所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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プレジデントという雑誌で、「24時間の使い方」というタイトルで特集が組まれていた。
サブタイトルで、グローバルエリート300人徹底調査と書かれていたので、この人達が、どういう時間の使い方をしているか興味をもったので、買ってみた。
感想として、忙しい人は、いろんな事をしなければいけないので、時間について考える。そして時間を大事にして、時間に対しての哲学を持つのかなと思う。
この雑誌の中で、一人の社長が、グーグルカレンダーに、全ての予定を入れているので、一元管理できていると書いてあった。その中で、予定をとにかくいれて、その予定に向かって、行動する内容を予定としていれて、無駄に考えるのを、少なくし、行動するとあった。(行動する中で、考えていくというやり方。)
もう一人の社長は、こう書いている。
かっての日本であれば、「おおよそこれくらいの仕事を、だいたいいつごろまでに」といったやや曖昧な業務項目や達成項目の中で現場が動いていた側面がある。私はそのやり方に肯定的なのだが、最近は仕事の設計や組み立てを精緻に行い、可視化するといった仕事のやり方が身についていないと、ビジネスの世界では、通用しないシーンも多くなってきた。
これを、踏まえて、この社長は、グーグルカレンダーで、スケジュールをみんなに公開し、予定をいれてもらう、社長自身の絶対空けれない時間は、ブロックしている。また、部下のスケジュールも公開されている。
この内容を読んで分かる事は、時間には、私の時間があり、それを、しっかり把握しているか、そして、私と関わる相手の時間がある。それも、把握しているか。
これを、人生で考えると、例えば、両親がいて、結婚して、子供がいる男性だとすると、両親にとっては、可愛い子供(憎たらしい場合もある。笑)であり、奥さんにとっては、ご主人であり、子供にとっては、父親であり、会社にとっては、社員であり、友人にとっては、友達である、そして、趣味を選択できる個人でもある。
と考えると、一人の人間でもあるが、いろんな世界と関わっている。その世界が分かった上で、総合的に判断すると、本人なりに、納得しやすいのかなと思う。逆に、葛藤や、トラブルが起こるのは、ひとつの世界しか見えていないとなるのかなと思う。
(相手のことが分かると、今まで、許せなかったことが、何か許せることもあると思う。その許せた分だけ、本人も楽になっている。)
昨日、みなっしーと話していて今年は、どういう年という話題になった。
みなっしーは、あっと言う間の一年で、漢字一文字でいうと、一瞬の「一」と言っていた。
私は、今年は、いろんな出会いが会ったし、出川さん好きなので、「出」だと思った。
今年の成果としては、断食35日間をして、、20代の時ぶりの80キロ台になったのは、嬉しかった。
(昔のジーパンがはけた。)
スイッチが入ると無敵モードになるのが、分かった。
振り返って見れば、あっと言う間に一年が終わろうとしている。結局、休みは、殆ど、修行か、勉強だった気がする。(たまに、山登り。)
来年は、この糞真面目な性格の私であるが、ハイテンションとか、弾けるとかが、あると、面白いなと思う。
歯を食いしばって、頑張って、弾けたいと思う。 笑
誰か、その道のプロいましたら、ご指導よろしくお願いいたします!
