所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
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朝日新聞の土曜日版にマックスさんの記事が載っていた。
マックスさんは、幼い頃から独学でプログラミングを学び、大学卒業後に入ったグーグルで、最先端のITエンジニアとしての道を歩き始めた。しかし、何かが引っかかるようになった。「このままでは、自分と違う考え方の人や、違う暮らしを知らないままの人生になってしまうのではないか」と思った。
そうして、考えたのは、FB上で公開されている集会をソフトに無作為に選ばせて参加し、食事の場所、会う人、食べるもの・・・・・・。自分の趣味や嗜好から離れられたら、どんな世界を見ることができるのか」そんな興味で始めた生活はまもなく3年になる。2年たらずグーグルを退社。フリーのエンジニアとして働きながら、自作のアプリの指示で生活し始めた。15年からは、とうとう住む場所も世界中から無作為で選び始めた。
と書かれている。
この記事を読んで、ぱっと、思ったのが、流れに身をゆだねている感じがした。確かに、人は、今いる場所で、そこにある情報を、自分に関わる所で選んでいると思う。私の分かる範囲で物事を理解し、好きな事は、受け入れ、嫌いな事は、拒絶する人もいるし、戦う人もいるし、乗り越える人もいると思う。あくまでも、その人の人生に対するスタンスで、その情報に関わる。であれば、コンピュータ任せの無作為な選び方は、自由な感じがした。
個人的な感想としては、元々、プログラミングというシステムをつくる人だから、逆に、システムに縛られているのが嫌になったのかなと思いました。
順風満帆だった道を外れるのにためらいは? の質問に、
コンピューターを学んでサンフランシスコに行き、グーグルで働くなんて、絵に描いたような道筋でしょう。この先の人生まで見えてしまうようで、落ち着かない気持ちになりました。自分のコントロールの及ばない場所に行くことで、新たな価値観に出会い、自分の枠を広げられると思ったのです。
この生活を始めて何が変わりましたか?の質問に、
変化を恐れなくなり、世の中で起きていることに敏感になりました。自分とは違う価値観を持つ人と実際に会って話すことで、理解できるようになったことが多くあります。面白いのは、リラックスできるようになったこと。アプリが行動を決めてくれるので自分はそれに従って動けばいい。(省略)人間はもっと創造的なことになるでしょう。(省略)何年かたったあと、自分にどれだけの変化が現れるのか、楽しみです。
世の中には、いろんな状況、いろんな考え方、いろんな行動があると思います。
どう生きたいかは、その人次第だと思います。
世の中には、いろんな状況、いろんな考え方、いろんな行動があると思います。
でも、結局は、その人には、ひとつの状況、ひとつの考え方、ひとつの行動かなと思います。
どちらでも、お好きな方をどうぞ。 (*^▽^*)
日曜日に、東京の町田の島津先生の所に行った。
今回は、丹田と、首と、マッサージと膝を習った。
女性の方が、お腹を痛めた時は、どんな感じですか?と質問した。
先生は、それでは分からないと仰った。
もうひとりの方が、そんなの活法やればすぐだよと言った。
時間が経ってから、先生に、「先生!同じ腹筋と言ってもみんなそこに対する考えは、いろいろだから、その状況を言わないと、ダメですよね。先生の場合は、その状況を言ってもらえれば、先生の経験に基づいて、答えてくれると思いますし、女性の方の場合は、どのくらいで、良くなるかを知りたいと思っていると思いますが、実際の状況を言えば、答えてくれますし、自分の事で、聞いちゃ悪いと思わないで、聞いてくれる事がみんなの為になるんですから。」と言いました。先生は、質問は、何を聞きたいか、絞らなきゃと仰っておりました。(私も昔は、漠然と質問していたと思います。)
