所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
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3月1日で、開業して、10周年目に入る。
整骨業界は、私が入った時と比べて、非常にのんびり出来ない感じになっている。
昔は、おじいちゃんやおばあちゃんに、いい天気ですね、とか、言ってマッサージして、
最初の頃は、腕の力だけで、ほぐしていたので、土曜日ぐらいになると、腕が上がらなくなったりした。
そんな事をするうちに、ほぐすだけでは、症状が改善しない人が出てくるようになったので、講習会とか、行くようになった。
世の中には、いろんな治療法があり、いろんな先生がいた。中には、胡散臭いものや、怪しいものもあったが、
その中には、本物もあった。(私の場合、基準は、ただ、効果があるか、ないかだけなので、外側は、関係ない。)
そんな感じで、いろんな先生や、患者さんと会い、いろいろ考えているうちに、患者さんと、向かい合う姿勢が、どんどん深くなった。
今年、一年の成果としたは、今まで、短気で、怒っていた人が、怒る事が殆どなくなったという話を聞くようになった。
地道な、身の周りからの草の根活動をしている気がする。
個人的に好きなものは、調和とか、平穏とか、仲良くとか、愛とかなので、そのような世界を、構築している。
いろんな人生があっていいと思う。
生とか死というのを、意識して暮らすと、命が生き生きして、凄く充実する。
ぼやっと、生きると、いろいろ億劫になる。
やりきった人生とやり残した人生があるとしたら、みんなは、どちらを、選ぶのだろう?
たぶん、やりきった人生を選ぶ人が多いと思う。
であれば、なぜ、今、全力でやらず、言い訳をしているのだろうか?
人に対する言い訳はまだいい、人生最後の日に、後悔に気づくのは、勿体無いと思う。
小学生の頃、全力で、やるのが、怖かった。
それは、もし、全力で、やって、それでも、ダメだったら、私という人間は価値が無いというのが、怖かった。
今は、全力で、やる、それで、ダメだったら、しょうがないと思っている。
全力でやる。そうすれば、後悔がない。
私なりの全力は、私が納得する。
他人の評価は、関係ない。
私の人生は、私が決める!
今年は、とにかく、会いたい人にあった。
オリジナルを創り出したかったが、これは、まだ、完成出来なかった。
ひとつ分かったのが、オリジナル、個性を出したもので、オールマイティーでない場合、
それは、創った人の価値観をぶっけて、そのぶつけられた人が納得すると、その場が出来るという価値観の世界。
だから、価値観が合う、合わないが出てくる。(ビジネスの世界では。差別化してとかいっている。)
それを、愛ベースにすると、どんな人でも、大丈夫になると思う。(模索中。)
例えば、価値観の場合、外見が大事って人と、中身が大事って人が話しても、お互いが主張して、
話がうまくいかない。
これを、愛ベースで、見ると、中身が大事って人が、外見が大事って人の外見の美に対する努力は凄いと思う。
また、外見が大事って人が中身が大事って人の気遣い方をみると、優しい気持ちになると思う。
そんな感じで、お互いが心豊かにになるといいなと思う。
道場の稽古で、保江先生が、優しさが最強と話している。
優しくない人は、優しくなりましょうと話している。(笑)
相手に対して、つい、自分の意見を言って優しくなれない人は、
本人の好きなものに対しては、大事にするので、そこから、少しづつ、広げていくとか、
その人が喜ぶのと、その人の気分が悪くなるのの、どちらが心地いいかと、考えるのも、いいかもしれません。
葛藤が起きるのは、制限された物の見方(部分)で、その全体をみるから、よく、見えていません。
それを、少しづつ、広げていくとどんどん楽になります。
本人なりに、ひとつ、ひとつ、納得して人生を送っていくと、その納得した中では、調和がとれています。
そうして、いろんな場面で、調和をとる事が、私にとっても、あなたにとっても、お互いの世界を広げていく
ことになると思います。調和とは、お互いが、主張しあって、戦うのでは、なく、片方が、主張して、
