所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
---|---|
電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
matsuokaseikotsuin@nifty.com | |
院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 仕事。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 14の記事一覧
日曜日、千葉の富津市の山ちゃんのお母さんの施術に行った。
何十年ぶりに、高校時代、通学で利用していた駅で降りた。
高校時代は、田舎だなと思っていたが、今は、自然が素晴らしいと思うようになった。
施術の後、山ちゃんにご飯とコーヒーを奢ってもらい、更に、お土産まで頂いた。
山ちゃん、ありがとうございます! (*^▽^*)
日曜日に、東京の町田の島津先生の所に行った。
今回は、前腕と、肩甲骨から首のマッサージと背骨の矯正をやった。
マッサージの時、指を真っすぐにして、最後に、第一関節だけ、更に反らせる。
これが、なかなか難しい。
島津先生に、「只者じゃないですね!」と言いましたら、
「島津兼治でございます!」 笑
やはり、武術の人は、本当に身体をいろいろ使えてるんだなと思い。
先生に、「深いですね。!」
「島津兼治でございます!」 笑
という感じで、アットホームな雰囲気になった。
先生としては、施術の弟子が、分かった感じで言っているので、
それに、乗っかってくれたのかなと思う。
その後、肩甲骨から首のマッサージをした。
そして、背骨の矯正をやるということになった。
誰が、最初にいくかで、お互い譲り合いになった。(みんな怒られたくないので。 笑)
案の定、しつかり、全員、怒られた。
みんな我があり、自分なりに聞いている。
自分なりの解釈をしてしまっている。
ポイントは、しっかり、相手と、密着していることと、呼吸と、丹田が使えていること。
みんな、来月までに、しっかり、呼吸を練習しておくようにとのことだった。
上丹田、中丹田、下丹田で、違うそうである。
感想としましては、お弟子さんは、師匠の言わんとすることが、分かる為に、
感覚を磨かなくてはいけない。
そして、身体を使いこなして、出来ることを、増やし、感覚を磨く。
私に足りないのは、日々の鍛錬と、普段の不摂生。
これを、何とかしないと、全部、受け取れない。
ひとつは、島津先生が、先生の持っている宝をお弟子さんに、渡そうしている気持ちに答える。
ひとつは、凄まじい集中力で、その場で、覚える。
ひとつは、日常生活を、少しでもいい方向へ変える。
日々の鍛錬に対しては、大変とか、苦労しなければいけないと思っている。
だから、億劫になってやらない。
簡単に、楽しくできれば、やると思う。
やれば、どんどん元気になればやると思う。
どうしたら、楽しく、元気になるように、その事をできるか?
普段の不摂生に対しては、目先の欲望(白くまアイス3本、ご飯、たくさん食べる)が、不健康をつくる。
あるから、食べる。→コンビニ、スーパーに寄らない。
白くまアイスは、コンビニに寄らなけば買えないので、この作戦を使ったりしている。
ご飯は、炊いていない時は、お弁当屋さんで、唐揚げのバリューと、お弁当を買ってしまう。
楽するという言葉と、楽しいという言葉がある。
楽するは、何かをしていないこと。
だから、いけないと思っている。
楽しいは、喜び。
子供が、勉強しないで、テレビばっかり、観ていると怒られたりする。
大人が、仕事をしていて、仕事が終わってから、テレビばっかり観ているが怒られたりしない。
(怒られるお家もあると思う。)
大人の論理は、大人は、仕事して、大変だから、テレビを観てよい。
子供は、勉強してないから、観てはダメ。
どちらも、やっていることは、同じである。
私自身、未だに、弱いのは、頑張るやり方が、やりづらい時、楽しくやるやり方ができていない。
物事をいつも、楽しくとできるといいと思う。
すべてを楽しく捉える方おりましたら、アドバイスお願いします!
島津先生、勉強になりました。
ありがとうございます!
