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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 食べ物。|千葉県市川市行徳駅前 松岡整骨院 - Part 8の記事一覧
土曜日に、木更津の父親からメールがあり、電話をかけてみると、畑で、ズッキーニを採ってぎっくり腰になったと言ってきた。
明日、用事があるので、間に合えば、仕事を終わつてから行って、朝、直ぐ戻れば行くよと言った。ダメな時は、冷やして、安静にしてくださいと言った。
私は、いつの頃からか、ズッキーニが凄く好きなので、スーパーで、見つけると、10本ぐらい買ってしまう。そして、1回の食事で、2本ぐらい生(実際は、火を通した方がいいみたいです。)で食べて幸せを感じてしまう。今回、父親が、ズッキーニで、ぎっくり腰と言ったので、ズッキーニで、つろうとしているのかと思った。
父親が動けるようになった時、帰りに、ズッキーニ2~3本持って帰ったらいいと言った。うん、なかなかなケチだなと思っていたら、ズッキーニを見せてくれた。普段、買うズッキーニは、20センチくらいで、きゅうりみたいだけど、このズッキーニの一番大きいのは、長さが42センチぐらいあって、胴回りの太さ凄く、怪獣みたいで、笑ってしまった。これなら、2~3本という意味も分かるなと思った。取り合えず、そこにあったズッキーニ9本(3本は、お店で売っていたもの)もらっていった。
そして、この時、考えたのは、大きくなれば、なるほど、大味になるのかなと考えたりした。20センチなら、100のおいしさ、30センチなら80のおいしさ、40センチならおいしさかなと思って、その時は、どの辺で、良しとするのが、いいかなと思った。実際食べてみたら、大きくても、おいしかった。
ズッキーニ道の初心者の私が、まだ分からないのが、スーパーのズッキーニを食べた時、凄くおいしいのと、おいしいのがあって、この違いは、鮮度なのか、何なのかがよく分かっていないので、今後のテーマになるのかと思っている。
ズッキーニなかなかこの世界は、深いかもしれない。
(*^▽^*)
あっという間にゴールデンウイークが終わった。2日の深夜にまこと先生が訪ねて来られ、いろいろ話していたら、朝の5時になっていた。3日は、親友の山ちゃんと、食べ放題だったので、これは、少し寝とかないといけないと思い、少し寝た。今回、食べ方で、いつもと違ったのは、お肉を全て、一枚ずつ選んだ。後は、美味しかったものを、もう一度頼もうと思った。(実際は、何を食べたか忘れてしまっていた。)よく噛んで、ゆっくり食べていたことは、いいなと思った。と言っても、トータルでは、たくさん食べたと思う。他には、父親の畑を手伝ったり、タケノコ堀りをしたり、両親と、祖母の身体の調整ができたのは、よかったと思う。休みに実家に帰ると、いつも、ずっと食べているけれど、今回は、お腹が空いていなければ、抜いたりした。(ここは、成長している感じがする。)いつもは、とにかく、私自身のリラックスを重点に置いた過ごし方をするのだけれど、今回は、私の出来ることがあれば、何でもしてあげたいと思って行動できたのはよかった。(少し成長したかもしれない。)
休み明け、いつもは、お休みモードだけれど、今回は、通常モードで、頑張っていきたいと思います!(*^▽^*)
日曜日に、高尾山の南側にある草戸山に山登りに行った。今回は、3週間の断食明けだった。最近は、ラーメンをカップラーメンから、インスタントラーメンのサッポロ一番塩ラーメンに変わっていて、具は、何にするかを考えたりしていた。前回は、餃子だったので、今回は、リーダー希望の豚の角煮にしようと思ったが、売ってなかったので、焼き豚と、ベーコンにした。更にチーズを入れれば、カルボナーラ風になるかと思った。リーダーは、小食なので、焼き豚と、ベーコンは、3分の1ぐらいでいいとのことだった。実際は、一人で、1・7人分くらいの感じだった。いけると思ったが、苦しく、1・5人分くらい食べて、生まれて初めて残してしまった。ああ、この感覚が、食べるのが苦しいというのかが分かった。太っている世界の住人の感覚だと、お腹苦しいな!でも、心は嬉しい!食べるのは、楽しいな!が、食べるのが、辛いという感覚は、初めてだった。今回の事で、学習したのは、リーダーと二人の時は、お肉なら、焼き豚か、ベーコンどちらか、ひとつで、いいなという事がわかった。今回、山登り全体で、4時間だったが、その内、1時間20分は、ラーメンと、コーヒーの時間だった。この満腹という世界は、太っている人と、太っていない人では、全く、違う世界である。太っている人にとっては、極楽!太ってない人にとっては、地獄! とうとうこの二つの世界をクリアーしてしまった。本人の分からない感覚を分かるようにするのは、出来るだけ相手と同じ状態にすると、分かってくるのかなと思った。思いっきり食べるという食生活から、3週間の断食。これは、食べ過ぎないという点では、太っていない人の食生活に近い。ただ、日本の世の中は、食に溢れているし、お店もたくさんあるし、その職に就いている人もたくさんいるし、食の楽しみもあると思う。そして、食べるのが、いいとか、食べないのが、いいとかでなく、その時に、本人にとって、いい選択をすればいいのかなと思う。(*^▽^*)
朝日新聞の土曜日版にマックスさんの記事が載っていた。
マックスさんは、幼い頃から独学でプログラミングを学び、大学卒業後に入ったグーグルで、最先端のITエンジニアとしての道を歩き始めた。しかし、何かが引っかかるようになった。「このままでは、自分と違う考え方の人や、違う暮らしを知らないままの人生になってしまうのではないか」と思った。
