所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 12月, 2016|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 2の記事一覧
日曜日に、箱根の明星ヶ岳、明神ヶ岳に山登りに行った。
5時間ぐらいの山登りだったが、晴れているかと思えば、雪が降ったり天候が変わったりした。
身体的には、いっぱい、いっぱいで、最後は、踏ん張りが効かなくなっていた。
いつも、通り、カップラーメン(カップヌードルシーフード味)を食べ、雪の中で、コーヒーを飲んだ。
私の感じる山登りの良さは、最初の頃は、頂上を目指すという目標を達成することだった。
そして、山登りすると、いい人になる。この山に登っている精神状態で、日常生活を送れたら、素晴らしいと思った。
(私の場合は、帰りの電車で寝て、起きると、いつもの私になってしまう。)
そのうち、山登りするだけで、癒されるようになった。(山の高さ、きつさは、関係ない。)
今回、分かった、山の良さは、身体がいっぱい、いっぱいになると、持てる力を、全て出そうとする。(やばいから!)
そして、固まった身体が、動くようになった分だけ、身体が楽になり、元気になる。
土曜日に、患者さんの空手の先生と話をした。患者さんに、私は、たぶん、筋肉がたくさんの人より、細くても、身体をより、動かせる人の方が、パワーあると思うんですと話をしましたら、患者さんの知っている人で、軽量級の人で、重量級の人を圧倒する人がいるという話を教えてくれた。その人は、腕立て伏せとかでも、通常のやり方でなく、いろんな筋肉の動かし方をして、鍛えているそうだ。
身体を100の部分が使える人と身体の1000の部分が使える人では、違うと思う。
言い方を変えると、身体をざっくり分かっている人と、もう少し詳しく分かっている人。
例えば、この100というのを、ひとつのチームと考える。(一固まり)
ここに、Aというチームと、Bというチームがある。
Aというチームは、ここにいる100人全ていろいろ本音で話し合って納得して、やっていこうというチームである。
Bというチームは、ここにいる100人全てが、本人の話せる部分で、いばりたい人は、いばり、言いたくても、言えない人は、我慢し、興味の無い人は、退屈を感じながら、みんな周りを見ながら、関わっている。
Aというチーム、Bというチームは、どちらも、ひとつのチームで一固まりだが、Aというチームは、自由度が大きく、Bというチームは、互いに制限しあっている。
一固まりという単位は、その人が、認識する最小単位。この一固まりを小さくすれば、小さくする程、詳しくなる。
この一固まりを、愛の目で、見ていけば、幸せがどんどん見え、価値観の目で、見ていけば、価値観に合うものは、喜びを感じ、より詳しくなる。価値観に合わないものは、どんどんストレスになる。
と考える事が出来ると、私とあなたで、どっちが多く取れるかより、私とあなたの二人ともが一緒に幸せになれる方が結局は、私の幸せになるというのが、分かってくるのかと思う。
昔、個性を伸ばそうという話が良く言われていたが、上手くいかなかった。それは、ただ、ワガママを助長しただけだった。
それは、個性を伸ばすという意味が分からなくて、そこに、思いやりや、愛がなかったからだと思う。
物事は、いろいろ分かっている方が、上手くいく。いろいろ知らないと、何かが、起きていても、気づかない。知らなくても、愛で生きている人は、問題ない。価値観で、生きている人は、いつか、しっぺ返しが来るかもしれない。(しっぺ返しが、来ても、何の意味か分からない。)
全ての物事を、私ごとのように受け取れれば、親身になりやすい。全ての物事を、他人ごとのように思えれば、客観的になりやすい。
とにかく、今、思っている事をちゃんとやっていくと、楽になる。その為には、私が、私の本当の気持ちに気づく事だと思う。
この前、行徳の先生と話をしていた時に、先生が一言、「問いだけがある」と話してくれた。
昔、結果と、過程、どっちが大事と考えていた時期があった。
数字とか、成果主義とか、結果を大事にする考え方と、やり方とか、悩んだりして、本人を成長させる、過程を大事にする考え方がある。
