所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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先生の言葉。
「問いかけに答えはないかもしれないが、問いかけからの解放がある。」
これは、問題として、捉える私がいるという事だと思います。(松ちゃん。)
変容が起こると、実は、病気って、消えるんだす。簡単な話、神経質だったら、いろんな事とか、気になりますよね。でも、神経質でなくなったら、図太くなるでしょう?ということなんです。(笑)
「自分」をとりまく様々な「問題」をすべて変えるよりも、「それを問題としてとらえしまう自分」を変えてしまったほうが、手っ取り早い、というのも理由のひとつですが、自分自身を0化しておかないと出会うクライアントさん自体に自分の問題が反映してしまったり、クライアントさんそのものが、自分の問題となってしまったり、クライアントさんそのものが、自分の問題となってしまったりすることがあるので、社会の構成員としてのセラピストの責任を果たすために、全人的0化、少なくともその「努力」を必須としています。
この姿勢は、大事ですね。つい、私の見方で、相手を見てしまう! (松ちゃん。)
ゼロになったら、いのちだけが残るわけなんです。いのちというのは、躍動している。ダイナミズムですね。
めちゃめちゃ生きる、生命力があふれていく。
真空にガンマ線を当てると物質が飛び出してくる。
空 (松ちゃん。)
今、皆さんが感じている現実圧(問題)っていうのは、社会から来る淘汰圧です。この圧をむしろ、エネルギーに変えていく、そうすると新しい形態、新しい進化をしていきます。進化は何にも左右されないものを求めているので、ゼロ化は生命力が求めている方向ということになります。
ということは、私達は、社会が悪いといいながら、知らずに社会の求める私達でなければ、いけないと思っている。そりやぁ、私達の中に相反する二つの意識を持てば、葛藤するでしょう!(松ちゃん。)
僕だけ出来ても意味がない。
死ぬ気になると出来るようになる。
でも物理学の法則っていうのは、本当に平等なので、器用さは、関係ないですね。その原理原則に従って動けば、どなたでも、再現できるのです。
いいっすね。(松ちゃん。)
もうひとつ、再現性を得るために、とても大切にしていること。それが、「仮説を立てる、実験する、検証する」というプロセスです。
物事がある理屈でうまくいったとしても、さらに、「それは部分的な真実なのか」 「全体的な真実なのか」という部分についても検証します。
この姿勢、素晴らしい! (松ちゃん。)
私たちの心というのは、「されたい」というソフトが、一番大元の‶基本ソフト″として入っています。これはあって当然のもの。ただ、弱みとしても働きます。煩悩の一番の最初が「〇〇されたい」です。あとは、たいしたことがない。「〇〇されたい」、これは個人的な渇望のことですが、お釈迦さまはこれを「渇愛」と言われた。渇愛があると六道を輪廻してしまうよ、だからそこから抜けてしまおう、という一つの概念を提示しているですね。自分で身につけた覚えはないのに、自分の行動のすべてが、自分の「されたい」に制約されていく。ものを考える主体の自分が「〇〇されたい」に覆われているという基本ソフトがあって、これが勝手に起動しているわけですよね。私たち成人の中に、幼児がいるイメージ。これに左右されていることを、まず知ることです。でも、この「〇〇されたい」は絶対不変のものではないんです。わかれば、変えられます。認知の光を当てていくと、脳が可能な限り自動修正をやってくれますからね。そういうもののすべてに、知性の光を当てちゃおう、ということなんです。「知」こそ、私たち人類の最大の特性なんですから。
