所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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日曜日に、町田の島津先生の所に行った。
今回、教えて頂いたのは、隠れ腰痛と、心眼流的マッサージと、丹田(瓢腹)
隠れ腰痛とは、どこが原因で、痛いか分からないけど、腰が痛い場合。
先生は、身体のバランスで、腰痛を感じると教えて下さった。
私の場合で、考えてみると、骨盤のズレと、筋の捻じれと、筋の引っ張られで、症状が出ている方が多く、それ以外だと、腹筋や、筋膜や、足首だったりしている。
身体のバランスと考えてみると、仙腸関節とか、頭蓋骨とか、重心とか、地球を考えると、重力もあったりすると思う。
ひとつの考え方としては、この腰痛に関わる要素を全て取り除けば、症状がなくなるというもの。
別の考え方としては、昔、患者さんで、ぎっくり腰の患者さんの筋肉が鉄板のようだったけど、普段、腰痛は感じないという場合。(脳が症状を認識しなければ、いいのか?)
脳が症状を認識しない場合と、脳が満足しているという場合もあると思う。
人によって、頑張れるタイプと、頑張れないタイプ、頑張れる時と頑張れない時があると思う。
センサーも、感度が上がれば、どんどん感じる事ができ、タフさも、どんどん強くなれば、よりタフになる。
症状に対しての感度が上がって、それに対して、不満を持てば、きつかったり、怒りが出てきたり、それに対して、そういう事かと納得できれば、和らいだり、楽になったりするのかなと思う。タフさも、麻痺という感じで、感じないのも、本人や周りにとって、今は、分からないが、いつか、爆発すると、困ることになるのかなと思うし、強くなることで、余裕ができると、本人や周りにとっても心や身体にいいかなと思う。(そうは言っても、松岡整骨院では、とにかく持てる力を全て出して施術しますので、安心してください。)
プレジデントという雑誌で、「24時間の使い方」というタイトルで特集が組まれていた。
サブタイトルで、グローバルエリート300人徹底調査と書かれていたので、この人達が、どういう時間の使い方をしているか興味をもったので、買ってみた。
感想として、忙しい人は、いろんな事をしなければいけないので、時間について考える。そして時間を大事にして、時間に対しての哲学を持つのかなと思う。
この雑誌の中で、一人の社長が、グーグルカレンダーに、全ての予定を入れているので、一元管理できていると書いてあった。その中で、予定をとにかくいれて、その予定に向かって、行動する内容を予定としていれて、無駄に考えるのを、少なくし、行動するとあった。(行動する中で、考えていくというやり方。)
もう一人の社長は、こう書いている。
かっての日本であれば、「おおよそこれくらいの仕事を、だいたいいつごろまでに」といったやや曖昧な業務項目や達成項目の中で現場が動いていた側面がある。私はそのやり方に肯定的なのだが、最近は仕事の設計や組み立てを精緻に行い、可視化するといった仕事のやり方が身についていないと、ビジネスの世界では、通用しないシーンも多くなってきた。
これを、踏まえて、この社長は、グーグルカレンダーで、スケジュールをみんなに公開し、予定をいれてもらう、社長自身の絶対空けれない時間は、ブロックしている。また、部下のスケジュールも公開されている。
この内容を読んで分かる事は、時間には、私の時間があり、それを、しっかり把握しているか、そして、私と関わる相手の時間がある。それも、把握しているか。
これを、人生で考えると、例えば、両親がいて、結婚して、子供がいる男性だとすると、両親にとっては、可愛い子供(憎たらしい場合もある。笑)であり、奥さんにとっては、ご主人であり、子供にとっては、父親であり、会社にとっては、社員であり、友人にとっては、友達である、そして、趣味を選択できる個人でもある。
と考えると、一人の人間でもあるが、いろんな世界と関わっている。その世界が分かった上で、総合的に判断すると、本人なりに、納得しやすいのかなと思う。逆に、葛藤や、トラブルが起こるのは、ひとつの世界しか見えていないとなるのかなと思う。
(相手のことが分かると、今まで、許せなかったことが、何か許せることもあると思う。その許せた分だけ、本人も楽になっている。)
昨日、みなっしーと話していて今年は、どういう年という話題になった。
みなっしーは、あっと言う間の一年で、漢字一文字でいうと、一瞬の「一」と言っていた。
私は、今年は、いろんな出会いが会ったし、出川さん好きなので、「出」だと思った。
今年の成果としては、断食35日間をして、、20代の時ぶりの80キロ台になったのは、嬉しかった。
(昔のジーパンがはけた。)
スイッチが入ると無敵モードになるのが、分かった。
振り返って見れば、あっと言う間に一年が終わろうとしている。結局、休みは、殆ど、修行か、勉強だった気がする。(たまに、山登り。)
来年は、この糞真面目な性格の私であるが、ハイテンションとか、弾けるとかが、あると、面白いなと思う。
歯を食いしばって、頑張って、弾けたいと思う。 笑
誰か、その道のプロいましたら、ご指導よろしくお願いいたします!