その辺りが、本人なりに納得できるようになると、問いという考え方が出てくる。
問いの最初の段階は、仕事でも、趣味でも、やり込むと、それに、反応して、見つける事が出来る。
その後の問いは、私の興味のあるものに、反応して見つけるのではなく、私自身が答えを持っている。
言い換えると、本来あるべき繋がりが、湧き上がって、見えてくるというものかなと思う。
朝、スクーターに乗って、クネクネした道を通勤している。たまに、前の車が止まったり、信号が変わったりしている。今までは、それは、状況に合わせて、身体が、無意識に反応していると思っていた。
今は、違う考えを持っていて、私という人が家から、整骨院まで、スクーターを運転する。といのがまずある。その時、道は、クネクネしているので、身体を傾ける。身体を傾けると、身体を傾けた感覚(体感)が出てくる。これを、一般的には、私が、スクーターを傾けて、その感覚を感じていると思っている。前の車が止まった。同じように、止まる。これが、決められている。これも、一般的には、車に反応して止まっている気がする。信号が変わるのも、同じ感じ。
普通、私(個人)という人が人生を見ると、未来は、不確かなもので、先は、読めない。それは、私(個人)という一部分のデーターで、制限されたもので、見ているからだと思う。もし、その場の状況全てを、見る事が出来れば、それは、不確かなものでなくなるのかなと思う。
今思う事は、表面的な私(個人)で物事を見ると、葛藤が多いと思う。それを、どんどん奥の私で、見ていくと私が求めていたのは、私(全体)という事になるのかなと思う。(何だ同じじゃないか!)
昔、患者さんのおばあちゃんと話をした時があった。凄く穏やかな感じの人で、細かい内容は、忘れてしまったが、お話を聞いていて、思った。幼い時は、幼い時の悩みがある。その時は、それが、大問題で、苦しい。それが、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代、その時は、本当に苦しく大変だったが、時間が経つと、そうでも、なかったりする。それは、こうじゃなきゃいけないという思いが、変化したからだと思う。
もし、問い(私)と、宇宙(私)というのが、同じというのが分かると、個人的な意識で言うと、凄く納得、凄く充実、絶対って感じと言い切れるのかなと思う。
行徳の先生は、今、分かった事を伝えてくれる。それを、私は、私なりの受け取れる範囲で、受け取っている。
たまに、先生を見ていると、私は、何か違う所を見ているだなというのを、感じたりする。そんな感じで、いつもお世話になっている。ありがとうございます。
世の中には、漫画みたいな先生達がいらっしゃる。
善、悪、上、下、左、右、地球、宇宙、いろんな先生達が、本人の求める所で、人を導ている。
それを、どの先生が、正しいとか、最強とを、考えると、分からなくなってしまうので、いろんな先生達の考えを、全て入れて、
その中で、本人が納得というのが持てればいいのかなと思う。(*´∀`*)
小林健先生の量子医学という本を読んだ。
以前から、無償の愛というものを活用すると、相手の方が気づける場を創れるかなと思っていた。
そして、最近、これを、治療に活用している人もいるのではないかと思って、インターネットで、探してみた。
そこで、小林健先生を見つけた。11月にセミナーがあるのを、見つけたので、電話してみると、すでに満員だった。
今回は、セミナーは、ダメだったので、先生のブログを全て読んだ。そして、波動薬というCDを買った。
量子医学とは、現代医学のように表面的な症状をストップさせるのではなくて、症状が起きてしまった細胞の元の更に元にある「量子」にアプローチしていく手法です。科学の世界では、これ以上はもう分解できなくなった最小単位のものを、「量子」または、「素粒子」と呼んでいます。素粒子を分かりやすく別の言葉に置き換えれば、「愛」という言葉とイコールになります。この素粒子が持っている特徴のひとつに、「まるで、波のように絶えず動きまわっている」ということがあります。そして、この素粒子の持っているわずかな波長が、私達の健康状態を大きく左右しています。だから、もし、みなさんが自分の力で素粒子が持っている波長を自在にコントロールすることができれば、どんな難病でもあっという間に治癒させることができるでしょう。