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院長 | 松岡 良一 |
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トッチさん、磯さんの『宇宙の最終形態 「神聖幾何学」のすべて1,2』という本を読んだ。
私達は、物事とか、相手とか、世界を見る時、これはこうだと思って見ている。
好きな人を見る時は、多少の難は、意に介さずだったり、
嫌いな人を見る時は、その言動、所作にいちいち腹が立ったりする時がある。
善人と言われる人の生き方、すべてが、善だったり、悪人と言われる人の生き方すべてが悪でなかったりする。
人が物事や、相手や、世界を見る時、これはこうだと思ってみる見方を平面意識という。
昔、球体(地球)という全体をどうしたら分かるかと考えた。
最初は、この地球上の人の価値観、すべてが分かれば、全部分かるかと思っていた。
でも、それは、価値観という平面の捉え方なので、それでは、内部が分からないと思った。
その球体(全部)を丸ごと捉えるには、どうしたらいいか?というのが、課題だった。
そして、今現在、私ができるのは、価値観という捉え方で、受け入れたり、拒否したりがなくなっているので、
いろんな話が入ってくることができるようなった。
無償の愛(信頼関係)という所を基準にしているので、価値観は何でも大丈夫となっている。
でも、まだ、宇宙すべて分かっていない。(実際は、いろいろ分かっていないことがあると思う。)
私達は、今までの知識や経験を基に、物事や、相手や、世界に、向かいあっている。
私達という一部分が、全体を分かるのは、難しい。
未来なんて分からない。
全体なら、私達という一部分が分かる。
そして、ある時、私は、人の人生は、意識を肉体で制限して生きていると思った。
たた制限されている意識の視点が動いているだけなのかと思った。(想像)
そんな時、磯さんが、講演会で、飛び入りのゲストで参加された。
そして、磯さんと少しだけ、会話ができた。
そこで、磯さんが、フラワーオブライフという言葉を口にされた。
そのフラワーオブライフという言葉が、私には、真理という気がした。
そして、一度、磯さんのワークショップに参加した。
そこで、綿棒で、神聖幾何学というのを、立体で創るというのを、知った。
お手本があるけど、作り方は、教えてくれない。
だから、本人がいろいろ想像する。
その想像が創造になる。
これを、やった時に、これは、個が全体との関係を知るものだと思った。
個が強く手も、弱くても、全体とのバランスがとれない。
なかなか深い! 素晴らしい! と思った。
そして、今回、本を読んで、
フラワーオブライフを通して、奥行きや、側面という平面だけでないことを立体意識という学んだというのが分かった。(初歩)
この奥行や、側面が全体と私の関係であり、ここで、見えてくるものが、現状の私だと思った。
これは、今の私を客観的に見るものであり、私の歪みに気づくものだと思った。
そして、中心から、外側まで内部も見えるから、どういう風になっているのが分かる。
そして、私が分かってくると、同じように相手もどういう風かを重ねると、今の二人の関わりかたが分かってくるのかなと思う。
更に、トッチさんが、すべて答えられると言っておられたので、今の状況をそこに映し出していけば、
この先の未来も分かるのかなと思った。
更に、いろいろ理解が、深まっていくと、角度とか、接触の仕方とかで、展開が変わるのかなと思った。
手は、立体を感じられるから、頭だけでなく、手を使うことが大事だと思った。
狛犬の踏んでいる鞠は、真理のことだと思う。
フラワーオブライフ、これは、今の私を客観的に知りたい人、今の私の現状を知りたい人、
根本、本質とか、好きな人には、お勧めです。
(*^▽^*)
松久先生の「多次元パラレル自分宇宙」という本を読んだ。
本の中で、重要なことは、【皆さん1人1人が生きる宇宙は「あなただけの宇宙」であって、あなた以外の生命は誰も存在せず、関与しないということです。】と書かれています。
【Beingのエネルギー(魂のエネルギー)がゼロポイントで、そのエネルギーの集合体、「いまここ」の自分、
過去の自分、未来の自分、「いまここ」に関与する無限数にある自分、過去のある時点での無限数にある自分
未来のある時点での無限数にある自分、無限数にある自分をすべて包括したものを自分宇宙といいます。
そして、人それぞれゼロポイントが異なります。
ゼロポイントは無限大のエネルギーです。
無限大のエネルギーの集合意識がワンネスです。】