最近、新患の患者さんで、ヨガをやっているOLさんが、腰が痛くて来たりする。
今まで、ヨガをやってるOLさんは、ヨガをやってて、調子が良かったが、やらなくなったら、調子が悪くなったという話は、聞いていたので、何で?と思った。
患者さんを見て、分かったのが、その患者さんの今の状態で、思いっきり頑張る、そして、調子が悪くなり、いよいよダメだと、松岡整骨院に来る。
ポイントは、ああ、今の状態が分からないんだというのが、分かった。今の状態が分からないから、無理してしまう。そして、痛くなってしまう。
筋(筋肉、靭帯)は、筋は、捻じれたり、引っ張られたりする。学校で、医学的に、捻挫は、筋を捻って痛めたと習う。だから、ぎっくり腰の時、昔は、疲れが溜まっていると、中腰で、筋(筋繊維)を痛めた。と思っていた。だから、安静にしたり、冷やしたり、固定をしたりした。この時、いつも、患者さんが、あいたた!で、来て、あいたた!で帰るので、無力感を感じていた。(固定したり、冷やした分は、少し軽くなる。)そうは、いっても、周りもそんな感じだったので、そういうものだと思っていた。実際は、その捻じれた状態、引っ張られた状態が、痛みをつくっていた。だから、そこを改善すると、痛みが変わる。
私的な、筋の説明は、水道のホースが捻じれてると、水の流れが悪いでしょうと言ったり、関節の所で、筋が真っすぐだと、動きがいいけど、捻じれてると、動きが悪くなり、引っ張られいると、痛かったり、動きが制限されたりしていると伝えている。(以前、捻じれている筋を真っすぐにしたら、干からびた筋に栄養がいきわたって、みずみずしい感じになった。)
ということを、前提で、お話をすると、今の状態が、筋が捻じれたり、引っ張られていたりしている。その制限された状態で、いくら動かしても、あくまでも、制限された範囲の中でしか動かしていない。人によって、今の状態が違う。
筋は、同じ方向ばかり使っていると、そっちの方向に捻じれる。使っていると、強くなり、使わないと、弱くなる。人によって、ひとつの動作で、使えている筋の数が違っている。そして、関節も、詰まっている人もいる。だから、人によって、身体のバランスが違う。(私も私の分かる範囲でしか、分からない。)
結論として、スポーツをする人や、身体を使う人は、まず、ベースを整えてから、望むと、運動能力は、アップしたり、怪我の予防になったりするので、身体を整えることは、大事だと思う。
松岡整骨院の理想。
小さい頃、出来の悪い、私で、父親には怒られていたが、それでも、母親は、それでもいいんだと認めてくれた。高校の時、学校に通う意味が分からなくて、辞めようと思ったが、親友の山ちゃんがいたので、頑張れた。整骨の学校の時は、悪友の金ちゃんがいたので、頑張れた。今は、いろんな人に助けられたりしながら、生活をしている。
患者さんが、痛みとか、症状を抱えてやってくる。この症状があるから、生活が出来なくて困るんです。と言う。患者さんで、痛みが50パーセント以下になって何とかいけそうという人と、1パーセントで、違和感がるので、ダメという人がいる。身体が悪いから、人生が上手くいかないという人がいる。確かに、そういう方もいる。また、身体が悪いというのを、言い訳にしている人もいる。私も小さい時、母親に泣きごとを言っていたと思う。言い訳をして、弱音を吐いてもいいと思う。それが、親がいるから、子供がいるから、友達がいるから、愛する人がいるから、頑張れるというのが、あると、人生は、輝くのかなと思う。
そこで、松岡整骨院は、先生何とか、頑張れそうですという関係でありたいと思う!
その為には、人格をもっと、磨いていかないといけないなと思う。
たまに、ちっとも良くならない!とか、罵詈雑言を浴びながら。これは、ダメか! 笑
日曜日に、山梨県の蛾ヶ岳(ひるがたけ)に山登りに行った。
いつものように、東西線の始発に乗って、荻窪駅、6時10分の集合に間に合うように行った。
まだ、外は、暗く、星が出ていた。(今回は、睡眠時間3時間30分ぐらいだった。)
道中、リーダーにコップは、持ってきたか?と言われた。「あっ!」忘れた。(やばい!怒られる!)「忘れました。」「大丈夫です! カップラーメンのカップで食べますので。」 「箸は?」「あっ!」(しまった箸も忘れた!)「大丈夫です!落ちてる、枝で食べますので!」
とそんな感じのリーダーだったが、コップを貸してくれた。
ちゃんと、持ち物は、確認しましょう!
今回の山登りは、天候もよく、コースもいい感じで、富士山もよく見えた。
ただ、頂上で、カップラーメンを食べた時、風が吹くと、凄く寒かった。
そして、麺は硬かった。次回は、インスタントラーメンで、鍋という事になった。
家に帰ると、夜8時には、寝てしまった。
今年、初めて、超時間寝てしまった。(11時間)
こんな感じで師走の一日が終わった。
先輩方、来年もよろしくお願いします!
