、竹を渡された、竹など、何処でもあるので、何の意味があるかと思ったが、竹では、無いらしい。
これを、患者さんに、見せてあげてくれという事なので、それを、受付のみなっしーに伝えた。
そこは、流石、スーパー受付のみなっしーなので、意図を理解してくれて、上手に展示してくれた。
正解者は、2名だけだった。1人は、鹿児島県出身。(今の所正解者は、2名)
最後に、遠藤先生、お菓子ありがとうございます!
お互い、全力で、頑張っていきましょう!
保江先生の「唯心論武道の誕生」という本を読んだ。
この本を読んで思った事は、我をなくすという事だ。
男性だと強さに憧れる人は、多いと思う。
どっちが、が強いか?誰が、強いか?一番強いのは、誰か?とか。
沖縄空手の銘苅先生が、寸止めの意味は、当てたら、死ぬからと教えてくれた。
もう少しいくと、戦わずにどちらが強いかが分かると教えてくれた。
更に、いくと、赤ちゃんのように、誰も、戦おうと思わない、敵のいない状態。正に、無敵。と教えてくれた。
みんな、我があると、つい、力試しをしたくなるかもしれない。
知らないと、そんな事、嘘でしょうと思ってしまうかもしれない。
最後の方に、炭粉先生の合気私考というのが、書いてあった。
その中に、「自我による思考さえ納めれば、人の魂とそれにより導かれる心は《善》なり」とあった。
我がない状態だと、相手の我とぶつからないので、感覚としては、空間が私なので、私が動けば、相手が動くかもしれない。
最近、仕事で、患者さんと接する場合において、我のない状態で接する事が出来るようになってきた。
ただ、もし、相手がパンチをうってきて、我のない状態でいれるかは、自身がない。(やりやがったな。そんな事しちゃあ、ダメダメ!)
たぶん、そういう状況は、その空間をお互いが、認識してつくりあげてしまうのだと思う。
攻撃した、攻撃されたという共通認識を持った場をつくりあげてしまうのだと思う。
だから、Aさんが、攻撃するという意識で、Bさんが我のない状態で、空間を支配していたとしたら、
AさんとBさんは、ぶつからず、(意識が違うので。)Bさんが動くとAさんは、その影響を受ける。(Bさんが、空間を支配しているから。)
それを、見た他の人は、Bさん凄いと思ってしまうのかもしれない。
今、私の中で分かるのは、没頭して、我のない状態だと、信頼関係が出来るという事ぐらいだ。
塩田先生の殺しにくる人と友達になれるという境地と、植芝先生と宇宙と一体という境地は、まだ、体感できていない。
私は、私の出来る範囲で、こつこつやっていこうと思う。
現代の日本という国ののんびりした時代に、生まれてよかったと思う。
もし、戦国時代とかに生まれたら、本当に常に死を意識しながら、呼吸を考え、気配を感じ、思考、無意識までも考えなければいけなかったかもしれない。
ただ、そんな時でも、ただただ、相手の為に、我を捨て、一生懸命やっていると、幸せだったかもしれない。
今ひとつ、言えるのは、今に心を込め、一生懸命やって、没頭すると、そこには、幸せしかないという事だ。(実証済み。)
山田鷹夫さんの「不食」という本を読んだ。
昔、山田さんの「人は食べなくても生きられる」という本を読んだ。10年ぶりのこの本で、山田さんが、この本で、どういう気づきがあったか、興味があった。
本の中で、幸せの湧く井戸という文章がある。
「古い井戸がある。清冽な水が湧いている。
人々はその水でのどの渇きを癒していた。
だがあるときに思った。もっとたくさんの水が手軽に得られるようにしたいと。
そうして人はその井戸の中に石を投げ込んだ。石を入れた分だけ水位は増した。
次から次へと石を投げ込んで水位を上げた。
やがて投げ込んだ石によって水源が塞がれて、泉は途絶えた。人はその井戸を捨てた。
その癖は今でも変わらない。新しい井戸を見つけてはまた石を放り込むのだ。
何もしなければ泉は溢れ続ける。何かを詰め込むからもともとあった歓びは消えてしまうのだ。
無人島ではそのことがよくわかる。
何もないし、何の予定もないという暮らしがある。現代とは対極の暮らしがある。
そこで気がつくことは何もしなくてもいいのだということである。
何もしなくても人は満たされる、人は幸福であれるという実感だ。」
と書いてある。
何もなくても、幸せという事がわかれば、外側に幸せを求めなくてもいいと思う。
多くの人が、外側に幸せを求めている為、いつになっても、満たされる事がない。
{山田さんの母親は、父親と朝から晩まで働いて、藁葺きの旧家から、新しい家を建てるまでになった。
山田さんは、そんな両親を見て、彼らの生き方は、「頑張る、我慢する、心配する」と思った。
だれよりも頑張ることが美徳とされて、つらいこともぎゅうっと歯を噛み締めて我慢する姿が美しいと賞賛された。
それに付随してあったのが「心配する」だった。
そんな母親に生涯の後半に彼女に、「もう十分にやってきて生活も楽になったのだから、もう好きなことをやっていいのだよ。」と。
当惑して彼女は答えた。「やりたいことがわからない」
あまりにも我慢して、頑張って、心配する事に集中し過ぎたものだから、若い頃にあったであろう夢と憧れがぼろぼろに朽ち果てて、消えてしまったのだ。
なんという人生であったことか。
それが彼女の人生だと言ってしまえばそれまでだが、彼女の生き方は日本人の生き方そのものではなかったか?