そして、【多次元とは何か。「いまここ」にいる自分とは「違う世界」ということです。
自分より振動数が高いものを高次元といいます。
自分の「いまここ」よりも振動数が低いものを低次元といいます。
また、同じ振動数で違うパラレルや、違う時間の軸をとったパラレルや、違う空間を中心にしたパラレルは異次元です。
異次元と高次元、低次元をすべて含めて多次元です。
だから、多次元は高次元ではありません。低次元でも、異次元でもありません。すべて統括したものです。
いまここは「中心次元」といいます。
「中心次元」以外の無限数の自分を「多次元の自分」といいます。
「中心次元の宇宙」はいまここ次元宇宙です。
そうでない自分の姿を「多次元宇宙」といいます。
それがいまここと同時に存在しているから、「パラレル」という言葉を使います。
しかも、自分だけの宇宙だから、「多次元パラレル自分宇宙」です。
すぐに理解するのは、ちょっと難しいかもしれません。】
と書かれています。
ここに、興味ある人は、ああ、そうか!とか、私の中で、繋がったとか気づくかもしれません。
私の実際の体験としてあるのは、マトリックス・エナジエテックスを患者さんにオマケでやった時に、
時空の渦ができました。
ちなみに、悪友の金ちゃんに、これは凄いからとセミナーを勧めましたが、金ちゃん、曰く、まったく効果が無いと言っておりました。
これは、結局は、自分宇宙なので、そこに、同意をしないと無いと思う人には、無いが創造され、あると思う人には、あるが創造されるのかなと思いました。
本の中で、【欧米人は、個人意識が集合意識よりも強く、日本人は集合意識が個人意識よりも強い。
欧米人は個人意識がハッピーだったらハッピーです。日本人は集合意識、周りが自分をとらえる意識が
ハッピーだったらハッピーという方程式が、DNAにも刻み込まれているので、人からいつもあの人はいい人だ、
常識人だと思われていないと不安しょうがないのです。
欧米人は、個人意識のほうが集合意識より強い。日本人は集合意識が個人意識より強い。】
バランスが大事だと言っています。個人意識があると、言いたいことが言えます。
個人意識が強いと、言いたいことが言えます。(良い点。)
個人意識が強いと、言いたいことを、いいますが、周りとズレてる時もあります。(悪い点。)
集合意識が意識が強いと、周りと調和をとります。(良い点。)
集合意識が意識が強いと、周りに気を使って、遠慮して、意見が言えません。(悪い点。)
理想は、みんなが言いたいことを言って、みんなの納得の答えが出るといいと思う。
松久先生は、いまここを受け入れて上で、自分はこうなるという望みを何となく持っていればいいのです。
大事なのは「何となく」というゆるさです。と言っております。
ポイントは、今の自分を否定しないことみたいです。
一方で理想を求め、一方で、自分を否定していると、なかなか思い通りにならないようです。
前向きと、後ろ向きを一緒にやっている感じでしょうか。
理想の人生を手に入れる方法(松久先生)
①ハートチャクラを意識して、「自分に感謝」と言います。
そのいっぱいのエネルギーを下におろすように意識して、次に第2の松果体のところ(尾骨あたり)を
意識して、「地球に感謝」と唱えます。
その後に地球に向かって「ありがとうございます。お喜びさまです。うれしいです。」
②次にやることは、ハートチャクラをもう一度意識して、「自分に感謝」と言った後に、
心の中でも、口に出してもいいですから、脳の松果体を意識して「自分は完璧だ」と唱えます。
「自分は完璧だ」と言った後で、宇宙に向かって「ありがとうございます。お喜びさまです。うれしいです。」
と言います。
大事なことは、自分を大切にし、地球を大切にし、宇宙を大切にすることが、結局は、自分の為になるみたいです。
自分宇宙ということは、すべては、自分だから、自分が正しいと言って、相手を否定することは、
その世界を拒否しているので、結局は、自分を制限していることになります。
と言っても、私自身、困ったと思うことがまだあるので、制限されている私がいます。
すべてにおいて、これでいいのだ!と言ってみたいです。(願望)
(*^▽^*)
日曜日の夜に、船橋でつけ麵を食べた。
つけ麵を食べていると、右目を抑えて、学生さんが入ってきた。
どうやら、ぶっかって、相手の人が怒っていて、お店で待たせてもらってもいいですか?とのことだった。
つけ麵の写メを撮って、食べていた。
そこに、鬼の形相の男の人が入ってきた。
お店に入られるのは、困りますと、きっぱり言った。
学生さんが一緒にきてもらえますか? という言葉に対して、
店員さんが、「うちが関わった以上、立ち合いますよ」と言った。(カッコイイ!)