この「されたい」という言葉の意味がなかなかわかりませんでした。(松ちゃん。)
したいなら、わかるけど、されたいって、どういう意味?と思いました。
インターネットで、渇愛を調べました。①欲愛ー肉体の快楽を求める欲望のこと。②有愛ー生きることへの執着、死にたくないという欲望。③無有愛ー無になりたい、死にたいという欲望。
この意味なら、わかるけど、「されたい」だと、ピンときませんでした。そして、ふと、浮かんだのは、不足というのがあると、その不足している隙間を埋めようとして、「されたい」が起こると思いました。だから、不足がなくなると、この感覚がわからなくなるんだと思いました。
このアルケミアという技法は、今、認識している私ということがわかることで、今の現状を私自身がしっかり把握することで、今の現状から解放され、新しいことが起きる。そして、また、その新しい現状を把握することで、また、新しいことが起きるの繰り返しだと思います。
この先生は、その人の核の部分が見えていて、そこから、派生する意識、そして、また、そこから、派生する意識がわかるのかなと思います。
私達は、人生を通して、今の私(今の意識)に気づき、そして、また、今の私に気づいていく。って、感じだと思います。
この先生は、全人格ゼロ化といっておられます。ゼロになれば、なるほど、いろんなことがわかり、いろんなことを優しさで包んであげれると思います。素晴らしい考え方だと思います。(^◇^)
アルケミアと、ジェムレーションという本を読んだ。
そもそも、このアルケミアという本を買おうと思ったのは、いつも、メールで、送られてくる本の紹介を見て、その本のインターネット上の書評を読んだ。その時、その本の批判的な書き方をしている方がいて、それならば、アルケミアの方がいいと書かれていました。その書評を見て、この批判的精神を持った人が認めている本なら、いいのではないかと思いました。
アルケミアとは、技法の事で、ジェムレーションの本の方は、この技法を使って、人生が変わられた方の体験談が書かれています。
アルケミアは、錬金術(アルケミー)のように新しいものが生まれるよということで、そういう名前にしたそうです。
アルケミアの具体的な手順は、次の通りです。
手順1 問題という現実を定義する「という現実」自分で自分の問題を認識すること。ここが一番大事です。本の中で、問題と自分を別々に感じるというのは、逃げているということなんですね。とか、問題を認識する時には、実は、肉体に負担がかかります。問題をちゃんと認識すると、体は打撃を感じるようになっています。とか、書かかれています。
手順2 極陽を割り出す。(最良の結末を想定する。)自分が想像しうる幸福、思い通りになる幸福を、「陽」と呼びます。たいていはストリーのみですが、それに「最良の結末」を加えたものを、「極陽」と呼びます。そして実際にやってくる想定外の嬉しい結果、「思いがけない」幸福を「福」と呼びます。
手順3 極陰を割り出す。(最悪の結末を想定する。)「困っている現実」から想像しうる「最悪の結末」を想定します。これを「極陰」と呼びます。どうして極陰を出さなければいけないのか?というと、そうしないと「新しい力が生まれない」ということがあります。マイナスを排除してしまうという間違ったプラス思考が今、蔓延しているのですが、そうではないですよ、ということです。極陰と極陽を「死」をベースとして言うとしたら、「こんな目にあうなら死んだほうがましだ」というのが、極陰で、「ああ、もういつ死んでもいい」と思えるのが、極陽ですね。極陰のとらえ方は、千差万別です。
手順4 統合 統合は、体を使って行います。体内で、極陽と、極陰を同時に体感し、混じり合っていくのを感じていきます。
実際のやり方は、