そして、母の背中を見つめて育った事により、僕だけの教訓が生まれたのだ。
「頑張らない、我慢しない、心配しない」}
と書かれていた。
山田さんは、母親の姿を見て、その逆の生き方を、考えるようになった。
うちの父親も、山田さんの母親と同じ状況だと思うが、私の場合は、頑張る、忍耐、行動する人になってしまった。
それは、強い父親であり、厳しい治療業界であった為、そう成らざるを得なかったと思う。
山田さんの、何もしなくても人は満たされるというのを、体感する事が出来ると、
なくても生きていけるが、分かるので、心配がなくなる。(ある事が、普通だと、ないと欠乏感を持つ。)
努力して手にいれたもの。
楽しみながら手にいれたもの。
今までは、努力して手にいれたものの方が価値があると思っていた。
同じ仕事を、一人の人は、努力しながら、もう一人は、楽しみながらする。
プロセスは、違うかもしれないが、結果は、同じ。
努力とは、心の中に葛藤がありながら、頑張る事。
そうして、成し遂げると、心が成長した気がする。
楽しみながらとは、心の中に葛藤のない状態で、ウキウキしている感じ。
その状態の人は、心に観念(こだわり)がないので、その事に純粋に楽しめる。
苦しんだって、楽しんだって、どっちの入口から、入っても、没頭状態になると、そこには、幸せしかない。
という事は、努力したい人は、徹底的に努力すればいいし、楽しんでやりたい人は、徹底的に楽しめばいいと思う。
これが、腑に落ちると、価値観の違いで、悩まなくなる。
どんな環境でも、どんな状況でも、全ては、本人次第だ。
今の状況は、本人と周りの関係によって出来ている。
今の状況が好ましいので、あれば、そのまま本人の判断でいけばいいと思うし、
好ましくない状況であれば、周りをみて、本人の判断をチエックし、修正すればいいと思う。
(本人の好ましくない状況が誰かの為になり、本人がそれを、いいと思っている場合は、この限りでない。)
とにかく、全力でやってもいいし、全力でやらなくてもいいし、ただ、本人の納得出来る人生ならそれでいいと思う。
零式活人術という炭粉先生の本を読んだ。
この本を読んで思ったのは、山登りである。
山登りにも、いろんなルートがある。
お花を見ながら、景色を楽しみながら、楽しく登って頂上を目指すコース。
断崖絶壁を、悪戦苦闘しながら、必死で登って頂上を目指すコース。
どちらも、頂上から見る事が出来れば、いろんなコースがあるのが分かると思う。
私などは、才能というものが、無かったので、とにかく、努力と、根性だけで頑張るしかなかった。
社会で揉まれ、お腹が痛くなったり、お尻から、太もも、ふくらはぎ、足までつって、曲がったままになったり、
朝、起きたら、鼻血で,血の海になっていたりした。
そんな感じで、頑張って積み重ねていると、現実は、少しづつ、理想に近づいていった。
ただ、世の中には、もっと、もっと、命懸けの努力を、重ねている人がいたりした。
元々は、凄い理想家なので、いろんな事を夢みていたが、現実は、一歩、一歩頑張るしかなかった。
私の場合、元々は、嫌いな努力や、根性がいつのまにか、習慣になってしまった。
そうしていると、心の内面では、頑張っている人は、好きだが、頑張らない人は、嫌いという感情を持つようになった。
苦労してこそ、価値があり、物事を把握して、から出ないと、楽しめなかった。
最初から、楽しんでやるという考え方は、なかった。
今は、価値観で、判断しなくなったので、努力しなきゃ、苦労しなきゃダメという事は、なくなった。
人と人が出会い、その場がうまくいきやすいのは、同じ価値観を持った人同士だと思う。
努力が大事だと思う人が、努力が大事という人と同じ場にいる。