(*^▽^*)
日曜日に、飯田橋で、アルケミアのワークショップがあった。
ワークの中で、好きなもの、嫌いなものを身体のどこで、感じるかやった。
頭だと、考え方、ハートだと、感情、お腹だと、生理的との事だった。
本を読んで、ピンとこないのが、ひとつ、聞きたい質問がひとつ、あった。
現実に苦しんでいるなら、そこに、「すでに理想はある」ということなんです。
現実と、理想が同時に存在するの意味がよくわかりませんでした。
今日、分かったのが、理想があるから、今の現実に苦しんでいるんだなと思いました。
そして、その理想とは、今の社会と比べて私は。
先生に聞きたかった質問は、部分的な真実と、全体的な真実は、どこで、判断するのですか?でした。
で、質問してみました。先生の答えは、部分的な真実を繋げていけば、との答えでした。
この答を聞いた時は、ガクっとしました。そうやって生きてきたので。(当たり前じゃん。)
でも、今日、浮かんだのは、私の中には、部分では、全体が分からない、でも、全体なら、部分も分かる、という考えを持っているな。という意識の私と、部分も全体も一緒と考える意識の先生との視点の違いかなと思いました。
私の感想としましては、脳神経が身体全体を把握しているのではなく、身体の反応が、思考が理解出来ない所で、働き、それが、葛藤を生んでいるんだなと思いました。
勉強になりました。ありがとうございました。( ^ω^ )
先生の言葉。
「問いかけに答えはないかもしれないが、問いかけからの解放がある。」
これは、問題として、捉える私がいるという事だと思います。(松ちゃん。)
変容が起こると、実は、病気って、消えるんだす。簡単な話、神経質だったら、いろんな事とか、気になりますよね。でも、神経質でなくなったら、図太くなるでしょう?ということなんです。(笑)
「自分」をとりまく様々な「問題」をすべて変えるよりも、「それを問題としてとらえしまう自分」を変えてしまったほうが、手っ取り早い、というのも理由のひとつですが、自分自身を0化しておかないと出会うクライアントさん自体に自分の問題が反映してしまったり、クライアントさんそのものが、自分の問題となってしまったり、クライアントさんそのものが、自分の問題となってしまったりすることがあるので、社会の構成員としてのセラピストの責任を果たすために、全人的0化、少なくともその「努力」を必須としています。
この姿勢は、大事ですね。つい、私の見方で、相手を見てしまう! (松ちゃん。)
ゼロになったら、いのちだけが残るわけなんです。いのちというのは、躍動している。ダイナミズムですね。
めちゃめちゃ生きる、生命力があふれていく。
真空にガンマ線を当てると物質が飛び出してくる。
空 (松ちゃん。)
今、皆さんが感じている現実圧(問題)っていうのは、社会から来る淘汰圧です。この圧をむしろ、エネルギーに変えていく、そうすると新しい形態、新しい進化をしていきます。進化は何にも左右されないものを求めているので、ゼロ化は生命力が求めている方向ということになります。
ということは、私達は、社会が悪いといいながら、知らずに社会の求める私達でなければ、いけないと思っている。そりやぁ、私達の中に相反する二つの意識を持てば、葛藤するでしょう!(松ちゃん。)
僕だけ出来ても意味がない。
死ぬ気になると出来るようになる。
でも物理学の法則っていうのは、本当に平等なので、器用さは、関係ないですね。その原理原則に従って動けば、どなたでも、再現できるのです。
いいっすね。(松ちゃん。)
もうひとつ、再現性を得るために、とても大切にしていること。それが、「仮説を立てる、実験する、検証する」というプロセスです。
物事がある理屈でうまくいったとしても、さらに、「それは部分的な真実なのか」 「全体的な真実なのか」という部分についても検証します。
この姿勢、素晴らしい! (松ちゃん。)