フープのような輪を2つ用意する。そして、歩幅ひとつ分前に、輪を2つ並べます。
1、輪を前にして、まっすぐに立ちます。これが現状のポジションです。ここで、手順1で出した「△△という現実」の内容を唱えます。閉眼内語(目を閉じて声を出さずに頭の中で唱える)で言います。「顔はまっすぐに、眼球を動かさずに」言うのがポイントです。言う時に、眼球や身体を動かす行為は全て逃避行動ですので、これをしないようにします。
2、自分から見て左の輪の場所を「極陰」とします。両足で輪に入り、先ほど想定した極陰の内容を思い浮かべます。この時の体感をしっかり感じてください。自分の全てがダウンしてゆく感覚をチェックしてください。落ちていくような変化を感じられたらOKです。
3、一歩下がって、現状のポジションに戻ります。体を揺すったり、よそ見をしたり、今日の晩ごはん何にしようかなと考えたりした、先ほど感じた体感を体から抜いてしまうようにブレイクします。
4、次に、右の輪の場所を「極陽」とします。右の輪に両足で入り、先ほど想定した極陽の内容を思い浮かべます。この時の体感をしっかり感じてください。すべてがアップする感覚があるはずです。変化を感じられたらOKです。
5、一歩下がって、現状のポジションに戻ります。体を揺すったり、よそ見をしたり、今日の晩ごはん何にしようかなと考えたりして、先ほど感じた体感を体から抜いてしまうようにブレイクします。
6、体内で極陰と極陽を統合していきます。左足を左の輪に、右足を右の輪に入れて、立ちます。手を胸の前で合掌します。手を合わせる線も、体も、まっすぐに立ちます。左半身は「極陰」、右半身は「極陽」。異なる体感が2つ同時に起こり、体が真っ二つになるのを感じるでしょう。その体感が体の中でどうなっていくのか、感覚に意識を向けて、起こることに任せます。
7、6でしっかり味わったら、終わったと自然にわかりますので、そうなったら後ろを向き、左右の足を入れ替えます。同じく手を胸の前で合掌して統合を味わいます。
8、ご自身で、2つが合わさって終わったな、という感覚があるまで続けます。終わったと感じたら、終わりです。葛藤がなくなっているのでわかります。
手順5
ここでもう一度、最初に唱えた「△△という現実」と言ってみます。この時の体感が最初と変わって、何も感じないようになっていたら大成功。それどころか、合掌すると、「何とも言えないよい感じ」が生じます。
実は、「△△という現実」という現状把握さえ正しくできれば、認知によって発動する力で自然に解決に向かっていくんです。何もしなくてもね。ただ、統合したら超高速で現実が動くってことなんです。便利でしょう?
(私は、ドンキで、フープを買いました。1個1000円。場を設定してもいいと思います。)
と書かれています。
私は、これを読んで、その通りな気がしました。これを実践した人は、問題の認識は、自分の中にある見たくないものを見ることと言っておりました。その人自身が、その人の中にある良いと思っている事、悪いと思っている事を認めてあげる事が出来ると、それに囚われていない事になるので、新しい事が起こると思います。例えば、こういう人、嫌だなと思っている人が、その人自身、あっ、でも、私もこういう気持ちもってるなという事に気づくと、相手も許しやすいと思います。最初は、嫌な人がいて、私を嫌な気分にする。でも、本当は、嫌なものを持っている私がいるから、嫌な人が来て、嫌な気分にさせるが本当の所だと思います。
この先生は、純化という言葉を使っています。赤ちゃんの無邪気と違って、磨かれていった結果、透明度が増して獲得された無邪気と言っております。赤ちゃんは、愛の人ではありますが、確かに、みんなが赤ちゃんになると、社会が存続できない。その純化の為には、圧力が必要と言っております。炭素をぎゅーと圧縮すると、ダイヤモンドという炭素結晶になる。これは、「純化する」って意味なんです。と書かれております。
