所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 好きなもの|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 46の記事一覧
朝、通勤の時、スクーターで走っていると、お母さんが自転車で前に、ちぃちゃな赤ちゃん、後ろにおねえちゃんを乗せて走っていた。そのちぃちゃな赤ちゃんが手を振ってくれた。それだけで、幸せな気分になった。この赤ちゃんの姿が正に、愛そのものだと思う。つい、人は、相手の為に何かをしてあげようと、思って、したりする。それは、それで、素晴らしいのだが、そこを、待って、その相手が本当にしたい事が出てくるのを、待ってあげると、その相手の口から本当の気持ちが出てくる。赤ちゃんは、そんな、みんなが本当の気持ちを出しやすい気持ちにさせてくれる。毎月、月二回行っている保江先生の道場でも、そんな場が出来ている。そこは、本人が本人自身の心に気づいた分だけ、楽になるそんな所になっている。赤ちゃんのように、愛される愛くるしい存在になりたいと思う。(今は、むさ苦しい感じですけど。笑い)
続・謎の空手・氣空術という本を読んだ。
最初は、あっ、こういうやり方をしているんだという読み方をしていたが、読んでいるうちに、
ここに登場する人達のいろんな思いに、共感する読み方になった。
武道、武術に関わる生き方がある。
その関わり方は、その関わる人によって、いろいろあると思う。
そして、それを通して、自分を知るという事だと思う。
最初は、私がいて、対象物があるという捉え方だと思う。
そして、いつか、これが、私の世界だと分かる気がする。
本の中で、桃塚さんという方が登場する。
畑村会長と一緒に苦楽を共にしてきた心の友だ。
それだけに、畑村会長は、桃塚さんの事をみんなに知ってもらいたい。
炭粉先生は、桃塚学という、悲しいほどに目立たない男がいる。
と書かれている。
「氣空術の稽古を初めて行う人は皆さん固い。固い。けれどもそんな人を桃さんと組ませて稽古させると、
途端に柔らかくなってきて氣空術のうごきができやすくなるねん。」
と畑村会長。
本の中の印象だと、畑村会長と桃塚さんは、陰陽の陽と陰の感じがする。
陰陽は、見え方の違いなので、情熱が表に出ている畑村会長、情熱を内に秘めてる桃塚さん。
そして、いつも、二人で、稽古している時の会話は、
「もうこれ以上無いのだろうか?さらにすごい先生とはもう巡り会えないのだろうか?」でした。
と書かれていて。
そして、平成二十一年九月、私は岡山市野山武道館で保江邦夫先生と邂逅(かいこう)します。
戻って直ぐに桃塚さんに電話を掛けたのは、言うまでもありません。
「あったで桃さん!やっと見つけた!ホンマもんを・・・・・・」
と畑村会長は、書かれています。
興味のあるものには、アンテナが立ちます。
それを、追究していると、アンテナの感度が上がります。
また、自分自身も、信号を発しています。
ずーっと、追究してきた結果、アンテナの感度が上がり、保江先生の発している信号をキャッチしたと思います。
物事は、そこに、興味がないと、あっても、見えません。
本当に、心から、追い求めるものがあるのは、幸せだなと思います。
それが、生きがいになり、その行動が、別の人の生きがいを生むと思います。
まず、今いる場所で、目の前の事に本気で取り組むと、何か見えてくると思います。
それを、続けていくと、どんどん、楽になります。(実践済)
まず、最初のうちは、努力や、根性で、どんどん積み上げて、やってみて、そして、積み上げるやり方で、対応出来なくなったら、どんどん外すやり方でやってみると、いいと思います。(実践中)
氣空術のDVDを観た。
とりあえず、やってみた。
相手の胸に、拳を当て、(その時、膝を少し曲げて、下方向の力が働いている感じで拳を当てる)そして、拳を真っ直ぐ水平に動かす。この時、相手は、後ろに行かないように、踏ん張っている。けれど、後ろに行ってしまう。
(相手は、抵抗しようとしているが、抵抗出来ない。)
相手の気持ちとしては、ただ、前から押されるので、それに、逆らって踏ん張る感じ。
下方向の力は、分からない。
ここで、分かる事としては、脳は、一つの事に、対応してしまうと、他の事に対応出来ないという事。