そうして、何が問題だったかというと、結局は、ぶっかったのに、しっかり謝らなかった学生さんに、頭にきていたみたいだった。(学生さんの方は、ぶっかったかもしれないけど、そこに、悪いという意識がなかった。目も痛いし。)
店員さんに、「先程の対応素晴らしいですね!」と言いましたら、「結構、この辺り多いんですよ。」と言われました。
そうして、いい気分でお店を出て、いきつけのサウナに行った。
(私の疲れた時に、一番の必勝法が、つけ麵とサウナのコンビである。)
ボケっとしていると、トラブルに見舞われます。
怒りを持ってると、直ぐ、怒りが爆発しやすいです。
心の余裕、大事ですよね。
(*^▽^*)
あっと、いう間に、お正月休みが終わった。
弟家族と両親と祖母で、一緒にご飯を食べたり、父親の畑で、ゴボウ堀りをした。(これが、なかなか大変だった。)
今回の実家での目的は、両親と祖母の全身の施術と、施術のDVDを観ることだった。
DVDは観ないで終わってしまった。
このお正月の感想としては、両親と祖母を見て、歳を取って老いていくではなく、身体を使わないと弱ってくと思いました。
だから、身体を使って元気な身体であることが大事だと思いました。
でも、動くのが好きな人は、それができるのですが、動くのが、億劫な人は、動かないことが多く、そのうち動けなくなり、そして、いろんなことが段々とできなくなると思いました。
日々の積み重ねは、その人を以前よりアップさせますが、日々の不摂生の積み重ねは、その人をダウンさせます。
私もスイッチが入ると、いろいろできますが、スイッチが入らないと、ダメダメモードになります。
この辺が上手くできると、いいなと思います。
2019年も、会いたい人に会って、したいことをできるだけやっていこうと思います!
皆様、今年もよろしくお願いいたします!
みなっしーから、京都のお土産頂きました。
ありがとうございます!
(*^▽^*)
24日に、久しぶりに、道場の特別稽古に参加した。
今回の私のテーマは、まず、怪我しないようにというのと、気持ち悪くなったら、直ぐ、休む作戦だった。
今回の内容自体は、保江先生による陰陽師の方法とのことだったので、本人が使うのは、良いけれど、教えるのは、ダメとのことだった。
だから、やり方とかは、書けないけど、以外と普段、当たり前で、気づかなかった点を書いて見ようと思う。
よく、保江先生が目を皿のようにして見ると言い方をして、動作を行うと相手の身体に影響するとかがある。
普段、当たり前になっている、相手を見ている時、私の姿を見ていない。この話は、なかなか深くて、
言葉を変えると、相手を見ている時、私の存在がお留守になっている。
私の存在も実感しながら、相手の存在も感じるということができれば、空間を把握しているという事なるのかなと思う。(私の感覚だと、力が増すという感じ)
今回、嬉しかったのは、炭粉先生が、私を練習相手にいろいろ合気の技を試してくれて、スキンシップがとれたことだ。
ひとつの極意に関しては、保江先生がアドバイスをくれて、やってみて、その後、相手が炭粉先生に変わった。
これを、後から考えると、保江先生が私に伝えて、それを炭粉先生が受け取るということをさりげなくやっているのかなと思う。(完璧には、できていないと思うので、そのエッセンスだけでも。)
稽古が終わって、居酒屋で、殆ど、炭粉先生と話せなかったので、成田空港まで、一緒に行ってお見送りをした。
その電車の中で、いろいろ私の分かることを話して、私自身の聞きたかった質問をした。
「炭粉先生! 保江先生との決闘での保江先生は、イエスキリストの無償の愛モードですよね。?」
「違う!」
「ずーつと、そう思っていたのになあ。」
保江先生には、いろんな(*^▽^*)があるから、凄いなと思いますし、勉強になります。
炭粉先生には、愛があるから、女性も男性も好きになります。
松岡先生には、体重あるから、炭粉先生には、松岡君、大きくなったねと言われます。笑
何で、いろんな凄い先生達と出会っているのに、夜は、ご飯食べ過ぎます。白くまアイスも3本食べちゃいます。
父親に、お正月のアンコ餅頼んだら、断食したら、食べさせるぞと言われちゃいます。
今回の感想です。よく、地に足をつけてという言葉があります。
私は、丹田が使えるので、それで、自信があったのですが、特別稽古で、分かったことは、
あくまでも、私という中心をしっかり持って、その上で、世界,宇宙がある。
そして、私と宇宙は同じとなれば、いいのかなと思います。
理想は、高く、現実は、浮かんだことを、ひとつづつ、やっていこうと思います。
今年も、後少し、頑張ります!(*^▽^*)
保江先生とツーショット写真撮ったが、SDカード入れ忘れの為、写真映らず、残念!