日曜日に、町田の島津先生の所に行った。
今回、特に、共振と、波という事が心に残った。
剛の松風の合気と柔の柳の合気というのがある。(剛の合気は、殺法なので、教えて頂いておりません。どさくさでいつか、先生にお聞きしようとこっそり思っております。)
手足を動かす事が不自由の患者さんに、対して、手技と、意識と、振動を使って接するそうです。
この時、共振という言葉が出ました。その言葉を聞きまして、私は、施術者のいい状態が、患者さんに、共振して伝わるんだと思いました。いろんな人が共振とか、共鳴とか言っておりますが、ここでも、その力を使っているんだなと思いました。
血腫のある患者さんに、対して、柳の合気を使う。そうすると、部分的に暖かい熱が障害物を取り除く、そして、同時に、脈でもむ。(脈のリズムを使う。)筋肉のポンプ作用を使う。こうして、血腫をなくすそうです。
そして、私的な気づきとしましては、患者さんを、見て、繊細な人と、頑丈な人がいると思っておりました。昔、ある繊細な治療する先生が、荒い治療を受けると、センサーがおかしくなるとおつしゃておりました。その言葉もあってか、私自身の中では、人は、繊細なタイプか、頑丈なタイプかと思っておりました。繊細なタイプは、感じるタイプ。良い方に働くと、いろいろな事に気づける。悪い方に働くと、神経質、いろいろ許せない。頑丈なタイプは、感じないタイプ。良い方に働くと、いろんなストレスに耐えられる。悪い方に、働くと、いろんな事に気づけない。と思っておりましたが、本人が耐え難い強い刺激(陽)を受けると、死なないように、頑張る力が出てくる。これで、生命力アップになる。(火事場のバカ力)一方、優しい力の刺激(陰)。温かさ。愛。を受けると、その本人の緊張が解け、本人が出しやすくなる。この陽と陰の力を使う事で、同じ刺激だけでないので、陰陽で、波となるそうです。島津先生になかなか深いですね。と言いました。違う言い方をしますと、北風と太陽の接し方で、その本人自身が、何かに気づくのかなと思います。
それを、踏まえますと、今回の気づきとしましては、人は、細かい所に気づく優しさと、困難を乗り越える強さの両方を持っているのがいいのかなと思いました。(ミクロから、マクロまで。)
私など、有り難いのは、いろんな疑問があると、怒られても(愛情を感じますので怖くありません。)聞けるという場がありますが、先生の修行時代など、質問に答えてくれるというのがない中で、師匠の一挙手一投足、言葉、雰囲気、いろんな物に、神経を研ぎ澄ませて、稽古されていたようです。
出来る事を、少しづつ、頑張っていこうと思います。
いつもありがとうございます!
松岡良一
日曜日に、東京の町田の島津先生の所に行った。
今回のひとつのテーマは、患者さんは、嘘をつくという事を教わった。
肩が痛くて上がらないという方のビデオを見て、その原因が足首にあり、それが、膝にきて、更に、股関節にきて、腰に来て、更に、肩に来ているというのを説明して頂いた。
これは、施術している人は、分かっている人が多いと思うが、患者さんの言葉だけを鵜呑みにすると、原因を間違うという話であって、患者さんの話を聞きつつ、全体を見るという事が大事という事であった。
今回、私的に、感動したのは、いい状態を知ると、脳は覚えるんだなと思った。
他には、活を入れる(気絶した人を起こす。)を習った。
首の出っ張った骨(頸椎7番)付近を叩く。
鼻にコショウを入れる。
首の筋肉(胸鎖乳突筋)をぐっと、つかむ。
そして、秘伝を習った。
