所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > プライベート|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 34の記事一覧
日曜日に、新国立劇場で、SENPOという舞台を観てきた。
この舞台は、第二次世界大戦中に、リトアニアの領事の杉原千畝さんが、ヒトラーの迫害から逃れてきたユダヤ人達に、
命をかけて日本の通過ビザを発給した時の事を題材にしています。
SENPOというのは、千畝(ちうね)の発音が、難しいかった為の呼ばせていた名称です。
この舞台を観て、思った事は、助かりたいという気持ちと国の命令と人としての倫理の葛藤。
ユダヤの人は、とにかく、助かりたい。(死にたくない。)
SENPOは、ユダヤの人を助けると自分の命がないかもしれない。(処刑されるかもしれない。)
この命は、どちらも同じ命です。(どっちが重く、どっちが軽いは、ないと思います。)
この時のSENPOの判断は、相手や自分という損得という所から離れて内面の奥底(信念)からだったと思います。
だから、ぶれない!
この平和な今の日本で、どれ位SENPOの気持ちに共感できるかが、日々の生きる力になると思います。
いやあ、感動した舞台だった!でも、また、休み明け、仕事か。(憂鬱だな。)
いやあ、感動した舞台だった!仕事は、きついけど、SENPOに比べるとたいしたきつさじゃないな、頑張っていこう!
経験は、自信になり、頑張れるの原動力になります。
共感力が、あると、人の体験を自分として感じられ、頑張れるの原動力になると思います。
人に関心を持ってどんどん自分の枠を外していくと、どんどん心が、楽になっていくと思います。
日曜日に、昔、患者さんで来られていた方のお店(京食堂Kubo)へ親友と行った。
この方が、初めて整骨院に来られた時の印象を覚えている。
にこにこしているのだが、目が笑っていなかった。
そこで、若い先生に気をつけるようにと、指示した。
心の中で、何ものかなと思って接した。(只者じゃないなと思った。そそうのないように気をつけた。)
話をしてみると、日本料理の方で、相当な修業を積まれ、この方は、実力あるんだろうなと思った。
来院されるようになって、年も近い事もあっていろいろ話をした。(昔の話も覚えてくれていた。)
その頃、頂いた本が、すきやばし次郎さんの事が書いてある本だった。
以前勤めていた時に、仲間の先生とこの方のお店へ行った。
その時、初めて、食べる事で、感動した。(うまいという事は、よくあるが、感動は初めて!)
料理の技術と、目配り、気配り、が、凄いと思った。
この時、この方が言った、「喜んでもらえて、お金も貰えて、こんないい仕事はない!」という言葉が印象に残っている。
この言葉が、言えるのは、徹底的に仕事を追究し、お客さんを満足させる事が出来なければ言えない言葉だと思った。
仕事は、こういう感じでしたいものである。
お会計の時、二人で、4万円ぐらいは軽くいくかなっと思った。
そうすると、「お二人、5千円ずつでいいですよ。」
と言われ、恐縮しつつ、ごちそうになった。
この時、いつか、自腹で、この方のお店に行きたいと思った。
10年ぶり、お会いして、普段食べられない、はも、まつたけ、ふかひれ、毛蟹を食べた。
普段、お酒は、飲まないので、ビール2杯でいい気分になった。
「先生、瞬殺ですね。」と言われたらしい。
いい気分だったので、普段、心がけている一口25噛みは、やらず、バクバク食べていた。
毛蟹は、おかわりまで、した。
おもいっきり満腹になって、後は、ご夫婦の仲むつまじいショットとお願いしたら、奥様が、遠慮されたので、
大将とのツーショットになった。
お店の隅々まで、神経の行き届いた感じとお料理は、最高だった。
久保さん、また、行きますので、よろしくお願いします。
土曜日に、竹芝で、弟の結婚式が、あった。