青木紀代美さんの「食に添う 人に添う」という本を読んだ。今回、この本を読もうと、思ったのは、送られてくるメールに、七沢さんという方が、この青木さんという人は、菩薩のような方という表現をされていたので、それならば、素晴らしい人間性を持っているかなと興味が湧いた。
青木さんのお子さんは、未熟児で生まれ、身体が弱かったので、子供の事を考えたら、食べ物と向き合う形になりました。そこで、添加物の害や、食べ物が消費者に届く仕組みあり、そこには、いろんな思惑があるのを知りました。そして、身体に良い食べ物が私達の手に届くには、どうしたらいいか仕組みを考えたそうです。
この本を読んで、人は、我が事に関係すると、真剣に向き合い、そこで、本人なりの気づきがあり、腑に落としていくんだなと思いました。
本の中で、誰かを元気づけるということは、「我を捨て、我を忘れる」ことだと思います。我を捨てるというのは、お母さんが病気の我が子のために、自分のいのちは捨ててもいいから助けてほしい、と無意識に思っているようなことでしょう。我をさておいて、自分のエネルギーを子どもに与えることでしょう。我を忘れるというのは、喜怒哀楽すべてを息子と共有し、素直に子どもに同化することでしょうか。ひたすら相手の事を考え、その人に寄り添うのです。だから、看病するときには自分の自由はありません。その人が右といったら右、左といったら左、空を飛べといったら空を飛ぶ。飛べないときは飛ぶ努力をする。「いまちょっと忙しいから」「こっちの都合もあるのよ」なんていっていたのでは、重篤な患者さんを生かすことはできません。そうではなく、ただひたすらに「イエス」をいうのです。イエスをいっぱいもらった人は不安からだんだん解放されていくのではなしのでしょうか。 と書かれています。
我を無くす事で、周りが見え、我を出す事で葛藤が生まれたりする。物事をすべて、私事という意識で捉えると、毎日が真剣になり、他人事として捉えると、私には、関係なくなる。そして、周りが他人事ばかりだと、人生がつまらなくなるのかなと思いました。
そうして、思いましたのは、結局、私の在り方が、みんなとの関わり方になると思いました。私を中心に世界がある。そして私は、世界の一部である。私という視点と、世界という視点が同じになった時、全てが分かるのかなと思います。(実際は、更に、大きな世界、更に、更に、大きな世界がある気がしますが。)
普段の生活で、添加物は身体に悪いという話を聞いて、気をつけているとします。そんな時、みんなで、ファミリーレストランで、ご飯食べて、おしゃべりしましょうということになったとします。(よく、あることだと思います。)そんな時、私は、食べないという人もいると思います。私は、添加物は、身体に悪いと思っているで、食べませんというAさんがいます。(ピシッ!)それを、聞いて、そんなの気にしなくて、いいのにと思うBさんがいます。(?)何で、和を乱すんだと思っているCさんがいます。(カチン!)私も添加物は、あまり食べたくないけど、かといって、雰囲気壊すのも、嫌だしと思っているDさんがいます。Dさんは、思いました。あっ、そうだ。お腹空いてないので、コーヒーだけにしとこう。たまには、添加物の食べ物、食べてもも、大丈夫だろうというEさんがいます。
どの生き方も、その本人の納得の生き方なら、いいと思います。もし、葛藤があるなら、本人の見えている世界と、実際が違うかもしれません。そして、その世界は、その本人が、分かっている、分かっていない関わらず、その本人が創っていると思います。