楽しい事が大事と思う人が、楽しい事が大事という人と同じ場にいる。
同じ価値観同士の方が分かりあえる。
努力が大事だと思う人と楽しい事が大事という同じ場にいる。
ここで、お互いの価値観で、話をしても、この場は、うまくいかない。
この時、お互いの価値観は、棚上げして、ただ、ただ相手の事だけ考えると、
本人の我のない状態なので、相手の心の内面が出てきていい状態になる。
この時は、今までのように、価値観がぶっからないので、相手の話が、すーっと聞ける。
これが、出来るようになると、今まで嫌いだったものや、世界が、あっ、そういう考えもあるんですね。
と思えるように、なって、表、裏と物事の一面しか見ていなかった事が、表裏は、ひとつというのが、分かってくる。
今は、私という意識をどんどん大きくして、より自由度を、あげていきたいと思う。
保江先生と矢作先生の対談本、「ありのままで生きる」という本を読んだ。
自由な考えの保江先生と、聖なる考えの矢作先生が、同じテーマについて、話している気がした。
本当は、みんな赤ちゃんのように無邪気に生きると伸び伸びして楽しいと思う。
ここは、地球の日本という国。
法律があり、常識があり、道徳があり、みんなの心の中に観念があり、ルールがある所である。
大人は、赤ちゃんが大きくなるにつれ、いろんな事を教えようとする。
それは、何も知らないから、教えてあげようという気持ちである。(悪気は、ない。)
大人になって、みんないろんな悩みを持つ人が多いと思うが、その中のひとつは、本人の本当に望む事と、
周りのルールに合わせなきゃいけないという心との葛藤があると思う。
今、私の思っている事の判断基準は、、果たして、本当に、私が心底望んでいる事なのかを、追求していくと、
どんどん、心が楽になる。
赤ちゃんの無邪気は、みんなから、愛される。
大人の無邪気は、ルールが正しいと思っている人から見れば、我があるようにみえる。
善という考えで、悪は、間違えと思っている人と、善というのが、好きな人がいると思う。
赤ちゃんの無邪気さを持つ人と、聖なるものを好む人が出会うと、そこに、何を思うのだろうか?
純粋無垢な心を持った人が、このルールの多い世の中で、一生懸命、誠実に生きている人に出会い、心を打たれたのかもしれない。
一生懸命誠実に生きている人が、純粋無垢な心の人に出会い、肩の力を抜いてもいいだよという事に気付いたのかもしれない。
もし、全ての事が分かっていたら、私の行動が周りにどう影響するか?私も周りも幸せにするには、どうしたらよいかが分かると思う。
もし、見えている範囲が狭いのであれば、ただ、目の前の事に、一生懸命力を注ぎ、それを、没頭するくらいまで行い、
一日の中で、没頭する時間を少しづつ、増やしていけば、いつのまにか、幸せしかない状態になっていると思う。
今日、白衣にアイロンをかけていて、思ったこと。
心を込めてやっていると、段々、その事に没頭するようになった。
この没頭が、癒しになる。
山登りをしていた時に、一番よかったのは、登っている時だった。
その時は、きついはずだが、その登るという事に没頭していた。
この没頭が、癒しになった。
山登りしている時、普段の生活では、大変な時期も、あったと思う。
でも、この山登りをしている瞬間は、大変という事は、考えていなかった。
ただ、登るこれだけを考えていた。
没頭していた。
これが、癒しになった。
そうして、また、頑張る為の原動力となった。
山登り、アイロンかけ、ただ、その事だけに没頭する。
これが、目の前の事をやっている、今という瞬間を生きている事だと思う。
この瞬間、瞬間、を生きるというようにすると悩みは、なくなる。
目の前の事を、大切にして生きていますか?