(*^▽^*)
19日(土)、20日(日)に、網戸先生の九伝流(量子学術式)の16時間のセミナーがあった。
網戸先生は、元々、お相撲さんの施術をしていて、その中で、特に、リンパの研究をされていたそうだ。
私が今回、参加しようと思ったのは、量子学という言葉と、リンパは、聞いたことがあるけど、よく知らないし、
そして、DVDを観て思ったのは、この先生は、先生の持っている感覚を、他の人へ伝えることができる感じがした。
修行の世界は、師匠の感覚に、弟子が近づくように、努力する。
でも、網戸先生の場合は、先生の感覚に、弟子が共振する感じのではないかと思った。
網戸先生の施術の仕方は、まず、悪玉を見つける。
悪玉というのは、リンパだったり、脂肪だったり、その固まりがあることで、いろんな症状を出す、原因のことを言う。
見つけ方は、手の感覚で、手がとまった所に、悪玉があるとのことである。
そうして、固いものを見つけて、それを、流すということをする。
そうすると、また、下から、固まりが出てきて、それを、流すという施術をする。
素晴らしいのは、筋の下の悪玉を感じていること。
先生の修行時代は、師匠に、お前の触っているのは、静脈なのか、リンパなのか、ちゃんと分かってやらないと厳しめに、怒られる。
ただ、先生は、参加しているみんなには、筋肉でも骨でも、経絡でも、リンパでもいいので、ひとつ、極めればいいという言い方をしていました。(その人の特性)
網戸先生自身は、身体のいろいろな事に対して、分かっている感じでした。
先生の一番伝えたいことは、手技でなく、患者さんに、光を見せるということでした。
患者さんを施術して、良くなったという人とまだ、あるという人がいます。
昔、症状が半分くらいになった時、楽になったという人と、まだ、半分あるという人がいました。
前者の方は、治りが早く、後者は、治りが遅いなと思っていました。
前者は、現状の良くなる可能性の所を見ていて、後者は、現状の不足の部分を見ていて、
良くなる可能性の所を見ていません。
その後者の方に、光をみせてあげるというのが、現状の良くなる可能性に、目を向けられるようにする。
その為に大事なのが、施術者の指の説得力だそうです。
ああ、楽になりましたという感覚。
これは、頭で楽ではなく、身体で感じる楽だと思います。
先生は、施術をする上で、心がけていることは、楽しくだそうです。
施術者が患者さんの為にボロボロになるのは、違うそうです。
そして、思うこと、言ってること、行動が一致していることだそうです。
先生に腹が立つことありますか?と質問しましたら、
お腹がすくと腹が立つそうです。
その時は、あんパンを食べれば治るそうです。(ちなみに、こしあんだそうです。)
凄いなと思いましたのは、二日目に、7時ぐらいに帰られるときに、今から、戻って患者さんをみると言っておりました。
セミナー中も、奥様と大汗かきながら、全身全霊で、みんなに、教え、その上で、まだ、帰えってから、
患者さんをみるバイタリティーは、凄いなと思いました。
網戸先生の人間力、素晴らしいなと思いました。
網戸先生、勉強になりました。
ありがとうございました!
(*^▽^*)
トッチさん、磯さんの『宇宙の最終形態 「神聖幾何学」のすべて1,2』という本を読んだ。
私達は、物事とか、相手とか、世界を見る時、これはこうだと思って見ている。
好きな人を見る時は、多少の難は、意に介さずだったり、
嫌いな人を見る時は、その言動、所作にいちいち腹が立ったりする時がある。
善人と言われる人の生き方、すべてが、善だったり、悪人と言われる人の生き方すべてが悪でなかったりする。
人が物事や、相手や、世界を見る時、これはこうだと思ってみる見方を平面意識という。
昔、球体(地球)という全体をどうしたら分かるかと考えた。
最初は、この地球上の人の価値観、すべてが分かれば、全部分かるかと思っていた。
でも、それは、価値観という平面の捉え方なので、それでは、内部が分からないと思った。
その球体(全部)を丸ごと捉えるには、どうしたらいいか?というのが、課題だった。
そして、今現在、私ができるのは、価値観という捉え方で、受け入れたり、拒否したりがなくなっているので、
いろんな話が入ってくることができるようなった。
無償の愛(信頼関係)という所を基準にしているので、価値観は何でも大丈夫となっている。