最近、新患の患者さんで、ヨガをやっているOLさんが、腰が痛くて来たりする。
今まで、ヨガをやってるOLさんは、ヨガをやってて、調子が良かったが、やらなくなったら、調子が悪くなったという話は、聞いていたので、何で?と思った。
患者さんを見て、分かったのが、その患者さんの今の状態で、思いっきり頑張る、そして、調子が悪くなり、いよいよダメだと、松岡整骨院に来る。
ポイントは、ああ、今の状態が分からないんだというのが、分かった。今の状態が分からないから、無理してしまう。そして、痛くなってしまう。
筋(筋肉、靭帯)は、筋は、捻じれたり、引っ張られたりする。学校で、医学的に、捻挫は、筋を捻って痛めたと習う。だから、ぎっくり腰の時、昔は、疲れが溜まっていると、中腰で、筋(筋繊維)を痛めた。と思っていた。だから、安静にしたり、冷やしたり、固定をしたりした。この時、いつも、患者さんが、あいたた!で、来て、あいたた!で帰るので、無力感を感じていた。(固定したり、冷やした分は、少し軽くなる。)そうは、いっても、周りもそんな感じだったので、そういうものだと思っていた。実際は、その捻じれた状態、引っ張られた状態が、痛みをつくっていた。だから、そこを改善すると、痛みが変わる。
私的な、筋の説明は、水道のホースが捻じれてると、水の流れが悪いでしょうと言ったり、関節の所で、筋が真っすぐだと、動きがいいけど、捻じれてると、動きが悪くなり、引っ張られいると、痛かったり、動きが制限されたりしていると伝えている。(以前、捻じれている筋を真っすぐにしたら、干からびた筋に栄養がいきわたって、みずみずしい感じになった。)
ということを、前提で、お話をすると、今の状態が、筋が捻じれたり、引っ張られていたりしている。その制限された状態で、いくら動かしても、あくまでも、制限された範囲の中でしか動かしていない。人によって、今の状態が違う。
筋は、同じ方向ばかり使っていると、そっちの方向に捻じれる。使っていると、強くなり、使わないと、弱くなる。人によって、ひとつの動作で、使えている筋の数が違っている。そして、関節も、詰まっている人もいる。だから、人によって、身体のバランスが違う。(私も私の分かる範囲でしか、分からない。)
結論として、スポーツをする人や、身体を使う人は、まず、ベースを整えてから、望むと、運動能力は、アップしたり、怪我の予防になったりするので、身体を整えることは、大事だと思う。
松岡整骨院の理想。
小さい頃、出来の悪い、私で、父親には怒られていたが、それでも、母親は、それでもいいんだと認めてくれた。高校の時、学校に通う意味が分からなくて、辞めようと思ったが、親友の山ちゃんがいたので、頑張れた。整骨の学校の時は、悪友の金ちゃんがいたので、頑張れた。今は、いろんな人に助けられたりしながら、生活をしている。
患者さんが、痛みとか、症状を抱えてやってくる。この症状があるから、生活が出来なくて困るんです。と言う。患者さんで、痛みが50パーセント以下になって何とかいけそうという人と、1パーセントで、違和感がるので、ダメという人がいる。身体が悪いから、人生が上手くいかないという人がいる。確かに、そういう方もいる。また、身体が悪いというのを、言い訳にしている人もいる。私も小さい時、母親に泣きごとを言っていたと思う。言い訳をして、弱音を吐いてもいいと思う。それが、親がいるから、子供がいるから、友達がいるから、愛する人がいるから、頑張れるというのが、あると、人生は、輝くのかなと思う。
そこで、松岡整骨院は、先生何とか、頑張れそうですという関係でありたいと思う!
