所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 未分類|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 3の記事一覧
整骨院の目の前に、7月くらいに、整体院が出来た。今までの私であれば、同業者が、目の前に出来たら、怒り心頭だったと思う。
先生が、開業の挨拶に来られた時、去年から、冠光寺流に参加させて頂いているので、どうぞ、どうぞ、という気持ちで、対応していた。
ある患者さんが、電話で、このような症状ですけど、言われた時に、私もその治療は、出来るけれど、
患者さんの事を考えたら、先生の所の方がいいと思って、先生の電話番号を教えた。
その日の夜に、先生が、お礼を言いに来られ、その時、話してみたら、なかなかの達人だな思った。
お人柄は、おぎやはぎのやはぎさんのように、ひとなっこい感じがして、お優しい印象を受けた。
今日、先生から、ブログに載せるので、一緒に、写真撮らせてもらいませんかと言われたので、いいですよと言い、私も、載っけますといい、
受付のみなっしーに2人の写真を撮ってもらった。
まこと先生に、抱っこしましょうか?と言ったら、大丈夫です、言われた。もっ一回、言ったけど、ダメだった。(笑い)
先生の技術は、話を聞いた感じでは、なかなかだと思ったので、行徳で、妊婦さんや、小さい子のいるママさんは、
まことストレッチカイロは、お勧めだと思う!
下総中山方面の方は、ぬくもり整骨院が、お勧めです。
いつも、朝、まこと先生は、先生の整体院や、整骨院の前や、近所の掃除をしている。(
その姿が、素晴らしいと思う!
お互い、頑張りましょう!
日曜日の、冠光寺流の稽古に、沖縄空手の銘苅先生が、参加されてくださった。
膝相撲という、(膝をつけた状態での相撲)、のを、先生とお手を合わせる事が出来た。
体格的には、私の方が、大きいのだが、ひっくり返されてしまった。(何で倒されたか,分からない。)
懇親会の席で、銘苅先生とお話が出来た。
先生が、体重を下に、落として、そのまま、拳を真っ直ぐ打つと、相手は、ふっとぶという話だった。
寸止めの本当の意味は、当てたら、死んでしまうので、寸止めとい事らしい。
先生が、話してくれたのは、だから、もう少し出来るように、なると、戦う前から、お互いの実力が分かり、参りましたとか、
争わなくても、話がつく状態になると教えて頂いた。
更に、進むと、赤ちゃんのように、敵がいない状態という話をして頂いた。
よく、無敵という言葉は、最強の意味で使われるが、本当の無敵は、敵がいない状態の事だと思う。
みんな愛とか、好きという気持ちを、持っているが、あの人だけは、ダメとか、嫌いとか、という気持ちもあると思う。
無敵は、みんなから、愛される人だと思う。
銘苅先生は、冠光寺流の師匠に、会いたかったと話してくださった。
最近、思うのは、世の中には、それぞれ、自分の道を追求している人達がいる。
そこに、触れてみると、ただ純粋にそれだけを、求めている心が見える。
ただ、ただ、心を込めて、一生懸命頑張ると、そのうち、没頭した状態になる。
そうすると、今まで、こうだと思っていた事自体が、考えに過ぎない事に気づく。
どんな事でも、少しでも、今に取り組めば、人生は、変わる!
最近、考えている事は、私が私を喜ばせる為には、どうするか?