日曜日に、秋山先生と、ゲストに、磯さんと、トッチさんのお話会があった。
今回、私は、こういう質問を持って臨んでいた。
1、調和という言葉をどう捉えているか?
2、約束をどう捉えているか? 約束を守らないことにどう思うか?
3、認識できていないことに対してどうおもうか?
4、3人それぞれ、世界観、宇宙観、が違うと思うが、どう考えているか?
磯さんは、お金に執着していた世界から、死にそうになって、そうではない世界もあるという話をしてくれた。
実に、人間味ある感じがした。物質を追求していて、(やり尽くして)その反対の世界に気づいた。(本当は、全てひとつ)
磯さんの言葉では、全ての命が響きあっている。
秋山先生は、思考は、波動とか、エネルギーは触れないけど、綿棒は触れられるとか、形魂とか、いろいろ先生の分かることを話してくれた。
トッチさんは、秋山先生が質問して、それを、秋山先生が答えたり、(確認したり)、トッチさんが答えたりしていた。
トッチさんの話は、真理は、言葉の前にあるとか、隠されているとか、麻の葉模様とか、頭だけで分かろうとしてもダメとか、があった。
磯さんだったか、トッチさんだったか、忘れてしまったが、
隠されているけど、隠されていないという言葉がカッコイイナ!と思った。
この意味は、真理の鍵穴は、昔から、みんなの前にあるが、その鍵穴を開く鍵は、私達の意識だそうである。
頑張れ!みんな!
深い!
磯さんが、トッチさんの話をしてくれました。
トッチさんの新車に、車が突っ込んで、バンパーの所が凹んだそうです。
そんな時、多くの人は、怒る人が多いと思いますが、トッチさんは、その時!
許す!と言ったそうです。磯さんは、カッコいい!と言っていました。(私もそう思います。)
起こったことに、ネガティブな感情を乗せないがポイントだそうです。
その後、バンパーをなでなでしたら、○○になったそうです。
最後に、質問をしようと思ったのですが、できなかったので、トッチさんに、聞きました。
トッチさん、あれですよね?「結局、この球体(立体)を平面という価値観で見ているから、奥行きのある立体を分からないんですよね。また、全体を部分で、捉えようするから分からないですよね。価値観があって、反対を否定しているから、反対の世界は、分からないんですよね。」そして、約束を守らないことに対して、どう思うかを聞こうと思ったのですが、そもそもトッチさんは、悩みが無いんだなと思いまして、止めました。トッチさん、悩み無いですよねと私が言いましたら、笑ってました。そういうことです。
今回、3人の先生を見て思ったことは、磯さんも、秋山先生も、トッチさんも追究されてきた。
そうすると、私という個人の視点で見なくなってくる。
(私などは、まだ、どこか遠くの人が亡くなろうが、私に影響のない災害も他人事と思ってしまいますが。)
磯さん、秋山先生、トッチさんと達だと、本当に今のままでは、地球がダメになってしまうので、その為には、どうしたら、いいかという視点で、動いている感じがします。
私などは、大きな身体に、小さな心なので、目の前の気になることにひとつずつ、取り組んでいこうと思います。
磯さん、秋山先生、トッチさん、ありがとうございました。
フラワーオブライフというものに、興味ある方は、ワークショップもありますので、探してみてください。
これは、私と全体との関係、私の今の状態が分かる感じがしますので、お勧めです。
トッチさんは、フラワーオブライフは、真理と言っていました。
真理である以上、全てに答えられなきゃいけません。
答えられると言っていました。
真理とか、根本とか、興味ある方には、お勧めです。(*^▽^*)
今回は、写真を撮っていまして、そのカメラを忘れてきてしまい、それを送ってもらって、それを、一緒の載せようと思いましたが、SDカードを入れていなくて、映っていませんでした。残念!