その為には、人格をもっと、磨いていかないといけないなと思う。
たまに、ちっとも良くならない!とか、罵詈雑言を浴びながら。これは、ダメか! 笑
日曜日に町田の島津先生の所に行った。
今回は、患者さんの脈のリズムに合わせて、施術を行うという事だった。
そして、その時に手の熱を加える。
このリズムという話を聞いて、同調とか、一体感だなと思った。
施術師が、一方的に、患者さんに、施術するのでなく、患者さんは、施術に一方的にしてもらうでなく、お互いが、その場に、しっかり向かい合うことだなと思った。
先生は、伝承が大事と仰った。ある時、先生が生徒に、見なくて、大丈夫?と、聞いたそうだ。ビデオを撮って、家で観ますから、大丈夫ですと生徒は答えたそうだ。先生は、内心そんなんで何が分かるんだと思ったそうだ。
伝承の意味!
この話を聞いて、ポイントは、伝えるだなと思った。
ただ、教える、教わるでなく。
教える者の姿勢。教わる者の姿勢。
先生の時代は、師匠が一度だけ技を見せる。それを、弟子が見て、考えて学びとる。
そして、師匠は、鬼のように厳しいけれど、そこには、弟子を一人前にしょうという深い愛情がある。
そうやって、受け継いだものを、今は、生徒さんに伝えている。
本来は、門外不出の技を生徒さんに、伝えている。それを、生徒さんは、その真意をくみ取らないで、ビデオで、その身体の中の働きを分からずに、形だけで、とらえている。
真剣に伝えようとしているものを、受け取り側の我儘を持って接するのは、もったいないと思う。
私は、不器用な方でありますが、先生を見ていて、先生は、そこにいる人のレベルに合わせて、教えてくださっているなと思っている。こちらの身体を捉えるレベル、身体を使いこなすレベルが上がれば、そこに、合わせて教えてくださると思う。
人と人が真剣に向かい合うと、お互い、その人が知らない相手の世界が入ってきて、世界が広がると思う。
最近、思いますのは、名の通った人、通ってない人、いろんな人がいらっしゃいますが、凄い人いますよと言いたいです。(*^▽^*)
最近、考えているのは、真面目な人と、不真面目な人が、同じ場にいて、真面目な人が一生懸命仕事をし、不真面目な人が楽に仕事し、それでも、その場が成り立たないかなと思っています。
ブログを書くと、親友の山ちゃんからは、長いと言われ、行徳の先生からは、段々、意識が変わると、シンプルになるよと、アドバイスをもらったりしている。
そうは言われても、なぜ、長くなるか、この松岡さんの思考を分析してみた。彼の考え方は、みんなに少しでも、良い情報を伝えて、少しでも、みんなの生活が、楽になるといいなと思っている。なぜ、長くなるか、行徳の先生のアドバイスを聞いて、分かったのが、ひとつの文章に、いろんな話題を入れていることだった。これからは、ひとつの話題で、文章を書こうと思っているそうだ。そして、彼自身が気づいたのが、人が、文章を書くことのひとつは、自分の主張を聞いてもらいたいという気持ちを持っているが、その主張が、全ての人に受け入れられるものではないという事だった。(人によって、興味の範囲が違うので、合わない話は、関心がなかったり、苦痛でしか、なかったりする。)
彼の良い所は、馬鹿正直に、本音を書いている事だと、思うが、それも、興味のない人には、全く、どうでもいいことである。
その彼が、気づいたことは、シンプルに書くことが出来ると、行間とか、間が出来、そこにスペースが出来ることで、読む人がほっとすることが出来るのかなと思ったりしたようだ。
ごちゃ、ごちゃ書くことが習慣になっている彼が、果たして、シンプルに書くことが出来るのか?
いつか、出来ると、私は、信じております。( ^ω^ )
シンプル イズ ザ ベスト !