今回の感想としましては、形としては、外側から見ると、同じように見えるかもしれないけれど、その中で働く力は、違うんだなと思った。島津先生の元には、他の武術の先生が来られたりしているみたいで、それは、やはり、先生の背景が凄いというのが、分かっている人が見つけてくるんだなと思いました。是非、その価値が分かる人がそれを、受け取るといいなと思います。
余談として、今回、島津先生に聞いてみたかったのが、あったので、質問してみました。「先生、刃物は怖くないですか?」先生は、「怖いよ」と仰られました。私の中では、武術の人は、武器を扱うので、怖くなくなるのかなと思っていました。(とりあえず、いろんな人に聞いております。)
で、先生がベルトあると聞かれ、先生にベルトを渡して、今から、来てみて、と仰られてので、とりあえず、殴ろうとしましたら、先生がつばを噴射されまして(毒霧みたいな感じ)、眼鏡が全く見えなくなりました。それと、同時にベルトが、パシっときました。(後で、駅のトイレで( ^ω^ )を洗いました。) そこで、分かりましたのは、これが、実戦であれば、目潰しをされ、攻撃されているなと思いました。
そして、もうひとつ、分かりましたのは、先生の仰る、怖いは、怖くて、動けないの、怖いでなく、武器の強さを認めた上で、素手で、対峙するのは、武器を持った方が強いという意味の怖いという事だなと思いました。武器の強さが分かった上で、それに、対峙出来るのは、凄いと思います。
もうひとつ、余談として、昔、中村 錦之助さんとお会いした時、凄く謙虚に礼を尽くされたそうです。一流の人は、謙虚と仰られておりました。
そんな、島津先生が、11月11日(土曜日)に、BS-TBSの夜6時からの夕焼け酒場という番組に出られるそうです。お時間ある方は、是非、観てみてください。
島津先生、ありがとうございました。勉強になりました、また、よろしくお願いします!( ^ω^ )
船瀬さんの未来を救う「波動医学」という本を読んだ。
この本には、人は波動で、出来ていて、臓器にそれぞれ固有周波数があるそうだ。
これが、乱れると病気との事と書いてある。
私の場合、基本的な知識がないので、波動と、周波数で、まず、どういう関係と思ってしまった。
インターネットによると、波動は、波の事で、周波数は、媒質が1秒間に往復する回数と書いてある。
媒質は、水面上は、水。音の場合は、空気。だから、ここに関与出来る人は、いろんな症状に対応出来る事になる。
しかし、そもそもの病気の原因は、体毒で、「食」と「心」から生まれます。ひとつは、代謝能力以上の食物を食べると、それは排泄しきれず、老廃物として身体に溜ります。これが体毒の正体です。もうひとつは、苦悩もアドレナリンなど毒性ホルモンを発生させます。これも体毒になります。と書かれております。
船瀬さんがお勧めするやり方は、根本原因が普段の生活による体毒だから、症状に対して波動療法で、症状をしずめ、断食療法で、体毒を排毒し、体質改善をして、根治をはかるのがよいのでは、との事だそうです。
本の中には、いろいろな治療法が書かれおります。
また、闇の組織というのも書かれおります。この闇の組織は、自分達の利益に関係する事になると、強硬手段に出るそうです。
だから、私達が、一般的には、治るという事が難しいガンや、難病を、もし、治せるというと、身に危険があるかもしれませんが、都市伝説的にとらえていれば、関わらないと思います。
日本では、医療機器として、認められていない波動の機械が、ロシアでは、普通に認められている。(ロシアでは、国をあげて波動医学に取り組んでいる。)
今回の感想としましては、暴飲暴食、不健康という生活をして、それを、全て帳消しにする夢の機械は、なく、あくまでも、病気になった時、その人が人生を振り返るチャンスを頂ける可能性の為の機械であり、あくまでも、今の現状は、本人が創っているので、それに気づく事だと思います。闇の組織に関しましては、裏で、世界を牛耳っているというというのが、もし、ありましたら、これは、単に、既得権益という事だけでなく、人を支配したいという強い信念をもった集団かなと思いますので、手強いなと思います。