と私自身にいつも、問いかけていると、今という状態でいられるのかもしれない。
それが、流れに身を任せて、物事がスムーズにいく状態の気がする。
私のコダワリが、現実を創り、コダワリが無くなれば、そこには、ただ流れがある事に気づくのかもしれない。
私が問題を創り、苦しんだり、悩んだりしている。
であるならば、私が、幸せを創り、楽しんだり、喜んだりも出来ると思う。
どんな選択も、私自身次第だと思う。
私は、今という瞬間に生きる事で、頑張ってきた私自身を楽しませたい!喜ばせたい!と思っている。
ここ最近出来るように,なった事は、ちょっとした事を、面倒くさがらずやれるようになった。
最近、心がけている、直感で動くというのを、更に進めて、ぱあっと浮かんだちょつとした事を、メモしてその日のうちにやりきるようにしている。
今までは、どうしても、絶対したいという事は、全てやってきたけれど、普段のちょつとした事は、まだ、、いいかとか、後でとか、時間がたってから
やっていたりした。
そのちょつとした事は、私の中では、労力としては、十段階の二位なのだけれど、つい,面倒くさいなと思ってしまっていた。
昔、ある若い先生が、患者さんにマッサージするのをしたくて、掃除や、準備の事が疎かになっていた時、
彼は、仕事に優劣をつけていたので、彼に仕事に大きいとか、小さいとかは,無いんですよと言い、ひとつ、ひとつ大事にしなければダメですよ。
と言っていたりした。
ちょっとした事と思っいる事も、そこに、心を込めると、没頭出来る。
今、その瞬間に生きている。
そうすると、どんな苦しい状況があろうが、その瞬間は、悩む事が無くなる。
面倒くさいと思ってやらなかったのは、私の中に、物事に対しての優劣の判断があるのが、分かった。
本来は、今、この一瞬、一瞬、一瞬を、常に心を込めて行うようにするか、愛そのものの状態として在るが出来れば人生は、楽しいと思う。
掃除をするのを、見ていて、綺麗でなければ、ダメという思いでやっている人と、綺麗が好きだからやっている人がいる。
綺麗でなければ、ダメという人は、そういう考えを持っている(観念)、だから、綺麗にしない人は、許せないという感情を持つ。(その空間は、緊張している。)
同じそういう観念を持つもの同士は、話が合う。
綺麗が好きという人は、綺麗という状態を愛しているので心に余裕がある。(その空間は、ゆったりしている。)
今というこの一瞬を、過去に囚われで過ごすか、未来を心配して過ごすか、心を込めて過ごすかで、人生の豊かさが変わってくると思う。
どんな生き方も、本人納得の生き方ができれば、いいんじゃないかと思う。
もし、今の生活が違うと思うのであれば、本人の出来るちょっとした事から始めてみれば、少しづつ変わっていくと思う。
昔、福島の川島先生のブログで、トイレ掃除の話が書いてあった。
トイレの中を、ゴシゴシ擦っていると、その場所が綺麗になって、他の場所が汚れているのが、目立ってくる。
という話が書いてあった。
どんな事でも、ちょっとの事と思う事でも、なんでもいいから一生懸命やっていると、何かに気づくようになる。
気づくという事が、本人を、縛っていた考え(観念)から、解放し、より、自由にしてくれると思う。
せっかくの人生だから、この日本という平和なのんびりした国で、思いっきり、前のめりに、楽しく、生きていきたいと思います!