ここでいう脳は、意識をして、脳を使うと、そうなるという事だと思う。(顕在意識)
例えば、車を運転しているのは、(周りを見て、ハンドルを握って、ウインカーを出したり、アクセルやギアを変えたりしているのは、)無意識。(と、ペーパードライバーの私が言っている。笑い)
目で見えるものは、力で対抗して、抵抗する事が出来る。
分からないものは、対抗しようが、ない。
であれば、これは、想像なので、出来るかどうか分からないが、相手の拳が私の胸に接触した時点で、相手の拳からこういう方向の力とか、鏡のように、相手の刺激をそのまま同じ刺激で、打ち消すというのを、無意識化に入れて置くことが出来れば、面白いなと思う。
顕在意識と潜在意識の研究。
潜在意識を研究していくと、身体の反応、心の反応がどう顕在意識に現れていくかが分かると思う。
あなたの身体の反応の元になるもの、あなたの症状の根本の原因、あなたの心の反応の元になるもの。
脳が、あなたの人生を創っていると思う。
脳があなたを、あなたの人生に所属させていると思う。
いろいろ考えちゃいました。
氣空術、是非、体験してみてください。
面白いと思います。
「謎の空手・氣空術」という本を読んだ。
炭粉先生が、推薦の言葉の中で、
「威力ある技はその威力故に、耐えられる。
威力なき技はそれ故に、耐えるべき対象が、ない。」
これこそが、氣空術の本質!
「氣空の拳」とは誠にもって、よくいったものだ・・・・・・即ち
「汝の敵を愛せよ」を唯一の理合とする冠光寺眞法と、ピッタリ符号するのです!
と書かれております。
意識で、感知出来れば、今まで積み重ねたもので、対応出来ると思いますが、
意識で、感知出来なければ、努力や、根性で、鍛えた身体をもってしても、対応出来ないと思います。
「動きや力の配分をどんなに完璧に踏襲しても、全くの徒労!」と書かれております。
愛魂というのが、あるのか、無いのかで、全然違うという意味だと思います。
私が、昔、山登りの一番最初の山で、三つ峠という山を登りました。
そこのコースは、短い時間のコース、長時間コース、岩登りのコース、もうひとつコースがあった気がします。
同じ、三つ峠という山登りというした事では、同じですが、中身が全然違います。(この時、凍っていて、滑って、尾骨骨折しました。(´・ω・`))
三つ峠という山登りをしたという話を聞いただけでは、その違いは分からないと思います。
であれば、一見、外側から見ると、同じ動きでも、ひとつ、ひとつ、精査する事で、この人には、効くけど、この人には、効かないというのが、なくなってくると思います。
意外とあるのが、別の技法で、その事が出来たとすると、つい、そういうものかなと思ってしまいますが、果たして、それが、師匠に通用するのかは、難しい気がします。
畑村会長は、「保江先生の柔術は、冠光寺眞法の愛魂の理合をそのまま柔術に通したもので、そのため冠光寺流柔術と呼ばれますが、先生によれば眞法の愛魂は柔術のみならずあらゆる人間行為に通すことができるとのことでした。ということは、我が空手にも通すことができるはずです。これが、氣空術のそもそもの発想でした。」
と書かれております。
私のイメージでは、無償の愛という完全球体を、みんなは、その一部分を、平面に、捉えて、愛という解釈をしているので、それぞれの愛が違ったりする。でも、それも、無償の愛の一部。
保江先生も、「愛には高貴な愛や低俗な愛などと区別は存在せず、どのような愛も愛であることに変わりはないのです。」
と書かれております。
保江先生が、畑村会長の事を、「かねてより密かに目標としていた己の姿ー限りなく透明に近い愛ーが、そう、既にそこにあったのだ。この僕に一つの大発見があった。活人術をするに、何も襲いかかってくる相手を愛する必要すらないということを。自分自身が愛になり、しかも限りなく透明に近い愛となっていさえすれば、ただ自然に動けばそれが愛魂(合気)になるのだから。」
と書かれております。
愛そのものになれば、全ての行動が、愛のある行動となります。かといって、いきなり、それを、目指すのは、大変かもしれないので、まずは、好きな分野で、それを、マスターしている師匠と関わるのが、いいと思います。