世の中、いろんな情報があって、それが、常識と呼ばれたり、非常識と呼ばれたり、すると思いますが、あくまでも、本人の頭で、考えて、納得して、答えを出す事が大事だと思います。そうすると、人のせいにしなくて、後悔ないと思います。( ^ω^ )
日曜日に、横浜で、講演会と、ワークを一緒にやるワークプログラムがあった。
昨年に続き、2回目になる。
鵜呑みと反発は、ダメですよという話が出た。
鵜呑みは、何も考えず、取り入れてしまっているので、嘘の情報、また、本人に合う部分、合わない部分を考えていない分、そのままだと、本人の為にならないかもしれない。素直な人は、鵜呑みにするし、猜疑心の強い人は、鵜呑みはしないと思う。
一方で、反発は、自分の考えと違う事を言われると、その話は聞きにくい。この場合、素直な人は、話が聞けて、猜疑心の強い人は、話が聞けないと思う。
どちらも、本人にとって、いい面、悪い面があると思う。
私的なスタイルは、話は、鵜呑みして、その上で、私に合う部分、合わない部分を考えたりしている。
その時、相手の方がどの位置から、話しているかを、考えたりしている。
今回、私がkan.さん好きだなと思ったのが、「世の中には、見えるものから、見えないものまであります。この間があるんですよ。ちゃんとつじつまが合う。はしょってはダメ。」という言葉だった。この言葉は、全部が分かっていないと言えない。そして、分からない事があると、つい、言い訳してしまう。(昔は、分からない事は、言い訳していた気がする。)日常生活をしっかり送りながら、精神性を追求するのが、大事と話しておりました。(両方、大事。)
kan.さんの言葉を聞いて、いろいろやり尽くした人には、その言葉がヒントになる。まだ、やり尽くしてない人で、素直な人は、そういう事もあるんだと思うとアンテナが立つ、我のパワーで、世の中を生きてきた人は、その人の価値観に合う部分だけ、受け取る。
みんなに関係する情報としましては、最近、多い不整脈は、手を心臓より高く上げないからだそうです。
マニアックな情報としましては、物事の中心は、この世にないそうです。
コンパスで中心を書くと、円が出来ます。そして、この中心を顕微鏡で、見ますと、その中心は、円になります。中心が全体で、全体が中心。丸チョンの考え方です。
そして、仙骨は、鎖骨だそうです。(これは、仙骨クリアーした人は、取り組んでみてください。)
kan.さんの伝えたい事は、身を入れて生きる。この身にかけての身だそうです。
今回の個人的な感想としましては、まだまだ、漠然としている事や、分かっていない事があるなと思いました。
今回の気づきとしましては、今までの私のスタイルとしましては、全て、実践主義で、私自身が効果を感じれば、それは、あり、感じれなければ、なしと思っておりました。しかし、効果までいかなくても、影響が1でも、2でも、感じられれば、それは、ありと考えられるのかなと思いました。(別の人には、効果がある。)
個人的な反省としましては、kan.さんの「身体を追求すると、人生は突破出来ないが分かる。絶望すると分かる」という言葉を聞きまして、そこまで、身体を追求してないなと思いました。
出来る事をひとつずつ、やっていこうと思います。ありがとうございました。( ^ω^ )
土曜日に、kan.さんのワークショップに行った。
とりあえず、朝、早くから並んで、一番前の席を確保した。
今回、ワークショップに参加するにあたって、まず、目的を決めた。
1、何をつかむか?(感覚を含む。)
2、kan.さんは、みんなに何を提供するのか?(どうみんなと関わるのか?)
3、意識をどう広げるか?