昔、父親が、母方の曽祖父と話をした時に「生き金、死に金」という話をされて、お金の使い方が、大事という事を聞いた。
その時の理解は、無駄遣いをしなければ、いいんだろうぐらいだった。
昨日、ヒッキーさん、と話をしていて、お金は、感謝の気持ちという話になった。
お金に関しては、いろんな考えがあると思うが、私は、患者さんが、ありがとうございますと喜んでくれて、頂く、感謝の対価という感じを持っている。
話の中で、感謝の出来ない事には、お金は、使わないという事が出た。
いざ、振り返ってみると、漠然と使っていたり、無駄に使っていたりしている。
お金も、私自身が、感謝出来るような使い方をしていると、それが、時間を大事に、私を大事に、繋がると思う。
最近、ドラマの半沢直樹をレンタルで借りて観ていて、土曜日に観終わった。
ドラマの中で、「やられたらやりかえす、倍返しだ!」という決め台詞がある。
昔、病院に努めていた時に、怒髪天にきて、病院の壁に穴を開けた事があった。
その頃の私は、違うなと思っても、意見が言えず、ストレスで、お腹に激痛がきたり、足が攣れて曲がったり,痺れたりしていた。
この時は、ある先生に教わった事を、患者さんに話していたら、その先生に、それは、違うだろうと言われ、流石に、怒りが出てきた。
患者さんの施術を終わって、どんどん怒りが増し、こいつを殴ってやろうかと思ったが、多分壊れると思い、
壁に拳を当てたまま、力を入れると、バーンと病院に音が鳴り響いて、壁に穴が空いた。
私は、その当時でも、仏の顔を100回ぐらいは、出来たが、その時は、流石に、その後、その先生に、それは、おかしいですよねと言った。
世の中には、いろいろ理不尽な事があり、組織に所属していると、立場上、言いたくても言えない事がある。
それを、この半沢直樹という主人公は、立場に関係なく、自分自身の正義に従って、行動する事が、みんなの共感をを得て支持されているのだろう。
ところで、世界中の人が71憶人いて、悪いと思う事を、黒、良いと思う事を、白とする。
例えば、昼の12時に待ち合わせで、12時より、早くが白、12時を超えると黒、(時間の待ち合わせに遅れてはいけないという考え)
12時より早くが、黒、遅くは,白、(早く、行き過ぎると、準備の邪魔になって急がせてしまうから、ダメという考え)
(どっちのタイプもいるので、場合によっては、出来るだけ、ぴったり合わせたりしている。)
前者の場合でも、緊急事態では、遅れても、白になり、後者の場合でも、緊急事態では、早くても、白になる。
だから、ひとつの出来事において、世界中で、白になったり、黒になったりする。
という事は、日本にいて、日本の常識に合っていて、暮らし易い人と、合ってなくて、暮らしにくい人がいると思う。
前者は、ストレスが少なく、後者は多い。
みんなが気づかずにストレスを持ってしまうのは、世の中の常識と、本人の考えが違う場合だと思う。
それが、家族だったり、学校だったり、会社だったり、国だったり、社会だったりすると思う。
そこを、ひとつ、ひとつ、向き合って納得していくと、ストレスがなくなってくる。
そうやっていくと、そもそも、物事に、ただ、勝手に意味付しているだけだと分かってくる。
その物事の意味付の仕方が、人によって違うのである。
嫌いな人でも、怖い人でも、何度でも、話をしていると、あっそうかという見方とかなったりする。
メンタルの強い人は、互いの意見を戦わせて、精神的な殴り合いをして、お互い納得するまで、話し合うというのも、いいと思う。
(お前も、やるな!お前こそな!という感じ。最後に握手。)
2年ぐらい前は、攻撃的な相手に対しては、ガンガンぶっかったりしていたと思う。
今は、とにかく、私の考えは、棚に上げて、出来るだけ、その人が話易いように、馬鹿丁寧に接するようにしている。
治療家の人は、分かると思うが、手の平に緊張があると、相手に緊張を与えてしまう。
指の当て方に気をつけても、肩に力が入っていると、それが伝わってしまう。
そんな感じで、身体全体の力が抜けてその上で、治療が出来るといいと思うが、なかなか難しい。(わざと、緊張させたり、反発力を利用する治療もある。)
更に、その人に対して、心に何も持っていない方がその人を、感じやすい。(先入観がない方がいい)
そうして、そんな感じで接すると、本人が、社交的な会話から、自我の会話になり、更に、奥底に持っている気持ちが出たりすろ。
だから、繊細な人程、優しく、優しく、接しないと、その人の心の奥底の部分が出てこなくなってしまう。(怖がってしまう。)
今までは、ここを意識していたけれども、段々とどの人に対しても、同じように接するようになってきている。
ライオンが好きでも、虎が好きでも、犬が好きでも、猫が好きでも、金魚が好きでも、あじさいが好きでも、ひまわりが好きでも、