今まで、努力、根性だけで、頑張ってきて、そのくせ、私に対しては、粗末に扱ってきたので、思いっきり、優しくしてあげたいと思う。
ここ最近出来るように,なった事は、ちょっとした事を、面倒くさがらずやれるようになった。
最近、心がけている、直感で動くというのを、更に進めて、ぱあっと浮かんだちょつとした事を、メモしてその日のうちにやりきるようにしている。
今までは、どうしても、絶対したいという事は、全てやってきたけれど、普段のちょつとした事は、まだ、、いいかとか、後でとか、時間がたってから
やっていたりした。
そのちょつとした事は、私の中では、労力としては、十段階の二位なのだけれど、つい,面倒くさいなと思ってしまっていた。
昔、ある若い先生が、患者さんにマッサージするのをしたくて、掃除や、準備の事が疎かになっていた時、
彼は、仕事に優劣をつけていたので、彼に仕事に大きいとか、小さいとかは,無いんですよと言い、ひとつ、ひとつ大事にしなければダメですよ。
と言っていたりした。
ちょっとした事と思っいる事も、そこに、心を込めると、没頭出来る。
今、その瞬間に生きている。
そうすると、どんな苦しい状況があろうが、その瞬間は、悩む事が無くなる。
面倒くさいと思ってやらなかったのは、私の中に、物事に対しての優劣の判断があるのが、分かった。
本来は、今、この一瞬、一瞬、一瞬を、常に心を込めて行うようにするか、愛そのものの状態として在るが出来れば人生は、楽しいと思う。
掃除をするのを、見ていて、綺麗でなければ、ダメという思いでやっている人と、綺麗が好きだからやっている人がいる。
綺麗でなければ、ダメという人は、そういう考えを持っている(観念)、だから、綺麗にしない人は、許せないという感情を持つ。(その空間は、緊張している。)
同じそういう観念を持つもの同士は、話が合う。
綺麗が好きという人は、綺麗という状態を愛しているので心に余裕がある。(その空間は、ゆったりしている。)
今というこの一瞬を、過去に囚われで過ごすか、未来を心配して過ごすか、心を込めて過ごすかで、人生の豊かさが変わってくると思う。
どんな生き方も、本人納得の生き方ができれば、いいんじゃないかと思う。
もし、今の生活が違うと思うのであれば、本人の出来るちょっとした事から始めてみれば、少しづつ変わっていくと思う。
昔、福島の川島先生のブログで、トイレ掃除の話が書いてあった。
トイレの中を、ゴシゴシ擦っていると、その場所が綺麗になって、他の場所が汚れているのが、目立ってくる。
という話が書いてあった。
どんな事でも、ちょっとの事と思う事でも、なんでもいいから一生懸命やっていると、何かに気づくようになる。
気づくという事が、本人を、縛っていた考え(観念)から、解放し、より、自由にしてくれると思う。
せっかくの人生だから、この日本という平和なのんびりした国で、思いっきり、前のめりに、楽しく、生きていきたいと思います!
日曜日に、浅間山の近くの黒斑山(くろふやま)-標高2400メートルに山登りに行ってきました。
氷点下20度、そこは、バナナで釘が打てる世界。(昔、CMでやっていました。)
寒いというよりは、痛いという感じ。
頂上で、ご飯の時、グローブを外し、下の薄い手袋で、お握りを食べたりした。
その後、動いていないので、身体は、寒く、
とにかく、手、手、手が、痛い、ズキズキする、
ヤバイ! 手が、死んじゃう!
手を振ったり、木に手を当てたりするが、痛い!
そのまま、下山して、必死に歩いていると、手の痛みは、無くなった。(うーん、対処法を考えないといけないなと思う。)
今回も、リーダー、先輩、山女子の二人、の5人の登山だった。
みんな、体力がある。
昔は、山登りの最終目標は、修験道の大峯山という所に登れればいいなと思っていたので、その為には、体力と高所恐怖症を
クリアしなければ、と、思っていた。
今では、山登りは、ただ、山に行って、山を感じれれば、幸せなので、まあ、とりあえず、山なら何でも、いいとう心持ちになっている。
今回、ふと、思ったのは、山登りの先輩方は、普段、トレーニングをして鍛えている。
(2人とも、腹筋が割れている。私のは、3段に割れたのが、合体して1つなっている。)
そんな2人と一緒に、山登りをして、よく、影響を受けないか、不思議だった。
いつも、リーダーには、松岡!スクワット、やったか!と鬼の形相で言われる。
やっていないと、むにゃ、むにゃ、とか、伏し目がちになる。(子供か!)