みなっしーから、クリスマスプレゼントを頂いた。
書き心地が違うノートである。
違いの分かる院長の (笑) 、違いの分かるみなっしーのプレゼント!
流石である。
ありがとうございます!
(*^▽^*)
土曜日に、みなっしーから、シュトーレンを頂き、谷口先生が来られ、先生からは、固定材料と本を頂いた。
みなっしー、谷口先生ありがとうございます!
日曜日は、大掃除で、木更津から、両親が来に来てもらった。
ひとりで、ベットを運んだら、結構疲れた。
毎年、年末の床のワックスがけをやると、今年も終わりだなと思ったりすると思うが、今回は、早めだった。(いつもは、30日にやる。)
今年も、後、2週間ぐらいとなるが、まだまだいろいろあるので、油断なく、頑張っていこうと思う。
(*^▽^*)
日曜日に山梨県の石割山に山登りに行った。
久しぶりに、先輩とリーダーの3人組となった。
今回は、最初の登山口のトイレで、いきなり危機が訪れた。
普段、トイレは、洋式なので、和式は、結構きつい。
その姿勢で、いると、お腹がつってしまい、気持ち悪くなってしまった。
いきなり、登山中止かと、脳裏によぎったが、何とか、事なきを得た。
そして、登山の始まりは、長い急な階段だった。
これが、なかなかきつく、気持ち悪くなりながら、何とか登りきった。
リーダーと先輩は、登るペースが速いので、上で、待っていた。
リーダーが、今日は、「ここで、止めとくか」と言ったが、「大丈夫です」と言った。
結局、3組くらい抜いて、登っていたが、その後は、足もつらず、気持ち悪くもならず済んだ。
富士山は、雲に隠れて、良く見えなかったが、やはり、カップラーメンは、美味しかった。
東京に戻ってから、ファミリーレストランで、おしゃべりをした。
何と、終わってみれば、5時間ぐらい話ていた。
内容は、精神と肉体、五感、空間の把握の仕方、という話ではなく、愛の話。
今年も、後、少しですが、頑張っていこうと思います。
リーダー、先輩、来年もよろしくお願いします!
(*^▽^*)
保江先生の神代到来という本を読んだ。
これは、保江先生が今まで、やってきたことを、先生の言葉で書かれている本である。
本の中で、先生が、道場長から、古くからの門人のみなさんが、数カ月前の指導にあった合気技法をその後毎週の稽古で練習を重ね徐々にできるようになったにもかかわらず、次の指導のときにはその積み重ねなどおかまいなしに、まったく異なった切り口の合気技法を教えてくれる・・・。ここ数年というもの、そんな稽古の繰り返しばかりだった・・・。武道の修行というものは十年一日の如く同じ技法をこつこつと繰り返して技を磨いていくものであるはずなのに、これではいつまでもたっても熟達しないのではないか!
