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院長 | 松岡 良一 |
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成田新十郎先生の「円和の合氣道」という本を読んだ。
本の中で、成田先生は、「私が想像するに、先生は苦悩の末に武道認識の大転換をされ、武道の根源に自然の理としての球理を唯一のものとして捉えて、それが母体となって総ての武道を生み出して行くという、 創造武 を提唱されたのでしょう。そして武道というものも特別の分野ではなく、人間生活のすべての分野と共通の自然現象の一環であり、それらが自然世界を其の物たらしめている真理に則っているものであるという信念から、その本質は調和であると位置づけられたのではないでしょうか。調和を乱せば自然は破滅します。自然は、その構成要素の全部が其々別々ではなく、関連しあってもともと一体の存在なのでありましょう。」と師匠の平井先生の事を書かれております。
私達は、普段、誰かと相対した時、私達が認識出来ることでしか、物事を考えらませんが、認識出来ないけれども、そこに、場が出来ているようです。
以前から、考えていたのは、例えば、赤ちゃんが攻撃してきても、怖くありません。しかし、空手の人の攻撃や、武術の人の攻撃は、怖いです。私の場合は、痛いというのが、ダメです。対処できないからです。でも、空手の人は、空手に対処出来、武術の人は、武術に対処出来ると思います。(いろんなレベルは、あると思いますが。)
だから、私の身体が、鋼鉄で、攻撃が全然効かないとか、相手の攻撃を無力化出来ればいいなと思っていました。
この本を読んで気づきましたのは、この考えは、相手より、力が上回るから、対応出来るというものだなと思いました。価値観の世界です。どっちが上か、同じ土俵にのっていました。
そうではなくて、成田先生の場合は、みんなが信頼する人(親友、親、師匠、先生等)との間にある信頼関係を結ぶのだなと思いました。
だから、敵意をもって、のぞんできた相手は、相手本人は、そういうつもりはないのに、勝手に信頼関係を結ばれているので、攻撃が出来ない状態になっているということだと思いました。
私自身、気づきましたのは、攻撃してくる相手に対して、我が事のように思えていなかったのだなと思いました。(この時に、我が出ている。)
世の中には、成田先生のように、ここまで追究されている方もいらっしゃるんだなと思いました。
まだまだ、未熟な私は、出来る範囲で、コツコツ頑張らなきゃいけないと思いました。( ^ω^ )
無元塾の白石先生、主催で、9月18日に講習会があるみたいです。ご興味ある方は、問い合わせてみてください。
今回のお盆休みは、8月13日、14日、15日の三日間だった。
12日の土曜日の夜、仕事が終わって、船橋10時ぐらいの快速に乗った。
13日は、朝から、君津の高宕山に父親と登った。今回、やってみたかったのは、サウナスーツを着ての山登りだった。これは、クリアーできた。(頂上で食べるカップラーメンは、やっぱり美味しい。)
弟の家で、バーベキューをした。
14日は、朝早くから全米プロ選手権の最終日をテレビで観た。松山選手は、相当なプレッシャーの中戦っているのを、見て、凄いなと思った。
近くで、牛糞をもらってきて、土をこね、畑の種まきをし、ゴボウを掘り、カボチャ、キュウリ、ナスを収穫した。
お盆休み中に、父親、母親、弟、祖母の身体のメンテナンスをした。
あっという間のお盆休みだったが、やりたいことは、全て出来たので、よかつた。( ^ω^ )
今朝、歩いていると、おじいさんのポマード、OLさんの整髪料、おじいちゃんのタバコの匂いを感じた。
嗅覚がアップしている。
江戸川の土手を歩いていて、いつものように、上向いたり、横向いたり、腕動かしたり、いろいろやった。そして見る。ただ、見る。動きだけを見る。スズメがいたり、鳩がいたり、アリがいたりする。そうしてふと、思ったのは、ここに、ただの動きだけがある。この動きがふたつ集まると動きが遅くなる。更に、この動きがどんどん集まると、これが、固体になると思った。例えば、この動きが少し集まったのが、OLさんで、この人は、凄く神経質なAさん。もう一人は同じ少し集まっている優しいBさん。また、この動きがたくさん集まって、硬くなったのが、ラオウ(強い人。)もう一人は、ケンシロウ(強くて、優しい。)