なかなか、おしゃれなお店で、抜群のロケーションで、いい雰囲気の結婚式だった。
今回、一番感じたのは、弟の雰囲気が、いつのまにか、とっても、柔らかい優しい雰囲気に、なっていた。
やるな弟! だいぶ成長したな!と思って嬉しかった。
父親は、スピーチで、娘が、出来てよかったと言っていた。
そのぐらい大切にするという意志が伝わってきた。
母親は、感慨無量といった感じだった。
兄貴は、いつのまにか、ずいぶんと、成長した弟をみて、喜んでいた。
弟は、奥さんと出会ってから、いつも、二人でニコニコしている。
本当に自分達は幸せというのを、周りに振りまいている。
良い事だと思う。
昔、土木作業員をやっていた時期が、あった。
地元が、木更津というところで、久留里線という電車(正確にいうと、ディーゼル車)に乗って
久留里駅というところで降りると、そこに、ライトバンが停まっていて、その後ろの荷台のところに、
カナダ人の190センチぐらいの人と、折り重なって詰め込まれた。
どっかに売られちゃうのかなと思いながら、車は、手掘りのトンネルを抜け、山の中へ。
そこは、猟をする人もくるところで、仕事は、堤防を造る工事だった。
募集では、日当1万円という話だったが、初めてだったので、見習いということで、8千円だった。
話が違うじゃんと思いながら、仕事の内容は、30キロのコンクリートブロックを運ぶのと、
一輪車に、砕石を載せて運ぶことだった。
ここで、印象的だったのは、言葉が、荒かったことだった。
最初は、怒っているのかと思ったが、それが、普通だったので、びっくりした。
怒鳴るような言葉の中、働いている時の楽しみは、家でつくってもらったお弁当と
インスタント味噌汁を食べている時と、その後の野っ原に、ビニールシートを敷いての、
お昼寝だった。
この仕事をしている時、ああ、生きてるなという実感があった。
この頃、弟と腕相撲をして、両腕に対して片腕で勝ったと思う。(パワーが、有り余っていた感じ。)
ある時、雨が、降って堤防に川の水が、入ってきて、危ないという時、
みんなで、必死に、土嚢を積んで、なんとか決壊しないように頑張っていた
が、結局、決壊し、また、最初からやり直しになった。
いつも仕事をして、帰る時電車に乗ると、泥だらけなので、気にしながら乗ったのを、
覚えている。
凄いと思ったのは、一緒に働いていたカナダ人は、仕事が終わって久留里駅で、降ろされると
20キロ先の家まで、自転車で、帰っていった。(なんて体力だと思った。)
この時一緒に働いていた若い兄ちゃんから、原付を2万円で買った。
初めてのバイクだったので、嬉しかったが、そのバイクは、色は、黄色と赤の稲妻カラー
直管マフラーというのだったので、凄いうるさかった。
真面目な人間なので、暴走族と間違われると非常に困るので、上野に行って
マフラーを買い、その後の仕事場の人に、黒のスプレーで、塗り直してもらった。
結局、エンジンが、乗ってる最中に止まったりして、修理費に結構お金がかかったが、
スピードが、90キロぐらい出たので、楽しく乗ることが、出来た。
まあ、いろいろあったが、人が、汗して働くという事は、いいなあと思える経験が、
出来たのは、よかった。
世の中には、知らない事が、たくさんあるが、結構知った気になっている。
昔、自分の出会う世界の外に、欲しい知識がある時、どうしたらよいかと考えた事が、あった。
ただ、その事を知るだけで、世界が、広がる。
知る知らないの差は、興味の差だろう。
凄い好きなら、凄くその事が、知りたくなり、程ほどに好きなら、表面的な理解になるだろう。
昔、フォトリーディング(速読)というセミナーに参加して、本が、速く読めたらいいなぁと思った。
そこで、バシ!バシ!質問を飛ばしていたのが、経済評論家の勝間さんだった。
私は、参加しただけで、満足して、努力を怠った。
その差が、今出ているんだろう。
本当に手を入れたければ、思いっきり頑張ればいいと思う。
程ほどに好きであれば、程ほどに頑張ればいいと思う。
その選択は、本人に委ねられている。