これを聞いたときに、僕は内心憤然としていた。というのは、毎回ちがったことを教えているのは、できるだけ多くの門人の皆さんが本当に合気技法を身につけることができるように、それぞれの皆さんが自分に一番適したやり方を各自で見つけてもらう手掛かりを様々にお示ししているつもりだった。当然ながらそれを喜んで試してくれていると信じていたにもかかわらず、むしろ反対に大いに戸惑っていたのだ!そんな(僕にとっては)情けない真実を突きつけられてしまった形の僕は、本来ならば反省して指導方法を変えていかなければならないところを、生来の天の邪鬼が災いしたかのように開き直ってしまう。数日後にあった東京本部道場での稽古のときに、どういうわけか突然に批判めいたことを僕は口走ってしまうのだから、よほど腹に据えかねていたのだろか・・・。
と書かれている。
私は、合気は、無償の愛と思っているので、この無償の愛が分かる保江先生が無償の愛の分からないお弟子さんに、手を変え、品を変え、それを伝えようとしている。お弟子さんの方は、従来の経験に基づく習得方法で、技法の習得を目指しているのかなと思う。先生の方は、この無償の愛という万能エネルギーを伝えようとしているのだけれでも、お弟子さんは、技という形が大事だと思っているのかなと思う。(保江先生の当たり前は、お弟子さんお当たり前でなく、お弟子さんの当たり前は、先生の当たり前でない。)ポイントは、お互いが見ているところが違うところかなと思う。(違ったら、すいません。m(__)m)
例えば、無償の愛というのが分かって物事を見ると、全ては等しく、尊く、見えると思う。これを、善悪のある人に話をしても、そうは言っても、あれは、ダメでしょうと言われてしまい、なかなか伝わりづらい。
人が肯定するときと、否定するときは、なぜか?と考えた。前から分かっていたのは、私が正しいと思っているから、あなたは、正しくないになる。お互い、正しいとぶつかる。なぜ?肯定したいのか?考えた。それは、私の存在価値に関係すると思った。なぜ?存在価値にこだわるのか?考えた。これが、無くなると、消滅してしまうと思っているから、だから、怖い。譲れない。実際の社会生活では、価値観の世界では、力関係で、強い方が、私の価値観を示し、弱い方が我慢するになる。
私自身、努力、根性タイプなので、時間をかけて、物事を習得してきた。物事を重ねることの良いところは、重ねることで、その積み重ねが、自信になる。その積み重ねが多い程、力が強い。悪いところは、重ねれば、重ねる程、それに囚われる。そこが見えていない場合がある。
拘り(こだわり)という言葉と、執着という言葉がある。こだわりは、素晴らしい感じがして、執着は、やな感じする。その違いは、こだわりは、全体の中で、個が調和がとれている。執着は、全体というのを、考えず、個の気持ちだけを考えている。
今回、私が、まだ、物理的攻撃に対して、無力化できないのは、なぜか?と考えた時、痛いとか、怖いとかの他に、人は、仲良くした方がいいというのを、持っていて、仲良くしないことに対して、許せないを持っているからだというのが分かった。腕前比べは、好きかもしれないが、傷つけあう、殺し合うは、好きでない。そこに、対して、否定を持っている。ここが、現時点の私の未熟なところで、そこに愛が持てないところが課題だと思う。そのような気持ちを持つ人達に対しても、同じ人として、その気持ちを持つ人の敵意や、殺意を抜いてあげることができれば、その人達は、解放され、心に余裕が出てくるのかなと思う。
もし、全てが分かるとしたら、ある人には、人生とは、ただ、視点が移動しているだけですねと言い、また、ある人には、人は、多次元の存在ですねと言い、またある人には、肉体を持って、この地球でいろんな経験をすることですねというと思う。
物事は、どの視点で話をするかで、いろいろ変わってくる。だから、違う視点同士の話は、意味が分からないとなる。
何かの話をするときは、同じ土俵で話をするという前提が大事だと思う。
身体だと、骨の話か、筋肉の話か、神経の話か、皮膚の話か、細胞の話か、氣の話か、愛の話か、
これを、ひとつづつ、分けて、話をしないと、ごっちゃになってしまう。どれが、上手くいって、どれが上手くいかないかが分からない。
私の世界を広げる姿勢として、大事なことは、まず、私自身の考えで、それを、否定せず、まず、素直に聞いてやってみる。それで分からなくても、いつか、分かるようになったりする。否定することは、その世界を拒絶することなので、それでは、私が許可していないので、新しい世界が入ることは、難しいと思う。
素粒子の世界で、観察者の意識が影響するというのがある。この考えを基にすると、何かがあるという、意識を持つ人の世界と、何かがないという意識の人の世界は、お互いの世界が違うことになっているので、この二人が話をしても、お互いが納得しないことになる。
とか、いろいろ考えたりしているが、当面の問題は、夜、食欲がとまらないことである。つい、白くまアイスを三本いってしまう。ご飯もバクバクいってしまう。すると、朝、胃が重い。
こんな私も、人間らしくて、いいなと思うけど、体重計にのると、また増えてる。笑
大きな悩み、小さな悩み、いろいろあるけれど、それが、人生かなと思う。(*^▽^*)