畑村会長の空手の話の中で、畑村会長が、強い初代の前田会長に、必殺・飛び後ろ回し蹴りを喰わそうと、思ったら、会長に完璧に封じられた話や、前田会長の弟さんと、稽古して、二人で、銭湯に行って、空手着を脱いだら、お互いの胸に、拳の後があって、嬉しかったと書かれております。本当に、空手が好きというのが、伝わってきます。
拘りは、頑張る原動力になると思います。
でも、拘りが、物事を、見えにくくもします。
そんな時、その人の好きな分野で、畑村会長や、炭粉先生や、保江先生のように、愛というエネルギーが分かった人が、世の中にどんどん増えてくれば、そこに参加する事で、より、充実した人生を送りやすいかなと思います。
氣空の拳を読んで、朝起きて、思った事。
小磯さんも、高荻さんも、闘いの世界に生きてこられて、いろいろ研究をされてこられたと思う。
小磯さんが畑村会長から、「当たってもええねん『受けよう』という気持ちを捨てて『迎え入れる』でやる。そうするとと攻撃した相手の反応も狂うし、技も決まる」というお言葉を頂いたと書かれている。
『受けよう』という気持ちを捨てて書かれている。闘いの世界であれば、攻撃、防御があると思う。その防御に、受ける(ブロックする。)、避ける(かわす。)のが、当たり前だと思う。
『受けよう』を捨てるとは、相手と私の力がぶっかるのをしないという事で、だから、『迎いいれる』となるのかなと思った。
日常生活で、相手と何か、意見がぶっかると、カチンとくる人がいると思う。(凄い頭にきた!”っていう人もいるし、少しイラっとした人もいると思う。)
防御を、避ける(かわす)を、日常生活で、使われると、こっちは、真剣に話しているのに、話をかわして、聞き流しやがって!(怒り!)となる。
どうしても、みんな生き方が違うのだけど、その生きてきた中で、掴んだもので、物事を判断するので、意見(価値観)が違うようになる。
畑村会長は、お会いした事は、無いのですが、小磯さんの文章を読んでいると、小磯さんのいろいろ追究されて出てきた拘りの質問に、ひとつ、ひとつ、丁寧に答えて下さっている感じがします。そうすると、小磯さんの方も、ひとつ、ひとつ、納得する事ができて、腑に落とされていかれるのかなと思います。
高荻さんが、合気を体験する為に、いろんなセミナーや、道場を巡られました。
高荻さんには、合気がかかりませんでした。合気がかからないと、態度を豹変する先生方がいました。
高荻さんは、憤慨しました。本物はいないのかなと思われたのかなと思います。
そんな時、男の中の男の炭粉先生が現れます。(注ー私は、炭粉先生ファンなので、偏った表現になっております。ご了承ください。)
高荻さんの、突きや蹴りは、凄まじいです。(瓦十枚を粉砕する拳、脛骨と腓骨を粉砕する蹴り)
炭粉先生は、生身ひとつで、痛み稽古という、相手から放たれる全力の攻撃に対し、一切の抵抗をせず、全て己の全身で受け止めるということをされた。
この時、高荻さんの様々な思い、持てる力の全てが出せた。
畑村会長、炭粉先生のお二人とも、厳しい道のりを歩いてこられた。
だから、小磯さん、高荻さん、お二人の気持ちがよく、分かる。
人の話を聞くとき、同じ価値観の人の話は、聞きやすい。
価値観が違うと、なかなか聞けない人が多い。
価値観が違っても、話が聞けるのは、尊敬出来る人か、好きな人の場合だと思う。
尊敬できる人に言われると、今までなら、あっ、それは、違うでしょう!と思っていたものが、尊敬できる人に言われると、あっ、そういうのもあるかなと思える。好きな人の場合も、あっ、そうかもと思える。
畑村会長、炭粉先生のお二人とも、積み重ねてこられた方なので、小磯さん、高荻さんのお二人とも尊敬できるべき、師匠だと思う。(積み重ねてこられたという点では、小磯さん、高荻さんも同じ価値観。)
その尊敬できるお二人が、目の前で、本物を、やってみせて頂いている。これは、納得するしかないだろうと思う。
畑村会長、炭粉先生のお二人のアプローチの仕方は、それぞれ、違うかもしれないが、お二人の言う通りにしていくことが、小磯さん、高荻さんの心をどんどん解放していくんじゃないかなと思います。
小磯さん、高荻さん、素晴らしい、畑村会長、炭粉先生に出会えてよかったですね。
お会いしました時、いろいろお話聞かせてください。
よろしくお願いいたします!