2、に関しては、みんなに何を伝えているかという点としては、その本人と世界(宇宙)との関わり方。
みんながこの場にいる意味。本人が認識している範囲。本人が認識していない範囲。それぞれあるが、お互い影響しあっている。そこに、気づくと世界が広がるという事。(一般的な言い方だと、楽になる。)
1、3に関しては、kan.さんが使っているハンドタオルは、機械で作られたものだが、kan.さんが使っている時点で、この世でただ、ひとつの物になっている。kan.さんのハンドタオル。
その話の流れで、猫とか、犬とか動物の好きな参加者のAさんは、空気中の猫物質、犬物質等を吸っている。
違う言い方をすると、猫とか、犬とか、動物を嫌いな人は、その物質が吸えていない。その対象の物とか、人とか、があると、その世界が分かるようになる。その典型が、その道のプロというプロフェッショナル。
ポイントは、その物、その事象を意識する。関心を持つ。(好きな事は、どんどん詳しくなりますよね。)
私も、今回、勉強になったのは、意識を広げるには、そこを意識して、関心を持つ事だなと思いました。
意識すると、そこにある事が分かるようになる。
kan.さんが参加者の質問に対して、お説教モードで、伝えていたのは、参加者の人としては、困っているので、何とか、kan.さんに聞けば、その答えが分かるんじゃかないかと、聞いているのですが、kan.さんは、方法論では、解決しないよと話しておりました。つい、私達は、素早く解決する方法を求めてしまいます。(私も昔はいろいろやっていたと思います。)その問題を解決する為には、意識を変えなければなりません。kan.さんとしては、ヒント(情報)を与えて、後は、本人が頑張るというスタンスかなと思いました。
ワークショップの内容として、みんなの日常生活に関係する話としましては、偏り疲労。
寝ても、次の日、疲れが取れない。昔は、取れていたのに。安静にしても、とれない。これは、疲労というと、普通、動いて、疲れが溜まった。だから、安静という考え方。でも、この場合の疲れは、身体が固まっているから、疲れている。だから、固まっているのに、安静にしても固まりは取れない。だから、動かす。
kan.さんは、今は、情報が溢れています。一般的には、こうです。言う言い方があると思います。常識とか、それを、つい、私達は、そのまま考え無しに、鵜呑みにする人が多い。これを、その人自身に、合う部分、合わない部分をやっていくのは、その人本人ですよというのを、伝えたいのかなと思いました。
山登りする人には、行者足というのがあるそうです。裏筋肉というのがあって、網の目のような全生命とつながるものがある。山登りも、山を征服するという登り方ではなく、元々、日本は、山だったそうです。だから、山に帰るという感覚で登れると、そこにあるのを、受け取れるそうです。(私自身は、山に登ると、癒されるという感覚が強くあります。)そして、身体の中で、脛(すね)が大事だそうです。その脛を元気にするのが、山登りだそうです。山登りする人は、そういう事を意識すると、何か分かるかもしれません。
kan.さん自身危惧している話としましては、今、私達があるのは、先人があるからだそうです。
その恩恵で、今がある。だから、私達がなぜ、そうなるかを、形だけでやっていると、今の現状さえ、危うくなるそうです。kan.さんが何かつかんだと思ったら、それは、既に、先人がやっていたそうです。
深い話としましては、呼吸を深める為に人生がある。
この言葉カッコイイなと思いました。
帰りに、kan.さんとツーショット写真を撮ってもらおうと、ワークショップ終わってから、1時間並んでいました。会場が、6時までしか使えない為、会場から、出る事になりました。すると、今度は、外で、みんなとひとり、ひとり話してくれました。私が少し話せた時は、8時ぐらいでした。
kan.さんは、いろいろ分かっている人だと思いましたので、kan.さんに、今日の感想と、私自身が思っている宇宙観を伝えました。kan.さんは、そう、そうと答えてくれました。最後に、kan.さんに、「kan.さんは、いろいろ分かかっていると思いますが、kan.さんは、何を目指しているんですか?」と聞きました。「銀河。」とニコットして答えてくれました。
私自身、思います事は、もし、本質とか、根本とか、分かっている人(意識)があるとすれば、矛盾は、無いと思います。もし、矛盾というのがあるとすれば、まだ、見えていない世界があると思います。