私たちの心というのは、「されたい」というソフトが、一番大元の‶基本ソフト″として入っています。これはあって当然のもの。ただ、弱みとしても働きます。煩悩の一番の最初が「〇〇されたい」です。あとは、たいしたことがない。「〇〇されたい」、これは個人的な渇望のことですが、お釈迦さまはこれを「渇愛」と言われた。渇愛があると六道を輪廻してしまうよ、だからそこから抜けてしまおう、という一つの概念を提示しているですね。自分で身につけた覚えはないのに、自分の行動のすべてが、自分の「されたい」に制約されていく。ものを考える主体の自分が「〇〇されたい」に覆われているという基本ソフトがあって、これが勝手に起動しているわけですよね。私たち成人の中に、幼児がいるイメージ。これに左右されていることを、まず知ることです。でも、この「〇〇されたい」は絶対不変のものではないんです。わかれば、変えられます。認知の光を当てていくと、脳が可能な限り自動修正をやってくれますからね。そういうもののすべてに、知性の光を当てちゃおう、ということなんです。「知」こそ、私たち人類の最大の特性なんですから。
この「されたい」という言葉の意味がなかなかわかりませんでした。(松ちゃん。)
したいなら、わかるけど、されたいって、どういう意味?と思いました。
インターネットで、渇愛を調べました。①欲愛ー肉体の快楽を求める欲望のこと。②有愛ー生きることへの執着、死にたくないという欲望。③無有愛ー無になりたい、死にたいという欲望。
この意味なら、わかるけど、「されたい」だと、ピンときませんでした。そして、ふと、浮かんだのは、不足というのがあると、その不足している隙間を埋めようとして、「されたい」が起こると思いました。だから、不足がなくなると、この感覚がわからなくなるんだと思いました。
このアルケミアという技法は、今、認識している私ということがわかることで、今の現状を私自身がしっかり把握することで、今の現状から解放され、新しいことが起きる。そして、また、その新しい現状を把握することで、また、新しいことが起きるの繰り返しだと思います。
この先生は、その人の核の部分が見えていて、そこから、派生する意識、そして、また、そこから、派生する意識がわかるのかなと思います。
私達は、人生を通して、今の私(今の意識)に気づき、そして、また、今の私に気づいていく。って、感じだと思います。
この先生は、全人格ゼロ化といっておられます。ゼロになれば、なるほど、いろんなことがわかり、いろんなことを優しさで包んであげれると思います。素晴らしい考え方だと思います。(^◇^)
アルケミアと、ジェムレーションという本を読んだ。
そもそも、このアルケミアという本を買おうと思ったのは、いつも、メールで、送られてくる本の紹介を見て、その本のインターネット上の書評を読んだ。その時、その本の批判的な書き方をしている方がいて、それならば、アルケミアの方がいいと書かれていました。その書評を見て、この批判的精神を持った人が認めている本なら、いいのではないかと思いました。
アルケミアとは、技法の事で、ジェムレーションの本の方は、この技法を使って、人生が変わられた方の体験談が書かれています。
アルケミアは、錬金術(アルケミー)のように新しいものが生まれるよということで、そういう名前にしたそうです。
アルケミアの具体的な手順は、次の通りです。
手順1 問題という現実を定義する「という現実」自分で自分の問題を認識すること。ここが一番大事です。本の中で、問題と自分を別々に感じるというのは、逃げているということなんですね。とか、問題を認識する時には、実は、肉体に負担がかかります。問題をちゃんと認識すると、体は打撃を感じるようになっています。とか、書かかれています。
手順2 極陽を割り出す。(最良の結末を想定する。)自分が想像しうる幸福、思い通りになる幸福を、「陽」と呼びます。たいていはストリーのみですが、それに「最良の結末」を加えたものを、「極陽」と呼びます。そして実際にやってくる想定外の嬉しい結果、「思いがけない」幸福を「福」と呼びます。
手順3 極陰を割り出す。(最悪の結末を想定する。)「困っている現実」から想像しうる「最悪の結末」を想定します。これを「極陰」と呼びます。どうして極陰を出さなければいけないのか?というと、そうしないと「新しい力が生まれない」ということがあります。マイナスを排除してしまうという間違ったプラス思考が今、蔓延しているのですが、そうではないですよ、ということです。極陰と極陽を「死」をベースとして言うとしたら、「こんな目にあうなら死んだほうがましだ」というのが、極陰で、「ああ、もういつ死んでもいい」と思えるのが、極陽ですね。極陰のとらえ方は、千差万別です。