そうして、考えたのは、FB上で公開されている集会をソフトに無作為に選ばせて参加し、食事の場所、会う人、食べるもの・・・・・・。自分の趣味や嗜好から離れられたら、どんな世界を見ることができるのか」そんな興味で始めた生活はまもなく3年になる。2年たらずグーグルを退社。フリーのエンジニアとして働きながら、自作のアプリの指示で生活し始めた。15年からは、とうとう住む場所も世界中から無作為で選び始めた。
と書かれている。
この記事を読んで、ぱっと、思ったのが、流れに身をゆだねている感じがした。確かに、人は、今いる場所で、そこにある情報を、自分に関わる所で選んでいると思う。私の分かる範囲で物事を理解し、好きな事は、受け入れ、嫌いな事は、拒絶する人もいるし、戦う人もいるし、乗り越える人もいると思う。あくまでも、その人の人生に対するスタンスで、その情報に関わる。であれば、コンピュータ任せの無作為な選び方は、自由な感じがした。
個人的な感想としては、元々、プログラミングというシステムをつくる人だから、逆に、システムに縛られているのが嫌になったのかなと思いました。
順風満帆だった道を外れるのにためらいは? の質問に、
コンピューターを学んでサンフランシスコに行き、グーグルで働くなんて、絵に描いたような道筋でしょう。この先の人生まで見えてしまうようで、落ち着かない気持ちになりました。自分のコントロールの及ばない場所に行くことで、新たな価値観に出会い、自分の枠を広げられると思ったのです。
この生活を始めて何が変わりましたか?の質問に、
変化を恐れなくなり、世の中で起きていることに敏感になりました。自分とは違う価値観を持つ人と実際に会って話すことで、理解できるようになったことが多くあります。面白いのは、リラックスできるようになったこと。アプリが行動を決めてくれるので自分はそれに従って動けばいい。(省略)人間はもっと創造的なことになるでしょう。(省略)何年かたったあと、自分にどれだけの変化が現れるのか、楽しみです。
世の中には、いろんな状況、いろんな考え方、いろんな行動があると思います。
どう生きたいかは、その人次第だと思います。
世の中には、いろんな状況、いろんな考え方、いろんな行動があると思います。
でも、結局は、その人には、ひとつの状況、ひとつの考え方、ひとつの行動かなと思います。
どちらでも、お好きな方をどうぞ。 (*^▽^*)
日曜日に、山梨県の百蔵山に山登りに行った。
今回も山で、鍋にインスタントラーメン入れてつくるということだったので、具は、どうしょうかと考えた。
前回は、サッポロ一番塩ラーメンで、具は、ウインナーと、冷凍の野菜のミックスだった。実際は、熱!熱!で、スープが薄く感じた。リーダーも薄く感じていたらしく、それは、野菜の水分とのことだった。(私は、リーダーが水を入れるのが多かったのかと、こっそり思っていた。笑)
で、今回の具は、スープ餃子と、ウインナーとなった。感じとしては、ワンタンみたいなになるのかなと思っていた。まず、鍋で、餃子と、ウインナーを茹でて、スープをつけてみた。なかなかの絶品な感じになった。そして、その後、麺をいれて、塩ラーメンを食べた。今回は、ばっちし上手くいった。
更に、食べてすぐに、コーヒーも飲んだ。その時のお菓子は、みなっしーから頂いたものだった。もう、本当にお腹いっぱいで、苦しかったが、下山となった。(3時間15分)
天気もよく、登山客も多く、いい感じの山登りとなった。(夜の10時には、寝てしまった。)
今回、山を登って、ふと思ったのは、普段の生活で、目の前に波があって、その波は、高くなったり、低なったりして、そこに高い所の部分と、低い所の部分があって、その高い部分だけを見ている人が、ポジティブで、(低い部分は、見えてない。)その低い部分だけを見ている人がネガティブで、(高い部分は、見えてない。)ただ、そこには、波があるだけかなと思った。
さて、次回は、何の具にしようかな?と思っている。(*^▽^*)
人生とは、根本の流れがあり、そこに対しての私達の個の在り方が、現象をつくり、個の認識が幸、不幸をつくっているのかなと思っている。根本の流れ、個の在り方の流れ、個の認識の流れの三つの動きがあるのかなと思っている。(透明な流れ対して、青い光を当てると、青い世界が出現し、赤い光を当てると、赤い世界が出現し、その世界を見て、何か思う私がいる。)
これを、普段の生活で、言うとすれば、私達が行動する時、認識している意識は、今ある物事に対して、こうだなと思っている意識。(個人、個人の認識の仕方が違っている。)今ある現象を創りあげているものが、個の在り方の意識。そして根本の流れがある。(これが、完璧に分かればいいなといつも、思っている。)
個の在り方が、しっかり分かれば、人生は、不安がないと思う。(個の在り方と、個の認識が一緒。)
(この考えの少し前の時は、人は、動きを、写真で撮っている。そこで、固定して、認識している。その固定された認識を持って、動きを見ている。だから、本当は、変化している物事を、固定したまんまの考えだから、受け入れづらい。この認識は、固定していると思っていた。)
これを別の言い方でするとすれば、普段、人生において、生活していて、いろんな事が起こる。その起こる事を、私自身が起こしているというのが分かれば、楽なのになあと思う。
人生は、私が世界と関わっているような感じだけど、実は、その人が創りあげた世界で、生きている事を人生というのかなと思う。
まあ、なんだかんだ言っても、日々の生活の中で、活用していかなけば、ただの想像になってしまうので、こつこつ出来る事を頑張っていきたいと思います!