一方で、kan.さんとお話ししまして、あくまでも、本人の興味のある所を生きればいいという話になりました。
だから、凄い人とか、聖人とか、いろいろいると思いますが、別に比べる必要は無く、今、いる場所で、その人の納得で生きていく事がその人の幸せかなと思います。その時、その場所と、その人自身の関係を考えていくと、より、生活し易いとは、思いますが。
最後に、kan.さんに、身長いくつあるんですか?と聞きました。
188センチだそうです。kan.さんの実践する生き方、昔の中国の豪傑のような風貌、(#^.^#)とした時の笑顔、素晴らしいなと思いました。
ありがとうございました。勉強になりました。( ^ω^ )
日曜日に東京の町田の島津先生の所に行った。
今回、一緒に参加している先生が、島津先生の身体を借りている時に、
島津先生が、「ああ、千日の行屁一つ。」と仰った。
どういう事かというと、その先生は、力を抜いてるつもりは、ないのに、無意識に力が抜けていた。
この言葉の意味は、ずーっと一生懸命頑張っていても、たったひとつの事で全てが台無しになる。
そういう意味と先生が仰っていた。
それを、聞いて私が思ったのは、島津先生の場合は、一瞬、一瞬を真剣に生きているので、その一瞬が気が入っているとか、抜けているとかが分かるんだなと思った。
流石、先生と思った。
もうひとつは、先生が、マッサージと腱引きは、違うんだよと仰った。
たぶん、2回くらいその言葉は、聞いていて、内心そんなの分かっているよと思っていたが、今回分かったのは、先生の仰っている腱引きと、私の思っている腱引きが違うことだった。島津先生に、「先生、それは、こういう意味ですよね。物事は、ある人は、それを、レベル1で話し、ある人は、レベル3で話し、ある人は、レベル10で話したりしてるんですよね。」 それを、受けて、先生は、お弟子さんの時代に、師匠から、お前のおちょこでは、俺のどんぶりで注ぐと、いっぱいこぼれちゃうなと言われたと話てくれました。
そして、バカとその場で怒られるというのは、大事という話も教えてくれました。
その場で、強く怒られると、その場で、覚え、記憶に残るそうです。確かに、恐ろしい顔で、怒られると、記憶に残ります。出来るだけ次は、怒られないようにしようときをつけると思います。私自身は、怒られるとか、好きではないのですが、この話を聞いて、怒られるというのも、本人の為になるんだなと思いました。
更に、帰り気をつけてねというお話も教えてくれました。
私も昔、親から気をつけて帰ってねと言われた時、そんなの分かってるよと思った時がありました。でも、この師匠が弟子にいうその言葉は、師匠は、弟子がそういう気持ちになるのを、分かっているけど、あえて言うことで、それを、意識させるという事でした。(油断させないように。)この話を聞いて、深いなと思いました。
他に、痛み刺激は、自然治癒力を上げるというお話と、柳の合気のお話を教えて頂きました。
今回、いろいろなお話を聞きまして、思いましたのは、武術は、凄くいろいろ考えてるなという事と、どうしても、人は、安易に、何かいい方法が手に入らないかなと思ってしまう人が多いと思いますが、結局は、凄いものを手に入れようと思ったら、私の器を大きくするしかないなという事でした。
島津先生を見てまして、思いましたのは、先生は、質問したら、それに答えて頂けるけど、質問しなければ、答えてくれないなと思いました。何十回も、先生にバカと言われながら、少しづつ器を大きくしたいなと思います。
いつも、ありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします!
松岡良一
整骨院の本当に目の前にある、まことストレッチカイロさんが、昨日、3周年を迎えた。
開業して、半年して、斜向かいに整骨院が出来た時は、怒り心頭だったが、まことさんが開業された時は、心から頑張ってくださいと言えた。(私も成長した。)
まこと先生とは、一度、朝までいろいろ話をした事があって、お人柄が素晴らしいのと、洞察力が素晴らしのと、治療も独自で考えられているので、素晴らしいと思った。
たまに、顔が合った時は、とりあえず、掴んだ事を話している。
まこと先生、3周年おめでとうございます!
これからも、先生のご活躍を応援しております!
(*´∀`*)
今回、仲良さアピールの為の二人で、ハートをやってみると、面白いなと思ってやってみたが、写真をみなっしーに撮ってもらった時、周りの目が気になって、とっても恥ずかしかった。(●´ω`●)ゞてへぺろ