終わり頃に、先生に、「柳の合気と、殺は、どう違うんですか?」と質問した。「同じだよ!」(不用意な発言をしてしまったか?😞)この時は、考えなしに、柳の合気は、愛の感じなので、愛と殺がどう関係しているんだとつい、思ってしまって、先生は、どう考えているんだろうと思ってしまった。確かに、柳の合気を発動させるには、全身を緊張させて、気合をいれた状態で、手から柳の合気が出る。それを、受けたものは、安心感を感じる。(愛な感じ。)とここで考えたのが、例えば、目の前に、死にそうな人がいる。その人を絶対助けたい!その時、全身全霊をもってのぞむと思う。これが、柳の合気ではないかと思う。一方、生きるか、死ぬかの戦いがあるとする。(平和な日本では、あまりないと思いますが。)この時も、全身全霊で、のぞむか、恐怖で、動けないか、愛でつつむか、かなと思う。この時の両方の場合の全身全霊は、どちらも一体となっていると思う。ただ、向き合っているのが、生か、死かの違いではないのかと思う。次回、この辺が質問できたらいいなあと思う。(生死は、表裏一体。)
今は、こうして有り難い事に、いろいろ質問させて頂いておりますが、先生のお弟子時代は、聞くことが出来ず、違ったら、パシッ!バシッ!だったそうです。そこで、痛みと、ともに、間違わないようになったそうです。今の世の中は、痛みの刺激は、苦手の人が多いですが、この刺激が変化を起こすようです。世の中は、どんどん便利になって、楽な方に、楽な方に流れている気がしますが、この簡単なとか、安易という事が普通になることが、いろんな当たり前になっていて、感謝というのが、なくなるのかなと思います。(当たり前が多くなると、逆にいろんな事が面倒くさくなる。)
昔の人の精神性に触れると、よく考えてるなとか、何か感動します。一生懸命生きていると、充実しますが、命がけで生きてると、生きてるって身体の中から感じます。(*^▽^*)
人生とは、根本の流れがあり、そこに対しての私達の個の在り方が、現象をつくり、個の認識が幸、不幸をつくっているのかなと思っている。根本の流れ、個の在り方の流れ、個の認識の流れの三つの動きがあるのかなと思っている。(透明な流れ対して、青い光を当てると、青い世界が出現し、赤い光を当てると、赤い世界が出現し、その世界を見て、何か思う私がいる。)
これを、普段の生活で、言うとすれば、私達が行動する時、認識している意識は、今ある物事に対して、こうだなと思っている意識。(個人、個人の認識の仕方が違っている。)今ある現象を創りあげているものが、個の在り方の意識。そして根本の流れがある。(これが、完璧に分かればいいなといつも、思っている。)
個の在り方が、しっかり分かれば、人生は、不安がないと思う。(個の在り方と、個の認識が一緒。)
(この考えの少し前の時は、人は、動きを、写真で撮っている。そこで、固定して、認識している。その固定された認識を持って、動きを見ている。だから、本当は、変化している物事を、固定したまんまの考えだから、受け入れづらい。この認識は、固定していると思っていた。)
これを別の言い方でするとすれば、普段、人生において、生活していて、いろんな事が起こる。その起こる事を、私自身が起こしているというのが分かれば、楽なのになあと思う。
人生は、私が世界と関わっているような感じだけど、実は、その人が創りあげた世界で、生きている事を人生というのかなと思う。
まあ、なんだかんだ言っても、日々の生活の中で、活用していかなけば、ただの想像になってしまうので、こつこつ出来る事を頑張っていきたいと思います!
例えば、ここに、一組のカップルが居て、彼がネガティブで、彼女がポジティブだとする。そして、ここに、大きなコップがあり、水が半分だけ入っている。この時、彼は、何だよ、水半分しかないじゃないかと思っている。彼女は、半分もあるから大丈夫と思っている。この時、彼女は、大丈夫と思っているけど、それを言ったら彼氏が怒っちゃうので、それに、従っている。これを、妥協という。(我慢している。)また、この時、別のポジティブな彼女は、そんなのいちいちくよくよしないで、この半分の水でやってきましょうと押し切る。この時、彼は、心配だなと思いながら、そうは言ってもどうせ彼女には、俺の気持ち分からないだろうと思って諦める。これも、妥協している。
人は物事を自分の見えている所で、見ている。彼は、水がない半分の所の不足している部分を見ている。彼女は、半分のある所、足りてる部分を見ている。物理的には、ただ、コップの水が半分という事だけれど、そもそも二人の見ている所が違っている。だから、二人の世界は全く違う。