スクワットやらなきゃいけないなと反省し、また、日々の生活が、始まると、そのまま流されて、スクワットをしないで過ごしてしまう。
山登りを月に1回、行けると、日常生活で、体力的にきついという事は、ない。
しかし、スクワットをしないと山で地獄をみる。
ある時、山登りのブログで、危険な所に、挑む人、逃げる人、挑戦しない人というのを、
いろんな考えが、あっていいんじゃないかと書いた。
すると、普段、温厚な先輩が、コメントを入れてくれて、
そこには、「 山登りする男は、それでは、ダメだ、人生は、常に危険と隣合わせだから!」
と書かれていた。
それを、読んで、この先輩方と一緒に山登りするには、身体位鍛えていないと、ヤバイと思った。
次の日から、1日、100回やるようにした。
1回の山登りの度に、100回づつ増やし、富士山の時は、1日1000回になっていた。
ただ、この時は、回数ばかりに拘ったので、重心が、狂って、バランスが悪くなってしまった。
車の中で、こんな話をしていると、山女子の方は、スクワット、50回とかやっているという話をしていた。
じゃあ、55回やりますよと言った。(一昨日、55回、昨日、60回、今日、60回)
この話の前に、リーダーと、人生自分の思う通りに生きないとダメですよねという話をして、
いろんなしがらみで、文句言って生きているのは、本当の自分を生きていないじゃないかと言ったら、
リーダーは、自分の思い通りに生きているじゃんと言った。
私の好きな番組で、人生の楽園という番組があり(普段は、仕事中で、観られないが。)
その中に、出演される方が、大病をして、仕事人間が、田舎に引越して、家族が大事な事に気づく。
人は、本当の、危機になると、そこで、始めて本音を出す人がいる。
それならば、普段から、本音を言える人間関係を築く事が出来れば、お互いストレスが無いと思う。
だから、妥協とか、我慢は、その人の本来の生き方じゃないかと思っている。
ここで、リーダーと私の思っている自分の視点が、違っていた。
私の視点の自分は、個人としての自分(自我)が、思い通りに生きるのが、いいと思っている。
リーダーの視点の自分は、家族の一員の中の自分が、思い通りに生きるのが、いいと思っている。
例えば、お父さん、お母さん、子供という3人家族がいたとする。
お父さんは、本当は、1人で、のんびりしたい。
お母さんは、買い物に連れてってもらいたい。
子供は、おもちゃを買ってもらいたい。
この時、お父さんの意見だけを通すと、お母さん、子供に不満が残る。
この時、お父さんが、ゆっくりしたいなと思いつつも、家族の為という視点で、お母さんには、買い物、子供には、おもちゃ
という行動をとるとする。
これが、お父さん(自我)は、不満があったのだが、家族という視点の自分に立つと、家族の為だから、しょうがないなと納得している。
これが、リーダーのいう自分の思い通り。
自分(自我)がその状況を許している。
だから、今の状況があるという事は、ある意味、自分自身がそれをつくりだしている。
だから、自分の思い通り。
ただ、いつも、お父さんが、お母さん、子供の意見ばかり、聞いてそれに幸せを感じれるタイプならよいが、
不満を溜め過ぎるといつか、爆発する。
だから、家族という集団を、うまく、運営しようと思うのなら、
お父さんという自我の許容範囲、お母さんという自我の許容範囲、子供という自我の許容範囲を分かろうとして、
コミュニーケーションをとるのが、いいと思う。
表面的な、コミュニーケーションでは、相手に必要以上に遠慮して、不満が残ったり、自我の強い相手に、我慢して、不満が残ったりする。
人間は、常に、いろんな人に、出合ったり、いろんな出来事に、遭遇したりして、変化している。
目の前にいるその人は、自分の思っているその人とは、違っているかもしれない、
だから、人と話す時は、真剣に向き合わないとその人の本当の心の部分が、分からない。
そうやって生きていると、世の中に不要なものは、無いという事が、実感できるのかな思う。
今の自分が形成されたのは、両親、兄弟、友達、好きな人、嫌いな人、いい事、悪い事、人生の全てと
考える事が出来れば、何か、1つが足りないだけで、今の自分とは、違う自分になっているだろう。
そういう心持ちが、持てると、全てが愛おしくなり、全てに感謝する事が出来のだろうと思う。(まだまだ、出来ていないが。)
これらを、踏まえて、山登りは、私以外鍛えている人が4人なので、スクワットの回数を少しづつ、増やしていこうと思う。
今回、勉強になったのは、リーダーの言っていた自分の思い通りという言葉。
つい、みんな自分(自我)の思い通りにならないと、不満を抱くが、
家庭において、会社において、社会において、今の自分の状況があるのは、そういう状況を許している自分がいて、
その方が、家庭にとって、会社にとって、社会にとって、いいと思っている自分がいる事に気づけば
心が楽になるのかなと思う。
流石!リーダー!日本1!(ここで、よいしょしないで、どこで、する)
これからも、山登りを一緒に登って下さるみなさま!松ちゃんは、大器晩成型なので、(90歳位で、たぶん、しっかりする気がする。)
ひとつ、長い目で、みてやってくださいませ。
ついに、ブログとフェイスブックが、繋がりました。
受付の柳沢さんが、頑張ってくれたお陰です。(ありがとうございます。)
私は、ゴットハンドを目指していますが、彼女は、魔法の手を持っています。
困った時は、頼むと、解決してくれます。
これで、フェイスブックを見る機会が、増えそうです。(今まで、殆ど更新していなかったので。)