もう一方が、妥協するのではなく、お互いが、遠慮して、妥協するのでなく、お互いが、お互いの主張をし、
そのうえで、双方の納得の答えを出し、それが、今まで、一人だけで、見ていた世界よりも広くなるものだと思います。
そうして、双方納得の世界が分かると、この二人と、周りの関係に置いて、どう調和をとるかという感じになると思います。
こういう感じに、どんどん本人なりに納得しながら生きていくと、自由度が増し、世界が広がります。
その世界の中で、私がどう生きればいいかは、全体としてうまくいくにはどうしたらいいかを考えると、
自ずと、個人としての私の生き方が見えてくると思います。
ポイントは、私に正直に、相手に正直に生きるという事だと思います。
これを、少しづつ、出来る範囲でやっていくと、どんどん自由になっていきます。
日曜日に、近所の整形外科の主催するボランティアコンサートがあった。
一年に二回、六月と十一月にある。
私は、椅子を運んだり、後片付けしたりしている。
開業以来参加している。
そうして参加していると、女性スタッフの方の、お腹が大きくなったり、赤ちゃんを抱っこしたり、周りを、子供が走ったりしている。
そんな時間の流れを感じたりしていて、先生の所のスタッフの人は、男性も女性も、ずっと、勤めているなと思う。
それだけ、過ごし易い、職場環境をつくっている院長は、素晴らしいなと思う。
職場は、そこのトップ次第で、楽しい職場になったり、辛い職場になったりする。
よく思うのは、枠の中に入ってしまうと、中々、そこに掴まってしまって、物事が本人なりの冷静な判断出来なくなる。
例えば、鬼のように厳しい所(昔の職場)、普通の所、原っぱで、寝転んで、雲を見ているような感じの所(練馬の時の整骨院、松岡整骨院)。
そこの職場の感じが、本人にとって、普通になってしまう。
果たして、それが、本人にとって、どう言う意味を持つか?
考える余裕があるといいのだが、以外とない。
そんな時は、頑張って、頑張って没頭している状態になってもいいし、逃げてもいいと思う。
人生は、どこからでも、スタート出来る。
但し、あなたが、枠に因われていなければだが。
枠は、あなたが創っている。
今日、患者さんと話をした時、地元は、どちらですか?と、お聞きした。
患者さん 「巣鴨です。」
私 「駅前の小さな道場知ってます?」
患者さん 「昔、剣道で、通った事があります。」
私 「私、そこで、柔道、最初に習ったんですよ。」
この頃は、地元の木更津から巣鴨まで、日曜日に、2時間30分以上かけて、通った記憶がある。
思い出としては、乱取り(練習試合みたいなもの)、というのがあって、
おじさんと、柔道初日に、乱取りした時、(私、当時、183センチ、97キロ、 おじさん、160センチ、80キロぐらい)
心の中では、勝つと思っていたら、気がつくと、畳に叩きつけられていた。
全然、動きが見えなかった。
今思うと、浮腰だったと思う。
流石、柔道6段、強いんだな、これからは、口の利き方に気を付けようと思った。
(といいながら、へらず口を叩いていた気がするが、あくまでも、本気で怒らせない範囲で。)
練習の後のご飯で、おじさん達の武勇伝を聞いて、柔道の人は、凄いんだなと思ったりしていた。
帰りの電車で、あまりに疲れて、座りこんでいた時、ぐわっと、ランナーズハイのような状態になったのが、一回あった。
最近、ふと、思った事としては、本当は、みんな、いろんな繋がり(ご縁)があるんだ、
だけど、みんな私の興味のある事で、物事を見たり、人と関わったりするので、(特に、一番興味のある事から。)
二番手、三番手の興味は、弱かったり、嫌いな事は、関わらなかったりする。
たぶん、今、日常生活で関わる人は、本気で、向き合えば、いろんな繋がりを発見出来る気がする。
それを、上辺だけの表面的な付き合いを、していれば、表面しか分からないのに、それで、その人を判断してしまったりするのだろうと思う。
真剣に生きれば、物事が、よく分かるし、漠然と生きれば、葛藤の多い人生となったりする。
どう生きようが、その人の人生だから、いいと思うが、私は、やりきったと思って終わりたいと思う。
理想は、前のめりで、倒れこむような感じがいいなと思う。
今年は、私の中で、大きな目標を2つ達成したいと思う!