でも、まだ、宇宙すべて分かっていない。(実際は、いろいろ分かっていないことがあると思う。)
私達は、今までの知識や経験を基に、物事や、相手や、世界に、向かいあっている。
私達という一部分が、全体を分かるのは、難しい。
未来なんて分からない。
全体なら、私達という一部分が分かる。
そして、ある時、私は、人の人生は、意識を肉体で制限して生きていると思った。
たた制限されている意識の視点が動いているだけなのかと思った。(想像)
そんな時、磯さんが、講演会で、飛び入りのゲストで参加された。
そして、磯さんと少しだけ、会話ができた。
そこで、磯さんが、フラワーオブライフという言葉を口にされた。
そのフラワーオブライフという言葉が、私には、真理という気がした。
そして、一度、磯さんのワークショップに参加した。
そこで、綿棒で、神聖幾何学というのを、立体で創るというのを、知った。
お手本があるけど、作り方は、教えてくれない。
だから、本人がいろいろ想像する。
その想像が創造になる。
これを、やった時に、これは、個が全体との関係を知るものだと思った。
個が強く手も、弱くても、全体とのバランスがとれない。
なかなか深い! 素晴らしい! と思った。
そして、今回、本を読んで、
フラワーオブライフを通して、奥行きや、側面という平面だけでないことを立体意識という学んだというのが分かった。(初歩)
この奥行や、側面が全体と私の関係であり、ここで、見えてくるものが、現状の私だと思った。
これは、今の私を客観的に見るものであり、私の歪みに気づくものだと思った。
そして、中心から、外側まで内部も見えるから、どういう風になっているのが分かる。
そして、私が分かってくると、同じように相手もどういう風かを重ねると、今の二人の関わりかたが分かってくるのかなと思う。
更に、トッチさんが、すべて答えられると言っておられたので、今の状況をそこに映し出していけば、
この先の未来も分かるのかなと思った。
更に、いろいろ理解が、深まっていくと、角度とか、接触の仕方とかで、展開が変わるのかなと思った。
手は、立体を感じられるから、頭だけでなく、手を使うことが大事だと思った。
狛犬の踏んでいる鞠は、真理のことだと思う。
フラワーオブライフ、これは、今の私を客観的に知りたい人、今の私の現状を知りたい人、
根本、本質とか、好きな人には、お勧めです。
(*^▽^*)
松久先生の「多次元パラレル自分宇宙」という本を読んだ。
本の中で、重要なことは、【皆さん1人1人が生きる宇宙は「あなただけの宇宙」であって、あなた以外の生命は誰も存在せず、関与しないということです。】と書かれています。
【Beingのエネルギー(魂のエネルギー)がゼロポイントで、そのエネルギーの集合体、「いまここ」の自分、
過去の自分、未来の自分、「いまここ」に関与する無限数にある自分、過去のある時点での無限数にある自分
未来のある時点での無限数にある自分、無限数にある自分をすべて包括したものを自分宇宙といいます。
そして、人それぞれゼロポイントが異なります。
ゼロポイントは無限大のエネルギーです。
無限大のエネルギーの集合意識がワンネスです。】
そして、【多次元とは何か。「いまここ」にいる自分とは「違う世界」ということです。
自分より振動数が高いものを高次元といいます。
自分の「いまここ」よりも振動数が低いものを低次元といいます。
また、同じ振動数で違うパラレルや、違う時間の軸をとったパラレルや、違う空間を中心にしたパラレルは異次元です。
異次元と高次元、低次元をすべて含めて多次元です。
だから、多次元は高次元ではありません。低次元でも、異次元でもありません。すべて統括したものです。
いまここは「中心次元」といいます。
「中心次元」以外の無限数の自分を「多次元の自分」といいます。
「中心次元の宇宙」はいまここ次元宇宙です。
そうでない自分の姿を「多次元宇宙」といいます。
それがいまここと同時に存在しているから、「パラレル」という言葉を使います。
しかも、自分だけの宇宙だから、「多次元パラレル自分宇宙」です。
すぐに理解するのは、ちょっと難しいかもしれません。】
と書かれています。
ここに、興味ある人は、ああ、そうか!とか、私の中で、繋がったとか気づくかもしれません。
私の実際の体験としてあるのは、マトリックス・エナジエテックスを患者さんにオマケでやった時に、
時空の渦ができました。