それぞれ好みでいいと思う。
それが動物が好きでも、魚が好きでも、植物が好きでも、
もちろん人が好きでも、
生物が好きでも、
地球が好きでも、
宇宙が好きでも、
何でもいいと思う。
ここで、宇宙のような広い心を持たないとダメと思い、本人は、ライオンしか好きでない時に、
外側と内側のバランスが崩れている為、葛藤が起こる。
こんな時は、虎を考えてみたりする方法でもいいし、ライオンを深く考える事で何か分かるかもしれないので、
何でも、やってみると、現状が変わるかもしれない。
本人にとってやり易い方法でいいと思う。
私の場合は、昔から、やっている方法は、興味ある事に対しては、とにかく、行動する。(やらないと、後悔するので。)
興味ある事に関しては、アンテナが立っているので、それを、見つけたり、また、それをしていると、情報が集まったりする。
今を生きる為に出来る事は、今しかないので、本当は、何がしたいのか?表面的な欲求をどんどんやりつくしてもいいし、外しても、いいと思う。
すると、本当にしたい事が、何か見えると思う。
週末にテレビで、福永騎手と渡辺棋士がお互いの仕事に関して語っていた。
渡辺棋士は、将棋の棋譜の研究に15時間かけたりして、準備を徹底的にやるようにしている。
福永騎手は、「努力している人は、努力していない人には、勝てるが、楽しんでいる人には、勝てない!」と話されていた。
30歳位の時、限界を感じて辞めようと思ったとも、話していた。
それが、限界は自分が、つくって気づいて今は、動作解析とかを取り入れている。
本人の持っていない知識を取り入れることにより、今までの限界を突破している。
腱引きの師匠に、先生は、どのような勉強をされているのですか?と聞いた事がある。
解剖学の本を見て、3Dにイメージ化し、今日の治療の手順をもう一度振り返り、手数を少なくするには、どうすればいいか考える。
この話を聞いた時、流石、師匠だと思った。
それは、苦でなく、楽しいらしい。
腱引きの最高顧問の先生は、ずっと武術をされてきた方で、夢の中まで闘っていると奥さんが、話されていた。
この話を聞いた時も、凄いと思った。
努力と聞くと、一般的に苦労してとか、きついとか、頑張らなきゃというイメージがあるかもしれない。
私の苦手のものとか、私から見てなかなか出来ないものが出きる人を見ると、努力して凄いと感じるのだと思う。
これが、みんな好きな事だと何時間でも出来ると思う。(好きにもいろんなレベルがある。)
たまたま好きな事が仕事だと頑張りやすい。
ただ、実際仕事の場合、要求されるレベルは、職場によって様々だ。
その人なりに、全力でやっていて、その2倍要求されるのは、きつい。
(私の場合、5倍要求され、あるのは、怒りと〇意。その時は、気配まで分かるようになった。心の平和が一番です。)
仕事は、その職種、その職場のやり方があると思うが、それが、本人と合っていればよいが、違うときつい。
Aのやり方では、うまく出来ないが、Bのやり方でうまく、いくなら、Bでやればいいと思う。(本人に合った方法を見つける。)
ただ、どうしても、Aのやり方でやらなきゃいけない時は、一つ、一つ、意味を、素直に聞いて行う。
昔、ホットパックを、肩と腰に置くという事が、出来ない先生がいた。(17回目で、やっと出来た。)
小学生でも、出きるのに、なぜ、この大卒の先生が、出来ないか、悩んだ。
普通、普通の人は、右手は、右手と認識するのに、この先生の認識が、左手とか、違う事になっているのか、いろいろ考えた。
結局、分かったのは、話をしている時に、自分の考えの方に意識がいってしまい、言われた事を聞いていなかっただけであった。
ポイントは、素直に、人の話を聞けば、いいだけの話だった。
言われた通りに、頑張っていると、少しづつ出来るようになる。(出来ない場合は、教え方が悪い場合もある。)
苦しいかもしれないが、少しづつ出来ようになると、少し自信がつく、そうすると、心に少し余裕が出て周りが、少し見えるようになる。
そうやって、段々と努力を重ねていくと、結果が出て、どんどん自信がつく、心に余裕が出てくると、楽しむ事が出来るようになる。
(自信がつき過ぎると、天狗になるので、注意!上には、上がいる。)
世の中には、やり方は、たくさんあると思う。
昔、行った、経営セミナーの経営コンサルタントの人の考え方、異業種のやり方を取り入れる。(ただ、他の業界のやり方を持ち込んだだけ。)
その業界、業界で、漠然と行われている仕事の仕方があるからだ。(思考が停止してるとも、いえる。)
腱引きの師匠が、諦めずにやり続けていれば、いつか出来るように、なると話されていた。
この言葉に、不器用な私は、多いに救われてた。