この世界が違うというのは、整骨院では、昔、施術していた時に、同じ性別で、同じぐらいの年齢で、同じぐらいの体格で、同じぐらいの怪我の程度の時、治り方が全然違った時に実感した。ポジティブな人は、治りが早く、ネガティブな人は、治りが遅い。
ポジティブが好きな人、ネガティブが好きな人。ポジティブが嫌いな人。ネガティブが嫌いな人。がいる。
ポジティブな人が、ネガティブな事を好きになるのは、難しいと思うけれど、ネガティブな人の話をずーっと聞いていると、なぜそう思うか分かると思う。この時、ポジティブな考えを持って、聞いていると、ただ、ただ、苦痛かもしれないが、ポジティブな考えを棚上げして聞いてみると段々分かるようになると思う。逆に、ネガティブな人が、ポジティブな人の話をずーっと聞いていると、なぜそうなるか分かると思う。この時も、ネガティブな考えを持って、聞いていると、そんなノー天気なとか、怖いしとか、自身ないので、できないとか思うかもしれないけど、ネガティブな考えを棚上げして聞いてみると段々と分かるようになると思う。
ポジティブな人も、ネガティブな人も、嫌いなものを、好きになるのは、難しいと思うけれど、相手の気持ちをしっかり受け止めて聞くことができれば、そのことを認めることができる。その時、世界が広がっている。
話が聞きやすい人は、愛のある人。好きな人。尊敬できる人。かなと思う。
嫌なことでも、好きな人に言われると、頑張ちゃおうかなと思う人は、結構多いと思う。
そんなきっかけでも、本人が気づくと、楽になると思う。(好きな気持ちの魔法が消えると、その言葉は、届かない。)
亭主関白とか、かかあ天下とか、そんなパワーバランスがあると思うけど、それで、お互いが幸せならいいと思う。(私の実家は、亭主関白。個人的に思いますことは、一見、亭主関白のお家だけど、実は、奥さんが上手く家庭がいくように、ご主人を立ててるけど、裏で、実権を握っているというのが、面白いなと思っています。母親には、よくそうささやいておりますが。母親は、本来は、かかあ天下を希望なので、なかなか難しいようです。笑)
人生、いろんなご縁で、いろんな出会いがあると思います。その時、どう向き合うか?どれだけ真剣に向き合えるか? かなって思います。
3月1日は、開業日で、今日から、12年目突入となる。
雨の日も、風の日も、雪の日も、台風の日も、もちろん、晴れの日も、深夜0時まで整骨院を開けていた。(計画停電の時は、その時間だけは、出来なかったが。)
未だに、初めて来られた患者さんに、どの位やっているんですか?と聞かれ、10年以上やってますよと言っても、えーつそんなにやってるんですかと、言われ、まだまだ、認知度が低いなと思ったりしている。
最近、思う事は、整骨院に来られる患者さんは、様々なバックボーンを持ち、そして症状を持ってやってくる。そこで、症状の改善だけでなく、何かの気づきがあると、心に余裕が出たり、生活にはりが出たりするのかなと思う。お互い解放された者同士で、相対すると、この二人それぞれのストリーが分かり、またお互い見えていなかったものが、お互いを通して、見えてくるのかなと思う。そんな風な感じで、段々、世の中の全ての繋がりが分かるようになれば、苦手な人も、嫌いな人も、ああ、そういう事なんですねと思え、その出会いに自然と感謝する事が出来るかなと思う。人を変えるのは、難しいというけれど、人は、変わる事が出来る。それは、何かの出来事だったり、誰かとの出会いだっあり、そこで、本人が本気で、そう思った瞬間に変わっている。もし、世の中の人全てを、我事のように思えれば、いろんな人生を送ってる感じになる。相手を受け入れるとは、相手のその行為、その考えに対し、納得して、腑に落とす事だ。そうして、日々の生活の中で、ひとつ、ひとつ、実践で、やっていくと、許容量は、どんどん増えていく。それは、どんどん楽になることでもある。
こんな事を考えながら、日々仕事をしている。とりあえず、今出来る、目の前の事を精一杯やっていこうと思う!
日曜日に、東京の南高尾の草戸山に山登りに行った。
今回は、前回のラーメンが寒さで、硬かったので、カップラーメンでなく、インスタントラーメンを鍋でやろうという事になった。ラーメンは、サッポロ一番塩ラーメンにした。麺だけだと味気ないので、ウインナーと野菜を入れた。ラーメンは、凄く熱、熱だった。(熱過ぎた!)