ちなみに、悪友の金ちゃんに、これは凄いからとセミナーを勧めましたが、金ちゃん、曰く、まったく効果が無いと言っておりました。
これは、結局は、自分宇宙なので、そこに、同意をしないと無いと思う人には、無いが創造され、あると思う人には、あるが創造されるのかなと思いました。
本の中で、【欧米人は、個人意識が集合意識よりも強く、日本人は集合意識が個人意識よりも強い。
欧米人は個人意識がハッピーだったらハッピーです。日本人は集合意識、周りが自分をとらえる意識が
ハッピーだったらハッピーという方程式が、DNAにも刻み込まれているので、人からいつもあの人はいい人だ、
常識人だと思われていないと不安しょうがないのです。
欧米人は、個人意識のほうが集合意識より強い。日本人は集合意識が個人意識より強い。】
バランスが大事だと言っています。個人意識があると、言いたいことが言えます。
個人意識が強いと、言いたいことが言えます。(良い点。)
個人意識が強いと、言いたいことを、いいますが、周りとズレてる時もあります。(悪い点。)
集合意識が意識が強いと、周りと調和をとります。(良い点。)
集合意識が意識が強いと、周りに気を使って、遠慮して、意見が言えません。(悪い点。)
理想は、みんなが言いたいことを言って、みんなの納得の答えが出るといいと思う。
松久先生は、いまここを受け入れて上で、自分はこうなるという望みを何となく持っていればいいのです。
大事なのは「何となく」というゆるさです。と言っております。
ポイントは、今の自分を否定しないことみたいです。
一方で理想を求め、一方で、自分を否定していると、なかなか思い通りにならないようです。
前向きと、後ろ向きを一緒にやっている感じでしょうか。
理想の人生を手に入れる方法(松久先生)
①ハートチャクラを意識して、「自分に感謝」と言います。
そのいっぱいのエネルギーを下におろすように意識して、次に第2の松果体のところ(尾骨あたり)を
意識して、「地球に感謝」と唱えます。
その後に地球に向かって「ありがとうございます。お喜びさまです。うれしいです。」
②次にやることは、ハートチャクラをもう一度意識して、「自分に感謝」と言った後に、
心の中でも、口に出してもいいですから、脳の松果体を意識して「自分は完璧だ」と唱えます。
「自分は完璧だ」と言った後で、宇宙に向かって「ありがとうございます。お喜びさまです。うれしいです。」
と言います。
大事なことは、自分を大切にし、地球を大切にし、宇宙を大切にすることが、結局は、自分の為になるみたいです。
自分宇宙ということは、すべては、自分だから、自分が正しいと言って、相手を否定することは、
その世界を拒否しているので、結局は、自分を制限していることになります。
と言っても、私自身、困ったと思うことがまだあるので、制限されている私がいます。
すべてにおいて、これでいいのだ!と言ってみたいです。(願望)
(*^▽^*)
みなっしーから、クリスマスプレゼントを頂いた。
書き心地が違うノートである。
違いの分かる院長の (笑) 、違いの分かるみなっしーのプレゼント!
流石である。
ありがとうございます!
(*^▽^*)
土曜日に、みなっしーから、シュトーレンを頂き、谷口先生が来られ、先生からは、固定材料と本を頂いた。
みなっしー、谷口先生ありがとうございます!
日曜日は、大掃除で、木更津から、両親が来に来てもらった。
ひとりで、ベットを運んだら、結構疲れた。
毎年、年末の床のワックスがけをやると、今年も終わりだなと思ったりすると思うが、今回は、早めだった。(いつもは、30日にやる。)
今年も、後、2週間ぐらいとなるが、まだまだいろいろあるので、油断なく、頑張っていこうと思う。
(*^▽^*)
保江先生の神代到来という本を読んだ。
これは、保江先生が今まで、やってきたことを、先生の言葉で書かれている本である。
本の中で、先生が、道場長から、古くからの門人のみなさんが、数カ月前の指導にあった合気技法をその後毎週の稽古で練習を重ね徐々にできるようになったにもかかわらず、次の指導のときにはその積み重ねなどおかまいなしに、まったく異なった切り口の合気技法を教えてくれる・・・。ここ数年というもの、そんな稽古の繰り返しばかりだった・・・。武道の修行というものは十年一日の如く同じ技法をこつこつと繰り返して技を磨いていくものであるはずなのに、これではいつまでもたっても熟達しないのではないか!