同じ硬さなのに、違いがあるのは、自分と思っている個人を大事にしているか、その場を大事にしているかである。個人を大事にしている人は、追究すれば、する程、許せない事が多くなる。その場を大事にしている人は、追究すれば、する程、解放され、気づきが多くなり、より自由になる。
個人を強くするか、周りを(私も含めて)大事にするか、どっちの人生もある。
普段、前屈みで、仕事をしているので、後ろに伸ばすと気持ちがいい。途中に、背中を伸ばす台があるので、そこで、背中を伸ばしたりする。その時、あーぁっと声が出てしまう。何かおじいちゃんみたいになっている。
前に一度挨拶したおばあちゃんが犬をつれて休んでいたので、手を振ったら、手を振り返してくれた。
そんな感じで、おじいちゃんになったり、子供になったり、いろいろしながら、歩いている。( ^ω^ )
日曜日に東京の町田の島津先生の所に行った。
今回、一緒に参加している先生が、島津先生の身体を借りている時に、
島津先生が、「ああ、千日の行屁一つ。」と仰った。
どういう事かというと、その先生は、力を抜いてるつもりは、ないのに、無意識に力が抜けていた。
この言葉の意味は、ずーっと一生懸命頑張っていても、たったひとつの事で全てが台無しになる。
そういう意味と先生が仰っていた。
それを、聞いて私が思ったのは、島津先生の場合は、一瞬、一瞬を真剣に生きているので、その一瞬が気が入っているとか、抜けているとかが分かるんだなと思った。
流石、先生と思った。
もうひとつは、先生が、マッサージと腱引きは、違うんだよと仰った。
たぶん、2回くらいその言葉は、聞いていて、内心そんなの分かっているよと思っていたが、今回分かったのは、先生の仰っている腱引きと、私の思っている腱引きが違うことだった。島津先生に、「先生、それは、こういう意味ですよね。物事は、ある人は、それを、レベル1で話し、ある人は、レベル3で話し、ある人は、レベル10で話したりしてるんですよね。」 それを、受けて、先生は、お弟子さんの時代に、師匠から、お前のおちょこでは、俺のどんぶりで注ぐと、いっぱいこぼれちゃうなと言われたと話てくれました。
そして、バカとその場で怒られるというのは、大事という話も教えてくれました。
その場で、強く怒られると、その場で、覚え、記憶に残るそうです。確かに、恐ろしい顔で、怒られると、記憶に残ります。出来るだけ次は、怒られないようにしようときをつけると思います。私自身は、怒られるとか、好きではないのですが、この話を聞いて、怒られるというのも、本人の為になるんだなと思いました。
更に、帰り気をつけてねというお話も教えてくれました。
私も昔、親から気をつけて帰ってねと言われた時、そんなの分かってるよと思った時がありました。でも、この師匠が弟子にいうその言葉は、師匠は、弟子がそういう気持ちになるのを、分かっているけど、あえて言うことで、それを、意識させるという事でした。(油断させないように。)この話を聞いて、深いなと思いました。
他に、痛み刺激は、自然治癒力を上げるというお話と、柳の合気のお話を教えて頂きました。
今回、いろいろなお話を聞きまして、思いましたのは、武術は、凄くいろいろ考えてるなという事と、どうしても、人は、安易に、何かいい方法が手に入らないかなと思ってしまう人が多いと思いますが、結局は、凄いものを手に入れようと思ったら、私の器を大きくするしかないなという事でした。
島津先生を見てまして、思いましたのは、先生は、質問したら、それに答えて頂けるけど、質問しなければ、答えてくれないなと思いました。何十回も、先生にバカと言われながら、少しづつ器を大きくしたいなと思います。
いつも、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします!