熱いラーメンと、熱いコーヒーで、休憩は、充実していた。
4時間半の山登りだったが、リーダーに、「最後、足きてただろう?」と言われた。「あっ、はい。」
確かに、最後は、足にきて弱っていたのが、リーダには、ばれていた。
そんな感じの山登りだったが、無事怪我なく、いい感じの時間が過ごせたと思う。(*^▽^*)
日曜日に、町田の島津先生の所に行った。
今回は、山を捉える練習。
指先を動かす時は、肘から動かす。
指の末節骨の所は、鉤状(かぎじょう)になった部分があり、この部分で、筋を捉える。
この部分で捉えようと力が入ると、つい指が曲がってしまう。これは、指先がセンサーの働きをする為に、指先で、探る習性があるらしい。あくまでも、鉤状の部分で、筋を捉える。参加していた別流派の剣術の方に、何回教わっても、なかなか難しいんですよと言いましたら、刀の場合は、柄(つか)を持つとき、この鉤状の部分で、刃先の向きを変えると仰っていた。やはり、追究されている方は、いろいろ分かっているんだと思った。
私の今の課題としましては、瓢原(ひさご腹)にして、その力を背中、右肩、肘に伝えて、それを、指の鉤の部分で、筋を捉えることだと思いました。これが、出来ないと、背骨、顎の矯正が出来ないそうです。
整骨的な話としましては、昔、島津先生の場合は、折れたら、骨を整復して、ぴったり、合わせて、段ボールで、固定するそうです。そして、一週目で、外側の段ボールを外し、指を動かしてもらいながら、三週目には、全て、固定は、外し、終了だそうです。これが、なかなか理解されなかったそうです。昔、整形外科に勤めていた時、骨折の患者さんは、骨が着くために、三週固定し、三週リハビリをしていました。患者さんによっては、三週でも、骨のくっつきが怪しい時は、安全策で、四週固定し、そこから、リハビリしていました。今は、早期のリハビリが、復帰を早めるという方向だと思いますが、最新の現場の情報は、分かりません。骨折をピッタリ合わせる技術があり、動かしても、大丈夫という経験を持っている先生ならでは、と思う所であります。
今回、サンボの萩原さんが、来られていましたので、ツショートお願いしました。(私の叔父さんが、昔、サンボの理事をしていまして、萩原さんに、その話をしましたら、叔父さんに、お世話になったと言っておられました。私も、昔、叔父さんに、「松岡、お前もサンボやるか」と言われたことがありましたが、噂では、ギブアップしても、離してくれないというのを、聞きましたので、ヤバイなと思いやりませんでした。本当の所は、分かりませんが。笑
今回は、多くの方が来られ、みんな真剣に学んでいた、その姿勢がいいなと思いました。
なかなか覚えない私でありますが、次回もよろしくお願い致します! (*^▽^*)
佐藤さんの「お金2.0」という本を買った。よく、電車に乗るとこの本の広告があって、仮想通貨、フィンテック、シェアリングエコノミー、評価経済・・・「新しい経済」を私達はどう生きるか!という言葉を見て、こういうことを意識している人は、お金に対して、どう思っているのかと思った。お金を道具という人もいる。お金の話をすると、嫌な顔をする人もいる。お金を感謝の対価と思っている人もいる。
本の中で、お金は、もともと物々交換の不便さから生まれて最初は、貝殻で、それが、金属、紙になったようです。(今だと電子マネーもある。)価値の保存・尺度・交換の役割があると書かれています。
佐藤さんは、価値には、三つあると言っています。
①有用性としての価値
一言で言えば、「役に立つか?」という観点から考えた価値です。現実世界で使用できる、利用できる、儲かる、といった実世界での「リターン」を前提とした価値です。
②内面的価値
個人の内面的な感情と結びつけるもの
愛情・共感・興奮・好意・信頼など、実生活に約にたつわけでないけれど、その個人の内面にとってポジティブな効果を及ぼす時に、価値があるという表現を使います。
③社会的な価値
慈善活動やNPOのように、個人ではなく社会全体の持続性を高めるような活動も私たちは価値があると表現します。
今のお金は、この中で①の有用性のみを価値として考えている。
本の中で、フェイスブックのザッカバーグさんのハーバード大学のスピーチの言葉が書いてあります。
今日、私は「目的」について話ます。しかし「あなたの人生の目的を見つけなさいといった、よくある卒業式スピーチ」をしたいわけではありません。私たちはミレニアム世代なんだから、そんなことは本能的にやっているはずです。そうじゃなくて、今日私が話したいのは、「自分の人生の目標(意義)を見つけるだけでは不十分だ」ということです。僕らの世代にとっての課題は、「”誰もが”人生の中で目的(意義)を持てる世界を創り出すこと」なのです。(中略)この社会を前に進めること、それが僕ら世代の課題です。新しい仕事を作るだけじゃなくて、新しい「目的」を創り出さなくちゃいけない。
注 ミレニアム世代1980年代以降に生まれた世代、生まれた時から、衣食住が満たされた状態なので、あの服が欲しかったとか、美味しいものが食べたかったという強烈な執着が少なく、お金や出世みたいなものにモチベーションを感じにくいそうです。