量子波といのは、わずか一秒間で地球を七回り半できるほどの高速スピードを持っていますがもし、みなさんが自分の身体が持っている波長を変えることができれば、すでに起きている病気症状さえも、一瞬のうちに予想できない形に変化させることができます。私が普段行っている施術の中では、人が過去に受けた素性(素粒子の中にある人間の生きる素の原点の物質)のひずみを癒すことによって、今ある病状だけでなくて、未来にも同じ病気が起きないように波動コントロールしていきます。そのため、私の中にある量子医学のイメージは、過去と現在と未来が一瞬のうちにパッとひとつながりになって、時間や空間の区別が完全になくなっていくというものです。時間とは、ただ宇宙に流れているだけで、人が数を数えたり、区切ったりするために存在しているわけではないのです。みなさんが、私の治療院で一度でも施術を受けてみれば分かりますが、素性のひずみを埋めると、まるで時間を巻き戻したように身体が元気を取り戻していきます。量子医学では、人の身体の波長を「元」から正していくために、数年後にまた同じ病気にかかってしまうことがあり得ないのです。
と書かれてます。
健康に関しては、こう書かれてます。
結局、健康でいるために必要なことは、自分や他人に対して「スーパーラブ」を持っていることです。世の中に広まったどんな健康法よりも、強い愛情を自分の内側に持っていることの方が、よほど効き目があると言えるでしょう。
愛に関しては、こう書かれています。
心が「無」になれば、その瞬間に自分の内側にある真の姿を見つめ直して、本来の感性や心の美しさが現われてくるからです。そして、自分の中から愛情の泉がこんこんと湧き出しているのが分かるようになります。花瓶に花を生けるときれいですが、花なしで飾っても、花瓶が持っているものはしっかり出てきます。だから、みなさんは特別なことをしなくても、ただそこに生きているだけで愛に溢れた魅力ある存在なのだと知りましょう。
私はどんな生き物でも、ただ一生懸命に生きていること自体が「愛」なのだと感じます。
個人的には、この言葉が好きです。
感想としましては、小林先生は、愛の人だなと思いました。
愛はぶつからない。愛と接していると、緊張が緩む。
そして、本来求めているものに気づいていく。
患者さんを、見ていると、筋肉でみると、固まっている。調子悪い。ほぐれる。楽になる。
骨で見ると、関節、固まっている。ほどける。楽になる。
まだ、細胞の固まっているというのは、分からないが、昔、空間を、見ていると、ただ、動きだけが見えた。(動きが見えるというのも、変な感じだが。)
その時、これが、元なのかなと思った。この私の経験というもので、話を組み立ててみると。
ただの動きというものがある。これが、まとまると、小さな動きになる。更に、小さな動きがまとまると、中ぐらいの動きになる。
中ぐらいの動きがまとまると、大きな動きになる。これが、細胞だったり、臓器だったり、身体だったり、人だったり、家庭だったり、社会だったり、日本だったり、地球だったり、宇宙だったりするのかなと思う。
この正常と言われる動きの組み合わせであれば、調子がいいが、その組み合わせが違ってくると、調子が悪くなるのかなと思う。
ここに、愛というエネルギーが与えられると、変な動きの絡みを解いて、正常にするのかなと思う。
身体であれば、病気の症状が改善する。社会であれば、人間関係が良好になる。地球であれば、環境破壊から自然が復活してくる。とか。
ただ、これは、あくまでも、視点をその場所に限定して見ていると、そう見えるということなので、宇宙全体で、考えると、問題ないかもしれない。
この辺は、実際に検証してみないと、分からない。(課題)
最近、思いましたのは、人によって、興味の範囲が違う。人生の経験も違う。だからその人が今、欲しい情報は、今、興味がある事を、上手くやれている人だなと思いました。その方が具体的だから分かりやすい。あまり、抽象度が上がり過ぎると、意味が分からないなと思いました。みんなが上手くいくためには、いろんな場を作らなきゃいけないんだなと思いました。だから、人生の師匠は、いろんな場を作ったんだなと思いました。
人生は、その人の思う通り生きた方が、充実します。(*´∀`*)