松岡良一
土曜日の夜に仕事が終わってから、新宿で、焼き鳥を食べ、カプセルホテルに泊まった。
今回は、静岡の悪友金ちゃんとサマーランドに行くという話になっていたので、それに合わせて、朝、歩いたり、夜、オレンジジュースだけにしたりした。案の定、焼き鳥をたくさん食べた。サマーランドに行くと、余程、見た目が、怪しかったのか、ゲートのボデイチェックが手荒かった。何とか、無事に入ることが出来て、綱を掴んで、動く丸太の上を歩くというのを、やった。いざとなったら、腕力だけで、いけると思ったが、しっかり落っこちた。笑(なかなかサスケのようには、いかない。)流れるプールで、金ちゃんが熱くウルトラマンの話をしていると、近くにいた男の子(4歳ぐらい)が、ウルトラマン好きなの?と声をかけてきた。ちなみに、その男の子は、スパイダーマンの水着をきていた。笑 そして、とにかく、いろいろ食べまくっていた。今回、プールに来ている人、家族連れ、カップル、男子グループ、女子グループを見て、人生いろいろだなと思った。いろんな形の幸せがあるなと思った。それを、比べたり、するから、葛藤が生まれるんだろうと思った。そして、その家族連れは、私の別の人生、そのカップルも、また、私の別の人生、その男子グループもまた、私の別の人生、そして女子グループもまた、私の別の人生と思ってみると、その人達が、幸せだと、私も幸せな気分になりました。人生は、その人のそのままが出ます。うまくいかないと思っている人は、人の顔色を窺うより、私のしたい事をする。私の思い通りやろうとして、うまくいかない人は、実力が足りないか、私の中に邪魔するものがあるか見てみる。私を知ろうとする時、相手がいた方が、やり易い。私だけで、私を知ろうとするのは、難しいし、独善になってしまうかもしれない。ひとつ言える事は、私の世界は、私の分かる範囲でしか分からない。あなたの世界は、あなたの分かる範囲でしか分からない。であれば、私の世界は、私が創り。あなたの世界は、あなたが創る。普段の生活で、ひとつ、ひとつ、あなたが、納得して、腑に落とすという事をやっていけば、人生は、充実する。(実証済み)
ふと歩いていて、生死と愛は、どんな関係なのか?と考えた。
命がけで、事にのぞむというのは、素晴らしいと思う。
愛で、事にあたるといのも、素晴らしいと思う。
人としての究極が、生死になる。
もし、死というものをベースに物事を考える事が出来ると、無いのが当たり前なので、ちょっとした事でも、ある事に感謝が出来る。亡くなられた日野原先生が、ラジオで、命は、その人の時間という事を仰っていた。命を限られた時間と捉える事が出来ると、時間を大事に使うと思う。
生きる事がベースで、あるという事が当たり前だと、無いと不足を感じ不満が出る。面白いのは、あるをベースにすると、無い事に注目し、無い事をベースにすると、ある事に注目する。
今、いろいろやってみて、分かったのは、必死になると、ヤバイとなり、身体の細胞がみんな協力してくれる。みんなが協力してくれるから、凄い力が出る。(火事場の馬鹿力)普段の意識から、真剣な意識(愛の意識)
例えば、普段、仲の悪いチームが、別のチームに潰されそうになった時、本当は、仲良くしたくはないが、そんな事言ってられない状況なので、みんな一丸となる。この状態が愛。
愛は、調和そのもの。生と死があって、はじめて人生となる。死がある事で(寿命)、生が輝き(感謝が生まれ)、生がある事で・・・ここで、筆がとまってしまった。(どうしても、私自身が、100パーセント納得していないと、言葉が出ない。)
死は、愛と同じものであると思うが、検証していないので、今は、語れない。
が、生と死は、セットで、生は、死がある事で、存在し、死は、生が関わっていると思う。
今、言える事、個人の視点の究極が、生死、その場の視点の究極が、全体を大事にするという考え方の調和(愛)。
どの視点で、考えるかがポイントだと思う。
頑張っていきましょう!(*´∀`*)