手順4 統合 統合は、体を使って行います。体内で、極陽と、極陰を同時に体感し、混じり合っていくのを感じていきます。
実際のやり方は、
フープのような輪を2つ用意する。そして、歩幅ひとつ分前に、輪を2つ並べます。
1、輪を前にして、まっすぐに立ちます。これが現状のポジションです。ここで、手順1で出した「△△という現実」の内容を唱えます。閉眼内語(目を閉じて声を出さずに頭の中で唱える)で言います。「顔はまっすぐに、眼球を動かさずに」言うのがポイントです。言う時に、眼球や身体を動かす行為は全て逃避行動ですので、これをしないようにします。
2、自分から見て左の輪の場所を「極陰」とします。両足で輪に入り、先ほど想定した極陰の内容を思い浮かべます。この時の体感をしっかり感じてください。自分の全てがダウンしてゆく感覚をチェックしてください。落ちていくような変化を感じられたらOKです。
3、一歩下がって、現状のポジションに戻ります。体を揺すったり、よそ見をしたり、今日の晩ごはん何にしようかなと考えたりした、先ほど感じた体感を体から抜いてしまうようにブレイクします。
4、次に、右の輪の場所を「極陽」とします。右の輪に両足で入り、先ほど想定した極陽の内容を思い浮かべます。この時の体感をしっかり感じてください。すべてがアップする感覚があるはずです。変化を感じられたらOKです。
5、一歩下がって、現状のポジションに戻ります。体を揺すったり、よそ見をしたり、今日の晩ごはん何にしようかなと考えたりして、先ほど感じた体感を体から抜いてしまうようにブレイクします。
6、体内で極陰と極陽を統合していきます。左足を左の輪に、右足を右の輪に入れて、立ちます。手を胸の前で合掌します。手を合わせる線も、体も、まっすぐに立ちます。左半身は「極陰」、右半身は「極陽」。異なる体感が2つ同時に起こり、体が真っ二つになるのを感じるでしょう。その体感が体の中でどうなっていくのか、感覚に意識を向けて、起こることに任せます。
7、6でしっかり味わったら、終わったと自然にわかりますので、そうなったら後ろを向き、左右の足を入れ替えます。同じく手を胸の前で合掌して統合を味わいます。
8、ご自身で、2つが合わさって終わったな、という感覚があるまで続けます。終わったと感じたら、終わりです。葛藤がなくなっているのでわかります。
手順5
ここでもう一度、最初に唱えた「△△という現実」と言ってみます。この時の体感が最初と変わって、何も感じないようになっていたら大成功。それどころか、合掌すると、「何とも言えないよい感じ」が生じます。
実は、「△△という現実」という現状把握さえ正しくできれば、認知によって発動する力で自然に解決に向かっていくんです。何もしなくてもね。ただ、統合したら超高速で現実が動くってことなんです。便利でしょう?
(私は、ドンキで、フープを買いました。1個1000円。場を設定してもいいと思います。)
と書かれています。
私は、これを読んで、その通りな気がしました。これを実践した人は、問題の認識は、自分の中にある見たくないものを見ることと言っておりました。その人自身が、その人の中にある良いと思っている事、悪いと思っている事を認めてあげる事が出来ると、それに囚われていない事になるので、新しい事が起こると思います。例えば、こういう人、嫌だなと思っている人が、その人自身、あっ、でも、私もこういう気持ちもってるなという事に気づくと、相手も許しやすいと思います。最初は、嫌な人がいて、私を嫌な気分にする。でも、本当は、嫌なものを持っている私がいるから、嫌な人が来て、嫌な気分にさせるが本当の所だと思います。
この先生は、純化という言葉を使っています。赤ちゃんの無邪気と違って、磨かれていった結果、透明度が増して獲得された無邪気と言っております。赤ちゃんは、愛の人ではありますが、確かに、みんなが赤ちゃんになると、社会が存続できない。その純化の為には、圧力が必要と言っております。炭素をぎゅーと圧縮すると、ダイヤモンドという炭素結晶になる。これは、「純化する」って意味なんです。と書かれております。