所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > プライベート|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 23の記事一覧
漢と書いて、おとこと読む。(漫画の北斗の拳や、男塾読んだ人は、分かると思う。)
患者さんと話していて、この患者さんは、漢だなと思ったりする人がいたりする。
男性だと、強さに憧れる人もいると思う。(私だと、今でも、元気玉作れないかなと思ったりしている。笑)
男とは、漢とは、こうあるべき、こういう男になりたい!こういう漢になりたい!
その強さが腕力だったり、精神力だったり、その人が人生を送る中で、求める強さが変わってくると思う。
私の思う漢は、強靭な体力と精神力を持っていて、日々の生活を100パーセントの力を出して、全力で生きている人。
こんな漢の人がいると、周りの人は、その人をお手本として、普段の生活に臨めるのかなと思う。(お手本があると、楽。)
漢の人に、どうですか?ライバルとか、強敵は、今までの人生の中にいました?と聞いてみた。そうすると、いないという答えばかりだった。もったいなと思う。強敵がいれば、切磋琢磨して、更に、いけるのに、と思った。だから、知っている事で、教えてもいいことは、話す事にしている。(そうして、ちょと、手合わせしてもらう。)
漢らしさを追究すると、何かが分かり、女らしさを追究すると、何かが分かると思う。
本人の理想を追究すると、思っていた所に答えが無い事に気づくと思う。
とりあえずは、身近な所にいる、素敵な人をお手本に、その素敵な部分をマネすると、そのマネした分、今より、素敵な私になれるのかなと思います。( ^ω^ )
日曜日に、台風の中、自由が丘に行った。(雨、風、凄かった。)
秋山先生、吉野先生、飛田先生のコラボ講演会があった。
今回の目的は、不食の秋山先生に、是非、一度会ってみたいと思っての事だった。
参加された方には、秋山先生のコーヒーが振舞われた。
お代わりした。(次の日のトイレが違った。)
講演会の話で、お坊さんのお友達がお坊さんを心配して連れてきた。
このお坊さんは、人の為に、とにかく、身を粉にして頑張り過ぎているという事だった。
そのお坊さんに、対して、まず、自分が幸せにならないといけないと話されていました。
身を捨てて相手の為にというと、日本人的には、素晴らしいという感じがしますが、身を捨てて相手の為に頑張っている時に、素晴らしいと思われる人と、心配される人がいます。
愛 感謝 ありがとう という言葉が出ました。
確かに、愛 素晴らしい! 感謝! 素晴らしい! ありがとう! 素晴らしい!と思います。
この時、愛でなければならない! 感謝しなければならない! ありがとうと思わなければならない!と思うのであれば、何か無理してる感じがします。この無理している緊張があると、心配されるのかなと思います。
只管打座という言葉があります。ただそのものに、なるとか、我を無くして管になるとかと捉えている人もいると思います。ここで、もうひとつ気づきます事は、我を無くしてと言った時点で、差別しているので、そこに我があるという事になります。実際は、只管打座の意味が分かっている人は我を分けていないと思います。
人によって、我という捉え方が違うので、よく分からなくなるかもしれません。
吉野先生は、我をワガママとあるがままと話しておりました。
私的には、我を制限された考え方と思っております。分かりやすい我は、ワガママですが、ルール、法律、道徳、倫理、それが、正しいと思った時点で、我と思っております。ただ、制限された考え方が悪いというのではなく、今の私だと、枠が無いなと思っていたら、あっ、枠があったという感じです。
磯さんという方が飛び入りで、参加されました。動物は、本能のままに生きています。自然の中で生きています。という話をされました。動物の本能のままに生きているは、その生き方で、調和がとれている。また、違う言い方をしますと、全体の中で、調和はとれるように、無意識に動かされているという意味だと思います。ここに、関係する話として、吉野先生は、人は、無意識に動かされるのを、拒める、自由意思があると話されておりました。磯さんは、具体的な話として、怒りが出た時は、ただ、怒りにまかせて怒るのではなく、いつものパターンをテイクアウトすると言い方をされていました。本来、そのままやると、怒りのままですが、その怒りに気づいて回避した。怒れるけど、怒らない。我慢した。これが、創造をした事になるそうです。確かに、怒りの場を違う場に変えていますね。どこかの場面で、お前は、動物のように本能のままだなと言われたり、出くわす事があるかもしれませんが、動物の本能のままには、調和がとれています。人が本能のままにと言われた時は、制限された考えで、相手と、全体を見ているから、軋轢が生まれます。だから、人の場合は、流れのままの世界で、調和の世界いる事も出来るし、拒んで、葛藤を楽しむ事も出来ます。この葛藤の状況を相手が創っていると思うか、私が創っていると思うかで、全然違うと思います。
愛とか、我とか、人によって、捉え方が違いますが、普段の生活の中で、ひとつ、ひとつ、腑に落とすをやっていくと、どんどん受け入れられる事が多くなっていきます。是非、やってみてください。
個人的には、帰りの電車の中で、吉野先生ともう一人の方と乗っていた時、先生が、もう一人の方に、「松岡先生は、松岡先生の周りには、動物が集まる。そんな愛。」と言ってくれました。これが、嬉しかったです。昔、マガジンで、ショウグンという漫画があり、その主人公が着ているものは、ボロボロなのですが、公園で、公園にいる鳥たちが肩にのったり、周りに動物とか、集まってきている場面がありました。こんな風になると嬉しいなと思っていました。最近では、虫が寄ってくる事は、あります。(悪い虫では、ありません。笑)
この言葉を聞いて、流石!吉野先生!よく、私の心を分かっていらっしゃると思いました。これからも、不束者ですが、よろしくお願い致します!( ^ω^ )