お金があっても、ストレスが多い人もいるし、お金が無くてストレスを感じる人もいる。
段々と、社会が、価値に対して、①中心から、②や③になっていく方向だそうです。
最近、いくつかの会社で導入されている仕組みに、社内通貨があります。通貨の設計は、企業によって違いますが、社員が毎月一定の社内通貨を保有していて、それを同僚に感謝のしるしとして付与できるという仕組みにしているところが多いです。
ソシャールキャピタルは、個人が繋がってできている社会が持続的によい方向に発展していくために必要な「社会的なネットワーク」を「資産」と捉える考え方です。既存の経済ではマネーキャピタル(金融資本)を増やすことがうまい人(経営者・投資家)が大きな力を持っていましたが、これからはソシャールキャピタルを増やすのに長けた人も大きな力をもつようになると思います。
グラミン銀行はバングラデシュから貧困をなくしたいと考えたムハンマド・ユヌスが貧困に苦しむ人々に少額を貸し出す金融機関です。慈善事業を持続可能なビジネスとして成立させることで、寄付金や政府に頼らずに数百万人が貧困から脱することに貢献しました。
これら全体の流れを見ると、社会的に価値のある取り組みは利益を出しやすくなってきている一方で、利潤のみを徹底的に追及する事業は短期的な利益を求めすぎて消費者に避けられてしまうか、過剰競争に巻き込まれ長期的には収益を出しにくくなっている気がします。数十年後には、「営利」と「非営利」という区別はなくなっており、活動は全て「価値」という視点から捉えられるようになっているでしょう。
と佐藤さんは、見解をのべています。
この本を読んで、佐藤さんは、お金は、道具と言っております。
私の個人的な感想としましては、お金のパワーで、生活していた人は、パワーが効かない場面も出てくるのかなと、かっいって、大事なのは、お金じゃないという人が上手くいくかというと、あくまでも、こちらだけが、相手の為と一方的に思っても、伝わらなきゃダメで、その為には、人間性を磨く必要があるのかなと思いました。
今は、どういう仕組みを創ればいいか分かりませんが、お互いが優しさを持って相対するそんな社会がいいなと思います。こんなに優しくしやがって!倍返しだ!どっちが優しいか、勝負だ!
って、なると平和だなと思います。
と言いながら、今できることを、日々の生活の中で、一歩、一歩頑張っていきます!
落合さんの「デジタルネイチャー 計算機的多様性の世界へ」という題の講演会の動画を観た。
感想としましては、この方の考え方は、素晴らしいと思いました。
面白いと思ったのは、左手は、三拍子で、右手は、四拍子というリズムを取る時、これを、やるのは、なかなか難しいと思うのですが、電気を流せば、そういうことが、簡単に出来き、その後、電極を外しても、出来るようになるとのことでした。ということは、機械の出来ることを、人間に覚えさせることが出来るんだなと思いました。
これを、施術の世界で、考えると、エネルギー系の場合は、伝授という言い方をするのかなと思いました。ということは、師匠が弟子に、手の感覚を伝えて、それを、弟子が受け取ると、出来るようになるのかなと思いました。実際は、その師匠の感覚が微妙なので、なかなか難しいところでも、あるのですが、(いつか、その人が成長した時、これが、あの時の感覚かと思うのかなと思います。)触覚という所を研究していくと、もしかすると、機械的な刺激で、ある部分がアップしたり、ある部分を刺激することで、触覚のアップに繋がるのかなと思います。
他には、目が悪い人が、メガネをかける。お年寄りの足の弱った方が、足にロボットをつけて足の弱ったことをカバーする。
この話を聞きまして、メガネ、ロボットがあることで対等になれる。これは、素晴らしいと思いました。今の世の中は、いろんなところで、比較して生きています。強ければ、主張し、弱ければ、主張しづらい。そんな時、お互いが、対等という立場で、話すことが出来ると、お互いの幸せが実現するのかなと思います。(鬼みたいな人には、怖くて、何も言えない。)そうして、いろんな人と対等で話すことをしていると、私の本当にやりたいことが見えてくるのかなと思います。
落合さんのやりたいことは、私達自身が、普段、こうあらねばと、知らずに思っている常識に対して、(実は、この常識が、本人の葛藤の原因だったりするのですが、)これを、いろんな現象、いろんな物を見てもらって、本人の中にある価値観を壊して、そんなに苦しまなくて、もっと、楽に生きてもいいんだよということをされているのかなと思いました。
落合さんの言葉に、 波を起こしながらモノを作る「サーファー」になるべしがあるそうです。
この言葉も素晴らしいなと思いました。私は、こう解釈しました。新しいモノを作っても、みんなが理解出来なければ、意味がない、みんなに受け入れてもらう環境もつくりながら新しいモノをつくる。
世の中には、素晴らしい人がいますね。勉強になります。(*^▽^*)