これを聞いたときに、僕は内心憤然としていた。というのは、毎回ちがったことを教えているのは、できるだけ多くの門人の皆さんが本当に合気技法を身につけることができるように、それぞれの皆さんが自分に一番適したやり方を各自で見つけてもらう手掛かりを様々にお示ししているつもりだった。当然ながらそれを喜んで試してくれていると信じていたにもかかわらず、むしろ反対に大いに戸惑っていたのだ!そんな(僕にとっては)情けない真実を突きつけられてしまった形の僕は、本来ならば反省して指導方法を変えていかなければならないところを、生来の天の邪鬼が災いしたかのように開き直ってしまう。数日後にあった東京本部道場での稽古のときに、どういうわけか突然に批判めいたことを僕は口走ってしまうのだから、よほど腹に据えかねていたのだろか・・・。
と書かれている。
私は、合気は、無償の愛と思っているので、この無償の愛が分かる保江先生が無償の愛の分からないお弟子さんに、手を変え、品を変え、それを伝えようとしている。お弟子さんの方は、従来の経験に基づく習得方法で、技法の習得を目指しているのかなと思う。先生の方は、この無償の愛という万能エネルギーを伝えようとしているのだけれでも、お弟子さんは、技という形が大事だと思っているのかなと思う。(保江先生の当たり前は、お弟子さんお当たり前でなく、お弟子さんの当たり前は、先生の当たり前でない。)ポイントは、お互いが見ているところが違うところかなと思う。(違ったら、すいません。m(__)m)
例えば、無償の愛というのが分かって物事を見ると、全ては等しく、尊く、見えると思う。これを、善悪のある人に話をしても、そうは言っても、あれは、ダメでしょうと言われてしまい、なかなか伝わりづらい。
人が肯定するときと、否定するときは、なぜか?と考えた。前から分かっていたのは、私が正しいと思っているから、あなたは、正しくないになる。お互い、正しいとぶつかる。なぜ?肯定したいのか?考えた。それは、私の存在価値に関係すると思った。なぜ?存在価値にこだわるのか?考えた。これが、無くなると、消滅してしまうと思っているから、だから、怖い。譲れない。実際の社会生活では、価値観の世界では、力関係で、強い方が、私の価値観を示し、弱い方が我慢するになる。
私自身、努力、根性タイプなので、時間をかけて、物事を習得してきた。物事を重ねることの良いところは、重ねることで、その積み重ねが、自信になる。その積み重ねが多い程、力が強い。悪いところは、重ねれば、重ねる程、それに囚われる。そこが見えていない場合がある。
拘り(こだわり)という言葉と、執着という言葉がある。こだわりは、素晴らしい感じがして、執着は、やな感じする。その違いは、こだわりは、全体の中で、個が調和がとれている。執着は、全体というのを、考えず、個の気持ちだけを考えている。
今回、私が、まだ、物理的攻撃に対して、無力化できないのは、なぜか?と考えた時、痛いとか、怖いとかの他に、人は、仲良くした方がいいというのを、持っていて、仲良くしないことに対して、許せないを持っているからだというのが分かった。腕前比べは、好きかもしれないが、傷つけあう、殺し合うは、好きでない。そこに、対して、否定を持っている。ここが、現時点の私の未熟なところで、そこに愛が持てないところが課題だと思う。そのような気持ちを持つ人達に対しても、同じ人として、その気持ちを持つ人の敵意や、殺意を抜いてあげることができれば、その人達は、解放され、心に余裕が出てくるのかなと思う。
もし、全てが分かるとしたら、ある人には、人生とは、ただ、視点が移動しているだけですねと言い、また、ある人には、人は、多次元の存在ですねと言い、またある人には、肉体を持って、この地球でいろんな経験をすることですねというと思う。
物事は、どの視点で話をするかで、いろいろ変わってくる。だから、違う視点同士の話は、意味が分からないとなる。
何かの話をするときは、同じ土俵で話をするという前提が大事だと思う。
身体だと、骨の話か、筋肉の話か、神経の話か、皮膚の話か、細胞の話か、氣の話か、愛の話か、
これを、ひとつづつ、分けて、話をしないと、ごっちゃになってしまう。どれが、上手くいって、どれが上手くいかないかが分からない。
私の世界を広げる姿勢として、大事なことは、まず、私自身の考えで、それを、否定せず、まず、素直に聞いてやってみる。それで分からなくても、いつか、分かるようになったりする。否定することは、その世界を拒絶することなので、それでは、私が許可していないので、新しい世界が入ることは、難しいと思う。
素粒子の世界で、観察者の意識が影響するというのがある。この考えを基にすると、何かがあるという、意識を持つ人の世界と、何かがないという意識の人の世界は、お互いの世界が違うことになっているので、この二人が話をしても、お互いが納得しないことになる。
とか、いろいろ考えたりしているが、当面の問題は、夜、食欲がとまらないことである。つい、白くまアイスを三本いってしまう。ご飯もバクバクいってしまう。すると、朝、胃が重い。
こんな私も、人間らしくて、いいなと思うけど、体重計にのると、また増えてる。笑
大きな悩み、小さな悩み、いろいろあるけれど、それが、人生かなと思う。(*^▽^*)
山ちゃんから、カレンダーが届いた。
ありがとうございます!
整骨院に飾ります。
(*^▽^*)
遠藤先生からお菓子頂きました。
ありがとうございます!
(*^▽^*)